遠見山
前回の遠見岳は、「神功皇后が三韓出兵のみぎり、異国を望んだところ」と
されています。
博多湾周辺には、神功皇后が登り、遠見や神事をしたという
伝承が残る山が幾つもあります。
その一つが脊振山です。
ここにも「異国を望んだ」、という伝承と、
神を祀ったという伝承が残っています。
遠見岳と脊振山、そのどちらが先に登ったかは分かりませんが、
「遠見」が「異国を望むこと」、つまり「三韓を見ること」でないことは
明白です。
高い山に登ったくらいでは、海の向こうの国は見えない。
そんなのは最低、一つの山に登っただけでも分かります。
幾つも登る必要もないのです。
全ての山で神事をした訳でもなさそうです。
では、「遠見」とは何なのか。
何故、そんなに山に登る必要があったのか。
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以前のさほさんからのコメントで思い至ったことがありました。
(「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味」のコメント)
「橿原」は星の観測台だった・・・。
奈良の橿原と言えば、ちょうど私が夢の中で最初にいた場所に当たります。
「古代の前世の夢」の中です。
以下は「儺の国の星」のコメントに私が書いたことです。
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夢の中でアマノトリフネを見た場所は、見た時の、
周りの地形から推測しても
今の橿原神宮辺りになるのかも。
「遠見」と言ってるのは、遠隔透視のようなので、
見晴らしとか、距離は関係ないみたい。
超能力のようなものだから。
でも星を見る観測台としての「橿原」なら、
畝傍山になるのかな?
そこで星見てたかどうかまでは、分からない。
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橿原神宮の場所。
そこには畝傍山があります。
その・・・遠見をしたのが、畝傍山なら?
畝傍山は、「大和三山」の一つ。
奈良での「結びの山」なのです。
奈良と伊勢の旅 旅の意味 その2 ~三四五の封印~
「結びの山」は、博多湾周辺にもあり、
飯盛山、若杉山、基山がそれに当たります。
「矢の元」の山は脊振山でした。
「結びの山」については、以下のリンク先などにあります。
結びの山 ~その5 筑紫三山 ~
以下、「結びの山」 のシリーズ。
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その筑紫の「結びの山」と、畝傍山が「遠見」の言葉で
ようやく結びついたのです。
前世の夢の「遠見」の映像は、”見えないはずの遠くの場所を
リアルタイムに見る力”だと思っていました。
でも、そうだとしたら疑問に思うことがあったのです。
その遠見で「アマノトリフネの映像を見た」時にいた場所は、
橿原の畝傍山辺り(奈良盆地の南西)でしたが、
実際に「彼らが襲来してきた時に自分がいた村」の場所は、もっと北です。
(奈良盆地の西側。矢田丘陵よりは南だと思う)
「遠見」の映像は「アマノトリフネが生駒山の上を越えて浮遊してくる場面」と
「その麓の村(おそらく)今の矢田丘陵(奈良盆地の北)辺りの村が
襲われてる場面」
その映像と、実際に「自分の村に襲来する時」とに、
ズレがあるようなので、何故なのだろうと思っていたのです。
それがようやく分かりました。
あれは、”遠見”ではなく、”予知”なのではなかったのか、と。
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大和三山の畝傍山が「結びの山」の一つであるなら、、
その頂上の”特殊な場”の力を借りる為に、あの場所にいたのではないか。
未来を予知する為にあの場所にいたのではないか。
あの場所だからこそ、”視えた”のではないか・・・。
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そう思い至って分かったのです。
もしかすると、神功皇后が幾つもの山に登ったのは、
「予知」ができる程の場を持った山を探していたのではないか。
筑紫での力場である「結びの山」を。
もしかするとその過程で、神に出会い、祀っていったのではないか。
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伊野の神様は、後に3度移動されることがあったそうですが、
伊野に戻るようにその度に神託を出したそうです。
とてもその場所が気に入っていたようです。
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