小樽
2、3年前のある日、パパの友達から電話がかかってきました。
彼には、かなりの霊能力があります。
私に代わると彼は言いました。
「小樽のトンネル事故に知り合いいない?」
いた。確かに。彼女は友達で、何度も話してた。
*
そのトンネル事故があった当時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。
バスの中に彼女がいると知ったのはテレビでした。
それを知ってからは、日夜、流される映像にひたすら祈った。
その年の夏、久々に実家に帰省した時のこと。
母は、「花を供えに行こう」と言いました。
車は母の運転で、積丹へ向かう道を走ります。
この道は、海沿いの岸壁に添うように通っています。
事故のあったトンネルは、あの岩が取り除かれ、そのまま使われていました。
その隣で、山の中を掘削する工事をしていました。
そっちに新しいトンネルを造るらしいのです。
それができるまでの間は、他に抜け道が無いこの辺は、事故のあったトンネルを
使うしかなかったようでした。
そのトンネルの入り口の脇に、小さな広場が作られていました。
祭壇があり、たくさんの花が供えられていました。
あれから半年しか経っていません。
そこに花を置きました。
その場所。
見上げた岸壁は、ただただ巨大で、テレビの映像から見たのより、胸に迫った。
あんな岩がと思うと、もう、泣くしかなかった。
声を上げて泣いた。
その場所を通るバスはみな、そのトンネルの前まで来ると弔いのクラクションを
鳴らしました。
長く長く。
車は、またそのトンネルを通って、来た道を戻っていきました。
助手席にいた私は、この場所でと思うと、また泣いた。
と、声がしたのです。
”○○ちゃん(私の名前)、泣かないで”
あの子の声。
海沿いの道をしばらく走って、私が落ち着いた頃、母がお昼にしようと
レストランに入りました。
注文の品を待つ間、海を見ながら母に言った。
「トンネルの中で、声がした。○○ちゃん、泣かないでって」
かなりの霊感がある母は、「そうか」とだけ。
*
パパの友達は続けました。
「事故の後、そのトンネルに行った?」その時点で、あの事故から6年は経っているでしょう。
「うん」
「そこで何かなかった?」
私は、そのトンネルの中で聞こえた声のことを話しました。
「でも、魂がそこにあったような感じじゃなかったよ。綺麗だった」
「声が聞こえたという事は、まだ浮かばれていないということ。○○ちゃん(私の名)を
アンテナにして、みんながこっちに来た。浄化して欲しいらしい」
彼は私に、トンネルの中を思い浮かべるように言いました。
しばらく後、「もう、いいよ」と。
「浄化、終わったから」
彼がしたのなら、彼女も、他の人達も無事にあの世へたどり着くでしょう。
そうして、いつの日か、また違う姿で逢うかもしれない。
婚約者の彼とも、また、どこかで。
そう、思いました。
彼は、「それ」を仕事にしていません。
結婚した今は、すっかり使わなくなって、「力も落ちた」と言っています。
パパの結婚してから、こんな人がいっぱい。何かの縁だろうけど、その縁に感謝することもいっぱい。
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