安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県
福岡市の南にある筑紫郡那珂川町(後に市になりました)に安徳台という台地がある。
神功皇后と武内宿禰の伝承地であった。
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(グーグルマップより)
下から見るとこんもりとした山のようだが、航空写真で見るとこの台地の上は平らなのが分かる。
現在はオリーブ畑などが広がっている。
台地の周りを歩きますと一時間程かかった。
周りはがけのようになっていて、天然の要害になる。
上に上がれる場所は二箇所しかなく、いずれも地権者、耕作者以外立ち入り禁止。
今は、私有地になっている。
(今は登れる。田畑があるので荒らさないようにしてください)
下の写真は裂田神社の側から撮った。
台地の高さは30メートルあるそう。
(実りの秋 '13.09.16)
その台地のことを知ったのは、同じく那珂川町にある現人(あらひと)神社を知ったからだった。
こちらの神社は先日書いたが、博多や大阪の住吉神社の元宮になる。
日本書紀の神功皇后紀の中にある、神田に水を引くために神功皇后が指揮を執り築いたと言われる「裂田の溝(さくたのうなで)」。
この丘の側に差し掛かる時、大岩が塞がった。
皇后が武内宿禰に命じて鏡と剣を奉らせ、神に祈ると雷がこの岩を裂き、溝を築くことが出来た。
その時に「雷がとどろいた」ので、この丘を「迹驚岡(とどろきのおか)」と名づけた。
*武内宿禰は高良神と同神であり、春日神、鹿島神=武御雷神とも同神。
この雷はそれを示唆している。
彼は物部の祖神、饒速日命だ。
(☆→神*総まとめ)
彼らが全ての神であるので、住吉の元宮があるここは、神話の地となる。
安徳台は天孫が住んだという「底津岩根」。
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「安徳」の名の通り、安徳天皇が壇ノ浦の合戦の前に2ヶ月の間滞在した仮宮が、台地の上にある。
この一帯には、その時の名残の地名があちらこちらに残っている。
安徳天皇をお迎えした「御迎(おむかえ)」
敵にいないと嘘をつき追い返したという「嘘谷(うそたに)」
安徳天皇を探しきれずに一本の松を植えたという「老松(おいまつ)」
安徳台の頂上には入水した安徳天皇を祀る小さな祠「安徳宮」。
江戸時代には、この台地は「御所が原」「上の原」と呼ばれていた。
古来より、幾度となく宮があったのだ。
古くは弥生時代中期。
この場所に遺跡が見つかったそう。
この説明文によると、弥生時代中期の酋長級の墓が見つかった。
奴国の大集落があった。
那珂川というのは、儺(な)の川、奴(な)の川から由来する。
那珂川には「岩戸」という地名もある。
天孫降臨、イザナギの祓いの地名、地形、真の道。
全てこがこにあった。
「裂田の溝」の那珂川からの取水口の側にある「伏見神社」では、今も7月になると「岩戸神楽」がある。
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