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hana*

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神結び (雑感)

2018年7月15日 (日)

伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~

7月14日土曜日、那珂川町の伏見神社の祇園祭で神楽がありました。
とても素晴らしかったです!

Kagura01
お社が改修工事されるとのことで、今回でこのお社での神楽は最後。
始まる前、夕陽に照らされたお社を一枚。
                        .Kagura03                                                           .
子供神楽が始まったのが19時。
その後の大人神楽がすべて終わったのが22時半。
久々に土曜日にあたっていたので、最後まで観られた方も多かったです。

演目が前と違っていました。
今回、大人神楽の演目の最後にあったのが、「磯羅」。
されると思ってなかったので嬉しかった!

他の演目の写真はまた後日UPしますが、こちらだけ。
ほぼ、内容は(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)の式志神社での
磯良舞と同じです。
偶然にも11日に式志神社に初めてお参りに行ったところでした。

ここで磯羅舞がされるのは、ご祭神が豊玉姫(淀姫・神功皇后の妹)だからでしょう。

(神功皇后も武内宿禰も、磯羅神(現人神・住吉神)も那珂川町と深くご縁が
ありますしね)
Kagura14                         .                                              .
四柱の神が出ます。
まずは武内宿禰(白い方)と、磯羅神(多分。聞き取れなかった)。

後に豊玉姫。
海神。
                     *

神功皇后が武内宿禰らと共に三韓征伐に行きます。
武内宿禰が満玉、干珠を海神からもらい受けたいと思います。

そこで上の場面。
勝間の海(玄界灘のことだそう)で磯羅神が、海神からもらい受けようと
しますができません。
それを武内宿禰と話しているようです。
                           .Kagura15                    .
豊玉姫登場。

以前、裂田の溝のライトアップの時の神楽の間に、幻影で見たのが
「紅蓮の着物を着た神様」でした。
ご祭神の豊玉姫だと分かったのですが、何故赤い服?と疑問に思ってました。
こちらでの神楽の豊玉姫はこの姿だから、ということなのですね。
(多くの人のイメージが反映されたのかと)
                             .Kagura16                           .
Kagura17                                                       .
屏風の後ろに居るのが海神。
海神は満珠、干珠が欲しければ舞を舞えと言います。
                          .
Kagura18                                                                 .
Kagura19                                                  .
ようやくもらい受けた豊玉姫は、武内宿禰に満珠・干珠を渡せました。
                            .
Kagura20                                               .
ありがとうございました!!
今回この祭りに初めて一緒に行った娘が、将来入りたいそうです!
前回の神楽の時に「音」が聞こえた娘は、最後の「磯羅」舞の時に
聞こえたと。
ご祭神が観にいらしてたのかもしれませんね。

                          *

那珂川町のHPに「伏見神社の岩戸神楽」について記載がありました。

http://www.town.fukuoka-nakagawa.lg.jp/soshiki/36/fusimi-jinja.html

そこに「天の岩戸」伝説について載ってあったのを抜粋します。
「 古事記の有名な「天の岩戸」伝説は、この筑紫の地を中心として
存在しますが、その中心の岩戸がこの地であると信じられているため
「岩戸」の地名が起こったといわれています。
 神楽命和里(かぐらみことわり)(神楽の曲目)は全部で18種あり、
なかでも最もにぎわうのが、「荒神」と「問答」。このふたつの舞では、
鬼が現れて子どもをさらって神殿の内部に入ります。鬼に抱かれた
子どもは丈夫に育つと言い伝えがあるため、この日のために、生後
間もない赤ん坊を連れてくる親も多いようです。」

                          *

「岩戸」の名の起原はやはり「天の岩戸」の地とされていることから
なのですね。
地形、土地の力、安徳台、現人神社を始めとする神社、伝承、
それらの存在を知れば知る程に頷かされます

尚、この神社の「祇園祭」の由来ですが、
博多の街の櫛田神社のご神体を、何かの戦の時にこちらのお社に
疎開したご縁からだそうです。
以来、櫛田神社の「祇園祭」と同じ日に行われます。
           
                           *
Kagura26
11月の裂田の溝のライトアップの時は、改修中でお社で神楽が
観られないかもしれませんね。
今度は新しいお社で!

2018年6月22日 (金)

2度目の高良山 4 ~高良御子神社~

奥宮から再び登山道へ。

前に来た時はこの後、頂上へ向かったのですが、ナビではぐるっと遠回り。

高良山周辺が韓国発祥の「オルレ」コースに設定されていて、
その道順通りに進んでました。
(このオルレの標識、分かりにくい)

Koura260                      .
そのおかげで前に出会わなかった風景にも。
この辺り、何となく四王寺山に雰囲気、気配が似ています。
                          .Koura261                                                 .
すべてが美しい。                     .
Koura262                                             .
ようやく頂上。
三角点。
Koura263                       .
標高312m。
ここでお昼です。   

下山は、森林つつじ公園(展望台)から<吉見嶽・北面コース>へ。

その途中に「妙見山石仏群」がありました。               .
Koura264                                                 .
「不動明王」
Koura265                                                              .
こっちに廻ってきたかいがあった。

そう言えば、前に住んでいたマンションで霊障が出た時期に(子供がよく見てた)
目の端にいつも見えていた1mくらいの存在がありました。

後にその姿をネット調べたら、奈良の山の中に祀られていた
お不動さんとそっくりだったということがありました。
守っていてくれたのかなと思う事にしてます。
                      .Koura266                                                           .
お不動さん、石仏群がある広場。
Koura267                                                 
広場から階段を下りると池に出ます。      

高良御子神社がありました。       .
Koura268 
後2枚撮りたかったのに、ここでスマホのバッテリー切れ。
とりあえず、ヤマップを終了させました。

登山中アプリのナビを見ながらなので仕方ないです。
予備のバッテリーが必要ですね。
お社の写真撮りたかった~。
また来ます。

                   .                   .
通称、坂本神社。

ご祭神は大己貴命。

 
高良伝承では、高良神は神功皇后との5人の御子、彼女と仲哀天皇との4人の御子、
合わせて九人の御子がいたとされます。

高良の神の子を祀るお社に「大己貴命」

やはり大己貴命も高良の神であり、住吉の神。
大己貴命は饒速日神でもありました。(大己貴神社 )  

                    .                    .

2018年6月21日 (木)

2度目の高良山 3 ~奥宮~

ここから山中へ。

Koura255                         .
高良山には無数の登山道や遊歩道があるので、ナビを見てないと
意図しない方向へ行ってしまいます。
毎回持参してますが、地図(登山本のコピー)やコンパスは必要かもしれません。
Koura256         .
今回、ナビのおかげで「神籠石(かごめいし)」に出会いました。

結界とも城壁の跡とも言われています。
結界な感じはなかったので、城壁説に一票。
でも、それこそ「張れる」者がいたとしたら、結界になり得るかもしれません。

アップダウンのほとんどない平坦な道を30分ほど進むと「奥宮」です。
                         .                      Koura257_2                                                    .
ここへは車道から降りて来られる道もあります。                      .
Koura259                                                    .
奥宮の神紋は、「三つ巴」
住吉神の紋。

奥宮はその神の本質を祀るので、やはり高良の神は住吉神。
・・・「八幡大神」も。

高良の伝承の通り、ということか。
                       .Koura258_3
「初寅祭」の案内板。
ここで気付いたことがありました。
それは後ほど。


(つづく)

                      .

2018年6月20日 (水)

2度目の高良山 2 ~高良玉垂宮~

この日はとても天気がよかった。
梅雨の晴れ間なのに涼しくて風も吹いて快適でした。
                             .

Koura250_2                              .
中腹にある「高良玉垂宮」

Koura249_2                            .
ご祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神

皆、同じ神です。
(ここの場合は、神職さんから「高良の神は住吉神」だと聞いてました)
Koura251_2                           .
高良大社の神紋は「木瓜(もっこう)」。
「四方に開いた雲の中から、高良の神が出現なさるその瞬間を表しています。」
高良大社HPよりとのこと。
Koura252                .
ですが、お社についてある神紋は「三つ巴」
住吉神(現人神社)の紋。

両柱が別の神ならば、主神を差し置いてそのお社につけられるはずはないのです。
               
                              .Koura253_2                           .
こんな紫陽花も。
Koura254                   .
この木も神木。

再び、山の中へ。
今回はYAMAPのナビの通りに歩いてみました。


( つづく )

                    .

2018年6月19日 (火)

2度目の高良山 1  ~足跡~

そろそろ紫陽花が咲いてるかなと高良山へ。
10日に紫陽花祭りがあったようです。

Koura240                    .
Koura269                                                      .

                    Koura270                                               .
紫陽花の見頃はもう少し続きそうです。                        .
Koura241                          .
背くらべ石。
神功皇后が三韓出兵の前にこの石で吉凶を占ったとのこと。

                                                 .Koura242                                               .

Koura243                                          .
上のは馬蹄石。
高良の神が騎乗した馬がつけたと言われています。
Koura244_2                                                             .

Koura245                                                       .
石段を上がる途中にある
「式内伊勢天照御祖神社」

ご祭神 天照大御神
                       .Koura247                                               .

Koura248                                                     .
高良の伝承ではこの山は、高良の神と神功皇后が暮らしたとされています。

高良の神は、伊勢天照大御神。
それは、饒速日神。

(つづく )                      

                                                         .













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2018年6月17日 (日)

神功皇后古道 

砥上岳を下りた後、お宮に戻る前にこんな案内板と出会いました。

Tokami49_2
                                                         .
「神功古道

筑前砥上~勝山・陣ノ内・畑島~森山峠~栗田~弥永

 「日本書記」によれば、神功皇后は秋月の羽白
熊鷲を討つため、「香椎の宮」(福岡県東区香椎)
から進軍しました。従って、当地方への侵攻は砥
上方面からと想定されます。この道は古く、東に
行くと森山峠を越えて栗田~弥永~秋月へと山麓
を縫うように通います。
 侵攻した皇軍は、栗田の「松峡(まつお)」(現在の栗田八幡宮)に
宮を定めました。ここで陣容を整え、熊鷲軍との決戦に臨みま
した。背後の「目配山」山腹には「松尾」や「上宮」の小字名
が残されています。
 決戦は「層増岐野(そそぎの)」(新町・高畑付近か)で行われ、皇后は
熊鷲軍を滅ぼし、「我が心安し(安心した)」と周囲に語りまし
た。この「安」が当地方の地名起源とされ、奈良時代に「夜須」
(郡)の二文字に改められました。
  伝承によれば「目配山」の山頂は皇后が腰掛けたという大石、
また四方に目を配ったという伝説が残されています。
 皇后は熊鷲軍を滅ぼした後、朝鮮半島の新羅へ出発準備のため、
「中ツ宿なり」といって兵士に武器を研がせ、そのため池の水
は錆びで赤くなったといいます。この地が古代の「中津屋郷」
で現在の砥上(中津屋)神社一帯とされています。
 その他、三並には、皇后郡の旗竿に使う竹を
切り出したという「勝山」、皇后が陣を布いた
という「陣ノ内」の地名が残されています。ま
た、畑島桜林の集落を流れる三並川を遡ると「
ヲケジョウ」という小字名があります。皇后は
この「お手水の滝」でお化粧を直したといい、
この川は別名「お化粧川」とも呼ばれています。

                   *

記紀の伝承が正しければ、秋月にいた熊襲を征伐しに行ったのは、
三韓に出兵し帰還した後です。

香椎宮で神功皇后が神懸かりをした時の神が
「熊襲征伐よりも先に、大陸(三韓)に行け」
と告げ、仲哀天皇はその神の意に反したので崩御とあります。

                         *


また、伊野天照皇太神宮の周辺には神功皇后が陣を布いたとされる場所があり、
そこで子供を育てたとされます。
今の秋月(朝倉)にいたとされる、羽白熊鷲軍を警戒してとのこと。

そうならば。
彼女がその辺りに滞在したのも、三韓より帰還した後。
                          .
                         *

そこから進軍したのならば、
神功皇后が一番先に向かったのは、大根地山なのではないでしょうか。


大根地山には彼女が招いた神々が祀られています。
大いなる根(神)の地。

神々の力を土地に込め、鎮めたかったのは「荒ぶる神」

すぐ麓には冷水峠があります。
おそらくそこが「命尽くし」の神が出たと言う峠。

そこから南へ。
砥上へと抜けられます。


大根地山~冷水峠(くらがり峠)、
そして砥上神社~森山峠~栗田~弥永~秋月へと山麓沿いに進軍したのでしょう。
                          .
新羅(三韓)征伐がすでに前の事ならば、
砥上神社の「新羅征伐の前に武器を研いだ」という伝承は、
冷水峠に出た「命尽くしの神」を退治した武器を研いだ、ということかもしれません。

この辺りにはため池が点在してあり、砥上岳の麓のため池で武器を研ぎ、
池が赤くなったと言われています。

砥上は冷水峠から約7キロ、1時間半程。

冷水峠の「命尽くしの神」を退治した後、その本拠地へ向かう前に
ここで武器を研いだ。

そう考える方が自然です。

                    *

また、前回の記事を書いて気付いたのですが、
砥上山中で神功皇后は「禊」をしています。

それは神と邂逅する為。
砥上岳の頂上に武神(武甕槌神)を祀るつもりがあったからです。

ならば、山に入るその前に「荒ぶる神」と戦った武器を、洗い清める必要があります。

だから、登る前にここで研いだのです。

                      *

弥永の大己貴神社には、
「新羅進軍の時、神功皇后が兵が集まらないので社を建て神に祈った」とあります。

もともと香椎の宮にいたのならば、新羅との戦いの準備をこの辺りで
する必要がないのではないか、そう思っていました。

ですが大根地山から秋月へと進軍したのでしたら、
「この辺りの人達が軍に加わった」
という説が妥当なのではないかと思います。

弥永と秋月。
5キロほどしか離れていません。 
それなのに集まったのなら、「熊鷲軍に苦しめられていたから」
そういう背景が見えてくるようです。
                                                  .

宮を建てた。

それは、「熊鷲征伐」の後だと思います。

この地の大己貴神社の側にある三輪山。
奈良の三輪山に似ているその山に「三輪の大神」を招き、勝利を願い、
すべてが終わった後、宮を建てたと言うこと。

この弥永周辺には、奈良と同じ地名がたくさんあります。

平和になった後に、大和から神功皇后と共にこの地に来ていた人達が、
ここに移り住んだのでしょう。

奈良の「大神(おおみわ)大神宮」の大神様。
「おんが様」と共に、ここで生きて行くことを望んだ人達が。


それは・・・もしかしたら、「高良」の伝承の通りに、
神功皇后が大和に戻らなかったことを示唆しているのかもしれません。

            .                  .

                       .

2018年6月16日 (土)

目配山 2 ~神功皇后ゆかりの山~

前回の続き。

目配山は筑前町弥永の「大己貴神社」が出発点です。
                          .

Mekubari07_2                         .                                                    .
右側に見える山が「三輪山」
「目配山」は、その山の(写真では)右奥。
                                                .Mekubari08_2                                                .
登山口。
しばらくは竹林。                           .
                                                  .Mekubari09                                                .
Mekubari10                                         .
その内、こんな平坦な歩きやすい道が続きます。
                     .Mekubari11                           .
「あと20分。そこに山があるから」!!!!
そうだよね~。
と、今更ながら良く分かる。
                            .Mekubari12                     .
先に高宮山へ。
15分ほどです。
                     .Mekubari13                                     . 
高宮山頂上。
422m。
眺めなし。                          .

その後、目配山へ。
右手前に見えるのが
「神功皇后腰掛け石」
                            .Mekubari21                                          .
逆光で見えにくいですが、「目配山」頂上の標識。
ちょっと靄ってました。
Mekubari18                                           .
梅雨の晴れ間だから、良し。
Mekubari19                                                      .
Mekubari17_2                                              .
「腰掛け石」はこんな感じ。
1mくらい。

お昼を食べた後、下山です!
Mekubari22                                                    .
途中、小鷹城山へ。
秋月の山城があったそう。
                        .Mekubari26                                        .
草がいっぱいで眺めがほとんどなし。
ここから下の「小鷹城山」の標識へ戻るまでの間、かなり道が不明瞭。
そう本にあったので注意をしながらでも、迷いました。
赤テープを見失うと戻って、ナビを確認してまた進んでと、
10分くらい登山道を探したかも。

Mekubari25                                              .
見覚えのあるこの木まで戻って、ようやく安心。
Mekubari27                                          .
Mekubari28                     .
ありがとうございました!

                     .


























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                          .




2018年6月 7日 (木)

禊の地と真の道

那珂川町の成竹山。

日吉の森へと続く、神域でした。

Narutake23
展望台からの眺め。

この地は

「くしふるたけ」の脊振山の麓。

「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
イザナギ神が禊をして、神々が誕生した地。

それがここからよく見えます。

写真の中ほどに見える「緑の島」が安徳台。
そのすぐ側に那珂川の流れがあり、
川の西側が「岩戸(昔は岩戸村)」と呼ばれる土地。

成竹山の側には「天岩戸」もあります。


安徳台の左(西)側が「立花木(昔は橘)」
川沿い少し手前が、「おぎわら(萩原・はぎわらと書いて)」
同じく手前が「小戸」

この辺りはすべて「岩戸村」でした。

そしてそこは、神功皇后が禊をしたとの伝承がある「禊の地」。

神話の禊の地は、住吉三神が誕生した場所でもありました。
その神を祀る元宮「現人神社」は、安徳台のすぐ右上です。

安徳台と高天原

                   *

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて」

その「真の道」もここから見えます。

上の写真の「鐘」の下辺りの「日吉神社」から、
海の方の薄く見える立花山の左(西)辺りの「筥崎宮」へと向かう「神の道」

「日吉神社」
安徳台横の「裂田神社」
北へ向かって「現人神社」
「天御中主神社」
「筥崎宮」

筥崎宮の宮司さんもそれを御存知だという、その道。
「カササ」へと向かう一筋の「神の道」。

神話にある「カササ」は、
「カサ(湾)」に生えた「サ(葦)」。

筥崎宮は元々浜辺。
その辺りは昔、「葦津ヶ浦」と言われてました。

結びの山 ~その11  天孫降臨 ~



           .
「禊の地」に似通った地名、土地の形。
「現人神社」などの神社と「真の道」

これらは偶然だとは思えないのです。

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2018年5月23日 (水)

日と月 ~宝満山と若杉山~

人は山で神に出会う。
人はそこで神と対話している。
私が神社に惹かれたように、山に惹かれるのはそこに神がいるから。

いつからか人は山に祈りを捧げ、山は人の祈りを受け留める。
それが具現化されたのが神。
やがて祈りは山へと注がれる。
いつか見た祈りの流れのように。

山の高さで優劣がないように、
家の中で祈るのも、神社の前でも、山の上でも、祈りの重さは同じ。
人の祈りは神をも創る力があるのだから。

人の想像する力は空だって飛べる。
やがてそれはリアルになる。
宇宙も変える力がある。

神は人の中にある。

                    .
一人歩く山中、そんな言葉がつらつらと浮かんでは消え。

                           .

                                          .
宝満山と若杉山は「陽(日)と月」だと思いながら、
駐車場がある若杉山の太祖宮の下宮へ戻った時のこと。

無事に縦走できたことの報告と感謝を伝え・・・。

Taiso01
ふと縁起書を見ました。

左殿、天照皇大神、志賀大神、住吉大神
右殿、八幡大神、聖母大神、宝満大神

上宮にもありました。
                    .Taisokami12                                                      .
前に来た時は分からなかった。

聖母大神(神功皇后)と一緒に宝満大神が祀られていること。
ここ若杉山には宝満大神(竈門神社のご祭神)である「玉依姫」の伝承はない。
                  .
その玉依姫は神武天皇の母なのではない。

                .
住吉大神、志賀大神、天照大神はいづれもニギハヤヒ命(櫛甕玉命)であった。

宝満大神が玉依姫であり、筑後風土記の甕依姫であるなら、
やはり神功皇后が「そう」なのかもしれないこと。

玉依姫(称号)であり、櫛甕玉姫であるミカシヤ姫。

若杉山は月。
宝満山は日(陽)。

その関係は、まさに日と月。

互いに手を取り、そっとこの土地を照らしてる。
祈りの力で守り続けている。                      

              .

若杉山の綾杉は、神功皇后が香椎宮の綾杉と「分け」たものだという。
香椎宮のそれは、彼女が「永遠にこの地を守る」と誓い植えられたものだそう。

太祖宮の宝満大神が「彼女」であるからこそ、
宝満山に現れたという玉依姫が「この山を永遠に守っている」と
告げたことは必然なのだろう。                    .

2018年4月22日 (日)

岩戸開き 追記 ~夢と現実~

「神功皇后」について。

伝承などには様々な矛盾があります。

高良の伝承では大和に戻っていません。

ですが、記紀などでは「三韓征伐」の後、大和に戻り、応神天皇の
義理の兄達と応戦しています。

大阪の住吉は神功皇后が創建したとされています。

記紀や伝承の何が真実かは分かりません。
辻褄合わせの為に何かを創作されていたとしても分からないのです。

ただ、奈良市の山陵町には神功皇后のご陵があります。
側に住んで毎日身近に感じていたので「空っぽ」だとも
「彼女」ではないとも思えません。

その「彼女」がミカシヤ姫であったとしたら、同じ「気配」はするかもしれません。
ニギハヤヒ命のご陵も、間違いなく「三輪山」です。

                        *

彼らについて、一番気になることは、 (「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」)の
品陀和氣命 (ほんだわけ・応神天皇)の言葉です。

大阪府の楯之御前社の伝承に
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
 持って帰った」

これは、その国に「国平の神」がいないことを表します。

その言葉を見た時に、「倭」が大和(奈良)を表す言葉ではないと思いました。
(”そこ”が自分では取りに来れない程の遠い場所とも感じた)
もしも「倭」が当時の筑紫を指すのならば、国平の神がそこにいるということです。

国平の神とは、ニギハヤヒ命。

そうならば、高良の伝承のように、神功皇后も「そこ」にいたのかもしれません。
(応神天皇がそれを言ったと伝えられていることにも意味があるように感じる)



                        *

「ミカシヤ姫」の背景 

当時の奈良盆地には広大な湖がありました。
その頃は完全な淡水湖で、その周辺で稲作もしていました。

(後々調べましたら、「奈良湖」という湖が実在していました。
 その湖が無くなるのは、奈良時代に入ってからのこと)
       *(「 奈良 古代の湖 」)

最初の方(ニギハヤヒ達が来る前)に住んでいたのは盆地の西側。
高床式の大きめの神社のような建物です。
稲作もしていました。

今思うと、その周辺に敵対するような村もなく、
ただ平穏な日々を過ごしていたようです。
                             .

その日々が暗転したのは、「人でないもの」が現れてから。
     *(「古代奈良の夢 」)

それが村を襲いました。
(おそらく)退治する術もなかったのだと思います。

その後、空を飛ぶ船<アマノトリフネ>で「彼」が来ました。

「彼」のことをただ<リュウ>だと認識していました。
その(古代の奈良)の前の世でも会っていた人だと。

当時すでに「前世の仲間」にも現実で会っていましたので、
彼が仲間の一人であること、自分が「ヒミカ」であることを知っていました。

アマノトリフネの件から、「彼」がニギハヤヒ命と今は呼ばれる人であること、
そこから当時の自分が「ミカシヤ姫」とされる人だと分かったのは、
数年前のことです。
さらに「仲間の一人」の「沙霧」の名は、
その船に乗っていた「狭霧神」として伝承の中にありました。
                       .

「アマノトリフネに乗って、当時あちらこちらに出ていた
その「人でないもの」を封印(退治?)した」

というのは、事後の記憶(前世の夢を見た後で記憶として思い出したもの)です。
なので、その真偽はずっと分からなかったのです。

                      *

最近になって、その「人でないもの」の記述に出会います。
筑紫に残る「高良玉垂神秘書」や筑紫神社などの伝承です。

白羽熊鷲(熊襲)というそれは、明らかに「三韓征伐」の際の大陸の人をさした
言葉ではなく。
出現した場所も、「基山の東」です。

そして、          .

高良の神や神功皇后がそれら「ヰルイ(異類)」を退治したこと。
その二人が「ニギハヤヒ命」であり「ミカシヤ姫」の可能性があるらしいこと。
が分かりました。

ミカシヤ姫の時に「筑紫」に来て、それらと退治した事が
伝承として残っているのか、とも考えました。
それならば、転生ではなく同一人物です。

そのどちらかは分かりません。
神霊がいう<生まれ変わり>とは、文字通りのことか、
広い意味のことを指すのかもしれませんから。
(本人だけど、意図されて別人にされている等)

「人でないもの」は、その時代の他にもいたと思うので、
その事だけで判断はできません。
                    .

夢と現実。
関わる伝承。

多くの偶然。


どれが真実なのかは、まだ分からないのです。

 

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