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2017年7月30日 (日)

結びの山 ~その15  大歳の神~

< 大歳(おおとし)の神 >

 

ニギハヤヒ命の別名に”大歳の神”があります。

新年に訪れるという、「年神さま」とされています。

年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
また次の年の初めに赤子の姿で現れるとされる神です。

稲穂の神様であり、それは稲の生長を表しているとされます。
                        .

                               *

猿田彦神もまた、稲穂の神でした。
この「サルタ」という言葉について。
その11>に少し書きましたが、ここで再び。
                   

< さるた >

那珂川町の「日吉神社」の由緒書きに、サルタというのは、
赤米の品種のことであり、その農法も”サルタ”と呼ばれていたとあります。

********************************************************

天照大神から授けられた斎庭(ゆにわ)の稲穂を育てるべき水田を
開拓して待ち給うた神と語られ
ます。
”さるた”とは今も対馬と種子島に僅かに保存さ
れている稲穂の
一品種なる赤米のことであります。
に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、これに苗を植え夏の日照り時に
水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。


*********************************************************

サルタヒコとは、それを広めた人(一族)ではないかと思います。

「サル」という言葉でずっと気にかかっていた名称があります。

北海道にいた時に聞いた「沙流(サル)川」です。
もちろん、由来はアイヌ語。
野生種の猿は北海道にはいないので、あの猿ではありません。
「葦原や湿原」のことだそうです。

アイヌの言葉には、古代の日本のと共通するものがある
そう聞いたことがあります。

「サルタ」とは「葦原の田」または、「湿原の田」なのだと思います。

日吉神社にあった由緒書きの「サルタ」と呼ばれる農法と、
まさにぴったりと一致しています。

さすがに「儺の国の星」にある、星の名を伝えてきた土地。
その言葉の伝承を守り続けた長い時を思うと胸が熱くなります。
                        .

また、朝鮮語で「サル」は、そのまま「米」。
古代北海道には米(稲)は育たないので、その言葉が持つ
もともとの意味合いは「葦原(湿原)。または湿原で育つ植物」だった
のではないでしょうか。
偶然同じとは思えないので、もしかすると、広範囲で交流があったの
かもしれません。
                       .

猿田とは、「サルタ」という“音”に、猿というイメージが重なったものだと
思われます。

そうして名を得た神は、信仰により、一柱の神として独り歩きし始める。
と、すれば、猿田彦神もやはり稲穂の神。

                          *

前述した稲穂の神である「大歳の神」は、ニギハヤヒ命です。

スサノオ神の子「トシ(オオトシ)」が、ニギハヤヒ命とされているのです。

ニギハヤヒ命の別名は、「トシであり、フル(布留)」
ARIONもそう言っていたことを思い出しました。

ニギハヤヒ神が大歳の神なら、猿田彦神と多くのことが結びつきます。

彼(彼ら)は、おそらく米の栽培農法を広めた人達・・・。
この土地の猿田彦神、ニギハヤヒ命とは、
おそらく数人の伝承が重なったものでしょう。

                   *

天照であるニギハヤヒ命が大和に移る前にいた場所、それがこの土地だと
確信しています。
(後に、ニギハヤヒがこの地で生まれたのだと分かりました。)


・・・ですが、神話の禊の地、高天原かもしれないこの土地には、
その「天照」を祀る神社がありません。

 



それがずっと、気にかかっていたのですが・・・。
                           .
                                                               .
日吉の神がニギハヤヒ命でもあるならば・・・。

 

おそらく「猿田彦神」と結びつけられて、「日吉神社」に祀られて
いるのだろうと思われます。

町の至るところに、「猿田彦神」と刻まれた道祖神もあります。

町の人達に寄り添い、大切にされている大いなる遺産。

今も”生きて”、町を守り続けているという神。

天照の痕跡は、こんなにもたくさん残されていました。

 

もしかすると、住吉の元宮である「現人神社」もそうかもしれません。

なぜか・・・。
それは、この神の存在を隠したかった人達がいたからです。


                          *


ニギハヤヒ命は実に多くの名で呼ばれています。
また、他の神に巧妙に隠されもしています。

トシ(大歳神)、フル(布留の神)、大物主神、大己貴神、大山咋神、山王神・・・。
そして天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

ニギハヤヒ命と呼ばれる人が実在したとして・・・、
これだけの多くの名で呼ばれるようになったのは、多くの功績(足跡)を
残した人だから。
そして同時に、その存在を隠さなければならなかったから。

・・・それでも、決して消したくはなかったから。

                           .
どうにかして後世に伝わって欲しいと願う、人の想いを感じ取れるのです。


                        *
                           .

 

「ニギハヤヒ命」とされる人(または一族)は、日本のあちこちに
その農法を広め、土地を豊かな恵みあるものにしていった・・・
だから、こんなにも伝承が残り、消えずに伝えられているのでは
ないでしょうか。
                            .

                         *
                                                          .

 

< 結びの山 >

                   .

 

奈良の大和三山。
三島神社を頂点とした三四五の封印。

そして、筑紫三山。


どれもニギハヤヒ命が関わっていました。

 

これは偶然ではないと思います。

                          .

 

そして、もう一つの「偶然」。

筑紫三山が示す封印の先にある、脊振山がクシフル岳であり、
ニギハヤヒ命である天照を表すものだととしたら・・・。
                           .

その山の「前」に、「天岩戸」がありました。
天照が閉じこもった「天岩戸」

まるで、神話を具現してるかのようです。

                                                               .

 

ARIONは、こうも言っていました。
「神話は未来をも暗示する」

ARIONのいう「三四五の封印」が解かれたのなら、
天岩戸から世に出る神の名は・・・、ニギハヤヒ命なのかもしれません。


                   *

明日は「現人神社」「日吉神社」「伏見神社」の夏越祭です。

 

( < 結び >へ続く )

*以前、UPした時に頂いたコメントも掲載いたします。

  .

 

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2017年7月22日 (土)

結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~

「日吉神社」がある福岡県筑紫郡那珂川町。
                              *
                                                                     .

彼の地には、<~その11~>にあるように、様々な伝承や地名がありますが、
中でも際立っているのが、その日吉神社と、「猿田彦神」と刻まれた
庚申塔(道祖神)の多さです。

庚申塔は町のあちらこちらにあり、土地の人達は花を飾り清め、大切にされています。
”視える”友人は、その庚申塔を見て「今でも生きて町をしっかりと守っている」と
私に告げました。

また、「箸墓の歌」の著書の中で小椋一葉氏は、その庚申塔の多さから、
猿田彦神の発祥の地ではないかとしています。
町でも、さるたくんというキャラがあちこちで活躍してます。

Sarutakun
      (さるたくん。コミュニティーバスの側面にも描かれてます。
                        写真は那珂川町の案内図より)
                           .

私がその日吉神社を初めてご参拝した時、とても強い気を感じたのです。
滅多にそんなことは無いのですが、この時はとても力強い”気”を。

これは、「神威を見せて」と、自然と口にした言葉と共に撮った写真です。

Dsc_2003_2

 

                                
特に強く”気”を感じた、境内にある猿像でした。

Dsc_2004

 

Dsc_2002
     (一枚目と2枚目の猿像は同じもの。
      一番下はちょっと俯瞰(左の猿像)。すべて同じ日に撮影)

コメントを下さった方は、天狗や天使にも見えると。
天狗は、神話の猿田彦神の姿と重なります。
************************************************************

(Wikipediaより「猿田彦神」)

邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに
分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
その神の鼻の長さは七(ななあた)、背(そびら)の長さは七(ななさか)、
目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように
照り輝いているという姿であった。
そこで天照大神高木神天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ
行って誰であるか尋ねるよう命じた。
その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来た。

************************************************************

<高天原から葦原中国までを照らす神>

記紀に記されている猿田彦神の光り輝く姿から、天照神を表しているのでは
とも言われています。

”天孫”が来る前の一族の神、おそらく国津神ともされる一族の天照。

                          *

<山王神>

この「日吉神社」は、山王神社の元宮とされています。

日吉神社の由緒書きに、

「最澄が唐から帰朝の折り、脊振山東門寺を開基。
 これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神としてここの山王神猿田彦神を
 勧請して彼の地に日枝神社を創建したという伝説がある」

とあります。
この日枝神社とは、日吉大社のことです。
                                                     .

その滋賀の「日吉大社」がある比叡山は、元々「日枝(ひえ)の山」と
呼ばれていました。
「日吉・日枝・山王」神社の総本山と言われています。

二つの本宮があり、それぞれ神が祀られています。

西本宮には、大己貴神(おおなむちのかみ)。
天智天皇7年(AD668年)、大津宮に都を遷す際に、大和の三輪山より勧請されました。

東本宮には、大山咋神(おおやまくいのかみ)。
   (もともとは、日枝の山におられた山神さまのこと、とも) 

この神社が山王神社の総本山とも言われるようになったのは、
その地で生まれた最澄が、唐より帰った際、山王神を祀ったことに由来します。

                           .  
この「日吉大社」と那珂川の「日吉神社」の伝承から、
最澄が唐から滋賀へ帰る前に脊振山に寺を開き、
那珂川町の「日吉神社」の山王神・猿田彦神を
滋賀の日吉大社に勧請したことになります。

                       *
                            .
<山王神とは>

滋賀の日吉大社のHPに、「山王神とは、日吉神の別名」とありました。

そういえば、那珂川町の「日吉神社」の鳥居の扁額にも「山王宮」と
刻まれてありました。
山王神といえば大山咋神のことだと思っていたのですが、
ご祭神は猿田彦神のみでした。

「別名」とあれば、同じ神。
「猿田彦神は、山王神であり、日吉神」ということです。

                          .

大社の「山王神とは、日吉神の別名」・・・。
東と西に祀られているはずの、二柱の神。
なのに「日吉の神」とひとくくりにされているのは、同じ神だからです。

                        *

<日吉大社の二柱の神>

西本宮のご祭神「大己貴神」は、奈良の三輪山・大神神社の
ご祭神である「大物主」。

そして、大己貴神、大物主神、共に同一神とされているのは
「ニギハヤヒ命」です。
                        .

そして、東本宮には「大山咋神」が祀られています。
                                                           .
また、その日吉大社の「山王神」とは、日吉神社の「猿田彦神」。

「日吉(山王)の神」でもある猿田彦神と、西本宮のご祭神である大己貴神。

その神が同じなら・・・。
「日吉神社から勧請された猿田彦神」は、大己貴神ということになります。

*(後に分かるのですが、那珂川の日吉神社の、神社庁に記載されている
ご祭神は、大己貴神と天御中主神などでした。)

「(日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)

                               *


猿田彦神は、その神話の姿から、国津神の(大和朝廷の前の)天照とも
言われています。

また、ニギハヤヒ命の名は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
「天照」と名づけられた神社の多くには、ご祭神としてこの神が
祀られているのです。
                          .                 .

「日吉」の元宮とされる神社がある那珂川町。

~その11~>に書きましたが、そこには「イザナギ神が禊をした」と
神話にある<筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原>と似た土地の
名と地形が、那珂川沿いにあります。(「安徳台と高天原」)

同じくイザナギ神の禊で生じたとされる
「住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)」を祀る元宮とされる
現人神社」も存在します。

「禊をした地」は、神話では「天照が生じた土地」でもあります。

*後の記事
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)

                           *

< この地の猿田彦神 >

ただ、誤解の無いように書きますと、私は猿田彦神とニギハヤヒ神が
まったくの同一神では無いと思っています。

この地の猿田彦神の伝承には、確かにニギハヤヒ神の痕跡を感じていますが、
そのものではないと思うのです。

「日吉神社の猿田彦神」としているのは、最澄が勧請したのは、
ここの神の(言うなれば)一部分。

天照神を暗示しているかのように思える姿も、
おそらく伝承が混ざったものだと感じてます。

様々な伝承が混ざって、今の猿田彦神の姿
(または、あらゆる神の姿)が出来上がっていったのだと思います。
                        .
                    .
もしも最澄が、あの日の日吉神社の気と同じものを感じたのなら、
もしもそれが大社の神と同じだと感じたのなら、
間違いなく比叡山の守護神として勧請することと思います。


( 続く ) 

 

2017年7月21日 (金)

結びの山 ~その13 ヒの一族~

ニギハヤヒ命が筑紫にいた頃、拠点としていた場所はどこか・・・。

その場所の一つは、ある一族と深く結びついていました。

                         *

再び、原点へ。
半村良氏の著書「産霊山秘録」。

このシリーズを書くきっかけになった小説です。
半村良氏は、作品を執筆なさる時「降りてくる」とコメントで目にしたのですが
友人kono87さんは、「まさしく感化を受けたのかもしれない」と感じています。                           .

小説の中の「ヒの一族」。

古来、天皇の上に位置する部族があり、それをヒの一族と言った

上の一文は小説のくだりなのですが、現実に思い当たる一族がいます。

神武天皇が来る前の、大和を治めていた一族を祖とする人達。

それがニギハヤヒ命、その子ウマシマジを祖とする物部(もののべ)
一族の様だと感じてます。
実際には小説のような超能力はなかったと思いますが、
祭事を取り仕切り、呪術を行っていたという伝説があります。

そのヒの一族は、小説の中では”「ヒ」と名がつく土地に住み”とあり、
滋賀の比叡山、日吉大社の地にもいました(昔は日枝)。

現実に「日吉」の”元”とも言われている「日吉神社」がある
筑紫郡那珂川町には、ニギハヤヒ命を祖神とする物部氏がいたようです。

彼の地に古来から伝わる星の話をまとめた「儺(な)の国の星」の著者、
真鍋氏の祖先は、物部氏であり大宰府政庁で星読みの仕事を
していたとあります。
                       .
もともと彼の地には、出雲族がいました。
(出雲はスサノオ神(ニギハヤヒ神の父)の地)

その痕跡が未だに残っています。

那珂川の伏見神社の前あたりにある「一の堰」。
 
「裂田の溝(さくたのうなで)」に那珂川の水を引く為に作られ、
江戸の時代には、どんな大雨でも壊れない筑前一の堰と言われていました。

工事の時の調査で、その堰の作りが出雲族のたたらの炉の
地下構造と同じものであったと分かったそうです。

(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで)」)
                             .
那珂川町と物部一族(と出雲族)の関係は深そうです。

                         *

そして、この小説が「日吉の神」とニギハヤヒを結びつけてくれました。

                       .
( 続く )

2017年7月19日 (水)

結びの山 ~その12 ARION 「三四五の封印」~

不思議なことは、いつも隣にあります。

神社や伝承の多くは、”不思議なこと”が始まりなのです。

 

胸の奥の鈴の音が響いたのなら、”それ”が自分の中にある何かに
シンクロしたのかもしれません。

パソコン通信のニフティーサーブで出会ったARIONは、私にとって
そんな存在でした。

宇宙神霊ARION。
チャネラーの北川さんを媒介とし、あらゆる事象を言葉に乗せ投げかけてきました。

一つの宗教や既存の常識にとらわれない、そして徒党を組まない。
故にパソコン通信という、まだ始まったばかりのネットワークに存在していました。

                         *

筑紫三山の図を見て気付いたことがありました。
これはARIONが言ってた「三四五の封印」の一つなのではないかと。

ARIONはそれを、著書やFARIONの中で何度も取り上げていました。

当時はそれが何を差すのか誰も分からなかったのですが、
kono87さんが解読したものが一番”響き”ました。                       .

奈良における三四五の封印。
kono87さんブログ「ラトナ通信2017」より。

************************************************************************
ARIONには「345の三角形の封印」、「4の辺上を閉じる」という表現がありました。
すると直角三角形が2つできるのですが、二等辺三角形と直角三角形は、
奈良や京都のいたる所に見つかるのですが、
この大和三山と三輪山の図が基本になると思います。

 すると、三輪山に封印された者は、真の初代の王であった
ニギハヤヒということになるでしょう。
大物主は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)の
称号より、また、物部氏の名よりニギハヤヒ命で間違いないと思います。

ARION 345の三角形の封印 外伝

ARION 345の三角形の封印 外伝 Ⅱ」

************************************************************************

そうして大和三山が”結んだ”先(矢の的)である三輪山は、
初代の天皇であった饒速日(ニギハヤヒ)命が封印された山ではないかと。

また、次の天皇(神話では)が祀られている神武天皇陵(1)と、
三輪山(ニギハヤヒ命、2)、その妃、櫛玉比女命神社(ミカシヤヒメ、3)を結び、
導かれ出たのが、三島神社(4の場所)。

Screenshot_202110122147405

 

ここが”矢の的”

ご祭神は布瑠御魂神。
櫛玉饒速日命です。

Mishima04

そこで撮った写真には、そこには無かったはずの靄が映りました。
ご神霊だそうです。

旅の目的は、この場所に来ること。
そして、それを”言挙げ”すること。
それがARIONの言ってた「封印を解く」ことになるそうです。

私は直接ARIONとコンタクトをしている訳ではないので、
その真偽は分かりませんが、この写真を見て

< 正解 >と言われたような気がしました。

ならば、「封印」とは、”矢の的”にある「饒速日命」では?

                               *

三四五の封印は、日向の手によってかけられたのだから、
 日向の手によってしか、解くことができない。

  日向の血を受け継いだ者が、この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、
 四の辺上にあるたった一つのポイントに気づき、自らそこへ行くだろう

                            .

ARIONは「三四五の封印」について、そのように言っていましたが、
「たった一つのポイント」は多分、封印の数だけあると思います。

筑紫における封印、それが「筑紫三山」だと感じてます。
イザナギ、イザナミ、ニニギを祀る山が形作る三四五の封印。
                             . 
その”矢の的”には「脊振山」。
二竜が常に出現して、背を振るうと伝説にある山。
”奇なるもの”が振る山。

この山こそ、神話の「クシフル岳」。

布留と呼ばれる神は、ニギハヤヒ命、一柱のみ。

<天照国照彦天火明櫛玉饒速日命>

「クシフル岳」は、ニギハヤヒを表しているのではないかと・・・。
                 .
そうでした。
そうならば、全て繋がります。

筑紫三山がARIONのいう、三四五の封印なら、
そのポイントである脊振山は、必ずニギハヤヒ命を表すはずです。

なぜならARIONは、ニギハヤヒ命を”隠された(封印された)王”と呼び、
その存在を明らかにすることを、常に望んでいたからです。

                      .

「脊振山」がニギハヤヒを表す・・・そう考えたのなら、
奈良とも結びつきます。

三輪山の神、大物主(ニギハヤヒ命)は蛇神とされています。
その昔、蛇神と竜神は同じものとされていました。
(「大神神社(おおみわじんじゃ)と大物主神」)

脊振山の竜の伝承に通じるものがあります。

        
それにニギハヤヒ命は、大和に移る前はこの筑紫に拠点を置いて
いたのです。

「東に、国を治めるのに素晴らしい国がある」
と言われ、筑豊(飯塚あたり)の男達と共に、天磐船(天鳥船)に乗り、
その国、大和に向かったと神話にあります。
                            .

では、筑紫のどこであったか・・・。

                       

( 続く )
              .

 

2017年7月13日 (木)

結びの山 ~その11  天孫降臨 ~ 

結びの山 ~その10 脊振山~の続き
             .

「くしふるたけ」が脊振山であり、
それが「奇(クシ)布留(フル)岳」を表すのだとしたら、
脊振山に降ったという神は、ニギハヤヒ命ということになります。

ならば、天孫降臨の際「くしふるたけ」に天降った神が、
天孫のニニギ命ではないということ。
                        .

・・・「くしふるたけ」は「筑紫の日向の高千穂」にある・・・。
そして、その場所が天孫降臨の地。


”ここ”には、それを物語るかのようなものがたくさんありました。

                         *

< 筑紫の日向の高千穂 >

「高千穂」は、たくさんの稲穂を高く積み上げたような場所、
「日向」は、日に向かう(日に照らされた場所)だとする説があります。
また「韓国に向かい」という表現もあります。

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)

(Wikipedia 「天孫降臨」より)


この「韓国」が、素直に朝鮮半島を差し、韓国、朝鮮半島から
(博多湾の方から)見て、そびえる壁のように見える脊振山に
連なる山々のことならば・・・。 

「高千穂」という言葉は脊振山系を表しているのでは。
たくさんの稲穂を高く積み上げたような山々・・・

クシフルタケはその中の一つということなのでは。


筑紫三山の一つ、基山(きざん)の頂上にあった神社(今は麓にある)の
ご祭神は瓊々杵命 (ニニギノミコト)。
この基山も脊振山系(東端)にあります。
                         .

                    *

< 真の道 >

「笠沙の岬まで真の道が通じていて(有真之道通笠紗之御前)」

この言葉に思い当たることがあります。

那珂川町のある地点を通る時、とても強い力を感じるのです。
ほぼ南北を通る流れのような。
力の通り道のようなもの。

このシリーズを書きすすめていく内に気付きました。
その場所は、この緑の線のそばです。
(正確にはまったくの線上ではないのですが、おそらくその力の通り道は
 かなり大きい(広い)ので、さえぎる物の無い場所だとよく感じるのかと)

 

Photo_3

ここには、いくつかの神社などがありました。

初めに気付いたのは、上から2つ目の☆マークのところ。
那珂川町の「御中主神社」
3番目が、「現人神社」
4番目が、「裂田神社(迹驚(とどろき)の岡である安徳台)」
一番下の5番目が、「日吉神社」です。

その線を、まっすぐ北に延ばすと、そこには「筥崎宮」がありました。

                        *

2番目から5番目は、全て那珂川町にあります。
彼の地には、古より伝承が数多く残っています。

*「御中主神社」は、天御中主神を祀ります。
 天御中主神を祀る神社は珍しいそうです。

*「現人神社」は、イザナギ神の禊で現れた住吉三神を祀る元宮とされています。
  人(神功皇后)の前に初めて姿を現した神ということで、”現人”神社。
 皇后が朝鮮出兵をした際、船の舳先に現れて皇后を守った神とされています。

*上の星にはありませんが、「裂田溝(さくたのうなで)」は、
 神功皇后が指揮して造ったとされる日本最古の水路。
 現人神社の神田に水を引く為だとされ、今でも那珂川町の田んぼを
 潤しています。
 
*「安徳台」は、神功記の「迹驚(とどろき)の岡」
 (裂田神社と同じ場所)
 
 古の時代より、上の原(うえのはる)・御所の原(ごしょのはる)と呼ばれ、
 2000年以上前から何度も宮があり、安徳天皇も壇ノ浦の合戦の前に滞在しました。

 この安徳台が、高天原の一つだと思っています。

 天孫降臨の後、宮を建てたという「底津岩根」

 これは、「クシフルタケ(脊振山)の麓、岩根のような台地」のことかと。
 まさしく、安徳台の地形を表しているようです。

*安徳台のすぐ側に「裂田神社」
 裂田の溝を指揮して造ったという神功皇后がご祭神。
 (裂田の溝の側)


*神話のイザナギ神が禊をしたという「橘の小門の阿波岐原」を表す
 地形と地名を今も残します。

 (「安徳台と高天原」の記事)

  「橘(今は立花木と表記)」
  「小門(おど)」・・・川を海から遡って、山と山に挟まれる最初の場所。

  (「儺の国の星」に掲載されている写真には、「小門(おど)」という地名が
   表記された写真がありました。
   伏見神社の前の一の堰辺りだと思われます。)

  「萩原(はぎわらと表記して、おぎわら)」
  (上の小門のすぐ側)

  それらの地名が、安徳台の側にあります。

  神功皇后がその辺りの那珂川で禊をしたという言い伝えもあります。

 

*「日吉神社」は、猿田彦神が祀られています。
 天孫降臨の際、天津神を導いたと言われる神様。
 日枝大社、日吉神社の元宮の一つとも言われています(この話は後ほど)

(後に分かったのですが、地元では猿田彦神がご祭神と言われていますが、
 神社庁に記載されている神は、大己貴神、御中主神などです。
 大己貴神は饒速日です。)

                           *

これらの伝承や神社が表すもの。
この地が神話のイザナギの禊の地であり、高天原の一つではないか
ということです。(一か所では無い)

                          *

< 笠沙の岬 >

そして、地図の一番上の星、「筥崎宮」(穂波(飯塚)から勧請されている)
元は、この辺りは海が後退していて(後の世に埋立て)岬だったそうです。

ここが「カササの岬」ではないか。

笠紗之御前

この「カササ」と「博多(ハカタ)」は、語源が同じかもしれないのです。

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 ポリネシア語で「カタは、貝が口を開けたような(湾、地形)」という意味。
 ハは、「美しい」。
 また、「カタ」がマオリ語になる時に変化して「カサ」になった。

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源)  より要約

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「カタ」「カサ」という言葉は、湾などによく付けられた名
(または、湾を表現する言葉)なのだと思います。
                           .

「カササ」の「サ」で思い当たる言葉がありました。
「日吉神社」の案内板にあった「サルタ」です。

古代の言語は、共通するものがあると聞いたことがあります。

 

「日吉神社」の案内板から、猿田彦の「サル」はアイヌ語の「サル」
(湿原、葦原)ではないかと思いました。
(案内版には「サルタ」という農法が古来にはあったとあります)
札幌の「サ」も、アイヌ語の湿原という意味です。

カササの「サ」も、湿原、葦原といういう意味なのではと思いましたら・・・。

この筥崎の地、元は「葦津ヶ浦」と言われていたそうです。

筥崎の地が、「カタ(カサ)の地の葦原(サ)」で、
古代、「カササ」または「カタサ」と呼ばれることがあったかもしれません。

カササの岬まで、真の道が通じていて・・・。

その岬が、今、筥崎宮がある場所であるとしたら、
「真の道」とは、この線のことを言うのでは・・・。
「高天原(安徳台)」を含む岬への力の道筋を。

さらに、この線をまっすぐ南に延ばすと・・・

Photo_4                    (地図はGoogle Mapより)

脊振山系を越えたほぼ向こう側、佐賀県にある「星」の場所には、
大貴己神社がありました。

(前に参拝したことがあるのですが、まだUPしてません)

                                           *

「クシフルタケ」、「天孫降臨の地」「高天原」・・・。

そして「ニギハヤヒ命」「神功皇后」。

結びの山は、これらに深く係わっていると思います。

                    *

( 追記  )

・・・脊振山は筑紫の人々にとっては、昔から神のような存在でした。
南からくる台風などを遮ってくれる大きな壁。

「大概の台風がそれてくれるのは、脊振のおかげ」
土地の人はよく言います。

それ故に、古代の人々はこちら(筑紫)側に都を置いたのかも
しれません。

また、それ故にそのような神話が生まれたのかもしれません。
                     .
                                              

( 続く )

 

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