このブログがGoogleからペナルティくらいました。
検索からかからないようになった様です。
アメブロに記事を写してるのですが、自分のブログでも同じこと書いたらいけない様で。
両方くらったら困るし。
で、今、更新止まってます。
どうしようかな。
アメブロのブログ
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続きです。
今までの事を念頭に置き、いよいよ高良神と神功皇后との場面。
(今までのと重なる所があります)
高良神は物部の祖神、饒速日。
神功皇后は、彼の后の御炊屋姫。
彼らは二柱の天照であり、高良神が隠神となるのは神の交代を意味する。
では、神秘書は彼らのことをなんと伝える。
< 高良神出現 >
高良神の出現の様子。
十五代神功皇后の時、異類が日本に来る。
その時、筑前の四王寺の峰に登り、大鈴を榊の枝にかけ、七日の間、異国の退治を虚空に祈った。
東の空に白雲現れる。
たちまち四方に開き光を放って、月神(高良神・底筒男尊)現れる。
月神が現れて半時してから、住吉明神(父のウガヤフキアエズ)と日神の垂迹の表筒男尊と中筒男尊が現れる。
白雲の中に四本の鉾を打ち違えたるは、四天王の鉾。
異国遂伐の時の高良の御文はこれである(神紋)。
四方に光を放つゆえに、門光。
高良四天王が、天降った所を四王寺が峰と名付けた。
(中筒男尊=神武天皇はすぐにいなくなる)
神功皇后は、月神と日神を両副将軍と定めて、三韓を攻めた。
その後、住吉明神(ウガヤフキアエズ)は帰って行った。
また虚空(兜率天)に住み給う。
(「高良玉垂宮神秘書」より 解読)
①
神功皇后の時代、異類が攻めてきた。
それは、「三韓征伐」でも「地方の豪族」でも無いことは伝承から分かる。
異類とは、人で無いものを言う。
住吉四神はすべて同神であり、后は神功皇后。
彼らは名を変えられた饒速日と御炊屋姫。
彼らが出会った場所は、伝承により違う。
*1 上記神秘書では、筑紫の四王寺山で、神功皇后の祈りにより現れる。
*2 神話(記紀)では住吉神は、神功皇后の三韓征伐の折りに船の舳先に現れる。
*3 饒速日と御炊屋姫は、大和で出会ってる。
彼らは*3の大和で出会ってるはず。
なぜ、このようなことになっているのか。
②
最たる理由は、二つある。
皇紀を紀元前600年としたこと。
高良神である饒速日は、皇室の祖神とされなくなったこと。
実際の彼らは200年代前後。(彼女は卑弥呼)
ゆえに長期の「作られた歴史」のその時代辺りに、彼らは入れ込まれている。
3世紀の日本の様子を告げる魏志倭人伝。
当時の様子を見ると、紀元前600年前から皇室が続いてるとは誰も思わないだろう。
神話で彼女が仲哀天皇の后であることも、これらに起因する。
③
記紀では、仲哀天皇は筑紫に来た後に崩御。
その時に神功皇后の側にいたのが武内宿禰であり、住吉との縁も匂わせる。
記紀では崩御の場所も違う。
彼女が身ごもった子は、不自然な妊娠期間。
すべて、皇室の歴史に取り込み、時代も合わせる為である。
しかし、武内宿禰、住吉神という存在は消せなかった。
神話、記紀はすべて彼らに繋がる暗号なのだ。
匂わせは彼女にもある。
日本書紀については、魏志倭人伝の記述を入れ込み、他国の書では彼女が卑弥呼だと暗に告げている。
彼女はそれであり、彼らはその時代の者である。
彼らは筑紫の神である、高良神と宗像神。
上記の理由から、筑紫で初めて会うことにされたのだ。
しかも彼は神話上の神、住吉として。
< 四王寺の峰 >
四王寺の峰にはその名の通り、四つの峰がある。
後にこの峰のそれぞれに、四天王を拝した。
毘沙門天はその一柱であり、高良神と習合される。
それ故に、この話が加えられたのだろう。
しかし、すべてが創作ではなく、真実があるものが伝承。
彼の同神は、それに乗っていたと伝わる。
高良神が乗ってやって来たのは白雲。
志賀海神社での高良神は、金色の雌雄の亀。
籠神社の天火明は、空を飛ぶ光る籠、海の中でも水が入らない籠。
彼は饒速日なので、それらはアマノトリフネになる。
では、筑紫での彼ら(神功皇后も)の出現地は四王寺山なのかもしれない。
宝物殿のタペストリーにはこの情景が描かれている。
(伝承、神話の重なることは、外せない重要な真実であることを示唆している。
故に、昔話などで連綿と伝えてきたのだ)
( つづく )
*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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続きです。
< 神の住い >
神秘書では、神功皇后と高良神は地上にいる間、皇宮におられたという。
それはどこか。
☆1 仁徳天皇の時代、神功皇后が崩御した時に皇宮を出て、その後、この山(高良山)にご行幸したとある。
では、皇宮は高良大社のある高良山では無かったことになる。
しかし矛盾があった。
まずは箇条書きで、該当部分を要約。
☆2 異国征伐の時に干珠満珠にて国土を治め給う。
また皇宮にて神璽を持たせ給う間、御鳥井に玉垂宮とうち給うなり。
☆3 神功皇后の異国征伐の時、(高良神が)兜率天より此の地へ天下りし、「鎮在が辻」へ行かれる時、初めて 泊まった地が朝妻であった。
☆4 神功皇后が崩御した後、高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣 皇宮を共に出る。
☆5 武内大臣は因幡国へ。
靴を脱ぎ捨てお衣を枝にかけ山の奥に入り、隠れてしまう。
☆6 残り四人は皇宮より遥々行き、豊姫 玄孫大臣は肥前の国に留まりて、豊姫は河上大明神となり給う。
☆7 高良大明神 大祝日往子尊は九月十三日にこの山に遷幸あるなり。
(要約。それぞれ別のページに記載)
まずは、☆4~7
神功皇后が崩御した後の話だ。
☆4 皇宮を出たのが高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣。
それらは二柱の神とそれぞれ同神(大祝往子尊は御子?)であり、神功皇后が亡くなった後ならば、「豊姫」はいない。
☆5 武内宿禰は因幡に隠れた。
因幡とは島根県。
しかし彼の「隠れた地」は福岡にある。
宗像の織幡神社。
沓塚があり、武内宿禰はそこに沓(くつ)を残して、空へ昇ったという。
神秘書にも「靴を脱ぎ」とある。
しかも彼は高良神と同神。
高良神は筑後の隠神とされた。
との一文もあった。
筑紫を出ていないのだ。
☆6 河上に豊姫。
前回も触れたが、佐賀に河上神社(與止日女神社)がある。(まだアップしてなかった~)
豊姫(淀姫と同神)はこの地に祀られる。
そこから勧請されたのが那珂川の伏見神社。
祇園祭での神楽の演目に磯良舞がある。
彼らが「祇園の神」である所以だ。
☆4~6からは、皇宮は別の場所であり、放浪の末、*7のように高良神は高良山に移ったとの意味にとれる。
それと矛盾する記述が☆2~3
☆2 三種の神器と鳥居に玉垂宮
*玉垂宮とは今の高良大社。
*皇宮で三種の神器を持ってる間、鳥居に玉垂宮と刻んだのだから、それは高良大社の地のことである。
よって、皇宮は高良大社。
☆3 朝妻についての記述。
*朝妻は高良山の麓。
*兜率天とは、彼らが筑紫に来る前におられた場所。
饒速日と御炊屋姫ならば大和になる。
ここの場合は、その「筑紫に移動してきて」との意味となる。(*1)
*鎮在が辻とは。
彼らは異類を様々な土地で退治していた(故の祓いの神)。
異国征伐とは、羽白熊鷲退治のことでもあり、それは「冷水峠」になるだろう。
筑紫の幾つかの伝承はその地で重なり、関わる者はすべて名を替えた彼らとなる。
側の大根地山には、「神功皇后が神々を下ろし、それを鎮めた」とある。
同神である筑紫神社、筑前風土記の甕依姫の伝承でも「鎮めた」。
よって鎮在が辻とは、羽白熊鷲を鎮めた地である冷水峠。
彼らはその地に赴く前に、朝妻に泊まったということ。
(朝、妻になったの意)
それを裏付けるのが、高良の祭。
まず朝妻を巡るのだ。
祭神に縁のある地を巡るのが御神幸なので、一番の縁のある地となる。
「皇宮」が別の場所ならば、ここに先に来ないだろう。
彼らは筑紫の神なのである。
その実、どこにも行っていない。
では、
☆5 武内宿禰の因幡
☆6 豊姫の河上(與止日女神社・佐賀)
それらに共通することは、「彼らが後に御祭神として祀られた地」。
高良神は饒速日であり、大物主、大国主(ほか神話のほとんどの神)と同神。
因幡=島根には、大国主が祀られる出雲大社がある。
*これは彼が高良神であり、大国主であることの証でもある。
佐賀には豊姫が祀られる河上=與止日女神社。
まして、豊姫は神功皇后と同神。
崩御した後、歩いて移れはしない。
よって、皇宮は高良大社のことであり、神功皇后が崩御した後、高良神はその地に残ったということになる。
高良山の祇園山古墳に麓に彼女は眠っている。
彼は祇園の神。
共に過ごした地に埋葬しようとするのが自然な気持ちであろう。
そこに眠るのは彼女だ。
気になる一文がある。
上宮を兜率天ととりたり、秘すべし。
上宮は皇宮である高良大社の地のことか。
(高良の祭りの時)この三ヵ玉の威力、高良山一火と照らし、上宮御殿によりいで、八か寺を巡り(中略)
元のごとく上宮御殿に留まる。
もしこの火消ゆることあらば、当山滅亡たり。
ここでも上宮は大社を示す。
ならば、おそらく今もそこに三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉が眠る。
兜率天とは、高良の神が住まわれる=祀られる地。
*7が伝えることと同じ意味になる。
*那珂川=儺の国(奴国)には、住吉の元宮の現人神社がある。
神話の元もここの地名、地形。
この地も彼らにとって特別な地であることは確か。
そこが神話の「建日向豊久士泥別」であるので、もしかすると両方いたのかもしれない。
( つづく )
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*1 尚、住吉大明神(神秘書では住吉の父)が帰ったとされると兜率天は「神がおられた地、戻る場所」を意味する。前回のように崩御の意味ともなる。意味が変わる。
続きです。
< 現人神 >
高良神が記したという文がある。
大菩薩御記文
九国高良の麓の為依り、我九国人の慇(あわれみを)もらさず。
敵軍滅ぼさんと思わば者、味方の先鋒なりて供に戦う。
物部を去って、肉身神秘□他にすることあれば、この山共にもって我滅亡たり。
物部を続かせずは、我左右へ寄ることなかれ
我兜率の内いんともいえり*、我ために心さしあらん人は、高山に登りて、むこはらをたたいて祈れ
「高良玉垂宮神秘書より」
上記の緑文字は下記に。
*いんともいえりは、”隠とも云えり”であろう。
兜率天は住吉四神(父と三神)が地上に下りてくる前におられた所。
父である住吉大明神(ウガヤフキアエズ)が戻った地である。
(全て同神)
では”兜率天に隠れたとしても”である。
この場合は、”崩御したとしても”との意味になる。
では、その後に続くのは「現れる、戻ってくる」となろう。
更に高良神と同神の伝承などから繋がる。
☆天照
神話では岩戸に隠れ、開かれた時に再び現れる神。
(男天照から、女神天照への交代も示唆)
☆住吉神
元宮の那珂川の現人神社には、国の大事の際、人の前に姿を現し、神通力をふるう神とある。
現人神の由緒は、人(神功皇后)の前に初めて現れた神であるが、それも意味している。
ならば、上記大菩薩御記文の意味する所は。
高良神は九州人の憐みをもらさず、敵国を滅ぼさんと思う者の先鋒になり共に戦う。
(そのような状況になった時)高良の神が崩御したとしても、祈るものがあれば戻ってくる。
国の大事の時の再臨を預言しているのだ。
高良神と住吉神と天照。
同神であるから繋がる。
それが重要なことであるから、神の姿を変えられても残されている。
< 神の名 >
神秘書には神の名が並ぶ。
厳島大明神 竜神
宗像大明神 水神
皇后の妹二人おわします。
一人は宝満大神。
一人は河上大明神となりたまう。
宝満宮竈門神社には、神功皇后と玉依姫。
玉依姫は筑紫神社や周辺の伝承から、白日別である高良神と共にしていた神功皇后と分かっている。
(☆→筑紫神の伝承)
河上大明神とは、佐賀の川上の地名にある與止日女神社(別名が河上神社)のことであり、御祭神の淀姫。
神功皇后の妹とされており、豊姫と同神。
豊姫は高良大社の本殿に合祀=后の神功皇后である。
厳島の神(女神の天照)=宗像神=御炊屋姫。
彼女は、饒速日(=高良神)の后。
女神たちは全て同神となる。
( つづく )
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