奈良と伊勢の旅 旅の意味 その2 ~三四五の封印~
前回の続きです。
ARIONの数々の言葉の中にこんな言葉があります。
<三四五の封印は、日向の手によってかけられたのだから、
日向の手によってしか、解くことができない。
日向の血を受け継いだ者が、この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、
四の辺上にあるたった一つのポイントに気づき、自らそこへ行くだろう>
友人はその三四五の封印が、ヤマトの名の由来の一つ「矢の的」の語源になった経緯をブログに載せました。
奈良には大和三山があります。
畝傍山、天香久山、耳成山。
この三山を線で結んだその先に三輪山がありました。
(下の図は、友人が作成された図です。
掲載を快諾していただきました)
その三輪山は大神神社の御神体。
それがニギハヤヒの御陵だと。
ニギハヤヒは、最初の王であった為、大和三山が結ぶ先の三輪山に埋葬されたのだということでした。
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その次の王である(神話では最初の王)神武天皇陵(1の場所)と、
三輪山(饒速日命、2の場所)と、
ミカシヤ姫が祀られている櫛玉比女神社(3の場所)を結ぶと三角になります。
その真ん中を通る線の先”矢の的”にあったのが、「三島神社、4の場所」でした。
(地図はGoogle Mapより)
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友人がそうして導きだした「三島神社」
私はその時、天啓のようなひらめきがありました。
これだと。
三島神社はもともと、今の天理教の”おぢば”の場所にありました。
天理教の教祖である中山みきは、そこで天啓を受けたのです。
後に天理教本部を建てる為、三島神社は別の神社があった今の場所に移されました。
(三島神社とおぢばはすぐ側なので、どちらでもあるのかも)
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ちょうどそんな時、11月22日に石上神宮で「鎮魂祭」(たまふり神事)が
行われると知りました。
(奈良と伊勢の旅 旅の意味 その3 ~旅の奇瑞~ に続く)
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