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2013年4月28日 (日)

裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県

福岡県の筑紫郡那珂川市安徳に裂田神社(さくたじんじゃ)がある。


01sakuta
                         .
上の写真の右端の奥に見える森のようなものが安徳台。

 

02sakuta                                   .

茶色の欄干の下に、裂田の溝(さくたのうなで)という水路が通っている。

 

03sakuta

裂田の溝です。

上の写真の右上の方に、裂田神社がある。

04sakuta

上の写真の右側が裂田神社、正面が安徳台(迹驚岡・とどろきのおか)。

(安徳台については後に)

                      *

 

神功皇后が大陸に出征する際に、「人の前に初めて現れた神」。

その神を祭る「現人神社」。


神功皇后はその神社の神田に水を引く為に、土地の人を指揮して、那珂川の地に溝(うなで・水路)を造った。

福岡の真ん中を流れる那珂川がすぐ側にあるのだが、土地よりも低いために田に引き入れることが出来ないので水不足だったという。

まず、伏見神社(山田にある)の前辺りの那珂川に堰を。

「一の井堰」と言われている。

 

今ではコンクリートで被覆されているが、江戸の時代には、どんな大雨でも壊れない「筑前一」の堰と言われていた。

工事の時の調査で、その堰の作りが出雲族のたたらの炉の地下構造と同じものであったと分かったそう。

裂田の溝は、その堰の手前の取水口から安徳台の側を通り、何キロも経て今光(いまみつ)に至り、再び那珂川に注いでいる。

                        *

日本書紀の神功皇后紀によると、迹驚の岡(とどろきのおか・安徳台)の側に差し掛かる時、大岩が塞がった。

皇后が竹内宿禰に命じて鏡と剣を奉らせ、神に祈ると雷がこの岩を裂き、溝を築くことが出来た。

 

そこでこの溝を裂田の溝(さくたのうなで)と名づけ、その側に裂田神社を築いたと。


ほとんどの場所は1800年前。

何度も修繕、整備されているが、それほどまでに古い水路が、現在も使われているのはここだけ。
夏になると子供達が泳いでいる。


06sakuta(裂田のうなで ’13年 夏)

安徳台の側のうなでには遊歩道があり、散歩コースになっている。

Sakuta26
この写真の手前

Sakuta27
右側の崖は、9万年前の阿蘇火砕流堆積層。
おそらく、うなでが築かれた当時のままの姿になる。


                                        *

神功皇后は実在していた。

遙かな昔にこの地に水路を引き一大事業をなしとげた人達の功績は、日本書紀というこの国の最古の歴史書に書き留められている。


それを長い間、大切に受け継ぎ、守っている人達。
今でも、うなでにはごみ一つ落ちていない。

清流が流れ、魚が泳ぎ、子供達が遊んでいる。

那珂川の田畑を潤し、秋になると見事な黄金色の穂を実らせる。

                   *

裂田神社の側に初めて来た時、まさに秋だった。

 

黄金色の稲穂に白鷺が舞う光景を見た時、涙が止まりまらなかった。

望んでいた光景が、目の前に広がっている。

 

そんな不思議な気持ちになっていた。

日本書紀の舞台であることなど、まだ知らなかったのだが。

2013年4月27日 (土)

現人神社*住吉の元宮 ~福岡県那珂川市~

福岡市の南、背振山の麓の那珂川市に、現人神社がある。

 

Arahito1_2                                                                                .

鳥居と拝殿は西向き。
海の神様が祀られている証だそう。
ここから海までは10キロほど離れているのだが。

古来は、今の塩原が海岸線だった。
彼らはその頃の時代の者になる。

最も古い神社の一つとされていて、住吉の元宮だ。

 

Arahito2

祭神は、「底筒男神命・中筒男神命・表筒男神命」
住吉三神。

 

彼は筑後国一ノ宮の高良神であった。

高良玉垂宮神秘書には、神功皇后と夫婦であり、共に異類を退治したとある。

 

神話の神はすべて彼らに集約される。

☆→神*総まとめ

彼は筑後国一之宮の高良大社の高良神。

高良玉垂宮神秘書によると、高良神と神功皇后は夫婦であり、共に異類を退治していたという。
彼は物部の祖神であった。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

 

Arahito3
(写真をクリックすると拡大されます)

 

神話では、神功皇后が大陸へ出征する際に、姿を現し皇后を守った神。
「人の前に初めて姿を現した神」

現人神社の名前の由来。
この神様は、大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るうと言われている。

 

 

彼らは神話の全ての神であるので、この那珂川が「神話の郷」。

☆→神話の郷*高天原と禊の地)アメブロの記事

天孫降臨、クジフルタケ、真の道、すべて揃っていた。

建日向豊久士比泥別は、ここであった。

☆→筑紫島の四つの面)アメブロの記事

                                             
                                                *

日本書紀の神功紀に、神功皇后が指揮を執り作ったと言われる「裂田の溝(さくたのうなで)」。
それはこの土地にある神田へと水を引くため。

「住吉神」がおられたのだ。

 

                 
ここで「流鏑馬」もする。
後に見に行った。
この神社の前の道。
車が一台通るのがやっとの住宅街の道。

的の後ろに、車!家!
そこを失踪する馬。
放たれる矢!
とても迫力があった。

 

この神社に来ると、いつも光に包まれているような気がする。
キラキラした光に包まれるような。
お社の大きさで神様の力は測れないということか。

 

パワースポットとして、知る人ぞ知る神社だそう。

 

(追記)

先日、ふと気になって「現人神」を調べた。

何かを調べていた時、偶然、開いていたページが「出雲大社」「伊勢神宮」だったので、
調べてみた。

大辞泉に載っていた意味の一つには、

「随時、姿を現して、霊験あらたかな神。特に住吉や北野の神などをいう」

とあった。

 

住吉さんは、もともと「現人神」と呼ばれていたかもしれない。

2013年4月 6日 (土)

読書 「首都感染」

「首都感染」
高嶋 哲夫 著

             *

このところ、また鳥インフルエンザが現れてきたので、この本を思い出しました。

映画にもなったのですが、ちょうど同じ頃に読みました。

中国から始まる「強毒性インフルエンザ」の感染。
その広がり方。

日本の各空港での封じ込め策。
そして、首都への感染。

時の政府は、首都の封鎖を決断します。

封鎖された町に取り残された人々の想い。
それを見守ることしかできない人々の辛さ。
それ以上、広げまいと奔走する方々の姿に、胸が熱くなりました。

かなり厚みのある本でしたが、一日で読んでしまいました。


                    *  

その前の年だったでしょうか、新型インフルエンザが流行ったのは。
致死率が高い、重症化すると言われ、幼い子供もいたので
とても怖い思いをしました。

結局、家族全員がかかりましたが、幸い、季節性のインフルエンザと
余り変わりませんでした。


その少し前に聞かれた「SARS」もありました。
私が子供の頃には、そんなものが現実で流行るなんて思ったこともありませんでした。

でも、「SARS」や「強毒性インフルエンザ」のような世界を覆う恐ろしい病は、
今この瞬間でも現実に隣り合わせにあるものだと気づかされました。


                     *

またもや、「鳥インフルエンザ」の声。
今のところ、人から人の感染はないようですし、ワクチンの開発も始まっているようです。
このまま広がらないことを願います。

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