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2015年1月29日 (木)

宇美八幡宮 ~福岡県~

宇美にある「宇美八幡宮」に行きました。

宇美は、”産み”。

神宮皇后がこの場所で、応神天皇をお産みになったと言われている場所です。

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                    (クリックすると大きくなります)

ご祭神*應神(おうじん)天皇(八幡大神)・神功皇后
     玉依姫命・住吉三柱大神・伊弉諾神

神宮皇后が三韓遠征の際、お腹に石を置いて、お産を遅らせたと言われています。

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ここに「子安の石」があります。

妊娠したと分かったら、ここへ来て、安産で生まれる様にと「子安の石」を授かります。

私も福岡に来てからここを知ったので、一番下の子の時は授かりにきました。

無事に生まれると、その石に子供の名と生まれた時の体重を書きます。

それと書きやすそうな石を拾ってきて、一緒に納めるのです。

初めてここに来た時は、想いのこもったたくさんの石に圧倒されました。

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「生まれてきてくれてありがとう」

そう直接書かれてある石もあります。

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神宮皇后の像です。

境内には、神功皇后にまつわるものがたくさんあります。

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湯蓋の森。

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衣掛けの森。

ともに大樟です。

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産湯の水。

その中には湧き水が湛えられています。

今も絶え間なく湧き出てて、とてもおいしいお水です。

安産を願って、飲まれていく方もおられます。

 

.
一番上の子が生まれた時は、1500gの未熟児でした。

二人目は3000gで生まれましたが、常に心配していました。

下の子の時、石を授かった後、とても心強かったのを覚えています。

人は守ってくれるものがあると思うだけで、強くなれるのですね。

2015年1月17日 (土)

"あの日”

"あの日”から、今年は20年目。

私はその頃、愛知で働いていました。
あの日から、3年(4年かも)ほど経ったその日、ある用事の帰りに神戸を
走る電車に乗っていました。

窓の外を流れる風景の中に、まだ屋根にブルーシートがかかった家がありました。
こんなに経っているのに。

                .

大阪行きの電車の中は満員でした。
通路もいっぱいで、私は座席に手を掛けて立っていました。

目の前の対面式の座席には、二十歳くらいの女の子が二人、
並んで座っていました。

電車内はほんの少し、ざわついていました。

「”あの日”から、3年経ったんだね」

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”あの日”

女の子の一人がそう話した途端、電車の中が静まり返りました。

                                   .

話によると、二人は専門学校の同級生のようでした。

その女の子は、淡々と話しました。

                                  .

地震の後、とても信じられないような光景が広がっていたこと。

高速道路が崩れたあの場所の近くに学校があったらしく、
学校の先生や生徒、みんなが瓦礫を掻き分けて、
学校に集まったこと・・・。

                                .

車内のすべての人の息遣いが聞こえてくるほど、静まり返り、
その女の子の小さな声だけが響いていました。

みな耳を澄まして聞いているようでした。

それぞれの"あの日”を重ねているように思えました。
どこからか、すすり泣きも聞こえてきます。

女の子の話は続きました。

                   .

電話も通じず、道路も家もめちゃくちゃで・・・。

次の日になって、ようやくみんなと連絡が取れて、無事に会えたこと。

生徒の中には、親や兄弟を亡くした子もいたこと・・・。

 

                    .

ごめん。一番泣いてるのは私だ。

なんも関係の無い私。

ここには関わりのないはずの私。

ごめん。こんなに泣いてごめん。

"あの日”

TVの前で、ただ呆然とすることしかできなかった、私。

ごめん。

                           .

まもなく、電車は大阪の駅に着きました。

それぞれの”あの日”

あれから、それぞれの20年。

どうか、ご冥福を。

どうか、残された人々に幸せを。

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