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« 二つの伝承 7 ~冷水峠~ | トップページ | 二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~ »

2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~

「高良の伝承」には、高良の神は神功皇后と共に「ヰルイ」を退治したとありました。
大根地山に登ったのは、それを確かめる為。
基山の山頂で、気になった方向にあった山だったのです。

大根地山の神功皇后の伝承は、

「羽白熊鷲」というものを鎮める為に「大根地山に神々」を祭ったもの。

その「羽白熊鷲」が人だった場合、神々を招き、鎮めてもらうことはしないのです。

基本的に「神はヒトゴトには直接手を下さず、カミゴトにも関わらない」。
ARIONの言葉です。

                   *

<大根地山の大根地神社の由緒書>には、
「羽白熊襲」
それを鎮めたのが「神功皇后」
大根地山の場所は「冷水峠」の側です。


その羽白熊襲は、高良の伝承にもありました。
<高良の伝承>
(「神の鉾 2 ~高良玉垂秘伝書~」)

「ヰルイ」。
その一つが、「羽白熊鷲」。
それを退治したのが「高良神と神功皇后」 


「羽白熊襲」が同じ物であれば、高良の伝承と重ねると
「高良の神」と「神功皇后」が退治したことになります。


筑紫神社」と「荒穂神社」の伝承との関連は?
                .

その二つの伝承をまとめます。

<基山周辺の伝承(荒穂神社)>
基山の東
「荒ぶる(命尽くし)神」
退治したのが「五十猛神」


<筑紫風土記(筑紫神社)>
「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」(筑後と筑前の境)
「荒ぶる(命尽(イノチツクス)の神」
それを鎮めた「甕依姫」(筑紫君の祖)

                        *

「基山の東」と「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

それぞれの伝承の「五十猛神」と「甕依姫」  

それに共通するものはなんでしょうか。               .

                         *  

大根地山は、神々を祭ったことで、「守りの要」となりました。
    *(「二つの伝承 6 大根地山登山(2)」」

その一帯には、九州きっての難所「冷水峠(ひやみずとうげ)」があります。

その峠が、基山の荒穂神社の伝承と、筑紫神社の伝承(「筑後風土記」)にある、

「基山の東」であり、
「筑前と筑後の険しい峠である「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

ならば、

「羽白熊鷲」は、筑紫の名の語源となった「命尽くす荒ぶる神」ということになります。

元々の「筑紫の神(荒ぶる神)」が「羽白熊鷲」であるなら、
神功皇后と高良の神はそこに関わっています。

                           *


「尽くしの荒ぶる神」には、二つの伝承がありました。

「荒穂神社」と、筑紫神社(「筑後風土記」)です。

これは、同じ伝承が元になったものですが、
退治した者の名に違いがあるのです。


「荒穂神社」では、「五十猛命」。
「筑後風土記(筑紫神社)」では、甕依姫(みかよりひめ)。


もしも・・・。
この伝承が同じものならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人で
「荒ぶる神」を退治したことになるのではないか。

その二人とは、誰か。

                        *

二つの神社のご祭神の中に、それぞれの名が残されているはずです。

「荒穂神社」のご祭神は、
 
  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、「荒穂神社」に書いた経緯なら、
一柱以外はすべて「ニギハヤヒ神」と同一とされる神々です。

彼以外の「宝満大神」。
この神は、誰なのか。

また「荒ぶる神」を鎮めたのが「甕依姫」であるならば、
ご祭神の中にその名があるはずです。

それがこの「宝満大神」なのでは。

                  .
それは、筑紫神社のご祭神の中にもありました。
                                                        .

「筑紫神社」の御祭神は、

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと


「筑紫国の国魂神」は高良大社では高良の神でした。
五十猛命と共に「ニギハヤヒ神」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。
この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。
                                            .

「竈門神社」とは、大宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。

荒穂神社の「宝満大神」とは、この神社のご祭神のことです。
                          .

大宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫と神功皇后、八幡大神。

          
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、巫女の称号のことです。
神功皇后も「玉依姫」と言われている一人です。

竈門神社には、ニギハヤヒ神とも同一とされる八幡大神の名もあります。

荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、
共に神功皇后と言えるのではないでしょうか。


ならば、「荒ぶる神」を退治したのは、「ニギハヤヒ神」と「神功皇后」です。


                     *

そうでした。

その「羽白熊襲」は、高良の伝承にもありました。

「ヰルイ」。
その一つが、「羽白熊鷲」。
それを退治したのが「高良神と神功皇后」
                  .
                    

高良大社の「高良玉垂神秘書」の記述と一致します。

  高良玉垂の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

両神社の「宝満大神(玉依姫)」が神功皇后ならば。


二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」の冒頭で、

神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。

と書きましたが、そこに繋がりました。


高良の神は「高良玉垂神」「安曇磯良神」「住吉三神の底筒男神」「月神」。
イソラの名から、「ニギハヤヒ神」と思われます。
(「イソラ神について「神の鉾 3」)

   
                                      *

神功皇后が、両神社の「玉依姫」ならば・・・。

「筑後國風土記」では「甕依姫(みかよりひめ)」が祭祀をして
「荒ぶる神」を鎮めたとありました。

同じ伝承ならば、その「甕依姫(みかよりひめ)」は、
神功皇后のことになります。
                  .

ニギハヤ神の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
彼が祭られている奈良の大神大社のご祭神の名です。

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。

「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。

彼女も神道では「玉依姫」とされています。


両神社の「五十猛命」と、玉依姫である「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」はニギハヤヒ神。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


ニギハヤヒ神の妃は「櫛甕玉姫」である「ミカシヤ姫」・・・。

ならば、「神功皇后」が「ミカシヤ姫」?

                           *

彼らが同一人物と言ってしまうには、無理があるように思います。

朝倉郡にある「大己貴神社」のそばに三輪山がありますが、
あのお山は神功皇后が奈良の三輪山を模して祭ったもの。

その一つをとっても、その時点では「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」は過去の人です。

奈良の三輪山に祭られている大物主ともされている「ニギハヤヒ神」は、
すでに「神としてその山に祭られて」いたのです。

また、高良の「高良玉垂神秘書」にあった高良の神は、
神功皇后の呼びかけにより、大宰府の四王寺山に現れた神の一人。

「高良の神」である住吉の底筒男神と、「神功皇后」。
そして「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」。

これは偶然なのか?
もしも「同じ」ならば、やはり「生まれ変わり」ということになるのか。

私の記憶では、ミカシヤ姫も前の世の名「ヒミカ」という名でも呼ばれていました。
そして、神功皇后は、「卑弥呼」とも比定されているとも記す書もあります。

もしかすると、神功皇后も前の世の記憶があったのでは。
だから、「ヒミカ」と呼ばれたり、「ミカシヤ姫」と呼ばれたりしたのではないか・・・。

そういえば、「ヒミカ」は、「日甕」でもあるのか。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

                      .               .

様々な伝承には、嘘があり、後の世の都合による改変もあります。
 
「五十猛命」やウカノミタマ神にしても、猿田彦神と同じように幾柱かの
神や人の伝承が混ざっているのかと思われます。
例えば、イソ神と伝えられていたところ、似てる名の五十猛命のことだとされたなど。

その絡まった糸のどの部分が「彼」なのかは、私には分かりません。
でも、その中には、真実が必ずあるはず。
また、何が真実なのかは、誰にも分からないのです。


                  *

ですが・・・。

<久しぶり。○度目だな>

と瞑想の中で私に告げた那珂川の「現人神社(住吉の元宮)」にいた神。

それを(視た)時は「何故?」とも思ったのだけど、
「底筒男神」がニギハヤヒならば・・・納得できます。
ようやく腑に落ちました。

                   *

(つづく)


本年は、つたないブログを見て頂いてありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって良い年でありますように!

 

 

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