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2014年7月13日 (日)

転生の性

前の世が男だったり、巫女だったり、今と違うものであっても、それは「過去の自分」。

そんな思いはとっくに昇華されて、今の私の過去として、自分の中に解けている。

                      *

何十年も前、前世の仲間の一人という子とたくさん会話をした。
彼女の前世は男。
おそらく繰り返してきた転生で、男だった時の方が圧倒的に多いよう。

直接会話をしても、手紙を交わしても、男だった前の”彼”そのままだった。

ちょっと心配だった。
今の”自分”はあるのか、と。

前の記憶が溢れ出し、その時点での年よりも、多くの時間の記憶を思い出す。

それは一人の人間の許容範囲を超えている。
壮絶な場面もあった前世。
そのすべてを思い出していたのなら。

ふつう、人は過去を忘れて転生するものなのに。

                        *

私の場合は、前世を夢で見て、それを別の世界の自分だと思っていた。
だから、そのまま自分自身の経験として、夢の中の世界で生きていた。

前世だと分かっていながら夢を見たのは、そのずっと後。
その時、転生は舞台上の役者のようなものだと受け止めた。

姿形や環境を変え、何度も生まれ変わる。
今を生きるために生まれ変わる。

前の世の記憶を思い出すことがあっても、それはきっと今のため。
そう受け受け止めた。


・・・でも、彼女は?

男だった時の記憶に支配され、”今の彼女”より、”前の彼”の意識が強く
出ているように感じた彼女。

その後、音信不通になってしまってからも度々思う。
彼女は、今をちゃんと生ききっているんだろうか。
前の自分に翻弄されてはいないだろうか。

 

もう一人の女の人がいた。

彼女は、自分が仲間の一人だと言った。
前は男で・・・だから、今の自分の現状を、そのギャップのせいだと言った。

それは、違うだろう?
今の自分の行いは、すべて今の自分の責任。
前世のせいにしてはいけない。

彼女とはそれも原因で、喧嘩別れをした。
どうしても受け入れられないものもある。

                       *

しばらくして思った。

仲間の”彼女”は、あれがきっと、彼女のありのままなのだと。

”前の彼”が、”今の彼女”になってようと、彼女は彼女自身の存在でしかない。
繰り返す魂は一つきり。
”前”も”今”もすべて、同じ魂なのだから。

彼女の中の記憶の”彼”は、彼女の中に解けている。
ちゃんと”彼女”として今を生きている。
なるようになってるだろう。


今生では一度しか会っていない彼女。
でも、彼女の側には友達として仲間の一人がいる。

一人じゃない。
二人の芯はとても強いのを知ってる。
何があっても、きっと大丈夫だったんだろう。

なぜなら・・・いつも思い出すのは、最後に別れた時の二人の笑顔だけだから。

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コメント

以前におじゃました者です、前世などはよく分かりませんが、前世は前世、今は今だと思っています。
きっと全ての人は生まれるにあたって微に入り細にわたり遺伝子を操作し、肉体を決定し生き様を決めるのだと思っています。(個人的見解ですよ!)
後は親に全てを託して生まれてくる、だから生まれた赤ちゃんには名前も付いてないし、一人でご飯も食べられないし、話せない。

辛いことがあってもヘラヘラ笑って頑張りましょう。(笑)
微笑みを絶やさない人は、今を生き抜く最強の力を持った人です。
後は野となれ山となれ、よい意味でネ。

コメントありがとうございます

人は生まれる前に、その人生のすべてを決めて生まれてくる。
私もそう思います。
その親でさえも、自分で選んできたのだと思います。

前に車で大事故に巻き込まれた時に、強くそう感じました。
(双方とも怪我はありませんでした)
その何週間も前から、強い予感があったのです。

自分が当時住んでいた小さな町にあった、あるお店の看板。
なぜか、そこを通る度にその看板だけが目に焼きついて、
頭から離れませんでした。
なぜなんだろう、とずっと考えるほどだったのです。

事故の後知りました。
その事故の相手の家、その看板のお店の人だったのです。

県外からも来る、一日に何万台も行き交う大きな道路。
事故の相手は、途方も無い確率の中のたった一台。
その日、その瞬間でなければ、その人ではなかった。

偶然とは思えませんでした。
すべては初めから決められていると、その時強く感じたのです。

辛い事も悲しいことも、嬉しいことも楽しいことも、すべてはじめから。

多分、すべてのことは自分の選択の果てにある。
いいことも辛い事も、偶然と思えることも、実は初めから自分で決めていたものかもしれない。

もしかしたら、この事故は・・・あらゆる出来事は、
自分が何かを感じ取るためにあるのかもしれない。

人は生きていくこと自体に意味があるのだと、その時に改めて思いました。
生きて生き抜いて、生きている意味を、自分に降りかかる出来事から、自分自身で感じ取っていく。

それが人である意味だと思ったのです。

どうせ生きているなら、笑顔で乗り切るのがいいですよね。
笑顔でいると、良いことが集まってくるように思います

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