大分八幡宮 ~福岡県飯塚市~
福岡県飯塚市にある大分(だいぶ)八幡宮に参拝してきました。
そこは、少し前に改名されるまでは、嘉穂郡穂波町。
私の祖母の家があった町でした。
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大分八幡宮由緒記
ご祭神 應神天皇 神功皇后 玉依姫命「神武天皇御母君」
當宮は神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて
應神天皇御出産遊ばされ翌年の春京にお上
りの際軍隊を引率され粕屋嘉穂の郡境に
ある験しい「ショウケ超え」を経られ當宮に
至り遊ばされ此地にて軍隊を解散せら
れし由縁の地なり
宇佐宮託宣集に我宇佐宮より嘉穂郡
大分宮は我本宮なりとあり本邦が所別
宮第一に列さられ朝廷の尊崇篤く筥崎
宮の元宮 ? 由緒正しく第四十五代聖武
天皇神亀三年「今この ? 一三〇〇年前」御神
託によって創建せられ応仁天正の九州動乱
にて御社殿は兵火に罹り消失し後天正五
年秋月種実公勅命に依り現在地に假殿
を建立御神霊を勧請鎮座 ??たる
御社殿裏山の小高い丘?の盛土は全国でも珍
しい皇室古墳埋蔵推定値「仲哀天皇御陵」
として考古学者の学問的期待をかけている
聖地であり往古旧社殿は小高い丘の前に
ありて跡地に礎石の石残れり
(どうしても判読しがたい箇所は?マークをつけてます)
神功皇后が軍隊を解散した場所であり、筥崎宮の元宮である。
裏山は「仲哀天皇」(神功皇后の夫)の御陵である。
と、いうことですね。
「ショウケ越え(峠)」は、若杉山のある糟屋郡から飯塚(旧嘉穂郡)へ
抜けるルートとして、今もそう呼ばれています。
神功皇后が幼い応神天皇をショウケ(竹を編んだザルの名が訛った)に入れて
峠を越えたことから名付けられたそうです。
つい、先日、初めて車で通りましたが、なかなかの峠道。
昔は八木山(バイパス)の方の道が無かったので、嘉穂に抜けるには
この峠を越えるしかなかったのです。
そして、ご祭神。
この辺りには、神武天皇の伝承は無く、この神社にも名が無いないのに、
神武天皇の母とする玉依姫だけが祭られているのはなぜでしょう。
そういえば、若杉山の太祖宮の上宮にも玉依姫の名がありました。
もしかすると「玉依姫」は、神功皇后の別名の方なのかもしれません。
それとも・・・。
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曲芸をしてるかのような狛犬です
かわいい!
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神社に仁王さん
悪いのが入って来なさそうです。
拝殿 .
神社の裏山。
仲哀天皇のご陵(かもしれない)だそうです。
神功皇后のご陵は、奈良の山陵(みささぎ)町にあるのに、
連れては帰られなかったのですね。
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上まで階段があったので登ってみました。
祠が一つ。
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そこからの眺め。 .
写真の下の方にあるのがお社。
その向こう、手前にある小高い山が、金毘羅山。 .
ご陵さんの前にあった生目(いくめ)神社。
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小学校を卒業するまで奈良から帰省して、毎年、夏休みの一ヶ月を過ごした穂波町。
神功皇后のご陵さんの傍らから、仲哀天皇のご陵さんの元へ。
ピンポイントで訪れていたことを、初めて知りました。
偶然が世の中にないのなら、必然だったのでしょうか。
そして・・・。
ご陵さんに登った後、金毘羅山を目にして、「あれが」と思った時、
強い既視感。
確かに来たことがある。
それほど高くもないし、綺麗な三角の山ではないけれど・・・。
あの山を知ってる。
それは、夏休みの記憶ではなく・・・。
( 続く )
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