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2015年1月17日 (土)

"あの日”

"あの日”から、今年は20年目。

私はその頃、愛知で働いていました。
あの日から、3年(4年かも)ほど経ったその日、ある用事の帰りに神戸を
走る電車に乗っていました。

窓の外を流れる風景の中に、まだ屋根にブルーシートがかかった家がありました。
こんなに経っているのに。

                .

大阪行きの電車の中は満員でした。
通路もいっぱいで、私は座席に手を掛けて立っていました。

目の前の対面式の座席には、二十歳くらいの女の子が二人、
並んで座っていました。

電車内はほんの少し、ざわついていました。

「”あの日”から、3年経ったんだね」

                              .

”あの日”

女の子の一人がそう話した途端、電車の中が静まり返りました。

                                   .

話によると、二人は専門学校の同級生のようでした。

その女の子は、淡々と話しました。

                                  .

地震の後、とても信じられないような光景が広がっていたこと。

高速道路が崩れたあの場所の近くに学校があったらしく、
学校の先生や生徒、みんなが瓦礫を掻き分けて、
学校に集まったこと・・・。

                                .

車内のすべての人の息遣いが聞こえてくるほど、静まり返り、
その女の子の小さな声だけが響いていました。

みな耳を澄まして聞いているようでした。

それぞれの"あの日”を重ねているように思えました。
どこからか、すすり泣きも聞こえてきます。

女の子の話は続きました。

                   .

電話も通じず、道路も家もめちゃくちゃで・・・。

次の日になって、ようやくみんなと連絡が取れて、無事に会えたこと。

生徒の中には、親や兄弟を亡くした子もいたこと・・・。

 

                    .

ごめん。一番泣いてるのは私だ。

なんも関係の無い私。

ここには関わりのないはずの私。

ごめん。こんなに泣いてごめん。

"あの日”

TVの前で、ただ呆然とすることしかできなかった、私。

ごめん。

                           .

まもなく、電車は大阪の駅に着きました。

それぞれの”あの日”

あれから、それぞれの20年。

どうか、ご冥福を。

どうか、残された人々に幸せを。

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コメント

おはようございます(^O^)

私はその日は テレビの前で一人きりでした
新潟の離れた地でも 凄く揺れてテレビを消して外に飛び出しました
でも、街中は誰も騒いでいる人はいません 
戻ってテレビをつけました
津波の映像がリアルタイムで流れて来て テレビに向かって
逃げて、早く逃げてと叫んでいました‥
20年もたったんですね 
亡くなられた方達の御冥福をお祈りいたします

まめこさん、おはようございます(^ ^)

私が小さい頃は、こんな大きな災害が生きているうちに
起こるなんて思ってもいませんでした。

私の住んでる福岡でも、隣の街に断層があったりします。
地球は活動期に入っているようで、
もうどこで起きてもおかしくないですね。

日ごろからできること、そして何かあった時にできること、
いつも考えていきたいと思います。

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