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楯崎神社 ~伝承の真実 その5~

前回の解説と考察。

宗像三女神は、天照大神と素戔嗚尊の誓いの後、生まれた御子。
すなわち、田心姫神は沖津宮、湍津姫命は中津宮、市杵島姫命は辺津宮、の三カ所に鎮座して、今も昔も国家を守る大神。
旧事紀には、素戔嗚命の御子の大己貴命は、まず沖津宮の田心姫神を娶りて、一男一女の味鉏高彦根、下照姫命を生む。

次に辺津宮の高津姫を娶りて一男一女の、味歯八重事代主神、高照光姫大神命を生む。
(*1)味歯八重事代主神は八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となり、三島溝杭女(玉依姫=玉櫛姫または櫛玉姫)の所に通って一男一女児を生む。
生まれた子が、天日方奇日方命。
この命、橿原朝の時代、食国大夫となってお供に加わる。   
六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠い祖先である。

この神山(楯崎神社の裏山?)の険しい峰の上、草木が盛んに生えている楯板、石となって存在している。
面の横幅0.6m、高さ1.5m。
削って作り上げたように険しくそそり立ち、東方を向いている。
三方向に石壁を築き、これを取り囲む。
土地の人はこれを敬い、よく山に登る者がいる。

社の後ろに岩の窟(穴)がある。
方約0.6m、深さ約3.6m。
神霊のおられる窟である。

西は海岸に面していて、極めて高く切り立った険しい崖が、大海原を望み、人の感情を思うままにし、眼下のいわおの険しさ、異様な状態である。
もし夕方に(見れば)、切り立ったような崖に潮水がそそぎ、荒波絶壁を打ち付けて、怒ってるように見え、神を驚かし、魂を消し、人を騒がす所、風雅を愛する人が好む所、楯石崎はこの地である。


                    *

宗像三神とその夫神(大己貴命)について書かれてあります。

宗像三神の内、田心姫神は沖津宮、湍津姫命は中津宮、市杵島姫命は辺津宮 にそれぞれ鎮座。
旧事紀には(と前置きしてあり)

スサノオの御子、大己貴命は、まず、田心姫神夫婦となり、味鉏高彦根、下照姫命を生む。

大己貴命は三輪山の大物主神です。

次に、辺津宮の高津姫を娶りて、八重事代主神、高照光姫大神命を生む。

この高津姫は辺津宮の神なので、市杵島姫命です。
ここでも、大己貴命(大物主神)と、市杵島姫命が夫婦です。

*詳しく「何故か」を知りたい方はリンクへ ↓

(「饒速日命を求めて ⑳ 終章 ~御炊屋姫と市杵島姫命と神功皇后~」)
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)



八重事代主神は八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となり、三島溝杭女(玉依姫=玉櫛姫または櫛玉姫)の所に通って一男一女児を生む。

八尋熊鰐=事代主神ですが、大物主神(大己貴命)自身でもあります。
(「日本の真相 23 ~勢夜陀多良比売~」)

  神武天皇の妃は、五十鈴媛命。
  彼女の母は玉櫛姫、父は事代主とも言われ、
  古事記では大物主ともされています。

  玉櫛姫とは、櫛甕玉比古とも呼ばれる神と夫婦になったという御炊屋(ミカシヤ)姫のこと。

  奈良の櫛玉比女命神社
  には、櫛玉比女命として祀られています。

  櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、御炊屋姫(みかしやひめ)です。

また、三島の神は、布留御魂神でもある饒速日命でもあり、三島溝杭女とはその后、御炊屋姫のことです。
事代主神が饒速日命ならば、一致します。
(事代主神などは、書かれる場所によって、変えられることはあるかも。子の立場であったりと)

生まれた子が、天日方奇日方命。
この命、橿原朝の時代、食国大夫となってお供に加わる。
六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠い祖先である 。

 御食国は、(みつけくに)と読まれます。
同じ読みの御膳津(みけつ)神は、天照大神の神饌を用意したという豊受大神のことですが、
ここでは神(の存在に近い者)の側に「仕える者」の意味で使われているのかもしれません。

天日方奇日方命 が 、饒速日命と御炊屋姫の子ならば、神武天皇と夫婦になったという五十鈴媛命
「橿原朝」とは、神武天皇の時代を指すものなのかもしれません。

(ただし、私自身、神武天皇が存在していたかどうかは分かりません)


<宗像三神>

宗像社記にはこう記されてある。
宗像大神が異賊に対して、最初の合戦地に御楯(砦か?)を築いた場所を「楯崎」とした。
その御楯は、石となって今も存在する。
(宗像大神)軍が勝った。
鼓を打った島が鼓島と言われるようになった。
その鼓は、石となって今も存在する。

宗像大神が、異賊と戦って勝利したことが書かれてあります。
その3)にあった、大己貴命と宗像姫が神軍を率いてならば、共に戦ったのは大己貴命です。

それは、大己貴命=大物主命=事代主神=饒速日命。
また、宗像姫=市杵島姫命=玉櫛姫=御炊屋姫。


この「楯崎」とは、御楯を築いた場所。
「鼓島」とは、鼓を打った島。

鼓島は、この楯崎神社がある渡半島の北にある小さな島です。

鼓島や楯崎の名の由来になったのは、大己貴命と宗像姫の異賊との戦いでした。

彼らが、饒速日命とその后、御炊屋姫ならば、この地で戦ったことになります。



楯崎神社は渡半島の津屋碕という地にありますが、ここに「波折神社」があります。
ここも神功皇后の伝承地です。この神社の伝承も、この楯崎神社と繋がります。
後に記します。

 

( つづく )

 

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2021年4月 8日 (木)

楯崎神社 ~伝承の真実 その4~

由緒書の宗像姫の項です。

20201225135525_img_3590

 

 宗像三前大神は、天照大神と素戔嗚尊、誓って久しき後に生座の御子なり。即ち
号して曰く、田心姫神、湍津姫命、市杵島姫命は沖津宮、中津宮、辺津宮の三所に
厳重に鎮座し、奇瑞、古今不変、国家鎮護の大神なり。旧事紀に案じて曰く、素戔
嗚尊の児、大己貴神、先に宗像奥津宮に座す田心姫を娶りて、一男一女児、味鉏高
彦根妺(*1)、下照姫命を生む。次に辺津宮に坐す高津姫を娶りて一男一女児、味歯
八重事代主神妺、高照光姫大神命を生む。味歯八重事代主神は化して八尋の熊鰐と
為り、三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き一男一女児を生む。天日方奇日方命なり。
此の命、橿原朝の御世勅して、食国大夫となりて供奉。六世の孫阿田賀田須命は、
宗像朝臣等の遠き祖なり。宗像社記に曰く、当神、異賊に対し、最初、御合戦地の
事、御楯を築き始められし処を楯崎と号す。其の御楯、石と成りて今にこれあり。
軍に御勝ちあり。勝鼓を打ちたまえる処を鼓島と号す。其の鼓、石に成りて今にあ
り。それ神山の峻嶺上、草木蓊蔚(*2)楯板、石と化し、今猶(*3)其の石あり。面の径二尺五
寸、高さ五尺拾も削成せるが如く、東方に向きて立つ。三方石壁を築き、之を囲繞(*4)
す。土人之を敬畏し能く登陟する者あらんや。社の後に一岩窟の口あり。方二尺五
寸、深さ一丈二尺、乃ち神霊の窟宅とする所なり。西は海岸に面して儳巌千尺(*5)、こ
こに萬里の溟遼(*6)に絶するに臨み、心目の寥朗を恣し、それ眼下の礒(*7)恣く龍蟠り、虎
蹲り(*8)怪異萬状、若し夫れ且夕、潮水、懸崖に灑がば、奔涛絶壁を撃ち、怒りて
噴し、神を驚かし、魂を消し(*9)、人を騒がす所、咏吟の雅人、愛賞する所、楯石碕は
即ち此れなり。

(今、無い漢字などは相当しそうなものを当てました。違ったらすみませんです)

(*1)妺(妹ではない。女の人につける文字)
(*2)蓊蔚(おううつ。草木が盛んに生えるさま。)
(*3)今猶 今も尚、今でも)
(*4)囲繞(いにょう。いじょう。取り囲む)
(*5)儳巌千尺(ざんがんせんせき。極めて高く切り立った険しい崖)
(*6)溟遼(大海原)
(*7)礒(いわお。岩が突き出てるさま。磯)
(*8)龍蟠り、虎蹲り(竜蟠虎踞のことか。地形が険しく攻めにくい地域)
(*9)消し(原文は火+肖)


次回、この<宗像姫>の項の考察です。

( つづく )

 

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2021年4月 1日 (木)

楯崎神社 ~伝承の真実 その3~ 大己貴命

前回の解説と考察。

当社は宗像宮の摂社七十五社のその一である。
楯崎神社は以下に詳しく説く古宮である。
御祭神は、大己貴命、少彦名命。
また、飛龍権現の相殿とし、三座とする。

言い伝えによると、世の中が未開で荒れ果てて混沌としている世、
夷の類 (*1 ヰルイか?異類)という狂暴な鬼神が北海の浜に攻めてきて、人民を殺略した。

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には滅した。
楯崎と加羅船などの名はこれが由来。

<大己貴命>
大己貴命は、父が(?)素戔嗚尊の七世孫の天之冬衣神子と母が(?)刺国若比売神。
(↑ここは分からないです)
この神は、またの名を大国主神、またの名を葦原醜男神、またの名を八千戈神、
またの名を顕国玉神といい、五名の若夫(妻のこと?)あり。
大三輪社(奈良の大神神社)に祭られている。
大物主神は大倭神社に祭り、大国売神という。

故にこの大国主神はちはやふる神などを追い返して、初めて国を作る。
その子供、百八十一神あり。
のちに、皇孫を避けて、日隈宮(出雲大社)に祀られる、出雲国杵築大神 である。

<以下、少彦名命の項は省略>


                                                         *

この社に祭られている<大己貴命>は、大国主神であり、八千戈神、奈良の大神神社の大物主神。
彼は饒速日命です。
更に、出雲大社に祀られているのも、彼だと書かれてあります。

その饒速日命が宗像姫と共に、「夷の類」を退治した。

夷の類 (*1 ヰルイか?異類)という狂暴な鬼神が北海の浜に攻めてきて、人民を殺略した。

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には滅した。


まったく同じ状況を高良の伝承で見ています。

夷の類」、それは「ヰルイ」ではないのか。

高良大社の伝承、高良玉垂宮神秘書にありました。

そこには、高良神と神功皇后が夫婦であり、共に「ヰルイ」を退治した とあります。

高良神は饒速日命です。
かの社は、物部氏の祖神を祀る宮でした。

(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)

(「神の鉾 4 ~星の名~」)


共通する「ヰルイ」。
大己貴命が饒速日命であり、高良神であるのだから、同じ伝承なのでしょう。


では、楯崎神社の大己貴命が饒速日命ならば、共に「夷の類」を退治したという「宗像姫命」は神功皇后ではないのか?

「彼」が饒速日命であるならば、「彼女」は?


( つづく )

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2021年3月31日 (水)

楯崎神社 ~伝承の真実 その2~

前回の楯崎神社には、石板に彫られたご由緒書がありました。

御祭神、大己貴命と、少彦名命。
そして大己貴命と共に「夷の類」を倒したというのが、宗像姫命。

そこには神功皇后と住吉神の伝承もありました。

このご由緒書(縁起書)を見た時、涙があふれて止まりませんでした。
ここに真実があると、私の深い場所からの声がしたのです。

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三回に分けて記します。
一回目、序文と<大己貴命>。
<少彦名命>の項の解説は割愛します。

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 それ当社は宗像宮に摂する所の七十五社の其の一にして、楯崎神社は以下詳かに
説く古宮なり。祭る所の神は、大己貴命、小彦名命なり。又、飛龍権現を以て相殿
と為し三座となす。

 相伝えて云う、荒洪草昧(*1)の世、草木、言い語りの時、夷の類狂暴なる鬼神、吾が
北海の浜に来寇し、人民を殺略す。時に大己貴命及び妃宗像姫大神自ら神軍を率い
稜威を振い、楯を立て、鼓を鳴らして夷賊を防禦し、遂に誅滅し類、無きなり。

楯崎及び加羅船等の名、蓋し此れより起る。按ずるに大己貴命は素戔嗚尊七世の孫
天之冬衣神子、母刺国若比売神、此の大神、亦の名を大国主神、亦の名を葦原醜男
神、亦の名を八千戈神、亦の名を顕国玉神と謂い、併せて五名の若夫あり。大三輪
社に祭る。大物主命は大倭神社に祭り、之を称して大国売神と謂う。故に此の大国
主神は、千早振神等を追撥(*2)し而して(*3)始めて国を作る。其の子凡そ一百八十一神あり、
後に天の下、皇御孫命を避け奉り、日隅宮(*4)に永隠す。即ち出雲国杵築大神なり。

 少彦名命は神皇産霊尊の子なり。日本紀に按じて曰く、大己貴命の国を平ぐるや
行きて出雲国五十狭の小汀に到る。而して朝、まさに飲食せんとす。是の時、海上
忽、人声の驚くありて、之を求む。すべて所見無き頃、時に一箇の小男あり。白
皮を以て舟と為し、鷦鷯(*5)の羽を以て衣と為し、潮水に隋って浮き、大己貴命に到る。
即ち掌中に取り置き、而して之を翫ぶ。則ち跳びつき噛む。其の頬の怪、其の物の
色なり。遣使天神に白す。時に高皇産霊尊、之にこたえて曰く、吾が所に産児凡そ
一千五百座あり。其の中の一児、最悪にして教養に順わず、指間より漏るる堕者は
必ず彼なり。爰(*6)に於いて之を養うべし。此れ即ち少彦名命、是れなり。又、云う、
大己貴命、少彦名命とともに勠力一心、天下を経営し、またあきらかに、蒼生及び
畜産を見んがため。其の療病の方法を定め、又、鳥獣昆蟲の災異の穣を為す。即ち
その禁厭の法を定め、此れを以て百姓、今に至り咸、恩頼を蒙る。嘗(*7)、大己貴命、
少彦名命に謂りて曰く、吾等造る所の国、豈(*8)に善成と謂や。少彦名命、対えて曰く、
或は成す所あらんか、或は成さざるにあらんか。其の後、少彦名命、行きて熊野の
御碕に至り、遂に常世郷に適す。今、天下諸国に温泉地あり。是の二神を祭り奉る
は、この縁なり。

(見やすいように、行開けてます。該当する漢字が無い場合は相当する字を充てます)

*1 草昧 そうまい。世の中が未開混沌としていること。荒洪は造語か?
*2 追撥 原文は手偏に発。
*3 而して しかして。そうして。
*4 日隈宮。天日隈宮。出雲大社のこと。
*5 鷦鷯。みそさざい。鳥。
*6 爰 ここ 。
*7 嘗 かつて。
*8 豈 あに。どうして~か?反語


次回、序文と<大己貴命>の項の考察です。

 

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