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神結び (雑感)

2018年10月18日 (木)

日本の真相 5 ~全は一つ~

(「日本の真相 4 ~3人の天皇~」の つづき)


以下、「日本の真相」より要約です
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

********************************************************************

応神天皇が最初の天皇。
それは日本に渡来した真沸流。

真沸流大王は、アークを持っていた秦氏を呼び寄せた。
(秦氏=失われた十支族の流れを汲む流浪の民)
秦氏の渡来は、数回行われた。

真沸流は現在の大分県、宇佐に「豊国」という秦氏の王国を造り、
宇佐八幡宮を建立した。

”八幡”とは”やはた”とも読み、
やはた=イヤハダ=イエフダ=ユダヤであり、ヤハウェなのである。

大王は洗礼を受け、応神天皇となった。

(洗礼を受けた描写が)
宇佐神宮の社伝には、
 ”三角(みすみ)池の笹の上に光り輝く3歳の童子が現れ、
 我は16代誉田天皇広幡麿(ホムダスメラミコトヒロハタマロ)と名乗り、
 黄金の鷹になった”
とある。

三角池とは、薦(こも)八幡宮境内にある薦池(こものいけ)のことで、
三角形の池である。
角=コルン=光という意味があり、3つの角の池とは、3本の光り輝く
柱のある池、という意味になり、「生命の樹」の3本の柱(=絶対三神)が
存在する池となる。

ヤハウェ=八幡神。
「ヤ」は、神を表す。

 

ここから東征。

神武天皇東征伝説に於ける「八咫烏」の導きとは、
真沸流を原始キリスト教に改宗させたエルサレム教団の秦氏のことであり、
勝利をもたらした「金鵄」とは、光り輝きながら降臨したイエス=ヤハウェの
ことである。

こうして応神天皇は「契約の箱アークと十戒石板」「マナの壺」「アロンの杖」
を手中に収め、イスラエル十二支族を象徴するヘブライ語
”ヤマトゥ”に因んで大和朝廷を開いたのである。

 

これで、ヤハウェ=イエス=天之御中主神=天照大神となった。
神道とは、天照大神=イエス・キリストを唯一神とする絶対神崇拝なのである。

 

******************************************************************

何だろう。
ユダヤ教やイスラム教やキリスト教に少しも拒否反応はないのだけれど。
そうだと言われると何か違うと感じる。

(”卑弥呼”が200年代、こちらの伝承では神功皇后もそれに重なるいう
話もあり、大和朝廷の時代ほど後なのかなとも思いますが)

                  .

そう思いながらここ数日。
山に登ってる途中でARIONの言葉が浮かびました。
(多分、登山の途中で瞑想状態になってると思う)

                           *

「我々のコード・ネームは「光」

明けの明星 金星の覇者」

                        .

「光よりの光、オリオンの最上の帯としての光より来たりて伝える」
                                                      .

ギリシャ時代にはポセイドン [ネプチューン] (*海の神)
父としたエネルギーで在り続け、

拝火教 [ゾロアスター教] においてはアフラ・マズダとして在った天使、

東洋においては観世音菩薩、弁財天の本流として在る天使。

日本においては高天ケ原系列の天子、

つまりイザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の

天の御使 [アメノミツカイ] として在る。 」

                        *

そうか、その「全て」であるのだ、と。

ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、その全てであり、
全てを内包し、それを越えた所に在るもの。

それが「神」


ヤハウェが「神」の名なのではなく、

「神」の名の一つが「ヤハウェ」。

多分、「神」は唯一のもので、誰がどう呼んでもそこへ行きつく。
だから、「天照がヤハウェ」なんだ。

これも「全は一つ」。

「全は一、一は全」
一人一人の中に在る神。
浮かぶ姿形は違えどもみな同じ神。

道端の石にも木々の中にも一輪の花の中にも、それは在って。
それが日本の八百万の神。

それは実は「唯一絶対神」と同じものなんだ。

それも宇宙の真理。

                            .

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2018年10月15日 (月)

高良大社 * 神幸祭 ~福岡県久留米市~

昨日は高良大社の神幸祭でした。
昔は50年に一度、近年は5年に一度の祭りです。

天気は快晴!
                      .

Koura306                                          .
6時前に家を出て着いたのが7時過ぎ。
高良山の頂上にある公園の駐車場に車を止めて、8時過ぎに下山。
中腹にある大社では、神事が始まっていました。
                       .Koura302                                                 .
お社の中に入れた神輿に御魂移し。
Koura304                                             .
ほんとにいい天気!
大社からの眺めです。
久留米の街が一望。
向かいの山は脊振山系です。
 Koura303                       .
神輿が出てきました。
担がれているのは自衛隊の方々だそうです!
頼もしい~!

春になると高良の山の車道を一気に駆け上がる訓練をされてます。
それもすっかり恒例行事。
                                    .Koura308                                    .
トラックに神輿を載せて、麓まではこれで運びます。
さすがに危ないですからね~。
ってことは、トラックが下に着くまでにうちらも下山しないと!
                 .
Koura305                                  .
神様出張中のお宮を参拝。
気配を感じたので、「すべて」行かれるわけではないようです。

気配と言えば、担がれた神輿が側を通った時、
一瞬、くらっとするくらいの強い干渉がありました。
この時だけだったので、何か分からないのがもどかしい。

トラックを見送った後、山道を一気に下山。
ほぼ石段の比較的整備された道なので、そこそこ歩きやすいです。

Koura307                                            .
山道途中にある「式内伊勢天照御祖神社」
ここにも参拝。

いつもは40分はかかる道を20分で下山。
麓の鳥居に着いたらほどなく、トラックが降りてきました。
             .
少し先の小学校の前辺りでは、隊列を組んで大勢の人が待っていました。
 .Koura309                                                   .
神輿を台車に載せて、出発です。
9時始まりで、縁のある神社を巡って町を練り歩き、15時まで。

今回は娘と行ったので、どうするか聞いたら、最後まで行くと。
そんなに体力ない(宝満山が6時間(うちの倍)かかる!)ので、
多分1時間付いていくくらいがいいところかと。
                            .
Koura310                                                .
神輿は人が引いてる時が一番輝いてる(台車に載ってても)。
屋根の神紋は高良玉垂神の紋。
八幡神と住吉の神の神紋も施されているそうです。
                      .
ほどなく、初めの休憩地点でもある、味水御井(うましみずみい)神社へ。
              .
Koura311                          .
念願の兜に会えました。

右手前が「高良玉垂神(木瓜・もくこう)の兜」
左手前が「八幡神(右三つ巴)の兜」
奥が「住吉神(五・七桐)の兜」です。

「現人神社」の神紋は三つ巴。
住吉の神さまですが、八幡さまと同じです。
                        .
Koura312                               .
ここで青空のもと、神事。

あれ?いつの間にかど真ん中にいる^^;

この神事が終わった辺りで10時半。
娘がもういいよと満足げなので、帰ることに。
うちも兜見られたし、神事も堪能したので大満足。
                       .Koura313                      .
隊列より先に次の神社へ行って、そこから高良山を登ります。
皆さん、ありがと~!
                    .
Koura314                                                    .
高良御子神社(通称、坂本神社)。
前回、来た時にスマホのバッテリー切れで写真が撮れなかったところです。
また来るねと思ってたのが、こんなに早く来られるとは。
                          .
Koura317                       .
高良大神と神功皇后との御子、九人が祀られています。
九体皇子。

Koura319                          .
                                         (クリックすると拡大されます)
Koura320                                                  .
神輿が階段下に到着。
ここで折り返して、次の神社に向かうようです。
                        .
Koura323                   .
境内にある別の宮。    
                    .
Koura322                                           .
                            
「高良御子神社境内社」

ご祭神は大己貴命(大国主命) 少彦名命。

大己貴命は、ニギハヤヒです。
天照神を祀るお社もあります。
                   .
ここから、山道を登山。
正面参道と違ってこちらはほんとの山道。
                                      .Koura324                                               .
不動明王像。
高良山も全体が霊山でした。
                                               .Koura325                                                     .
Koura326                                                   .
中腹の高良大社に着きました。
ここで力尽きた娘。
待っててもらって、うちだけ頂上の公園にある車を取りに行くことに。
                      .
Koura329_2                                  .
上に行く前に。
お社の裏にあるお宮が開いていて、他の神輿が見られました。
                        .
Koura330                     .
住吉さんのお神輿。
神紋が「五・七の桐」
                  .
Koura331                                                 .
八幡さまのお神輿。
神紋が「右三つ巴」
              .
そして今お出かけ中の高良玉垂神のお神輿の神紋は、
「竜の丸と横木瓜」

あれも神紋だったのか!
朝、くらっときたのは、お神輿の壁にあったその「模様の竜」と「目が合った」時。
                       .Koura332                                      .
お社の側にある神籠石(かごめいし)。
後はひたすら車道を走り、頂上へ。
Koura333                   .
途中の奥の院の鳥居。
娘を待たせてるし、距離があるので今日はパス。
                  .
Koura335                                                   .
それでも頂上には立ち寄る。
高良山山頂312M。


5年に一度の神幸祭。
ほんとは去年開催予定だったのですが、改修工事があった為に今年になりました。
去年ですと知らなかったので見られてませんでした。


                 *

高良神と神功皇后が暮らしたという高良山。

やはり、高良の神は饒速日命?
神功皇后はミカシヤ姫・・・ヒミカなのか?

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2018年10月11日 (木)

日本の真相 4 ~3人の天皇~

(「日本の真相 3.5 番外 ~神との婚姻~」)の続きです。
                .

”真人は是、皇別の上氏なり”
天皇の姓は”真氏”

真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)であり、
”誉田(ホムタ)天皇より出づ”

応神天皇が真人であり、それ以前の天皇は架空。


               *

”彼ら”が大陸から渡って来た”秦氏(中国の人達がいう流浪の民=騎馬民族)”
ならば、「応神天皇」は饒速日命か、その皇子か。
                                            .

以下、「日本の真相」より要約です
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

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(3)大和朝廷 (続き)


☆神武と崇神と応神と。

神武の東征は、豊国の宇沙(大分県宇佐市)を経て筑紫へ。
それから瀬戸内海沿いに東上して、安芸の国(広島辺り)と吉備(岡山県)、
浪速(なみはや=難波)と進み、河内(大阪府)の
星雲の白肩津(しらかたつ)という川原に停泊。

九州生まれの15代応神天皇も、まったく同じ経路を辿って畿内に入り、
大和朝廷を開く。

神話に於ける”生まれ”とは、「その国に初めて登場した」という意味もある。(*後に)

                    *

神武の倭風諡号は、始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)

それを同名の倭風諡号を持つ天皇が、御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)
=崇神天皇(第10代)=御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)
が居る。

崇神天皇は、応神天皇と同じ伽耶(加羅、伽羅)から渡来したとある。
記紀では半島の任
那から渡来したとあるが、任那という国は存在しない。
任=大王、那=国、キ=城であり、「ミマキイリ=大王の城から来た」という意味。

神武と崇神の話はあまりにも神話的であり、韓風諡号でも
「神」という字が共通して使われていることから、神とみなして同一人物と考えられる。

応神は最初の天皇で「現人(あらひとがみ)」、すなわち半分は神であるから
例外として扱うことができ、神武と崇神と同一視することができる。

                                     *

また神武が熊野で救われた神剣「布都(フツ)御魂」は石上神宮に
「布都御魂大神」として祀られている。
その「石上神宮」には、天孫一ニギハヤヒが携えてきた十種神宝が
「布留(フル)御魂大神」として祀られている。

「多次元同時存在の法則」により、
神武=フツ=ニギハヤヒ=フル=沸流=応神となる。

実際、神武は天皇になるまでの話、崇神は天皇になってからの話しかないと
言ってよく、2人合わせて一人の天皇、といった感がある。

そして、神武ー崇神ー応神の3天皇は、古代天皇の中で、別格的に扱われている。



*********************************************************************

この方は、「神武=フツ=ニギハヤヒ=フル=沸流=応神」とし、
「(応神天皇の)生まれとはその国に初めて登場した意味がある」というのは、
全てを同一人物にされているから。


ARIONが言う
沸流は、「スサノオの父フツの曽祖父に当たる男」であり、
フツは、「スサノオの父フツ」
フルは「ニギハヤヒ(スサノオの子)」だと思われます。
(すべてを同一にするには、時間的にも無理があるような)

とすれば、「神武=ニギハヤヒ=フル=応神」。

さらに記紀の「九州生まれの応神」は、
ニギハヤヒと、その皇子とを一緒くたにしているのだと思われます。
(意図的なものかどうかは分かりません)


崇神天皇(第10代)=御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)
この倭風諡号の中に「五十」の名があります。

「五十」は「イソ」
(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)

に記しましたが、イソノカミである「磯の神」ニギハヤヒを差します。
石上神宮は「イソノカミ」神宮であり、
伊勢神宮も元は「磯宮(イソミヤ”)」と呼ばれていました。

崇神天皇の名は、饒速日命を示唆していると思われます。


また、那珂川市の住吉の元宮「現人神社」の住吉神は饒速日命。
「人(神功皇后)の前に初めて姿を現した」からというその名。

そのまま、彼が最初の天皇である「現人神」であったからなのかもしれません。

地元では「あらひとさん」と呼ばれています。
彼はここに本当に存在していたのかもしれません。

やはり、そうだったのか、という気持ちです。
                  .

( つづく )

*福岡県久留米市の高良大社の「高良大祭」(5年に1度)が
 次の日曜日(10月14日)に。
*那珂川市の「現人神社の流鏑馬」が10月21日に15時からあります。
 (車はミリカローデンの駐車場へ)    

       .

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2018年10月 9日 (火)

日本の真相 3.5 番外 ~神との婚姻~

( 日本の真相 3 ~マナの壺~ の続き)


この回は、ここまでの私の考察です。

「真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)」
それが初代、天皇である応神天皇の名。


そして、「日本の真相 2」にある”騎馬民族”秦氏”の王、真沸流が、
東シナ海を渡って九州物部王朝に渡来”し、
彼が、ARIONが言う
”紀元前の話、スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男は
海路で日本へ向けて行くグループの首領”

ならば・・・。

饒速日命。
彼こそ、初代天皇だと思います。
         (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
         (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)  
         .
応神天皇の母は、オキナガタラシヒメである神功皇后。
饒速日命が初代天皇ならば、彼女はその妃、ミカシヤ姫になる。


ならば、「応神天皇」は二人の皇子というウマシマジ命か。
それとも、親子でその名を継いだのか。

または、饒速日命自身で、後の世に「神功皇后の子」という位置づけにされたか。


                       *
                  .

ミカシヤ姫は、大和、奈良にて天の鳥船で飛来した饒速日命と出会い、
后となっていました。
確かに饒速日命は「北部九州から大和へ」やってきて、
ミカシヤ姫と「大和で出会っていた」のです。
         (「古代奈良の夢  ~前世 4~)」


・・・そうか。

ミカシヤ姫が神功皇后ならば、それ以後は、
「神功皇后」としての伝承とされたのでしょう。
                 .

”神功皇后は、九州北部へと「熊襲」を退治しに行きます。
 そこで夫である「仲哀天皇」は、神託を信じずに崩御します。

 その時、すでにお腹に子を宿していました。”

それが誉田別命。
後の応神天皇です。

一説では、その子は神託で現れた神、住吉神の子とも言われています。

住吉の神は、高良の神である饒速日神。

こちらにある高良の伝承には、住吉の神と神功皇后は夫婦だとあります。
その神は饒速日神だと辿り着きました。
         (「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
         (「神の鉾 4 ~星の名~」)
         (「神の鉾 5 ~現人の神と奇瑞~」)  
    .
・・・「仲哀天皇」が、始めから架空のものであったとしたら。

伝承の中での神功皇后と住吉の神との強い繋がりもうなずけます。


                 *

また、日本書記では神功皇后を「魏志倭人伝」の「卑弥呼」になぞらえてました。

こちらの伝承から、二人(神功皇后とミカシヤ姫)は「日甕」、ヒミカではないかと。
          (「高良の神と日甕」)

櫛甕玉比古とも呼ばれる彼。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
彼が後世において「神」とされていたのなら。

古来、神との婚姻は、人のそれと同じとはみなされません。

ヒミカは「神に仕える巫女」として独身のまま、神と添い遂げることになるのです。
                  .

                       .

また、神功皇后の妹とされている豊玉姫。
卑弥呼の宗女(後継ぎ)とされたトヨ。

(ヒミカには血の繋がっていない弟がいました。
 高良の伝承にある神功皇后と住吉の神との子9人は(本当にいたとしたら)、
 その子達も含まれているのだと思われます)

この二人は同一人物なのかもしれません。
ミカシヤ姫と神功皇后がそうであったように。

トヨが後継ぎならば、饒速日命達の子、ウマシマジ命(二代目応神天皇)と
婚姻したということになるでしょう。

もしかすると、北部九州から大和へ向かった「神武天皇」とされる人は、
こちらの方なのかもしれません。
(一度目は饒速日命、二度目のこと)

伝承の神武天皇は大物主(饒速日命)と縁のあるヒメタタライスケヨリヒメを
后としているのです。


・・・もしかすると魏志倭人伝が記す「(卑弥呼死すの後の)倭国争乱」の時に
大和に入ったのがこの二人なのかもしれません。


*書物や伝承により、様々な「年代」が設定されていますが、
今の段階に於いて、確かなものは無いように思います。

高良の伝承や香椎宮の伝承では、「三韓征伐は200年代初め」頃とあり、
卑弥呼が使者を送ったという年代と近いのではと思います。
(そもそも「三韓征伐は無かったのではないか」とは思いますが)

                 *
                   .

では、何故、饒速日命がそのまま”初代天皇”であってはいけなかったのか。  
天皇家は初代天皇である饒速日命の直系ではないということか。

しかし、その妃ヒミカであるミカシヤ姫が、仲哀天皇の后、神功皇后とされていた・・・。

「応神天皇」が饒速日命であるか、饒速日命とミカシヤ姫の子ならば、
天皇家はそのまま「直系」でよいはず・・・。

                
・・・おそらく「初代天皇」は、その存在がARIONが言うところの
「先に日本に着いたという一族の方」にしたかったのでしょう。

それでも、応神天皇が、天皇家の直系であるということは外せない。

それが記紀の存在理由かと思うのです。

                  *                 

こちら(福岡)に来たあと、仲哀天皇は住吉の神により崩御されます。

その後、神功皇后は住吉の神と行動を共にします。
(この後の武内の宿禰の(超人的な)伝承は、住吉の神によるものだと思われます)

住吉の神が饒速日命であるのなら、高良玉垂の神秘書の記述や
こちらの伝承が、二人を知る上では一番真実に近かったのかもしれません。

                 *

ではなぜ、「彼ら」の存在自体を消してしまうことはできなかったのか。

記紀などの伝承は、饒速日命との縁をほのめかしています。

☆「東遷してきた神武天皇」は、姫踏鞴五十鈴姫命と婚姻しています。
 彼女は、事代主と三島溝咋姫(玉櫛姫)との娘。
 三島溝咋姫の父が三島溝咋耳命、さらにその父が大山祇。
 大山祇の神は九州から来たとされ、三島の名も饒速日命に深く係わりがあります)
         (「三島神社 ~奈良県~」)
 また、櫛玉姫は、饒速日命の后、ミカシヤ姫の名でもあります。
         (「櫛玉比女命神社  ~奈良県~」)
  
 古事記では、三輪山の大物主と、セヤダタラ姫との娘、
 ヒメタタライスケヨリ姫。
 三輪の大物主は饒速日命。
 
       ということは、父は大物主である饒速日命、
       母は三島溝咋姫(玉櫛姫)であるミカシヤ姫だと示唆しているのでは。
       ミカシヤ姫が三島。

       この二人の娘が(血の繋がりが無い)、神功皇后の妹ともされる豊玉姫、
       トヨか。
       
       
☆仲哀天皇は大活躍をしたヤマトタケルノミコトの子とされています。
 神功皇后を后とし、北部九州への熊襲征伐の前に崩御。
 神功皇后には、応神天皇が宿る。

 そして三韓征伐の折、住吉の神と出会う。
 住吉の神は饒速日神。


饒速日神のように各地に伝承(婚姻譚含む)を広め(あるいは作り上げ)、
各地の正統性を誇示する必要があったのかもしれません。

また、各地にはそれぞれの伝承があり、それぞれに活躍した人達がいた。
その人達が天皇家と縁のある人達とし、その生きた証を残しておきたかった
のではないかとも思うのです。

                     *

「存在を消してしまわなかった理由」

それはおそらく、彼らが神に匹敵する(と当時の人が思う)力を
有していたからなのかもしれません。

また、後世まで、その存在を留めておかなければならなかった
理由があったのかもしれません。

那珂川市にある住吉の元宮「現人神社」の神は住吉神。
現人の神は、大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう神と言われています。
即ち、再来する神。
そうでした。
歳神さまも稲の様に季節の巡りにより生まれ変わりをする神。

ARIONは、確かに「饒速日命の再来」を待ち望んでいました。


               *

そうか。
現人の神(住吉神)も歳神もニギハヤヒ。
再来、生まれ変わりをする神。

そう伝わっているのなら・・・。

重要なのは、「神の血脈」なのではなく、その「魂そのもの」。

それが、「ニギハヤヒ」達が、否定され続けた本当の理由なのではないか。

                .
                    .
次回は、日本の真相」に戻ります。
                    .

( つづく )

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2018年10月 6日 (土)

日本の真相 3 ~マナの壺~

( 日本の真相 2 ~同化~ の続き )


「日本の真相」は、この後、イスラエル教やヤハウェに関すると思われる
「契約の箱アーク」「アロンの杖」「マナの壺」
の名が出てきます。

もしかすると、そのものの性質(または暗示)を表しているのかとも思います。

                  *

例えば「マナの壺」

マナは神の食べ物。
壺は甕。
神への供え物をする器。

その「マナの壺」は籠神社にあった・・・という記述を前に目にしました。


京都、籠神社のご祭神は天火明神。
(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

に書きましたが、海の満ち引きを操る玉を持つ月神でもあり、
外宮の宇迦之魂神でした。
外宮のウカの神は、内宮の神に食べ物を供える神。

稲荷神にあり、歳神さまです。
歳神、オオトシの神は、ニギハヤヒ。
天火明神です。

そして、天照国照饒速日神である、天照。
月神であり、内宮の日神でもある神。

日月の神であるウシトラコンジンの神。

ニギハヤヒには、櫛甕玉饒速日神の名がありました。
ニギハヤヒは八幡さま。
八幡さまは、ヤハウェに繋がる。


「マナの壺」
それが神の食べ物を捧げる器、甕であるなら、それが暗示するものは。

                *
                               .

様々な事柄が、ある時は何かの例えとして、ある時は象徴として、
言葉遊びのように隠され、繋がっていると感じてます。

その事柄が、何を示しているのか。
それは「表に現れている名や事象」をただ見ているだけでは得られないと思います。

引っかかる箇所はありますが、

以下、「日本の真相」より要約です
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

****************************************************************

(3)大和朝廷

 

失われた十支族の流れを汲む騎馬民族(*秦氏と呼ばれる)の大王、
真沸流が東シナ海を渡って九州物部王朝に渡来した。

そこで、真沸流は婿入りし、物部王朝の大王となる。
すなわち、絶対神ヤハウェ=天之御中主神となる。
すんなり婿入りしたのは、同族ということと、ユダヤの三種の神器の一つを
持っていたから。

古代物部王朝で、海部氏と尾張氏の勢力が強かったのは、
彼らが「マナの壺」と「アロンの杖」のどちらか、あるいは両方を持っていたため。
そこへ、真沸流がもう一つの神器を持ってきたから。

もともと騎馬民族は信仰心が薄く、宗教にはこだわらなかった。
しかし彼らの出自であるヤハウェ信仰のことだけは忘れていなかった。
よってヤハウェ信仰の物部氏にそのまま婿入りすることができた。

尾張氏が「アロンの杖」を持っており、そこに真沸流が「マナの壺」を
持ってきたと考えるのが自然である。
 

「マナの壺」は失われた十支族の中のガド族が継承したという言い伝えがある。
ガド族に、ヘブライ語で~出身という意味がある「ミ」を付けると「ミガド」
すなわち「ミカド=帝」であり、天皇のことである。
よって、真沸流はガド出身であり、「マナの壺」を持っていたので騎馬民族の
大王たることができた。

そして古代物部王朝に婿入りし、最初の天皇”応神天皇”となった。
それ故、応神に続く天皇陵は、巨大な「マナの壺」の形をしているのである。

日本の出自を記した「新選姓氏録」の序文には、
”真人は是、皇別の上氏なり”とあり、天皇の姓は”真氏”であるとしている。
天皇家にも姓があったのである。

また、真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)であり、
”誉田(ホムダ)天皇より出づ”とある。
誉田天皇とは、第15代応神天皇のことである。

つまり、応神天皇は真氏であり、それ以前の天皇は架空ということになる。

                                              (以上、意味が分からなくなるのでほぼ引用)

****************************************************************

ヤハウェという絶対神の存在。
それは、「唯一無二」のもの。

しかし裏を返せば、「この者が神である」と疑いなく思う事が出来たのなら、
その存在を「唯一神、ヤハウェである」と受け入れることができるということです。

そのものが別の土地での神(例えば)「天之御中主神」と呼ばれるものならば、
「天之御中主神」という名で呼ばれることにもなるのです。


九州に先にいた物部氏に婿入りした「真沸流」
これはARIONの話とよく似ています。
(物部、尾張、などの名もこの頃にあったとは思えませんが、それには
 とらわれずに進みます)

(「儺の国の星」~物部一族とARION~」)
から 日本の真相 2 のARION語録の引用の続きです。

*************************************************************

 スサノオの父フツは出雲でスサノオを生んだんだよ。
陸路で先に入っていた仲間はイザナミ・イザナギと呼ばれる人々が有名だね?
彼らはヤマト原人を制定し、九州に強い国を築き始めていた。
そして海路のグループが携えて来た、いわゆる『十種の神宝』を要求していた。
何故ならば、この神宝を持つ者が日本のスメラとなる事が決まっていたからだよ。

そこで首領の血を引くフツはスサノオを諸国制定の雄として
送り出すことにしたんだ。
その頃、九州にはイザナミ・イザナギの国があった。
彼らの長女はアマテラスという名前の、たいそう賢く強い女性だった。

 フツの死後、スサノオは彼の器量を全て受け継いで生まれた第5子のトシを
伴い九州を制覇にかかっていた。
イザナギ・イザナミはスサノオの強大な力と知恵に恐れを成して、
娘であるアマテラスをスサノオに差し出すことによって同盟を申し出てきた。
アマテラスは既に結婚してはいたが当時には一夫一婦制の掟はなかったので
スサノオとの婚儀には問題はなかったんだよ。

************************************************************

二つの話には違いがあります。
*「日本の真相」の”そこで、真沸流は婿入りし、物部王朝の大王となる。”
*ARIONが言う”九州王朝がスサノオにアマテラスを差しだした

ARIONの言葉が近いとすれば、
「日本の真相」の方は、幾つかの話が混ざっているのかもしれません。

スサノオの父はフツ。
すでに真沸流から代替わりをしていたのだと思われます。
「日本の真相」にある、この辺りの「応神天皇」は騎馬民族の王、
真沸流ではないのです。

そして、彼らに近い人物がもう一人、土地の人と縁を結んでいます。
大和に天の鳥船で飛来したという「饒速日命」
スサノオの第5王子だという「トシ」です。

ARIONはこのように続けてます。

 スサノオ、トシの親子は九州を制覇し瀬戸内海沿岸を制覇した。
成人し経験を積んだトシはオオトシと呼ばれる様になっていた。
既に年を取っていたスサノオはオオトシに『十種の神宝』を手渡し、
ヤマトの国に入る様に伝えた。

 ヤマトの豪族ナガスネヒコはスサノオ親子との親睦を深める為に、
彼の妹をオオトシに差し出した。


オオトシさま。
大歳神、稲荷神、宇迦之御魂神でもあるニギハヤヒ命。

この上記にある「マナの壺」に通じます。


おそらく、九州王朝と縁を結んだのはスサノオ。
大和の地と縁を結んだのが饒速日命だと思われます。

                      *


「真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)」
それが初代、天皇である応神天皇の名。

饒速日命。
彼もまた、初代天皇と言われています。

二人は同一人物か。

ずっと疑問だったのですが、八幡の神は誉田別命である応神天皇とされています。
しかし、宇佐神宮の伝承には「我は饒速日神である」という記述があります。

もしかすると「応神天皇」は、饒速日命でもあり、誉田別命でもあった。
二人は親子であり、「応神天皇」の名をその子、誉田別命が継いだ。
ということかもしれません。

                 *

そして、ここに来て出た「オキナガ」の名。

オキナガ姓がつく人が他にもいました。
オキナガタラシヒメ。

応神天皇の母、神功皇后です。

夫婦でも親でも「オキナガ」の姓は同じです。

ならば、誉田別命の母、神功皇后は、
饒速日命の妃であるミカシヤ姫、だということにもなります。



( つづく )

            .

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2018年9月27日 (木)

日本の真相 2 ~同化~

(「日本の真相 1」 の続き)

お社や神道の等の成りたちにイスラム人やイスラム教が関わっているのは、
大いにあると思います。
失われた十支族の方々が日本に流入したということも。

ただ、「饒速日命」らに関すること、彼らが保有していたとされる、
十種神宝のことはARIONの方が近いような気がします。
      (「儺の国の星」~物部一族とARION~」)

どの部分が「真実か、そうでないのか」は私には分かりません。
でも「日本の真相」の中に確かに真実が見え隠れするのです。


「どちらが真実か」「どこが本物か」
そんなことは本当はどうでもいいことなのかもしれません。
日本は融合の民族なのですから。

ただ、どこかにある真相を少しでも覗けたらと、思うのです。

以下、「日本の真相」より要約
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

*************************************************************

(2)秦氏の起原

古代物部氏は、海のシルクロードを渡ってきた、失われた十支族の一部の者達。

これと同じく、陸のシルクロードを渡って来たのが、秦氏。

秦氏は朝鮮半島からの渡来人であり(*朝鮮半島を経由しての意味)
土木工事や鉄器製造、機織りなどに優れた殖産豪族であることは知られている。

秦氏は弓月君(ゆづきのきみ)に率いられて渡来したと言われている。
その為か、彼らが関係する所は”月”に関する名前が多く見受けられる。
月読命を祀る月読神社は秦氏の創建である。

☆秦氏は何者か。 

北朝イスラエルが滅亡後、十支族は歴史から姿を消す。
彼らは「マナの壺」と「アロンの杖」を携えていた。
彼らは遊牧民と同化し、次第に極東方面へと達する。

BC2世紀ごろには東北アジアへ。
やがて騎馬民族「扶余、夫余」が出現。
その大王の名が「解夫婁(ヘブル)」

彼らは朝鮮半島に達し、高句麗を建国。
後に百済、新羅、伽耶になる。
これらのことは「三国史記」の「百済本記」にある。

百済の県国神話。
大王「解夫婁(ヘブル)」には朱蒙(シュモウ)という息子がいた。
彼には息子が二人、兄が沸流(フル)、弟が温祚(オンソ)。
フルは海側にオンソは内陸に国を造った。
オンソの国は百済へと発展。
フルの土地は痩せて衰退、これに恥じ、自殺。

だが、「百済本記」には始祖はフルとも記されている。
古代の半島では、死んだことになっているのは、他の国へ
行ってしまった場合が多い。

百済王家の姓は、解氏と真氏。出自は扶余族。
つまり、流れてきた(失われた十支族)遊牧民族の末裔。

当時、騎馬民族はまとめて”秦人=流浪の民”と中国から呼ばれていた。
解氏は繁栄、真氏は滅びる。解氏はオンソ、真氏はフル。
解氏の解は解夫婁氏の”解”。


☆もう一方の南朝イスラエルの行方。
天山山麓の麓に弓月王(ゆんず)国=三日月王国があり、
弓月城(くるじゃ)とも言われる国があった。

この国は、夜も製鉄の火の灯りが消えないハイテク国。
鉄は製鉄はシュメールからヒッタイトへと受け継がれた。
当時夜に光が無かったことから神の国とみなされ、”天山”と言われた。
ヘブライ語でここの地名は”ヤマトゥ”と呼ばれ、”神の民”の意味。
イスラエルの十二支族を象徴する。
ヤマトの語源でもある。
(この地にも”失われた十支族”がきていた)



☆南朝ユダ王国も滅亡寸前に脱出していた。
一族は失われた十支族を追ってシルクロードへ。
「契約の箱アーク」を携えていた。
シルクロードを東征、ヤマトゥの地へ。
そこで元々いたシュメール~ヒッタイトの末裔と同化。
製鉄製造、土木工事、芸術などの高度な文化を受け継ぐ。

やがて中国へ。
中国は彼らの姓を”秦氏”とした。
先程の様に”流浪の民”の意味がある。

彼らは十支族の後を追う。
やがて朝鮮半島に達し、流れを汲む扶余族と合流。
南下して伽耶へ。
新羅の様式を継承した。


☆4世紀頃、中国が台頭すると、それに高句麗が抵抗。
半島が動乱に巻き込まれる。
この頃の伽耶は小国だったので(新羅と百済に挟まれた)
海を隔てた九州物部王朝と同盟を結んでいた。

この動乱を機に、伽耶にいた十支族の流れを汲む騎馬民族が
九州物部王朝に渡来。
その大王こそが、伝説上で海側に国を造ったが衰退し自殺したと
言われている、フル、真沸流。


☆秦氏は弓月君に率いられて来日したとあるが、この人物は存在せず、
”秦氏を表す象徴”
これは、弓月王国に由来するもの。
京都・太秦、広隆寺の側にある大酒神社では、秦氏の首長として、
秦酒公、秦の始皇帝と共に弓月君が祀られている。
ここでは「ゆんずのきみ」と読ませており、弓月王国に由来していることが
解る。秦の始皇帝はカモフラージュである。

(要約おわり)
***********************************************************

秦氏。
それが遊牧民族を表し、近東から流れてきた”彼ら”を表すのならば、
物部氏の先祖は”秦氏”でもあったのでしょう。

(「儺の国の星」~物部一族とARION~」)

このリンク先の記事にありますが、「儺の国の星」の著者、
真鍋大覚氏も「物部の先祖は近東にあった」と記しています。
そのことはほぼ間違いないと思います。
                     .

また、ARIONは 「日本の神話」の時代に描かれている「アメクモ族」は、
銀河系の遥か彼方からやって来た種族だとしています。

彼らはアジア中央高原(パミール高原)に降り立った。
そこから海路と陸路で渡って行った。

紀元前の話、スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男は
海路で日本へ向けて行くグループの首領。

陸路で渡ったグループは先に日本に到着。
海路で渡ったグループは東南アジアから朝鮮に渡り、壱岐、出雲へ。

陸路で先に入ったグループは北部九州へ(イザナミ、イザナギ)。
後にやってきた海路のグループが携えてきた「十種神宝」を要求した。


                    *

*ARIONが言う「スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男」が上記の
九州物部王朝を築いたという「フル、真沸流」か。
(ニギハヤヒもフルとされていますが、先祖の名を付けるのはよくあることです)

上記の話(日本の真相)では百済の建国の成り立ちにいるフル。
百済の建国神話は紀元前18年とされています。
やはり紀元前のことであり、上記の「九州物部王朝」の大王とは、
このフルのことでしょうか。


*スサノオを始めとする出雲族は、製鉄や様々な高い技術を持っていたそうです。
後にニギヤハヒが北部九州へ渡り、この一帯を治めますが、その痕跡が
あるとみています。

(那珂川町にある那珂川にあった一の堰の構造は、
出雲族の踏鞴の地下構造と同じだったそうです。
また、側にある小高い丘の上にある風早神社には、鉄を精製した跡があるそうです)


また、シュメール人も高い製鉄技術を持っていました。
彼らには謎が多く、ある時突然現れて、高い数学的知識、芸術、
天文、裁判の仕組みなどをすでに有していたそうです。
「シュメール」からスメル、統めるという言葉が生まれ、スメラノミコトの
語源となったのではないかとも言われています。

宇宙人ではないかとも言われているシュメール人。
ARION達のいう「アメクモ族」と関わりがあるのかもしれません。

そして、行く先々で「同化」していったのだと思われます。
「同化」し、流浪の民・秦氏となり、日本へ流れ着いた。


*そう言えば、福岡にあるもう一つの「現人神社」に祀られている神、
「ツヌガアラヒト」は新羅からアカル姫を追って日本に来たとされる王子と
されています。
神功皇后の母方の祖先ともされるその王子。
この辺りの伝説も上記の「フル」なのかもしれません。
神功皇后の名は「オキナガタラヒメ」ともされています。

(つづく)

                 .

*上の「日本の真相」は要約で、かなり端折ってます。
全文ご覧になりたい方は、上の方のリンク先へお願いします。
(そこに記載されている事自体、幾人か(飛鳥氏)の考察が混ざってるものだそうです)

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2018年9月21日 (金)

日本の真相 1 ~物部王朝~

(「黒い影とペトログラフ 3 ~ナーガ・道しるべ~」のつづき)


最近、ネットでこんなPDFを見つけました。
何を検索しててヒットしたのか覚えていないのですが。

著者の方のお名前が分かりません。
リンクをしますので、御存じの方がいらしたら教えてください。

「日本の真相」
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

この中で今までの自分の考察と符合すると思われるものの一部を、
引用または要約していきます。
(書かれてあることの全てが真実であるということもないと思います)

                     .
                                                      (以下、要約)
                           .
****************************************************

「日本には物部王朝があった」

(1)古代物部王朝と籠神社

古代日本は、物部王国であった。
彼らは、海のシルクロードを渡って来たイスラエルの失われた
十支族の中の一部の者達。

籠神社(京都)の謂われは、次のようにある。

両大神(豊受大神と天照大神)が伊勢にお遷りの後、天孫・天火明命
(アメノホアカリノミコト)を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、
元伊勢の社として、又丹後一国一之宮として朝野の崇敬を集めてきた。

秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、
その御祖の大神(鴨)も併せ祀られているとも伝えられる。

 天火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及び
丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国造りの
祖神。

又別の古伝に依れば、十種神宝(天祖から賜った剣などの十種類の
御神宝のことで、物部の長が持つ印)を將来された
天照国照天火明櫛玉饒速日命であると伝える。

              .

最初に祀られていたのは豊受大神。
豊受大神=宇迦御魂である。
それはお稲荷さんであり、このお社は天照大神神仰ではなく元は、
お稲荷さんだった。

上記のは表に出せる「公式な極秘伝」
裏の極秘伝には、こうある。

本来の主神は「天之御中主神」。
豊受大神=天之御中主神

伊勢の神社とイスラエルの神殿の構造は全く同じ。

「天之御中主神=豊受大神=宇迦御魂=賀茂別雷神=
天照国照天火明櫛玉饒速日命=饒速日命=猿田彦=素戔鳴尊=神武天皇」
(途中省略)

「八百万(やおろず)の神々」と言われている日本神話の神々は
(天孫の系統は)すべて、天之御中主神=豊受大神=天照大神(饒速日神)に
集劍する、唯一絶対神崇拝である。
このように、一人の神を、名前を変えて分けることを「分魂(わけみたま)」
と言う。

 

失われた十支族の信仰は唯一絶対神。
そのため、各物部の部族が(物部一族は全国に広がっていた)、
それぞれに都合の良い名前で、自分達の先祖に絡めて唯一神ヤハウェを
祀り上げ、更に自然信仰まで加えたのが、古代物部王国の実態である。
つまり、ヤハウェ(イスラエルの神)の大元の日本名が、天御中主神である。


*******************************************************************
                                                                (以上、要約終わり)

*八幡神は、やはた、ヤハウェだという説を聞いたことがあります。
八幡さまは、饒速日神ではないかと思っていましたが、
ここでも繋がります。
                                          

*「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏の先祖は物部氏であり、
太宰府政庁で星見をしていたそうですが、
それらよりも近年には、鹿島神社の神官をしていた家系だったそうです。

鹿島神社の神のことは、

神の鉾 3 ~安曇磯良神~」の記事に書きました。
 
                                    *

磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で
40万年過ごされた神。

奈良の春日大社の武甕槌(タケミカヅチ)神です。

武甕槌神は、常陸の鹿島神宮のご祭神でもあります。
奈良の春日大社へは、鹿島神宮から勧請されています。


                   *

鹿島の神は、武甕槌神。
物部氏である氏の先祖が祀っていたのは偶然ではないでしょう。

これらのことは、真鍋大覚氏の御先祖の物部氏も鹿島において、
物部氏の神を祀っていたことの裏付けの一つになります。

物部氏はこうして、同じ神をそれぞれの土地の神に名を変えて
祀っていったのだと思います。


「神名を変える」
それはその土地に力を与えることになります。
その「土地にあった」神名に変え、その地に盤石な神の守護を築き上げる。
そして、その土地の人達が、その土地にあった神の名を呼び、祈ることで
神の力は増していく。

神の名が地域により、祈る人地達により違うのは、そういうことだと思います。
(また、同じ部族が名を変えることの理由であるかもしれません)

それは数多の神社で、異名同神の名が並列されていることの理由でもあります。

神功皇后も、砥上山の頂上で武甕槌神を祀っていました。
これは同じ神の「戦いの神」である一面が、その神名だと思われます。

「武」は猛々しいの意。
猛々しいみかづちの神。
甕は櫛甕玉命の甕でもあります。

同じ神。
饒速日神。
                    .


(つづく)

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2018年9月19日 (水)

黒い影とペトログラフ 3 ~ナーガ・道しるべ~

              
もう一つ、この巨石パークに行く前に調べた時に見つけた
ペトログラフがありました。

熊本のパワースポットとして有名な、巨石がある
「押戸石(おしといし)の丘」に。

その巨石にはペトログラフが刻まれていて、
その一つが「ナーガ」と読めるそうです。
それは、蛇神を表すとのこと。

*「押戸石の丘」ホームページ
http://oshitoishi.com

ペトログラフはシュメール文明との関係も示唆しています。
「ナーガ」の言葉が蛇神であるのなら、古代日本においても
すでに知られていたことなのかもしれません。


上記のことを、「ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に追記しました。

                 *

奈良、三輪の神は大物主、蛇神とされています。
蛇神が崇められていたのは、蛇は田を守るモノでもあるから。
また得体の知れないモノとしての、畏怖の対象でもあります。
                (「大神神社(おおみわじんじゃ)と大物主神」)

三輪の神は饒速日神。
またの名を「大歳(オオトシ)の神」
稲穂の神である歳神さまです。

「田を守る神」そこから蛇神とされたのかもしれません。


「ナーガ」の名が彼に繋がる(少なくとも)二つの名にあります。
オキナガ族と、ナガスネヒコ。

                        *

「オキナガ」と言えば、神功皇后の名。

息長帯比売命・気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

物部族の流れを汲んでいるとされます。
物部氏は、饒速日神とミカシヤ姫の子、ウマシマジを祖神としています。

ここでも彼女と、蛇神とされる三輪の神、饒速日神との結びつきが見えてきます。
オキナガ族は、「ナーガを身に置く、受け継ぐ」


                     .*

ナガスネヒコは、「ナーガのスクネ」

ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に書きましたが、

ナガスネヒコは、「ナガ(龍王族・蛇と龍は同義)」の
「須(須賀・スサノオを表す)の根(貴人につける尊称)」であり、
やがて、スネから「宿禰、少根(スネ)」と表記されるようになったと
思われます。

「宿禰」はwikiでは、
「宿禰、少根(スネ)は、神別氏族の軍事的長の称号であり、
物部氏や蘇我氏の先祖に与えられた」とあります。

つまり、物部氏の始め。
それが「ナガスネヒコ」なのではないかと思うのです。
それは、饒速日神、自身。

彼に殺されたという「ナガスネヒコ」は、いなかったのではないかと思うのです。

                   *

押戸石に「ナーガ」のペトログラフがあり、
蛇神を意味し、蛇神である三輪の神が「饒速日神」ならば、
その頃、すでに「ナーガ」の意味が浸透していたのかもしれません。


                    *

山陵(みささぎ)の玉依媛」をUPした後に気付いたのですが。

この神功皇后と饒速日神の妃、ミカシヤ姫は、
非常に共通点があると前に書きました。
             .

*饒速日命とミカシヤ姫が住んでいたのは”登美”。
 今は奈良市に”登美ヶ丘”という地名が残されています。

*神功皇后の御陵があるのは、奈良市の山陵(みささぎ)町。
 登美ヶ丘から約2キロ。
 昔はその辺りも”トミ”と呼ばれていたそうです。

*二人とも「玉依媛」(神の依り代)とされていること。
 (ミカシヤ姫は、神道で玉依姫とされています。
  おそらく、神の依り代としての称号なのでしょう。)

*高良大社の「高良玉垂神秘書」によれば、
 神功皇后は住吉神(高良の神)と夫婦であったこと。

*住吉の神は饒速日命である可能性があるということ。

*二人は「日甕」でもあったかもしれないこと。
      (「 高良の神と日甕 )
                .

さらに奇妙な繋がりがありました。

ミカシヤ姫は「トミ一族」であり、その一族が元々いたのが、「トミの里」です
今の奈良県の北部、平城とも呼ばれ、あの「秋篠」の地名もある地域です。
そこは私の故郷。

饒速日命は、ミカシヤ姫の兄のトミ族の長ナガスネヒコを誅殺したとあります。

神功皇后は、応仁天皇の義理の兄、つまり義理の息子達を誅殺。
その一人、押熊王の名がついた土地が「押熊」です。

その「押熊は、登美ヶ丘の隣り」です。


二人の同じような伝承に由来する名が、この狭い範囲内で伝わっているのです。

こんなに共通点のある二人の伝承が、こんな狭い範囲で。

神功皇后の山陵の御陵さんの側で。
何故?

これは同じ人の伝承を、別の形にして伝えているということなのでは?                              .
二人はやはり同一人物なのか?

時代が違うのに、何故?
こんなにも彼らの糸は絡み合うのか。
        .

そんな時に、京都の籠神社に関わる記述を見ました。


(つづく)

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2018年9月16日 (日)

黒い影とペトログラフ 2 ~恵那山の天照~

( つづき )

その昼神神社の側には「恵那山」があります。

昼神神社を訪れた時、まるで山を守っているかのようだと思いました。
そこは天照の「えな」が埋められているという山。                      .

同じ恵那市にある笠置山にはペトログリフが書かれている石があります。
三角錐の形をした石には、<ヒミカ>と読める古代文字があるそうです。
それは太陽神を表すと。

            .

御座石での黒い影と昼神神社の神。
「ヒミカ」のペトログラフ。
その一瞬で、繋がったような気がしました。

                                                  *

                   .

天照と共にいたという昼神神社の神、思兼神。

恵那山の山中に天照に繋がるものがあり、その側に思兼神のお社があるのならば、
「守護」するお役目を担っていることは間違いありません。

笠置山の「ヒミカ」の古代文字。
それが太陽神を表すのならば、太陽神が「ヒミカ」か、
または「太陽神」に深く関係する者ということ。


ヒミカが日甕ならば、日の巫女。
太陽神を祀る巫女(の方)なのだと思います。

                 *


「日甕(ヒミカ)」
以前、ここで、二人の「日甕」について書きました。
  
饒速日命と夫婦であったミカシヤ姫と、
神功皇后です。

饒速日命の別名は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」。
彼が伊勢の神でもある天照です。

伊勢神宮の元の名は、磯宮。
彼は「布留の神」とも言われ、石上神宮のご祭神。
  (「(神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
  (「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)
 

また、饒速日神は住吉神でもあります。
  (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~ 」)

住吉の神は、福岡にある高良大社のご祭神、高良の神。

高良に伝わる伝承「高良玉垂の神秘書」では、
住吉の神は、神功皇后と夫婦になっています。

また、こちら(福岡)の伝承から神功皇后は「日甕」だと辿りついたのです。
  (「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)
  (「高良の神と日甕」)

                             .
もう一人の「日甕」(上記のリンク先)。
饒速日神と夫婦であった「ミカシヤ姫」
饒速日神の別名が「櫛甕玉比古」。
彼女もそれに纏わる名を持っていたことは間違いないでしょう。

(漢字というものが当時ないのだとしても、おそらくそれに替わる物はあったはず)
                                             .

Dsc_1788                       .
   (吉野ヶ里公園出土の銅鏡のレプリカ。紀元前1世紀(弥生時代中期)の
   甕棺墓に付けられていたもの。前漢(紀元前206年~紀元8年)に
   鋳造され渡ってきた。   「吉野ケ里公園のHP」より)。
   これは、その頃にはすでに書かれてある意味を知っていたということ。
   「久 不 相 見、長 毋 相 忘」とあります。意味は(「銅鏡」の記事へ)
                                   .

二人の「ヒミカ」
そして「住吉の神と饒速日神」が天照。


笠置山のペトログラフは、またしても彼らに結びつきます。


                            *

恵那山を守るかのように佇む「昼神神社」。
ご祭神は、「思兼神」。
私が御座石で、その社と同時に感じた黒い影は「武内宿禰」です。

この二柱の神が同じだと感じたこと。


それは、天照神の側にいた思兼神と、神功皇后の側にいた武内宿禰が
同一であること。

それは、饒速日神と住吉神と、
ミカシヤ姫と神功皇后が同じ存在であることを示しているかのようです。

時代が違いすぎるだろう。
そうとも思うのですが・・・。


*注  もしも「その人」が過去において実在していたのだとしても、
    人が祀り上げ神にした時から、もうその人自身ではありません。

    人の祈りにより、神は創られるもの。
    長き間に、余所の神と混同されたり、別物とされたりします。

    今、祭られている神はそうして出来あがったもの。
    全くの同一なのではないと思っています。

   だから、この場合は、その一部というべきでしょう。


                     *

是か否かも分からない御座石での”幻想”に、後押ししてくれた方がおられました。

神の石 2 」でコメントしてくださいました。
以前、その同じ場所でその方の同行者の方が、アメノウズメの舞を舞ったと。

私が見たアメノウズメは、昼神神社で舞っていた・・・。

それらは偶然ではあり得ません。
そこへ、導いてくれてると感じました。


この巨石パークのことを、その方に教えて頂いたこと。
行かなければと直感したこと。

御座石で感じた黒い影が武内宿禰であるならば。
昼神神社の神、思兼神が彼と同じ者ならば。
その二つの場所でのアメノウズメの舞。
「ヒミカ」のペトログラフ。

それらが指し示すものは、一つの必然。


(追記)
ペトログラフのある山は、恵那山ではなく笠置山でした。
コメントで教えて頂きました。ありがとうございます。

そうするともう一つの「偶然」が見つかります。

福岡の若宮市にも笠置山があるのですが、
こちらは饒速日神が降臨した山とされています。
岐阜の笠置山に太陽神を表す「ヒミカ」の古代文字があり、
彼が太陽神、天照でもあるのなら、その山の名の一致は偶然じゃないかも
しれません。

                  *



巨石パークを調べている時に、もう一つのペトログラフを見つけました。


(  つづく )
 

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2018年9月14日 (金)

黒い影とペトログラフ 1 ~昼神とアメノウズメ~

神の石 2 ~黒い影~

この記事にあった、御座石に現れた「黒い服を着た人影」に纏わる話です。

その影を感じた時、


黒い服。
懐かしい気配。

<武内宿禰>


そう言葉ではなく、イメージが流れ込んできました。


福岡県 糟屋の黒男(くろどん)神社。
その名の由来は、彼が黒い着物をいつも着ていたことからというもの。

”その気配”は、その神社で感じていたものでした。

間違いなく。


神などの存在は、その人(視た人)のイメージした姿で見せるとも聞きます。
大抵は一般的に広まっている姿。

また、既存の絵や像の姿で見せることもあります。
それは神がその姿を、形作る人にイメージさせている(こともある)ということ。


  以前、家に霊障が出た時に、目の端に頻繁に現れていたものがありました。
  それは私を守っていてくれるように感じていて、ある日、
  <・・・童子>と名が浮かびます。
  ・・・ごぼう童子?ごほう童子?とその時はよく分かりませんでした。。

  後に調べたら、その姿と良く似た像が奈良の山奥にあり、
  「不動明王」の像とのこと。
  その後、「童子は不動明王の使いである」と知ります。
  現れたものは、そのどちらでもあったのかもしれません。
  <・・・童子>は、護法童子?

私はその像の姿から、その存在の主を知ったことになります。


「黒い人影」が武内宿禰だと感じたのは、
黒男神社や高良大社などで描かれている姿、その気配を
知っていたからなのかもしれません。

                         .

また、それと同時に浮かんだものがありました。
昼神神社です。

それは、長野県阿智村昼神郷にある阿智神社の奥宮。
昼神神社は通称です。

ご祭神は思兼神。

天照を天岩戸から導き出し、この世に再び昼の世界を戻したことから
そう言われています。

上記の昼神神社の記事に書きましたが、
そのお社に初めて行った時に、そこの石舞台でアメノウズメの舞を見ました。

幻影だったのでしょうが、今でも神鈴の音と、微笑んでいたその表情を
忘れません。
(顔は覚えていないのですが)



<武内宿禰と昼神神社>
同時に浮かんだ、その映像。

<同じ神>
そう言葉ではなく、イメージが浮かびました。

自分では、その是も否も分かりません。


(つづく)

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