斎宮(いつきのみや) ~福岡県糟屋郡~
福岡県糟屋郡久山町山田にある「山田邑斎宮」です。
つい先日行きましたが、銀杏が色づいていてとても綺麗でした。
神宮皇后が宮を構えた地、だそうです。
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神功皇后と斎宮
神功皇后は、「古事記」「日本書記」に登場し、日本史上はじめ
て朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。「日本書記」巻第九
神功皇后(気長足姫(おきながたらしひめ))の章には、夫である
仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、応神天皇をお産みに
なられた宇美八幡宮などとともに斎宮のことが記されています。
「日本書記」によると神功皇后は仲哀天皇が香椎宮でお亡くなり
になると小山田邑(むら)に斎宮を遷らせ、
自ら神主となられています。この斎宮の故地について、江戸時代の学
者貝原益軒が「筑前国風土記」のなかで次のように述べています。
「聖母屋敷 上山田にあり。其所に 神功皇后の御社あり。
是 神功皇后斎宮の址(あと)なるにや。」「此山田村、香椎に近ければ、
此村にある聖母屋敷こそ、まさしき斎宮の址には侍るべき。」
ここ山田の地に鎮座する斎宮は、日本最古の国史に記載された
「小山田邑 斎宮」の此定地とされる神社です。千数百年の間、
人々に深く信仰され、大切に守られてきました。
町内には、六所宮跡や審神者(さにわ)神社など神功皇后にゆかりの
深い神社や、神功皇后を描いた絵馬などが多く残っています。
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聖母屋敷の「聖母」は「しょうも」と読みます。
神功皇后が八幡神であるという応神天皇の母であるとされることから、
そう呼ばれています。
香椎宮で仲哀天皇が亡くなった後、こちらの斎宮に移り、七日七晩祭事をした
とされています。
前回の記事の「黒男神社」にもありましたが、
黒男神社の場所は、その時に武内宿禰が陣を張った場所でした。
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初めてこの場所を知った時、「斎宮」という名を聞いて初めに浮かんだのは、
伊勢神宮における「斎宮」の存在です。
三重にある「斎宮」は、天皇に代わって
伊勢神宮に仕える為、天皇家の皇女が住まう地(役所)でした。
かなり前に行きましたが、「仕える者が住む地」にしては、
伊勢から随分離れてるなという印象でした。
伊勢の神は祟る為、祀る。
天皇家は近年になるまで、伊勢神宮に参拝することがほとんどなかった。
という話を聞いたことがあります。
「祟る神」かどうかの真偽は分かりませんが、
「仕える者の地」が遠い理由としては、納得ができます。
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ですが、この場所は、九州の伊勢とも言われている
「伊野天照皇大神宮」にとても近いのです。
ほぼ直線距離で1.6キロ。
歩いても30分程です。
「伊野」のご祭神は、天照大御神。
その天照は、「撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)」とされています。
つまり天疎向津媛命(あまさかるむかいつひめのみこと)です。
前に来た時は、ここの存在も知らず、気付かなかったのですが、
神功皇后が祀るのならば、向津媛ではなく、饒速日(にぎはやひ)神
なのではないかと思いました。
(「結びの山 最終章 ~ 結び 夢か現か~ 」)
皇后という天皇家の立場でありながら、こんなにも近くに宮を構えることが
できる。
彼女はただ一人の例外です。
これは、確かめてみたい。
「伊野」の神様が、饒速日なのかどうかを。
そう思いました。
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(つづく)
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