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2017年6月19日 (月)

結びの山 * 番外 * ARION語録 12 ~その2~

<ARION語録12 ~その1~ の続き >

(5)大いなる天界の息吹より伝えられしものを、あなたがたは持っていると
 いうことを教えよう。大いなる天界の息吹より伝えられしものとは、
 あなたがたの魂、あなたがたの心の奥のものだ。人は二人の主人に
 兼ね仕え、二人の主人を共に満足させることは出来ない。

 人は物質と精神の両方に仕えることはできないし、自分の体
 高級我に仕えるのも無理だし、家族への義務と自分の普遍的義務とを
 いずれの権利も侵害しないで果たすことは困難だ。

 『天界からの静かな小さな声』に耳を貸して、取るに足らぬ者らの喧騒を
 聞き逃すか、又は取るに足らぬ者らの要求ばかり聞いて
 『天界からの静かな小さな声』につんぼになるかのどちらかである。

 すでに現世で結婚している人々にとって、神霊界の掟に従いたいと思う事は
 恐らく苦難の連続だろうと思う。見聞きした神霊界の事々を理論的に
 処理し学問として修める方が、実際の物質的生活の運営は楽になるだろう。

 神霊界の事々を理解し実践しようとする人には、実際の物質的生活は
 絶え間無い争いと醜い欲の交錯として捕らえられるだろう。

 神霊界の掟と現世的な掟の両方に従い、かつ神霊界の事々を理解し
 実践し身に付けようと思う人は、いつも非人格的な神霊界の声と
 人格的な現世的愛との間でためらっている自分を発見する事になるだろう。
 そして、そのどちらも不満足のまま、恐らくは以前より現世的な生活を
 続ける自分を発見するだろう。

 しかし、誰も自分の持っている能力以上のカルマの重荷を背負うことには
 なっていない。真理、善、知恵を恩恵を与えてくれるが故に愛するのではなく、
 真理、善知恵であるが故に愛する人は人生を重荷とは考えないだろう。

6)銀河の果て、遠い遠い星の時間の彼方より降り続ける愛の夢 
 あなたがたの瞳の奥の雪降るしじまへと続く、愛の夢
 世界中の人々が飢え、弱り、悲しみの淵に沈み私達の愛に向かって
 手を伸ばす時にその時こそ、あなたがたの星降る愛が必要なのだ

 あなたがたは、今現在何をして良いか分からない状況かも知れないが
 何をするべきかは各々の心の深奥が知っている筈だ

 難しく考える事は止めて、物事をあるがままに見詰め物事をあるがままに
 受け取り、そしてあるがままに働きなさい

 あなたがたに必要なのは愛と勇気とそして信じる心なのだから
 薔薇色の夢は遠いところにあるのではなくあなたがたの心の深奥にあるのだ

 あなたがたの心の深奥にある息づいているその赤い命に気付く時に
 蕎薇色の馨しき霧を放ちあなたがたの夢は生命の躍動を始める

 さあ、時は満ちた、出掛けなさい
 何も恐れることはない、躊躇することもない

 さあ、出掛けなさい
 あなたがたの薔薇色の夢を凍える人々に分けてあげなさい
 あなたがたを阻むものはない
 あなたがたを傷付ける者はいない
 あなたがたを待っている
 星々の彼方から見守る瞳を感じて、行きなさい
 額を光の方向に向けて、真っすぐに歩きなさい


(7)大多数の地球人は、霊的・物的進化の遅れた星地球の理学的範囲を
 超えない所からやって来ている。つまりこの地球を含む太陽系の
 どこかから来た魂で、非常に進化した魂は10%に満たないのだ。
 シリウス星系から来た魂は非常に少ない。
 今ここで何人いるという風には言えない。確かに進化した魂は少ない。

 

ARIONは、12という数字に重きを置いていました。
「ARION語録」は50程あるのですが、その中でもこの回は
特別重要なものだと思われます。

「 12 」は、ARION12 の数字であります。

ARIONは、自身を語る時「我々」と表現します。
ARIONという存在は、個のものではなく、
「ミカエル(日本ではスサノオの系統)」を始めとする天使族のものだそうです。

この回が、12なのは、決して偶然ではないと思います。

                 .
ARIONは、当時のパソコン通信のことを
「組織無き、ネットワーク」と呼んでいました。

群れない。
だけど、繋がっている。

今でも、こうしてARIONの言葉がネットワーク上に残り、
一人でも多くの人の目に触れること、それがARIONの願いだと思います。

                  *

何が真実なのか。
それは多分、自分自身が一番知っていることです。

胸の琴線に響くもの。
それは、自分が心から欲しているもの。
自分の中にある答え。

今、ここにいること。
それさえ決して偶然ではないのです。

 

あるがままに。

例えそれが、今の常識ではなくとも。
(他の人の迷惑にならないことで)

すべてを手放し、自分の中の声を聴く・・・。

             .

( 続く )

 

2017年6月16日 (金)

結びの山 * 番外 * ARION語録12 ~その1~

このサイトとkono87さんのサイトは、示し合わせていないのに話が
リンクすることがよくあります。
kono87さんがUPされた今回の「ARION語録 12」は、
こちらにも関わることなので二つに分けてUPします。

ARIONは、「転生」について、これから起こる「ムーブメント」について
このように記していました。

ARION語録
 12

(1)転生する時に『私』という自我感覚は失わないが、霊界での記憶や
 以前の人生の記憶は潜在意識の奥にしまい込まれる。
 霊的なレベルが高くなればなるほどに自我とは何かを知る様になるので
 転生する必要性について考察してから転生する様になる。
 

 霊的レベルの低い者は、転生に関して不安を抱く者も多い。  

 神霊達や守護霊達は、彼らには大まかな話しか出来ない。まだ理解出来る
 ところまで達していない霊達は転生は必要不可欠な事と教え込まれる。
 そしてその時期が来たら霊達は仮眠状態に入り、神霊達や守護霊達の
 選んだ肉体に入る準備をする。

 全ての霊が自分の転生について、決定権を持つ訳では無い。
 自分で決定する能力を有していない、そのレベルまで到達していない霊達は
 意外に多い。そして多くの発展途上の霊には、神霊は直接には話すことは無い。
 守護霊が代わって彼らの面倒を見ている。

 神霊が関わるのは、かなり霊的にもハイレベルに達した者だけだ。
 これは振動数が大きく異なる者どうしが、話し合うことが出来ないという風に
 理解して貰ってもいい。

(2)これから市民レベルの意識革命が起ころうとしている。
 全世界の有識者が日本の動向に神経を尖らせている。
 それは何故か? 日本こそがこれからの世界の運命を左右する力を
 持った国だからだ。国と言うよりは、むしろ国民と言った方が正しい。
 日本という国土に育まれたボデイに今世紀転生できた魂が地球の
 動向を握るからだ。

 市民レベルの意識革命の発端となるムーブメントは、避けて通ることは
 出来ないんだよ。生命の存続を賭けたムーブメントだ。これは、『原子力発電』に
 関するムーブメントだ。私達も『運動』は好まない。これはギリギリまで
 追い詰められた人々の革命だ。全て生命あってのことなんだから。
 これは大袈裟でもなんでもなく本当の事で『世紀末的絶滅思想』とも関連しない。
 私達のプロジェクトのもう一つのグループが携わっているムーブメントだ。
 とても現実的と言えば現実的なムーブメントではあるがね。
 

(3)文化人や著名人・有名財界人は既に地位も名誉も財産も手に入れて
 それらの保持を続ける毎日だ。誰もが地位や名誉や財産を欲したがるのは
 何の為だろうか?それらがある方が自分の思う事を実現しやすいからだろう?

 少なくとも、それらを手に入れる途上では目標や目的はそれら地位、名誉、財産では
 無い筈だ。それらを手に入れるのに苦労して手に入れたら今度は手放すのが
 惜しくなって当初の目的を忘れてしまう様だ。

 又、手に入れる事が目的だった人は手に入った後は一体何の為に生きてゆ
 くのだろうか? 『人生の折り返し点を随分前に通り過ぎた。今更、私の人生は
 やり直しが効かない。地位も名誉も財産も手に入れた。この先は静かに年老いて
 ゆくのもいいじゃないか。我々の時代は終わった。』と言うのが彼らの常套句だ。

 『何を今更、シンドイ目をして』とか『このままで充分幸福じゃないか?』とか、
 まるで死を待つ老いた白鳥の様だ。こういった姿勢の文化人、著名人、
 有名財界人、そして彼らだけじゃない一般の45歳以上の人々のこれらの言葉は
 一見平和を望む老いた人々の言葉の様だけど、実は非情な利己主義者の言葉だ。

 自分達は余命いくばくも無いから、後はもういいんだなんて実は言っている訳だ。
 これは大きい自己欺瞞だ。誰もが自分の事を『老いた』なんて思いたくは無い筈だ。
 少しばかりズルくなった自分の心境を『老いた心境』にスリ替えている訳だ。

 進化してゆく事を忘れてこんな事を言って貰っては困る。そしてボディが進化して
 ゆかねば進化した魂の器がなくなってしまう。自分の直系の子孫に遺産を遺せば、
 それで良いのだろうか?人々の魂は自分の直系の子孫の身体に転生する事は
 希な事なのだから、全ての生命が安全に進化するべきだ。


(4)『物質を持つという事が物質的な執着心を持つことにはならない。持っていても
 執着しなければいい。物質を持たない努力をすることで執着心を持たないと
 いうのも変だ。物質的な執着心を持たない為に捨てよう、失おうとして、失うことが
 気になって、かえって執着してしまうくらいなら失くさない方が良いのじゃないか?

 これは、一つの意見だが間違っている。失うことが気になるのは執着心が
 強い為で、それを失わないことで気にならないというのでは結局、執着心を
 捨てていないことになる。

 物質的なことに執着心を持つのが霊的修業に邪魔になる訳は物質的なものの
 持つ低い周波数に捕らわれる事が危険だからだ。捕らわれないなら
 持っていても良い、というのはある意味では正しい。物質的なことの持つ
 周波数に捕らわれていないなら同じ意味で失う事にも全く関心を抱かない筈
 だからだ。その人の活動に不必要なものは霊的修業中の人ならば持たないのが
 理想だ。

 そして多くの修業は『捨てる』事から始まる。捨てるという能動的な行為は、
 自分のそして他人の執着心から自由になるには最も効果的な方法だからだ。
 全てを持ったまま、何も失わずに修業を続けるのは至難の技だから。
 それが出来た人を私は未だ知らない。破壊することで創造するというのはそう
 いうことなんだ。捨てることで手にいれる訳だ。

 あなたがたもよく知っているイエズス・キリストが、言っている。
 『自分の持ち物を売って、施しなさい。自分の為に古びることのない
 財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない
 宝をたくわえなさい。あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。』
 -ルカによる福音書第12章、33行-
 

 自分の為に古びることのない財布を作るとは、自分の魂を清め高めるということだ。

 

(ARION語録 12 ~その2~ に続く )

 

                                                  .

*ARIONは、北川氏(みれさん)がチャネリングしていた宇宙神霊。
 1990年台にパソコン通信@NIFTYのFARIONという 会議室の中に
 一個人として存在していました。

 私がそこに参加していたのは、1993年頃から2年ほど。
 このブログ内でのARIONのことについて触れている記事は
 カテゴリー「ARION」にまとめます。

 kono87さんのサイトは右欄でリンクを貼りました。
 12以外(徐々にUPするそうです)のARIONの語録のリンクも個別に貼っています。

 

興味をもたれた方はご覧ください。

                     .

 

2017年6月14日 (水)

結びの山 ~その10 脊振山 ~

遠い昔、イザナギ神とイザナミ神は、言葉の乱れを嘆き、それを正す為に
国を巡り「アワの歌」を広めたとホツマツタエに記されてあります。

この二柱は、言霊に係わりのある神だと思われます。
                     .

その神を山頂に祀った山がつくる筑紫三山。
その図を見て気付きました。

「矢の元」には「天岩戸(赤い印)」があるのですが、その背後には
「背振山」がありました。
(「脊振神社 上社 ~佐賀県神埼市~」)

17    
                   (地図は、グーグルマップ より)
                     .

神話の<筑紫の日向の高千穂のくしふるたけ>はここではないのかと
思っていたのですが、またもやそこに。
(「 「箸墓の歌」と”くしふるたけ”  その2 」)                                               .

*(長くなってしまうので、後の記事で
「天孫降臨とくしふるたけ」について書きます)

神話にある” くしふるたけ ”という名の山、
それは脊振山のことではないかと思うのです。

                       *                        

背振(セフリ)山の名の由来の一つは、

「「背振神社蔵古書によると、絶頂に霊窟があり、二竜常に出現し
背を振る時、山が動き地震う、故に背振山と号する」」
(小椋一葉 著作「箸墓の歌」より抜粋)

脊振山の山頂の(降臨した?)二竜。
著者はこの二竜が、スサノオ命とニギハヤヒ命ではないかとしています。
(根拠は書かれていないのですが、周辺の神社などの伝承から
そう導き出されたようです)
                 .

竜神が「背を振るう」という伝承を持つ山。

その内の一柱の神、それが「ニギハヤヒ」・・・?

「ニギヤハヒ」と、「くしふるたけ」、そして「背振山」。
この3つには、共通する言葉があるのです。

                        *
神話の「くしふるたけ」                           .
「くし」は、「奇(くし)」を表し、人間に不思議な奇跡をもたらすもの、
神の力を感じられるものという意味があります。

なので、奇(くし)なるものがふる(振る・降る)岳(山)
または、くし(奇)なる「フル」の山。


脊振山の、「竜神、すなわち奇(くし)なるものが背を振る(ふる)山・・・。

「クシフル」タケとは、
まさに、背振山の伝承を表しているように思えてなりません。


                        *

この「クシ」と「フル」という言葉。
ニギハヤヒとも深く係わりがあります。

神の名で「フル」の神と言えば、ニギハヤヒ命を表します。

奈良の石上神宮に祀られているご祭神、布留神(ふるのかみ)は、
ニギハヤヒ命のことなのです。

かの神は、数多の名を持ちます。
「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
(あまてるくにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)」
そして、「櫛玉命(くしたまのみこと)」「布留神」「大歳様」・・・。

 

年始に訪れると言う「歳神様」はこの神だと言われています。 

歳神は、スサノオ命の子であり、稲穂の神。
ニギハヤヒ命と共通することが多いのです。
(何より、ARIONは「ニギハヤヒは、フルでありトシである」と
記していました)

多くの名があるのは、それだけ広範囲に様々な影響を遺したからでしょう。
                        .                     .

伝承(日本書紀やホツマツタエなど)では、ニギハヤヒが筑紫(九州の北部)
に来て、その後に天磐船に乗って、大和へ向かったとあります。

こちら(筑紫)には、その足跡を示すかのように彼の伝承を持つ神社が
数多くあります。
                   .

その彼の名の一つが「フル」。
別名には「クシ」が・・・。

                        *
                        .
「フル」という名。

ここにkono87さんがブログで取り上げられた「言霊の会」さんの言葉があります。
マイ・ミュート・アーテ」より

***********************************************************************

天津日嗣スメラミコトが、文明創造のために言霊スの立場より立上り、
臼の原理、五十音言霊の原理を活用・運用して政事(まつりごと)の
処理に当った。

その活用・運用することを古代では「振る」と言った。その言霊は
高千穂の奇振嶽(くしふるだけ)や石上神宮の言本(ふるのこともと)
などに遺されている。

(中略)

それが天津日嗣スメラミコトの仕事、即ち言霊五十音言霊という
鈴を振ることである。鈴の語源である。


************************************************************************

そして、上記の石上神宮に祀られる神は、布留(ふる)の神、すなわち、
ニギハヤヒ命。

”くしふるたけ”に共通する「クシ」「フル」も、布留の神である
ニギハヤヒ命を示すとしたら・・・。

・・・やはり、脊振山の伝承の竜神の一柱は、「二ギハヤヒ命」?
 

友人、kono87さんによれば、ニギハヤヒ命は

「五十音言霊の原理を活用・運用して政事(まつりごと)の
処理に当った。」

まさに、その人(神)だということです。
フル(振る)の神、・・・布留神

石上神宮や脊振山に祀られてるのは、この神?

イザナギ、イザナミを祀る神社や山が形作る筑紫三山。
そのARIONのいう”三四五の封印”の矢が指し示す先にあるのは、
「くしふるたけ」である脊振山・・・?

くし(奇)ふる(布留)たけ。
奇なる布留の山。

それが、脊振(セフリ)山なら・・・。
        .

( 続く )

 

                       *   
                                                           .                     .

 

上記抜粋部分の元となる言葉を載せます。kono87さんのブログより。
「言霊の会」さん記載。

 

臼 と 鈴

 「古事記」の神話はアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理を言霊百神の物語として説いている。百神の初めは「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神・言霊ウ」である。次いで先天言霊十六、アワオヲエヱ、チイキミシリヒニ、イヰが現れ、心の先天活動が定まる。次にこの先天の活動によって三十二の子音言霊、タトヨツテヤユエケメ・クムスルソセホヘ・フモハヌ・ラサロレノネカマナコが誕生し、次にこれ等言霊を神代文字化する火の迦具土の神・ンが生まれ、言霊総合計五十個が出揃ろう。

 

 次に言霊の神・伊耶那岐の神は五十個の言霊の運用・活用の方法を検討し、五十通りの手順を経て言霊学の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)=天照大御神、月読命、須佐之男命を誕生させる。言霊布斗麻邇の原理の完成であり、伊耶那岐の命の天地創生の事業は終了する。

 

 人が人の何たるべきかの原理・法則をすべて検討し尽くして黙居した姿を言霊スという。スメラミコトのスであり、住居・巣・洲のスである。創造主神伊耶那岐の命の仕事は言霊ウで始まり、言霊スに終る仕事によって言霊百神という子、即ち言霊布斗麻邇の原理が完成する。

 

 稲(イの音)を挽いて粉(こ)を作る道具に臼(うす)と名付けた太古日本人の心は誠に素晴らしい。

 

 伊耶那岐の命の言霊ウよりスに至る作業により言霊百神の原理、即ち人が人たるべき根本原理であるアオウエイ五十音言霊布斗麻邇の学が完成された。それは臼の原理とも言われる。「古事記」が教え示してくれる百神創生の順序はとりも直さず天津日嗣スメラミコトが、文明創造のために言霊スの立場より立上り、臼の原理、五十音言霊の原理を活用・運用して政事(まつりごと)の処理に当った。

 

 その活用・運用することを古代では「振る」と言った。その言霊は高千穂の奇振嶽(くしふるだけ)や石上神宮の布留の言本(ふるのこともと)等に遺されている。スメラミコトは人類文明創造の仕事、即ち禊祓に当たり、言霊スの座から立上り、臼の原理を振い終わって再びスの座に帰る。スの完了形として濁点が付き、ズとなって収まる。スから始まってズに終る。それが天津日嗣スメラミコトの仕事、即ち言霊五十音言霊という鈴を振ることである。鈴の語源である。

 

 石上神宮の伝え言に謂わく「一ニ三四五六七八九十と称えて、これに鈴を結べ」と。伊勢神宮は裂口代五十鈴の宮即ち言霊五十音を祭った宮であり、石上神宮は布留の言本即ち五十鈴を振るい文明創造の曲を奏でる方法を祭った宮である。

 

 臼と鈴の語源は世界文明創造の中の日本民族の根本的なアイデンティテイに関係しているのである。これらの神々をチャートに表わしたのが神々の宝座である。

(抜粋終わり)

 

*前回、UPした時に頂きましたコメントも記載します。

 

2017年6月 5日 (月)

結びの山 ~その9 天岩戸 ~

天岩戸は、福岡県筑紫郡那珂川町(*2018年10月以降那珂川市に昇格)
の戸板という山あいの地区の「山神社」にあります。

*(旧・岩戸村戸板 *今は、那珂川町南面里(なめり))

ご祭神は大山祗命。

Iwato12
                          .

Iwato2
                           .

Iwato3
お社の後ろが岩戸です。

Iwato4
                    .
幅15m、高さ6mほど。                       .

磨崖仏が彫られています。                                                    

Iwato5
                          .

Iwato9
                                                     .

何度か写真で見たことはありましたが・・・。
その前に立った時、あまりの眩しさに光に包まれたように思いました。

「ただ、そこに大岩があったから岩戸にした」というのでは無い、
と感じてます。
                                   .

Iwato11

 

Iwato13
                     .

<岩戸は繋がっている>

そう思ったのは、奈良の天香具山の麓の「天岩戸神社」に
参拝した時でした。               

そこで宇宙を見て扉を感じ、他の岩戸と繋がっていると思ったのです。

同じく天岩戸神社とされる伊勢の「恵利原の水穴」では声が聞こえ、
他の”岩戸”に繋がっていると感じていました。

本当の「岩戸」がどこかではなく、結びの山のように「岩戸」が
幾つもあって、それぞれが繋がっていると思うのです。

                        *

こちらの岩戸には伝承があります。

奈良にある神社の”岩戸”と対になっている。
天照大神が籠った天岩戸の片方の戸がこちらに落ち、もう片方の戸が
奈良に飛んだと。

調べてみましたら、その神社は筑前國風土記に、
「大和國宮戸村片戸明神」とありました。


しかし、奈良の宮戸町は御所市にありますが、片戸明神は
確認できませんでした。
もしかしたら、神社や土地の名が変わっているのかもしれません。

                        *

 

それにしても、「福岡の那珂川町の岩戸」と「奈良の岩戸」が
対になっている・・・
という伝承は何かを表しているかのようです。

下の地図で赤い印をつけた場所が「岩戸」です。

15
                                        (地図はグーグルマップより)


奈良の旅の記事(「旅の意味 その2~三四五の封印~」)で
触れましたが、
三角を線で中央で結んだ形が「ヤマト(矢の的)」の名の由来の一つ、
その”矢”の初め、起こりとなる場所に「岩戸」はありました。  

( 続く )

                .

 

2017年6月 3日 (土)

結びの山 ~その8 神籬(ひもろぎ)~

筑紫平野を囲むような三角の形。

前の記事「結びの山 ~その5 筑紫三山 ~」で書きましたが、
小説「産霊山秘録」の中では産霊山の頂上で、 三角の頂点に
それぞれ置いた神器が神籬(ひもろぎ)を作っていました。

同じく、奈良の結びの山の一つである大和三山。
その中にある藤原京は、大和三山が作る神籬の特殊な場の力を
利用したものなのでしょう。

筑紫三山にもこの役目があると思われます。

飯盛山の頂上で感じた「基山」への見えない道筋。
そして筑紫三山が形作る結界のようなもの、
これがこの地の「神籬(ひもろぎ)」

<<神が宿る場所>>

友人、kono87さんによると、その中すべてが「神籬(ひもろぎ)」になります。

 

Chikushi3zan5                         (地図はグーグルマップより)

友人が気が付かれたのが、濃い青の三角の頂点にある
若杉山の麓の方の「太祖宮」です。

若杉宮の頂上の「太祖宮(奥宮として今もある)」から、
勧請したとのこと。

麓に宮を置く理由・・・。
ほとんどの場合は参拝しやすいようにということなのでしょうが、
これだけ綺麗な三角を形作る場所にあるもう一つの「太祖宮」は・・・。

「筑紫三山に<封印>としての役目もあるのだとしたら、
それをより強固なものにする為ではないだろうか」と。

この話は後ほど。

あるものの封印・・・便宜上、この言葉を使いますが、
ちょっと違う気がします。
 ”悪いものを閉じ込めてしまうという、 負のイメージはないです。)

                    *

地図では
(筑紫三山を「封印」の役目として考えるのなら、友人が示した水色の三角の方で)

三角の底辺に当たる「飯盛山」と「基山」を結ぶ線の真ん中、
その三角の外側に「岩戸」があります。
青い印がついている場所です。

Photo
                                 (地図はグーグルマップより)

この辺り一帯は、昔は岩戸村と呼ばれていました。
今でも土地の人は、岩戸郷とも呼んでいます。

その「岩戸」がある福岡県筑紫郡那珂川町に「伏見神社」があります。        .

 

毎年、岩戸神楽が奉納されています。
 (諸説あるようですが、伏見神社の元宮とも言われています。
  ご祭神の淀姫が神宮皇后の妹とされている故かもしれません)

岩戸の由来は、「天岩戸」。
上の地図の印をつけた青い点の場所、「戸板」という地区に
天岩戸があります。
                         .

 

( 続く )

 

2017年6月 2日 (金)

結びの山 ~その7 線上 ~

前回の記事のkono87さんからのご回答によりましても、
言霊と数霊から見ても「飯盛山」「若杉山」「基山」は、
筑紫三山と言ってもよさそうです。

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                         (地図はグーグルマップより)


水色の三角が筑紫三山です。
その右上の頂点が「若杉山」

左の頂点が「飯盛山」
右下が「基山」

                      *

筑紫平野を囲むような三角の形。

大昔、海岸線は今よりももっと内側でした。

では、伝承に残っている「海岸線」はどこなのか?
今回、ふと気になって調べてみました。

青い線の端、左の星マークが「飯盛山」、右の星マークが「若杉山」

 

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                 (地図はグーグルマップより)

それらの山を結ぶ青い線上にある赤い印が「塩原(しおばる)」という名の地区です。
大昔、その辺りが海岸線だったという伝承が残る「塩の原」と書いて「しおばる」。
(この辺りは「原」を「はる」と呼ぶことが多いです)

そして、塩原の印の、少し左上の赤い印は住吉神社です。
(古地図によると、鎌倉時代の博多湾は入り組んだ櫛型の地形でした。
 その当時のお社は突き出た小さな半島にあったそう)

後に書きますが、今より1700年以上前に若杉山の頂上にお社を置いたのは
神功皇后です。
住吉神社は、神功皇后が三韓征伐をする前に皇后との係わりが記されている
文献があるとのことなので、その当時も陸地のようです。
(どのような形なのかは不明)

塩原が、いつの頃からそう呼ばれるようになったか分かりません。
もしかすると、その時代はもっと海は後退していたかもしれません。
線上にあるのは、偶然かもしれません。

ですが、ほぼ当時の主な陸地を囲んでいると思われます。

 

( 続く )

 

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