結びの山 ~その7 線上 ~
前回の記事のkono87さんからのご回答によりましても、
言霊と数霊から見ても「飯盛山」「若杉山」「基山」は、
筑紫三山と言ってもよさそうです。
(地図はグーグルマップより)
水色の三角が筑紫三山です。
その右上の頂点が「若杉山」
左の頂点が「飯盛山」
右下が「基山」
*
筑紫平野を囲むような三角の形。
大昔、海岸線は今よりももっと内側でした。
では、伝承に残っている「海岸線」はどこなのか?
今回、ふと気になって調べてみました。
青い線の端、左の星マークが「飯盛山」、右の星マークが「若杉山」
それらの山を結ぶ青い線上にある赤い印が「塩原(しおばる)」という名の地区です。
大昔、その辺りが海岸線だったという伝承が残る「塩の原」と書いて「しおばる」。
(この辺りは「原」を「はる」と呼ぶことが多いです)
そして、塩原の印の、少し左上の赤い印は住吉神社です。
(古地図によると、鎌倉時代の博多湾は入り組んだ櫛型の地形でした。
その当時のお社は突き出た小さな半島にあったそう)
後に書きますが、今より1700年以上前に若杉山の頂上にお社を置いたのは
神功皇后です。
住吉神社は、神功皇后が三韓征伐をする前に皇后との係わりが記されている
文献があるとのことなので、その当時も陸地のようです。
(どのような形なのかは不明)
塩原が、いつの頃からそう呼ばれるようになったか分かりません。
もしかすると、その時代はもっと海は後退していたかもしれません。
線上にあるのは、偶然かもしれません。
ですが、ほぼ当時の主な陸地を囲んでいると思われます。
( 続く )
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