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« 三輪山の神の夢 その2 | トップページ | 銅鏡 »

2014年4月22日 (火)

三輪山の神の夢 その3

そして、つい一ヶ月ほど前のこと。

 

母のふるさとであった福岡に、今は私が住んでいます。
親戚もいますが、縁は薄く、母が帰省した時の一度、一緒に行ったきりでした。

それほど遠くはないのですが、まったく足が向きませんでした。

ですが、「おばあちゃん家があった場所に行ってみよう」
そう思い立ったのです。

 
                                            *


パートで出会った強い霊能力のある友達が、こんなことを私に言ったのです。

 

「子供の手が離れたら、力が戻るよ。
 小学校に入るようになったら 徐々に色んなことが進みだすよ。
 私も戻ったのがちょうどそんな時だった。
それにその時に、後ろの人が交代するみたいよ。今は男の人だけど」

それを言われた時、唐突に浮かんだ光景がありました。


幼い頃に夢で見た、”紫色の富士山”です。


そして、行ってみようと思ったのです。

”祖母の家”のあった場所に。


                                              *

記憶をたどって、母が親戚の人から話を聞いて、ようやく場所が特定できました。
あと一週間ほどで桜が咲き始めるというその日、そこへ行きました。

福岡市から車で1時間と少し。
家が立ち並び、昔の面影はまったくありませんでした。
(って言っても、数回しか行ってない)

細い路地を入りました。

車が停められないので先の広い場所に他の家族を置いて、
私だけがそこへ行きました。


その場所。
細い路地から、坂を降りたところにありました。
家はなくなっていましたが、後に建っているようではなく、
雑草が生い茂っていました。

”確かに、おばあちゃん家のあった場所だ”
幾度かしかない、夏の記憶がよみがえりました。


そこから再び、細い路地へと上りました。

”ぶおん”
とその時、かすかな耳鳴りのようなものがしたのです。
鼓膜を揺らす、わずかな振動。

 

それは耳鳴りではなく、ある種の波動(?)を感じた時に起こります。

”あぁ、あそこだ”
そう思いました。

おばあちゃんの家の前の細い路地。
夢では板塀が続いていた場所です。

その向こう。

昔よりもびっしりと家が並んでいましたが、その中にこんもりした山がありました。


”あの小さな山が富士山を繋いだんだ”

そう思ったのです。


神社などではない場所でも、時々こういう場所があるのです。
”波動が強い”という言葉が一番近いように思います。

そういう場所は、”戸”の役割をするようです。
よりしろ・・・
そう、依り代。

あの小さな山が富士山の・・・
神様の依り代になったのだと思いました。

小さな山でしたが、大きな力強い木が立っていました。

 

                  *

 

心を無にして、しばらくいると、あの夢の富士山が目の前にいるように感じました。

金色の風。
紫の富士山。
今でも確かにつながっているようでした。

 

私はもう一度、ここにこないといけなかったのでしょう。
なんとなく、そう思いました。

 

たぶん、今、見えないところ、自分が知らないところで色んなことが変化してる。

 

夢の中の祖母の言葉も、まだ分かりませんが、
そのままにしてもいいのだと思いました。

うちの家系が、いつの頃からか継いできたという力。
なぜ、生きていく為の力が霊能力”なのかというのも謎ですが。

                     *

 

そこは福岡県飯塚市。
”飯塚”・・・その地名は、神功皇后に由来すると言われています。

朝鮮出征の折、世話になったこの地の人々に言い残しました。

「いつか、また会おう」

その”いつか”が訛って、”飯塚”となったと。

ここでも神功皇后・・・。
よほど、縁があるのでしょう。

福岡は神功皇后の伝承が多く残る土地ですが。


 
 

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コメント

こんにちは♪

ターニングポイントって言ったらいいのかな…それまで何か混沌としているように感じていたものが、
急に大きく動き出す、または動き出したように感じることがありますよね。

それによって、それまで関連がわからなかった過去と結びつくことができたり、これから進むべき方向が何となく掴めたような感じがしたり。。。

占星術でも、今は「変化」が起こりやすい時期なのだそうですね。
たまたまいつも見ている占い師さんが、お2人とも異口同音に書いていらっしゃいました。
特に、牡羊座さんは、その変化はきっといい方向に進むから、受け入れるように、と(笑)

弥沙さんの富士山の夢のお話を読ませていただいて、なるほど、とちょっと納得したところです。
とりあえず、今は謎は謎のままでいいのでしょう。
これから進むうちに、その答えもみつかるかもしれません。
何より、
弥沙さんも、私も、本来の自分を取り戻す、あるいは手に入れるための変化のような気もするのですよ。流れに逆らわず、ゆったりと受け入れていければいいですね(*^-^)

ところで、パート先のお友達、すごいパワーですね。
後ろの人も、交代の時期もわかっちゃうなんて(@_@;)

primaveraさん、こんにちは

そうなんです。うちの周りはすごい人だらけなのです。
以前、「職業霊能力者」さん(家をみてもらった、先生と呼んでる方)に、
ある仕事をしたいけど、いつ頃になるのかと聞いてみたのです。

まぁ、”ヒーラー”のようなものですけどね。
そしたら「子育てが終わってから」とあっさり言われたのです。

今、神様通さないで言わはったよね?^^;
と思いつつ、
子育て終わるのって、末っ子(当時、年中)が二十歳になってから??
なんてちょっと呆然としたのです。

その後にこのパートの友達に、
「(私が変わる)子供の手が離れる時というのは、 子供が小学校に上がった時」
と言われて、納得。

この先生の話はしてなかったんですけどね。

それに、小さいころから母に「あんたには死んだ兄さんがついてる」って
ず~~っと言われてて、そういうものかと思っていたので、
「後ろの人(守護霊)は男の人」と言われてさらに納得。

学生のころ、家でよく聞こえていた名を呼ぶ声も男の人でした。
いつも守ってくれている兄の声だと何となく思っていたので、
怖くなかったんですね。

私が経験したことや、他の霊能力者さんから聞いていたことと
同じなので、いちいち腑に落ちるのです。

「腑に落ちる」ということは、自分でも心のどこかで分かっていたということ。
すべて、答えは自分の中にあるのでしょうね。

何が足りない。
何かが足りない。
自分を深く知ることが足りてないのです。

忙しいと言い訳して。

今夜、こと座流星群の降る夜。
空を見上げながら、考えます

弥沙さん、こんにちは

『自分を深く知ることが足りてない。』
いい言葉ですね!

またまた日記にメモしましたよ~。

それから、昨夜は
『自分の中に全てがある。もっと自分を見よう!!』と思いながら眠ったところだったので
シンクロを感じました。

※スマホからなので入力し辛いです。
もっと書きたいのですが、この辺で。

こすもすさん、おはようございます

図書館や本屋などで、ふと手にした本のふと開けたページが、
今の自分へのメッセージだと聞いたことがあります。

そう考えると、世の中には偶然というものはなく、いいことも悪いことも、
本を開けたページもブログも、自分の行動すべてが必然なのかもしれませんね

「シンクロ」を感じた時。
そういう時は、”今の自分にとって特に大事なもの(こと)”だったりします。
”それ、大事なんだよ”って、再確認させられているような気になるのです

偶然だとは思えないような「シンクロ」 あるよね!
人との出会いも数年経ってから「あ!あの人ってそうだったのか」 と全く関係がないと思えていた人と人が繋がっていてビックリしたり!なんてことも・・・^^

お子さんが小学校に上がる時 おばあちゃんが「そろそろだよ」って言うかもね^^

あの辺はね!(飯塚) 霊感がない人間でも霊的なものを感じるような山や土地が多いみたいだよ!
私は小さい頃から毎回通る道でも 「ある場所」に来るとちょっと怖いようなゾクっとするようなそんな所も多かった

人は生まれながらにして「役目」みたいなものがあるんだろうね

それをハッキリとはわからなくても なんとなぁくは分かったり・・・
解っているのに「行動する人」とそうじゃない人といるんだろうなぁ~^^;

私は・・・
最近はよくわからなくなってきた^^; (自爆w

おきらくさん、おはよう!

そうかぁ~
飯塚あたりにはいわくつきの山とか神社があって、
行ってみたいな~って思ってたの。

雰囲気が変わるところを結構感じたよ。

祖母の家に行った後、天照神社にも行ってきたよ。

飯塚から30分くらい北に行ったとこにある宮若市。知ってる?
合併前は鞍手郡だったのかな?
ニギハヤヒが祭られてるらしいよ。

役目、なんだろうね。
ただ生きて、最後まで生きて、それだけでも十分役目を果たしていることに
なると思うよ。
たとえば、子供を育てているだけでも、働いて生活しているだけでも、
十分役目を果たしてるんだと思う。

「そのほか」は、きっと余分なことなんだよ。

もういいんだろう。
あの子達にとっては、夢物語だったんだろう。

夢物語にかかずらってるのは、私だけなんだろう。
実際、あれから誰ともコンタクトをとっていない。

もういいかなと、最近思ってるんだ。
夢物語でも、みんな幸せにやってるなら、もういいやって。

ここのブログにUPしてるのも、最後の悪あがき。
これでだめなら、忘れてしまおうって。

そうだねぇ・・・
それは「現世」で果たすものじゃないかも知れない・・・
「来世」に繋がってるものなのかも知れないよ?

私はあの霊媒師の先生に「おまえは母方の因縁を断ち切るために生まれてきた」と言われたんだけど・・・
母とはまったく合わず お互い寄り付かない関係だから 母方の親類ともなかなか会う事もなくなってて・・・^^;
母との関係を上手くやれるようにする事? とか 色々考えるけど・・・
かなり精神的にきつい事だから 今は自分と息子の事で精いっぱい(T▽T)
それが現実かも^^;

鞍手郡って宮若市になったんだねw 知らなかった^^;

↑ごめん^^;
直したら2つになっちゃった(>▽<;;
私では削除できないみたいだから消してね~~^^;
お手数かけますo(_ _)oペコリン (爆w

おきらくさん、消しといたよ~^^

それも思うんだ~
この世は「私」として、生きていけばいいのかなって。
次の世に行った時に、「あんただったのか!」なんて言ってそう。

だから、やれることだけやったと思ってるから、
「なんとしてでもこの世で会おう」なんてのは思ってないよ

あとは、きっと「あちら」次第なんだ。きっと。
でも、私はやっぱり、やれるだけのことはしておかないと
いけなかったのかなと思う。
たぶん、これからも私は私のやりたいようにやる。

それに夢にこだわっていなかったら、
ここに来ることもなかった。
こだわっていたからこそ、ここに来た。
おきらくさんや、ここで関わる人たちと
会うことができた。
この時間も私の糧になる。

それでいいんだろう。きっと。


うちは「父親」なんだろうな。
なんの占いの本見ても”父親との縁が小さいころから薄い”って。
当たってるやん。
占いは「統計学」と言う人もいるけど、当たってるのよね~(^^;

まぁ、家を離れたことで、そこそこの関係になったんじゃないのかと
考えてしまってる(^^;

あの日、「許した」ことでその課題は終わったんだ。
そう思ってる。

いいんだよ。きっと。それで。
こっちで勝手に「ケリ」つけちゃえば^^
それで、課題は終わる。
来世になんかに持ち越したくないしね~~

鞍手郡、宮田町と若宮町が合併して宮若市だとさ~^^

今更ながらコメントする時にメルアド入れられる事に気がついたぞw
(◕∀◕)ニヤニヤw 

全然話が違うんだけど 昨日初めて息子の彼女とLINEで話した(あいさつ程度だけどw
そしたらね!
名前が「弥里(みさと)ちゃん」って言うんだ(σ◕∀◕)σYO 
弥沙ちゃんをどうしても意識しちゃったわよ^^
でね!
後から思い出したんだけど うちの息子の手の甲にもシミのようなものがあるの^^
治りかけの傷跡のようにも見えるし シミにも見えるんだ

おきらくさん、こんにちは(^.^)

メルアドありがと~(*^^*)

うおっ!弥里ちゃん!
おきらくさんとの、このシンクロ率、怖過ぎ(^-^;
さすがにこれは、メールで!
いやー、びっくりよ!(^-^;

今、出かけ先でスマホからだから、帰ってから、メールするね!(^-^)v
今、吉野ヶ里公園なんだ!
銅鏡作ってる最中!(^.^)

明日に出来映えupするね!(*^^*)

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