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2014年1月 6日 (月)

安徳台と高天原

安徳台が神話の「高天原」であり、「底津岩根」である。

 

安徳台は、福岡県筑紫郡那珂川市にある広大な台地。

(以前の記事 
安徳台(迹驚岡とどろきのおか) ・安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2 

神功皇后が朝鮮出兵の際、船の舳先に現れ、皇后を助けた神として、「住吉三神」の名が出てくる。
この時、

「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若々しく生命に満ちている神、
名は表筒男(うわつつのお)、中筒男(なかつつのお)、底筒男(そこつつのおとこ)
(住吉三神)の神」とある。

 

*************************************************************************

(今までの記事と重なるが)

那珂川町仲(ちゅう)には、「現人(あらひと)神社」があり、住吉三神を祭った最初の神社。

神功皇后は、件の神託により、この神社の神田に水を引くために、裂田溝(さくたのうなで)を指揮して作った。

ところが大岩があり、行く手を立ち塞ぐ。
神功皇后が神に祈ると雷がとどろき、大岩がくだけました。

その場所が「裂田神社」のある場所。
この時、「雷がとどろいた」ので、その側にある丘を「迹驚岡(とどろきのおか)」と名づけたそう。

その丘が現在「安徳台」と呼ばれている、広大な台地。

台地には、紀元前からの遺跡が数多く出土している。

***************************************************************************


「住吉三神」が最初に祭られたという「現人神社」。

その場所こそ、神話の「イザナギが禊をして住吉三神が現れた場所」。

筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原。

その名がここに全てあった。



那珂川町の郷土研究家の方に篠原正之氏がおられます。
著書に「邪馬台国位置論」があります。

その本から要約です。
                          *


  安徳台の側、那珂川を挟んだ西隈という場所に昔、橘という地名がある。
  後に立花木になった。

  小門とは、山と山が狭まった地形。
  那珂川の下流から遡ってきて、最初の「小門」がちょうどその辺り。

 

  そして、阿波岐原。
    「はぎ」か「おぎ」の生えている原という意味。

  安徳台の側に「萩原」と表記して、おぎわらと呼ばれる場所がある。

                       *

(*追記 これらの地名が、安徳台の西の那珂川に沿って、1キロ以内にある。
下流の方から、立花木、小門、おぎわら、となる。)

<おぎわら橋>という名の橋は今もある。
 萩原と書くならば、普通は「はぎわら」と呼ぶ。

神功皇后がその辺りの那珂川で禊をしたという言い伝えもある。

その少し上流には「岩戸」という地名。
この一帯は、岩戸村と呼ばれていた。

 

那珂川町には日吉神社もあり、猿田彦神が祀られている。
天孫を導いたと言われる神様。


                               *

 

安徳台は、はるかな昔から特別な場所。
古代のシャーマン達が祈りを捧げる神聖な場所だったそう。
(出土した遺跡より)


でも、掘り返されたりして欲しくない。
謎は謎のままに。

 

台地から天へと繋ぐ、光の柱。


時々、見られるその光景を、そっと眺めるのが好きなのだ。

 

 

 

 

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コメント

はじめまして。

記紀に関しては、知識が浅いのでお恥ずかしいのですが…

「高天原」というと高千穂説を目にすることが、これまで多かったのですが、
ナマイキにもそれに少々違和感を感じておりました

ブログを拝見して、福岡という場所なら自然じゃないかなぁ~なんて
ちょっと嬉しくなってコメントさせていただきました。

高天原に限らず、神話の舞台は複数の説がありますが、
きっと、いろんな場所に残された伝説や言い伝えを
ひとつに紡いでいったのではないかな、と思っています。

弥沙さんのお話を読んで、
安徳台が高天原だったらいいな、となぜか直感で感じてしまったのも何とも不思議なのですが、
仰るように、謎は謎のままで。その方がきっと素敵ですね

Primaveraさん、コメントありがとうございます

私も福岡に引っ越してくるまで「裂田の溝」や「安徳台(とどろきの岡)」のことを
気にしたこともありませんでした。
ましてや住吉三神が最初に祭られたという「現人神社」なんて知りませんでした。

安徳台=高天原説を始めて見たのは、那珂川にある図書館でした。
郷土の研究家の方の本でした。

目からうろこというか、この瞬間、何もかも納得。

高千穂は確かに神秘的な場所なのですが、「初めての地」ということには
私もずっと疑問を感じていました。

神話を史実だとは思っていないのですが、何かの事実はあるはずだと思います。

記紀にある「韓国に向かいて立つくじふるたけ」という箇所と
宮崎の山奥の「高千穂」がずっと、結びつかなかったこともありました。
那珂川の後ろには「背振山」が控えています。
古代、海面はもっと上昇していたとのことも知りました。

それまで、「そういう目」で見ていなかったのですが、
よくよく気にしてみると、安徳台ってすごいのです。
(航空写真を見た時も、軽く衝撃を受けました)


なんどか「荘厳な」場面を目にすることもありました。
上手く写真にとれたら(スマホですが)、この記事にアップしますね

いつか安徳台の上で流星群が見たいーと願っている弥沙でした

そうそう!そうなんです~。
どうして宮崎の山奥が「高天原」なのか、疑問があったんです、私も。
少なからず、大陸や半島の影響があった時期のはずなのに、どうも納得いかなくて

古くから大切にされている場所というのは、
やはり、そこに込められた人々の思いや事実があった場所だと思いますよ。

写真が撮れましたら、ぜひ拝見させてくださいね。
楽しみにしています

安徳台はいまだに、地元の人たちから、
「上の原」と呼ばれています。
少し前までは「御所ヶ原」とも言われていたそうです。

宅地化すれば、「何々丁目」くらいすっぽり入ってしまうような広大な平らな土地なのに、
未だにされていないところもすごいのです。

本当に特別な場所として、大切にされてきたのだと思います

安徳台に登って感じたのは、「別世界」。
下界と隔絶された清らかな場所。

このまま、ずっとみかんやオリーブ畑が広がっていて欲しいです。

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