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2017年9月 2日 (土)

大分八幡宮 ~福岡県飯塚市~

福岡県飯塚市にある大分(だいぶ)八幡宮に参拝してきました。
そこは、少し前に改名されるまでは、嘉穂郡穂波町。

私の祖母の家があった町でした。
                            .Daibu01                                             .
Daibu02                                               .

    大分八幡宮由緒記

ご祭神 應神天皇 神功皇后 玉依姫命「神武天皇御母君」
  當宮は神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて
  應神天皇御出産遊ばされ翌年の春京にお上
  りの際軍隊を引率され粕屋嘉穂の郡境に
  ある験しい「ショウケ超え」を経られ當宮に
  至り遊ばされ此地にて軍隊を解散せら
  れし由縁の地なり
  宇佐宮託宣集に我宇佐宮より嘉穂郡
  大分宮は我本宮なりとあり本邦が所別
  宮第一に列さられ朝廷の尊崇篤く筥崎
  宮の元宮 ? 由緒正しく第四十五代聖武
  天皇神亀三年「今この ? 一三〇〇年前」御神
  託によって創建せられ応仁天正の九州動乱
  にて御社殿は兵火に罹り消失し後天正五
  年秋月種実公勅命に依り現在地に假殿
  を建立御神霊を勧請鎮座 ??たる
  御社殿裏山の小高い丘?の盛土は全国でも珍
  しい皇室古墳埋蔵推定値「仲哀天皇御陵」
  として考古学者の学問的期待をかけている
  聖地であり往古旧社殿は小高い丘の前に
  ありて跡地に礎石の石残れり

 

(どうしても判読しがたい箇所は?マークをつけてます)

神功皇后が軍隊を解散した場所であり、筥崎宮の元宮である。
裏山は「仲哀天皇」(神功皇后の夫)の御陵である。

と、いうことですね。

「ショウケ越え(峠)」は、若杉山のある糟屋郡から飯塚(旧嘉穂郡)へ
抜けるルートとして、今もそう呼ばれています。
神功皇后が幼い応神天皇をショウケ(竹を編んだザルの名が訛った)に入れて
峠を越えたことから名付けられたそうです。
つい、先日、初めて車で通りましたが、なかなかの峠道。
昔は八木山(バイパス)の方の道が無かったので、嘉穂に抜けるには
この峠を越えるしかなかったのです。


そして、ご祭神。
この辺りには、神武天皇の伝承は無く、この神社にも名が無いないのに、
神武天皇の母とする玉依姫だけが祭られているのはなぜでしょう。
そういえば、若杉山の太祖宮の上宮にも玉依姫の名がありました。
もしかすると「玉依姫」は、神功皇后の別名の方なのかもしれません。
それとも・・・。
                                               .Daibu03                                                 .

曲芸をしてるかのような狛犬です
かわいい!

Daibu04                                                    .
                                             

Daibu06_2                                                .
Daibu07                                                  .

神社に仁王さん
悪いのが入って来なさそうです。

拝殿

Daibu8                                               .            
神社の裏山。
仲哀天皇のご陵(かもしれない)だそうです。
神功皇后のご陵は、奈良の山陵(みささぎ)町にあるのに、
連れては帰られなかったのですね。
                                          .
Daibu09                                                   .
上まで階段があったので登ってみました。
祠が一つ。
                                                   .Daibu11                                                 .
そこからの眺め。
Daibu12                                          .
写真の下の方にあるのがお社。
その向こう、手前にある小高い山が、金毘羅山。

Daibu13                                             .
ご陵さんの前にあった生目(いくめ)神社。
                                               .
Daibu14                                                   .
小学校を卒業するまで奈良から帰省して、毎年、夏休みの一ヶ月を過ごした穂波町。

神功皇后のご陵さんの傍らから、仲哀天皇のご陵さんの元へ。
ピンポイントで訪れていたことを、初めて知りました。
偶然が世の中にないのなら、必然だったのでしょうか。


そして・・・。
ご陵さんに登った後、金毘羅山を目にして、「あれが」と思った時、
強い既視感。
確かに来たことがある。
それほど高くもないし、綺麗な三角の山ではないけれど・・・。
あの山を知ってる。

それは、夏休みの記憶ではなく・・・。


( 続く )

 

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