黒男(くろどん)神社 ~福岡県糟屋郡~
「くろどん」とちょっと変わった名前の神社です。
神功皇后と常に行動を共にしていたという、
彼女の片腕 武内宿禰が祀られています。
福岡県糟屋郡久山山田。
トリアス久山というコストコが入ってる商業施設のすぐ裏にあります。
道路側からは入れる道がなかったので、トリアスの川沿いの駐車場に
停めさせてもらっていきました。
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お椀をかぶせたような山の麓にあります。
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銀杏が色づいていました。
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黒男神社由縁の概略
筑前国糟屋郡山田村字カタ山という山麓に黒男(くろどん)神社
という社あり。
鎮座の由来は人皇の始め神武天皇より代十四代の帝、
仲哀天皇の御代に始まる。
仲哀天皇の御代の御代日向の国に熊襲と云う賊ありて勅命に
順わなかったので、之を討伐せんと都より筑前の国香椎村に
幸行され大宮を造られた。
皇后(神功皇后)、諸大臣と国賊討伐の儀を計られ、之を討たれたが
利あらず香椎宮で神去り給うたのである。
討伐についての御神託をお聞取り給わなかった事とて皇后は深く悲し
まれ神託の報いならんとして罪あらためんと香椎村の隣である山田村
(昔は小山田村と云う)に斎宮を造られた。之が聖母(しょうも)屋敷
(山田)である。
之の斎宮に三月朔日を吉日として主ら神主となり七日七夜入り給うた。
之の御神事の隙をついて賊の征来たらん事を恐れ二月二十九日より
武内大臣(宿禰)を大将としてカタ山に陣を張った。
昔はかため山と云ったが中昔よりカタ山と云う。
之の時皇后に随ておられた大彦命の御子武渟川(たけぬなかがわ)別命も
カタ山に陣してしばし足を止められている内に一子を挙げられ、その子孫が
年月と共に繁栄し数十戸に及んでいる。之が阿部氏の先祖である。
之の様な由縁で武内宿禰の薨去後同氏の人達は先祖であるとて御社を
新築し大臣の霊を斎し黒男神社と唱え二十九日は由縁ある日として祭
日とし祭祇を怠らなかった。
(中略)
武内宿禰は第八代孝元天皇の御孫屋主忍男雄心命の御子である。
第十二代景行天皇の御代より成務、仲哀、応神、仁徳の五代に
おつかえした名臣であり、百司をすべ万機を司る国家の棟梁であった。
(以下略)
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武内宿禰は、300年生きたとも言われています。
黒男の名の由来は、当時纏っていた武具に黒っぽいものが
多かったからでしょう。
優しい顔をしたその風貌が少しでも隠せるように。
例え、百兵の中にいても一目で彼だと、皇后に分かるように。
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カタ山に花がいました。
仲哀天皇が亡くなった香椎宮から、この場所まで、4.7キロ。
歩いても1時間強です。
さらに皇后が宮を構えた斎宮まで、1.6キロ。
この辺りは、とても奈良に似ている。
山に囲まれているからかな。
斎宮は皇后が滞在する場所としては、最適だったのかもしれません。
「御神事の隙をついて賊の征来たらん事を恐れ」
という表記。
神功皇后達はこの後、 何度か「賊」と戦い、これを滅します。
それが「まつろわぬ者」なのか、伝承の通り「人でない姿の者」なのか。
武内宿禰はその賊から、神事中の皇后を守る為、ここに陣を張ったのです。
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前回の記事ですが、「香椎宮」に繋がるとは思いませんでした。
ここへは、それを書く前に来たのです。
この流れは、みちびきを感じます。
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次は斎宮(いつきのみや)です。
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