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2014年5月31日 (土)

痴呆症?

うちのパートのお姉さんの一人が(70くらいかな)、痴呆症のようです。

勤め始めた頃は分からなかったのですが、
他の方に言われて気づきました。

同じことを何度もする。
物を盗られたと言う。
まったく違うとこをする。
すぐに忘れる。
ささいなことで怒る。

すぐに思い当たりました。
身内にもいるのです。

物を盗られたと言ってるのは、一年前からだそうです。
誰も盗っていないのに、誰かが盗ったと言ってます。
他のことは忘れるのに、そのことは忘れず、また何度も言う。

痴呆症の症状の一つだそうです。
周りが一番困る症状ですが、「しょうがないね」と受け流すしかないようです。

多分、この症状で一番必要なのは、周りの理解。

「痴呆症だ」と分かっていると、
まともに仕事をしていなくて、周りをぐるぐる徘徊していても非難する人もなく。

「こっちをお願します」
となるべく自尊心を傷つけないように促す。


それ以上なら、気に留めることもなく、
他の人達がフォローしまくる。

それが出来る仕事だからなんでしょうが。


「旦那さんが入院していて、それからかな」と他の方が言ってました。
「前はチャキチャキして、よく動いてたのよ」と。
こういう状況を症状を、みなさん許しているのです。

<許す>というのは、理解すること。
相手のことを知り、寄り添うこと。

症状が進み、周りのフォローがあってもどうにもならなくなってしまう時まで、
一緒に仕事しましょうと。

でも家族は分かっているのかどうか。
一日でも早く病院へ行き、薬なり処方してもらうということが必要だと思います。
そこまでは私の範疇ではないので、どうにもできないのが歯痒いのですが。

2014年5月26日 (月)

月輪観 ~月瞑想~

「月輪観」(がちりんかん)と言われる瞑想法があるそうです。
昨日、TVで見たのですが。

密教の瞑想法の一つで、心を無にする普通の瞑想と異なるところがあります。

それは、心の中に満月を思い浮かべること・・・。

座禅した目の前に衝立などを置き、丸い月を見立てた絵をかけます。
心の中にその丸い月を思い浮かべ、いっぱいにしていきます。

そして、世界と一つになる感覚を得ていく・・・とありました。


                  *

前世の夢を見ていた頃、ある瞑想をしていました。
あの夢を見たのは、それをしていたからだ・・・と後になって思うのです。

その瞑想・・・当時は「月瞑想」と呼んでいました。

丸い月を思い浮かべたあと、地球の中心へと意識を伸ばします。
当時アパートの2階にいたのですが、1階の店舗が見え、
どんどん地中に進むイメージが湧いてきます。

さらに進み、地球の中心へ。

そこへ”繋がった”と感じたら、そのエネルギーをもらいます。

 

今度は意識を空へ向けます。
どんどん進み、宇宙へ。
その先の輝く銀の月へ。

その光とエネルギーで、体をいっぱいにしていきます。

地球と月のエネルギーが自分の中で繋がり、一つになる。
そうすると、ある瞬間、自分が宙に浮いている感覚が来るのです。

上も下も無く、自分自身も宇宙の中心にいるのだと。

宇宙と一つになる感覚。

                *

あれは、「月輪観」という瞑想法だったのかと、何十年も経ってようやく知りました。

                *

”その時”、宇宙と一つになった時・・・

自分自身が”今だけ”の存在ではなく、
自分は・・・人は、永遠の存在であると・・・。

人は、宇宙と一つであり、空間も時間もすべて超えられる存在であると思えたのです。

それが・・・月輪観の瞑想の果て。

2014年5月24日 (土)

目に見えないもの

目に見えないもの。
私の周りの人で、それが見える人が何人かいます。

石の話」の友達もその内の一人です。
ただ、いつも見えているわけではないようです。

私はほとんど見たことがないので、その手の世界とは無縁でした。

彼女は、「後ろの人」とよく会話をするそうです。
守護霊とか、そういうものでしょうか。

そんな彼女が、最近、私に言ったのです。
「何もかも一人でやろうとしてるように思える。もっと後ろの人に頼ってごらん」

私は自分のことは詳しく話していないので、
彼女はなんとなくそう受け取ったのでしょう。



それまで、まったく考えたこともなかったので(普通はそうですが)
「後ろの人」を意識したことがありませんでした。

それからというもの、自分も少し意識してみることにしました。
先日、宗像の友達の家に初めて遊びに行く時、
「眠くならないように、事故が起きないように守って」
と、後ろの人がいるのをイメージして声に出してみました。

車を運転すると、途端に眠くなる私。
最近は、毎日、睡眠3時間未満なのでなおさらです。
あまり遠出をしないようにしていました。

宗像まで2時間。
朝の通勤ラッシュの福岡の市街地を抜けるまでに、1時間もかかります。
ですが、いざ運転してみると、行きも帰りもまったく眠気が起きなくて、
快適に走ることができました。

自分にとっては奇跡のようなもの。
思わず、宗像さんまでついでのお参りもして、友達の家に行きました。

この話を彼女にすると、「頼ってくれて、後ろの人が喜んでいるよ」と。
(私の場合、なので、寝なくても頼れば大丈夫、ということではないです)

                          *


なんとなく分かったことがあります。

この出来事が後ろの人の”おかげ”とか、ただの偶然とか、
そういうことは、問題ではないのでしょう。

必要なのは、ただ、自分が、自分たちが、たった一人ではなく、
目に見えないものによって常に守られているのだと自覚すること。


彼女によれば、こちらから頼らなければ、何も出来ない存在なのだそう。
きっと・・・頼り、呼びかけ、自分を包むものをイメージし、
常に守られていることを想うこと。

見えないものを怖がる必要もなければ、特別なものだ思うこともない。

ただ、そこにあるものとして受け入れる。

そうすると、雑多な変な霊や、嫌な気から、守られることにもなる。


想うこと。
ただそれだけで、守られる。

そういう存在はないと否定してしまうより、
自分は常に守られている、一人じゃないんだと思った方が、
生きていくことが今よりも、もっと楽しくなるように思うのです。

2014年5月19日 (月)

櫻井神社 ~福岡県 志摩~

福岡の糸島半島にある志摩に、その神社があります。
ここで不思議なことがありました。


三重の伊勢にも「志摩」という地名があり、二見ヶ浦には夫婦岩がありますが、
こちらの志摩の二見ヶ浦にも夫婦岩があります。

その夫婦岩の側の山の中にあるのが「櫻井神社」です。
「桜井猿田彦神社」とも呼ばれるそうです。

Dsc_1802

志摩半島の伊勢には神宮がありますが、こちらの神社はそちらを元にして
作られたそうです。
ですが、こちらの桜井神社の方は、「天岩戸神社」に雰囲気が似ていると思いました。
(以前の記事「恵利原の水穴」に書いてますが、伊勢にも天岩戸神社があるのです)

それもそのはず、上の写真の拝殿の裏側には、
固く閉ざされた扉(天岩戸)がありました。

その奥には、奥宮があり、毎年7月2日の一日だけ開かれるそうです。

                        *

ここに連れてきてくれたのが、(石の話)の友達です。
気に入って何度も来ていて、どうしても私を連れて来たかったと。

その彼女の本当の目的の場所。
そこは、この神社の目の前の長い階段を上った場所にありました。
Dsc_1801


素朴な木の鳥居が見えました。
後でグーグルマップで確認しましたら、こちらの神社は「大神宮」と書かれていました。

鳥居も拝殿も、伊勢の摂社から遷宮の時に譲り受けられるものだそうです。
伊勢神宮を基にしたというのは、こちらの方のようです。
写真を撮り忘れてしまいましたが、拝殿の手前に二つの建物が並んでいました。

この一つの神社で、内宮と外宮の役割をするそうです。

その奥にこの拝殿がありました。

Dsc_1797

引かれるようにそちらの前に、二人で行きました。

傘を差しながら・・・

・・・その時は雨が降っていたのです。

ざあざあと雨が降りしきる中、手を合わせました。
すると大きなエネルギーのようなものが、降り注いできたのです。
こんなパワーは初めてでした。


・・・と、「雨、降ってないよ」と彼女。
先ほどまで、降っていた雨。

傘を閉じても体が濡れません。

でも、まだまだ、ざぁざぁと降る音が聞こえています。

なぜ?
建物の軒下にいるというわけでもなかったのです。

周りの水溜りには、雨粒の輪が見えました。
・・・自分たちのいる周りだけ降っていなかったのです。

「歓迎してくれてるのかもね」
と、彼女。
こんなあからさまなのは初めてでした。

拝殿の上にお日様が顔を出し、光が降り注ぎました。

そばの石は見る間に乾いていきました。
Dsc_1799

(軒下以外にも雨粒が当たっているのですが、見えにくいですね)

頭の中がじんじんして・・・
これがパワーを受けているという感じなんだと思いました。

いつの間にか、持ってきていた銅鏡を手にしていました。
何も考えていなかったのですが。

銅鏡に手をかざすと、その強い力が込められていくのが分かりました。


こんな神事だけは、神社ではしたくなかったのに・・・。

でも、その時はそんなこと考える余裕もなかった。

・・・その間、誰も来なかったのです。
たっぷり30分はその場所はいたと思うのですが。
そこから離れ、階段を下りようとした時に初めて人の姿が見えました。
彼女は「結界のようなものがはられていたね」と。


下に下りると、結構人がいました。
知る人ぞ知る神社なのだそうです。

                       *


・・・そうじゃないかもしれないけど、そうかもしれない・・・。

でも、自分の中ではあの中で、光が降り注いでくるのが見えました。
銅鏡に力を込めるためにここに来たのかも・・・と思うのです。

伊勢(志摩)には、内宮と外宮。
そして天岩戸。

こちらの志摩にも同じもの。
きっと意味があることなのでしょう。

前に、天岩戸とつく名の神社は、すべて繋がっていると感じました。
ここでもそう思いました。

遠く離れた伊勢。
懐かしくなったら、ここへ来ます。

2014年5月13日 (火)

部活☆

一番上の兄ちゃんが中学へ入って、一ヶ月が過ぎました。

運動だめだめ~な息子。
でも、入った中学校は運動系の部活ばかりなのです。
何かに入らないといけない様子。

入学前の部活見学の時、
「おれ、卓球にしよっかな~」と。
理由を聞いてみると、
「一番、なるかったから」(まったりしてるの意)

いやいや、そんなことはない。卓球は激しいスポーツなんだから。
でも、ほんとにまったりしてるようで、顧問の先生も
「楽しく気楽にやれますよ~~」と。

これなら勉強に支障がないかも。
と、目論んでいた3月。

いよいよ、部活を決める時になって、
「バスケに入るわ!」

ええええええええええ!!!!
あんたがばすけ???

いやいや、絶対ついていけないって。
練習もハードで、勉強する時間なくて追いつけないよ??
と、やっぱり親は「勉学」の心配をしてしまいます。

聞けば、一番仲のいい友達がバスケ好きで、一緒にやりたいという理由らしいのです。
その子はアニメの「黒子のバスケ」で好きになったそう。

まぁ、やりたいならやりなさいと承諾。

仮入部。
楽しかった~と帰宅。
次の日、本入部。
練習がハードだったらしく、
「おれ、もうやめる」

もう少しやってみたら?せめてGW頃まで、というとしぶしぶ行きました。

その後、なんとかやっているらしいです。
毎日、練習が楽しいそう。
先輩たちもつきっきりで教えてくれたり、
2,3年と一緒の練習をさせてくれるとか。

それもそのはず。
一年生が3人しかいないそうです。
3人とも遊び仲間。

今はあまり人気がないのかな。
野球やサッカーは多いらしいのですが。


スポーツをし始めてから顔が変わりました。
ほんとに生き生きしてるように思えます。

2014年5月 7日 (水)

銅鏡

銅鏡を作りました。

 

昨日行った吉野ヶ里歴史公園で製作体験をしたのです。

 

Dsc_1788

直径7.4センチ。
実物大で、この公園内の遺跡から出土した、銅鏡の型をとったものだそうです。

その型に、溶かした低融点の合金を入れ、10分。
後はひたすら裏面を磨く!
製作時間は1時間ほどでした。


銘文が刻まれています。

”久 不 相 見、 長 毋 相 忘”

 

(ひさしくあいまみえず、ながくあいわするるなからんことを)

長く会わなくても、お互いを忘れないようにしましょう。

(製作体験でもらった説明の用紙より)


一番上の渦巻きの横の文字が、”久”です。
一つ空けて、3番目が、”不”

渦巻きの下が、”相”
一つ空けて、”見”

一番下の渦巻きの次が、”長”
一つ空けて、”毋”(なかれ)

次の渦巻きの隣が、”相”
一つ空けて、”忘”

ちゃんと読めますね^^


甕棺墓の中、空へと旅立つ人への手向けの言葉。
言霊の力、きっとお二人は、後の世で出会うことが出来たと思います。

                     *
吉野ヶ里歴史公園へは、これを作るのが目的ではなく、
GWのイベントがあるということで行ったのでした。

実はとっても広い吉野ヶ里公園。
復元された古代の建物のあるエリアと、

 

Dsc_1760
大きな遊具や野外炊飯ができるエリアや、ただっぴろい広場のあるエリアがあります。

Dsc_1768_a

年間を通じて様々なイベントもあります。
”市の広場”では、第一回目のマルシェもやってました。
町内会の祭りのような規模ではありますが、十分楽しめました。                 
*       

 

それにしても、つくづく言葉の力ってすごいと思います。

 

刻まれている言葉で、より愛おしく思えてくる。

 

そういえば、少し前の新聞に、三角縁神獣鏡は魔鏡だとありました。
光を当てると、文字や絵が浮かぶそうです。

 

そのために、薄いところで数ミリの厚さしかないとか。

 

作ってみて思いましたが、相当な技術があったはず。

 

その時の新聞のどなたかのコメントに
「研磨や合金の知識は現代か、それ以上。別の人類が作ったようだ」
というようなことが書かれてありました。

 

ちょっと面白いですね。

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