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« ほぼ日 2015 | トップページ | 秋季大祭 みあれ祭 ~宗像大社 福岡~ »

2014年9月12日 (金)

白い杖

愛知で働いていた頃、仕事先まで自転車で通ってました。

車道の端を走っていると、向こうから白い杖を持った男の人が歩いてきます。
毎朝、見かける人でした。
                                   .

彼はその先の交差点を横切って、向かいの停留所から乗り合いバスに乗っていました。

その彼の白い杖が私の走る自転車に当たりそう。

かなりの車の量がある道路でしたので、それ以上車道の方によけるわけにもいかず、
自転車は車道のまま、歩道の端に立って、通り過ぎるまで待つことにしました。
                                                .

”こつん”
                                                    .

できる限り邪魔にならないようにしてたのですが、杖が自転車に当たってしまいました。
                                                      .

「あ、すみません」
                                                        .

私がそう言うと彼は、
「こちらこそ」と、にこっと笑いました。
                                                      .

「あの、よろしければ手をつないでもらえますか?少しだけ一緒に歩いて欲しいのですが」

彼が手を差し出します。

「いいですよ。一緒に歩きましょう」

彼の向かう先は、会社と反対でしたが、いつも早めに家を出るほうでしたので、
時間には余裕があります。
自転車の向きを変え、左手で押して、右手でその人の手を握りました。
ましゅまろのようなふわふわした柔らかい、とても温かい手だなと思った時・・・
                                                       .

一瞬、その光景が頭の中に見えました。
                                                     .

<施術用の白いベット、白い服を着たその男の人>
                                             .

・・・見覚えのある風景。

整体かな?

「できる限り、色んな人と手をつないでもらって、少し一緒に歩いてもらうんですよ」

・・・道理で温かい感情がたくさん流れてくるわけだ。
すごい。自分だったら、そんなことができるだろうか。

そうして、しばらく一緒に歩きました。
                                                     .

彼はあんまさんになる為に、学校に通っていると言いました。
                                                           .

じゃぁ、さっき見えたのは、先のことかな。
                                                  .
「なれるといいですね」
                                                              .
                                           .
私が言うと、彼はまた、にっこりと笑いました。

「一緒に歩いてくださってありがとう」と彼。
                                                                     .

「こちらこそ、楽しかったです」

そう挨拶して、お互いのそれぞれの場所へ向かいました。
                                                              .

                   *

昔、むかーしのずっと昔、目が見えなかったり、手足を使えない人たち・・・
みんな「神の子」と呼んでいました。
親は子供が小さい頃から言い聞かせます。

                                                                                   .

「神の子に悪さしたり、嫌な思いをさせたら、神様にはみんな筒抜けなんだよ。
 自分に悪いことが起こったり、死んでから怖いとこに行くことになるよ。
 だから、困ってることがあったら、たくさん手伝おうね」と。
                                                         .

子供は親の言うことをよく聞いて、はじめは怖々と接します。

その内、その自分達と少し違う体は、個性なのだと思えるようになってくるのです。
そして、心から尊敬して付き合っていけるようになります。

                                                                           .

今だって親の一言は重要。

「目を瞑って外を歩いてごらん。それがどれだけ大変か分かるから」
そう言えば、子供は分かるのに。
                                                 .

「手をつないで」
                                                                   .

彼のその言葉がどれだけ勇気のいることなのか・・・。
                                           .

               *
                                                    .

白い杖を持った人や盲導犬を連れている人、車椅子に乗ってる人・・・

何かが欠けている人、ありすぎる人・・・
                                        .

そう、自分もその中の一人。
                                              .

すべての人たちが幸せな気持ちで生きている社会。

それが自分達の幸せでもあるのに・・・。
どうか、幸せな世界に近づきますように。

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コメント

弥沙さん、こんにちは~。初めてカキコします。
僕のブログには何度か投稿していただき、ありがとうございました。

なんか、最近盲導犬にけがをさせたり、障害者を蹴ったりといった人として許せない事件がおきていますね。

弥沙さんの体験を拝読し、いたく感動いたしました。

亡くなった母も僕が子供の頃同じことをよく話してくれました
本当に経済優先の社会ではなく弱者優先の、みんなが幸せを感じて生きていける世になってほしいものです。

心温まる、ホッとするブログ、ありがとうございました。

こんにちは。

「神の子」、ひさしぶりに聞きました。
私の叔父も幼い頃の病気が原因で脳に障碍がありました。

母がよく「〇ちゃんは神様だから、神様の子だから」と言ってましたよ。
母の実家に遊びに行ったときなど、私が1人で庭や畑にいると、
あぶないから、とよく心配していました。
どうやら、私はいつまでの叔父にとっては小さな姪っ子だったようです(笑)

一見してそうとわかる障碍、そうでないもの、
健康でも、大変な重荷を背負い込んでいる方もいらっしゃるでしょう。
周囲に対して、お互いにほんの少し想像力を働かせられるように、
気持ちの余裕をつくっていきたいものですね。

いいお話を伺いました。ありがとうございますo(*^▽^*)o

フミくんさん、コメントありがとうございます^^

最近の報道で胸が痛くなりました。
ほんの一部の人だけだと思うのですが。

周りの人も、気にかけてあげて欲しいと思います。
いつも誰かに”気”を向けられる余裕を、
ほんのちょっとずつでも持っていて欲しいと思います

primaveraさん、コメントありがとうございます^^

人はみな、どこかが欠けて生まれてくるそうです。
見えない場所だったり、見える場所だったり。

ある人はそれを補うために、
ある人は他の場所をさらに強くするために。
その為に、この世に何度も生まれてくるそうです。


私が「神の子」と初めて聞いたのは、今の時よりずっと昔のことでした。
(変な話ですが)

こんな長い間。
ずっと、言い伝えられてきたのか、
それとも人の魂に刻まれているのか・・・
胸がいっぱいになりました。

お母様の言葉、聞かせてくださってありがとうございました。

弥沙さん
昨日読ませていただきました。
読んでて、涙が出ました・・・・とてもいいお話を聞かせていただけて
喜んでいます。

自分には霊感もなにもありませんが、ここ数年はお世話になっている
いろんな方の影響もあって、たまに不思議な体験をすることがあります。
それは、本当に日常の中の小さな小さな出来事だったりするのですが、
それでも自分にとっては、すごく有り難いことだな、と思えたりします。

弥沙さんのブログに来させていただいたのも、きっと
ご縁だと思い、これからもオジャマさせていただきます。
いいお話をありがとうございます

美月さん、コメントありがとうございます^^

人との出会いは不思議です。
今から思うと、すべて出会うべきものだったのだと思います。

そこから何を得て、自分のプラスにするか・・・
時々、ふと考えます

こちらこそ、よろしくお願いします^^

弥沙さん、こんばんは。
困っている人を手助けする事が当たり前の世の中になったら
障害は障害ではなくなるんです。
そういう世の中になってほしいです。
私は仕事で、車椅子を押して外出する事があるのですが、
ちょっとした周囲の配慮に心がほわっとする事があります。
私も、相手にほわっとしてもらいたいです。

こんにちは☆

十数年前 朝の通勤時間に白杖をもって歩行されている女性がいました
四十代半ばくらいだったでしょうか
しっかりした足取りで歩いておられました

幸いうちの近所には路上駐輪などは少ないのですが
自転車や自動車が信号無視してきたりすることもあります
危険な目にあうことも多いでしょう
すべての人が安全に往来できる町が望ましいですよね

彼女を見かけることはなくなりましたが
(引っ越したのか時間帯が合わないのかわかりません)
白杖を見るたび彼女の凛としたたたずまいを思い出します

sakiさん、コメントありがとうございます^^

私が小さい頃と比べて、ショッピングセンターなどでは車椅子の方など
よく見かけるようになりました。
前よりは出かけやすくなってると思いたいです。


うちの一番下が赤ちゃんの時、はじめて子供3人を連れて電車に乗りました。
子連れでは大変なので、滅多に乗らなかったのですが、あの時は祭りに行ったような。

一人はおんぶ、上の二人は手を引いてました。
乗り込むと2~3人の人がぱっと立ってくれて、
「座ってください」って。

「大変ですね」
「お気をつけて」と、
通り過ぎる人が、度々声をかけてくれたりもしました。

大変そうな人に手を貸してくれたり、席を譲ってくれたり・・・
そんなことを自然としてくれるんだと実感できて、随分嬉しい気持ちになりました。

子供も色んな心遣いをもらって、嬉しそうでした。

多分、心ない人は一部なんだと思います。
みんなが”お互い様”で、助け合っていけるといいですね

Linoさん、コメントありがとうございます^^

普段から見かけていると、話さないまでも顔なじみになっているようで、
まったくの他人とは思えなくなりますね

”彼”が通る時、自転車の高校生達も随分、気にかけているようでした。

みえないというハンデを持った人が、外を歩く時の集中力はすごいです。
見える人より多くのものを、心に描いているように思います。

歩くこと自体が、そのまま生きることと直結してるのですから、
私みたいにぼ~っと歩いていられませんものね(^ ^;

周りの人は、困ってそうな時にそっと手を差し伸べる、
そんな存在でいて欲しいですね

お久しぶり~(^▽^)/ 

↑(o◕ܫ◕)→ܫ←)ゥンゥン 皆さんのコメントを読みながら頷きっぱなしです(笑

先日の盲目の少女が蹴られた事件
最初はちょっと違和感もあったの
杖に引っかかって 相手が転んだと「わかった」のに ひとこと「大丈夫ですか?」の言葉がなかったこの子にも問題があるんじゃないかなってね^^;
でも結局 相手の男性も知的障碍があったとのこと・・・

都会は殺伐としています 確かに・・・
みんな 「心の余裕」を失っているように思う
皆さんのおっしゃるように ほんの少しの 「想像力」や「おもいやり」
それだけで世の中どれだけ平和になることか!!!

神の子❤
弥沙ちゃんには話したことあったような気もするけど・・・^^
私はどうも 「ダウン症の子」 と 「認知症のお年寄り」 が好きで好きでたまらないw

ダウンちゃん達は本当に心が真っ白なまま染まりません^^
まさに 天使ってこういう子のことなんだろうな^^ そう思う^^

認知症もまた同じく それまでの人生を逆戻りさせて どんどん清らかに戻っていくような・・・
なんかそんな感覚になるの^^

「神の子」に深く納得♪ (*゜▽゜)*。_。)*゜▽゜)*。_。)ウンウン

うちの子 学校も専門も決まり 今はイキイキしてきたよ^^
弥沙ちゃんにいっぱい話を聞いてもらったおかげだよ♪

(人‿◡*)ありがとう*:;,.♥

おきらくさん、お久しぶり^^

お兄ちゃん、よかったね!
きっと、今ある状況がすべて、来るべき道だったんだよ。
遠回りして大変だったかもしれないけど、
すべて今と未来の自分のため。

私はそう思うよ

ホントなら、最後というか安全なところまで盲動してあげたいんだけど
こっちの都合で途中までしかしない自分はなんと身勝手なんだろうと思う
反面少しは力になれたのかな?と自己満足する自分。
大学の時、学内を歩く女子。たぶん全盲だと思われ、”よっしゃ俺の出番!”
と思った矢先、ほかのやつにとられた!というシチュエーションだったのですが
そいつは、堂々と手を握ったではないですか。
こういう時は、肘か肩を貸すもんだ!と心の中で思いつつ身を引きました(わはは
うちの前を歩いていた老婦人を盲動した時、ちょっと聞いてみたのは
知ってる色とか形とかあるんですか?  あまりにも愚かな質問だったことに
気付いたのは、不覚にも彼女の”いいえ、真っ暗ですから”というお答えを
いただいてからでした(滝汗
白杖を携え、闊達に歩く姿を見るといつも人間て凄いなぁ。と思います。
試しに自分もやってみますが家の中なら20歩は行けますが外では5歩が
精一杯です。
そんなすごい人たちに少し位は自分の時間を提供するの悪くないですよね(笑
余談ですが、名古屋港水族館のイルカの水槽におでこくっつけて待ってると
イルカもおでこくっつけに来てくれます(笑

ベラカバンバさん、コメントありがとうございます^^

TVで聞いた話ですが、
”困っていそうな時に、「何か手伝いますか」と聞いて、手を(肘や肩を)貸すといい”
とありました。

最初から最後までというわけにはいかないですし、
それはそれで相手の尊厳を無視してる行為のような気もしますしね

困ってる時はお互い様。
多分、そんな気持ちでいいんだと思います

愛知にいた時、名古屋港水族館は行きませんでした(^-^;
三重の鳥羽水族館はよく行っていて、
スナメリが泳ぐのを飽きずに眺めてるのが好きでした。
イルカもスナメリもかわいいですよね^^

鳥羽水族館、また行きたいな~

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