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2017年11月30日 (木)

神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~

続き。

☆→神の鉾 1 ~伊野の鉾~

 

「高良玉垂宮神秘書」

それは、筑後国一之宮である「高良大社」の伝承が記される。

 

Koura04

神秘書は漢字、カタカナの書き下し文になっている。
分かりにくい箇所は同義の言葉にしている。

 

ウガヤフキアエズ尊は住吉大明神
この御子、住吉五神。

二人は女子、三人は男子。

嫡男 表筒男尊 日神の垂迹 大祝の先祖(後に高良の祭司となる)
次男 中筒男尊 神武天皇
三男 底筒男尊 月神の垂迹 高良大菩薩

表少童尊 
中少童尊

住吉明神、表筒男尊、底筒男尊の三神は、兜率天に住まい、三光と現れ国土を照らしている。


この中で気になった名があった。
次男、中筒男尊は「神武天皇」。

*この国に留まって、神武天皇と現れ皇代の初めとなる
*守屋の大臣は神武天皇の変化なり
 ここをもって大神御兄弟とは申すなり

他の住吉神と出現した後、この後の記載は一度もない。

「大神御兄弟」

「彼ら」は神話の全ての神。
親兄弟など全て同神。

ならば、神武天皇と高良神が同神、同時代であることを示唆しているのでは。

 

彼らが出現した時の様子が記される。


十五代神功皇后の時、イルヰ日本に来る。
その時、筑前国四皇寺の峰に登り、虚空を祈った。

東の空に白雲現れ来る。
白雲たちまちに四方に開き、光を放ち給えば、月神現れた。
白雲四方に開きたるは四天皇なり。
四つ鉾はその中に打ち違えて見えたり。

月神、この白雲に乗り給い、若冠となって現れ、四皇寺に下り給う。
これによってこの所を四皇寺の峰と申すなり。

 

高良の神は白雲に乗り、若者の姿となって四王寺に降り立ったのだ。

四皇寺とは、今の四王寺山。
太宰府市、大野城、粕屋郡にまたがる四つの峰を持つ標高400m程の山である。

彼らは神功皇后の祈りにより、出現した神。
彼の伝承に彼女は外せない。

 

住吉明神は告げた。
我が御子、三男 月神の垂迹 底筒男尊は応作天大将軍の再誕である。
天上の大力士なり。
大将軍にすればよいと。

彼を住吉高良大将軍と定めた。

 

皇后いわく、
日神垂迹表筒男尊、両副将軍と定めて、三韓を攻めた。

その後住吉明神は皇后の元を去った。
また虚空に住んだ。

 

神功皇后は、底筒男尊と表筒の命を両副将軍と定めた。
住吉大明神(父)は虚空へ戻った。

Koura_20230426220101

 

さて、最初の月神が現れた時の「四方に開き光をはなつ」様子を表したものが、高良大社の神紋である。
では「鉾」という記述は、神紋の由緒の一つとなる。

さて、その「鉾」は、誰の鉾?

 

( つづく )

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2017年11月29日 (水)

神の鉾 1  ~伊野の鉾~

続きになる。

☆→伊野天照皇大神宮 ~福岡県 久山町~

 

その社に訪れた時、酷く違和感があったのだ。

女神に鉾は相応しくない。

 

そんな時だった。

 神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰ったという記述があります。

それを友人のブログで見た時、天啓のようなものがあった。
これは、「あの鉾だ」と。 

Ino06

伊野天照皇太宮の神殿にある鉾。


  「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用
(あえてリンクしてません)


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崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。

(中略)

ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。

代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・

******************************************************************

*楯原神社は、大阪府にあります。
*品陀和氣命は、神功皇后の御子、応神天皇のことです。
                                                     .

以前、伊野の天照皇大神宮で、「撞賢木厳御霊天疎向津姫命」ではないのではないか、と感じた違和感の正体。
これが答えなのか、と。

大国主神は、三輪山の神である大物主神と同神。
三輪の大物主神は、饒速日命。

 

鉾は、彼を表しているのでは?

                        *

神功皇后にとっての「天照神」は、饒速日命ではないのか。

そういえば・・・と、そこで思い出したことがあった。
筑紫にある独特の伝承。
筑後国一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂宮神秘書」の記述を。


(つづく)

 

                    

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2017年11月26日 (日)

裂田溝ライトアップ ’17

11月18日土曜日。
那珂川町で裂田溝(さくたのうなで)のライトアップがありました。
心配していた雨も朝方にやみました。

Sakuta42

奥の、山に見えるのが安徳台。
町内の小中学校や、婦人会などのグループ単位で作られたランタンで
飾られた裂田溝。
Sakuta43
裂田神社。
裂田溝を指揮して造ったとされる神功皇后を祀ります。
このお祭も7回目。
少しずつ人も増えてきました。
町内や役場の人達の手による温かいお祭りでした。

Sakuta58

こちらは伏見神社。
神功皇后の妹とされる豊姫が祀られています。
7月の岩戸神楽もここで奉納されます。

Sakuta44

今回は女の子達の神楽が主でした。
剣舞。

Sakuta45

Sakuta47

Sakuta48
「四神」
四季の神への感謝。

Sakuta49_2


Sakuta50

男の人達による弓舞。
Sakuta51
Sakuta52

 

黒鬼。

Sakuta54
抱っこされた赤ちゃんは、無病息災でいられるとされます。

Sakuta55
Sakuta56
                          .
子供が作ったランタンは見つけられなかったのですが、
神楽を伏見神社のお社で見られて、彼女は大満足のようでした。
                        .

神への感謝と祈り。

このお祭も神楽の舞も、しっかりと神に届いているようです。
神楽の途中、お社の祭壇の前に、
紅蓮の着物をきた女の神様が見えました。
滅多に見えたりしないのですが。

ご祭神の豊姫なのかな。
豊姫なら何となく青か緑系の衣装のような気がしていたのですが、
赤はこのお祭にとても合った色だと思いました。

 

娘は神楽の最中、音を5回ほど聞いたそうです。
祭壇の奥から舞台へと、何か固いものをばらばらと撒くような音を。

「飴のような大豆のようなそんな固いもの」
かなり大きな音だったそうです。
もしかして、神様が現れる時にあるという合図の音なのかな?

                        .
神と繋がることで、確実に繋がる人との繋がり。
素晴らしい土地にいられることを感謝しています。
                                                      .
Sakuta32
                                                              .
現人(あらひと)の神様を祀る現人神社(住吉の元宮)。
神功皇后を祀る裂田神社
その妹、豊姫(淀姫)を祀る伏見神社

何故、この町に「揃って」いるのか。
それは分かりませんが・・・。

筑紫には、余所に伝わっていない、独特の伝承があるのです。
ここに来なければ、永遠に知ることはありませんでした。

                       .

 

2017年11月21日 (火)

神路山~遠見岳登山 ~福岡県 久山町~

神路山・・・かみじ山は、福岡県糟屋郡久山町猪野、
伊野天照皇大神宮の裏手の山です。

三重県の伊勢神宮の南に広がる山も神路山でした。

Kamiji01
前回のお社から少し登った所です。
木々の間に「心柱」が見えます。

Kamiji03
斜面を沿うように登ります。
ここでようやく、前に登った「飯盛山」が小学生でも登れる初歩的な山と
言われているのかが分かりました。
あの山には、こんな場所はなかったです。
斜面は、当たり前ですがとにかく滑る。
Kamiji04

斜面を沿うような箇所には、このように杭が立ててあって、鎖やロープが
引かれてあります。
できるだけ、ロープを持って慎重に登りました。

一度、危うく滑落しそうに・・・。
そこでふと、思い至ったのが、
このままどうにかなってしまったら、
私がここにいることを誰も知らないという事実。

これからは山に登るかも知れない時は、せめて家に書き置きしていこう・・・。
靴も普段靴だったので、これからは車に登山靴を常備しておきます。
(また登るつもりかい^^;)

今回、引かれるままに登ってしまったので、十分な用意をしていきませんでした。
登山道も先に把握してなかったのですが、後からネットなどを見ても無かったので、
「行ってみなければ分からない」感じです。

道しるべは、木の枠の小さな階段と、先ほどの様な杭と鎖。
その階段も、踏みならされた道もなくなって、ふと迷った時、
そこでじっと立って静かに辺りを見てみると、少し先に階段が見えます。

次はどこへと思う時に、自然と辺りをよく観察していたようなのですが、
これも後になって(帰りの時に)大切なことだったのだと気付きました。

まっすぐ行けば近道なのに、なぜ大回りをするのかな・・・。
あぁ、木が積み重なって通れないのか、など。

 

帰りの道の時、その箇所でほんとに迷い、それを思い出して
登山道に出ることができました。

登山に慣れている人は、自然とこういう知識が身についているのでしょう。
                     .

登っていく内に涙が出ました。
登山は、まるで「生きて行くこと」のようだと思ったのです。

斜面にこれだけの杭を打って、鎖をかけていった人、
木の枠の階段を地面に埋めていった人の労力。

大変なものだったと思います。
安全に登れるようにと願いを込めて。

一人でも、一人の力で登っているわけではない、と。

 

Kamiji05

しばらく登ると、「遠見岳登山道」という標示板に出会います。
お社のすぐ裏の山が神路山であり、
境が分からなかったのですが、峰続きの山が遠見岳になります。

遠見岳は、神功皇后が仲哀天皇と「遠見」をする為に登った山なのです。

 

Kamiji06
木々の間から、山々が見えます。
写真を撮ることも自分にとっては大事なことでした。
「登りの時、左側に景色が広がる」
そう認識できていたので、帰りに迷わなかったのです。

Kamiji07

頂上まで300M の標示板。
山の300M はまだまだ先。

Kamiji08

もうすぐ頂上という時にふと斜面の下を見ると、コンクリ?の道が!
あんな道あるの??
登ってきた道に合流する、作りかけの道もありました。
頂上まで登山道を整備するのでしょうか。

Kamiji10
もうすぐ頂上です。
東屋???

Kamiji11
ほんとに東屋でした。
こんなところにまで資材を運んだとは。

「仲哀天皇神功皇后異国望見の地」という標識がありました。

Kamiji12
「神功皇后が三韓出兵のみぎり高岳に上りて異国を望み玉いしところ」
とあります。
さすがに身重では登れませんので、仲哀天皇と香椎宮に滞在していたという
期間に登ったのかもしれません。

Kamiji14

Kamiji15
上の写真は、南西。
油山、脊振山系の方向。

Kamiji16
西の方角。
写真の右端にある一番高く見える山が、立花山。
Kamiji19
北西。
博多湾の方角です。
東屋の中から撮りました。

Kamiji21

遠見岳 標高323M
                              .Kamiji20
頂上の印、三角点です。

 

Kamiji23
頂上から降りてすぐの場所。
左側に階段があり、そちらの方向へ進んでいってしまいました。
少し行ってから、「来る時は左側に眺望が見えたから、こっちじゃない」
と気がつきました。
登る時はひたすら上への道を進むだけでしたので、迷わなかった道も、
帰りは下る道がいくつかあり、迷う事があります。
そんな場所には、道を塞ぐように大きな木の枝が置かれてありました。
                     .

山登りは楽しい。
人生観が変わるという人がいたけど、こんな低山でもそれが分かる気がします。

気付かなければ過ぎてしまう。
気付こうとして、心を向ければ、色んなことを教えてくれる。

子供もいつか連れて来て、あの眺望を見せたい。
そう思いました。

登れば、そこに世界が広がっていることが見えてきます。
きっと受け取れるものが、そこにはある。
神路山とはよく言ったものです。                             .

できるだけ安全に、多くの人に登って欲しい。
・・・それには整備されたあんな道も必要なのかな。


 (つづく)

 

2017年11月20日 (月)

伊野天照皇大神宮 ~福岡県 久山町~

糟屋郡久山町猪野の「伊野天照皇大神宮」です。
糸島の「櫻井神社」と同じく、九州の「伊勢」と言われている。
                                                           .
                                                        Ino10

 

春には桜。
秋は紅葉と美しく染まる。                      Ino11

                              .                                                           

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拝殿。

 

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*********************************************************
  伊野天照皇大神宮由来記

祭神 天照大神 手力雄神 萬幡千々姫神
合祀 水取宮祭神 五霊大明神 住吉三神 志賀三神

ここに鎮座せらる々伊野天照皇大神宮は、その縁起を
たずねるに草創は極めて遠く、日本書記によると
神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、仲哀帝の九年三月(紀元二〇〇年)
皇后小山田邑の斎宮に入り、自ら神主となり
天照大神(
撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)の霊を
お祭りになったと記されてある。

(以下、略)
**********************************************************


神功皇后が天照神をお祀りしたとある。

ここのお社で、書くのは2度目。
前の記事(「伊野天照皇大神宮  ~福岡県~」)
                                  .

Ino23
Ino25

 

Ino22
配祀のお社。

Ino24

 

Ino30

拝殿の右を、上に登っていく。

Ino33

先程の拝殿。
Ino34_2

こちらが、拝殿の上にある神殿。                                                            .Ino49

                                 .Ino37
フラッシュをたいた訳ではなく、
写真を撮る瞬間に輝いた。
                               .
Ino43

一番上にある、「古神殿跡」。
この場所に神が降臨したそう。
心柱(しんばしら)。
                          .
                          *

前に来た時の「違和感」。
それは何だったのか。
今回来たのは、それを確かめる為だった。
                    .

神殿の前にあった「鉾」。

この「由来記」にある通り、
ここの天照神が、「撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)」
つまり天疎向津媛命(あまさかるむかいつひめのみこと)なら・・・。

神殿の前の鉾は、女神には不釣り合いだと感じたのだ。

                                                               .
「鉾」は、何かを表しているのではないかと。


福岡にある他の「天照宮」には饒速日が祀られている。

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。

若宮市にある天照神社のご祭神は饒速日。
(「天照神社(天照宮) ~福岡県若宮市~」)

もしかして彼なのでは?

 

Ino46

いざ、お社の裏山。
山の頂上へ、出発。



お社の右にある山道を進んで行く。

(つづく)

 

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2017年11月18日 (土)

斎宮(いつきのみや) ~福岡県糟屋郡~

福岡県糟屋郡久山町山田にある「山田邑斎宮」です。
つい先日行きましたが、銀杏が色づいていてとても綺麗でした。

Saigu03
神宮皇后が宮を構えた地、だそうです。
Saigu06

 

Saigu12

Saigu01
(上の写真の由緒書きより)

 **************************************************************

 神功皇后と斎宮
 
  神功皇后は、「古事記」「日本書記」に登場し、日本史上はじめ
  て朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。「日本書記」巻第九
  神功皇后(気長足姫(おきながたらしひめ))の章には、夫である
  仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、応神天皇をお産みに
  なられた宇美八幡宮などとともに斎宮のことが記されています。
   「日本書記」によると神功皇后は仲哀天皇が香椎宮でお亡くなり
  になると小山田邑(むら)に斎宮を遷らせ、
  自ら神主となられています。この斎宮の故地について、江戸時代の学
  者貝原益軒が「筑前国風土記」のなかで次のように述べています。
   「聖母屋敷 上山田にあり。其所に 神功皇后の御社あり。
  是 神功皇后斎宮の址(あと)なるにや。」「此山田村、香椎に近ければ、
  此村にある聖母屋敷こそ、まさしき斎宮の址には侍るべき。」
  ここ山田の地に鎮座する斎宮は、日本最古の国史に記載された
   「小山田邑 斎宮」の此定地とされる神社です。千数百年の間、
  人々に深く信仰され、大切に守られてきました。
   町内には、六所宮跡や審神者(さにわ)神社など神功皇后にゆかりの
  深い神社や、神功皇后を描いた絵馬などが多く残っています。

*****************************************************************

聖母屋敷の「聖母」は「しょうも」と読みます。
神功皇后が八幡神であるという応神天皇の母であるとされることから、
そう呼ばれています。

香椎宮で仲哀天皇が亡くなった後、こちらの斎宮に移り、七日七晩祭事をした
とされています。

前回の記事の「黒男神社」にもありましたが、
黒男神社の場所は、その時に武内宿禰が陣を張った場所でした。

                    *                     .

初めてこの場所を知った時、「斎宮」という名を聞いて初めに浮かんだのは、
伊勢神宮における「斎宮」の存在です。

三重にある「斎宮」は、天皇に代わって
伊勢神宮に仕える為、天皇家の皇女が住まう地(役所)でした。

かなり前に行きましたが、「仕える者が住む地」にしては、
伊勢から随分離れてるなという印象でした。

  伊勢の神は祟る為、祀る。
  天皇家は近年になるまで、伊勢神宮に参拝することがほとんどなかった。

という話を聞いたことがあります。
「祟る神」かどうかの真偽は分かりませんが、
「仕える者の地」が遠い理由としては、納得ができます。

                                                        *

ですが、この場所は、九州の伊勢とも言われている
「伊野天照皇大神宮」にとても近いのです。
ほぼ直線距離で1.6キロ。
歩いても30分程です。

「伊野」のご祭神は、天照大御神。

その天照は、「撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)」とされています。
つまり天疎向津媛命(あまさかるむかいつひめのみこと)です。

前に来た時は、ここの存在も知らず、気付かなかったのですが、
神功皇后が祀るのならば、向津媛ではなく、饒速日(にぎはやひ)神
なのではないかと思いました。
(「結びの山 最終章 ~ 結び 夢か現か~ 」)

皇后という天皇家の立場でありながら、こんなにも近くに宮を構えることが
できる。

彼女はただ一人の例外です。


これは、確かめてみたい。
「伊野」の神様が、饒速日なのかどうかを。

そう思いました。
                                .

(つづく)

 

 

2017年11月16日 (木)

黒男(くろどん)神社 ~福岡県糟屋郡~

「くろどん」とちょっと変わった名前の神社です。
神功皇后と常に行動を共にしていたという、
彼女の片腕 武内宿禰が祀られています。

福岡県糟屋郡久山山田。
トリアス久山というコストコが入ってる商業施設のすぐ裏にあります。
道路側からは入れる道がなかったので、トリアスの川沿いの駐車場に
停めさせてもらっていきました。

                                                            .Kuro08                                                                       .
お椀をかぶせたような山の麓にあります。
                                                      .Kuro07
Kuro05                                                               .
銀杏が色づいていました。
                                                    .
Kuro04                                                             .Kuro01
                                                           .
*****************************************************************:

    黒男神社由縁の概略

  筑前国糟屋郡山田村字カタ山という山麓に黒男(くろどん)神社
  という社あり。
  鎮座の由来は人皇の始め神武天皇より代十四代の帝、
  仲哀天皇の御代に始まる。
  仲哀天皇の御代の御代日向の国に熊襲と云う賊ありて勅命に
  順わなかったので、之を討伐せんと都より筑前の国香椎村に
  幸行され大宮を造られた。
  皇后(神功皇后)、諸大臣と国賊討伐の儀を計られ、之を討たれたが
  利あらず香椎宮で神去り給うたのである。

  討伐についての御神託をお聞取り給わなかった事とて皇后は深く悲し
  まれ神託の報いならんとして罪あらためんと香椎村の隣である山田村 
  (昔は小山田村と云う)に斎宮を造られた。之が聖母(しょうも)屋敷  
  (山田)である。
  之の斎宮に三月朔日を吉日として主ら神主となり七日七夜入り給うた。
  之の御神事の隙をついて賊の征来たらん事を恐れ二月二十九日より
  武内大臣(宿禰)を大将としてカタ山に陣を張った。
  昔はかため山と云ったが中昔よりカタ山と云う。

  之の時皇后に随ておられた大彦命の御子武渟川(たけぬなかがわ)別命も
  カタ山に陣してしばし足を止められている内に一子を挙げられ、その子孫が
  年月と共に繁栄し数十戸に及んでいる。之が阿部氏の先祖である。
  之の様な由縁で武内宿禰の薨去後同氏の人達は先祖であるとて御社を
  新築し大臣の霊を斎し黒男神社と唱え二十九日は由縁ある日として祭
  日とし祭祇を怠らなかった。

   (中略)

  武内宿禰は第八代孝元天皇の御孫屋主忍男雄心命の御子である。
  第十二代景行天皇の御代より成務、仲哀、応神、仁徳の五代に
  おつかえした名臣であり、百司をすべ万機を司る国家の棟梁であった。

   (以下略)
*********************************************************

武内宿禰は、300年生きたとも言われています。
黒男の名の由来は、当時纏っていた武具に黒っぽいものが
多かったからでしょう。

例え、百兵の中にいても一目で彼だと、皇后に分かるように。
                         .
Kuro09                                                               .
カタ山に花がいました。

仲哀天皇が亡くなった香椎宮から、この場所まで、4.7キロ。
歩いても1時間強です。

さらに皇后が宮を構えた斎宮まで、1.6キロ。
この辺りは、とても奈良に似ている。
山に囲まれているからかな。
斎宮は皇后が滞在する場所としては、最適だったのかもしれません。


「御神事の隙をついて賊の征来たらん事を恐れ」
という表記。

神功皇后達はこの後、 何度か「賊」と戦い、これを滅します。
それが「まつろわぬ者」なのか、伝承の通り「人でない姿の者」なのか。

武内宿禰はその賊から、神事中の皇后を守る為、ここに陣を張ったのです。

               *

前回の記事ですが、「香椎宮」に繋がるとは思いませんでした。
ここへは、それを書く前に来たのです。
この流れは、みちびきを感じます。
                           .

次は斎宮(いつきのみや)です。

                           .

2017年11月14日 (火)

御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味~「儺の国の星」の炊屋星~

真鍋大覚氏が記された「儺の国の星」。
そこに「ミカシヤ姫」の名の由来となる項がありました。

「儺の国の星」(炊屋星・かしきやぼし)の項より要約。
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琴座 Lyra(リラ)

推古帝(五九三~六二八)の御名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。
織姫を雉鳥石星(かしわのほし)或は梶葉星(かぢばぼし)と言う。
舸子場(かしば)とは船著場のこと。

織姫が自ら船を漕いで牽牛の許に赴くべきものと遠い祖先は考えていた。
 昔は楮(こうぞ)と同じその皮を剥いで衣服の繊維を取っていたところから、この神話伝説が生まれたものと考えられる。
木の皮は細く裂いて水に晒す。


 
織女を志摩星或は斯和星(しわのほし)と言う。
”かしきやぼし”の略と思われる。
西海では船の用材になる木をすべて”しば”と言う。
芝とは船人の別名にも当てられることが多かった。
 魏志倭人伝の伊都国に泄謨觚(しばこ)、奴国に兜馬觚(しまこ)の名がみえる。
いずれも女王、或は后妃であって専ら海と空の天気の託宣を行う巫人のこと。


樞(すう)の右は口ではなく田を書いた。
方位を決定するに中心となる星のことであった。
別の形で橿原は赤緯を見る観測台のことであった。
(かしはらも星に関係するということ)
               
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この「炊屋星」の項。
略したところもかなり面白いので、後日またUPします。

織女星の名という”炊屋星(かしきやぼし)”
三炊屋(みかしきや)姫の名は、おそらくここからなのでしょう。

「三」は、ニギハヤヒ命を表します。
娘に三島の名がつく者がいたり、三島神社の多くはニギハヤヒ命が祀られています。
(*三島溝杭姫は、後に三炊屋姫自身だと分かります)


織姫=炊屋姫
織女の名から、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がるのならば、
ミカシヤ姫にこれほど相応しい名はないかもしれません。
彼女は玉依姫(神の魂を下す(声を聴く)巫女)でもありました。

皇子である”宇摩志麻治(ウマシマジ)”の名の由来は、天の川や銀河です。
(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)


夫、ニギハヤヒ命、彼の名の一つには「フル」があります。
これも星を表すのです。
(三は、オリオンの三つ星=住吉神)

後の世に付けられた名か分かりませんが、
彼らの名が、宇宙の星々に由来するものならば、
偶然ではないのでしょう。

今も夜空を見上げれば、彼らの星が輝いています。


*織姫の名は、後に繋がる。
後に分かるのですが、
福岡の七夕神社(媛社(ひめこそ)神社)に祀られているのは、織姫と彦星。
彦星は饒速日命です。

(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~)

ここから、織姫が饒速日命の后である、御炊屋姫に繋がりました。

また、奈良の大神神社の境内に「炊屋神社」があります。

20211118113141_img_7913

大物主の神饌を用意していたという神。

転じて神の妻。


大物主神=饒速日命。
炊屋神=御炊屋姫。

また、瀬織津姫は彼女自身です。
饒速日命は住吉の神、海の神であり、瀬の神。
その名の一つに、綿津見大神があります。

炊屋が織姫ならば、その后とも言われる瀬織津媛が、御炊屋姫でもあるのです。

また、瀬織津姫は弁天様とも言われています。
市杵島姫命も弁天様です。
瀬織津姫=市杵島姫命なのですから、同神です。

天照神の后であるというこの神。
彼が饒速日命であるので、御炊屋姫が瀬織津姫。



                   *

そういえば、前世だったという「古代の奈良の夢」の中での話です。
生駒山の上から白い船(アマノトリフネ)が現れたのを”見た”場所は、
奈良盆地の南西辺りでした。
現実に見えたのではなく、”遠見”(遠隔透視のようなもの?)
によって見たのだと思いますが、
その場所は、今の橿原付近になると思います。

住んでいた場所でもなさそうだったのに、何故、そこなんだろうと
ずっと疑問に思っていたのですが・・・。
ようやくその答えに辿り着いたようです。

古代における星の巡りはとても重要なものでした。
同じく、その場所は”遠見”をするのにも最適な場所だったのかも
しれません。

福岡にある神宮皇后が深く係わる「香椎宮(かしいぐう)」。
その場所も、”そう”だったのかもしれません。

もしかすると、福岡の「香椎」は、
奈良における「橿原」なのかもしれないです。

ミカシヤ姫に関わりがあるかもしれない「橿原」と
神宮皇后が関わる「香椎」
ここでも繋がったようです。

                       .

*ミカシヤ姫は多くの書では「三炊屋姫」と表記されています。
「ミカシキヤ」とルビがふってあることが多いのですが、
友人によると「その違いは些細なこと」なのだそうです。
卑弥呼の呼び方さえ、(ひみこであるか、ひみかであるか、など)
今は分かっていないのですから。
古代の人の名の多くは、後の世に付けられたものでしょう。

(後に分かったことを加筆しました)

2017年11月13日 (月)

裂田の溝ライトアップ(11/18)

11月18日の土曜日、福岡県筑紫郡那珂川町で
「裂田溝(さくたのうなで)ライトアップが行われます。

(去年の記事「神の水路、光の世界。 ~福岡県 那珂川町~」)


伏見神社では19時から岩戸神楽が奉納されます。
(下の写真は、パンフレット)

 

Unade01

下の写真は、安徳台の側の裂田の溝。

Sakuta26

 Unade02_2
今年、見かけるようになった、神功皇后、武内宿禰、現人の三神(住吉三神)
のキャラ。
可愛いですね~。
ミリカローデンで、Tシャツ販売してました。
現人の三神のキーホルダーとかあったら買っちゃうかも。

三韓出征の前にうなでを造ったとありますが、
現人神社の由緒書きには、帰った後となってましたね。
どっちが本当かは謎ですね。
Unade03
ミリカから出発点の伏見神社の側へのシャトルバスはめちゃめちゃ込みます。
去年は1時間半待ったので、神楽に間に合わなかった^^;
歩きなら3キロくらいです。
ゆっくり歩いて1時間。

下の写真は去年のです。

Sakuta19
上と下の写真は、裂田神社
神功皇后が祀られています。
Sakuta05

下の写真は2番目の写真辺り。
Sakuta15
ライトアップは今年で7回目だそうです。
学校や地域の人達の手作りランタンで、裂田の溝が輝きます。
大規模なお祭りではないですが、土地の人の想いが伝わります。

神功皇后や武内宿禰や、現人の神様はとても幸せ者です。


今年も行きます。
お天気に恵まれますように。

                                .

 

2017年11月12日 (日)

光庭 2 ~座敷わらし~

(つづき)

そこで彼女に逢った。
一度も同じクラスにならなかったけど、何となく気が合った。
彼女は”見えない者が見える”人だった。
自分の母親もそうだったので、違和感など感じたこともなかった。

ある日、彼女の委員会があって、会議室の外で待っていた。

すると、赤い毬が転がってきた。
・・・ように感じた。

それは、私の想像だった。
そこに小さな女の子がいた。
赤い着物を着た子。
見えない毬を一度ついて、その子に渡した。

じゃあね。

そう”思った”後、がらがらと会議室のドアがあいた。

「どうした?」
と彼女。
「いや、何でもないよ。どうして?」

「何か気配がしたから。」

想像で遊んでいただけなんだけど。
そう思ったから何も言わなかった。
(そういう事は後にも先にもない)


それからしばらくして、ふと、授業中に絵を描きたくなった。
落書きノートの端に絵を描いた。

おかっぱ頭の女の子。
膝までの着物を着て、毬を持っている。
いつか、頭の中で描いた子だった。

着物は赤色。
黄色い牡丹の花が咲いている。
そして、赤い鼻緒の下駄をはいていた。

そんなことも忘れたある日、彼女が言った。
「うちのクラスに最近、座敷わらしみたいなのが来るんだよね。
 でね、教卓に座って、毬をクラスの子に投げて遊んでる。
 本人達気付かないけど。
 新しい校舎だから、いないはずなんだけど。
 ここら辺、たまねぎ畑だったしね。」

と、あの女の子が急に浮かんだ。
ちょっとぞっとして聞いた。
「どんな子だった?」

「おかっぱでさ、赤い着物着てた。赤い鼻緒の下駄でさ。」
「・・・どんな着物?」

「ここら辺(袖の下の方)と、膝まである裾の下の方に
 大きくて黄色い牡丹の花があった。」

間違いない。
私が描いた子だ。

「それって・・・これ?」
前にノートに描いた女の子を見せた。

「あ~~これこれ。・・・あんたか。」

 

「いや、・・・想像だし。・・・見えてたのか?」と私。

「どっちか分からんね。見えて描いたのか、想像を現実化してしまうのか。
どっちにしろ、もう描かない方がいいね、そういうの。
校舎、お化けだらけになるよ。」

「普段、絵を書いてるけど、何ともないよ?」
「そういうのと、レベルが違うんだろうね。」
「あの子、どうしよう?」
「ほっといていいよ。毬ぶつけて遊んでるだけだし。」

「他に心当りある?」
図星だった。
絵に関しては心当りがあった。
小さい時に、飼っていた犬や猫の絵を描くと、1週間もしない内に
亡くなってしまっていた。
交通事故とか、行方不明とか。

その偶然に、私のせいだと感じてからは、生き物の写生をしなくなった。
でも、学校で描かなければならない時は、何ともなかった。

おそらく、そのものの「死期」を感じて描きとめておきたくなるのだろうと
思う事にした。

だから、自分からは極力、生き物を描かない。

「多分、”そう”なんだろうね。」
彼女は言った。

                    *

つかず離れずだった彼女とは、私が愛知に来た頃に疎遠になってしまった。

彼女の行動が許せないと思った。
自分の価値観とひどく違う、彼女の行動が。

でも、今なら分かる。
彼女が悪いとは言えない。

あの時、本当に許せなかったのは自分自身なんだと。
「それは違う」
と、言えなかった、自分自身。
何故?
嫌われたくないから?

いつの間にか、自分の中の”座敷わらし”を表に出さなくなっていた。
人と違う価値観。
それは一人一人違って、一人一人意味があるもの。
表に出して、歩み寄ることで、一歩ずつ近づいていく。
近づいて、時には新たな物を生み出す原動力となる。

私は、もう最初からそれをするのが恐くなっていた。
                           .

でも、今、この土地に来て、色んな人と触れあって、少しはましになったと思う。
この土地が人が癒してくれたとそう信じている。

子供を産んで、学校や地域と半ば強制的に何かに参加して。
でも、その中でたくさんの人にであって、一緒に何かをして。
それが、私には必要だったんだと。

人は人の中に生きて、その意味を知る。

今、彼女に逢いたいと切実に思う。
あの校舎の光庭にいた彼女と、また逢いたい。
この土地の光庭で、少しはましになった私と。

                        .
座敷わらしは神様だという。
宿主に幸福をもたらす。
子供の神様。

 

光庭

入った学校は出来たばかり。
私達は一期生だった。

校舎の真ん中に光庭というパティオがあって、
色のついたレンガが敷き詰められているだけの場所だったけど、
そこが気に入っていた。

ガラスの向こうの空間が、ひどく懐かしかった。
何故かは分からないけれど郷愁を誘った。

          *

その頃、よく夢を見た。
毎夜毎夜、同じ世界の夢を見た。

あまりにもリアルで、だけど現実離れしている夢だった。
そこで、その光庭を見た。
金色の長い髪の女の人がいつもそこにいた。
そこは温室のようで、見慣れた光庭には植物がたくさんあった。

校舎の光庭とそっくりだ。
夢の中で何となく思った。
・・・だからあんなにも懐かしいのか、と。

ずっと後になって、その夢が前世だと知った。
懐かしいと思ったわけがやっと分かった。

もしかしたら、その”光庭”に刺激されて夢を見たのかもしれない。

 

その学び舎で彼女に逢った。

(つづく)

                      .

 

2017年11月11日 (土)

高祖神社 ~福岡県糸島市~

福岡県糸島市高祖にある高祖(たかす)神社です。
去年の10月2日に書いて、下書きのまま保存してました。
細石神社のご祭神と深い繋がりがあります。Takasu01                                                  .
長い石の階段が続きます。                   .            

Takasu07              .
Takasu03

                                                         .  Takasu06                                                         .     

Takasu04_2
                                                         .
ご祭神は、彦火々出見神。
玉依姫命
息長足姫命(神功皇后)
****************************************************
高祖神社創立の由来
 
高祖神社は彦火々出見命を主座に、左座に玉依媛命、右座に
息長足姫の三柱を祀りする神社で、いま創建の時を詳かに
出来ないが、九州諸将軍記には「神代より鎮座あり神功皇后
三韓より凱旋の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立」と記さ
れている。この機縁で神功皇后を相殿にお祀りした、と伝えて
いる。
 当社は、古代から怡土郡の惣社(中世には怡土の庄一の宮)と
崇敬される神社で、三代実録には、今から約千百年前の元慶元
年九月二十五日癸亥「正六位高磯比賣神に従五位下を授く」と
記されている。この高磯比賣神とは高祖神社のことで、相殿に
玉依媛命、息長足姫をお祀りしてあるので、このように呼ばれ
ていると語り伝えている。

(以下略)
****************************************************

「神代より鎮座あり、・・・古代より怡土国の惣社」とあります。
怡土は、いと。
伊都国のいと。
糸島のいと。

主神 彦火々出見(ひこほほでみ)命は、ここから2キロほど南西にある
細石(さざれいし)神社のご祭神 木花咲耶姫(コノハナサクヤ)姫の皇子になります。

木花咲耶姫は、邇邇杵(ニニギ)命との子を、火をつけた小屋の中で出産しました。
その一人が彦火々出見命(別名 海幸彦、火遠理(ホオリ)命)です。

Takasu05
                                                            .
高祖山の麓にあり、そのお隣の山が飯盛神社のある飯盛山です。

                             .

 

2017年11月 8日 (水)

細石(さざれいし)神社 ~福岡県糸島市~

ここは福岡県糸島市三雲。
旧 伊都(いと)国。

魏志倭人伝に記録され、その場所が特定している国。
神社の由緒書きなどには、怡土国と明記されていることもあります。
その中心部であったという「細石(さざれいし)神社」

Sazare01 ご祭神は、磐長姫
木の花開耶(このはなさくや)姫(日向一代ニニギノミコトの妃)

Sazare03

糸島や博多近辺には、神話の天孫降臨に係わりのある神が祭られた神社や、
地名や地形が数多くあります。
その為、この辺りが神話の地ではないかという説もあります。                   

Sazare04
細石神社の「さざれ」は、国歌の「さざれ石のいわおとなりて・・・」の
歌詞の元になった場所だとも言われています。
「儺の国の星」に記述があったなと、紐解いてみました。
著者 真鍋大覚氏。
このブログで何度か取り上げています。

儺の国の星~宇摩志麻治の名の意味~」など

「儺の国の星」
鐸石別星(つくしわけのほし)の項
******************************************************
古今和歌集巻七 賀歌の條に
 わがきみは 千世にやちよに さざれいしの
 いはほとなりて 苔のむすまで

 簓星(ささらのほし)がその本(もと)の名であった。杷石(さされいし)とは
砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。
”いわほ”とは鉄のことである。鉄が分解して赤鉄鉱 Fe2O3 に
銹(さび)となって化し、苔が吸収するまでの過程を述べた古歌であった。
しかしこの内容をみる限り、砂礫が地球の造岩作用によって岩石に個結し、
ついには塵埃となり、草木に吸収されるまでの過程を説いたことになる。
            (中略)
古事記には垂仁帝の皇子に伊登志別王(いとしわけわけのきみ)があった。
これを筑紫では鐸石別命(つくしわけのみこと)と書き、鞖鞴(たたら)の
元祖とした。        (中略)

鞖鞴(たたら)の鉄宰は永久に苔むすことがない。
                                    (中略)
従って上述の古歌は千歳の年月を祝った内容に外ならなかった。

(楽譜についての記述もありました。
香椎宮所蔵の資料を提出したのが、時の宮司木下美重。
この楽譜を解読翻案した結果があの国歌の楽譜になったとも、書かれてあります)
*****************************************************************
国歌の歌詞も曲も筑紫と深い関わりがあるようです。                      *

「さざれいし」が境内にある?と探してみましけども、よく分かりませんでした。
この上の??                            .
Sazare07 狛犬。何となくかわいい。

Sazare08 Sazare09 境内にある岩。
しめ縄がしてあります。Sazare05 Sazare06 ご神体だそうです。
石の中央、上の方に龍が浮き出ています。
人が彫ったものでなければ。
角の周りには、花びらのように、ひらひらとした風になびくたてがみ。
とても美しいです。
写真を拡大してください。
龍か・・・麒麟にも・・・。見えますか?

2017年11月 4日 (土)

ナガスネヒコ ~宿禰の初め~(改訂版)

後に分かったことを踏まえて改訂します。

 

神功皇后は、別の名を息長垂姫(おきながたらしひめ)。
垂の字は、高良玉垂命と対になる名です。
高良神は饒速日命であり、彼女は御炊屋姫。

では、息長の名も何か意味があるのかもしれません。


その名から、ナガスネヒコに繋がりました。

 


< 神話での息長 >

神話では、息長(おきなが)氏を名乗ったのは、応神天皇の皇子、意富富杼王。

応神天皇の母、神功皇后は息長足(帯)姫(おきながたらしひめ)とも言われます。

その父は開化天皇の玄孫の息長宿禰王、母が天日矛の裔の
葛城高額媛。

では、記録にある「息長」という名が初めにつくのは、神功皇后の父親ということです。
「息長」は、代々受け継がれてきた名のようです。

父 息長宿禰王        母 葛城高額媛
(開化天皇の玄孫) (天日矛の裔)
|_________| 
|
      神功皇后(息長足(垂)姫)       

 

                           *

しかし、これは神話上での話。
開化天皇、天日矛は、饒速日命であることが後に分かります。

開化天皇は高良の神であり、饒速日命。
天日矛はツヌガアラシト神であり、牛頭天王であるスサノオ命です。

スサノオ命さえ、饒速日命。


つまり、彼女の親類すべて創作(名を替えた彼)であり、彼に繋がりました。
また、彼女は彼の后であった御炊屋姫です。

神の名は、対になることがあります。
櫛玉彦と櫛玉姫。
豊玉彦と豊玉姫など。

では、おきながの名前自体、彼を意味するものなのでは?

 

< おきなが >


では、息長とは何を意味するのか。

「おき」と聞いて思い浮かべたのは「玉置山」。
(読みは、たまき。「たまおき」から、たまきになったと思われます)

玉置山は、「饒速日命」がもたらした「十宝神宝」を祀った(置いた)とされる奈良にある山。


「おきなが」は、「置く」、「な」、「が」なのでは?

言霊の「な」は、 「成す、為す」。
儺国のなであり、奈良のな。リンク→(「儺の国と奈良」)
完全な、神がかり的という意味を表す。
(「なら」は、成す、完全な(神)と「ラ」光、神で、「神の光、神の国」の意味)

では、「が」の「神」を「置く」。


「が」は「賀」を意味するのか?
   
そこで、さほさん(前世の仲間の一人)が「賀」は、「スサノオ」を意味していると教えてくれました。
(須賀神社がそうです)

ならば、「スサノオの神を置く」。
名につけるということは、「置く」は魂を受け継ぐ、継承を意味する。

彼は饒速日命であるので、饒速日命の魂を受け継ぐ。

彼は十種神宝を所有していました。
彼の魂を受け継ぐということは、それを受け継ぐことにもなる。

 

では、おきなが姓は、饒速日自身を意味し、十種神宝を受け継ぐという意味になります。

 

神功皇后が息長垂(足)姫であり、対の名を意味するのならば、


垂は高良玉垂命の垂。

おきながも、饒速日命を意味する名。

ということになります。

 

では、饒速日命も「おきなが」であったのかもしれません。

 

< 「儺の国の星」のおきたま >

「儺の国の星」に”おきたま”について書かれてありました。
”たまおき”も同じ意味だと思います。

”おきたま”とは、月日を置き並べる暦作りの意であった。
”た”は月で Thala(ターラ)なる古代地中海語の略である。
”ま”は胡語の Mutso(ムツオ)、Mutesa(ムテサ)、Massa(マサ)なる
日神或は Maruh(マル)なる星神の略と思われる。


日の神であり月の神であり、星の神、布留(フル)である饒速日命。
玉置神社の”たま”とは、十種神宝の”たま”であり、日月の神である彼そのものを表すのかもしれません。

では、玉置も、十種神宝(=饒速日命)を置く=祀るという意味にもなります。


また日嗣(ひつぎ)の御子の「日嗣」とは、暦を表し継ぐことを表すそうです。
 (「儺の国の星」より)

 

< ナガ >


また、仏教の聖典では、「ナガ」族とは「龍王族」のことです。
 (「長い」の語源は、ここにあるのかもしれません。)
 (*注釈 仏教が日本に入った時に言葉が入ったということではないです) 

  

田んぼの神でもある「水蛇」でもある。
蛇神と言えば、三輪の神。
蛇は龍と同義。
前にブログに書いたことがあります。

(☆→大神神社と大物主神)

三輪の神は、ニギハヤヒです 。

また、ナーガは、古代の共通語でした。
******************************************

熊本のパワースポットとして有名な巨石がある「押戸石(おしといし)の丘」
この巨石にはペトログラフが刻まれていて、その一つが「ナーガ」。
蛇神を表します。

*「押戸石の丘」ホームページ
http://oshitoishi.com

ペトログラフはシュメール文明との関係も示唆しています。
「ナーガ」の言葉が蛇神であることは、すでに知られていたことなのでしょう。
********************************************   

おきなが姓は、龍族を身に置く。

龍王族の長、のような意味でもあるのでしょうか。

 

では、スサノオ命を意味する「が」は、元々ナーガ(龍王族)を意味するものであったのかもしれません。

 

< ナガスネヒコ の 名の意味 >
         .

「ナガ」のつく名でもう一つ。
その「饒速日命」の正妻、御炊屋姫の兄の名は「ナガスネヒコ」と言われています。

この「ナガ」も「龍王族」を意味するのかも。

「ス」は言霊の「中心」という意味なのかな。

「ネ」は、「根」だそうで、
前に神社で聞こえたことがあったのですが、「神や貴人のつく名称」です。

(☆→伊勢(摂社

 

では、龍王族の中心の神という意味になります。

するとさほさんが、「す」はそれこそ、「須賀」の「須」なのでは?と。
「須賀」、スサノオを表し、須賀神社のご祭神は彼が祭られています。
(スサノオ=饒速日命)

「ヒコ」は「身分の高い者の尊称」。              .

「ナガスネヒコ」

その名が「龍王族」の「須(須賀)」の「根」であるならば、
「饒速日命」そのものを表しているのでは?

「ナガ族」の「須」の「根」。
竜王族の中心の神。


それが「ナガスネヒコ」の意味ならば、饒速日命自身が「ナガスネヒコ」です。

                    *

 

御炊屋(ミカシヤ)姫だという前世の夢の時、彼女の兄「ナガスネヒコ」を見てないのです。
(年の離れた弟はいましたが)
たまたま、いる時の場面を見てないだけなのかも知れないのですが、
ヒプノの時も見ていませんし、気配もありませんでした。

もしも、「兄」をどうにかされていたのなら、「饒速日命」に対して負の感情が少なからずもあるはずですが、それも全く無いのです。

「ナガスネヒコ」というという存在自体、架空のものでは。
もしも、その名が「饒速日命」そのものを表すのならば、尚更です。

息長族、神功皇后、三輪の神。
そして、ナガスネヒコ。
このつながりは、偶然とは思えません。

 

*では、「息長(おきなが)」姓もナガスネヒコも、饒速日そのものを意味する名です。

 

「根(ネ)」を調べていて面白いことが分かりました。

宿禰の「ネ」も、「少根」と表記されることもあり、ウィキには


「オオネやスクネの語尾「ネ(称号)」は神別氏族の軍事的長の称号である」とあり、
また、「主に物部氏や蘇我氏の先祖に宿禰の称号が与えられた。
8世紀には八色の姓で制定された、姓(カバネ)の一つとなった」
とあります。  (Wikipedia「宿禰」

  


ここでも物部氏?
ニギハヤヒとミカシヤ姫は物部氏の先祖。
ナガスネヒコの「スネ」が「宿禰」の元なのでは?

 

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この回、改訂しました。

後に分かるのですが、神話の神はすべて彼ら二人に集約されます。

故に、神話、伝承は、同じ存在を何度も登場させていたのです。
ナガスネヒコが饒速日命ではないかという説、かなり有力だと私は思ってます。

神話では神功皇后の母の家系に連なるとされる、天日矛はツヌガアラシトであり、現人神社の神でもある住吉神でした。

父の家系にある開化天皇は、神功皇后と夫婦であり、住吉神と同一だとされている説もあります。

その住吉神は、筑後一ノ宮の高良大社の高良神であり、神功皇后と夫婦でした。

(高良玉垂宮神秘書より)

 


つまり伝承の「神功皇后」の夫は、

住吉神でもあり、高良神でもあり、(伝承での)開化天皇であり、ツヌガアラシトでもある。
彼らは、すべて同一人物、ということです。

では、神話の初めにある「住吉神」。
神功皇后と夫婦ならば、彼女も「神話の初め」に位置する存在であったのです。



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