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2006年10月29日 (日)

小樽

2、3年前のある日、パパの友達から電話がかかってきました。
彼には、かなりの霊能力があります。
私に代わると彼は言いました。

「小樽のトンネル事故に知り合いいない?」
いた。確かに。彼女は友達で、何度も話してた。

           *

そのトンネル事故があった当時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。
バスの中に彼女がいると知ったのはテレビでした。
それを知ってからは、日夜、流される映像にひたすら祈った。

その年の夏、久々に実家に帰省した時のこと。
母は、「花を供えに行こう」と言いました。

車は母の運転で、積丹へ向かう道を走ります。
この道は、海沿いの岸壁に添うように通っています。

事故のあったトンネルは、あの岩が取り除かれ、そのまま使われていました。
その隣で、山の中を掘削する工事をしていました。
そっちに新しいトンネルを造るらしいのです。
それができるまでの間は、他に抜け道が無いこの辺は、事故のあったトンネルを
使うしかなかったようでした。

そのトンネルの入り口の脇に、小さな広場が作られていました。
祭壇があり、たくさんの花が供えられていました。
あれから半年しか経っていません。

そこに花を置きました。

その場所。
見上げた岸壁は、ただただ巨大で、テレビの映像から見たのより、胸に迫った。
あんな岩がと思うと、もう、泣くしかなかった。
声を上げて泣いた。

その場所を通るバスはみな、そのトンネルの前まで来ると弔いのクラクションを
鳴らしました。
長く長く。

車は、またそのトンネルを通って、来た道を戻っていきました。
助手席にいた私は、この場所でと思うと、また泣いた。

と、声がしたのです。
”○○ちゃん(私の名前)、泣かないで”
あの子の声。

海沿いの道をしばらく走って、私が落ち着いた頃、母がお昼にしようと
レストランに入りました。
注文の品を待つ間、海を見ながら母に言った。
「トンネルの中で、声がした。○○ちゃん、泣かないでって」
かなりの霊感がある母は、「そうか」とだけ。

       *

パパの友達は続けました。
「事故の後、そのトンネルに行った?」その時点で、あの事故から6年は経っているでしょう。
「うん」
「そこで何かなかった?」

私は、そのトンネルの中で聞こえた声のことを話しました。
「でも、魂がそこにあったような感じじゃなかったよ。綺麗だった」
「声が聞こえたという事は、まだ浮かばれていないということ。○○ちゃん(私の名)を
アンテナにして、みんながこっちに来た。浄化して欲しいらしい」

彼は私に、トンネルの中を思い浮かべるように言いました。
しばらく後、「もう、いいよ」と。
「浄化、終わったから」

彼がしたのなら、彼女も、他の人達も無事にあの世へたどり着くでしょう。
そうして、いつの日か、また違う姿で逢うかもしれない。
婚約者の彼とも、また、どこかで。
そう、思いました。

彼は、「それ」を仕事にしていません。
結婚した今は、すっかり使わなくなって、「力も落ちた」と言っています。
パパの結婚してから、こんな人がいっぱい。何かの縁だろうけど、その縁に感謝することもいっぱい。

2006年10月23日 (月)

博多総合車両所 公開日

昨日は、博多総合車両所の公開がありました。

こうくんは、いまのとこの将来の夢は、「しんかんせんをなおす人」らしいです。
(彼の感覚では、整備士さんではなく、なおす人)
無類の、電車好き、新幹線好きだったりします。

ママも彼が大きくなるに連れて完全に染まってしまい、すっかり電車好きになって
しまいました。
たまに、彼とてんを連れて、博多南駅にある車両基地(博多総合車両所のこと)に
並んでいる新幹線を見に行ったり、博多駅に止まっているJRの電車を見に行っています。

車両基地では、WIN350(朝のうちは大抵、車両入れ替えの為?に外に出ている)や
ドクターイエロー0系、700系がたまに見られる時があります。
普段からもたくさんの新幹線が並んでる、こうくんにとっては夢のような場所でした。
その車両基地が公開されるというのですから、こうくんはその日を心待ちにしていました。

博多南駅から、無料のシャトルバスが出ています。
12時40分頃のバスに乗って、車両基地へ。

目の前に、700系と500系が並んでいました。
その先頭車両の前で、写真を撮らせてくれました。
それまでパパの肩で寝ていたてんも起きて、一緒に撮りました。パパは撮る役。
と、目の前を、泡に包まれたレールスターが通ってきました。
洗浄です。
その後、水洗い。
こんなんで洗ってたのか~と、また感動。

建物の中に入って、パネルや模型を見てから、地下道を通って、いざ車両基地へ。
(当たり前だけど)大きな工場のようでした。

塗装途中の300系があったり、700系があったり。
奥では、ミニ新幹線があって、子供と一緒に乗りました。
WIN350の先頭車両と300系?の2階建て食堂車があって、食堂車は中に入れました。
夢のような時間でした。
またバスに乗って、博多南駅へ。3時間経っていました。

思えば、こうくんが生まれてからずっと、電車漬けかもしれないです。
男の子が生まれると、今まで興味がなかったものまで世界が広がって、
二度人生を経験してる気持ちになります。

2006年10月15日 (日)

魂のゆく時

人の魂が空へ還る瞬間を感じたことがあります。
私は霊感がない方だと思いますが、何度か見えたことがありました。
怖い思いをしたことはないですけど。

結婚した年の夏にパパの母方の祖母が亡くなりました。
お葬式に出る為にお義母さんの故郷に行きました。

斎場の椅子に座ると祭壇の右上、空中に遺影の中の人が浮かんでいました。

私は生前のおばあさんを知りません。
ですから、その「存在」を自分の頭の中で「写真の人」として映像化していたと思います。
もしもパパが見ていたなら、最後に会った、もしくは一番印象に残ってる「おばあさんの姿」だったのでしょう。

おばあさんは、焼香をあげる人を一人ひとりを見ていました。
悲しいとも、嬉しいとも違う表情で、ただ、凛として見つめてました。
私は、ただその姿をずっと見ていました。
なんとなく、私にさえ見えるのだから、「すごい人」だったんだろうなと思いました。

そしておばあさんの棺は火葬場に移されました。
扉が閉められ、ごおっという火が点く音がした(多分、実際は聞こえていない)と思った瞬間、ぽっと「その存在」は空へ昇って行きました。

涙が止まりませんでした。
その時、パパのいとこのお姉さんが寄ってきました。
パパが私が見たことを言うと、すんなり理解していました。
後で聞いたら、その人はかなりの霊感があったらしいです。

その話は、パパ以外、その人しか話していません。
お義母さんにも。普通、こんな話「お姑さん」に話さないです。

今年に入って、お義母さんは亡くなったおばあさんが生前「六三(ろくさん)除け」というものをしていたことを教えてくれました。

今でもお寺などでやってる、病気を治すまじないのようなもので、たくさんの人を救ったらしいです。
それをしていたから、最期にあんなに辛い思いをしていたのかなと語ってくれました。
(救った人の身代わりになったのでは、と思っているらしいです)
今もさ迷ってるのではと。

(それは、違う。おばあさんはちゃんと昇られた)そう思った時、お義母さんに自分が見た最後のおばあさんを話していました。

少しも苦しんでいなかった。
清々しくなるくらい、潔く昇っていかれた。
この世になんの未練も残さず、旅立って行かれた。
自分もこんな最期を迎えられたらと思うくらい。
おばあさんは、きっと少し心配性なこの娘に伝えて欲しかったから、私に見せたのでしょう。

話すと肩の荷が下りました。
ずっと、話したかったんだと思います。

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