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このブログがGoogleからペナルティくらいました。

検索からかからないようになった様です。

アメブロに記事を写してるのですが、自分のブログでも同じこと書いたらいけない様で。

両方くらったら困るし。

で、今、更新止まってます。

どうしようかな。

 

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2023年8月22日 (火)

高良玉垂宮神秘書 7 ~高良神*神功皇后の祈りにより出現~

続きです。

☆→高良玉垂宮神秘書 6 ~皇宮と兜率天~


今までの事を念頭に置き、いよいよ高良神と神功皇后との場面。
(今までのと重なる所があります)

 

高良神は物部の祖神、饒速日。
神功皇后は、彼の后の御炊屋姫。

彼らは二柱の天照であり、高良神が隠神となるのは神の交代を意味する。

 

では、神秘書は彼らのことをなんと伝える。

 

 

< 高良神出現 >

高良神の出現の様子。

十五代神功皇后の時、異類が日本に来る。

その時、筑前の四王寺の峰に登り、大鈴を榊の枝にかけ、七日の間、異国の退治を虚空に祈った。

東の空に白雲現れる。

たちまち四方に開き光を放って、月神(高良神・底筒男尊)現れる。

月神が現れて半時してから、住吉明神(父のウガヤフキアエズ)と日神の垂迹の表筒男尊と中筒男尊が現れる。

白雲の中に四本の鉾を打ち違えたるは、四天王の鉾。

 

異国遂伐の時の高良の御文はこれである(神紋)。

四方に光を放つゆえに、門光。

Screenshot_202308221109242

高良大社神紋

高良四天王が、天降った所を四王寺が峰と名付けた。
(中筒男尊=神武天皇はすぐにいなくなる)

 

神功皇后は、月神と日神を両副将軍と定めて、三韓を攻めた。

その後、住吉明神(ウガヤフキアエズ)は帰って行った。

また虚空(兜率天)に住み給う。

(「高良玉垂宮神秘書」より 解読)

 ①

神功皇后の時代、異類が攻めてきた。
それは、「三韓征伐」でも「地方の豪族」でも無いことは伝承から分かる。

異類とは、人で無いものを言う。

住吉四神はすべて同神であり、后は神功皇后。
彼らは名を変えられた饒速日と御炊屋姫。

彼らが出会った場所は、伝承により違う。

*1 上記神秘書では、筑紫の四王寺山で、神功皇后の祈りにより現れる。
*2 神話(記紀)では住吉神は、神功皇后の三韓征伐の折りに船の舳先に現れる。
*3 饒速日と御炊屋姫は、大和で出会ってる。

 

彼らは*3の大和で出会ってるはず。
なぜ、このようなことになっているのか。

 

最たる理由は、二つある。

皇紀を紀元前600年としたこと。

高良神である饒速日は、皇室の祖神とされなくなったこと。

 

実際の彼らは200年代前後。(彼女は卑弥呼)
ゆえに長期の「作られた歴史」のその時代辺りに、彼らは入れ込まれている。

 

3世紀の日本の様子を告げる魏志倭人伝。
当時の様子を見ると、紀元前600年前から皇室が続いてるとは誰も思わないだろう。

神話で彼女が仲哀天皇の后であることも、これらに起因する。

 

記紀では、仲哀天皇は筑紫に来た後に崩御。
その時に神功皇后の側にいたのが武内宿禰であり、住吉との縁も匂わせる。

記紀では崩御の場所も違う。

彼女が身ごもった子は、不自然な妊娠期間。

 

すべて、皇室の歴史に取り込み、時代も合わせる為である。
しかし、武内宿禰、住吉神という存在は消せなかった。

神話、記紀はすべて彼らに繋がる暗号なのだ。

 

匂わせは彼女にもある。
日本書紀については、魏志倭人伝の記述を入れ込み、他国の書では彼女が卑弥呼だと暗に告げている。

彼女はそれであり、彼らはその時代の者である。

  (☆→祇園の神 11 ~前編 卑弥呼は神功皇后~

 

彼らは筑紫の神である、高良神と宗像神。
上記の理由から、筑紫で初めて会うことにされたのだ。

しかも彼は神話上の神、住吉として。

Screenshot_202308221109312

 

< 四王寺の峰 >

 

四王寺の峰にはその名の通り、四つの峰がある。
後にこの峰のそれぞれに、四天王を拝した。

毘沙門天はその一柱であり、高良神と習合される。
それ故に、この話が加えられたのだろう。

 

しかし、すべてが創作ではなく、真実があるものが伝承。
彼の同神は、それに乗っていたと伝わる。

 

高良神が乗ってやって来たのは白雲。
志賀海神社での高良神は、金色の雌雄の亀。
籠神社の天火明は、空を飛ぶ光る籠、海の中でも水が入らない籠。

彼は饒速日なので、それらはアマノトリフネになる。

では、筑紫での彼ら(神功皇后も)の出現地は四王寺山なのかもしれない。

 

宝物殿のタペストリーにはこの情景が描かれている。
(伝承、神話の重なることは、外せない重要な真実であることを示唆している。
 故に、昔話などで連綿と伝えてきたのだ)

 

( つづく )

 

 

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2023年8月21日 (月)

高良玉垂宮神秘書 6 ~皇宮と兜率天~

続きです。

☆→高良玉垂宮神秘書 5 ~再臨の神*高良神と現人神~

 

< 神の住い >

神秘書では、神功皇后と高良神は地上にいる間、皇宮におられたという。

それはどこか。

 

☆1 仁徳天皇の時代、神功皇后が崩御した時に皇宮を出て、その後、この山(高良山)にご行幸したとある。

では、皇宮は高良大社のある高良山では無かったことになる。


しかし矛盾があった。
まずは箇条書きで、該当部分を要約。

 

☆2 異国征伐の時に干珠満珠にて国土を治め給う。
  また皇宮にて神璽を持たせ給う間、御鳥井に玉垂宮とうち給うなり。

☆3 神功皇后の異国征伐の時、(高良神が)兜率天より此の地へ天下りし、「鎮在が辻」へ行かれる時、初めて 泊まった地が朝妻であった。

☆4 神功皇后が崩御した後、高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣 皇宮を共に出る。

☆5 武内大臣は因幡国へ。

   靴を脱ぎ捨てお衣を枝にかけ山の奥に入り、隠れてしまう。

☆6 残り四人は皇宮より遥々行き、豊姫 玄孫大臣は肥前の国に留まりて、豊姫は河上大明神となり給う。

☆7 高良大明神 大祝日往子尊は九月十三日にこの山に遷幸あるなり。

(要約。それぞれ別のページに記載)


まずは、☆4~7
神功皇后が崩御した後の話だ。

 

☆4 皇宮を出たのが高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣。

それらは二柱の神とそれぞれ同神(大祝往子尊は御子?)であり、神功皇后が亡くなった後ならば、「豊姫」はいない。


☆5 武内宿禰は因幡に隠れた。

因幡とは島根県。
しかし彼の「隠れた地」は福岡にある。


宗像の織幡神社。
沓塚があり、武内宿禰はそこに沓(くつ)を残して、空へ昇ったという。

 

☆→織幡宮 ~武内宿禰が天に昇った地~

神秘書にも「靴を脱ぎ」とある。
しかも彼は高良神と同神。

 

高良神は筑後の隠神とされた
との一文もあった。

筑紫を出ていないのだ。


☆6 河上に豊姫。

前回も触れたが、佐賀に河上神社(與止日女神社)がある。(まだアップしてなかった~)
豊姫(淀姫と同神)はこの地に祀られる。

そこから勧請されたのが那珂川の伏見神社。
祇園祭での神楽の演目に磯良舞がある。

彼らが「祇園の神」である所以だ。

 

☆4~6からは、皇宮は別の場所であり、放浪の末、*7のように高良神は高良山に移ったとの意味にとれる。

 

それと矛盾する記述が☆2~3

☆2 三種の神器と鳥居に玉垂宮
*玉垂宮とは今の高良大社。
*皇宮で三種の神器を持ってる間、鳥居に玉垂宮と刻んだのだから、それは高良大社の地のことである。

よって、皇宮は高良大社。

 

☆3 朝妻についての記述。
*朝妻は高良山の麓。
*兜率天とは、彼らが筑紫に来る前におられた場所。

饒速日と御炊屋姫ならば大和になる。

ここの場合は、その「筑紫に移動してきて」との意味となる。(*1)

 

*鎮在が辻とは。

彼らは異類を様々な土地で退治していた(故の祓いの神)。
異国征伐とは、羽白熊鷲退治のことでもあり、それは「冷水峠」になるだろう。

筑紫の幾つかの伝承はその地で重なり、関わる者はすべて名を替えた彼らとなる。

 

側の大根地山には、「神功皇后が神々を下ろし、それを鎮めた」とある。
同神である筑紫神社、筑前風土記の甕依姫の伝承でも「鎮めた」。

よって鎮在が辻とは、羽白熊鷲を鎮めた地である冷水峠。

☆→命尽くし神の出現地*冷水峠 ~筑紫神の伝承 7~

 

彼らはその地に赴く前に、朝妻に泊まったということ。
(朝、妻になったの意)

 

それを裏付けるのが、高良の祭。
まず朝妻を巡るのだ。

祭神に縁のある地を巡るのが御神幸なので、一番の縁のある地となる。
「皇宮」が別の場所ならば、ここに先に来ないだろう。

彼らは筑紫の神なのである。
その実、どこにも行っていない。

 

では、

☆5 武内宿禰の因幡

☆6 豊姫の河上(與止日女神社・佐賀)

それらに共通することは、「彼らが後に御祭神として祀られた地」。

 

高良神は饒速日であり、大物主、大国主(ほか神話のほとんどの神)と同神。
因幡=島根には、大国主が祀られる出雲大社がある。

*これは彼が高良神であり、大国主であることの証でもある。

 

佐賀には豊姫が祀られる河上=與止日女神社。
まして、豊姫は神功皇后と同神。

崩御した後、歩いて移れはしない。

 

よって、皇宮は高良大社のことであり、神功皇后が崩御した後、高良神はその地に残ったということになる。

高良山の祇園山古墳に麓に彼女は眠っている。

 

彼は祇園の神。

☆→祇園の神 9 ~高良大社の祇園の神~

 

共に過ごした地に埋葬しようとするのが自然な気持ちであろう。
そこに眠るのは彼女だ。

☆→祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

☆→祇園の神 11 ~前編 卑弥呼は神功皇后~

 

気になる一文がある。

上宮を兜率天ととりたり、秘すべし。

上宮は皇宮である高良大社の地のことか。

(高良の祭りの時)この三ヵ玉の威力、高良山一火と照らし、上宮御殿によりいで、八か寺を巡り(中略)

元のごとく上宮御殿に留まる。

もしこの火消ゆることあらば、当山滅亡たり。

ここでも上宮は大社を示す。

 

ならば、おそらく今もそこに三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉が眠る。
兜率天とは、高良の神が住まわれる=祀られる地。

*7が伝えることと同じ意味になる。

 

*那珂川=儺の国(奴国)には、住吉の元宮の現人神社がある。

神話の元もここの地名、地形。

この地も彼らにとって特別な地であることは確か。

☆→筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~

 

そこが神話の「建日向豊久士泥別」であるので、もしかすると両方いたのかもしれない。

 

 

( つづく )

 

 

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*1 尚、住吉大明神(神秘書では住吉の父)が帰ったとされると兜率天は「神がおられた地、戻る場所」を意味する。前回のように崩御の意味ともなる。意味が変わる。




2023年8月20日 (日)

高良玉垂宮神秘書 5 ~再臨の神*高良神と現人神~

続きです。

☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~

 

< 現人神 >

高良神が記したという文がある。

 

大菩薩御記文

九国高良の麓の為依り、我九国人の慇(あわれみを)もらさず。

敵軍滅ぼさんと思わば者、味方の先鋒なりて供に戦う。

物部を去って、肉身神秘□他にすることあれば、この山共にもって我滅亡たり。

物部を続かせずは、我左右へ寄ることなかれ

我兜率の内いんともいえり*、我ために心さしあらん人は、高山に登りて、むこはらをたたいて祈れ

「高良玉垂宮神秘書より」

 

上記の緑文字は下記に。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

 

*いんともいえりは、”隠とも云えり”であろう。

兜率天は住吉四神(父と三神)が地上に下りてくる前におられた所。

父である住吉大明神(ウガヤフキアエズ)が戻った地である。
(全て同神)

では”兜率天に隠れたとしても”である。

この場合は、”崩御したとしても”との意味になる。

 

では、その後に続くのは「現れる、戻ってくる」となろう。

更に高良神と同神の伝承などから繋がる。

 

☆天照

神話では岩戸に隠れ、開かれた時に再び現れる神。
(男天照から、女神天照への交代も示唆)

 

☆住吉神

元宮の那珂川の現人神社には、国の大事の際、人の前に姿を現し、神通力をふるう神とある。
現人神の由緒は、人(神功皇后)の前に初めて現れた神であるが、それも意味している。

 

☆現人神(広辞林)
随時、姿を現して、霊験あらたかな神。
特に住吉や北野の神などをいう
***

 

ならば、上記大菩薩御記文の意味する所は。

 

高良神は九州人の憐みをもらさず、敵国を滅ぼさんと思う者の先鋒になり共に戦う。

(そのような状況になった時)高良の神が崩御したとしても、祈るものがあれば戻ってくる。

国の大事の時の再臨を預言しているのだ。

 

高良神と住吉神と天照。
同神であるから繋がる。
それが重要なことであるから、神の姿を変えられても残されている。

 

< 神の名 >

神秘書には神の名が並ぶ。

 

厳島大明神 竜神
宗像大明神 水神

皇后の妹二人おわします。

一人は宝満大神。
一人は河上大明神となりたまう。

 

宝満宮竈門神社には、神功皇后と玉依姫。

玉依姫は筑紫神社や周辺の伝承から、白日別である高良神と共にしていた神功皇后と分かっている。

☆→筑紫神の伝承

 

河上大明神とは、佐賀の川上の地名にある與止日女神社(別名が河上神社)のことであり、御祭神の淀姫。

神功皇后の妹とされており、豊姫と同神。

豊姫は高良大社の本殿に合祀=后の神功皇后である。

☆→高良大社の旧豊咩神社*豊姫と神功皇后 後編~

 

厳島の神(女神の天照)=宗像神=御炊屋姫。

彼女は、饒速日(=高良神)の后。

女神たちは全て同神となる。

 

 

( つづく )

 

 

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