安徳台(迹驚岡・とどろきのおか)*底津岩根 その2
日本書紀の神功記にある迹驚岡(とどろきのおか)は、福岡県筑紫郡那珂川市にある。
後に安徳天皇が数ヶ月の間滞在したことから、安徳台と呼ばれている。
以前に書いたので、その続き。
安徳台に登ってきた。
畑などを荒らさない限り、登ってもいいそう。
幼くして亡くなった宮を悼み、この地で弔っていこうと、土地の人達が祀ったのだ。
そばにある説明板。(クリックすると拡大されます)
現在まで、安徳天皇の亡くなられた日に「天皇さまごもり」が行われる。
(今は4月に入った第一週目の日曜日。近くの方だけ参加)
安徳台の上の広大な土地には、みかんやオリーブの畑が広がっている。
空が近く、地上のざわめきも聞こえない。
6万年前の阿蘇の堆積層からなる力強い土地。
安徳台の端っこのほんの数パーセントの土地を発掘した時、様々なものが出土したそう。
以前の安徳台の記事に、酋長級の墓が書かれた説明板を載せているが、その他にも、たくさんの貝輪を腕にはめた人物の墓なども見つかっている。
貝輪は祭祀者の証とされていることから、ここで祭祀が行われていたとされている。
紀元前の直径14メートルの工房跡も見つかっていた。
本当に古くから、特別な土地として守られてきているように感じた。
*
私が以前見た幻の神社(祭祀の場所)は、おそらくこの地にあったもの。
ここは、「底津岩根」
住吉の元宮があり、かの神は全ての神。
(☆→神*総まとめ)
よって、ここが「天孫降臨の地」になるのだ。
筑紫の日向。
日に向かう花のような台地。
空から見ると、安徳台は地上に咲いた花のようです。
大地の力を放つ力強い花。
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