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2012年7月10日 (火)

庭のわかめ

庭にわかめがあると気づいたのは、一ヶ月程前。

雨が降ると緑色のゼリー状になって、まさに肉厚のわかめが庭に落ちているような状態。

晴れの日が続くと、乾いて縮まって娘曰く「鳥の○○みたい」
嫌がって、庭で遊ばなくなったのです。

ここの所の西日本を襲った大雨&長雨で、わかめが何だか増えたっぽい?
徐々に庭を征服しようとしているのです。

パパ曰く、「苔じゃないのか?」
「あんな、波打っているぽにょぽにょしてるのが苔?」
と私。

とうとう、昨日ネットで調べました。


「イシクラゲ」

細菌なのだそうです!
まぁ、苔のようなものだとか。

人畜無害。
食用にもなるし、漢方薬になったり、抗腫瘍、抗ウィルス薬としても研究されてるとか。

食用???
あれ、食べられるんだ!

と、思っていたら関西の番組「探偵ナイトスクープ」の映像がユーチューブにありました。

「ほんまに食べてる~!」
と、横で見ていた娘は大喜び。

いやいや、探偵様、せめて湯がいてください。

兄にも、
「あれ、何億年も昔から姿が変わってない生きた化石やねんて」
と言うと、
「すげー!シーラカンスとかオウムガイとかカブトエビ(田んぼにいるやつ)とかと一緒??
採って植木鉢に植えよう!」

それだけは、やめて・・・。


ほおって置いても大丈夫・・・とは言っても、踏むと滑りそうだし、
何より気持ち悪いので駆除に決定。

食酢を薄めたものをジョウロで撒く。
苔用の防除剤を撒く。
アルカリの土壌を好むらしいので、酸性の土壌に入れ替える。
水はけをよくする。

う~ん。とりあえず、乾いている時に採ると胞子が飛んで増えるらしいので、
雨が降った時にできるだけ採って処理しよう。

明日から雨?
決行~!

正体が分かって、ほっとしました。

2012年7月 2日 (月)

前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その3

石切劔箭(いしきりつるぎや)神社は、生駒山の大阪側の中腹にある。
石切駅を降りるとすぐに、参道が続く。
にぎやかな商店街が続き、人があふれ返っていた。

ここに来るまでまったく知らなかったのだが、できものの神様として有名らしく、参拝の方がたくさんおられた。
できもの・・・おできや、がんや、身体にできるあらゆるできものの治癒の祈願に来られるのだ。

神社の前に来ると、30人以上の方が同じ方向に回っておられた。

お百度参り。
自分の為、大切な誰かの為、願を掛けて回る。

私は時々、念の強い場所に来ると「当てられて」しまうことがある。
これだけたくさんの方々の願いが重なると、とても強いパワーになる。
その祈りのパワーに押されて、ふらふらになってしまった。

なんとかお参りをした後、お社とは反対側へ。

そこに、石があった。

「祭神 饒速日命(にぎはやひのみこと)が天磐船に乗って、この地に天下ったおりの足跡が施された石」とあった。
(腰を掛けられただったか、何だったか、忘れてしまった)

その後、生駒山を越えて奈良に入ったと。

愕然として、その場にへたり込んだ。

 

<そうか、本当にあの船は生駒山を越えたんだ>


遠い昔、この地を翔け抜けた<アマノトリフネ>の軌跡が、見えた気がした。
夢が重なっていくよう。


空を飛ぶ船なんてありえないのだが、否定できない自分がいる。
今よりずっと遠い遠い昔の夢の話。


「ありえないなんてことは、ありえない」
それをつくづく痛感させられる世界。

                *

後の記事。

☆→石切劔箭神社 ~饒速日を求めて ②~

前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2

その二つの神社に行くことになったのは、ほんの偶然だった。

弟が大阪に滞在することになったので、泊まりで会いにいくことにした。

その滞在先の生駒山の中腹には、石切劔箭(いしきりつるぎや)神社があった。
初めて聞いた神社だったが、側に行ったついでにと行くことに。

だから、一日目の奈良ではあまり遠出をせずに、生駒山の奈良側の麓にある、矢田丘陵の矢田坐久志比古(やたにいますくしひこ)神社に行ったのだ。



一日目、電車やバスを乗り継いで、なんとか矢田丘陵についた。
なかなかここに来られなかったのは、交通の不便さ。

バスを降り、とほとほ歩いて行く内に、目眩に似た感覚が。

ここは、この場所は、「前に来たことがある」という強烈な既視感。
ここから見上げる山は、昔見たもの。
いつの昔?
今の私は、ここに来たことがない。

矢田坐久志比古神社の門には、大きなプロペラが掛けられていた。
近年、掛けられたものだそうで、航空の守り神様が祭られているそう。

 

Yata1

                                                                    .Yata2

 

                                                                           .
「祭神は、櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)」
「天磐船に乗ってこの地に天下ったと伝えられる」


<<アマノトリフネは、生駒山を越えた>>


あの夢が蘇った。

”生駒山を越えて、奈良側の麓に降りた”

まさか、そんなはずがない。
という私と、やっぱりという私が、私の中でせめぎあっていた。

生駒山を越えて降りてくる、白い巨大な船が、目の前に迫ってくるよう。
夢の中で見たものだったのか、頭の中で作り出したものなのか。

降りてきた船の人々とは、一時、戦になった。
のどかな風景と、逃げ惑う人々の幻影が一瞬重なって、胸が痛んだ。

遠い遠い昔の夢の話。

翌日、この気持ちを抱えたまま、生駒山の大阪側へ行った。

(続く)

 

 

後の記事

☆→矢田坐久志比古神社 ~饒速日命を求めて ⑥~

2012年7月 1日 (日)

前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その1

大阪にある石切劔箭(いしきりつるぎや)神社と、奈良にある矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこ)神社。


この神社のことを書く前に、私が見た夢を書かねばならない。

以前に、前世かもしれない夢を見たと書いたが、これもその夢の一つ。

*******************************

私は、その夢では古代の日本にいた。
今よりも遠い遠い昔の話。

 

Fujiwara
                                                          .
そこは奈良。
今の私が幼い頃に暮らした場所。
懐かしい山々は、今となんら変わることなく。
間違えようがない。


その頃(古代)の奈良にはまだ、大きな湖があった。

奈良盆地がすっぽりと覆われるような大きさ。


夢ではよく、南から北の湖を眺めていた。
耳成山(?)の北辺りからだと思う。
そこに住んでいたからという訳ではなく、雨期ごとに広がる湖が心配だったのだ。

(夢の最初に見たのは、湖。湿地帯を見せた時期の方が短いのかもしれない)



ここからは、ちょっと絵空事のような話。

夢を見た時に今の私の感覚も混じっているかもしれないので、どこまでが空想か、前の世界のことなのかは分からない。

なので、見たままを。

                 *

その世界でも色々なことがあったようだが、ある日、唐突に船が来た。
私はそれを離れた場所から「視て」いた。
肉眼ではなく、透視(遠視?)のよう。

船は白く、とても巨大で、真っ白な帆が風をはらんでいた。
今までに見たことがないその異様な巨大さ。

その船が生駒山の頂上を越えてきた。
静かに、ゆっくりと。

船は<アマノトリフネ>と呼ばれていた。

その時「今の私」は、(過去の?)私の中で、
「山を越えるなら生駒山よりも、もっと南の二上山の方が低くて通りやすいだろうに」
とのんびりと考えてた。
夢の中の「今の私」は、この夢が前の世界の夢だと分かっていた。

場面転換して、船の夢はそこで終わりだったが、生駒山を越えた後、奈良側に降りたよう。


夢から覚めた後、「なぜ、わざわざ生駒山を越えたのか」と不思議だった。
「奈良の西で一番高い山(当時そう思ってる)を、越えてくる船」の夢をなぜ見たのかと。
前世と思われる夢の中の、その”不都合な場所を越える船”。

それは本当に前世の夢なのだろうか。
勝手に自分が作り出した、ただの夢ではないのかと。

船が飛ぶこと自体、ありえないことだが、何故かそれはすんなりと受け入れていた。

その疑問が、自分の中で解消される日が来た。
夢を見て数年後のこと。


(続く)

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