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2015年4月10日 (金)

奈良と伊勢の旅 旅の意味 その2 ~三四五の封印~

前回の続きです。

 

ARIONの数々の言葉の中にこんな言葉があります。

 

三四五の封印は、日向の手によってかけられたのだから、
 日向の手によってしか、解くことができない。

  日向の血を受け継いだ者が、この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、
 四の辺上にあるたった一つのポイントに気づき、自らそこへ行くだろう

友人はその三四五の封印が、ヤマトの名の由来の一つ「矢の的」の語源になった経緯をブログに載せました。

奈良には大和三山があります。
畝傍山、天香久山、耳成山。
この三山を線で結んだその先に三輪山がありました。

(下の図は、友人が作成された図です。
 掲載を快諾していただきました)

Yamato3zan
(地図はGoogle Mapより引用)    

その三輪山は大神神社の御神体。
それがニギハヤヒの御陵だと。

ニギハヤヒは、最初の王であった為、大和三山が結ぶ先の三輪山に埋葬されたのだということでした。

                                                      .

その次の王である(神話では最初の王)神武天皇陵(1の場所)と、
三輪山(饒速日命、2の場所)と、
ミカシヤ姫が祀られている櫛玉比女神社(3の場所)を結ぶと三角になります。

その真ん中を通る線の先”矢の的”にあったのが、「三島神社、4の場所」でした。

Screenshot_202110122147405

(地図はGoogle Mapより)   

                       *

友人がそうして導きだした「三島神社」

私はその時、天啓のようなひらめきがありました。
これだと。

三島神社はもともと、今の天理教の”おぢば”の場所にありました。
天理教の教祖である中山みきは、そこで天啓を受けたのです。

後に天理教本部を建てる為、三島神社は別の神社があった今の場所に移されました。

(三島神社とおぢばはすぐ側なので、どちらでもあるのかも)

                       *             

ちょうどそんな時、11月22日に石上神宮で「鎮魂祭」(たまふり神事)が
行われると知りました。

 

        (奈良と伊勢の旅 旅の意味 その3 ~旅の奇瑞~ に続く)

 

      .

 

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