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前世

2018年4月18日 (水)

岩戸開き その5 ~日甕~ 

日本書記では、神功皇后は「卑弥呼」と重ねています。
                  .

ミカシヤ姫は<ヒミカ>と呼ばれていました。

それは私が見た「前世の夢」の話です。
   *(「古代奈良の夢  ~前世 4~ 」)

人が見ていた夢を見た可能性もあるかもしれないので、
それが必ず「自分自身」だとは言えません。
                         .

ですが、ミカシヤ姫が「ヒミカ」でもあるならば分かることがあります。

当時、漢字はなかった時代ですが、その名の意味を表すものがあるなら、
                     .

<<日甕>>
                                .

神功皇后の「甕依姫」
ミカシヤ姫の「櫛甕玉姫」

「ヒミカ(日甕)」

生まれ変わりならば、二人とも「ヒミカ」です。

「日」は日の神、ニギハヤヒ命を表すもの。
「甕」は神に捧げる酒や水を入れる神事用の器。

日の神の玉依姫としてあった、あの人達の名として
これほど相応しいものはないのです。

                    *

もしも神功皇后も「ヒミカ」と呼ばれていたのなら、
彼女がミカシヤ姫であったという可能性は大きいように思います。

住吉の神である高良の神が、ニギハヤヒ命の生まれ変わりであったとしたら、 
尚更です。

                                            *

私が見た「夢の彼ら」にとって名はとても重要なものであり、
その名は、何度生まれ変わっても受け継ぐようでした。

(その度に前の世の記憶を思い出すから名付けるのか、
 その理由は分かりませんが)

何度転生しても様々な形で自分の名の中にあります。
見つかっている仲間の一人以外、今の名の中にも「それ」がありました。

                     *

夢で見た「アマノトリフネ」
空を飛ぶ、あり得ない白い帆船。

だけどそれを自然に受け入れてたのは、その前に「別の星」の夢が
自分の前世だと分かった後だったからです。

その時には同じ夢を見続けていたという「仲間」の2人に会っていました。

自分がこの星の者ではなかった時があると。
あり得ないことはないと、知った後だったからです。

その後、「宇宙神霊ARION」と、ネットの中で出会いました。
その存在は「私」のことを知っていたのです。
                  .

ARION達は、北極の遥か上空に彼らの大きな母船があると言います。

マイ・ミュート・アーテという宇宙船。

「古代奈良」の天鳥船。
宇宙神霊ARIONと宇宙船。
自分達の前世の一つが「別の星」の者だったこと。

それらの「繋がり」は、「あり得ないことではない」と自分を納得させるには
十分なことでした。

もしも、この先、ARION達の母船が現れることがあったのなら・・・。
「天鳥船」も絵空事ではないと言えるかもしれません。

                            *


神霊であるミカシヤ姫はこうも告げました。

<<あなたは神功皇后であり、ミカシヤ姫です>>

その真偽は分かりません。
ミカシヤ姫は前世の夢で見ましたが、神功皇后とは
奇跡的な縁で結ばれているだけなのですから。

前世なんて過去のこと。
なのに何かに突き動かされるかのように追いかける。
それは、未来の扉を開ける鍵がそこにあるから。

最近、ようやくそれが分かりました。
                                     .

「岩戸」とかつて・・・今も呼ばれているこの地に自分がいること。
ここに来なければ分からなかったこと、出会わなかったこと。
それさえも、多分必然。

「儺の国の星」という本に出会ったのもその一つ。
それは物部の子孫達が連綿と伝えてきた、
宇宙の星々とこの那珂川町の伝承や歴史が記された本でした。

もしも、私が「ヒミカ」であったのなら・・・。
この手の中にそれがあることは何よりの奇跡だと思うのです。

 

 

2018年4月16日 (月)

岩戸開き その4 ~岩戸~

<高良の神と神功皇后>
                       .      

彼らは、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫の生まれ変わり。

そうすれば、幾つもの疑問が解けます。
解けたピースが幾つも埋まるのです。
                      .

                     *          .

「天照の岩戸開き」
              .
                     .
それは天照であるニギハヤヒ命が岩戸に籠り(亡くなり)、
再びこの世に現れたことでは。

それこそが<生まれ変わり>を表す物語。

                       .

高良の伝承では、ニギハヤヒ命は住吉神。

筑紫の那珂川町にはその神を祀る住吉の元宮「現人神社」があります。

イザナギ命の禊の際に現れた神の一人が、住吉(底筒男)神。

禊の地の地形に一致することから、那珂川町がその地だとも言われています。
     *(「安徳台と高天原」)

裏を返せば、「この地に現人神社があるから、その神話が出来た」とも
言えるのではないでしょうか。
     *(「結びの山 ~その11  天孫降臨 ~ )」

「神話」では同じ地で天照も誕生しました。
住吉神の後、天照が生まれたのです。
                     .
                       .
この地には、日吉大社へ勧請した神の一柱を祀る「日吉神社」もあります。
日吉神社のご祭神は猿田彦神。

   (勧請した日吉大社の神の一柱は大己貴神(ニギハヤヒ命)) 
                     *(「 結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~   」)

猿田彦神は、登場した時の姿から「天照が来る前の国津神の天照」ともされます。 

                           *        .
                 .

「岩戸の地」
                         .

那珂川町には那珂川が流れています。
「禊」の地とされる(おぎわら橋がある)周辺は今は山田地区。
昔は「岩戸郷」と称されていました。

山神社には岩戸の伝承があります。
   *(「 結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)

(昔の岩戸村、安徳村の境界線が確認できませんが、
 今でも岩戸郷というとこの周辺のことをさします)
 


・・・もしかすると神功皇后たちがこれ程までにこの地に拘ったのは、
彼らも居を構えていた時期があった故かもしれません。

「その地」の側にある安徳台は、今も「上の原(はる)」「御所の原」と
言われているそうです。
   

私はそこで「光の柱の中の幻のお社」を見ました。
    (安徳台が「高天原」ではないかと思っています)

           *(「安徳台と高天原」)

  (高良の伝承の「四王寺山」に関する部分、
   今の安徳台でのことではないかとも思います。
   安徳台には古代の祭祀跡があり、
   宇宙(神?)と交信していたのではという説があります)

     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県」)
     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2 」)

                              * 

この町にある「現人(あらひと)神社」の神(住吉神)は、
「この国が大事になる時、再び姿を現す神」とされています。

また、ニギハヤヒ命だとされるスサノオ命の皇子の大歳神は、稲穂の神。
年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
また次の年の初めに赤子の姿で現れる・・・神だそうです。
    *(「結びの山 ~その15  大歳の神~)」


それは「生まれ変わりをする神」を表しているのでは。

・・・「岩戸開き」は「この地」であった出来ごとなのかもしれません。

                              *

「神話」
                                 
                 .         .
「記紀」が編纂されたのは奈良時代。

少なくとも倭姫の元伊勢巡りの時代まで、
「伊勢の神、天照は磯の神(イソノカミ)であるニギハヤヒ命」でした。

・・・それらは、(伝承では)「神功皇后と高良の神」の前の時代です。

  (伝承では、神功皇后の夫の仲哀天皇は、ヤマトタケルの皇子。
    倭姫はヤマトタケルの叔母)

その頃はまだ、今の形のような神話が「出来あがっていなかった」
ということも考えられます。

「岩戸開き」の物語のみ、その後だったとしても、
あり得ない話ではないのです。
                      .

それが、生まれ変わった天照(ニギハヤヒ命である高良神(住吉))と、
ミカシヤ姫かもしれない神功皇后の話ならば・・・。


                       *

また、高良の伝承では、元々いた「高木の神」を追い出して
高良の神が居座ったとされています。

同じく、英彦神社(英彦山)にもそのような伝承があります。
(あちらは日子火火出見神)

天岩戸に隠れ、再び外の世に出た天照は、その前に比較して
ほとんど出番がないとされます。
それは、岩戸から再び世に出た彼の活躍した舞台が、
大和より遠い地(筑紫)でのこと故なのかもしれません。


( つづく )

2018年4月14日 (土)

岩戸開き その3 ~神功皇后~

高良の神が住吉神ならば、彼はニギハヤヒ命(天照)です。
ですが、両神が存在していた時代には隔たりがあります。

「彼が神だから」

という理由では埋まらない彼の息吹を感じられる足跡が、
ここ筑紫にはいくつもあるのです。
                           .

では、その高良の神と強い繋がりがあったとされる「神功皇后」。

神霊が告げた「神功皇后はミカシヤ姫の生まれ変わり」という言葉。

そこから分かることはあるのか。

                               .

神功皇后は甕依姫
                                .

神功皇后について。
「高良玉垂神秘書」には、高良の神と夫婦となり、行動を共にしていたとあります。

今までの記事(「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」など)
        (「二つの伝承 2 荒穂神社」など)から、


高良の神秘書などにある「ヰルイ」が白羽熊襲でもあるらしいこと。

  基山の荒穂神社筑紫神社 などの伝承、ご祭神と、

  大根地山の大根地神社にある神功皇后の伝承から、
  これらは同じものだと推測されます。
      *(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

 (これらの伝承の中での五十猛神は磯神(高良神である)ニギハヤヒ命)  
         .

筑紫神社のご祭神の一人は、宝満神である竈門神社の玉依姫。
荒穂神社のご祭神の一人は、甕依姫。
大根地神社にある伝承の神功皇后。

同じ伝承なら、これらの神は同じ。

     *(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)

これらのことから、筑紫神社の「筑紫神(白日別)」である「高良神」と
共に祀られているこの神は「神功皇后」であると推測されます。
  (宝満宮竈門神社の玉依姫は、神武天皇の母ではなく神功皇后。
   玉依姫は称号)

ならば、神功皇后は「甕依姫」。
                                 .

                        *

「甕依姫とミカシヤ姫」
                     .

「甕依姫」の「依」は、「玉依姫」の名と同じく(称号)の意味になるので、
甕(みか)が固有名となります。


ミカシヤ姫の名にも「ミカ」の名がありました。

名の一つが<櫛甕玉姫・櫛玉姫(くしたまひめ)>。
(櫛甕玉姫の名はニギハヤヒ命が「櫛甕玉命」であるからか)

神道では、彼女も玉依姫(神の依り代)であったとされています。
  (櫛は「奇」であり、人間に不思議な奇跡をもたらすもの、
   神の力を感じられるものという意)


甕依姫と、ミカシヤ姫の名との類似・・・。

もしも、高良の神がニギハヤヒ命であり、神功皇后と共に
行動していたのならば、これは偶然ではないでしょう。

またそうであるからこそ、筑紫神社と竈門神社の「玉依姫」は、
神功皇后でなければならないのです。

               .

                  .
神功皇后の「甕依姫」の名からは、ミカシヤ姫である可能性が高いと思わされます。

では、違う人にその名を付けたと言うことは? 

                               *

高良山周辺や、筑紫の広範囲には「物部氏」の勢力が広がっていました。
物部氏は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との子、ウマシマジを祖とする一族です。 

筑紫には、その後も一族の繁栄が続いたという伝承がいくつもあります。
  (那珂川町発行の「儺の国の星」の作者であった真鍋氏の先祖は、
   物部氏であり、太宰府で星見をしていました)

ニギハヤヒ命の血族は時を経て、大和から筑紫へと来たことになります。

ならば、大和から筑紫の国へと入った物部氏が、祖であるこの二人の伝承を広めた・・・。
ということも考えられます。
  

ですが、神功皇后も、高良の神の伝承も具体的です。
具体的だから、真実とは限りません。
それに纏わる神社や祭りの多くが今も存在しているのです。
(大善寺玉垂宮などは、高良の神である「藤大臣」が桜桃沈輪(ゆすらちんりん)
 という悪徒を退治したことに始まる祭りがあります。)


一方で、「筑紫神社」などに纏わる「白羽熊襲」の伝承などは、
二人の存在をぼかしています。

もしも、物部氏に広める意図があるならば、ご祭神の名称など
もっと分かりやすくするはず。
時代を経ているにせよ、物部氏達の一存で、伝承を作り上げたのだと
するには無理があるように思います。

                        .*


高良(住吉)神が天照であり、ニギハヤヒ命。
神功皇后と住吉神(ニギハヤヒ命)との邂逅。

ですが、ニギハヤヒ命は神功皇后よりもずっと前の時代。

神功皇后とミカシヤ姫(ニギハヤヒ命の妃)との名の類似。

また高良の神は人の姿になった時「物部保連」を名乗ったとされます。
ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との関わりを感じさせられる名です。

これらがの偶然が指し示すものは一つの必然。
                          .

( つづく )

2018年4月12日 (木)

岩戸開き 2.5 ~番外編 天照とニギハヤヒ命~

***********************************************************

(少し脱線するので、番外にしました)

「天照とニギハヤヒ命」について。
                      .

神功皇后の夫、仲哀天皇はヤマトタケル命の皇子とされています。
ヤマトタケル命の叔母は倭姫。

皇祖神天照の鎮まる地を求め、近畿を巡り、最終的に伊勢の地の至ります。

この間に巡った土地が「元伊勢」と称されます。
その一つが京都の「籠神社」。

その時代には既に、「籠神社」にはご祭神、天火明命が祭られていたのだとしたら、
倭姫はその地こそが「天照」の鎮まる地では、と思ったのかもしれません。

ということは。

少なくともその時代には「天火明命(ニギハヤヒ命)が天照である」と
認識されていたのだと思われます。
                     .
                                                   *

かの神が「磯神、月神」だという名称はいつからでしょう。

彼がニギハヤヒ命であった時、「十種神宝」の中には
二つの玉(生玉、死返玉)がありました。
     *(「神の鉾 4 ~星の名~」)
   

籠神社の天火明命がニギハヤヒ命であるならば、これが「満珠」「干珠」です。

月と同じ作用をする神宝(海の潮の満ち引き、人の命の生死を左右する)
それを有するもの。
ニギハヤヒ命が「月神、海神」とも言われる所以です。

これらのことから、籠神社が創建された頃には既に、
「ニギハヤヒ命は、天照、月神であり海神(玉を有する故)」と
されていたのかもしれません。

そして、磯神は五十(イソ)神。
奈良の石上(いそのかみ)神宮に繋がります。
      *(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)より

     
    「儺の国の星」には、記紀に布留御魂(ふるのみたま)は隕鉄、
    布津御魂(ふつのみたま)は砂鉄を精練した剣のことであった。

    と言う記述もあり、隕鉄(隕石の内、鉄とニッケルを主成分とするもの*大辞林より)
    は星そのもの、 "フル"とは、やはり星に関連する言葉なのだと思います。

    
"フツ"はスサノオ命。
    "フル"はニギハヤヒ命の別名だったそうです。        

   *(「細石(さざれいし)神社」)より

    簓星(ささらのほし)がその本(もと)の名であった。杷石(さされいし)とは
    砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
    伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。
     (「儺の国の星」より引用)


布留御魂(ふるみたま)とは、石上神宮の御祭神、布留の神(ニギハヤヒ命のこと)。
隕鉄、磁鉄鉱など還元(精製)する名匠が五十氏、石上とされていたのは
偶然ではないでしょう。
彼(彼ら)がその技術を広めた故なのかもしれません。

「石上(神宮)」の名がいつからなのかは分かりませんが、
布留の神(ニギハヤヒ命)が「イソノカミ」をさすとは間違いありません。

さらに、伊勢は昔「磯宮」と呼ばれていました。
    *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~
     月の神であるニギハヤヒ命が日の神でもある理由)

伊勢の神がニギハヤヒ命であるのなら、「磯神」とされるのは偶然ではないでしょう。
それは「イソノカミ」と称するはずなのですから。

ならば「その時代」までは、そこにおわす神はニギハヤヒ命だと認識されていたはず。

その後の時代に「改変」されていったのではないでしょうか。
「天照」という存在だけが独り歩きをして。

その記録が記紀なのかもしれません。

 
  (ニギハヤヒ命達がいたと思われる頃の古代の筑紫には、
   風早神社(那珂川町の安徳台の側の神社)を始め、
   鉄の精製跡と思われる場所がいくつもあります。
   その辺りの那珂川にある「一の堰」は出雲のたたらの地下構造と同じだそうです
        *(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県」)

 *なお、この後に出ますが「五十氏」の名から、筑紫一帯に残る神社の
  ご祭神五十猛神とニギハヤヒ命との混同が起きたと思われます。
 

次は本編に戻ります。
                   .

( つづく )

2018年4月11日 (水)

岩戸開き その2  ~天照~

「高良の神は住吉の神」
                   .
                         .
記紀にある神功皇后の三韓征伐の折、
彼女が乗る船の上に現れたのは住吉の神です。

彼は、高良の神でした。
    *(「神の鉾 6 ~もう一柱の住吉神~」神社の方から聞いたこと)
                       .
こちらにある高良大社に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述では、
「三韓征伐」の前に既に出会っています。


  *「(神の鉾 2 ~高良玉垂神秘書~他

神功皇后の時に「ヰルイ(熊襲)」が日本を責めた。
筑前の四王寺の山に登り祈るとそれに応え、四神が現れた。
四神の一柱が、底
筒男神(月神)の高良大菩薩。
月神達は将軍などになり、力になることを約束した。
ほどなく三韓を降伏させたのち、住吉の神(月神の父の方)は空へと戻る。

月神・底筒男命は神功皇后と夫婦になり、
地上での名は物部の保連。藤大臣、高良大菩薩。

神功皇后が亡くなった後、月神達は高良を出た。
日神、豊姫は共に佐賀へ。
月神は筑紫の地を後にした。
そして・・・空へと帰った。

   
船の上で海の神から玉を授かる場面。高良の神は安曇磯良(アントンイソラ)神。
    *(「 神の鉾 3 ~安曇磯良神~ 」)


記紀などの伝承よりも、高良の神(住吉)と神功皇后との繋がりがより強いように
思われます。

また、四王寺山で神功皇后が祈って神が出現したことなど、
とても「非現実的」ですが、一方でとても「具体的」。
                                 .

「高良の神は月神であり、住吉の底筒男命。人の姿となり物部保連を名乗った」
「神功皇后と夫婦になった」
「二つの玉」

核心はそこにあるように思います。

                            *


「高良の神は天照神」
                      .

高良大神は住吉神であり、月神安曇磯良神でした。
京都の籠神社の御祭神の天火明命は、月神であり、磯神
共に、二つの玉(満玉、干珠)を使いこなしていました。
月神、磯神、二つの玉というキーワードの一致。
   (イソラのラは、神、光の意味)
   
さらに伊勢の外宮の神(月神磯神)は籠神社から迎えた神と言われています。
伊勢が昔「磯宮」と呼ばれていたこと。
これは祀られている神が「磯神」であるということです。
    *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

また、「思えば伊勢と三輪の神。一体分身。今更何を・・・」という唄も伝えられています。
これは三輪の神であるニギハヤヒ命と伊勢の神とは同じということ。

そして、                          .
伊勢天照御祖神社」など「天照」名の神社の多くに彼が祭られていること。
   (高良大社の摂社にもあった)
彼の名、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

そのことがその証。
すべてが繋がります。

                           .    

では、高良の神が天照ならぱ、住吉の神も天照。

新嘗祭では住吉神を表すオリオンの座標を基準にした神事が行われています。
行われるのはニギハヤヒ命が亡くなった日とされる翌日の11月23日です。

     *(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ」) 

「神の力を受け継ぐ」としても、これ程の偶然が指し示すものはたった一つの必然。

                                  .
上記の事柄、すべては「住吉の神が天照であり、住吉の神はニギハヤヒ命」だと
いうことを表しています。

                         .

でも、いくつかの疑問が残ります。
「なぜ、これ程の”ヒント”を残しながら、皇祖神を<饒速日尊>としないのか」

「なぜ、<饒速日尊>の足跡を「皇祖神」から消してしまわなかったのか」

その答えは、私には知る由もないでしょう。


                         .

*次回は番外編「天照とニギハヤヒ命」について。

( つづく )

2018年4月 9日 (月)

岩戸開き その1 ~神霊の声~

<< 神功皇后はミカシヤ姫の生まれ変わりです >>

友人kono87さんを通して、ミカシヤ姫の神霊がそう告げたのは先日のこと。
                       
ミカシヤ姫が神功皇后に転生したのだと仮定した場合、多くの疑問が解けます。

  (今までのことのまとめになりますので、重複になります。
    関連の記事はリンクしてます。)

                          *

「ミカシヤ姫とニギハヤヒ命」
                                                        .

ミカシヤ姫はニギハヤヒ命の后です。

ニギハヤヒ命は彼女と出会う前は筑紫にいて、その一帯を治めていたとされます。
記紀などの伝承ではその後、

「東に良い国がある」という神の声により、筑豊の男達と共に
天磐船で飛び立ち、大和の地でミカシヤ姫と出会い、彼女を娶りました。

 (筑紫には大和に向かう前と思われるニギハヤヒの伝承を持つ神社などが
  幾つもあります)

三輪山は彼のご陵であり、彼が祭られている・・・ともされています。

                       *

一方、神功皇后は、

夫である仲哀天皇と共に、熊襲を鎮めるために大和から筑紫へ。
   (仲哀天皇はヤマトタケル命の皇子)
神の言葉に疑いを持った仲哀天皇は崩御し、
彼女は三韓へと向かいます。

その船上に現れ、彼女を守ったのが住吉三神。

帰還した後、占により(今の那珂川町)のお社(現人神社)の神と知り、
その神田に水を引く為に裂田の溝(うなで)を指揮して造る。

筑豊の嘉穂の地で、戦いを共にした人達と分かれ、大和に戻った・・・と。

                        *

記紀の二人の伝承には接点がありません。

時代の流れとしては、
「ニギハヤヒ」が筑紫から大和へ向かう。
その後の時代に神功皇后が大和から筑紫に来たのです。

  朝倉市の三輪町にある「大己貴神社」のご祭神は大己貴神(ニギハヤヒ)。
  その隣には三輪山があり、神功皇后に纏わる伝承があります。
  その山は御陵ではなく、奈良の三輪山を模したもの。
  そのことからも神功皇后は「古代の大和」の時代より後のことです。

つまりニギハヤヒの時代の「筑紫や高良」には、
ミカシヤ姫や神功皇后は存在しません。


                                                    .

しかし、ニギハヤヒが高良の神ならば。

高良の神は住吉神です。
住吉の神は神功皇后が乗る船に現れていました。

                                                       .

( つづく )

                                  .

2018年1月 2日 (火)

二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~

高良の神は「月神」とされています。

「潮満玉と潮干玉」を有し、月の如く、海の潮の満ち引きを自在に操る神。

また、「磯良神」の名から、「石上神」である「ニギハヤヒ神」だと思われます。

                 *

この回を書く途中で知ったのですが・・・。

<伊勢の外宮のご祭神は、籠神社から来た月神>

 籠神社の神は、月神であり、磯神と呼ばれていた。
 そして「潮満玉と潮干玉」を有していた、と。


(見たのはYoutubeで、以前、放映した「世界不思議発見」の
「伊勢神宮」の回だと思われます)

これは、「高良の神」である「磯良神」に纏わる伝承、そのままです。
                                       .


京都府、天橋立にある籠神社の主祭神は、「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」
 かの神は、「天火明命、天照御魂神、天照彦火明命、饒速日命」(ウィキより)
とも言われています。

そこから来た、伊勢の外宮のご祭神は、「豊受大神」と名を替えています。
一般的には女神だとも言われていますが、
その神が稲荷神である「宇迦之御魂大神」であるならば、「ニギハヤヒ神」です。

やはり、「高良の神」は、「ニギハヤヒ神」であるのでしょう。


ただ・・・。
<外宮の神は、籠神社から来た月神であるニギハヤヒ神・・・>

天照である彼が、月神?
高良の伝承を見た時にも、それが気にかかっていたのです。


                          *               .

「石上神宮」を調べた時に

<伊勢は「磯宮」と呼ばれていた>

ともありました。

ならば、伊勢の神は「磯神」。
主祭神が祭られている内宮の神の方が、「磯神」であったはずです。

それは日神、天照である内宮の神。


皇祖神の天照を女神とする際、「月神」として、
外宮の神として祭られることになったのでしょう。

「月神」は、高良の伝承同様に、
月の如く、海の潮の満ち引きに作用する、二つの玉を操る、
その性質から位置づけされたのです。

ならば、日神でもあり、月神でもあるのか。

                    *

「日の神、月の神」
                 .

思い当たる神がいます。

「艮の金神」です。

天理教の「おぢば」、そこは奈良の「三島神社」が元々あった場所。
その教祖である中山みき氏は、その場所で
「艮の金神(うしとらのこんじん)」と邂逅しました。

その神こそ、三島神社のご祭神である布留御魂神。
石上神宮の御祭神、ニギハヤヒ神でもあります。

「艮の金神」は、日月神示の神。
つまり「日月の神」です。

艮の金神である布留御魂神は、
日と月の神、その両方であるのです。

                      *

日月、ひつきは、「日嗣」に繋がります。


<日嗣の神>

新嘗祭で、「住吉三神」の象徴であるオリオン座の三つ星を意識しているのなら、
それは「日嗣の神」が、彼の神であることを示しているのでしょう。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

彼の神。
「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」

「住吉三神の底筒男神」

そして「歳神さま」でもあります。

スサノオの子であり、年始に幼児の姿として現れ、 年の終わりに
翁になるという稲穂の神。

生まれ変わりをする神様(人の部分が)でもあるのです。

                     *

新嘗祭の記事を書いた、1年半前、ここに辿り着くとは思いませんでした。
「住吉神」との係わりについて、半信半疑だったのですが。    
          .

住吉神の元宮の「現人神社」は、今、うちの産土神様です。

この”道”は、ようやくたどり着いたこの地が、
私が本当に還りたかった故郷だと教えてくれました。
                            .

(おわり)

2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~

「高良の伝承」には、高良の神は神功皇后と共に「ヰルイ」を退治したとありました。
大根地山に登ったのは、それを確かめる為。
基山の山頂で、気になった方向にあった山だったのです。

大根地山の神功皇后の伝承は、

「白羽熊鷲」というものを鎮める為に「大根地山に神々」を祭ったものでした。

その「白羽熊鷲」が人だった場合、神々を招き、鎮めてもらうことはしないのです。

基本的に「神はヒトゴトには直接手を下さず、カミゴトにも関わらない」。
ARIONの言葉です。

                   *

高良の伝承の「ヰルイ」。
その一つが、「白羽熊鷲」。
「ヰルイ」は、異類。

                   *      

大根地山は、神々を祭ったことで、「守りの要」となりました。

その一帯には、九州きっての難所「冷水峠(ひやみずとうげ)」があります。

その峠が、基山の荒穂神社の伝承と、筑紫神社の伝承(「筑後風土記」)にある、

「基山の東」であり、
「筑前と筑後の険しい峠である「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

そうならば、

「白羽熊鷲」は、筑紫の名の語源となった「命尽くす荒ぶる神」ということになります。

元々の「筑紫の神(荒ぶる神)」が「白羽熊鷲」であるなら、
神功皇后はそこに関わっています。

                           *

「尽くしの荒ぶる神」には、二つの伝承がありました。

「荒穂神社」と、筑紫神社(「筑後風土記」)です。

これは、同じ伝承が元になったものですが、
退治した者の名に違いがあるのです。


「荒穂神社」では、「五十猛命」。
「筑後風土記(筑紫神社)」では、甕依姫(みかよりひめ)。


もしも・・・。
この伝承が同じものならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人で
「荒ぶる神」を退治したことになるのではないか。

その二人とは、誰か。

                        *

二つの神社のご祭神の中に、それぞれの名が残されているはずです。

「荒穂神社」のご祭神は、
 
  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、「荒穂神社」に書いた経緯なら、
一柱以外はすべて「ニギハヤヒ神」と同一とされる神々です。

彼以外の「宝満大神」。
この神は、誰なのか。
それは、筑紫神社のご祭神の中にもありました。
                                                        .

「筑紫神社」の御祭神は、

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと


「筑紫国の国魂神」は高良大社では高良の神でした。
五十猛命と共に「ニギハヤヒ神」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。
この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。
                                            .

「竈門神社」とは、大宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。

荒穂神社の「宝満大神」とは、この神社のご祭神のことです。
                          .

大宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫と神功皇后、八幡大神。

          
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、巫女の称号のことです。
神功皇后も「玉依姫」と言われている一人です。

竈門神社には、ニギハヤヒ神とも同一とされる八幡大神の名もあります。

荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、
共に神功皇后と言えるのではないでしょうか。

ならば、「荒ぶる神」を退治したのは、「ニギハヤヒ神」と「神功皇后」です。


                     *

高良大社の「高良玉垂神秘書」の記述と一致します。

  高良玉垂の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

両神社の「玉依姫」が神功皇后ならば。


二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」の冒頭で、

神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。

と書きましたが、そこに繋がりました。


高良の神は「高良玉垂神」「安曇磯良神」「住吉三神の底筒男神」「月神」。
イソラの名から、「ニギハヤヒ神」と思われます。
(「イソラ神について「神の鉾 3」)

   
                                      *

神功皇后が、両神社の「玉依姫」ならば・・・。

「筑後國風土記」では「甕依姫(みかよりひめ)」が祭祀をして
「荒ぶる神」を鎮めたとありました。

同じ伝承ならば、その「甕依姫(みかよりひめ)」は、
神功皇后のことになります。
                  .

ニギハヤ神の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
彼が祭られている奈良の大神大社のご祭神の名です。

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。

「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。

彼女も神道では「玉依姫」とされています。


両神社の「五十猛命」と、玉依姫である「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」はニギハヤヒ神。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


ニギハヤヒ神の妃は「櫛甕玉姫」である「ミカシヤ姫」・・・。

ならば、「神功皇后」が「ミカシヤ姫」?

                           *

彼らが同一人物と言ってしまうには、無理があるように思います。

朝倉郡にある「大己貴神社」のそばに三輪山がありますが、
あのお山は神功皇后が奈良の三輪山を模して祭ったもの。

その一つをとっても、その時点では「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」は過去の人です。

奈良の三輪山に祭られている大物主ともされている「ニギハヤヒ神」は、
すでに「神としてその山に祭られて」いたのです。

また、高良の「高良玉垂神秘書」にあった高良の神は、
神功皇后の呼びかけにより、大宰府の四王寺山に現れた神の一人。

「高良の神」である住吉の底筒男神と、「神功皇后」。
そして「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」。

これは偶然なのか?
もしも「同じ」ならば、やはり「生まれ変わり」ということになるのか。

私の記憶では、ミカシヤ姫も前の世の名「ヒミカ」という名でも呼ばれていました。
そして、神功皇后は、「卑弥呼」とも比定されているとも記す書もあります。

もしかすると、神功皇后も前の世の記憶があったのでは。
だから、「ヒミカ」と呼ばれたり、「ミカシヤ姫」と呼ばれたりしたのではないか・・・。

そういえば、「ヒミカ」は、「日甕」でもあるのか。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

                      .               .

様々な伝承には、嘘があり、後の世の都合による改変もあります。
 
「五十猛命」やウカノミタマ神にしても、猿田彦神と同じように幾柱かの
神や人の伝承が混ざっているのかと思われます。
例えば、イソ神と伝えられていたところ、似てる名の五十猛命のことだとされたなど。

その絡まった糸のどの部分が「彼」なのかは、私には分かりません。
でも、その中には、真実が必ずあるはず。
また、何が真実なのかは、誰にも分からないのです。


                  *

ですが・・・。

<久しぶり。○度目だな>

と瞑想の中で私に告げた那珂川の「現人神社(住吉の元宮)」にいた神。

それを(視た)時は「何故?」とも思ったのだけど、
「底筒男神」がニギハヤヒならば・・・納得できます。
ようやく腑に落ちました。

                   *

(つづく)


本年は、つたないブログを見て頂いてありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって良い年でありますように!

 

2017年12月 3日 (日)

神の鉾 4 ~星の名~

筑後国一之宮「高良大社」の御祭神は、

高良玉垂命
八幡大神
住吉大神

となっています。
この「高良玉垂神」は、武内宿禰だと言われていますが、
謎のままなのです。

後の世に替えられたのではないかとも言われています。

                       *

では、それは誰なのか・・・。

「高良玉垂神秘書」に、三韓出兵の後の話があります。

高良大社(7)
九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』
(綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」より引用)

***********************************************************

嫡男の日神・表筒男の尊は神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連。
天照大神のひまごという事から付いた名である。
二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。

三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。
地上での名は物部の保連。藤大臣。高良大菩薩。
藤大臣と呼ぶのは、干珠満珠を借りた時の仮の名前。

皇后には九人の御子がいた。
四人は仲哀天皇との間の御子で、五人は高良大菩薩との間の御子である。
合わせて九人の御子を九躰の皇子と言う。

(中略)

1 斯礼賀志命(しれかし)     
2 朝日豊盛命(あさひとよもり) 
3 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
4 渕志命(ふちし)
5 谿上命(たにがみ)
6 那男美命(なをみ)
7 坂本命(さかもと)
8 安志奇命(あしき)
9 安楽應寳秘命(あらをほひめ)


******************************************************************

また、るなさんは、二つの珠について、こう書かれています。

  玉依姫は白玉で潮干珠(しおひるたま)、豊玉姫は赤玉で潮満珠(しおみつたま)、
  その玉を使いこなすのが高良玉垂の神。


   (中略)

  高良玉垂命とは、潮の満ち引きを司る神と言う事になります。  
  人は潮が引くときに、息を引き取ります。潮が満ちる時に生まれます。
  潮の満ち引きは月のなせる技です。
  ですから、月の神様と言われる訳です。
  これが御神徳の「延命長寿」にもつながっていきます。

                                .

二つの玉と「人の生死」。
同じような物が出てくる話がありました。

ニギハヤヒ神がもたらしたという「十種神宝」の中に。
生玉、死返玉というのがあります。
亡くなった人をも蘇らせるという神の宝。

kono87さんが、以前ブログでそれを書かれていました。

  生玉は陽の言霊で潮満玉、
  死返玉は陰の言霊で潮干玉を表してるかもしれません

ニギハヤヒ神は、これらの神宝の使い方を知っていました。
石上神宮には彼が伝えたという、十種神宝の名を唱える祝詞があります。

共通するニギハヤヒの玉と高良の神の珠。
                              .

おそらく、それは同じ物でしょう。
そして、「神の鉾」は、かの神の鉾で間違いないと思います。

そうならば、「高良大社の神」も彼?

                           *

  長男である表筒男神は、神功皇后の妹の豊姫と夫婦になった。

  三男である底筒男神は、神功皇后と夫婦となった。
  底筒男神の地上での名は、物部保連、高良大菩薩。

物部は、ニギハヤヒ神とミカシヤ姫の子、ウマシマジを祖先とする一族の名です。

これまで出てきたいくつもの「鍵」。
どれも、ニギハヤヒ神に結びつけようという意図が見えます。
                         .

  二人の間には5人の子が生まれ、先の仲哀天皇の子4人で、9人の子がいた。

この9人の名の中に神功皇后の御子「応神天皇」の名がありません。
全てが実在していたとも思えませんが。

でも気になる名があります。
一番目?の皇子

斯礼賀志命(しれかし)です。  

「かし」は、(「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味)に
書きましたが、星に関連する名です。

応神天皇の名にはありませんでしたが、
ニギハヤヒ(又の名を「フル」)神とミカシヤ姫の子は、宇摩志麻治。
ウマシマジは、銀河、天の川に由来する名なのではと書いたことがあります。
3人とも「星」に由来する名前なのではないかと。

  「フル」「ウマシマジ」は共に下のリンクへ
  「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~
(「ウマシマジ」という名も多分、後に付けられた名のかもしれません。)

底筒男の筒も、星を表すと、「儺の国の星」で見たこともあります。
そもそも住吉三神は、このブログでも何度か書きましたが、
オリオン座を表すのです。

もしも、底筒男神である高良玉垂の神が、ニギハヤヒならば、
子どもの名も星に纏わる名をつけるのではないかと思うのです。

もしかすると・・・。
応神天皇であるホンダワケが、シレカシという名ならば・・・。

神功皇后は、もしかするとミカシヤ姫の生まれ変わりなのかもしれないと
思っていましたが・・・。

同一人物なのでは?

だとすれば、「ミカシヤ姫と奈良の地で出会ったニギハヤヒ神」と
「住吉の神の一人、底筒男神であり、月神でもあるニギハヤヒ神」も同じ?

同じだと考える方が自然です。

ニギハヤヒ神は、少なくとも「こちら(福岡)」と奈良にいたという伝承が
幾つもあるのです。
                        .                         .

神功皇后がミカシヤ姫で、高良神(住吉神)がニギハヤヒ神ならば、
「夫婦になった」という記述は頷けます。

そういえば、以前、住吉神社の元宮である現人神社の神を、
瞑想の中で見ていました。

(つづく)

2017年11月29日 (水)

神の鉾 1  ~伊野の鉾~

  神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
  持って帰ったという記述があります。


それを「さほさん」のブログで見た時、天啓のようなものがありました。
これは、「あの鉾だ」と。

伊野天照皇太宮の神殿にある鉾です。

Ino06

ここにある鉾が現物ではないかもしれませんが。

このブログにここ最近、何度も書いている彼女は、「5人目の仲間
に登場している人です。
奈良在住で考古学を学んでいたとのことで、あの辺りの神社などにも詳しいようです。

  「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用

******************************************************************

崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。

(中略)

ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。

代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・

******************************************************************

*楯原神社は、大阪府にあります。
*品陀和氣命は、神功皇后の御子、応神天皇のことです。
                                                     .

以前、伊野の天照皇大神宮で、「天疎向津姫命」ではないのではないか、
と感じた違和感の正体。
これが答えなのか、と。

大国主には様々な伝承があり、また長い時の中で統合されてしまったりしていて、
(ほとんどの神がそうですが)
元の神様とかけ離れているかもしれません。

でも私は、大国主が三輪山の神である大物主だと思っています。

三輪の大物主。
それはニギハヤヒです。

先日、伊野の宮に行って、「神問い」をした時に、
その証を見せてくれました。

さほさんのブログのあの記述を見て、伊野のお社の「鉾」が浮かんだので、
周辺の神社に行ったり、神路山に登ったり、
「神問い」をしたのでした。

                        *

やはり、神功皇后にとっての「天照神」は、ニギハヤヒなのか。

そういえば・・・と、そこで思い出したことがありました。
筑紫にある独特の伝承。
筑後一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述を。

(つづく)

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