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2014年1月11日 (土)

全は一つ

<<全は一つ>>


それは、玉置神社のある玉置山で聞いた言葉です。

上空にいて、藍の宇宙と、地上を見せられた後、聞こえたのでした。



<全は一つ>

その言葉を聞いたのはその時が初めてでしたが、
”その時”思い当たることがありました。

私は小学生の頃、あることがあって、いつも死ぬことばかりを考えていました。

多分、いつもではなかったのでしょうが、他のことがあまり思い出されないのです。


でも、その後、奈良の優しい気に包まれた後に、いつも思うのです。

私がいなくなってしまったら、
(飼っていた犬の)〇〇は悲しむのかなとか、
(友達の)〇〇ちゃんは、一緒に学校に行けなくなってしまうなとか、
このまま山に入ってしまったら、みんな探し回って大変になるんだろうなとか、
〇〇してしまったら、あの人達が困るだろうなとか。


そんなことを次から次へと考えるのです。

ある時、ふと気がつきました。



そうか、私は本当は生きたいのだ。
だから、何かとつながりを求める。

何かとつながりがあることを確認する。
だから、ここにまだ、いないといけない理由を探すのだ。



私は一人で生きてはいない。
・・・人は生きているだけで、何かに関わっている。

この体だってそうだ。
何かを食べ、それが私になっていった。

生きているだけで、何かと繋がっている。
きっと、生きているだけで、意味がある。

と。


この時、

自分と周りの全てが重なってく・・・
一つになっていく感覚がしたのです。

”私の中に全てがあり、全てのものは私に繋がっている”・・・。



玉置山の上でその声を聞いた時、それを思い出したのです。


あぁ、”これ”は、初めてではない。



<<全は一つ>>


そのずっと後になって、アニメの「鋼の錬金術師」の中で、

「”全は、一。一は、全”とは何か」と主人公達に問いを出す場面を見ました。

小島でのサバイバルの末、幼い兄弟はたどり着きます。

自分も食物連鎖の中にいる。
食べたものが自分の中で再構築され、自分になっていく。
自分が死んでも、土に還り、何かの中で再構築される。

錬金術もそれと同じ。
全ては円を描き、廻っている・・・。

「全は世界。一は俺」

それが兄弟の出した答え。



それは、きっとこの世の真理の一つ。


あぁ・・・。

その時あらためて思いました。

私は玉置山で真理を見せられたのだ・・・と。

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コメント

こんにちは。

いい経験を、そしていい言葉を頂きましたね。

人は大昔から、真理を探し求めてきたような気がします。
生きているのか、それとも生かされているのか。

私も病気のために、生きていくことに半ばヤケクソ状態というか自暴自棄になっていたことがありました。
それでも生きながらえたのは、やはり何か役目があるからなのだろうと、
生かされているのだろうと考えるようになりました。

次の世代へ伝えていくために自分が生かされているのかなと
最近、ようやくわかってきたばかりです

古の人々が残した、伝えたかったものを、
少しでも伝える役目ができたら…いいですよね。
「全は一つ」
これも素晴らしい真理のひとつです。伝えていきたいですね。

primayeraさん、コメントありがとうございます

そうですね
人は誰しも役目があると聞きます。

その「役目」は、きっと自分自身が気づいたり、決めたりするものなんだと
思ってます。
それまでの自分の生き方や考え方で。

法に触れたり、人を傷つけたりすることでなければ、
その役目を貫いていきたいと思います

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