神の鉾 1 ~伊野の鉾~
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。
それを友人のブログで見た時、天啓のようなものがありました。
これは、「あの鉾だ」と。
伊野天照皇太宮の神殿にある鉾です。
ここにある鉾が現物ではないですが。
このブログにここ最近、何度も書いている彼女は、「5人目の仲間」
に登場している人です。
「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用
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崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。
(中略)
ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。
代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・
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*楯原神社は、大阪府にあります。
*品陀和氣命は、神功皇后の御子、応神天皇のことです。
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以前、伊野の天照皇大神宮で、「天疎向津姫命」ではないのではないか、
と感じた違和感の正体。
これが答えなのか、と。
大国主には様々な伝承があり、また長い時の中で統合されて、
(ほとんどの神がそうですが)
元の神様とかけ離れているかもしれません。
でも私は、大国主が三輪山の神である大物主だと思っています。
三輪の大物主。
ニギハヤヒです。
*
神功皇后にとっての「天照神」は、ニギハヤヒではないのか。
そういえば・・・と、そこで思い出したことがありました。
筑紫にある独特の伝承。
筑後一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述を。
(つづく)
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