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hanahana

2018年4月18日 (水)

岩戸開き その5 ~日甕~ 

日本書記では、神功皇后は「卑弥呼」と重ねています。
                  .

ミカシヤ姫は<ヒミカ>と呼ばれていました。

それは私が見た「前世の夢」の話です。
   *(「古代奈良の夢  ~前世 4~ 」)

人が見ていた夢を見た可能性もあるかもしれないので、
それが必ず「自分自身」だとは言えません。
                         .

ですが、ミカシヤ姫が「ヒミカ」でもあるならば分かることがあります。

当時、漢字はなかった時代ですが、その名の意味を表すものがあるなら、
                     .

<<日甕>>
                                .

神功皇后の「甕依姫」
ミカシヤ姫の「櫛甕玉姫」

「ヒミカ(日甕)」

生まれ変わりならば、二人とも「ヒミカ」です。

「日」は日の神、ニギハヤヒ命を表すもの。
「甕」は神に捧げる酒や水を入れる神事用の器。

日の神の玉依姫としてあった、あの人達の名として
これほど相応しいものはないのです。

                    *

もしも神功皇后も「ヒミカ」と呼ばれていたのなら、
彼女がミカシヤ姫であったという可能性は大きいように思います。

住吉の神である高良の神が、ニギハヤヒ命の生まれ変わりであったとしたら、 
尚更です。

                                            *

私が見た「夢の彼ら」にとって名はとても重要なものであり、
その名は、何度生まれ変わっても受け継ぐようでした。

(その度に前の世の記憶を思い出すから名付けるのか、
 その理由は分かりませんが)

何度転生しても様々な形で自分の名の中にあります。
見つかっている仲間の一人以外、今の名の中にも「それ」がありました。

                     *

夢で見た「アマノトリフネ」
空を飛ぶ、あり得ない白い帆船。

だけどそれを自然に受け入れてたのは、その前に「別の星」の夢が
自分の前世だと分かった後だったからです。

その時には同じ夢を見続けていたという「仲間」の2人に会っていました。

自分がこの星の者ではなかった時があると。
あり得ないことはないと、知った後だったからです。

その後、「宇宙神霊ARION」と、ネットの中で出会いました。
その存在は「私」のことを知っていたのです。
                  .

ARION達は、北極の遥か上空に彼らの大きな母船があると言います。

マイ・ミュート・アーテという宇宙船。

「古代奈良」の天鳥船。
宇宙神霊ARIONと宇宙船。
自分達の前世の一つが「別の星」の者だったこと。

それらの「繋がり」は、「あり得ないことではない」と自分を納得させるには
十分なことでした。

もしも、この先、ARION達の母船が現れることがあったのなら・・・。
「天鳥船」も絵空事ではないと言えるかもしれません。

                            *


神霊であるミカシヤ姫はこうも告げました。

<<あなたは神功皇后であり、ミカシヤ姫です>>

その真偽は分かりません。
ミカシヤ姫は前世の夢で見ましたが、神功皇后とは
奇跡的な縁で結ばれているだけなのですから。

前世なんて過去のこと。
なのに何かに突き動かされるかのように追いかける。
それは、未来の扉を開ける鍵がそこにあるから。

最近、ようやくそれが分かりました。
                                     .

「岩戸」とかつて・・・今も呼ばれているこの地に自分がいること。
ここに来なければ分からなかったこと、出会わなかったこと。
それさえも、多分必然。

「儺の国の星」という本に出会ったのもその一つ。
それは物部の子孫達が連綿と伝えてきた、
宇宙の星々とこの那珂川町の伝承や歴史が記された本でした。

もしも、私が「ヒミカ」であったのなら・・・。
この手の中にそれがあることは何よりの奇跡だと思うのです。

 

 

2018年4月16日 (月)

岩戸開き その4 ~岩戸~

<高良の神と神功皇后>
                       .      

彼らは、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫の生まれ変わり。

そうすれば、幾つもの疑問が解けます。
解けたピースが幾つも埋まるのです。
                      .

                     *          .

「天照の岩戸開き」
              .
                     .
それは天照であるニギハヤヒ命が岩戸に籠り(亡くなり)、
再びこの世に現れたことでは。

それこそが<生まれ変わり>を表す物語。

                       .

高良の伝承では、ニギハヤヒ命は住吉神。

筑紫の那珂川町にはその神を祀る住吉の元宮「現人神社」があります。

イザナギ命の禊の際に現れた神の一人が、住吉(底筒男)神。

禊の地の地形に一致することから、那珂川町がその地だとも言われています。
     *(「安徳台と高天原」)

裏を返せば、「この地に現人神社があるから、その神話が出来た」とも
言えるのではないでしょうか。
     *(「結びの山 ~その11  天孫降臨 ~ )」

「神話」では同じ地で天照も誕生しました。
住吉神の後、天照が生まれたのです。
                     .
                       .
この地には、日吉大社へ勧請した神の一柱を祀る「日吉神社」もあります。
日吉神社のご祭神は猿田彦神。

   (勧請した日吉大社の神の一柱は大己貴神(ニギハヤヒ命)) 
                     *(「 結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~   」)

猿田彦神は、登場した時の姿から「天照が来る前の国津神の天照」ともされます。 

                           *        .
                 .

「岩戸の地」
                         .

那珂川町には那珂川が流れています。
「禊」の地とされる(おぎわら橋がある)周辺は今は山田地区。
昔は「岩戸郷」と称されていました。

山神社には岩戸の伝承があります。
   *(「 結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)

(昔の岩戸村、安徳村の境界線が確認できませんが、
 今でも岩戸郷というとこの周辺のことをさします)
 


・・・もしかすると神功皇后たちがこれ程までにこの地に拘ったのは、
彼らも居を構えていた時期があった故かもしれません。

「その地」の側にある安徳台は、今も「上の原(はる)」「御所の原」と
言われているそうです。
   

私はそこで「光の柱の中の幻のお社」を見ました。
    (安徳台が「高天原」ではないかと思っています)

           *(「安徳台と高天原」)

  (高良の伝承の「四王寺山」に関する部分、
   今の安徳台でのことではないかとも思います。
   安徳台には古代の祭祀跡があり、
   宇宙(神?)と交信していたのではという説があります)

     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県」)
     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2 」)

                              * 

この町にある「現人(あらひと)神社」の神(住吉神)は、
「この国が大事になる時、再び姿を現す神」とされています。

また、ニギハヤヒ命だとされるスサノオ命の皇子の大歳神は、稲穂の神。
年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
また次の年の初めに赤子の姿で現れる・・・神だそうです。
    *(「結びの山 ~その15  大歳の神~)」


それは「生まれ変わりをする神」を表しているのでは。

・・・「岩戸開き」は「この地」であった出来ごとなのかもしれません。

                              *

「神話」
                                 
                 .         .
「記紀」が編纂されたのは奈良時代。

少なくとも倭姫の元伊勢巡りの時代まで、
「伊勢の神、天照は磯の神(イソノカミ)であるニギハヤヒ命」でした。

・・・それらは、(伝承では)「神功皇后と高良の神」の前の時代です。

  (伝承では、神功皇后の夫の仲哀天皇は、ヤマトタケルの皇子。
    倭姫はヤマトタケルの叔母)

その頃はまだ、今の形のような神話が「出来あがっていなかった」
ということも考えられます。

「岩戸開き」の物語のみ、その後だったとしても、
あり得ない話ではないのです。
                      .

それが、生まれ変わった天照(ニギハヤヒ命である高良神(住吉))と、
ミカシヤ姫かもしれない神功皇后の話ならば・・・。


                       *

また、高良の伝承では、元々いた「高木の神」を追い出して
高良の神が居座ったとされています。

同じく、英彦神社(英彦山)にもそのような伝承があります。
(あちらは日子火火出見神)

天岩戸に隠れ、再び外の世に出た天照は、その前に比較して
ほとんど出番がないとされます。
それは、岩戸から再び世に出た彼の活躍した舞台が、
大和より遠い地(筑紫)でのこと故なのかもしれません。


( つづく )

2018年4月14日 (土)

岩戸開き その3 ~神功皇后~

高良の神が住吉神ならば、彼はニギハヤヒ命(天照)です。
ですが、両神が存在していた時代には隔たりがあります。

「彼が神だから」

という理由では埋まらない彼の息吹を感じられる足跡が、
ここ筑紫にはいくつもあるのです。
                           .

では、その高良の神と強い繋がりがあったとされる「神功皇后」。

神霊が告げた「神功皇后はミカシヤ姫の生まれ変わり」という言葉。

そこから分かることはあるのか。

                               .

神功皇后は甕依姫
                                .

神功皇后について。
「高良玉垂神秘書」には、高良の神と夫婦となり、行動を共にしていたとあります。

今までの記事(「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」など)
        (「二つの伝承 2 荒穂神社」など)から、


高良の神秘書などにある「ヰルイ」が白羽熊襲でもあるらしいこと。

  基山の荒穂神社筑紫神社 などの伝承、ご祭神と、

  大根地山の大根地神社にある神功皇后の伝承から、
  これらは同じものだと推測されます。
      *(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

 (これらの伝承の中での五十猛神は磯神(高良神である)ニギハヤヒ命)  
         .

筑紫神社のご祭神の一人は、宝満神である竈門神社の玉依姫。
荒穂神社のご祭神の一人は、甕依姫。
大根地神社にある伝承の神功皇后。

同じ伝承なら、これらの神は同じ。

     *(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)

これらのことから、筑紫神社の「筑紫神(白日別)」である「高良神」と
共に祀られているこの神は「神功皇后」であると推測されます。
  (宝満宮竈門神社の玉依姫は、神武天皇の母ではなく神功皇后。
   玉依姫は称号)

ならば、神功皇后は「甕依姫」。
                                 .

                        *

「甕依姫とミカシヤ姫」
                     .

「甕依姫」の「依」は、「玉依姫」の名と同じく(称号)の意味になるので、
甕(みか)が固有名となります。


ミカシヤ姫の名にも「ミカ」の名がありました。

名の一つが<櫛甕玉姫・櫛玉姫(くしたまひめ)>。
(櫛甕玉姫の名はニギハヤヒ命が「櫛甕玉命」であるからか)

神道では、彼女も玉依姫(神の依り代)であったとされています。
  (櫛は「奇」であり、人間に不思議な奇跡をもたらすもの、
   神の力を感じられるものという意)


甕依姫と、ミカシヤ姫の名との類似・・・。

もしも、高良の神がニギハヤヒ命であり、神功皇后と共に
行動していたのならば、これは偶然ではないでしょう。

またそうであるからこそ、筑紫神社と竈門神社の「玉依姫」は、
神功皇后でなければならないのです。

               .

                  .
神功皇后の「甕依姫」の名からは、ミカシヤ姫である可能性が高いと思わされます。

では、違う人にその名を付けたと言うことは? 

                               *

高良山周辺や、筑紫の広範囲には「物部氏」の勢力が広がっていました。
物部氏は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との子、ウマシマジを祖とする一族です。 

筑紫には、その後も一族の繁栄が続いたという伝承がいくつもあります。
  (那珂川町発行の「儺の国の星」の作者であった真鍋氏の先祖は、
   物部氏であり、太宰府で星見をしていました)

ニギハヤヒ命の血族は時を経て、大和から筑紫へと来たことになります。

ならば、大和から筑紫の国へと入った物部氏が、祖であるこの二人の伝承を広めた・・・。
ということも考えられます。
  

ですが、神功皇后も、高良の神の伝承も具体的です。
具体的だから、真実とは限りません。
それに纏わる神社や祭りの多くが今も存在しているのです。
(大善寺玉垂宮などは、高良の神である「藤大臣」が桜桃沈輪(ゆすらちんりん)
 という悪徒を退治したことに始まる祭りがあります。)


一方で、「筑紫神社」などに纏わる「白羽熊襲」の伝承などは、
二人の存在をぼかしています。

もしも、物部氏に広める意図があるならば、ご祭神の名称など
もっと分かりやすくするはず。
時代を経ているにせよ、物部氏達の一存で、伝承を作り上げたのだと
するには無理があるように思います。

                        .*


高良(住吉)神が天照であり、ニギハヤヒ命。
神功皇后と住吉神(ニギハヤヒ命)との邂逅。

ですが、ニギハヤヒ命は神功皇后よりもずっと前の時代。

神功皇后とミカシヤ姫(ニギハヤヒ命の妃)との名の類似。

また高良の神は人の姿になった時「物部保連」を名乗ったとされます。
ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との関わりを感じさせられる名です。

これらがの偶然が指し示すものは一つの必然。
                          .

( つづく )

2018年4月12日 (木)

岩戸開き 2.5 ~番外編 天照とニギハヤヒ命~

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(少し脱線するので、番外にしました)

「天照とニギハヤヒ命」について。
                      .

神功皇后の夫、仲哀天皇はヤマトタケル命の皇子とされています。
ヤマトタケル命の叔母は倭姫。

皇祖神天照の鎮まる地を求め、近畿を巡り、最終的に伊勢の地の至ります。

この間に巡った土地が「元伊勢」と称されます。
その一つが京都の「籠神社」。

その時代には既に、「籠神社」にはご祭神、天火明命が祭られていたのだとしたら、
倭姫はその地こそが「天照」の鎮まる地では、と思ったのかもしれません。

ということは。

少なくともその時代には「天火明命(ニギハヤヒ命)が天照である」と
認識されていたのだと思われます。
                     .
                                                   *

かの神が「磯神、月神」だという名称はいつからでしょう。

彼がニギハヤヒ命であった時、「十種神宝」の中には
二つの玉(生玉、死返玉)がありました。
     *(「神の鉾 4 ~星の名~」)
   

籠神社の天火明命がニギハヤヒ命であるならば、これが「満珠」「干珠」です。

月と同じ作用をする神宝(海の潮の満ち引き、人の命の生死を左右する)
それを有するもの。
ニギハヤヒ命が「月神、海神」とも言われる所以です。

これらのことから、籠神社が創建された頃には既に、
「ニギハヤヒ命は、天照、月神であり海神(玉を有する故)」と
されていたのかもしれません。

そして、磯神は五十(イソ)神。
奈良の石上(いそのかみ)神宮に繋がります。
      *(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)より

     
    「儺の国の星」には、記紀に布留御魂(ふるのみたま)は隕鉄、
    布津御魂(ふつのみたま)は砂鉄を精練した剣のことであった。

    と言う記述もあり、隕鉄(隕石の内、鉄とニッケルを主成分とするもの*大辞林より)
    は星そのもの、 "フル"とは、やはり星に関連する言葉なのだと思います。

    
"フツ"はスサノオ命。
    "フル"はニギハヤヒ命の別名だったそうです。        

   *(「細石(さざれいし)神社」)より

    簓星(ささらのほし)がその本(もと)の名であった。杷石(さされいし)とは
    砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
    伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。
     (「儺の国の星」より引用)


布留御魂(ふるみたま)とは、石上神宮の御祭神、布留の神(ニギハヤヒ命のこと)。
隕鉄、磁鉄鉱など還元(精製)する名匠が五十氏、石上とされていたのは
偶然ではないでしょう。
彼(彼ら)がその技術を広めた故なのかもしれません。

「石上(神宮)」の名がいつからなのかは分かりませんが、
布留の神(ニギハヤヒ命)が「イソノカミ」をさすとは間違いありません。

さらに、伊勢は昔「磯宮」と呼ばれていました。
    *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~
     月の神であるニギハヤヒ命が日の神でもある理由)

伊勢の神がニギハヤヒ命であるのなら、「磯神」とされるのは偶然ではないでしょう。
それは「イソノカミ」と称するはずなのですから。

ならば「その時代」までは、そこにおわす神はニギハヤヒ命だと認識されていたはず。

その後の時代に「改変」されていったのではないでしょうか。
「天照」という存在だけが独り歩きをして。

その記録が記紀なのかもしれません。

 
  (ニギハヤヒ命達がいたと思われる頃の古代の筑紫には、
   風早神社(那珂川町の安徳台の側の神社)を始め、
   鉄の精製跡と思われる場所がいくつもあります。
   その辺りの那珂川にある「一の堰」は出雲のたたらの地下構造と同じだそうです
        *(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県」)

 *なお、この後に出ますが「五十氏」の名から、筑紫一帯に残る神社の
  ご祭神五十猛神とニギハヤヒ命との混同が起きたと思われます。
 

次は本編に戻ります。
                   .

( つづく )

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