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2017年8月26日 (土)

ARION語録 ~赤い月の形としての物語~

ARION語録

*赤い月の形としての物語*

〔プロローグ〕

銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
「見よ」と声がする。
叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る.。
その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。   
                            .

 

子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。
その染みは、大人になっても残るだろう。
この染みは岩屋の向こうから狙っている獣の標的となるだろう。
多くの人が口にする言葉はもはや何の力も持たない。
バビロンの夢は、シバの思い。
イカヅチと共に、鷲の巣を砕く。                    .

ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。
黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。
「さて」と娘は話す。
「私は何処に着くのでしょう」
そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。
大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との
楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。
ひとり外れて「土の王」が嘆く。
「水の王」は娘のために舟を出す。

わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。
苦しみは、海の水から来るだろう。
火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。
本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。
国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。

銀色の 娘は、その形をもって判断する。
血と水を分ける。
鉛と銀を分ける。
風を空気から、分ける。
石を岩から散り出す。
そして、太陽の下へと帰るだろう。

〔エピローグ〕

地には這いずりまわる者の音が満ち、
天には炎が満ちる。
オメガはアルファであり、点であり線であることを
その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。
火を吹く楕円には解答は無い。
線を描く卵にも、解答は無い。
解答は地を這う者の中にある。
現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし
耳を澄まし、声を大にして探せ。
これより先に舟を見つける手だては無い。

*******************************************************************

1991年3月21日に 宇宙神霊ARIONの媒介者、北川恵子氏がA氏の詩(3/4)
として発表された「赤い月の形としての物語」全文。

                                                                                                       *                                                             

*以上、kono87さんのサイトより転載。

http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-fa5a.html

 

 

2017年8月23日 (水)

葦の原と神の山

前回の記事を書いた同じ日、kono87さんがARIONの詩篇をUPされていました。

*******************************************************************

*赤い月の形としての物語*

〔プロローグ〕

銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
「見よ」と声がする。
叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。      

(以下、略。次の記事で全文UPします)                        .

*******************************************************************

<葦の夢?>

この詩篇は初めて見るものでした。
そして、唐突にあの夢が思い出されたのです。

私が小4くらいに見た夢・・・。
前回の記事にも載せた「富士山の夢」です。
それを見た当時は、現実だと思い込んでいた程、リアルな体験でした。

                      .

その夢と重なったのです。

<あの時の草は、「葦」だったのか>と。

自分の背丈ほどもあって、祖母に手を引かれて、
泳ぐようにかき分けていったあの金色の草原の正体。

そして、そこにあった「富士山」・・・。

・・・もしも、あれが葦の原ならば、もっと後の夢で同じ物を見た気がする。

ようやく、思い当たりました。
古代奈良の夢」の中に。

私が20歳の頃見たその夢。
私の前世かもしれないという、その夢の中。

陽に照らされたその山と、その風景。
確かにそれは、そこにありました。

そうだとすると、あれは、富士山ではなく、三輪山。
三角の綺麗な形をした山。

思えば、富士山ほど大きいわけではなかった。

奈良にいた頃、何度も見ていたはずなのに、
何故、分からなかったんだろう。

多分、「そこ」にはその草原と大きな山以外、他に何もなかったから。
神々しさが、いつもの優しい穏やかな三輪山と、桁違いだったから。
「それ」は、「山」ではなかったのです。

三輪山の前に広がる、輝く葦の原の風景。
私はそれを夢の中で2度見ていたのです。

                    .

そして、書いたばかりの前回の記事の「カササ」が、あることと結びつけました。

若杉山の頂上にある太祖宮の上宮で、言葉にできない様々な事を感じたのですが、
帰ってから気付いたこともありました。

今の筥崎宮は、昔「葦津ヶ浦」と呼ばれていたそうです。
そして、「カサ、カタ」は湾の入江の場所を差すのだと知りました。
「サ」は、葦。(結びの山 ~その11  天孫降臨 ~)

 

葦の生えた湾の入り江。
そこは「カササ」と呼ばれていたのでは、と。
                .
その「カササ」は、後の「筥崎宮」になる。
その元宮は、飯塚の嘉穂郡にある「大分八幡宮」

(多分、祖母が見せた)「富士山の夢」で見た山は、その「大分八幡宮」の場所。
(それを手前の小山が繋いだ?)

大分八幡宮は、神功皇后と深い関わりがある。
そして「八幡さま」は、「ニギハヤヒ神」・・・。

                        .
あの夢の中の「富士山」が「三輪山」ならば・・・。

すべて繋がります。

「三輪山」は、ニギハヤヒ神のおわすところ。

                     .

・・・何故、「富士山の夢」の「神の山」の場所が、大分八幡宮だったのか、
ようやく分かりました。

あれは、三輪山だったのか、と。

では、あの夢の中で祖母が「この子が・・・」と語りかけていたのは、
三輪山の神、ニギハヤヒ神なのか・・・。

                      *

ARIONの詩篇の中には、時々難解な詩があります。
未来を予言するものに多く、それは、人の想いを扇動するのを
避けるためだとも言われていました。

何通りもの解釈ができ、その時々により、必要な人に、必要なことを伝えるとも。

ARIONは、何を伝えたかったのか、今は知る術もありません。

ですが時を経てARIONは教えてくれたのかもしれません。
あの夢の中の「神の山」は、ニギハヤヒの神、そのものだと。

                  *

・・・もしかすると、今の筥崎宮がある「カササ」の地は、
「葦の原と神の山」の風景とどこか似ていたのかもしれません。
                          .

(追記)

今、地図を見て分かったのですが、飯塚の大分宮(神社)の側に
金毘羅山がありました。

「金毘羅」さんと言えば、香川の金毘羅宮。
ご祭神は、「大物主神」

 

三輪山のご祭神と同じ。
ニギハヤヒ神。

 

2017年8月20日 (日)

若杉山 その3 ~太祖宮 上宮 福岡県~

前回の「奥の院」から頂上に戻ります。

そこにあるのが
「太祖宮 上宮」

 

Taisokami09_3
階段下から写した写真。

「奥の院」から戻ると、お社の裏に出ます。

Taisokami13_2

 

Taisokami12
Taisokami11_2
下の案内板が地元の学校の小4の子供たちが書かれたもの。 

     太祖宮には七人の神をまつっています。
    中央にイザナギのみこと
    右に神功皇后(上の案内板では聖母大神)、八幡大神、玉依姫
    左に天照皇大神、志賀、住吉大神がいます。
    太祖宮にはこの七人の神をまつっています。
     太祖宮の横にある白い像は、神功皇后で、この若杉山には
    神功皇后の伝説があります。
    若杉山と言う名前がついたのも、この神功皇后の伝説です

    
キャンプ場やあちこちに案内板や地図があって、大変助かりました。
町ぐるみでお山を大切にされてるのが伝わってきます。

 

Taisokami16
Taisokami07
Taisokami08
Taisokami10

Taisokami04
Taisokami05

 

お社から見える景色。
西北西の方面。
遠くに見える島が志賀島(しかのしま)。
そこまでは海の中道(橋のように見える)で繋がっています。

志賀島からは「金印」が出土しています。

筥崎宮は、この写真では、志賀島との中間点にあります。
その辺りが昔の海岸線。
「カササ」だったのでしょうか。

 

(* 追記 その場所が海岸線になるのは神功皇后の時代よりも後。
その頃は、今の標高9~10mまで海の為。
記紀に書かれていた真の道、「カササ」の地名、地形はもっと後の時代でしょう。)



       

 

2017年8月17日 (木)

若杉山 その2 ~奥の院 福岡県~

かなり間が空きましたが、

若杉山 その1 結界とキャンプ ~福岡県~>の続きです。

若杉山登山口は、キャンプ場の駐車場から少し上がった場所の、
このお寺の前の道の奥です。

Wakasugi01

太祖山 金剛頂院畧縁起(写真をクリックすると拡大されます)

Wakasugi03
Wakasugi02

 「弘法大師空海上人が唐土より帰朝、博多に上陸の際、
 東方に瑞雲がたなびく山を見て、霊山に違いないと感じられた・・・」

それで建てたの??
って感じですが、そういうものなのかもしれません。

実際、若杉山を車で登ってくる途中に感じた「結界」の強さは、
愛知の「砥鹿神社」以来。

「違う」と感じたこと、その「結果」こそが大事であって、
その過程はすべて飾りなのかもしれません。

<そのままに>

感じたままに。
真理に近いもの程、シンプルなのかもしれないです。

                             *

一番上の写真の道を奥に進むと、ゲートが見えます。
登山道は、この緊急車両用の道なのだそうで、登山者はゲート左裏にある
階段から上がります。

 

Wakasugi05
こんな舗装された道が頂上まで続きます。
この後、急な角度になっていきますが、小学生の団体でも登れるほどです。

Wakasugi07_2
途中にあった案内板。

Wakasugi06
「三宝荒神について」(クリックすると拡大されます)

まずは、「奥の院」へ。
若杉山の頂上にある「太祖宮の上宮」そのすぐ脇に、下に降りて行く
階段があります。

こんな岩の下をくぐって。
Wakasugi09_2
こんな細い道を通り。
Wakasugi10
こんな岩の間を抜けます。
Wakasugi11
Wakasugi12
下から写したものです。
なかなかハードな山道。Wakasugi13

奥の院がある、階段下まで降りたところです。
下の写真が奥の院(全体が撮れません)

Wakasugi15
Wakasugi14

何となく、ご本尊の写真を撮れなかったので。

奥の院の中の休憩室。

  「今日を楽しむものは
          花を活けよ

   一年先を楽しむものは
          花を植えよ

   三十年先を楽しむものは
          木を植えよ

   百年をおもんぱかるものは
          人を育てよ」

来た道を上まで登って、いよいよ太祖宮の上宮です。

                             .

( 続く )

  

2017年8月13日 (日)

ARION語録   アメクモ族

ARIONの語録の中に、日本の神話について記されたものがあります。

                             .
光よりの光、オリオンの神の座よりの一条の光として来りて伝える、
我が名はアーリオーン、愛と光の天使
---------------------
 私達の秘密としている情報を少し話そう。それは、この日本の神話だよ。
日本書紀や古事記、いわゆる記紀は後の世の為に編纂されたもので
正しい歴史書とは呼べないんだ。

 まず宇宙には『アメクモ族』と呼ばれた種族が居たことから話そう。
彼らは、あなたがたの居るこの銀河系に遥かな昔にやって来て
色々な惑星に植民していた。
彼らの目的は『人型種族の繁栄と進化』だった。
多くの惑星での入植、人種混合そして人型種族の進化を担ってきた。
彼らの足跡は『モノリス』によって辿ることができるよ。
地球にもやって来た、それは遺伝子操作によって地球原人が発生した後だけどね。
他にも宇宙から植民した人型種族は居たけれど、今の段階では
私達の流れを話すのが筋だから、他の種族については語らないこととするよ。

 アメクモ族は今で言うアジア中央高原に降り立った。
そこから多くの国に向けて陸路と海路で渡って行ったんだよ。
この種族は後の世にアメクモ族の名前を残す為に自分達の名前に
『アメ』『アマ』、つまりAとMで始まる音を配したんだよ。
エジプトに伝わった名前にもあるね?
キリスト教では最後にアメンと唱えるね?
日本では『アメノ…』という名前が多いね?
ラテン語に至っては『アモール』は『愛』の言葉だ。
みんな『アメクモ族』の印だよ。

 さて彼らは日本に向けても陸路と海路で渡って行った。
(紀元前の話)スサノオとその父フツの曽祖父に当たる男は
海路で行くグループの首領だった。
陸路で渡った仲間は先に日本に到着した。
海路で渡った仲間は東南アジアの島々で数々の仕事をこなしてから
朝鮮に渡り休んでから日本の壱岐対馬に渡り、その後出雲に住んだ。

 スサノオの父フツは出雲でスサノオを生んだんだよ。
陸路で先に入っていた仲間はイザナミ・イザナギと呼ばれる人々が有名だね?
彼らはヤマト原人を制定し、九州に強い国を築き始めていた。
そして海路のグループが携えて来た、いわゆる『十種の神宝』を要求していた。
何故ならば、この神宝を持つ者が日本のスメラとなる事が決まっていたからだよ。

 アメクモ族の当初の予定では陸路と海路との両方のグループが協力して、
日本を制定し文化と人類進化の為に邁進する筈だったが、陸路の仲間は
自分達の権利を優先したい為に協力を断る者も出て来たんだよ。

 そこで首領の血を引くフツはスサノオを諸国制定の雄として
送り出すことにしたんだ。
その頃、九州にはイザナミ・イザナギの国があった。
彼らの長女はアマテラスという名前の、たいそう賢く強い女性だった。

 フツの死後、スサノオは彼の器量を全て受け継いで生まれた第5子のトシを
伴い九州を制覇にかかっていた。
イザナギ・イザナミはスサノオの強大な力と知恵に恐れを成して、
娘であるアマテラスをスサノオに差し出すことによって同盟を申し出てきた。
アマテラスは既に結婚してはいたが当時には一夫一婦制の掟はなかったので
スサノオとの婚儀には問題はなかったんだよ。

 スサノオ、トシの親子は九州を制覇し瀬戸内海沿岸を制覇した。
成人し経験を積んだトシはオオトシと呼ばれる様になっていた。
既に年を取っていたスサノオはオオトシに『十種の神宝』を手渡し、
ヤマトの国に入る様に伝えた。

 ヤマトの豪族ナガスネヒコはスサノオ親子との親睦を深める為に、
彼の妹をオオトシに差し出した。
オオトシはヤマトに入り実質上の日本の王となる為に、名前を変えた。
『オオトシ(大歳)』から『アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤ
ヒノミコト(天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)』と変えたんだ。
ニギハヤヒは奈良に入りヤマトの王としての地位を確立したんだよ。
彼の御陵は三輪山なんだよ。
三輪山はピラミッド建築になっているよ。

 そして今、あなたがたはこの日本での『アメクモ族』の2000年統治の証として
のモノリスを振動させるんだよ。
これはその時になったら詳しく伝える予定だけど、実際に黒御影石を使って
モノリスを建造する時期になったんだ。
大きさも形状も決まっているし、場所も決まっているけれど、これは芸術品として
売買できるものでは無いので、その点を考慮して建造されなくてはならない。
このことは、いずれ実現されるだろうとしか今は言えない…

        ---ARION,O∴O---

'89/11/15 01:39

                                 .

 

2017年8月10日 (木)

結びの山 最終章 ~ 結び 夢か現か~

<「結びの山 ~その15  大歳の神~」の続き>
「神は転生しない。だが<人である部分>は転生する」
神霊ARIONは、そう告げていました。

応神天皇と神功皇后、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫。
彼らを思う時、いつもそこに行き着くのです。
                    .
それは、「筑紫の結びの山が、何故あるのか」
その答えであるとも思うのです。
                         *
ARIONの「三四五の封印」

大和それである、「二つの封印」と、
「筑紫三山」が指し示すのは「ニギハヤヒ神」。

                        .
では、「筑紫三山」は、誰が創ったのか。
この問いを失念していました。

創ったのは、「神功皇后」です。

それぞれの山の神社に神功皇后の足跡が残されています。

筑紫三山の一つ、若杉山とその周辺には、若杉山を霊山と見抜いた
弘法大師、空海が開いた寺があちこちに存在しています。
脊振山は最澄でした。
やはり、特別な山(霊山)なのでしょう。


天啓のように様々なことが繋がったのは、若杉山の頂上、太祖宮の上宮に
参拝した時でした(5月4日午後、登山)。


若杉山の頂上の太祖宮、上宮。
そこには「神功皇后」の像がありました。

 Taisokami02
                               .
(以下、現実に存在したという確証なく、伝承が全て事実とも思っていませんが、
感じたままに記します)


神話では、大和から筑紫へと訪れた神功皇后。

その皇后が筑紫で産んだ子は、後の「応神天皇」です。


「応神天皇」は後に、八幡神とされます。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)

八幡の神は、「我はニギハヤヒ神である」と告げたという伝承があります。


 *今ある神は、その時々の人の思惑や状況により、都合のいいように替えられたり、
  他の神と合祀されたりするのが常です。
  でもその中には、その神の”意志”で、そうなることもあるようです。
                              .
・・・つまり、その言葉通りの意味を受け留めると、
神功皇后が産んだ子は、ニギハヤヒ命であったということ。

これは、「生まれ変わり」とすれば、全て納得がいくのです。
(八幡神の母は、神功皇后とされています)


そうだとすれば、幾つもの糸が解けていくのです。
                                    .
                       *

神功皇后は、「ニギハヤヒ神」と深い関わりがあるとみています。

朝鮮出兵の折に、船の舳先に現れ、神功皇后を助けた神は「住吉三神」でした。
かの神は「ニギハヤヒ神」の一面を持っています。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

皇后は後に、那珂川町の「現人(あらひと)神社」に来て、
その神田を(町を)潤す広大な水路「裂田の溝(さくたのうなで)」を作りました。

彼女がそれ程のことをしたのは、その地が自分を助けた神である
住吉三神がおられる土地だからです。(地元では「現人(あらひと)三神」)
現人神社は、「住吉」の元宮とされています。
                          .

その町には、天も地も照らす輝く神である「猿田彦神」が祀られている、
「日吉神社」があります。
そこは「日吉」の元宮とされています。


こんな狭い区域に、伝承とは言え、全国に展開する神社の「元宮」とされる
神社が二つもあるのです。
それだけでも、この地の特異さが見えてくるようです。


その二つの元宮のご祭神、「現人神社の住吉三神」と「日吉神社の猿田彦神」。

二柱とも、ニギハヤヒ神を表しているのだとしたら・・・。
この地が彼の土地なのです。

そして、そこは、かの神に導かれるように来た、神功皇后にとっても、
想いの深い土地になるのです。

                           *


神功皇后は大陸へ渡る前から、ニギハヤヒ神を崇拝していたようです。
渡る前に(今の)朝倉郡に皇后が建てた社は「大己貴神社」。
三輪山と呼ばれる山が側にあります。
その周囲の地名は大和の地名と似通っており、
この時(または、この後)に大和から来た人達が移り住んだと思われます。


・・・大和にいた神功皇后は、三輪山の神、大己貴神を確かに知っていたのです。
こちらに彼の社を建てるほどに。

朝倉の地の、姿がよく似た山に奈良の「三輪山」を重ねて、
彼の社を建てたのでしょう。

その神功皇后が「筑紫三山」の神社を建てたのなら、
何かの意図があったのです。

彼女がいた大和には、ARIONの言う「三四五の封印」が二つありました。
そして、「筑紫三山」の封印もそれらと同様に、ニギハヤヒ神を指し示しています。

そこに強力な封印があること、そしてそれらが形作る三角は、
神籬(ひもろぎ)でもあることを感じていたでしょう。

彼女も<玉依姫>の一人なのですから。


神功皇后が子を産んだ場所、宇美八幡宮は
その「結びの山」の筑紫三山が作る「神籬」の中にありました。。

その皇子が応神天皇。
後に八幡神とされ、ニギハヤヒ神とも言われ・・・。

皇后は、朝倉の山に、三輪山を重ね、「大己貴神社(ニギハヤヒ命)」を建てた。
                        .
大和の二つの封印と、皇后が作った神社がある筑紫三山が示すのも
「ニギハヤヒ命」ならば・・・。


これは、偶然ではないと思うのです。
                    .

<何かの意図>

それがあるのなら。
彼女が望んだとことが見えてきます。

彼女はニギハヤヒ命を再び、この世に取り戻したかったのではないか・・・。

もしかすると、お腹の子がニギハヤヒ命の生まれ変わりだと知っていたのかも
しれません。
(私でさえ、子を宿した時、その子の真名を聞きました)

故に、その「神籬(ひもろぎ)」の中で彼を産み育てる必要があったのではないか・・・。
神籬は「神を招き降ろす場」であり、守りの結界でもあるのです。
                       .
彼女は後に、那珂川町に来て、裂田の溝を作りました。
その伝承が本当なら何年もかかったと思います。
幼き、後に「応神天皇」と呼ばれる皇子をその地で育てたのです。

そこは、「現人神」と「日吉神」の地。

その二柱は、天照である「ニギハヤヒ神」なのかもしれないのです。

おとぎ話のようですが、その地に彼女が来たのは必然のように思えてきます。


                       *

<二人の玉依姫>                    
                       .
神功皇后は、<玉依姫>とも言われています。
その名(称号)は「神の依り代」、神の声を聞いたり、霊力を持つものなどに
名付けられました。

皇后の祖先は、渡来の神、天日槍(アメノヒボコ)だとされています。
その神はツヌガアラシトとも言われ、福岡県田川郡にあるもう一つの
「現人神社」のご祭神です。
一説では「角を持つ者」だと。

   FARIONの会議室では、「角は鬼の象徴であり、異能者のこと」だと
   言われていました。
   神功皇后の<玉依姫>と呼ばれる力は”鬼”の力・・・?。
   ARIONの鬼についての預言「隔り世(かくりよ)から鬼が来る」と
   いうのも気になります。
                         .
玉依姫とされる人は幾人もいます。
「霊能力を持った巫女のような役割」の人をそう呼んだのですから。
ニギハヤヒ神の正妃、「ミカシヤ姫」も神道では玉依姫とされているようです。
また「活玉依(イクタマヨリ)姫」とも言われています。

ニギハヤヒ神とも言われている大物主の妃も「活玉依比売」でした。


                         *

< ヒミカと竜厘 >
ここからは私が見た前世と思われる夢から得たことです。

  私はいくつかの前世を夢で見ています。
  その中に「古代奈良の夢」があります。(詳細はリンクから)
  ずっと後になって、それがニギハヤヒ命の正妃であるミカシヤ姫では
  ないかと思いました。
  他の転生も見ており、分かったのはいつも「ヒミカ」という名も持つこと。
 

・・・転生した彼女達(ミカシヤ姫、その他の二つの世界の自分)は
自分自身が「ヒミカ」であることを知っていました。
何度、転生しても受け継ぐ名。

ミカシヤ姫として生きた頃の彼女も、自分が「ヒミカ」であることを認識していました。
おそらく、生まれ変わる度に、前の世の記憶と名を思い出す為だと思われます。


また、神功皇后は、伝承では「卑弥呼」だとしてしている記述があります。
「時代が違うのは明らかなのに、そうしなければならないという意図さえ感じる」
と言う人もいます。

もしも、彼女がミカシヤ姫の生まれ変わりで、自分が「ヒミカ」だと
認識していたのなら・・・。
彼女も「ヒミカ」とも呼ばれていたのではないか。

そう思ったのです。


「ヒミコ」ではなく「ヒミカ」

「カ」の言霊には顕現するという意味があります。
「カッ」と光る(光が現れる時の)様子。
光は神を表します。
古代では、光は神そのものでした。
彼女達の名は、「ヒミカ」でなくてはならないのです。

それは、彼女達の魂の名であるようでした。  
                   .                      .
ミカシヤ姫はニギハヤヒ命を「竜厘」とも呼んでいました。
転生の度に彼女と同じ世に生まれ、同じように記憶と名を思い出す為だと思われます。
それは彼の「魂の名」



ニギハヤヒ神は三輪山の神(蛇神。古代では竜神と同義)。
脊振山にも竜の伝承があります。
(その名は「神の一厘のシナリオ(秘密)」に繋がります(詳細はリンクから)
  その三輪山のご祭神、ニギハヤヒ神だとされる大物主の名は、
  倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)

  その正妃が祀られてるという奈良の櫛玉比女神社。
  御祭神は、櫛玉比女命。
  それは櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、
  御炊屋姫(みかしやひめ)。 そうでした、彼女の名は御炊屋姫。ミカの言霊が残されていました。ニギハヤヒ命と「竜厘」。
そしてミカシヤ姫と神功皇后と「ヒミカ」。

                     
・・・ただの夢かもしれません。

私には、「神功皇后」の記憶はありません。
もしかしたら誰かの夢を見ただけかもしれないとも思っているので、
彼女(ヒミカ)達が自分の前世だと確信してる訳ではありません。
でも、私が、ヒミカや竜厘の名を最初に聞いたのは、「前世の仲間」の二人からでした。
思えば、これ以上、、彼らにふさわしい名はありません。
前世の仲間 ~前世 3~


彼らを思えば思う程 、「古代奈良の夢」を始めとする前世の夢が
答えへと導くようなのです。
重なりを見つける度、心が震えるような偶然の一致。

怖い程繋がる「ヒミカと竜厘」と、
「ニギハヤヒ命とミカシヤ姫」と「神功皇后と応神天皇」。


                              *


神功皇后には、生まれ変わることを承知していたのではないかと、
思わせるような伝承があります。

飯塚市の穂波町大分に「大分(おおわけ)八幡宮」があります。
福岡市の「筥崎宮」の元宮とされてます。(「結びの山 ~その11」の「真の道」の先にある筥崎宮の元宮)


皇后は、朝鮮出兵から帰還した際、集まってくれた兵達とそこで
「大分かれ」をしました。
よって、その土地の名が「大分」となったそうです。

その時に皇后が言った言葉から「飯塚」という地名が生まれました。

                  .
彼女は集まった皆に、

「いつか」と。

・・・いつか、また会おう。

大和へ戻った後、再び会うことはないと分かっているのに。

その言葉は、もしかしたら、彼女が生まれ変わりを信じていたから
なのかもしれません。


また、ニギハヤヒ神である<大歳神>は
稲穂の神とされ、新年に赤子の姿で現れ、年末に翁の姿へと姿を替えます。

これは、生まれ変わりを意味しているのでは。

ニギハヤヒ神が、生まれ変わりをする神・・・。

これは、偶然ではないと思うのです。
 
                *
私は、神功皇后と深い縁があります。
以前、(「卑弥呼と神功皇后」)の中で書きましたが。


(「鏡別皇子」)の話の時に書いた、
「鏡別皇子」は、ヤマトタケルの皇子とされています。
伝承ではヤマトタケルは、神功皇后の夫の仲哀天皇の父、つまり彼女の義父でした。
  
また、前述の「大分八幡神社」
富士山の夢」の時に見た、あの紫色の富士さんの方向でした。
繋いでくれていると思った小さな山の先に、その神社がありました。

飯塚の、当時は嘉穂郡と呼ばれていたその場所には、祖母の家があり、
夢か現の中、祖母が幼い私の手を引いて連れて行ってくれたのです。
わたしの母の家系の「夢」は特別な場でした。
そこで霊能力を受け継ぐのだそうです。


奈良では、神功皇后のご陵さん(前方後円墳)の側に住んでいました。
(「卑弥呼と神功皇后」の記事)

その地は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫が居を構えたという場所からも近く。
昔は「トミ」と言われていたそうです。
(ミカシヤ姫のまたの名は、登美夜須毘売(トミヤスビメ)

それを知った時、鳥肌が立ちました。
もしかして、皇后はそれを知っていたのかと。


・・・おそらく、そうなのでしょう。

神功皇后のご陵さんが、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫が暮らした地にあることは、
偶然ではないのでしょう。

最近になってそれを知った時、私には、彼女がミカシヤ姫の生まれ変わりだと
確信するのに充分なことでした。

    *
                          .
皇后が筑紫三山にある神社を作ったのは、朝鮮出兵の後、応神天皇を
出産した後だともされています。

そうならば、(おそらく)もともとあったその封印を強固なものに
するための神社だったのかもしれません。
その封印は、未来に向けて?

封印・・・多分、願い。
筑紫三山が指し示す「ニギハヤヒ神の封印」の前には、天の岩戸があります。
いつか、開かれるであろうはずの、その封印。
それは、未来に向けての願い。

そう感じられるのです。


願いを封じ・・・いつか叶えられる時を想う。

「いつか、また」

おそらく、神功皇后が再び逢いたかったのは、”彼”だけではないのでしょう。

「いつか、また、この地で会おう」

皆に告げたその言葉。
そう、彼女は再び、この地に来るであろうことを予感していたのです。
彼女が愛した地、彼女が愛された人達が生きた場所。

私はそこで、その地に生きる愛しい人達に囲まれながら生きていきます。

神と人が寄り添って生きている神籬の町で。
( おわり )

 

2017年8月 3日 (木)

夏越祭 ’17 ~福岡県 那珂川町 ~

7月31日、夏越(なごし)祭がありました。
まずはこの祭りでは初めていく、日吉神社へ。

 

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輪越祭とも言われます。
茅などで作った輪をくぐり、この夏の無病息災を願う祭りです。

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地元の人達による屋台の準備をしているところでした。
                                 .
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あの猿像。
大抵、水が張られてないのですが、この日はありました。
水があると雰囲気がちょっと違うような気がします。

暗くなってから来たかったのですが、現人神社の神楽が見たかったので、
移動です。

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次は現人神社へ。
祭りは6時から。
車は、歩いて5分ほどの距離のミリカ(ミリカローデン。町の複合施設)の
駐車場が開放されているので、そこへ止めました。

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すっかり暗くなった8時。
神楽、開演です。

この「岩戸神楽」は伏見神社で毎年、7月4日の夜に奉納されます。
夏越祭の現人神社では、その中の3演目だけ。

まずは「四神」

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それぞれ、桃色、緑色、黄色、水色の幣を手にしてます。
四季と四大元素を表しているのかと思います。

一年、絶えず神に見守られることへの感謝。願い。

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つぎは「恵比寿様」
見立ての船に乗ってます。
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観客は、釣り竿から垂れた縄に、よった紙を結びます。
恵比寿様はそれを引き上げて戻ります。

人の願いを引き上げる・・・ような意味合いだと感じてます。
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つぎは「剣舞」

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魔、ケガレを払うという願いが込められているのでしょう。

神楽、とっても迫力があって感動しました。

土地の人の神への想い、願いが込められた、「これぞ神楽」。

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夜は更けて。
月が覗いてました。
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楽しい一時をありがとうございました。

この土地に親戚があったぽち友さんは、以前、
「あっちは祭りが多いよね」と言ってました。

 

そういえば、今まで私がいた他のどの地域よりも多いです。

神と人、とっても寄り添っていて、それが人の輪を広げて、強くしていく。
この町が大好きです。

 

今、ここにいる縁を思うと不思議な気分です。

               .

 

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