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hana*

神社などの写真

  • 日吉神社*福岡県宮若宮市
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2018年1月 2日 (火)

二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~

高良の神は「月神」とされています。

「潮満玉と潮干玉」を有し、月の如く、海の潮の満ち引きを自在に操る神。

また、「磯良神」の名から、「石上神」である「ニギハヤヒ神」だと思われます。

                 *

この回を書く途中で知ったのですが・・・。

<伊勢の外宮のご祭神は、籠神社から来た月神>

 籠神社の神は、月神であり、磯神と呼ばれていた。
 そして「潮満玉と潮干玉」を有していた、と。


(見たのはYoutubeで、以前、放映した「世界不思議発見」の
「伊勢神宮」の回だと思われます)

これは、「高良の神」である「磯良神」に纏わる伝承、そのままです。
                                       .


京都府、天橋立にある籠神社の主祭神は、「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」
 かの神は、「天火明命、天照御魂神、天照彦火明命、饒速日命」(ウィキより)
とも言われています。

そこから来た、伊勢の外宮のご祭神は、「豊受大神」と名を替えています。
一般的には女神だとも言われていますが、
その神が稲荷神である「宇迦之御魂大神」であるならば、「ニギハヤヒ神」です。

やはり、「高良の神」は、「ニギハヤヒ神」であるのでしょう。


ただ・・・。
<外宮の神は、籠神社から来た月神であるニギハヤヒ神・・・>

天照である彼が、月神?
高良の伝承を見た時にも、それが気にかかっていたのです。


                          *               .

「石上神宮」を調べた時に

<伊勢は「磯宮」と呼ばれていた>

ともありました。

ならば、伊勢の神は「磯神」。
主祭神が祭られている内宮の神の方が、「磯神」であったはずです。

それは日神、天照である内宮の神。


皇祖神の天照を女神とする際、「月神」として、
外宮の神として祭られることになったのでしょう。

「月神」は、高良の伝承同様に、
月の如く、海の潮の満ち引きに作用する、二つの玉を操る、
その性質から位置づけされたのです。

ならば、日神でもあり、月神でもあるのか。

                    *

「日の神、月の神」
                 .

思い当たる神がいます。

「艮の金神」です。

天理教の「おぢば」、そこは奈良の「三島神社」が元々あった場所。
その教祖である中山みき氏は、その場所で
「艮の金神(うしとらのこんじん)」と邂逅しました。

その神こそ、三島神社のご祭神である布留御魂神。
石上神宮の御祭神、ニギハヤヒ神でもあります。

「艮の金神」は、日月神示の神。
つまり「日月の神」です。

艮の金神である布留御魂神は、
日と月の神、その両方であるのです。

                      *

日月、ひつきは、「日嗣」に繋がります。


<日嗣の神>

新嘗祭で、「住吉三神」の象徴であるオリオン座の三つ星を意識しているのなら、
それは「日嗣の神」が、彼の神であることを示しているのでしょう。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

彼の神。
「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」

「住吉三神の底筒男神」

そして「歳神さま」でもあります。

スサノオの子であり、年始に幼児の姿として現れ、 年の終わりに
翁になるという稲穂の神。

生まれ変わりをする神様(人の部分が)でもあるのです。

                     *

新嘗祭の記事を書いた、1年半前、ここに辿り着くとは思いませんでした。
「住吉神」との係わりについて、半信半疑だったのですが。    
          .

住吉神の元宮の「現人神社」は、今、うちの産土神様です。

この”道”は、ようやくたどり着いたこの地が、
私が本当に還りたかった故郷だと教えてくれました。
                            .

(おわり)

2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~

「高良の伝承」には、高良の神は神功皇后と共に「ヰルイ」を退治したとありました。
大根地山に登ったのは、それを確かめる為。
基山の山頂で、気になった方向にあった山だったのです。

大根地山の神功皇后の伝承は、

「白羽熊鷲」というものを鎮める為に「大根地山に神々」を祭ったものでした。

その「白羽熊鷲」が人だった場合、神々を招き、鎮めてもらうことはしないのです。

基本的に「神はヒトゴトには直接手を下さず、カミゴトにも関わらない」。
ARIONの言葉です。

                   *

高良の伝承の「ヰルイ」。
その一つが、「白羽熊鷲」。
「ヰルイ」は、異類。

                   *      

大根地山は、神々を祭ったことで、「守りの要」となりました。

その一帯には、九州きっての難所「冷水峠(ひやみずとうげ)」があります。

その峠が、基山の荒穂神社の伝承と、筑紫神社の伝承(「筑後風土記」)にある、

「基山の東」であり、
「筑前と筑後の険しい峠である「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

そうならば、

「白羽熊鷲」は、筑紫の名の語源となった「命尽くす荒ぶる神」ということになります。

元々の「筑紫の神(荒ぶる神)」が「白羽熊鷲」であるなら、
神功皇后はそこに関わっています。

                           *

「尽くしの荒ぶる神」には、二つの伝承がありました。

「荒穂神社」と、筑紫神社(「筑後風土記」)です。

これは、同じ伝承が元になったものですが、
退治した者の名に違いがあるのです。


「荒穂神社」では、「五十猛命」。
「筑後風土記(筑紫神社)」では、甕依姫(みかよりひめ)。


もしも・・・。
この伝承が同じものならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人で
「荒ぶる神」を退治したことになるのではないか。

その二人とは、誰か。

                        *

二つの神社のご祭神の中に、それぞれの名が残されているはずです。

「荒穂神社」のご祭神は、
 
  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、「荒穂神社」に書いたように後付けなら、
一柱以外はすべて「ニギハヤヒ神」と同一とされる神々です。

彼以外の「宝満大神」。
この神は、誰なのか。
それは、筑紫神社のご祭神の中にもありました。
                                                        .

「筑紫神社」の御祭神は、

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと


「筑紫国の国魂神」は高良大社では高良の神でした。
五十猛命と共に「ニギハヤヒ神」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。
この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。
                                            .

「竈門神社」とは、大宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。

荒穂神社の「宝満大神」とは、この神社のご祭神のことです。
                          .

大宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫と神功皇后、八幡大神。

          
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、巫女の称号のことです。
神功皇后も「玉依姫」と言われている一人です。

竈門神社には、ニギハヤヒ神とも同一とされる八幡大神の名もあります。

荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、
共に神功皇后と言えるのではないでしょうか。

ならば、「荒ぶる神」を退治したのは、「ニギハヤヒ神」と「神功皇后」です。


                     *

高良大社の「高良玉垂神秘書」の記述と一致します。

  高良玉垂の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

両神社の「玉依姫」が神功皇后ならば。


二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」の冒頭で、

神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。

と書きましたが、そこに繋がりました。


高良の神は「高良玉垂神」「安曇磯良神」「住吉三神の底筒男神」「月神」。
イソラの名から、「ニギハヤヒ神」と思われます。
(「イソラ神について「神の鉾 3」)

   
                                      *

神功皇后が、両神社の「玉依姫」ならば・・・。

「筑後國風土記」では「甕依姫(みかよりひめ)」が祭祀をして
「荒ぶる神」を鎮めたとありました。

同じ伝承ならば、その「甕依姫(みかよりひめ)」は、
神功皇后のことになります。
                  .

ニギハヤ神の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
彼が祭られている奈良の大神大社のご祭神の名です。

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。

「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。

彼女も神道では「玉依姫」とされています。


両神社の「五十猛命」と、玉依姫である「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」はニギハヤヒ神。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


ニギハヤヒ神の妃は「櫛甕玉姫」である「ミカシヤ姫」・・・。

ならば、「神功皇后」が「ミカシヤ姫」?

                           *

彼らが同一人物と言ってしまうには、無理があるように思います。

朝倉郡にある「大己貴神社」のそばに三輪山がありますが、
あのお山は神功皇后が奈良の三輪山を模して祭ったもの。

その一つをとっても、その時点では「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」は過去の人です。

奈良の三輪山に祭られている大物主ともされている「ニギハヤヒ神」は、
すでに「神としてその山に祭られて」いたのです。

また、高良の「高良玉垂神秘書」にあった高良の神は、
神功皇后の呼びかけにより、大宰府の四王寺山に現れた神の一人。

「高良の神」である住吉の底筒男神と、「神功皇后」。
そして「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」。

これは偶然なのか?
もしも「同じ」ならば、やはり「生まれ変わり」ということになるのか。

私の記憶では、ミカシヤ姫も前の世の名「ヒミカ」という名でも呼ばれていました。
そして、神功皇后は、「卑弥呼」とも比定されているとも記す書もあります。

もしかすると、神功皇后も前の世の記憶があったのでは。
だから、「ヒミカ」と呼ばれたり、「ミカシヤ姫」と呼ばれたりしたのではないか・・・。

そういえば、「ヒミカ」は、「日甕」でもあるのか。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

                      .               .

様々な伝承には、嘘があり、後の世の都合による改変もあります。
 
「五十猛命」やウカノミタマ神にしても、猿田彦神と同じように幾柱かの
神や人の伝承が混ざっているのかと思われます。
例えば、イソ神と伝えられていたところ、似てる名の五十猛命のことだとされたなど。

その絡まった糸のどの部分が「彼」なのかは、私には分かりません。
でも、その中には、真実が必ずあるはず。
また、何が真実なのかは、誰にも分からないのです。


                  *

ですが・・・。

<久しぶり。○度目だな>

と瞑想の中で私に告げた那珂川の「現人神社(住吉の元宮)」にいた神。

それを(視た)時は「何故?」とも思ったのだけど、
「底筒男神」がニギハヤヒならば・・・納得できます。
ようやく腑に落ちました。

                   *

(つづく)


本年は、つたないブログを見て頂いてありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって良い年でありますように!

 

2017年12月27日 (水)

二つの伝承 7 ~冷水峠~

大根地山に登って分かったのは、「大根地山は守りの要である」ことです。

そして、地球のエネルギーを放出しているような場所で、イメージとしては
「地球樹のようなものが大地から生え、枝葉を広げている」ような場所です。

何故そのような土地なのだろうと考えてみて分かったことがあります。

Oonetiyama03                                                           (地図はGoogleMapより)

東(右端)は、英彦山(英彦神宮
西(左端)は、飯盛山飯盛神社中社
南は、高良大社
そして、北は笠置山。

「大根地山」が中心ならば北は「天照神社」か、とも思ったのですが、
その社の場所は、後に遷された地でした。
ニギハヤヒ神が降臨したのは、その少し南の「笠置山」だと伝えられています。

すべて、ニギハヤヒ神に係わりのある場所でした。
(筑紫には元々多いのですが)

大根地山が少しずれていますが、神を招く「神籬(ひもろぎ)」の場所(山)としては、
この場が最善であり、元々この一帯が「そういう地」だったのでしょう。
                          .

上の写真のほんとの中心地。
・・・そこは「冷水峠」と、呼ばれている場所です。
                .

大根地山の登山の時に「長崎街道」の案内板に書かれてありましたが、
そこは、かつて九州の箱根と言われている程の難所であったと。
                   .

どこかで似たような話を見たと思いましたら、筑紫神社の由緒書にあった
「筑後国風土記」にありました。

                       .
「筑後国風土記」、筑紫の語源についての話です。

 昔、筑前国と筑後国の境の山に、鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)
 という険しく狭い坂があり、麁猛神(あらぶる神)がいて、
 往来する人の半分を殺しました。
 その数が多かったので「人の命、尽神(つくしのかみ)」と
 言われていました。
 そこで、筑紫の君の祖先の
「甕依姫(みかよりひめ)」
 祭主として神を祀り鎮めました。
 麁猛神は、「筑紫神」と呼ばれるようになりました。
              .

筑前と筑後の境。
今の福岡を北と南で分ける地域です。

荒穂神社にあった「基山の東」
筑紫神社の「筑前と筑後の境の峠の
        鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂」

荒ぶる神である「尽くし」神が出た言う、その険しい峠。
そのうような場所は、筑紫神社辺りには無いのです。
ずっと疑問に思ってたのですが。

それは、「冷水峠」なのでは?
Oonetiyama02                                                           (地図はGoogleMapより)
一番下の星印が基山。
その少し右(東)斜め上が筑紫神社。
そして、写真の右上にあるハートマークの場所が「大根地山」です。

九州の箱根と言われる程の難所であった「冷水峠」。
上の写真では「大根地山」の麓、印の少し下辺り一帯です。

この場所こそ、「鞍韉盡坂」なのでは。

           .

(その冷水峠が、筑後国風土記にある鞍韉盡坂ならば、
一番上の地図にあるニギハヤヒ神に纏わる場所・・・。

もしかするとその幾つかは、この地を鎮める為に故意に置かれたのでは。

「何故、笠置山に降臨する必要があったのか」
そう思っていたのですが・・・。
ようやく得心しました)


エネルギーが放出されている場所、そこは雑多なものが集まる場でもあります。
もとより清浄な場なら良いのですが、そうでなければ誰かがそうしなければなりません。

その為に神功皇后が、大根地山に神を招いたのです。
「大いなる神の地」であるその場所に。
地球のエネルギーを抑えるのではなく、良い流れにする為に。

そうして、「白羽熊鷲」というものが排除され、筑紫の守りの要の地となったのです。
                      .

                      *

冷水峠が「鞍韉盡坂」ならば、「白羽熊鷲」は「荒ぶる神」です。

それは「筑後風土記」にある、「命尽くし」の神。
荒穂神社の「尽くし神」と同じもの。

ならば、やはり荒穂神社と筑紫神社(「筑後国風土記」)、二つの伝承は同じもの。
         .

(つづく)
                       

2017年12月26日 (火)

二つの伝承 6 ~大根地山 登山 (2)~

大根地山 登山続きです。
頂上付近にある「大根地神社」。

Ooneti46

神功皇后が天神七代、地神五代を祭ったのが始まりでした。
「大根地大神」として、この山に神を招いたのです。

大根地。
大いなる神の地。
この地は、特別な場所にありました。

                                 .Ooneti52

山の高さは、632メートル。
麓ではなく、この場所にある神社。

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                            .
Ooneti53
こちらは朝近神社。
お稲荷さんは後の合祀のようです。

神宮皇后が祭ったならば、ほとんどの神社では彼女の名もあるはずでしたが、
ここには天神、地神の「大根地大神」の名と
スサノオと大市姫命の名のみでした。

ただ「お稲荷さん」は宇迦之御魂命。
ニギハヤヒ神だとも言われている神。
かの神の「稲」の神の性質から同一神とされています。

須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、
雲閣稲荷大神と称え奉る。

二柱を合祀してお稲荷さんとしたのならば、それはスサノオ神の子、
ニギハヤヒ神のことなのではないかと思います。

Ooneti54
お社の裏手。                            .

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                             .

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お社の前は、こんな感じ。

Ooneti49
下の写真は、お社の正面、東側の眺めです。

ここですごく引かれたのがこの山。
木のすぐ左側の一番高い山。
神主さんが、英彦山(ひこさん)だと教えてくださいました。

英彦山神宮」があるお山です。
日の神の御子(日子)が祭られていることから、そう呼ばれています。
始めは「ニギハヤヒ神」が祭られていたのですが、
天忍穂耳命に替えられたという説がある神社。

Ooneti73

ここで他の登山パーティーの方々に会って、しばしお話しました。
一人登山は珍しいようです。

「英彦山には登った?」
と聞かれたので、
「途中の神宮までは参拝したのですが、上宮には行ってないのです」
と告げると、さすがに一人では難しいそう。
そう言えば、数か月前、遭難された方がいて捜索隊が出てました。

上まで行きたいなぁ。
春まで待つかなぁ。

名残おしいですが、頂上へ。
神社から10分程です。

Ooneti63
頂上の三角点。
Ooneti64
こちらは北の方向。
ほぼ中央の辺りに金毘羅山と麓に「大分神社」があります。
大パノラマ!
Ooneti68

下の写真は南西方向。
右側中央に薄く浮かんでるようにみえるのが、なんと長崎の雲仙岳!

神社でご一緒した登山のパーティーの方と、また頂上で
お会いできたので教えて頂きました。
Ooneti67
「この時期こんなに晴れて、こんなに見えるのは滅多にないねぇ」
と言われて、そんな良き日に来られてとっても幸せな気持ちになりました。

その登山の方の5人の内、3人が同じ町内の人だと聞いてびっくり。
世の中狭いですねぇ。

山に登ると度々あることだそうです。
お導きなのかもしれませんね。

                          .Ooneti66
上の写真は、少し南よりの南南西。
手前の低い山は、砥上岳。
                                             .Ooneti70

遠くの山は、脊振山系。

一人になれたので、しばらく瞑想。
すると「要(かなめ)」と浮かんできました。

「要」、ようするに「根」。

神籬(ひもろぎ)には違いないと思うのですが、
イメージとして一番近いのは・・・。

<世界樹>


ここのような、世界樹の小型版の様なものが「要」としてあちこちにあって、
それが繋がっている、という感じです。

あぁ、まさしく「根っこ」ですね。
ネットワーク。

この「大根地山」が、神功皇后が「白羽熊鷲」というモノから土地を守る為に
神々を祭ったのなら、守りの拠点、要・・・中央・・・中心?
何の中心?
         
おそらく、守りの要の地であるこの山に神々を祭ったからこそ、
この一帯(おそらく筑紫の地)は、それらから守られることになったのでしょう。
          .

”この感じ”のもっと大きな規模なのが奈良の「玉置山」です。

そういえば、平井和正さんの著作に「地球樹の女神」というのがあって、
そこに「玉置山」が出てきましたね。
内容、ほとんど覚えていないのですが。
地球樹・・・世界樹と言うより、イメージが似てます。
あの話では、玉置山と何の関係があったかな。

ただ、私はあの山頂で地球と一つになる幻影を見せられました。
                        (「玉置神社」「全は一つ」)
山の高さとかではなく、場所の力が関係あるのかと思います。
この山も。

あぁ、そうか。
地球が放出するエネルギーの形が、「地球樹」なのかも。

だから、玉置山で地球と一体化する幻影を見たのかもしれないです。
・・・だから、ここも「要」であり、「大いなる根」であるのですね。


                   * .

帰りの道は、下の鳥居まで25分くらいでした。
登る途中で気付いたのですが、目の端に白い物がひらひらと。

それが白い狐の大きな尾っぽだと感じたのは、しばらくしてから。
ぴょんぴょん跳ねるようについてきては、前になったりいなくなったり。

普段、あまり視える方ではないのですが、よほど土地の力が強かったのかも。

そういえば、ここはお稲荷さんなのだと思いだしてからは、
お迎えに来てくれたのかもと思いました。

Ooneti81

神社であまりの可愛さに買ってしまった水晶狐。


(つづく)

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