ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 放生会(ほうじょうや) 筥崎宮 福岡県 | トップページ | 流鏑馬 ー現人神社ー 福岡県 »

2013年10月 7日 (月)

伊勢神宮 式年遷宮と写真の光

先日、伊勢神宮の式年遷宮が行われた。
20年前の時は、直後に参拝。

 

今も思い出される、ヒノキの香りと真新しい白木の輝く御柱。



当時は愛知、三重に住んでいたのでよく行っていた。

愛知に住んでいた頃には、夜中の3時に家を出て、自分の運転で23号線を南下。
朝早くに伊勢に着く。

人が少ない内宮の参道。
清浄な風が流れているようで、とても好きだった。

 

祭神、天照。
ここは古来、磯宮と呼ばれていた。

神が磯神=いそのかみだからだ。

安曇磯良神である、筑後国一之宮の高良大社の高良神。

物部の祖神であった。

女神・天照は彼の后の御炊屋姫=神功皇后だ。

→☆神*総まとめ



こんな写真を撮ったことがある。
当時の写真をスマホで写してアップ。
97年10月となっている。

Dsc_0818_2_2


ずっと後になって、相方の「みえる」友達に見せたら、「面白いものが映ってる」とのこと。
霊のたぐいではないそう。

何が映ってるのでしょう。

 

Dsc_0804_2

こちらは内宮の風日祈宮へ続く橋の上から。
私の大好きな場所の一つ。
Dsc_0803_2

今日も輝いているお宮が見られるのでしょう。
これは前回の遷宮の前。

20年というのは、次の世代へ技術を継承していくのによい間隔だとか。

宮が生まれ変わり、神も生まれ変わる。
永遠に受け継がれる神の宮。

« 放生会(ほうじょうや) 筥崎宮 福岡県 | トップページ | 流鏑馬 ー現人神社ー 福岡県 »

コメント

オオーw(*゚o゚*)w これね!
なんだか・・・ 妖精とか精霊とか^^
そんな感じに見えるような・・・?
天から差してる光といい ほんわか~(´ ▽`)。o♪♪ って感じだね(v^ー゜)

おきらく龍さん、おはよう~

あきらかに意思を持っている光に見えて。
ただの光の写りこみじゃないなぁっと。

私も精霊や妖精っぽい感じがするよ
朝一の内宮はこういう気配がいっぱい。
風日祈宮の橋あたりは、あまり人も来ないので
常に気配を感じるところです(^^)
でも、周りに集まってくる気配がするのに、
自分には見えない・・・ちょっと寂しい思いも。

もともとそこにいたもの、清浄な風に惹かれてきたもの・・・
ちゃんと同居してるところが、日本の神社のいいところ

弥沙さん こんばんは☆

一番上のお写真、凄いですね♪

今でもエネルギーを発しております

手のひらをかざすと、僕の手から出るエネルギーと同調します

“何か”は解りませんが、天界からのエネルギーを持った存在だと感じます

こんばんは☆

これ 大きくして観ると あれですね。。。
たぶん 天照さんから分かれ出たエネルギー
天照さんの眷属的な感じ。。です
それもかなり位が高くて
正一位のお稲荷さんと同等くらいの存在なんじゃないかな??
お伊勢さんの中を いつもこうして飛び回ってるんでしょうね。。
たぶん お伊勢さんには 何体かいるんだと思います。。
写真とはいえ 生きてエネルギー放ってますから
弥沙さん 大事にしたらいいですよ~ヽ(´▽`)/

hakuさん、おはようございます
コメントありがとうございます

やっぱりそう思えますか
よく神社などで”くる”きらきらしたものってこういう感じのものです。
”会いにきてくれた”と嬉しくなるのです。
最近、あまり神社に行かないので、あえませんが(^-^;

写真をスマホで写してアップしたものでも感じられるエネルギーって
すごいですね。
こういうエネルギーは、空間も時間も越えて直接働きかけるもの
なんだと思います

marianaさん、おはようございます
コメントありがとうございます

人がたくさんいる昼間はあまり感じませんが、朝早くに行った時、
周りに集まってる気配がします
ほんとに、何体かいて飛び回ってるような気がしていました。
光の航跡も見えますねー

この写真、先日の遷宮の時に思い出すまで押入れの奥底でした
常に目に見えるところに飾っておきます。
守られているような気がします

先の遷宮から「動」の時期に入ったと感じてます。
お伊勢さんの場所により、世の中は「静」と「動」を行ったりきたりしてるような。
私の周りも動き出しました。
心してかかりたいと思います

ここでの多くの出会いにも感謝です


この写真は最初、鞠が転がってきて、道を横切り手前でポンと跳ね上がっているように
みえましたが、次に今は勾玉の形をしていて、中に龍がみえています。この参道は、内宮
近くですか?、それとも外宮ですか? 伊勢にはまだ行ったことがないのです。

ところで、夢の記事を読ませて頂きましたが、阿頼耶識(あらやしき)、一般的には、
アカシアの記録に触れているように思えます。竹内巨麿(たけのうちきよまろ)師は
ご存知ですか? 弥沙さんの霊統かと思います。

kono87さん、こんにちは
いつもキラぽちありがとうございます。

写真は内宮の参道です。
多分、先に見える鳥居は、五十鈴川の御手洗場の手前の鳥居だと思います。
先がカーブしてますし。(内宮のサイトでご確認ください)

龍ですか。
ここでの友達も「白龍かも」と言ってました。
私には気配しか分からないのです。
集まってくる友のような懐かしい気配。

懐かしくて会いたくて仕方ないのですが、まだ見ることは出来ないのです。
私が分からないと知ると、みんなちょっと寂しそうにしていくのがとても辛い。
辛いけど、また会いにいきたい。
内宮は私にとってそういう場所です。
kono87さんには分かるのですね。
ブログを拝見した時から、そうではないかと思っていました。

「アカシアの記録」というのは、アカシックレコードのことですね?
夢の中で前世だと言われ、実際にそれぞれの前世の記憶を持つ人たちと
会った(二人ですが)ので、自分の中では前世だと思っています。

ただ、夢の中で「違う意識」に触れたことは自覚しています。
「ムー大陸(当時の呼び名は分かりません)」やそれ以前にあったことの記憶は、
その意識に触れたものだと思っています。

竹内文書は、夢を見たずっと後に知りました。
自分の夢が何なのか、色々調べましたから。

偽書と言われていますが、夢で見たものと似ているところが多いとも思います。
(と言っても古事記などの記述と似通っている部分も多いのですが)

<アマノトリフネ>で来た一行の長(仲間の一人)はおそらく今、日本神話の中で
「ニニギノミコト」と言われている人にあたると思います。
前世での呼び名は、何度転生しても同じ名でしたので、
その名は後世につけられたものだろうと思っています。

ある場所で最近、「記憶を思い出すには日本の古いものを身に付けること」
と言われました。
本当に手にしたいものは、今の私では到底、見ることも叶わないので、
糸魚川の翡翠を身につけることにしました。
少し前、小玉のビーズを目の前にした時、言いようのない懐かしさでいっぱいに
なったのです。(そうではないかとは思っていたのですが)
同じ場所のものは繋がっていると感じたのです。

3日ほど前に注文したものが届きました。
翡翠の勾玉です。

それから声が聞こえるようになりました。
ちょうどkono87さんに聞いてみたいと思っていたのです。

「とおため えみはや」
ってどういう意味があるのでしょうか。

ほつまつたえに出てきそうですよね。

*(追記 ニニギノミコトの方ではなく、
 状況からみてニギハヤヒの方だと思われます)

 発光していますので、白い龍でよいかと思います。普通に考えて、弥沙さんを出迎え
に来られたのでしょう。巫女さんであられたこともあるのかな。

 はい、アカシックレコードのことです。竹内巨麿を強く感じたのですが、彼自身は
竹内家の養子だと主張していますので、武内宿禰の霊統かもしれません。興味があり
ましたら、Wikipediaなどで調べてみてください。弥沙さんがブログで書いておられる
神社にゆかりがあります。

 前に、少人数のグループにいた時、竹内文書については、すべて史実ではないけれ
ど、概ね事実であるとの神示がありました。そして、言霊の会さんでも、霊感に煽られ
ている部分はあるけれども、概ね事実であるとおっしゃっています。古代から神武天皇
に至るスメラノミコトの王朝についてはかなりの信憑性があります。一番重要な点は、
聖人たちの来朝であると思います。必ずしも、物理的に肉体が来日する必要はないの
です。

 おそらく、聴こえたものは「とほかみゑひため」では、ないかと思います。フトマニ
図の内側から二番目の円内にある八文字で、八元神と呼ばれます。細かい事は、私の
ブログを参照して頂きたいのですが、

 「とほかみゑひため、祓(はら)いたまえ、清め給え」という祝詞があり、私が先生
に教わったのは、憑霊して気持ち悪いなったとき、口に出して3回唱えると、やわらぐ
と聞きましたが、基本的には八方(方角)を祓い、清める効果があります。

 それと私の感覚では、天からの閃きを頂けるのではないかと思っています。もちろん、
完全に理解できるわけではありませんが、頭の頂点にビリビリ感じます。弥沙さんも
潜在的に霊能力をお持ちですから、私より、早く目覚める可能性もあるでしょう。

 翡翠の勾玉を特注したのですか? 良い事だと思います。「まがたま」というより、
ホツマのように「まかりたま」の方が私にはピンときます。弥沙さんが書込みをした
時間に丁度、時計をみていました。音での合図もありましたので、ご縁があると思い
ます。今後ともよろしくお願い致します。

kono87さん、こんにちは。

「巫女」が神の声を聞くというものならば、
いつ生まれ変わってもそうかもしれません。
神社や特定の団体に所属したことは無いのですが。

ブログを拝見しました。
霊統などと生まれ変わりには、決定的な違いがあります。
それは「義務」です。

生まれ変わりはその人自身の魂が、肉体という器を入れ替え、
何度もこの世に現れることです。

これは私がそれらの夢を見て思ったことですが・・・。
人は、それぞれの時代で、それぞれの人生を生き、そしてこの世を去ります。
様々なことを学ぶため、何度も転生するのです。

人は時折、生まれながらに持った性質や性格の矯正の為、前世を思い出すことがあります。
それは、今の世をより良く生きるために「そのヒント」を学ぶ為であって、前世に浸るためではありません。

魂は不変であり、あくまでも一個人の責任と義務において、転生するのです。

「夢を見せられる」というのは、第三者からの行い。
例え、神からであっても一個人においては、邪魔なものに過ぎません。

「未来の記憶」の夢の時、「見せられた」とは書きましたが、あくまでも見せたのは私自身。
他のものからの介入は、私自身が認めません。

生まれ変わりではなく、別に他の人でよいなら、その方が私にとっては好都合。
今の私は何の力も無く、精神世界を生業にしているわけでも無く、
地をはって、ただ必死に生きているだけです。
「前世」ではないのなら、義務はありません。
早々に降りるだけです。


私が前世をブログに載せているのは、浸る為でも自慢する為でもないのです。
「今生において、仲間を集めなければならない」という
(おそらく自分達自身が課した)義務があるからです。
そうでもなければ、こんな御伽噺、世間に披露しません。
リアルで人に話せば、笑われるようなことぐらい、分かっています。

私にとっては前世が誰であろうと構わないこと。
ただ大切なのは、これからの未来。
後悔しない為に模索しているだけです。


「とおかみ えゑひため」はそうかもしれません。
「(人の役に経たない仕事なんて無いっていうけど)この仕事は何の役に
立ってるんだろう」と思っている時に、
”土地神の為”と聞こえた後、その言葉が聞こえましたから。

場所を祓い清め、土地神の為、ひいてはそこに住む人の為。
人の役に立たない仕事はない。
私はその時、そう理解しました。

その声の主が自分の中の自分であっても、そうじゃなくても、
言葉の鵜呑みはしません。
大切なのは、自分の感覚。
その声の主に感謝しています。

こんにちは。(*´▽`*)
時々、コメント書き込みさせて頂いております者です。

御文章いつも楽しみにしております。
一枚目の写真ですが、中に白蛇か白龍が見えるように思います。

何だかドキドキします。(^^*)

いつもステキな写真をありがとうございます!

追伸

以前、拝見した時は気がつかなかったのです。

えみこさん、コメントありがとうございます

伊勢神宮はとても清浄なところなので、
清浄なものが集まってくるような気がします。

常に何かの気配がするのです。
風日祈宮へ続く橋あたりは、
普段人もいないのでよくたまってる気がします。

朝一で人もほとんどいなかったので、
参道に流れてきたのかもしれません^^

ずっと前に、白龍と青い龍の夢を前に見たのですが、
空と大地の神(精霊?)だと感じました。
その時は、白龍が空だと思ったのですが。

今度、この夢も書きますね(^ ^)


コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 放生会(ほうじょうや) 筥崎宮 福岡県 | トップページ | 流鏑馬 ー現人神社ー 福岡県 »