奈良 古代の湖
私は前世だと思われる夢を、高校時代の3~4年の間、何度も見ていました。
一度、古代の奈良の夢を見たのです。
(後は切れ切れに風景などを何度か)
当時の奈良盆地には巨大な湖がありました。
夢の中で覚えている場所で確かなのは、アマノトリフネが係留されていた矢田の丘陵付近。
三輪山の麓の地域。
これらの地域は陸地でした。
それと後に切れ切れに見た夢の中で、耳成山(大和三山の北の山)の麓近くで湖に面した(高床式の)建物を見ました。
湖の南の端がその辺りだと思われます。
その夢を見ていた頃はそれが前世だと分かっていたので、「奈良には古代、湖があった」と確信していました。
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後に奈良に旅した時、益田の岩舟のところで偶然、郷土史研究家という方とお会いしました。
その方が言われたのは、
「今でも災害があって浸水しやすい地域というのは、当時の湖の底だった」
ということでした。
その当時の湖の端であったであろう土地の名前を、いくつか教えてくださいましたが、忘れてしまいました。
例えば福岡の場合、湖ではなく海だったので、塩原(しおばる)などの地名は、古代での海岸線沿いだった名残ということです。
(現在の海岸線沿いより5キロ以上内陸)
そして山に囲まれた奈良盆地は、天然の要害であり、当時(古代において)都を作るのにこれ以上の場所はないと話してくださいました。
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後に気になり調べてみました。
すると、300万年ほど前までは、大阪湾から生駒山の北から繋がる海だということでした。
後に海面の下降により干上がり、大和川などから流れる水が注ぐ淡水湖となりました。
奈良湖と呼ばれていて、奈良時代くらいまであったそうです。
私が見た夢の中では、淡水湖の周辺が適度に湿地帯となり、その辺りで稲作をしていたようでした。
福岡に来て、筑紫郡那珂川町の日吉神社を訪れた時、「さるた」と呼ばれていた古代の農業技術を知りました。
川の流れをせき止め、土地を水で満たし、そこで稲作をすることだそうです。
那珂川町周辺では古くからこのような稲作が行われていたようです。
奈良の古代にあった湖の周辺では、わざわざ川をせき止めるまでもなく稲作ができたのでしょう。
天然の要害であり、稲作に必要な水が豊富にあった大和の地。
とても魅力的な場所だったのでしょう。
ここから大和を目指すのは、とても気の遠くなるようなこと・・・。
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