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前世

2018年1月 2日 (火)

二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~

高良の神は「月神」とされています。

「潮満玉と潮干玉」を有し、月の如く、海の潮の満ち引きを自在に操る神。

また、「磯良神」の名から、「石上神」である「ニギハヤヒ神」だと思われます。

                 *

この回を書く途中で知ったのですが・・・。

<伊勢の外宮のご祭神は、籠神社から来た月神>

 籠神社の神は、月神であり、磯神と呼ばれていた。
 そして「潮満玉と潮干玉」を有していた、と。


(見たのはYoutubeで、以前、放映した「世界不思議発見」の
「伊勢神宮」の回だと思われます)

これは、「高良の神」である「磯良神」に纏わる伝承、そのままです。
                                       .


京都府、天橋立にある籠神社の主祭神は、「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」
 かの神は、「天火明命、天照御魂神、天照彦火明命、饒速日命」(ウィキより)
とも言われています。

そこから来た、伊勢の外宮のご祭神は、「豊受大神」と名を替えています。
一般的には女神だとも言われていますが、
その神が稲荷神である「宇迦之御魂大神」であるならば、「ニギハヤヒ神」です。

やはり、「高良の神」は、「ニギハヤヒ神」であるのでしょう。


ただ・・・。
<外宮の神は、籠神社から来た月神であるニギハヤヒ神・・・>

天照である彼が、月神?
高良の伝承を見た時にも、それが気にかかっていたのです。


                          *               .

「石上神宮」を調べた時に

<伊勢は「磯宮」と呼ばれていた>

ともありました。

ならば、伊勢の神は「磯神」。
主祭神が祭られている内宮の神の方が、「磯神」であったはずです。

それは日神、天照である内宮の神。


皇祖神の天照を女神とする際、「月神」として、
外宮の神として祭られることになったのでしょう。

「月神」は、高良の伝承同様に、
月の如く、海の潮の満ち引きに作用する、二つの玉を操る、
その性質から位置づけされたのです。

ならば、日神でもあり、月神でもあるのか。

                    *

「日の神、月の神」
                 .

思い当たる神がいます。

「艮の金神」です。

天理教の「おぢば」、そこは奈良の「三島神社」が元々あった場所。
その教祖である中山みき氏は、その場所で
「艮の金神(うしとらのこんじん)」と邂逅しました。

その神こそ、三島神社のご祭神である布留御魂神。
石上神宮の御祭神、ニギハヤヒ神でもあります。

「艮の金神」は、日月神示の神。
つまり「日月の神」です。

艮の金神である布留御魂神は、
日と月の神、その両方であるのです。

                      *

日月、ひつきは、「日嗣」に繋がります。


<日嗣の神>

新嘗祭で、「住吉三神」の象徴であるオリオン座の三つ星を意識しているのなら、
それは「日嗣の神」が、彼の神であることを示しているのでしょう。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

彼の神。
「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」

「住吉三神の底筒男神」

そして「歳神さま」でもあります。

スサノオの子であり、年始に幼児の姿として現れ、 年の終わりに
翁になるという稲穂の神。

生まれ変わりをする神様(人の部分が)でもあるのです。

                     *

新嘗祭の記事を書いた、1年半前、ここに辿り着くとは思いませんでした。
「住吉神」との係わりについて、半信半疑だったのですが。    
          .

住吉神の元宮の「現人神社」は、今、うちの産土神様です。

この”道”は、ようやくたどり着いたこの地が、
私が本当に還りたかった故郷だと教えてくれました。
                            .

(おわり)

2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~

「高良の伝承」には、高良の神は神功皇后と共に「ヰルイ」を退治したとありました。
大根地山に登ったのは、それを確かめる為。
基山の山頂で、気になった方向にあった山だったのです。

大根地山の神功皇后の伝承は、

「白羽熊鷲」というものを鎮める為に「大根地山に神々」を祭ったものでした。

その「白羽熊鷲」が人だった場合、神々を招き、鎮めてもらうことはしないのです。

基本的に「神はヒトゴトには直接手を下さず、カミゴトにも関わらない」。
ARIONの言葉です。

                   *

高良の伝承の「ヰルイ」。
その一つが、「白羽熊鷲」。
「ヰルイ」は、異類。

                   *      

大根地山は、神々を祭ったことで、「守りの要」となりました。

その一帯には、九州きっての難所「冷水峠(ひやみずとうげ)」があります。

その峠が、基山の荒穂神社の伝承と、筑紫神社の伝承(「筑後風土記」)にある、

「基山の東」であり、
「筑前と筑後の険しい峠である「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

そうならば、

「白羽熊鷲」は、筑紫の名の語源となった「命尽くす荒ぶる神」ということになります。

元々の「筑紫の神(荒ぶる神)」が「白羽熊鷲」であるなら、
神功皇后はそこに関わっています。

                           *

「尽くしの荒ぶる神」には、二つの伝承がありました。

「荒穂神社」と、筑紫神社(「筑後風土記」)です。

これは、同じ伝承が元になったものですが、
退治した者の名に違いがあるのです。


「荒穂神社」では、「五十猛命」。
「筑後風土記(筑紫神社)」では、甕依姫(みかよりひめ)。


もしも・・・。
この伝承が同じものならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人で
「荒ぶる神」を退治したことになるのではないか。

その二人とは、誰か。

                        *

二つの神社のご祭神の中に、それぞれの名が残されているはずです。

「荒穂神社」のご祭神は、
 
  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、「荒穂神社」に書いたように後付けなら、
一柱以外はすべて「ニギハヤヒ神」と同一とされる神々です。

彼以外の「宝満大神」。
この神は、誰なのか。
それは、筑紫神社のご祭神の中にもありました。
                                                        .

「筑紫神社」の御祭神は、

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと


「筑紫国の国魂神」は高良大社では高良の神でした。
五十猛命と共に「ニギハヤヒ神」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。
この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。
                                            .

「竈門神社」とは、大宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。

荒穂神社の「宝満大神」とは、この神社のご祭神のことです。
                          .

大宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫と神功皇后、八幡大神。

          
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、巫女の称号のことです。
神功皇后も「玉依姫」と言われている一人です。

竈門神社には、ニギハヤヒ神とも同一とされる八幡大神の名もあります。

荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、
共に神功皇后と言えるのではないでしょうか。

ならば、「荒ぶる神」を退治したのは、「ニギハヤヒ神」と「神功皇后」です。


                     *

高良大社の「高良玉垂神秘書」の記述と一致します。

  高良玉垂の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

両神社の「玉依姫」が神功皇后ならば。


二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」の冒頭で、

神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。

と書きましたが、そこに繋がりました。


高良の神は「高良玉垂神」「安曇磯良神」「住吉三神の底筒男神」「月神」。
イソラの名から、「ニギハヤヒ神」と思われます。
(「イソラ神について「神の鉾 3」)

   
                                      *

神功皇后が、両神社の「玉依姫」ならば・・・。

「筑後國風土記」では「甕依姫(みかよりひめ)」が祭祀をして
「荒ぶる神」を鎮めたとありました。

同じ伝承ならば、その「甕依姫(みかよりひめ)」は、
神功皇后のことになります。
                  .

ニギハヤ神の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
彼が祭られている奈良の大神大社のご祭神の名です。

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。

「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。

彼女も神道では「玉依姫」とされています。


両神社の「五十猛命」と、玉依姫である「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」はニギハヤヒ神。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


ニギハヤヒ神の妃は「櫛甕玉姫」である「ミカシヤ姫」・・・。

ならば、「神功皇后」が「ミカシヤ姫」?

                           *

彼らが同一人物と言ってしまうには、無理があるように思います。

朝倉郡にある「大己貴神社」のそばに三輪山がありますが、
あのお山は神功皇后が奈良の三輪山を模して祭ったもの。

その一つをとっても、その時点では「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」は過去の人です。

奈良の三輪山に祭られている大物主ともされている「ニギハヤヒ神」は、
すでに「神としてその山に祭られて」いたのです。

また、高良の「高良玉垂神秘書」にあった高良の神は、
神功皇后の呼びかけにより、大宰府の四王寺山に現れた神の一人。

「高良の神」である住吉の底筒男神と、「神功皇后」。
そして「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」。

これは偶然なのか?
もしも「同じ」ならば、やはり「生まれ変わり」ということになるのか。

私の記憶では、ミカシヤ姫も前の世の名「ヒミカ」という名でも呼ばれていました。
そして、神功皇后は、「卑弥呼」とも比定されているとも記す書もあります。

もしかすると、神功皇后も前の世の記憶があったのでは。
だから、「ヒミカ」と呼ばれたり、「ミカシヤ姫」と呼ばれたりしたのではないか・・・。

そういえば、「ヒミカ」は、「日甕」でもあるのか。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

                      .               .

様々な伝承には、嘘があり、後の世の都合による改変もあります。
 
「五十猛命」やウカノミタマ神にしても、猿田彦神と同じように幾柱かの
神や人の伝承が混ざっているのかと思われます。
例えば、イソ神と伝えられていたところ、似てる名の五十猛命のことだとされたなど。

その絡まった糸のどの部分が「彼」なのかは、私には分かりません。
でも、その中には、真実が必ずあるはず。
また、何が真実なのかは、誰にも分からないのです。


                  *

ですが・・・。

<久しぶり。○度目だな>

と瞑想の中で私に告げた那珂川の「現人神社(住吉の元宮)」にいた神。

それを(視た)時は「何故?」とも思ったのだけど、
「底筒男神」がニギハヤヒならば・・・納得できます。
ようやく腑に落ちました。

                   *

(つづく)


本年は、つたないブログを見て頂いてありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって良い年でありますように!

 

2017年12月 3日 (日)

神の鉾 4 ~星の名~

筑後国一之宮「高良大社」の御祭神は、

高良玉垂命
八幡大神
住吉大神

となっています。
この「高良玉垂神」は、武内宿禰だと言われていますが、
謎のままなのです。

後の世に替えられたのではないかとも言われています。

                       *

では、それは誰なのか・・・。

「高良玉垂神秘書」に、三韓出兵の後の話があります。

高良大社(7)
九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』
(綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」より引用)

***********************************************************

嫡男の日神・表筒男の尊は神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連。
天照大神のひまごという事から付いた名である。
二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。

三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。
地上での名は物部の保連。藤大臣。高良大菩薩。
藤大臣と呼ぶのは、干珠満珠を借りた時の仮の名前。

皇后には九人の御子がいた。
四人は仲哀天皇との間の御子で、五人は高良大菩薩との間の御子である。
合わせて九人の御子を九躰の皇子と言う。

(中略)

1 斯礼賀志命(しれかし)     
2 朝日豊盛命(あさひとよもり) 
3 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
4 渕志命(ふちし)
5 谿上命(たにがみ)
6 那男美命(なをみ)
7 坂本命(さかもと)
8 安志奇命(あしき)
9 安楽應寳秘命(あらをほひめ)


******************************************************************

また、るなさんは、二つの珠について、こう書かれています。

  玉依姫は白玉で潮干珠(しおひるたま)、豊玉姫は赤玉で潮満珠(しおみつたま)、
  その玉を使いこなすのが高良玉垂の神。


   (中略)

  高良玉垂命とは、潮の満ち引きを司る神と言う事になります。  
  人は潮が引くときに、息を引き取ります。潮が満ちる時に生まれます。
  潮の満ち引きは月のなせる技です。
  ですから、月の神様と言われる訳です。
  これが御神徳の「延命長寿」にもつながっていきます。

                                .

二つの玉と「人の生死」。
同じような物が出てくる話がありました。

ニギハヤヒ神がもたらしたという「十種神宝」の中に。
生玉、死返玉というのがあります。
亡くなった人をも蘇らせるという神の宝。

kono87さんが、以前ブログでそれを書かれていました。

  生玉は陽の言霊で潮満玉、
  死返玉は陰の言霊で潮干玉を表してるかもしれません

ニギハヤヒ神は、これらの神宝の使い方を知っていました。
石上神宮には彼が伝えたという、十種神宝の名を唱える祝詞があります。

共通するニギハヤヒの玉と高良の神の珠。
                              .

おそらく、それは同じ物でしょう。
そして、「神の鉾」は、かの神の鉾で間違いないと思います。

そうならば、「高良大社の神」も彼?

                           *

  長男である表筒男神は、神功皇后の妹の豊姫と夫婦になった。

  三男である底筒男神は、神功皇后と夫婦となった。
  底筒男神の地上での名は、物部保連、高良大菩薩。

物部は、ニギハヤヒ神とミカシヤ姫の子、ウマシマジを祖先とする一族の名です。

これまで出てきたいくつもの「鍵」。
どれも、ニギハヤヒ神に結びつけようという意図が見えます。
                         .

  二人の間には5人の子が生まれ、先の仲哀天皇の子4人で、9人の子がいた。

この9人の名の中に神功皇后の御子「応神天皇」の名がありません。
全てが実在していたとも思えませんが。

でも気になる名があります。
一番目?の皇子

斯礼賀志命(しれかし)です。  

「かし」は、(「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味)に
書きましたが、星に関連する名です。

応神天皇の名にはありませんでしたが、
ニギハヤヒ(又の名を「フル」)神とミカシヤ姫の子は、宇摩志麻治。
ウマシマジは、銀河、天の川に由来する名なのではと書いたことがあります。
3人とも「星」に由来する名前なのではないかと。

  「フル」「ウマシマジ」は共に下のリンクへ
  「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~
(「ウマシマジ」という名も多分、後に付けられた名のかもしれません。)

底筒男の筒も、星を表すと、「儺の国の星」で見たこともあります。
そもそも住吉三神は、このブログでも何度か書きましたが、
オリオン座を表すのです。

もしも、底筒男神である高良玉垂の神が、ニギハヤヒならば、
子どもの名も星に纏わる名をつけるのではないかと思うのです。

もしかすると・・・。
応神天皇であるホンダワケが、シレカシという名ならば・・・。

神功皇后は、もしかするとミカシヤ姫の生まれ変わりなのかもしれないと
思っていましたが・・・。

同一人物なのでは?

だとすれば、「ミカシヤ姫と奈良の地で出会ったニギハヤヒ神」と
「住吉の神の一人、底筒男神であり、月神でもあるニギハヤヒ神」も同じ?

同じだと考える方が自然です。

ニギハヤヒ神は、少なくとも「こちら(福岡)」と奈良にいたという伝承が
幾つもあるのです。
                        .                         .

神功皇后がミカシヤ姫で、高良神(住吉神)がニギハヤヒ神ならば、
「夫婦になった」という記述は頷けます。

そういえば、以前、住吉神社の元宮である現人神社の神を、
瞑想の中で見ていました。

(つづく)

2017年11月29日 (水)

神の鉾 1  ~伊野の鉾~

  神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
  持って帰ったという記述があります。


それを「さほさん」のブログで見た時、天啓のようなものがありました。
これは、「あの鉾だ」と。

伊野天照皇太宮の神殿にある鉾です。

Ino06

ここにある鉾が現物ではないかもしれませんが。

このブログにここ最近、何度も書いている彼女は、「5人目の仲間
に登場している人です。
奈良在住で考古学を学んでいたとのことで、あの辺りの神社などにも詳しいようです。

  「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用

******************************************************************

崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。

(中略)

ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。

代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・

******************************************************************

*楯原神社は、大阪府にあります。
*品陀和氣命は、神功皇后の御子、応神天皇のことです。
                                                     .

以前、伊野の天照皇大神宮で、「天疎向津姫命」ではないのではないか、
と感じた違和感の正体。
これが答えなのか、と。

大国主には様々な伝承があり、また長い時の中で統合されてしまったりしていて、
(ほとんどの神がそうですが)
元の神様とかけ離れているかもしれません。

でも私は、大国主が三輪山の神である大物主だと思っています。

三輪の大物主。
それはニギハヤヒです。

先日、伊野の宮に行って、「神問い」をした時に、
その証を見せてくれました。

さほさんのブログのあの記述を見て、伊野のお社の「鉾」が浮かんだので、
周辺の神社に行ったり、神路山に登ったり、
「神問い」をしたのでした。

                        *

やはり、神功皇后にとっての「天照神」は、ニギハヤヒなのか。

そういえば・・・と、そこで思い出したことがありました。
筑紫にある独特の伝承。
筑後一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述を。

(つづく)

2017年11月23日 (木)

遠見山

前回の遠見岳は、「神功皇后が三韓出兵のみぎり、異国を望んだところ」と
されています。

博多湾周辺には、神功皇后が登り、遠見や神事をしたという
伝承が残る山が幾つもあります。

その一つが脊振山です。
ここにも「異国を望んだ」、という伝承と、
神を祀ったという伝承が残っています。

遠見岳と脊振山、そのどちらが先に登ったかは分かりませんが、
「遠見」が「異国を望むこと」、つまり「三韓を見ること」でないことは
明白です。

高い山に登ったくらいでは、海の向こうの国は見えない。
そんなのは最低、一つの山に登っただけでも分かります。
幾つも登る必要もないのです。

全ての山で神事をした訳でもなさそうです。

では、「遠見」とは何なのか。
何故、そんなに山に登る必要があったのか。

                            *

以前のさほさんからのコメントで思い至ったことがありました。
(「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味」のコメント)

「橿原」は星の観測台だった・・・。
奈良の橿原と言えば、ちょうど私が夢の中で最初にいた場所に当たります。

古代の前世の夢」の中です。
以下は「儺の国の星」のコメントに私が書いたことです。

                *
                .
 夢の中でアマノトリフネを見た場所は、見た時の、
 周りの地形から推測しても
 今の橿原神宮辺りになるのかも。
 「遠見」と言ってるのは、遠隔透視のようなので、
 見晴らしとか、距離は関係ないみたい。
 超能力のようなものだから。

 でも星を見る観測台としての「橿原」なら、
 畝傍山になるのかな?
 そこで星見てたかどうかまでは、分からない。

                                   *

橿原神宮の場所。
そこには畝傍山があります。

その・・・遠見をしたのが、畝傍山なら?

畝傍山は、「大和三山」の一つ。
奈良での「結びの山」なのです。

奈良と伊勢の旅 旅の意味 その2 ~三四五の封印~


「結びの山」は、博多湾周辺にもあり、
飯盛山、若杉山、基山がそれに当たります。
「矢の元」の山は脊振山でした。

「結びの山」については、以下のリンク先などにあります。

飯盛山 * ~いざない~

結びの山 ~その1 飯盛山~

結びの山 ~その2 「産霊山秘録」 ~

結びの山 ~その3 力場~

結びの山 ~その4 飯盛山登山(上宮跡)~

結びの山 ~その5 筑紫三山 ~

以下、「結びの山」 のシリーズ。

                         *

その筑紫の「結びの山」と、畝傍山が「遠見」の言葉で
ようやく結びついたのです。

前世の夢の「遠見」の映像は、”見えないはずの遠くの場所を
リアルタイムに見る力”だと思っていました。

でも、そうだとしたら疑問に思うことがあったのです。

その遠見で「アマノトリフネの映像を見た」時にいた場所は、
橿原の畝傍山辺り(奈良盆地の南西)でしたが、
実際に「彼らが襲来してきた時に自分がいた村」の場所は、もっと北です。
(奈良盆地の西側。矢田丘陵よりは南だと思う)

  「遠見」の映像は「アマノトリフネが生駒山の上を越えて浮遊してくる場面」と
  「その麓の村(おそらく)今の矢田丘陵(奈良盆地の北)辺りの村が
   襲われてる場面」

その映像と、実際に「自分の村に襲来する時」とに、
ズレがあるようなので、何故なのだろうと思っていたのです。
それがようやく分かりました。


あれは、”遠見”ではなく、”予知”なのではなかったのか、と。

                     .
大和三山の畝傍山が「結びの山」の一つであるなら、、
その頂上の”特殊な場”の力を借りる為に、あの場所にいたのではないか。

未来を予知する為にあの場所にいたのではないか。
あの場所だからこそ、”視えた”のではないか・・・。

                            *

そう思い至って分かったのです。

もしかすると、神功皇后が幾つもの山に登ったのは、
「予知」ができる程の場を持った山を探していたのではないか。
筑紫での力場である「結びの山」を。

もしかするとその過程で、神に出会い、祀っていったのではないか。

                            *

伊野の神様は、後に3度移動されることがあったそうですが、
伊野に戻るようにその度に神託を出したそうです。
とてもその場所が気に入っていたようです。

                         .

2017年11月14日 (火)

「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味

真鍋大覚氏が記された「儺の国の星」。
そこに「ミカシヤ姫」の名の由来となる項がありました。

ミカシヤ姫は多くの書では「三炊屋姫」と表記されています。
「ミカシキヤ」とルビがふってあることが多いのですが、
友人によると「その違いは些細なこと」なのだそうです。
卑弥呼の呼び方さえ、(ひみこであるか、ひみかであるか、など)
今は分かっていないのですから。
古代の人の名の多くは、後の世に付けられたものでしょう。


そこで共通する「炊屋」にこんな記述がありました。

「儺の国の星」(炊屋星・かしきやぼし)の項より抜粋
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琴座 Lyra(リラ)

推古帝(五九三~六二八)の御名は
豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)である。
織姫を雉鳥石星(かしわのほし)或は梶葉星(かぢばぼし)と言う。
舸子場(かしば)とは船著場のことである。
下総葛飾柏、或は伊豫宇摩柏などにその地名が伝えられる。
織姫が自ら船を漕いで牽牛の許に赴くべきものと
遠い祖先は考えていたのである。
 昔は楮(こうぞ)と同じその皮を剥いで衣服の繊維を取っていた
ところから、この神話伝説が生まれたものと考えられる。
木の皮は細く裂いて水に晒すから、取り捨てた梶の葉を
水に浮かべて女人は戯れていたのかもしれない。

 
織女を志摩星或は斯和星(しわのほし)と言う。
”かしきやぼし”の略と思われる。
西海では船の用材になる木をすべて”しば”と言う。
従って芝とは船人の別名にも当てられることが多かった。
 魏志倭人伝の伊都国に泄謨觚(しばこ)、奴国に兜馬觚(しまこ)の
名がみえる。
いずれも女王、或は后妃であって専ら海と空の天気の
託宣を行う巫人のことであった。

数百数千の廻船、入り江に向かう中を、纜(ともずな)の間を
巧みにくぐって船人の用を足す女人ひとりの漕ぐ、”かしばぶね”
があった。
又の名に”かしきやぶね”があった。

樞(すう)の右は口ではなく田を書いた。
方位を決定するに中心となる星のことであった。
別の形で橿原は赤緯を見る観測台のことであった。
               
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この「炊屋星」の項。
略したところもかなり面白いので、後日またUPします。

織女星の名という”炊屋星(かしきやぼし)”
三炊屋(みかしきや)姫の名は、おそらくここからなのでしょう。
「三」は、ニギハヤヒ命を表します。
娘に三島の名がつく者がいたり、三島神社の多くはニギハヤヒ命が
祀られています。

織女の名から、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がるのならば、
ミカシヤ姫にこれほど相応しい名はないかもしれません。

皇子である”宇摩志麻治(ウマシマジ)”の名の由来は、
天の川や銀河かもしれないと以前、書きました。
(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)


夫、ニギハヤヒ命、彼の名の一つには「フル」があります。
これも星を表すのです。
(三は、オリオンの三つ星を表します)

後の世に付けられた名か分かりませんが、
彼らの名が、宇宙の星々に由来するものならば、
偶然ではないのでしょう。

今も夜空を見上げれば、彼らの星が輝いています。

                   *

そういえば、前世だったという「古代の奈良の夢」の中での話です。
生駒山の上から白い船(アマノトリフネ)が現れたのを”見た”場所は、
奈良盆地の南西辺りでした。
現実に見えたのではなく、”遠見”(遠隔透視のようなもの?)
によって見たのだと思いますが、
その場所は、今の橿原付近になると思います。

住んでいた場所でもなさそうだったのに、何故、そこなんだろうと
ずっと疑問に思っていたのですが・・・。
ようやくその答えに辿り着いたようです。

古代における星の巡りはとても重要なものでした。
同じく、その場所は”遠見”をするのにも最適な場所だったのかも
しれません。

福岡にある神宮皇后が深く係わる「香椎宮(かしいぐう)」。
その場所も、”そう”だったのかもしれません。

もしかすると、福岡の「香椎」は、
奈良における「橿原」なのかもしれないです。

ミカシヤ姫に関わりがあるかもしれない「橿原」と
神宮皇后が関わる「香椎」
ここでも繋がったようです。

 

 

2017年11月12日 (日)

光庭 2 ~座敷わらし~

(つづき)

そこで彼女に逢った。
一度も同じクラスにならなかったけど、何となく気が合った。
彼女は”見えない者が見える”人だった。
自分の母親もそうだったので、違和感など感じたこともなかった。

ある日、彼女の委員会があって、会議室の外で待っていた。

すると、赤い毬が転がってきた。
・・・ように感じた。

それは、私の想像だった。
そこに小さな女の子がいた。
赤い着物を着た子。
見えない毬を一度ついて、その子に渡した。

じゃあね。

そう”思った”後、がらがらと会議室のドアがあいた。

「どうした?」
と彼女。
「いや、何でもないよ。どうして?」

「何か気配がしたから。」

想像で遊んでいただけなんだけど。
そう思ったから何も言わなかった。
(そういう事は後にも先にもない)


それからしばらくして、ふと、授業中に絵を描きたくなった。
落書きノートの端に絵を描いた。

おかっぱ頭の女の子。
膝までの着物を着て、毬を持っている。
いつか、頭の中で描いた子だった。

着物は赤色。
黄色い牡丹の花が咲いている。
そして、赤い鼻緒の下駄をはいていた。

そんなことも忘れたある日、彼女が言った。
「うちのクラスに最近、座敷わらしみたいなのが来るんだよね。
 でね、教卓に座って、毬をクラスの子に投げて遊んでる。
 本人達気付かないけど。
 新しい校舎だから、いないはずなんだけど。
 ここら辺、たまねぎ畑だったしね。」

と、あの女の子が急に浮かんだ。
ちょっとぞっとして聞いた。
「どんな子だった?」

「おかっぱでさ、赤い着物着てた。赤い鼻緒の下駄でさ。」
「・・・どんな着物?」

「ここら辺(袖の下の方)と、膝まである裾の下の方に
 大きくて黄色い牡丹の花があった。」

間違いない。
私が描いた子だ。

「それって・・・これ?」
前にノートに描いた女の子を見せた。

「あ~~これこれ。・・・あんたか。」

「いや、・・・想像だし。・・・見えてたのか?」と私。

「どっちか分からんね。見えて描いたのか、想像を現実化してしまうのか。
どっちにしろ、もう描かない方がいいね、そういうの。
校舎、お化けだらけになるよ。」

「落書きとか普段してるけど、何ともないよ?」
「そういう落書きと、レベルが違うんだろうね。」
「あの子、どうしよう?」
「ほっといていいよ。毬ぶつけて遊んでるだけだし。」

「他に心当りある?」
図星だった。
絵に関しては心当りがあった。
小さい時に、飼っていた犬や猫の絵を描くと、1週間もしない内に
亡くなってしまっていた。
交通事故とか、行方不明とか。

その偶然に、私のせいだと感じてからは、生き物の写生をしなくなった。
でも、学校で描かなければならない時は、何ともなかった。

おそらく、そのものの「死期」を感じて描きとめておきたくなるのだろうと
思う事にした。

だから、自分からは極力、生き物を描かない。

「多分、”そう”なんだろうね。」
彼女は言った。

                    *

つかず離れずだった彼女とは、私が愛知に来た頃に疎遠になってしまった。

彼女の行動が許せないと思った。
自分の価値観とひどく違う、彼女の行動が。

でも、今なら分かる。
彼女が悪いとは言えない。

あの時、本当に許せなかったのは自分自身なんだと。
「それは違う」
と、言えなかった。
何故?
嫌われたくないから?

いつの間にか、自分の中の”座敷わらし”を表に出さなくなっていた。
人と違う価値観。
それは一人一人違って、一人一人意味があるもの。
表に出して、歩み寄ることで、一歩ずつ近づいていく。
近づいて、時には新たな物を生み出す原動力となる。

私は、もう最初からそれをするのが恐くなっていた。
                           .

でも、今、この土地に来て、色んな人と触れあって、少しはましになったと思う。
この土地が人が癒してくれたとそう信じている。

子供を産んで、学校や地域と半ば強制的に何かに参加して。
でも、その中でたくさんの人にであって、一緒に何かをして。
それが、私には必要だったんだと。

人は人の中に生きて、その意味を知る。

今、彼女に逢いたいと切実に思う。
あの校舎の光庭にいた彼女と、また逢いたい。
この土地の光庭で、少しはましになった私と。

                        .
座敷わらしは神様だという。
宿主に幸福をもたらす。
子供の神様。

光庭

その高校は制服で選んだ。
当時、当時大好きだったアニメの主人公達が
着ていた服だったから、そんな理由だった。

校舎は出来たばかり。
私達は一期生だった。

校舎の真ん中に光庭というパティオがあって、
色のついたレンガが敷き詰められているだけの場所だったけど、
そこがひどく気に入っていた。

ガラスの向こうの空間が、ひどく懐かしかった。
何故かは分からないけれど、郷愁を誘った。

          *

その頃、よく夢を見た。
毎夜毎夜、同じ世界の夢を見た。

あまりにもリアルで、だけど現実離れしている夢だった。
そこで、その光庭を見た。
金色の長い髪の女の人がいつもそこにいた。
そこは温室のようで、見慣れた光庭には植物がたくさんあった。

校舎の光庭とそっくりだ。
夢の中で何となく思った。
・・・だからあんなにも懐かしいのか、と。

ずっと後になって、その夢が前世だと知った。
懐かしいと思ったわけがやっと分かった。

もしかしたら、その”光庭”に刺激されて夢を見たのかもしれない。

その学び舎で彼女に逢った。

(つづく)

2017年11月 4日 (土)

ナガスネヒコ ~宿禰の始め~

さほさんは、今「息長族」について調べているらしい。
そこで私も調べてみました。
それが面白かったので、私が送ったメールから抜粋です。

                   *

息長(おきなが)氏を名乗ったのは、応神天皇の皇子、意富富杼王。

応神天皇の母、神功皇后は息長足(帯)姫(おきながたらしひめ)とも言われます。

その父は開化天皇の玄孫の息長宿禰王、母が天日矛の裔の
葛城高額媛。

では、記録にある「息長」という名が初めにつくのは、神功皇后の父親ということです。
「息長」は、代々受け継がれてきた名のようです。

                           *

神功皇后は、父が息長宿禰王でしたので、息長の名がついたのでしょう。

その母は、天日矛(または天日槍)の裔。
この天日矛について、このブログに載せたことがあります。

「結びの山 最終章 ~ 結び 夢か現か~」
http://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-952d.html

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「神功皇后は、<玉依姫>とも言われています。
その名(称号)は「神の依り代」、神の声を聞いたり、霊力を持つものなどに
名付けられました。

皇后の祖先は、渡来の神、天日槍(アメノヒボコ)だとされています。
その神はツヌガアラシトとも言われ、福岡県田川郡にあるもう一つの
「現人神社」のご祭神です。
一説では「角を持つ者」だと。

   FARIONの会議室では、「角は鬼の象徴であり、異能者のこと」だと
   言われていました。
   神功皇后の<玉依姫>と呼ばれる力は”鬼”の力・・・?。
   ARIONの鬼についての預言「隔り世(かくりよ)から鬼が来る」と
   いうのも気になります。
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天日矛は”アカル姫”を追って、日本にやってきた新羅の王らしいです。

「牛頭天王」とも言われているスサノオも角があったのではないかという説があります。

どこからかやってきて、朝鮮半島を経由して、日本に来たスサノオ達。
(もしかしたら、ニギハヤヒにも角があったかもしれません。見てませんが)
天日槍(天日矛と同じ)は、その時に朝鮮に残った一派の裔だったのでは?と。

なので、天日矛の末裔でもある息長氏は、やっぱり何らかの特殊能力が
あったかもしれません。

そもそも「鬼や角」は、異質なものの象徴であり、事象としてのものでは
ないかもしれませんが。

                     *

「息長」姓ですが、漢字よりも読みが先に来るのなら、
「おき」と聞いて思い浮かべるのは「玉置山」。

「ニギハヤヒ」がもたらしたともされる「十宝神宝」を祀った(置いた)とされる
奈良にある山です。
熊野大社の奥宮ともされています。

そして、「な」は、「水無月」「神無月」の「な」と同じく、今の「の」に当たる
連体助詞かもしれません。

すると、「置く」「の」「が」
「が」を「置く」?

「な」は、奈良の「な」であるかもしれません。
言霊の「な」は、 「成す、為す」。
ならば、「が」を「成す」。

「が」は「賀」を意味するのか?
   
そこで、さほさんが「賀」は、「スサノオ」を意味していると教えてくれました。

「十種神宝」はスサノオからニギハヤヒに託されたともされています。
案外、「おきなが」って、「スサノオ(=十種神宝)を置く」
安置する、祭るって意味の姓かも知れません。

置くと言えば、それこそ、身に置くという意味もあるかもしれません。
ならば、「スサノオを身に置く」

スサノオを受け継ぐ、という感じなのでは?
スサノオの子がニギハヤヒだとしたら、ニギハヤヒを受け継ぐということにもなります。
神功皇后が息長足媛なら、ほんとに偶然??って感じですね。

                    *


また、仏教の聖典には、「ナガ」族とは「龍王族」のこととあります。
 (「長い」の語源は、ここにあるのかもしれません。)
 (*注釈 仏教が日本に入った時に言葉が入ったということではないです。
      「そこに言葉が残っている」という感じの意味です)
      

田んぼの神でもある「水蛇」でもあるとか。
蛇神と言えば、三輪の神。
蛇は龍と同義。
前にブログに書いたことがあります。

「大神神社(おおみわじんじゃ)と大物主神」
http://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c0e8.html

三輪の神は、ニギハヤヒです 。

              .

「ナガ」のつく名でもう一つ。

その「ニギハヤヒ」の正妻、ミカシヤ姫の兄の名は「ナガスネヒコ」と言われています。
この「ナガ」も「龍王族」を意味するのかも。

「ス」は言霊の「中心」という意味なのかな。

「ネ」は、「根」だそうで、
前に神社で聞こえたことがあったんですが、「神や貴人のつく名称」なのだそうです。

「伊勢(摂社)」
http://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-270f.html

するとさほさんが、「す」はそれこそ、「須賀」の「須」なのでは?と。
「須賀」、スサノオを表し、須賀神社のご祭神は彼が祭られています。

「ヒコ」は「身分の高い者の尊称」。
                 .

「ナガスネヒコ」

もしも、その名が「龍王族」の「須(須賀)」の「根」であるならば、
「ニギハヤヒ」そのものを表しているのではないでしょうか?


「根(ネ)」を調べていて面白いことが分かりました。
宿禰の「ネ」も、「少根」と表記されることもあり、ウィキには
「オオネやスクネの語尾「ネ(称号)」は神別氏族の軍事的長の称号である」と
あり、また
「主に物部氏や蘇我氏の先祖に宿禰の称号が与えられた。
8世紀には八色の姓で制定された、姓(カバネ)の一つとなった」
とあります。  (Wikipedia「宿禰」
  
物部氏?
ニギハヤヒとミカシヤ姫は物部氏の先祖になります。
・・・まさか、「スネ」が「宿禰」の元なのでは?

もしもそうならば、「ナガスネヒコ」は「ナガ(龍王族)」の「宿禰」をも意味します。

今、気付きました。
「ナガ族」の「須」の「根」。
スサノオを意味する「須賀」。
「須賀」の「根」。

それが「宿禰」の元の意味なのでは?


                    *

「ミカシヤ姫」だという前世の夢の時、兄「ナガスネヒコ」を見てないんです。
(年の離れた弟はいましたが)
たまたま、いる時の場面を見てないだけなのかも知れないのですが、
この前のヒプノの時も見ていませんし、気配もありませんでした。

もしも、「兄」をどうにかされていたのなら、「ニギハヤヒ」に対して
負の感情が少なからずもあるはずですが、それも全く無いのです。

「ナガスネヒコ」というという存在自体、架空のものだと思うのです。
もしも、その名が「ニギハヤヒ」そのものを表すのならば、尚更です。

息長族、神功皇后、三輪の神。
そして、ナガスネヒコ。
このつながりは、偶然とは思えません。

                           .

2017年10月12日 (木)

「ぼくの地球を守って」 と ARION

その漫画は、私が「前世の夢」を見始めた少し後に、「花とゆめ」という雑誌に
連載されました。
とても好きだったのですが、当時の自分は、その頃見ていた夢が
その漫画の設定のような「前世」だとは思いもよらなかったのです。

その辺の話は、このブログの最初の方に載せています。
(「ボクを包む月の光    ・~前世の夢~」)


数年後、文通で仲間の子達と言葉を交わしていた時、
その漫画との共通点があると気付きました。
(「別の星の夢  ~前世 2~」)

「集団転生した7人」
「地球では無い別の星にいたこと」
「その星には宗教(のようなもの)があり、神の存在があったこと」
「(額に)印を持つものは、特別なものとされていたこと」
「超能力を持つものがいたこと」

「前世では7人、一緒に暮らしていたこと」(漫画では月基地で)
「その建物の中に植物の為の温室があったこと」
「漢字名があったこと(漫画では、地球の植物の名に、自分達の名と
 同じのがあると知り、それぞれあてた)」


その他にも細かな共通点は幾つもあったのですが、
際立っていたのは、神の存在、そして、印、「木蓮」の存在です。


漫画では、額につくという「キチェ」

私たちのいたという星では、「リヴィ」と呼ばれ、
超能力を持つ者(すべてではない)の額や腕につくことがあったそうです。

「ぼく地球」の主人公の前世である「木蓮(もくれん)」の姿は、
私が夢の中で見た仲間の一人にそっくりでした。
ウェーブのかかった長い金色の髪の彼女。
植物を好きなこと、温室によくいたことも、「別の星」の夢と同じでした。

彼女は「サラ」と呼ばれていました。
私が姿を覚えている数少ない一人です。

全く同じ姿で、「洞窟の夢」の中でも、仲間の一人だったのです。
(「洞窟の夢  ~前世 1~」)

                      *

文通していた「桜花林」や「沙霧」は、私よりも詳細に前世を思い出して
いましたので、なおさらでした。

「木蓮」と「サラ」はあまりにも似過ぎている(性格は違う)。
「別の星」でのサラをよく覚えていた二人は、よくそう言ってました。

この漫画は、あまりにも共通点が多い。
これは「神の意図」なのではないか、と。
作者は、あの星の神から受け取ったのではないかと。


漫画を書かれていた作者さんからしてみれば、とても失礼な話ですが。

と、ここまでは、よくある「その漫画の構想、先に考えてた」的な話に、
なってしまうのでしょうが・・・。

                       *

数年後、私はパソコン通信という空間で、神霊「ARION」と出会いました。
(ARIONのことは、カテゴリーARIONにまとめています)

そのパソコン通信の「FARION」という場所に出入りしてた頃、
「ぼくの地球を守って」がアニメ化されたのです。
(テレビ放送はなく、OVAだったと思う)

その当時、雑誌「花とゆめ」の愛読者でしたので、それを紙上で
知りました。

< ED(エンディング)は、ARION >

「時の記憶」

その作詞が、錦織貴子さんとARIONとありました。
作曲は、菅野よう子さん。

驚いた私は、FARIONで見かけたみれさん(ARIONのチャネラー、
北川恵子さんのハンドルネーム)に話しました。


(弥沙) ARIONに伝えて。あんな素敵な歌詞をありがとうって>みれさん
(みれさん) 弥沙が喜んでくれて、ARIONも喜んでいるよ>弥沙


これは、偶然だと思えませんでした。

あの時、たった一人でしたので、ARIONが背中を押してくれていると
感じたのです。
今でもARIONは、その言葉と共にいつも一緒だと感じてます。
                .

漫画「ぼくの地球を守って」と、共通するうちらの「前世の夢」。
神霊ARIONと私との出会い。
そして「ぼく地球」とARION。

もしかすると、「桜花林」や「沙霧」が言っていたように、
そこに本当に神が介在しているのかも・・・とも。
                             .

事実、「ぼくの地球を守って」を見た彼女達が、それを参考にして、
「当時のオカルト雑誌」に投稿したのです。

私は、それを見て連絡を取ったのでした。

あの漫画がなければ、二人には出会わなかったでしょう。

                          *


アニメのサントラにはARIONをチャネリングしていた北川恵子さんの名と
共にARIONの名が記されてました。

3枚あるサントラの中で、木蓮が歌うという「前の星」での聖歌。
そのイメージ語もARIONが作詞していました。

私が以前(夢の中で)聞いた言葉(発音)とは少し違うようですが、
前の星で歌われていた聖歌とよく似ていると、感じてます。

                          *

「ぼく地球」の「木蓮」にとてもよく似ていた「サラ」。
そういえば、彼女のもう一つの名は「瑠蘭」。

「木蓮」の花は、もともと、花が蘭に似ていることから、「木蘭」と呼ばれて
いたそうです。
漫画「ぼく地球」では、「木蓮」の仲間である「玉蘭」は、白木蓮のことだったと
思い出して、もしかしたらと調べてみました。

「木蓮は木蘭」、・・・瑠蘭との名とも類似。

鳥肌が立ちました(^^;
これ、偶然???


その瑠蘭・・・かもしれない、彼女のブログです。
https://ameblo.jp/nanacanaln/entry-12318646988.html

お互いリンクすることにしました。

何かに、繋がる気がするからです。

                                    .

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