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神社などの写真

  • 日吉神社*福岡県宮若宮市
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神結び (雑感)

2018年1月 2日 (火)

二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~

高良の神は「月神」とされています。

「潮満玉と潮干玉」を有し、月の如く、海の潮の満ち引きを自在に操る神。

また、「磯良神」の名から、「石上神」である「ニギハヤヒ神」だと思われます。

                 *

この回を書く途中で知ったのですが・・・。

<伊勢の外宮のご祭神は、籠神社から来た月神>

 籠神社の神は、月神であり、磯神と呼ばれていた。
 そして「潮満玉と潮干玉」を有していた、と。


(見たのはYoutubeで、以前、放映した「世界不思議発見」の
「伊勢神宮」の回だと思われます)

これは、「高良の神」である「磯良神」に纏わる伝承、そのままです。
                                       .


京都府、天橋立にある籠神社の主祭神は、「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」
 かの神は、「天火明命、天照御魂神、天照彦火明命、饒速日命」(ウィキより)
とも言われています。

そこから来た、伊勢の外宮のご祭神は、「豊受大神」と名を替えています。
一般的には女神だとも言われていますが、
その神が稲荷神である「宇迦之御魂大神」であるならば、「ニギハヤヒ神」です。

やはり、「高良の神」は、「ニギハヤヒ神」であるのでしょう。


ただ・・・。
<外宮の神は、籠神社から来た月神であるニギハヤヒ神・・・>

天照である彼が、月神?
高良の伝承を見た時にも、それが気にかかっていたのです。


                          *               .

「石上神宮」を調べた時に

<伊勢は「磯宮」と呼ばれていた>

ともありました。

ならば、伊勢の神は「磯神」。
主祭神が祭られている内宮の神の方が、「磯神」であったはずです。

それは日神、天照である内宮の神。


皇祖神の天照を女神とする際、「月神」として、
外宮の神として祭られることになったのでしょう。

「月神」は、高良の伝承同様に、
月の如く、海の潮の満ち引きに作用する、二つの玉を操る、
その性質から位置づけされたのです。

ならば、日神でもあり、月神でもあるのか。

                    *

「日の神、月の神」
                 .

思い当たる神がいます。

「艮の金神」です。

天理教の「おぢば」、そこは奈良の「三島神社」が元々あった場所。
その教祖である中山みき氏は、その場所で
「艮の金神(うしとらのこんじん)」と邂逅しました。

その神こそ、三島神社のご祭神である布留御魂神。
石上神宮の御祭神、ニギハヤヒ神でもあります。

「艮の金神」は、日月神示の神。
つまり「日月の神」です。

艮の金神である布留御魂神は、
日と月の神、その両方であるのです。

                      *

日月、ひつきは、「日嗣」に繋がります。


<日嗣の神>

新嘗祭で、「住吉三神」の象徴であるオリオン座の三つ星を意識しているのなら、
それは「日嗣の神」が、彼の神であることを示しているのでしょう。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

彼の神。
「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」

「住吉三神の底筒男神」

そして「歳神さま」でもあります。

スサノオの子であり、年始に幼児の姿として現れ、 年の終わりに
翁になるという稲穂の神。

生まれ変わりをする神様(人の部分が)でもあるのです。

                     *

新嘗祭の記事を書いた、1年半前、ここに辿り着くとは思いませんでした。
「住吉神」との係わりについて、半信半疑だったのですが。    
          .

住吉神の元宮の「現人神社」は、今、うちの産土神様です。

この”道”は、ようやくたどり着いたこの地が、
私が本当に還りたかった故郷だと教えてくれました。
                            .

(おわり)

2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~

「高良の伝承」には、高良の神は神功皇后と共に「ヰルイ」を退治したとありました。
大根地山に登ったのは、それを確かめる為。
基山の山頂で、気になった方向にあった山だったのです。

大根地山の神功皇后の伝承は、

「白羽熊鷲」というものを鎮める為に「大根地山に神々」を祭ったものでした。

その「白羽熊鷲」が人だった場合、神々を招き、鎮めてもらうことはしないのです。

基本的に「神はヒトゴトには直接手を下さず、カミゴトにも関わらない」。
ARIONの言葉です。

                   *

高良の伝承の「ヰルイ」。
その一つが、「白羽熊鷲」。
「ヰルイ」は、異類。

                   *      

大根地山は、神々を祭ったことで、「守りの要」となりました。

その一帯には、九州きっての難所「冷水峠(ひやみずとうげ)」があります。

その峠が、基山の荒穂神社の伝承と、筑紫神社の伝承(「筑後風土記」)にある、

「基山の東」であり、
「筑前と筑後の険しい峠である「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」

そうならば、

「白羽熊鷲」は、筑紫の名の語源となった「命尽くす荒ぶる神」ということになります。

元々の「筑紫の神(荒ぶる神)」が「白羽熊鷲」であるなら、
神功皇后はそこに関わっています。

                           *

「尽くしの荒ぶる神」には、二つの伝承がありました。

「荒穂神社」と、筑紫神社(「筑後風土記」)です。

これは、同じ伝承が元になったものですが、
退治した者の名に違いがあるのです。


「荒穂神社」では、「五十猛命」。
「筑後風土記(筑紫神社)」では、甕依姫(みかよりひめ)。


もしも・・・。
この伝承が同じものならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人で
「荒ぶる神」を退治したことになるのではないか。

その二人とは、誰か。

                        *

二つの神社のご祭神の中に、それぞれの名が残されているはずです。

「荒穂神社」のご祭神は、
 
  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、「荒穂神社」に書いたように後付けなら、
一柱以外はすべて「ニギハヤヒ神」と同一とされる神々です。

彼以外の「宝満大神」。
この神は、誰なのか。
それは、筑紫神社のご祭神の中にもありました。
                                                        .

「筑紫神社」の御祭神は、

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと


「筑紫国の国魂神」は高良大社では高良の神でした。
五十猛命と共に「ニギハヤヒ神」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。
この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。
                                            .

「竈門神社」とは、大宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。

荒穂神社の「宝満大神」とは、この神社のご祭神のことです。
                          .

大宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫と神功皇后、八幡大神。

          
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、巫女の称号のことです。
神功皇后も「玉依姫」と言われている一人です。

竈門神社には、ニギハヤヒ神とも同一とされる八幡大神の名もあります。

荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、
共に神功皇后と言えるのではないでしょうか。

ならば、「荒ぶる神」を退治したのは、「ニギハヤヒ神」と「神功皇后」です。


                     *

高良大社の「高良玉垂神秘書」の記述と一致します。

  高良玉垂の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

両神社の「玉依姫」が神功皇后ならば。


二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」の冒頭で、

神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。

と書きましたが、そこに繋がりました。


高良の神は「高良玉垂神」「安曇磯良神」「住吉三神の底筒男神」「月神」。
イソラの名から、「ニギハヤヒ神」と思われます。
(「イソラ神について「神の鉾 3」)

   
                                      *

神功皇后が、両神社の「玉依姫」ならば・・・。

「筑後國風土記」では「甕依姫(みかよりひめ)」が祭祀をして
「荒ぶる神」を鎮めたとありました。

同じ伝承ならば、その「甕依姫(みかよりひめ)」は、
神功皇后のことになります。
                  .

ニギハヤ神の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
彼が祭られている奈良の大神大社のご祭神の名です。

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。

「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。

彼女も神道では「玉依姫」とされています。


両神社の「五十猛命」と、玉依姫である「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」はニギハヤヒ神。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


ニギハヤヒ神の妃は「櫛甕玉姫」である「ミカシヤ姫」・・・。

ならば、「神功皇后」が「ミカシヤ姫」?

                           *

彼らが同一人物と言ってしまうには、無理があるように思います。

朝倉郡にある「大己貴神社」のそばに三輪山がありますが、
あのお山は神功皇后が奈良の三輪山を模して祭ったもの。

その一つをとっても、その時点では「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」は過去の人です。

奈良の三輪山に祭られている大物主ともされている「ニギハヤヒ神」は、
すでに「神としてその山に祭られて」いたのです。

また、高良の「高良玉垂神秘書」にあった高良の神は、
神功皇后の呼びかけにより、大宰府の四王寺山に現れた神の一人。

「高良の神」である住吉の底筒男神と、「神功皇后」。
そして「ニギハヤヒ神」と「ミカシヤ姫」。

これは偶然なのか?
もしも「同じ」ならば、やはり「生まれ変わり」ということになるのか。

私の記憶では、ミカシヤ姫も前の世の名「ヒミカ」という名でも呼ばれていました。
そして、神功皇后は、「卑弥呼」とも比定されているとも記す書もあります。

もしかすると、神功皇后も前の世の記憶があったのでは。
だから、「ヒミカ」と呼ばれたり、「ミカシヤ姫」と呼ばれたりしたのではないか・・・。

そういえば、「ヒミカ」は、「日甕」でもあるのか。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

                      .               .

様々な伝承には、嘘があり、後の世の都合による改変もあります。
 
「五十猛命」やウカノミタマ神にしても、猿田彦神と同じように幾柱かの
神や人の伝承が混ざっているのかと思われます。
例えば、イソ神と伝えられていたところ、似てる名の五十猛命のことだとされたなど。

その絡まった糸のどの部分が「彼」なのかは、私には分かりません。
でも、その中には、真実が必ずあるはず。
また、何が真実なのかは、誰にも分からないのです。


                  *

ですが・・・。

<久しぶり。○度目だな>

と瞑想の中で私に告げた那珂川の「現人神社(住吉の元宮)」にいた神。

それを(視た)時は「何故?」とも思ったのだけど、
「底筒男神」がニギハヤヒならば・・・納得できます。
ようやく腑に落ちました。

                   *

(つづく)


本年は、つたないブログを見て頂いてありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって良い年でありますように!

 

2017年12月27日 (水)

二つの伝承 7 ~冷水峠~

大根地山に登って分かったのは、「大根地山は守りの要である」ことです。

そして、地球のエネルギーを放出しているような場所で、イメージとしては
「地球樹のようなものが大地から生え、枝葉を広げている」ような場所です。

何故そのような土地なのだろうと考えてみて分かったことがあります。

Oonetiyama03                                                           (地図はGoogleMapより)

東(右端)は、英彦山(英彦神宮
西(左端)は、飯盛山飯盛神社中社
南は、高良大社
そして、北は笠置山。

「大根地山」が中心ならば北は「天照神社」か、とも思ったのですが、
その社の場所は、後に遷された地でした。
ニギハヤヒ神が降臨したのは、その少し南の「笠置山」だと伝えられています。

すべて、ニギハヤヒ神に係わりのある場所でした。
(筑紫には元々多いのですが)

大根地山が少しずれていますが、神を招く「神籬(ひもろぎ)」の場所(山)としては、
この場が最善であり、元々この一帯が「そういう地」だったのでしょう。
                          .

上の写真のほんとの中心地。
・・・そこは「冷水峠」と、呼ばれている場所です。
                .

大根地山の登山の時に「長崎街道」の案内板に書かれてありましたが、
そこは、かつて九州の箱根と言われている程の難所であったと。
                   .

どこかで似たような話を見たと思いましたら、筑紫神社の由緒書にあった
「筑後国風土記」にありました。

                       .
「筑後国風土記」、筑紫の語源についての話です。

 昔、筑前国と筑後国の境の山に、鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)
 という険しく狭い坂があり、麁猛神(あらぶる神)がいて、
 往来する人の半分を殺しました。
 その数が多かったので「人の命、尽神(つくしのかみ)」と
 言われていました。
 そこで、筑紫の君の祖先の
「甕依姫(みかよりひめ)」
 祭主として神を祀り鎮めました。
 麁猛神は、「筑紫神」と呼ばれるようになりました。
              .

筑前と筑後の境。
今の福岡を北と南で分ける地域です。

荒穂神社にあった「基山の東」
筑紫神社の「筑前と筑後の境の峠の
        鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂」

荒ぶる神である「尽くし」神が出た言う、その険しい峠。
そのうような場所は、筑紫神社辺りには無いのです。
ずっと疑問に思ってたのですが。

それは、「冷水峠」なのでは?
Oonetiyama02                                                           (地図はGoogleMapより)
一番下の星印が基山。
その少し右(東)斜め上が筑紫神社。
そして、写真の右上にあるハートマークの場所が「大根地山」です。

九州の箱根と言われる程の難所であった「冷水峠」。
上の写真では「大根地山」の麓、印の少し下辺り一帯です。

この場所こそ、「鞍韉盡坂」なのでは。

           .

(その冷水峠が、筑後国風土記にある鞍韉盡坂ならば、
一番上の地図にあるニギハヤヒ神に纏わる場所・・・。

もしかするとその幾つかは、この地を鎮める為に故意に置かれたのでは。

「何故、笠置山に降臨する必要があったのか」
そう思っていたのですが・・・。
ようやく得心しました)


エネルギーが放出されている場所、そこは雑多なものが集まる場でもあります。
もとより清浄な場なら良いのですが、そうでなければ誰かがそうしなければなりません。

その為に神功皇后が、大根地山に神を招いたのです。
「大いなる神の地」であるその場所に。
地球のエネルギーを抑えるのではなく、良い流れにする為に。

そうして、「白羽熊鷲」というものが排除され、筑紫の守りの要の地となったのです。
                      .

                      *

冷水峠が「鞍韉盡坂」ならば、「白羽熊鷲」は「荒ぶる神」です。

それは「筑後風土記」にある、「命尽くし」の神。
荒穂神社の「尽くし神」と同じもの。

ならば、やはり荒穂神社と筑紫神社(「筑後国風土記」)、二つの伝承は同じもの。
         .

(つづく)
                       

2017年12月26日 (火)

二つの伝承 6 ~大根地山 登山 (2)~

大根地山 登山続きです。
頂上付近にある「大根地神社」。

Ooneti46

神功皇后が天神七代、地神五代を祭ったのが始まりでした。
「大根地大神」として、この山に神を招いたのです。

大根地。
大いなる神の地。
この地は、特別な場所にありました。

                                 .Ooneti52

山の高さは、632メートル。
麓ではなく、この場所にある神社。

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                            .
Ooneti53
こちらは朝近神社。
お稲荷さんは後の合祀のようです。

神宮皇后が祭ったならば、ほとんどの神社では彼女の名もあるはずでしたが、
ここには天神、地神の「大根地大神」の名と
スサノオと大市姫命の名のみでした。

ただ「お稲荷さん」は宇迦之御魂命。
ニギハヤヒ神だとも言われている神。
かの神の「稲」の神の性質から同一神とされています。

須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、
雲閣稲荷大神と称え奉る。

二柱を合祀してお稲荷さんとしたのならば、それはスサノオ神の子、
ニギハヤヒ神のことなのではないかと思います。

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お社の裏手。                            .

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                             .

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お社の前は、こんな感じ。

Ooneti49
下の写真は、お社の正面、東側の眺めです。

ここですごく引かれたのがこの山。
木のすぐ左側の一番高い山。
神主さんが、英彦山(ひこさん)だと教えてくださいました。

英彦山神宮」があるお山です。
日の神の御子(日子)が祭られていることから、そう呼ばれています。
始めは「ニギハヤヒ神」が祭られていたのですが、
天忍穂耳命に替えられたという説がある神社。

Ooneti73

ここで他の登山パーティーの方々に会って、しばしお話しました。
一人登山は珍しいようです。

「英彦山には登った?」
と聞かれたので、
「途中の神宮までは参拝したのですが、上宮には行ってないのです」
と告げると、さすがに一人では難しいそう。
そう言えば、数か月前、遭難された方がいて捜索隊が出てました。

上まで行きたいなぁ。
春まで待つかなぁ。

名残おしいですが、頂上へ。
神社から10分程です。

Ooneti63
頂上の三角点。
Ooneti64
こちらは北の方向。
ほぼ中央の辺りに金毘羅山と麓に「大分神社」があります。
大パノラマ!
Ooneti68

下の写真は南西方向。
右側中央に薄く浮かんでるようにみえるのが、なんと長崎の雲仙岳!

神社でご一緒した登山のパーティーの方と、また頂上で
お会いできたので教えて頂きました。
Ooneti67
「この時期こんなに晴れて、こんなに見えるのは滅多にないねぇ」
と言われて、そんな良き日に来られてとっても幸せな気持ちになりました。

その登山の方の5人の内、3人が同じ町内の人だと聞いてびっくり。
世の中狭いですねぇ。

山に登ると度々あることだそうです。
お導きなのかもしれませんね。

                          .Ooneti66
上の写真は、少し南よりの南南西。
手前の低い山は、砥上岳。
                                             .Ooneti70

遠くの山は、脊振山系。

一人になれたので、しばらく瞑想。
すると「要(かなめ)」と浮かんできました。

「要」、ようするに「根」。

神籬(ひもろぎ)には違いないと思うのですが、
イメージとして一番近いのは・・・。

<世界樹>


ここのような、世界樹の小型版の様なものが「要」としてあちこちにあって、
それが繋がっている、という感じです。

あぁ、まさしく「根っこ」ですね。
ネットワーク。

この「大根地山」が、神功皇后が「白羽熊鷲」というモノから土地を守る為に
神々を祭ったのなら、守りの拠点、要・・・中央・・・中心?
何の中心?
         
おそらく、守りの要の地であるこの山に神々を祭ったからこそ、
この一帯(おそらく筑紫の地)は、それらから守られることになったのでしょう。
          .

”この感じ”のもっと大きな規模なのが奈良の「玉置山」です。

そういえば、平井和正さんの著作に「地球樹の女神」というのがあって、
そこに「玉置山」が出てきましたね。
内容、ほとんど覚えていないのですが。
地球樹・・・世界樹と言うより、イメージが似てます。
あの話では、玉置山と何の関係があったかな。

ただ、私はあの山頂で地球と一つになる幻影を見せられました。
                        (「玉置神社」「全は一つ」)
山の高さとかではなく、場所の力が関係あるのかと思います。
この山も。

あぁ、そうか。
地球が放出するエネルギーの形が、「地球樹」なのかも。

だから、玉置山で地球と一体化する幻影を見たのかもしれないです。
・・・だから、ここも「要」であり、「大いなる根」であるのですね。


                   * .

帰りの道は、下の鳥居まで25分くらいでした。
登る途中で気付いたのですが、目の端に白い物がひらひらと。

それが白い狐の大きな尾っぽだと感じたのは、しばらくしてから。
ぴょんぴょん跳ねるようについてきては、前になったりいなくなったり。

普段、あまり視える方ではないのですが、よほど土地の力が強かったのかも。

そういえば、ここはお稲荷さんなのだと思いだしてからは、
お迎えに来てくれたのかもと思いました。

Ooneti81

神社であまりの可愛さに買ってしまった水晶狐。


(つづく)

2017年12月25日 (月)

二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~

基山や筑紫神社の伝承の「五十猛命」が「高良の神」ならば、
「高良の神」と共に「ヰルイ」を退治したという、
神功皇后の方の伝承がどこかに残っているのではないか。
                                                     .

そう思いながら、登った基山。
その頂上で気になった方向にあったのが「大根地山」でした。

帰って調べたら、「神功皇后が登って神事をした山」とありました。
頂上付近には「大根地神社」があります。

これは、きっと「流れ」。

12月のよく晴れた日に、登りました。

Ooneti08

登山道入り口は、バイパスの冷水(ひやみず)道路のトンネルの上に
なるので、旧道の国道200号線から行きました。

「大根地神社」の地名は、福岡県飯塚市内野ですが、
山頂は福岡県筑紫野市香園です。

Ooneti10
Ooneti11
狛犬がお狐さんです。
ここはお稲荷さん?

階段を数段上がると道に出ます。
シーボルトや吉田松陰も通ったという長崎街道です。

Ooneti14

しばらく歩くと鳥居が見えてきました。
Ooneti19_2



Ooneti16

Ooneti18
この辺りが「冷水峠」。
九州の箱根と言われる程の難所だったそうです。

Ooneti20
この参道の階段を上ると登山道です。
(すぐ左側にある舗装道路とすぐに合流します)
この鳥居から神社まで、約2キロとありました。

Ooneti21
Ooneti22
まん丸っこいお狐さん。
可愛い。

Ooneti25
間もなく、車でも通れるような舗装道に出ます。
でも狭く急なので、四駆でないと難しいと思います。
Ooneti28
途中にある鳥居。
神功皇后の逸話がある烏帽子岩。

Ooneti29                   .
神社が見えてきました。
2キロとのことでしたが舗装して登りやすかったので、
下の鳥居からここまで45分程でした。

この道をまっすぐ行くと、大根地山頂上です。
先に神社がある左の方へお参りに行きました。
                                  .Ooneti30
                                                     .
Ooneti31
「お稲荷さま」とのことのようですが、あの独特の雰囲気(気配)がまったくしません。
こちらは、とても居心地がいいです。
                                              .Ooneti32_2
Ooneti34

Ooneti36_2

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  大根地神社の由緒

 大根地神社は、天神七代、地神五代の大神をお祭りしています。
 社伝によれば、「人皇第十四代仲哀天皇の九年三月八日
 神功皇后羽白熊襲御征伐のとき、大根地山に登り天神七代、
 地神五代を大根地大神として祭り、親ら神楽を奏し勝ち軍を
 祈り宿陣す、その霊験著しく容易に熊襲の諸賊を誅滅す」と
 伝えられ、いとも御由緒の顕著なる神社であります。
  その後、建久三年に須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、
 雲閣稲荷大神と称え奉る。
 古老の口碑によりますと「建久三年富士山に在ること、
 壱千有余才の神通自在の白狐が源頼朝公富士山に
 御猟の評定がありしときに、この山を発し
 筑紫の内野の根地岳に移り給う」と伝えられ、
 根地雲鶴大明神と称え、その後、九州の稲荷の
 別当の官を崇め奉る。

  (以下略)

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神功皇后が羽白熊襲の征伐の時に、大根地山に登って、
天神七代、地神五代を大根地大神として祭った神社でした。

「熊襲の諸賊を誅滅す」とありますが、その熊襲とは、羽白熊襲のこと。

「羽白熊鷲」とも記されている”それ”は、
翼があり高く飛び、人民を掠めていたと伝えられています。

それは、まさしく高良の伝承にあった「ヰルイ」、異類なのでは。

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雪が残っていました。

大根地山 登山の回、続きます。


( つづく )

               .

2017年12月22日 (金)

二つの伝承 4 筑紫神社 ~福岡県筑紫野市~

基山周辺には、もう一つ伝承があるのです。

筑紫野市にある「筑紫神社」。
ここに祀られていた神は、「筑紫神(ちくしのかみ)」です。

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                                 .

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街中の少し小高い丘の全てが神社の聖域です。
                                                          .

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                                                     .

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                    .
階段を上って後ろを振り返ったところ。

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                               .

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                                         .
参拝したのは、2月。
「荒穂神社」に行く前でした。
                        .                               .

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御祭神

  筑紫神 [ツクシノカミ]筑紫国の国魂・筑紫の国号起原・氏神様
  坂上田村麿[サカノウエノタムラマロ]武家の神・必勝、戦いの神
  玉依姫命[タマヨリヒメノミコト]縁結び・子孫繁栄の神

由緒

  祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
    奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると
    「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、
  峠を往きかう人を多く取り殺していた。
    その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれていた。
    後にこの神を祀って筑紫の神を呼ぶようになった」
  とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。
    筑紫の語源は、当社の神号から起こった。

  筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説もあるが
  断定はできていない。
  後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)、坂上田村麿を祭祀した。

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                                  .Chikushi50
                                                          .

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                                                                  .Chikushi52

ご祭神「筑紫国の国魂神」は、「高良大社」の伝承では高良玉垂神です。
五十猛尊という説があるならば、納得できます。

そうならば、荒穂神社の伝承と同じ話が元になっていると思われます。

この神社の「筑紫」の名の語源になったご祭神は、
元は「命尽くす荒ぶる神」で、
それがいつの間にか、退治した方の神を祀るようになったのでしょう。


                      *
                                                 .

退治した神、「五十猛命」。
荒穂神社のご祭神には、かの神以外にも様々な名が列挙してありました。

  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命    

瓊々杵尊と宝満大神以外の神は、高良の神である住吉三神の一柱、
底筒男神であるニギハヤヒ神に繋がります。

それに気付いたのは、さほさんの
「基山の(荒穂神社の)鴨大神ってニギハヤヒだ」との一言でした。

そう言えば、皆同じ神ではないのか。
                   .
                  .
神社における「ご祭神」は、「縁のある神々」を祀る場合と、
「主祭神」と同じ神だと言われている神を、列挙して祀る場合があります。

「この神も同じ神様だから、一緒にお祀りしなければいけない」・・・と。

もしも、・・・私が「祀る」側ならば、そうするでしょう。

ならば、「基山(荒穂神社)の伝承」にある五十猛命は、
高良神であるニギハヤヒ神。

そして、この筑紫神社のご祭神も。

(つづく)

*続き物になってしまったので、題名変更です。

2017年12月16日 (土)

二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販

五十猛命(いそたけるのみこと)。

基山の荒穂神社の御祭神であり、
福岡市西区の飯盛山にある飯盛神社のご祭神です。

大陸から「木の種」を持ち帰り、基山(木の山)に植えたのを始めとして、
「木の国」である紀伊半島に渡って、そちらの多くの神社に祀られています。

当たり前のことですが、「森」は何万前もそこにあり、
神話のこの神が木を植えたのが「最初」のはずはありません。

これは「国土を豊かにした」ということを表すのだと思います。

国土を平らかにした神。
国平の神。

神の鉾 1」の最初に掲げた「国平の神」である、「大国主」。
つまり、ニギハヤヒではないのか。


                    *

今回、基山に登ってみて確信しました。

脊振山との強いラインを感じたのです。
「筑紫三山」が作る結界とは別の。

同じ神が祀られている「山」や「神社」には、
それらを結ぶラインが存在します。

脊振山の神と基山の神は、同じ神だと感じました。

                  *


「神の鉾」で度々書いた「高良大社」。.
ご祭神は、「高良玉垂神」でした。

住吉三神の底筒男神、月神、安曇磯良神・・・。
様々な呼び名がある神。

イソラは、五十神。
そこからその神は「ニギハヤヒ神」ではと。
                    .

基山のご祭神「五十猛命」。
かの神にも「イソ」の名がつきます。
ならば、「五十猛命」もニギハヤヒ神なのでは。

「イソ」は五十であり、石上(いそのかみ)。

「儺の国の星」から再び、抜粋です。

******************************************************

谷神(こくしん)を倭人は石上と書き"いそのかみ"と訓じてきた。
磯神が砂鉄を掬って炭とまぜて鉄を求めた仕事は黒に生まれ、
黒を育てて黒を成す過程にほかならなかったのである。

鉄を"ふるみたま"と言う。
暗黒の宇宙の色をそのまま復元した姿であった。

                    *

鐸石別星(つくしわけのほし)の項

杷石(さされいし)とは
砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。


****************************************************************

ここにそのまま載ってましたね。

谷神(こくしん)を石上(いそのかみ)と呼ぶ。
磯神が鉄を求めた仕事は、「黒」を成す行程である。
鉄を「ふるみたま」。
宇宙の色をそのまま復元した姿。

磁鉄鉱を還元する名匠が五十氏(いそし)、後に石上(いそのかみ)。


高良大社の神は、高良玉垂の神。
かの神は、安曇磯良神です。
イソラ神であり、五十の神、それは石上神(いそのかみ)に繋がります。
           .

その神を祀る奈良の石上神宮に祀られているのは「布都御魂大神」。
ご神体は布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)、かの神は剣に宿る神霊でした。
「布留御魂大神」(十種神宝に宿る神霊)も配祀されています。

*(「布都神」と「布留神」について。
  ARIONは、フツはスサノオ神、フルはニギハヤヒ神としています。
  ですが、石上神宮でのご祭神の「布都御魂大神」は、
  同神とされているようです。)



ウィキの「石上神宮」の項には、
伊勢神宮の古名「磯宮(いそのみや)(いそのかみ)」に
とに何らかの関係がある」
とも、ありました。

そうでした。
伊勢神宮の元の名は「磯宮」。
そこに祀られているのが、「磯神」とも呼ばれた故なのかもしれません。
高良大社の磯良神に繋がります。(ラは、神、光という意味)

石上神、磯神、五十神、すべて同じ「イソ」神なのでしょう。
            .
                    .
石上神社のご祭神は、物部氏の総氏神でもあります。

物部は、もののふ、もののけ。
物には、「畏怖すべきもの」という意味があります。
            .

大神(おおみわ)神社の、大物主の「物」と同じです。

大物主には数多くの呼び名があります。
大物主大神(大和大物主櫛甕玉命)、
大国主(大国主の神は、幾柱かの神の名だと思われます)
日本大国魂大神、布留御魂大神、賀茂別雷、鴨大神、櫛玉、布留神、
(日吉の神、猿田彦もそうだと思う)

石上神がイソラ神であるならば、
高良の神である住吉三神の底筒男神は、大物主でもあるのです。

その数多の呼び名は、その隠されてきた存在を何とか後の世に伝えようと残す為。

五十猛命もその一つだと思うのです。

                            *
                           .

石上神宮を総氏神とする物部氏は、ニギハヤヒを祖神とし、
その妃ミカシヤ姫とウマシマヂの子孫になります。
その末裔達は、こちら筑紫の脊振山の北と南側の広範囲に住み続けました。
脊振山が、彼らの「聖なる山」だからです。

その土地の一つ、那珂川町。
そこには、数多くの足跡があります。
那珂川町にある住吉三神の元宮「現人神社」
「日吉大社」の元宮の一つ「日吉神社」
神功皇后の「裂田の溝」
「伏見神社」
そして「儺の国の星」

「儺の国の星」著者の真鍋大覚氏の先祖も物部氏。

かの本は、この町に伝わる星や古の姿、言葉を、
余すことなく伝える貴重な宝です。
それには、古代の日本の謎とされてきたものを解く鍵が
多く記されています。
物部氏が連綿と伝えてきたその物語をこの世に残してくれたのです。

今回、その本をやっと受け取ることができました。
    
                .

「儺の国の星」そして「拾遺」、11月より再版されています。

那珂川町の後野(うしろの)にある中央公民館で販売されています。
図書館で借りたのを全ページコピーしたものしか持っていなかったので、
ほんとに嬉しいです。

遠方の方の入手方法は、那珂川町のHPでご覧ください。

                          *

話がそれましたが、基山周辺にはもう一つの伝承があるのです。
                             .


(つづく)

*続きものになってしまったので、題名変更です。

 

2017年12月10日 (日)

二つの伝承 2 荒穂神社 ~佐賀県三養基郡~

「荒穂神社」は、佐賀県三養基郡基山町の基山の麓にあります。

Araho01                             .
鳥居の奥に見えるのが先日登った基山(きざん)。
荒穂神社のご神体です。
行ったのは2月で所々雪が残っていました。
                         .Araho04

ご祭神は、瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

この荒穂神社は、もともと基山の山頂にありました。

基山は五十猛神が、木の種を最初に植えた山とも言われています。
木の山、そして始め(基・もと)の山としての基山。
                                   .

基山周辺の伝承です。

昔、木の山(基山)の東に荒ぶる神(鬼)がいて、往来の人が
命を落とす「命尽くし(筑紫の名の起原)」ことがありました。
それを退治したのが五十猛神。
                            .
伝承にある荒ぶる神(鬼)を倒したと言う五十猛命。
それ故にこのお社に祀られることになったのでしょう。           

とすれば、基山の山頂と共に五十猛命を祀るお社なのでは?
                .

この基山にほど近い筑紫野市に、菅原道真にご縁のある
「天拝山」という山があり、その中腹にも「荒穂神社」があります。
こちら基山町の「荒穂神社」から「一夜にして飛んできて鎮座」したと
いう伝承があるのです。

その神社のご祭神は、五十猛神。
               .

おそらく、基山町の荒穂神社の主祭神と言われている瓊々杵尊は、
後付けされたのだと思います。

               *

五十猛命。
スサノオの御子、ニギハヤヒの兄弟とも言われています。

飯盛山の飯盛神社にも祀られていた神。

この五十猛命って・・・。
飯盛山でも感じていた思いがありました。

それは、基山の頂上で感じたものと繋がっていました。
                .                        .


(つづく)

*続き物になってしまったので、題名変更です。

2017年12月 9日 (土)

二つの伝承 1  基山登山 ~佐賀県~

先日、基山(きざん)に登りました。

アプリを見ながらの登山です。
「ルックアップ基山観光アプリ」。
その中の「基肄城ウォーキングルート」。

一度諦めた登山。
その日の夜にさほさんから教えてもらいました。
   (その経緯は、「神の鉾 5」で)

これは・・・行けってこと?
と、気合いをいれて、子供を連れての初登山です。

車を止めたのは、アプリの出発点「基山総合公園」の駐車場でした。
(他に止める場所はなさそうです)

その日は「きやまロードレース(マラソン)」の日。
行ってから分かったのですが、すでに車がいっぱい。

ここに止められなかったら、登山やめるしかないかなと思いつつ
駐車場に行くと、一台分だけ空いててすんなり誘導してもらえました。

この流れは・・・。

今日、登れってことなんでしょう。
登って「つかんだもの」が、私に必要なもの。

この流れを作るものからの。

Kiyama01                                             .
写真中央に見える山が基山(きざん)です。

アプリでの行程は8キロ、200分。
3時間くらいかな。
                                                          .Kiyama02                                           .
基山(きざん)はその昔、基肄(きい)城と呼ばれた山城がありました。
                                                        .Kiyama03                                                  .                                          
アプリの行程と重ねますと、現在地からまっすぐ北へ進み、
枝分かれ地点まで行ったら、ピンクのラインに沿って左回りに進み、
また現在地に戻る行程です。
                                                      .Kiyama32                                                    .
枝別れの地点まではアスファルトの道です。
途中に「住吉宮」がありました。
鳥居の右辺り、誰かがおられるようです。
2枚目の方も同じもやがありました。

無事に山に登って来れますように。
                                                             .Kiyama06                                                                  .
このお社の辺りに昔の山城の石垣が再現されてありました。
下の写真は、住吉宮のすぐ横にある水門跡です。
                                                       .Kiyama07

枝分かれ地点まできてからいよいよ山道です。
それまで嫌々で文句たらたらだった末っ子が、
一人で先に先にと進んでいきます。

「あんた嫌やったんちゃうん?」
「山登り楽しい!わくわくする」
                          .     
冒険心に火がついたようです。

Kiyama34
登山道は整備されていて分かりやすく、子供でも登りやすかったようです。
されど山登り。
どんな低山でも油断は禁物です。                            .
                      .Kiyama09                                              .
山道に入って30分くらい。
空が開けてきました。
もうすぐ頂上です。
見えにくいですが、中央辺りに白い建物(展望台)が見えます。
                         .Kiyama10
これを登り切ったら。
Kiyama11
頂上です。
広い草地になってました。

こちらは、ほぼ北東の方向。
四王寺山や宝満山、その先、遠くには英彦山があります。
美しい!
Kiyama12
Kiyama13
こちらは南東方向。
Kiyama14
基肄(きい)城の石碑。
奥に見える建物が展望台です。
ここで持ってきた「おにぎらず」を食べました。
                                      .Kiyama16
上の写真の白い展望台からの眺め。
南南東方向。
山が遠くてほとんど見えません。
                                         .Kiyama17
写真中央より少し左側に四角い台地がありますが、
そこの上が基山のほんとの頂上になります。

麓にある荒穂神社は、もともとこの頂上にあったそうです。
だとすると、それは山城ができるより前。
あの独特の形は、山城を作る時に削ったものなのでしょうか。
それとも、元から?
                                                                .Kiyama18
上写真の台地に登ります。
                                                     .Kiyama35

基山の三角点です。
これ見ると嬉しい。

奥に見えるのが霊霊石(たまたまいし)。
                                                          .Kiyama19
Kiyama20
ほぼ南。
山の南側にも展望台があり、そこからの眺めです。

基山を麓から見た時に見えるのが、こちらの展望台。
                                                         .Kiyama24                                                    .
山の方向が書かれた石板です。
大根地山、釈迦岳の文字が見えます。
                                                    .Kiyama25                                                      .
左から筑紫野町、宝満山、大根地山・・・。

宝満山は御笠山とも言われています。
                                                    . Kiyama22                                                .
こちらが、山の西側にある草スキー場です。
芝生を傷めない為に、木製のそりを借りて滑るそうです。
駐車場が側にあるので、頂上に行く目的だけですと、
そちらに置いて、ここまで登るのが良いようです。

山は九千部(くせんぶ)、脊振山系の山々です。
幾つかの山は縦走できるそうです。

一番奥に見えるのが脊振山です。

下りの道になります。

Kiyama26
                     .Kiyama27
礎石群。
山城だった時の名残です。
                                                     .Kiyama28
久々のアスファルト!
下りは30分もかかりませんでした。
                                                  .Kiyama29
下ってきた登山道。
まだまだ紅葉してて綺麗でした。

後は、先ほどの枝分かれ地点まで行って、車をとめた総合公園へ戻ります。
ゆっくり頂上で休んでも3時間弱。


行けてよかったです!
さほさん、ありがとう!

                         *
                 .

山頂にいた時、脊振山とのラインを強く感じました。
基山が「筑紫三山」の一つなら、あの二つの山(飯盛山、若杉山)とのラインを
感じるのかなと思っていたのですが。

なんだろう。
その結界とは別に何か。

それともう一つ、気になった方向がありました。

                      *                   .

家に帰ってすぐ、さほさんに帰宅したよの報告LINE。
とちょうどその時にめまいする程のすごい力がふあ~っと来たそう。
すぐLINE見ると私から来てたと。

もしかしたら、LINE送ると同時に、気を送ってるような感じになったのかも。
多分、近くなった(さほさんとの距離が)から、届きやすくなったから?

と言うと、

「山に登るとパワーが出やすいのかもね」

さほさんに言われて、気付きました。
                   .

一度行った神社などとは、ライン(繋がり)が出来るような気がしてたのです。

いつでも気持ちが届くような。
いつでもそこの神様と繋がるような。

ここのとこ山登りをし始めて、山も同じだと感じたのです。
下りた後でもその場(山の上)にいるような感覚をいつでも受け取れます。

ラインが出来ると言う事は、縁が出来ると言う事。

そうか。
神功皇后も「遠見」で登ったわけではなく、その場所との縁を結ぶ為に
登ったのか。

「瞑想も高い場所程しやすい」と、以前kono87さんも言ってました。
                  .

山の上は神の領域なのでしょう。
神様との邂逅もあるのかもしれないです。


(つづく)        

*続き物になってしまったので、題名変更です。

2017年12月 8日 (金)

真理

ここのとこ、さほさんとのリンクがすごい。
リンクというより、シンクロニティー。
                           .

さほさんは8月頃、
「真一」
という文字が浮かんだそうです。
それを
「まことのひとつなり」
と認識したと。

その時に私がその話を聞いて、以前、玉置山で
「全は一つ」
と聞いたことを話しました。

以前の記事 (「全は一つ」)から。

色々あって、小学生の時にある想いに辿り着きました。
                      .

生きているだけで、何かと繋がっている。
きっと、生きているだけで、意味がある。

この時、

自分と周りの全てが重なってく・・・
一つになっていく感覚がしたのです。

”私の中に全てがあり、全てのものは私に繋がっている”・・・。


その何年か後、玉置山で藍の宇宙と地球を見せられて、
自分自身が地球と一体になる感覚になったあと、声を聞きました。

<全はひとつ>

と。

その時、この感覚は初めてではないと感じたのです。
                        .

その後、「鋼の錬金術師」のアニメでその言葉を再び聞きました。
前述の記事に書いたのですが、その後も再放送で見て
少し補足もあるので、再び。

                    .
幼い主人公の兄弟達が修行をしていた時、無人島に連れられてきます。

「全は一、一は全、とは何か」
その答えを見つけろと。

極限の状態のサバイバルの中、兄弟達はとうとう自分の手で
ウサギなどを殺し、食べます。
そして、辿り着きます。

自分も食物連鎖の中にいる。
食べたものが自分の中で再構築され、自分になっていく。
自分が死んでも、土に還り、何かの中で再構築される。

錬金術もそれと同じ。
全ては円を描き、廻っている・・・。
                   .

「全は世界。一は俺」

それが兄弟が出した答えでした。
            .

私が幼い頃に感じた想いと、
玉置山で聞いた声と、
兄弟が辿りついた答え。
                   .

「全は一つ」

それはきっと、真理の一つ。
                                       .

「ハガレン」の作者さんは、酪農家の生まれだそうで、
幼い頃から生死に向き合って生きてきた故の言葉なのでしょう。

人は生きていく中で、真理を見つけていく。
                                    .

全は一つ。
全ては、すでに自分の中にあるのです。

ただ、それに気付くかどうか。
                                 

              *

前述のさほさんは、「真理」を調べて、ある言葉に辿り着いたそうです。
(さほさんのブログ「覚書」)
https://ameblo.jp/nanacanaln/entry-12334211757.html

「真理はあなたたちを自由にする」
キリスト教の(ヨハネ8章32節)の言葉でした。

かごの中の鳥(十理)は放たれると自由になる。

人間を自由にするものが真理ならば、十理を放つ鍵は真理。
                                         .


それを見て、気付きました。

十理は「十種神宝」。

それを放つものは、すでに自分の中にある。

そう言えば、ARIONに言われてました。

                    .
<弥沙は、瞑想の中で覚醒する>

あれは、このことだったのか。

あんなに「自分の中にある」と分かっていたのに、
そこに心が辿り着いていなかった。

                        *

さほさんとのやり取りや、ブログは、まるであの頃の
FARIONのRT(チャット)のよう。

静かに見守っているであろうARIONの息遣いを、
肌で感じながら朝まで喋ってたあの場所。
雑談の中から、お互いの光る石を拾い上げていた時間。
大事なものは、皆すでに持っていた。
                      
                                     .
人は生きていく中で、すでに真理を手にしているのです。

                                                        .

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