結びの山 ~その13 ヒの一族~
ニギハヤヒ命が筑紫にいた頃、拠点としていた場所はどこか・・・。
その場所の一つは、ある一族と深く結びついていました。
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再び、原点へ。
半村良氏の著書「産霊山秘録」。
このシリーズを書くきっかけになった小説です。
半村良氏は、作品を執筆なさる時「降りてくる」とコメントで目にしたのですが
友人kono87さんは、「まさしく感化を受けたのかもしれない」と感じています。 .
小説の中の「ヒの一族」。
”古来、天皇の上に位置する部族があり、それをヒの一族と言った”
上の一文は小説のくだりなのですが、現実に思い当たる一族がいます。
神武天皇が来る前の、大和を治めていた一族を祖とする人達。
それがニギハヤヒ命、その子ウマシマジを祖とする物部(もののべ)
一族の様だと感じてます。
実際には小説のような超能力はなかったと思いますが、
祭事を取り仕切り、呪術を行っていたという伝説があります。
そのヒの一族は、小説の中では”「ヒ」と名がつく土地に住み”とあり、
滋賀の比叡山、日吉大社の地にもいました(昔は日枝)。
現実に「日吉」の”元”とも言われている「日吉神社」がある
筑紫郡那珂川町には、ニギハヤヒ命を祖神とする物部氏がいたようです。
彼の地に古来から伝わる星の話をまとめた「儺(な)の国の星」の著者、
真鍋氏の祖先は、物部氏であり大宰府政庁で星読みの仕事を
していたとあります。
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もともと彼の地には、出雲族がいました。
(出雲はスサノオ神(ニギハヤヒ神の父)の地)
その痕跡が未だに残っています。
那珂川の伏見神社の前あたりにある「一の堰」。
「裂田の溝(さくたのうなで)」に那珂川の水を引く為に作られ、
江戸の時代には、どんな大雨でも壊れない筑前一の堰と言われていました。
工事の時の調査で、その堰の作りが出雲族のたたらの炉の
地下構造と同じものであったと分かったそうです。
(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで)」)
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那珂川町と物部一族(と出雲族)の関係は深そうです。
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そして、この小説が「日吉の神」とニギハヤヒを結びつけてくれました。
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( 続く )
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コメント
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こんにちは!
何故だろう???
この記事と「裂田の溝」拝読していたら涙があふれて来ました???
殆ど知らない「読めない名前」ばかりなのに・・・
何時も素晴らしい記事ありがとうございます。
投稿: 章 | 2017年2月19日 (日) 17時29分
章さん、おはようございます(*^^*)
コメントありがとうございます。
”鈴”に触れたのかもしれないですね^^
私もこの土地に来るまで、全く知りませんでした。
何も知らない内から、とても懐かしい風景に出会っては
何度も涙があふれてました。
神功皇后が、子供(応神天皇)を産んだ後に作った水路。
もしそれらの神話が本当なら、
生まれたばかりの子を育てた土地になります。
この土地の温かい人情や土地の気に守られて。
きっと、いつかまた来たいと思ったことと思います。
コメント励みになりました。
ありがとうございます
投稿: 弥沙 | 2017年2月20日 (月) 08時20分