結びの山 最終章 ~ 結び 夢か現か~
<「結びの山 ~その15 大歳の神~」の続き>
「神は転生しない。だが<人である部分>は転生する」
神霊ARIONは、そう告げていました。
応神天皇と神功皇后、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫。
彼らを思う時、いつもそこに行き着くのです。
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それは、「筑紫の結びの山が、何故あるのか」
その答えであるとも思うのです。
*
ARIONの「三四五の封印」
大和それである、「二つの封印」と、
「筑紫三山」が指し示すのは「ニギハヤヒ神」。
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では、「筑紫三山」は、誰が創ったのか。
この問いを失念していました。
創ったのは、「神功皇后」です。
それぞれの山の神社に神功皇后の足跡が残されています。
筑紫三山の一つ、若杉山とその周辺には、若杉山を霊山と見抜いた
弘法大師、空海が開いた寺があちこちに存在しています。
脊振山は最澄でした。
やはり、特別な山(霊山)なのでしょう。
天啓のように様々なことが繋がったのは、若杉山の頂上、太祖宮の上宮に
参拝した時でした(5月4日午後、登山)。
若杉山の頂上の太祖宮、上宮。
そこには「神功皇后」の像がありました。
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(以下、現実に存在したという確証なく、伝承が全て事実とも思っていませんが、
感じたままに記します)
神話では、大和から筑紫へと訪れた神功皇后。
その皇后が筑紫で産んだ子は、後の「応神天皇」です。
「応神天皇」は後に、八幡神とされます。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)
八幡の神は、「我はニギハヤヒ神である」と告げたという伝承があります。
*今ある神は、その時々の人の思惑や状況により、都合のいいように替えられたり、
他の神と合祀されたりするのが常です。
でもその中には、その神の”意志”で、そうなることもあるようです。
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・・・つまり、その言葉通りの意味を受け留めると、
神功皇后が産んだ子は、ニギハヤヒ命であったということ。
これは、「生まれ変わり」とすれば、全て納得がいくのです。
(八幡神の母は、神功皇后とされています)
そうだとすれば、幾つもの糸が解けていくのです。
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*
神功皇后は、「ニギハヤヒ神」と深い関わりがあるとみています。
朝鮮出兵の折に、船の舳先に現れ、神功皇后を助けた神は「住吉三神」でした。
かの神は「ニギハヤヒ神」の一面を持っています。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
皇后は後に、那珂川町の「現人(あらひと)神社」に来て、
その神田を(町を)潤す広大な水路「裂田の溝(さくたのうなで)」を作りました。
彼女がそれ程のことをしたのは、その地が自分を助けた神である
住吉三神がおられる土地だからです。(地元では「現人(あらひと)三神」)
現人神社は、「住吉」の元宮とされています。
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その町には、天も地も照らす輝く神である「猿田彦神」が祀られている、
「日吉神社」があります。
そこは「日吉」の元宮とされています。
こんな狭い区域に、伝承とは言え、全国に展開する神社の「元宮」とされる
神社が二つもあるのです。
それだけでも、この地の特異さが見えてくるようです。
その二つの元宮のご祭神、「現人神社の住吉三神」と「日吉神社の猿田彦神」。
二柱とも、ニギハヤヒ神を表しているのだとしたら・・・。
この地が彼の土地なのです。
そして、そこは、かの神に導かれるように来た、神功皇后にとっても、
想いの深い土地になるのです。
*
神功皇后は大陸へ渡る前から、ニギハヤヒ神を崇拝していたようです。
渡る前に(今の)朝倉郡に皇后が建てた社は「大己貴神社」。
三輪山と呼ばれる山が側にあります。
その周囲の地名は大和の地名と似通っており、
この時(または、この後)に大和から来た人達が移り住んだと思われます。
・・・大和にいた神功皇后は、三輪山の神、大己貴神を確かに知っていたのです。
こちらに彼の社を建てるほどに。
朝倉の地の、姿がよく似た山に奈良の「三輪山」を重ねて、
彼の社を建てたのでしょう。
その神功皇后が「筑紫三山」の神社を建てたのなら、
何かの意図があったのです。
彼女がいた大和には、ARIONの言う「三四五の封印」が二つありました。
そして、「筑紫三山」の封印もそれらと同様に、ニギハヤヒ神を指し示しています。
そこに強力な封印があること、そしてそれらが形作る三角は、
神籬(ひもろぎ)でもあることを感じていたでしょう。
彼女も<玉依姫>の一人なのですから。
神功皇后が子を産んだ場所、宇美八幡宮は
その「結びの山」の筑紫三山が作る「神籬」の中にありました。。
その皇子が応神天皇。
後に八幡神とされ、ニギハヤヒ神とも言われ・・・。
皇后は、朝倉の山に、三輪山を重ね、「大己貴神社(ニギハヤヒ命)」を建てた。
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大和の二つの封印と、皇后が作った神社がある筑紫三山が示すのも
「ニギハヤヒ命」ならば・・・。
これは、偶然ではないと思うのです。
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<何かの意図>
それがあるのなら。
彼女が望んだとことが見えてきます。
彼女はニギハヤヒ命を再び、この世に取り戻したかったのではないか・・・。
もしかすると、お腹の子がニギハヤヒ命の生まれ変わりだと知っていたのかも
しれません。
(私でさえ、子を宿した時、その子の真名を聞きました)
故に、その「神籬(ひもろぎ)」の中で彼を産み育てる必要があったのではないか・・・。
神籬は「神を招き降ろす場」であり、守りの結界でもあるのです。
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彼女は後に、那珂川町に来て、裂田の溝を作りました。
その伝承が本当なら何年もかかったと思います。
幼き、後に「応神天皇」と呼ばれる皇子をその地で育てたのです。
そこは、「現人神」と「日吉神」の地。
その二柱は、天照である「ニギハヤヒ神」なのかもしれないのです。
おとぎ話のようですが、その地に彼女が来たのは必然のように思えてきます。
*
<二人の玉依姫>
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神功皇后は、<玉依姫>とも言われています。
その名(称号)は「神の依り代」、神の声を聞いたり、霊力を持つものなどに
名付けられました。
皇后の祖先は、渡来の神、天日槍(アメノヒボコ)だとされています。
その神はツヌガアラシトとも言われ、福岡県田川郡にあるもう一つの
「現人神社」のご祭神です。
一説では「角を持つ者」だと。
FARIONの会議室では、「角は鬼の象徴であり、異能者のこと」だと
言われていました。
神功皇后の<玉依姫>と呼ばれる力は”鬼”の力・・・?。
ARIONの鬼についての預言「隔り世(かくりよ)から鬼が来る」と
いうのも気になります。
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玉依姫とされる人は幾人もいます。
「霊能力を持った巫女のような役割」の人をそう呼んだのですから。
ニギハヤヒ神の正妃、「ミカシヤ姫」も神道では玉依姫とされているようです。
また「活玉依(イクタマヨリ)姫」とも言われています。
ニギハヤヒ神とも言われている大物主の妃も「活玉依比売」でした。
*
< ヒミカと竜厘 >
ここからは私が見た前世と思われる夢から得たことです。
私はいくつかの前世を夢で見ています。
その中に「古代奈良の夢」があります。(詳細はリンクから)
ずっと後になって、それがニギハヤヒ命の正妃であるミカシヤ姫では
ないかと思いました。
他の転生も見ており、分かったのはいつも「ヒミカ」という名も持つこと。
・・・転生した彼女達(ミカシヤ姫、その他の二つの世界の自分)は
自分自身が「ヒミカ」であることを知っていました。
何度、転生しても受け継ぐ名。
ミカシヤ姫として生きた頃の彼女も、自分が「ヒミカ」であることを認識していました。
おそらく、生まれ変わる度に、前の世の記憶と名を思い出す為だと思われます。
また、神功皇后は、伝承では「卑弥呼」だとしてしている記述があります。
「時代が違うのは明らかなのに、そうしなければならないという意図さえ感じる」
と言う人もいます。
もしも、彼女がミカシヤ姫の生まれ変わりで、自分が「ヒミカ」だと
認識していたのなら・・・。
彼女も「ヒミカ」とも呼ばれていたのではないか。
そう思ったのです。
「ヒミコ」ではなく「ヒミカ」
「カ」の言霊には顕現するという意味があります。
「カッ」と光る(光が現れる時の)様子。
光は神を表します。
古代では、光は神そのものでした。
彼女達の名は、「ヒミカ」でなくてはならないのです。
それは、彼女達の魂の名であるようでした。
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ミカシヤ姫はニギハヤヒ命を「竜厘」とも呼んでいました。
転生の度に彼女と同じ世に生まれ、同じように記憶と名を思い出す為だと思われます。
それは彼の「魂の名」
ニギハヤヒ神は三輪山の神(蛇神。古代では竜神と同義)。
脊振山にも竜の伝承があります。
(その名は「神の一厘のシナリオ(秘密)」に繋がります(詳細はリンクから)
その三輪山のご祭神、ニギハヤヒ神だとされる大物主の名は、
倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)
その正妃が祀られてるという奈良の櫛玉比女神社。
御祭神は、櫛玉比女命。
それは櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、
御炊屋姫(みかしやひめ)。 そうでした、彼女の名は御炊屋姫。ミカの言霊が残されていました。ニギハヤヒ命と「竜厘」。
そしてミカシヤ姫と神功皇后と「ヒミカ」。
・・・ただの夢かもしれません。
私には、「神功皇后」の記憶はありません。
もしかしたら誰かの夢を見ただけかもしれないとも思っているので、
彼女(ヒミカ)達が自分の前世だと確信してる訳ではありません。
でも、私が、ヒミカや竜厘の名を最初に聞いたのは、「前世の仲間」の二人からでした。
思えば、これ以上、、彼らにふさわしい名はありません。
(前世の仲間 ~前世 3~)
彼らを思えば思う程 、「古代奈良の夢」を始めとする前世の夢が
答えへと導くようなのです。
重なりを見つける度、心が震えるような偶然の一致。
怖い程繋がる「ヒミカと竜厘」と、
「ニギハヤヒ命とミカシヤ姫」と「神功皇后と応神天皇」。
*
神功皇后には、生まれ変わることを承知していたのではないかと、
思わせるような伝承があります。
飯塚市の穂波町大分に「大分(おおわけ)八幡宮」があります。
福岡市の「筥崎宮」の元宮とされてます。(「結びの山 ~その11」の「真の道」の先にある筥崎宮の元宮)
皇后は、朝鮮出兵から帰還した際、集まってくれた兵達とそこで
「大分かれ」をしました。
よって、その土地の名が「大分」となったそうです。
その時に皇后が言った言葉から「飯塚」という地名が生まれました。
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彼女は集まった皆に、
「いつか」と。
・・・いつか、また会おう。
大和へ戻った後、再び会うことはないと分かっているのに。
その言葉は、もしかしたら、彼女が生まれ変わりを信じていたから
なのかもしれません。
また、ニギハヤヒ神である<大歳神>は
稲穂の神とされ、新年に赤子の姿で現れ、年末に翁の姿へと姿を替えます。
これは、生まれ変わりを意味しているのでは。
ニギハヤヒ神が、生まれ変わりをする神・・・。
これは、偶然ではないと思うのです。
*
私は、神功皇后と深い縁があります。
以前、(「卑弥呼と神功皇后」)の中で書きましたが。
(「鏡別皇子」)の話の時に書いた、
「鏡別皇子」は、ヤマトタケルの皇子とされています。
伝承ではヤマトタケルは、神功皇后の夫の仲哀天皇の父、つまり彼女の義父でした。
また、前述の「大分八幡神社」
「富士山の夢」の時に見た、あの紫色の富士さんの方向でした。
繋いでくれていると思った小さな山の先に、その神社がありました。
飯塚の、当時は嘉穂郡と呼ばれていたその場所には、祖母の家があり、
夢か現の中、祖母が幼い私の手を引いて連れて行ってくれたのです。
わたしの母の家系の「夢」は特別な場でした。
そこで霊能力を受け継ぐのだそうです。
奈良では、神功皇后のご陵さん(前方後円墳)の側に住んでいました。
(「卑弥呼と神功皇后」の記事)
その地は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫が居を構えたという場所からも近く。
昔は「トミ」と言われていたそうです。
(ミカシヤ姫のまたの名は、登美夜須毘売(トミヤスビメ)
それを知った時、鳥肌が立ちました。
もしかして、皇后はそれを知っていたのかと。
・・・おそらく、そうなのでしょう。
神功皇后のご陵さんが、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫が暮らした地にあることは、
偶然ではないのでしょう。
最近になってそれを知った時、私には、彼女がミカシヤ姫の生まれ変わりだと
確信するのに充分なことでした。
*
.
皇后が筑紫三山にある神社を作ったのは、朝鮮出兵の後、応神天皇を
出産した後だともされています。
そうならば、(おそらく)もともとあったその封印を強固なものに
するための神社だったのかもしれません。
その封印は、未来に向けて?
封印・・・多分、願い。
筑紫三山が指し示す「ニギハヤヒ神の封印」の前には、天の岩戸があります。
いつか、開かれるであろうはずの、その封印。
それは、未来に向けての願い。
そう感じられるのです。
願いを封じ・・・いつか叶えられる時を想う。
「いつか、また」
おそらく、神功皇后が再び逢いたかったのは、”彼”だけではないのでしょう。
「いつか、また、この地で会おう」
皆に告げたその言葉。
そう、彼女は再び、この地に来るであろうことを予感していたのです。
彼女が愛した地、彼女が愛された人達が生きた場所。
私はそこで、その地に生きる愛しい人達に囲まれながら生きていきます。
神と人が寄り添って生きている神籬の町で。
( おわり )
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はじめまして(*^.^*)
友達が「儺の国の星」の記事を教えてくれてお邪魔したのがきっかけで、気になる記事を幾つか読ませてもらってます。
わたくし、東の那珂川が流れる地が地元で、名前はミカと申しますm(__)m
ゆえ、弥紗さんの記述に…東西の違いはあれど、おののきながら読み進んでおった次第です。
その友達の要請?で、大甕神社に詣でしてきます。
近所なのに初です(爆)
たぶん、地元中の地元の神社は、タケハヅチノミコトがご祭神なためだったかと思います(*゚ー゚)ゞ
そして。
八幡さまのしゅを解く~2016年から伏線で浮かび上がってきたテーマだったので、いっそうゾゾゾとしとりまするm(__)m
葛城の巫女の流れをくむ友達と動き回った2016年(弥紗さんの記事を紹介してくれた子とは別です)。
もう、実稼働もしている中で、最後の最後の星解きだと思っております。
ご縁と智をありがとうございました(*^.^*)
投稿: MIKA月 | 2017年8月12日 (土) 22時10分
MIKA月さま、はじめまして
コメントありがとうございます。
私の知らないとこで、「儺の国」ネットワークが出来つつあったのですね^^
加えて頂けて嬉しいです(*^^*)
「儺の国の星」は、最寄りの図書館を通して、借りることができます。
「福岡県筑紫郡那珂川町の図書館の蔵書
題名 儺の国の星
著者 真鍋大覚」
続編は「儺の国の星 拾遺」
で、取り寄せてもらえます^^
やっぱり、本を一度読んでみないと、です^^
私は借りて、全ページコピーしました。
著作権法に触れるので、このコピーを人に貸したり渡したりする
わけにはいかないのですが、たまに出しては読んでます。
本当に面白いです!
この本の原案は、もともと「広報 那珂川」に連載されていたものだそうです。
なので、発行も那珂川町。
町は一般に発行する気はまったくないらしいので、関係者に配った何部かと、
図書館にある2冊ずつしか現存しません。
その計4冊も、最近は図書館で姿を見ないです。
おそらく、全国を旅してるのかと思われます(^^;
借りられるのでしたら、早めにご予約を
那珂川町の蔵書はなかなか面白く、現人神社を始めとする
この町の歴史を最初に知ったのは、ここにあった「箸墓の歌」でした。
奈良にある「箸墓」を題名に持つその本に、町のディープなことが、と。
多分、司書の方が読まれたのでしょうね。
ゾゾゾと鳥肌が立つような時、胸の琴線に触れる時、
もしかすると自分の中に初めからあった答えと重なったからかもしれないと
思ってます
鳥肌でもう一つ、町には常設の資料館はないのですが、時々期間限定の
遺跡発掘物の展示をします。
その中に、鈴が五つついた腕輪があるのですが、これを見た時、
鳥肌が立ちました。
神楽のような物を舞う時につけていたものだと。
「那珂川市」になることの記念事業の一環で、「なんでも鑑定団」が来るのですが、
面白いものが出るのでは?と密かに期待してます^^
放送は随分先の様です。
では。こちらこそ、ありがとうございました^^
投稿: 弥沙 | 2017年8月13日 (日) 07時21分