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2017年11月14日 (火)

御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味~「儺の国の星」の炊屋星~

真鍋大覚氏が記された「儺の国の星」。
そこに「ミカシヤ姫」の名の由来となる項がありました。

「儺の国の星」(炊屋星・かしきやぼし)の項より要約。
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琴座 Lyra(リラ)

推古帝(五九三~六二八)の御名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。
織姫を雉鳥石星(かしわのほし)或は梶葉星(かぢばぼし)と言う。
舸子場(かしば)とは船著場のこと。

織姫が自ら船を漕いで牽牛の許に赴くべきものと遠い祖先は考えていた。
 昔は楮(こうぞ)と同じその皮を剥いで衣服の繊維を取っていたところから、この神話伝説が生まれたものと考えられる。
木の皮は細く裂いて水に晒す。


 
織女を志摩星或は斯和星(しわのほし)と言う。
”かしきやぼし”の略と思われる。
西海では船の用材になる木をすべて”しば”と言う。
芝とは船人の別名にも当てられることが多かった。
 魏志倭人伝の伊都国に泄謨觚(しばこ)、奴国に兜馬觚(しまこ)の名がみえる。
いずれも女王、或は后妃であって専ら海と空の天気の託宣を行う巫人のこと。


樞(すう)の右は口ではなく田を書いた。
方位を決定するに中心となる星のことであった。
別の形で橿原は赤緯を見る観測台のことであった。
(かしはらも星に関係するということ)
               
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この「炊屋星」の項。
略したところもかなり面白いので、後日またUPします。

織女星の名という”炊屋星(かしきやぼし)”
三炊屋(みかしきや)姫の名は、おそらくここからなのでしょう。

「三」は、ニギハヤヒ命を表します。
娘に三島の名がつく者がいたり、三島神社の多くはニギハヤヒ命が祀られています。
(*三島溝杭姫は、後に三炊屋姫自身だと分かります)


織姫=炊屋姫
織女の名から、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がるのならば、
ミカシヤ姫にこれほど相応しい名はないかもしれません。
彼女は玉依姫(神の魂を下す(声を聴く)巫女)でもありました。

皇子である”宇摩志麻治(ウマシマジ)”の名の由来は、天の川や銀河です。
(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)


夫、ニギハヤヒ命、彼の名の一つには「フル」があります。
これも星を表すのです。
(三は、オリオンの三つ星=住吉神)

後の世に付けられた名か分かりませんが、
彼らの名が、宇宙の星々に由来するものならば、
偶然ではないのでしょう。

今も夜空を見上げれば、彼らの星が輝いています。


*織姫の名は、後に繋がる。
後に分かるのですが、
福岡の七夕神社(媛社(ひめこそ)神社)に祀られているのは、織姫と彦星。
彦星は饒速日命です。

(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~)

ここから、織姫が饒速日命の后である、御炊屋姫に繋がりました。

また、奈良の大神神社の境内に「炊屋神社」があります。

20211118113141_img_7913

大物主の神饌を用意していたという神。

転じて神の妻。


大物主神=饒速日命。
炊屋神=御炊屋姫。

また、瀬織津姫は彼女自身です。
饒速日命は住吉の神、海の神であり、瀬の神。
その名の一つに、綿津見大神があります。

炊屋が織姫ならば、その后とも言われる瀬織津媛が、御炊屋姫でもあるのです。

また、瀬織津姫は弁天様とも言われています。
市杵島姫命も弁天様です。
瀬織津姫=市杵島姫命なのですから、同神です。

天照神の后であるというこの神。
彼が饒速日命であるので、御炊屋姫が瀬織津姫。



                   *

そういえば、前世だったという「古代の奈良の夢」の中での話です。
生駒山の上から白い船(アマノトリフネ)が現れたのを”見た”場所は、
奈良盆地の南西辺りでした。
現実に見えたのではなく、”遠見”(遠隔透視のようなもの?)
によって見たのだと思いますが、
その場所は、今の橿原付近になると思います。

住んでいた場所でもなさそうだったのに、何故、そこなんだろうと
ずっと疑問に思っていたのですが・・・。
ようやくその答えに辿り着いたようです。

古代における星の巡りはとても重要なものでした。
同じく、その場所は”遠見”をするのにも最適な場所だったのかも
しれません。

福岡にある神宮皇后が深く係わる「香椎宮(かしいぐう)」。
その場所も、”そう”だったのかもしれません。

もしかすると、福岡の「香椎」は、
奈良における「橿原」なのかもしれないです。

ミカシヤ姫に関わりがあるかもしれない「橿原」と
神宮皇后が関わる「香椎」
ここでも繋がったようです。

                       .

*ミカシヤ姫は多くの書では「三炊屋姫」と表記されています。
「ミカシキヤ」とルビがふってあることが多いのですが、
友人によると「その違いは些細なこと」なのだそうです。
卑弥呼の呼び方さえ、(ひみこであるか、ひみかであるか、など)
今は分かっていないのですから。
古代の人の名の多くは、後の世に付けられたものでしょう。

(後に分かったことを加筆しました)

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コメント

おはよう(^^)

益田の岩船がちらつく…
天文台説もあるもんね。
でもあそこから生駒山見えるかな?
高さがあればみえるかも…
今は竹に覆われて見晴らし悪いもんね。

さほさん、こんにちは

夢の中でアマノトリフネを見た場所は、
見た時の、周りの地形から推測しても
今の橿原神宮辺りになるのかも。
「遠見」と言ってるのは、遠隔透視のようなので、
見晴らしとか、距離は関係ないみたい。
超能力のようなものだから。

でも星を見る観測台としての「橿原」なら、
畝傍山になるのかな?
そこで星見てたかどうかまでは、分からない。

益田の磐船の場所だと、東や南北方面は見渡せるけど、
西は見えないもんね?

畝傍って名前にも何かありそうね。

って、今グーグル見たら、畝傍山って、
橿原神宮のとこにあるんだね!
間違いないかも


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