結びの山 ~その11 天孫降臨 ~
「くしふるたけ」が脊振山であり、
それが「奇(クシ)布留(フル)岳」を表すのだとしたら、
脊振山に降ったという神は、ニギハヤヒ命ということになります。
ならば、天孫降臨の際「くしふるたけ」に天降った神が、
天孫のニニギ命ではないということ。
.
・・・「くしふるたけ」は「筑紫の日向の高千穂」にある・・・。
そして、その場所が天孫降臨の地。
”ここ”には、それを物語るかのようなものがたくさんありました。
*
< 筑紫の日向の高千穂 >
「高千穂」は、たくさんの稲穂を高く積み上げたような場所、
「日向」は、日に向かう(日に照らされた場所)だとする説があります。
また「韓国に向かい」という表現もあります。
「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)
(Wikipedia 「天孫降臨」より)
この「韓国」が、素直に朝鮮半島を差し、韓国、朝鮮半島から
(博多湾の方から)見て、そびえる壁のように見える脊振山に
連なる山々のことならば・・・。
「高千穂」という言葉は脊振山系を表しているのでは。
たくさんの稲穂を高く積み上げたような山々・・・
クシフルタケはその中の一つということなのでは。
筑紫三山の一つ、基山(きざん)の頂上にあった神社(今は麓にある)の
ご祭神は瓊々杵命 (ニニギノミコト)。
この基山も脊振山系(東端)にあります。
.
*
< 真の道 >
「笠沙の岬まで真の道が通じていて(有真之道通笠紗之御前)」
この言葉に思い当たることがあります。
那珂川町のある地点を通る時、とても強い力を感じるのです。
ほぼ南北を通る流れのような。
力の通り道のようなもの。
このシリーズを書きすすめていく内に気付きました。
その場所は、この緑の線のそばです。
(正確にはまったくの線上ではないのですが、おそらくその力の通り道は
かなり大きい(広い)ので、さえぎる物の無い場所だとよく感じるのかと)
ここには、いくつかの神社などがありました。
初めに気付いたのは、上から2つ目の☆マークのところ。
那珂川町の「御中主神社」
3番目が、「現人神社」
4番目が、「裂田神社(迹驚(とどろき)の岡である安徳台)」
一番下の5番目が、「日吉神社」です。
その線を、まっすぐ北に延ばすと、そこには「筥崎宮」がありました。
*
2番目から5番目は、全て那珂川町にあります。
彼の地には、古より伝承が数多く残っています。
*「御中主神社」は、天御中主神を祀ります。
天御中主神を祀る神社は珍しいそうです。
*「現人神社」は、イザナギ神の禊で現れた住吉三神を祀る元宮とされています。
人(神功皇后)の前に初めて姿を現した神ということで、”現人”神社。
皇后が朝鮮出兵をした際、船の舳先に現れて皇后を守った神とされています。
*上の星にはありませんが、「裂田溝(さくたのうなで)」は、
神功皇后が指揮して造ったとされる日本最古の水路。
現人神社の神田に水を引く為だとされ、今でも那珂川町の田んぼを
潤しています。
*「安徳台」は、神功記の「迹驚(とどろき)の岡」
(裂田神社と同じ場所)
古の時代より、上の原(うえのはる)・御所の原(ごしょのはる)と呼ばれ、
2000年以上前から何度も宮があり、安徳天皇も壇ノ浦の合戦の前に滞在しました。
この安徳台が、高天原の一つだと思っています。
天孫降臨の後、宮を建てたという「底津岩根」
これは、「クシフルタケ(脊振山)の麓、岩根のような台地」のことかと。
まさしく、安徳台の地形を表しているようです。
*安徳台のすぐ側に「裂田神社」
裂田の溝を指揮して造ったという神功皇后がご祭神。
(裂田の溝の側)
*神話のイザナギ神が禊をしたという「橘の小門の阿波岐原」を表す
地形と地名を今も残します。
(「安徳台と高天原」の記事)
「橘(今は立花木と表記)」
「小門(おど)」・・・川を海から遡って、山と山に挟まれる最初の場所。
(「儺の国の星」に掲載されている写真には、「小門(おど)」という地名が
表記された写真がありました。
伏見神社の前の一の堰辺りだと思われます。)
「萩原(はぎわらと表記して、おぎわら)」
(上の小門のすぐ側)
それらの地名が、安徳台の側にあります。
神功皇后がその辺りの那珂川で禊をしたという言い伝えもあります。
*「日吉神社」は、猿田彦神が祀られています。
天孫降臨の際、天津神を導いたと言われる神様。
日枝大社、日吉神社の元宮の一つとも言われています(この話は後ほど)
(後に分かったのですが、地元では猿田彦神がご祭神と言われていますが、
神社庁に記載されている神は、大己貴神、御中主神などです。
大己貴神は饒速日です。)
*
これらの伝承や神社が表すもの。
この地が神話のイザナギの禊の地であり、高天原の一つではないか
ということです。(一か所では無い)
*
< 笠沙の岬 >
そして、地図の一番上の星、「筥崎宮」(穂波(飯塚)から勧請されている)
元は、この辺りは海が後退していて(後の世に埋立て)岬だったそうです。
ここが「カササの岬」ではないか。
笠紗之御前
この「カササ」と「博多(ハカタ)」は、語源が同じかもしれないのです。
**********************************************************
ポリネシア語で「カタは、貝が口を開けたような(湾、地形)」という意味。
ハは、「美しい」。
また、「カタ」がマオリ語になる時に変化して「カサ」になった。
(ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源) より要約
************************************************************
「カタ」「カサ」という言葉は、湾などによく付けられた名
(または、湾を表現する言葉)なのだと思います。
.
「カササ」の「サ」で思い当たる言葉がありました。
「日吉神社」の案内板にあった「サルタ」です。
古代の言語は、共通するものがあると聞いたことがあります。
「日吉神社」の案内板から、猿田彦の「サル」はアイヌ語の「サル」
(湿原、葦原)ではないかと思いました。
(案内版には「サルタ」という農法が古来にはあったとあります)
札幌の「サ」も、アイヌ語の湿原という意味です。
カササの「サ」も、湿原、葦原といういう意味なのではと思いましたら・・・。
この筥崎の地、元は「葦津ヶ浦」と言われていたそうです。
筥崎の地が、「カタ(カサ)の地の葦原(サ)」で、
古代、「カササ」または「カタサ」と呼ばれることがあったかもしれません。
カササの岬まで、真の道が通じていて・・・。
その岬が、今、筥崎宮がある場所であるとしたら、
「真の道」とは、この線のことを言うのでは・・・。
「高天原(安徳台)」を含む岬への力の道筋を。
さらに、この線をまっすぐ南に延ばすと・・・
(地図はGoogle Mapより)
脊振山系を越えたほぼ向こう側、佐賀県にある「星」の場所には、
大貴己神社がありました。
(前に参拝したことがあるのですが、まだUPしてません)
*
「クシフルタケ」、「天孫降臨の地」「高天原」・・・。
そして「ニギハヤヒ命」「神功皇后」。
結びの山は、これらに深く係わっていると思います。
*
( 追記 )
・・・脊振山は筑紫の人々にとっては、昔から神のような存在でした。
南からくる台風などを遮ってくれる大きな壁。
「大概の台風がそれてくれるのは、脊振のおかげ」
土地の人はよく言います。
それ故に、古代の人々はこちら(筑紫)側に都を置いたのかも
しれません。
また、それ故にそのような神話が生まれたのかもしれません。
.
( 続く )
« 結びの山 * 番外 * ARION語録 12 ~その2~ | トップページ | 結びの山 ~その12 ARION 「三四五の封印」~ »
« 結びの山 * 番外 * ARION語録 12 ~その2~ | トップページ | 結びの山 ~その12 ARION 「三四五の封印」~ »
コメント