神路山~遠見岳登山 ~福岡県 久山町~
神路山・・・かみじ山は、福岡県糟屋郡久山町猪野、
伊野天照皇大神宮の裏手の山です。
三重県の伊勢神宮の南に広がる山も神路山でした。
前回のお社から少し登った所です。
木々の間に「心柱」が見えます。
斜面を沿うように登ります。
ここでようやく、前に登った「飯盛山」が小学生でも登れる初歩的な山と
言われているのかが分かりました。
あの山には、こんな場所はなかったです。
斜面は、当たり前ですがとにかく滑る。
斜面を沿うような箇所には、このように杭が立ててあって、鎖やロープが
引かれてあります。
できるだけ、ロープを持って慎重に登りました。
一度、危うく滑落しそうに・・・。
そこでふと、思い至ったのが、
このままどうにかなってしまったら、
私がここにいることを誰も知らないという事実。
これからは山に登るかも知れない時は、せめて家に書き置きしていこう・・・。
靴も普段靴だったので、これからは車に登山靴を常備しておきます。
(また登るつもりかい^^;)
今回、引かれるままに登ってしまったので、十分な用意をしていきませんでした。
登山道も先に把握してなかったのですが、後からネットなどを見ても無かったので、
「行ってみなければ分からない」感じです。
道しるべは、木の枠の小さな階段と、先ほどの様な杭と鎖。
その階段も、踏みならされた道もなくなって、ふと迷った時、
そこでじっと立って静かに辺りを見てみると、少し先に階段が見えます。
次はどこへと思う時に、自然と辺りをよく観察していたようなのですが、
これも後になって(帰りの時に)大切なことだったのだと気付きました。
まっすぐ行けば近道なのに、なぜ大回りをするのかな・・・。
あぁ、木が積み重なって通れないのか、など。
帰りの道の時、その箇所でほんとに迷い、それを思い出して
登山道に出ることができました。
登山に慣れている人は、自然とこういう知識が身についているのでしょう。
.
登っていく内に涙が出ました。
登山は、まるで「生きて行くこと」のようだと思ったのです。
斜面にこれだけの杭を打って、鎖をかけていった人、
木の枠の階段を地面に埋めていった人の労力。
大変なものだったと思います。
安全に登れるようにと願いを込めて。
一人でも、一人の力で登っているわけではない、と。
しばらく登ると、「遠見岳登山道」という標示板に出会います。
お社のすぐ裏の山が神路山であり、
境が分からなかったのですが、峰続きの山が遠見岳になります。
遠見岳は、神功皇后が仲哀天皇と「遠見」をする為に登った山なのです。
木々の間から、山々が見えます。
写真を撮ることも自分にとっては大事なことでした。
「登りの時、左側に景色が広がる」
そう認識できていたので、帰りに迷わなかったのです。
頂上まで300M の標示板。
山の300M はまだまだ先。
もうすぐ頂上という時にふと斜面の下を見ると、コンクリ?の道が!
あんな道あるの??
登ってきた道に合流する、作りかけの道もありました。
頂上まで登山道を整備するのでしょうか。
もうすぐ頂上です。
東屋???
ほんとに東屋でした。
こんなところにまで資材を運んだとは。
「仲哀天皇神功皇后異国望見の地」という標識がありました。
「神功皇后が三韓出兵のみぎり高岳に上りて異国を望み玉いしところ」
とあります。
さすがに身重では登れませんので、仲哀天皇と香椎宮に滞在していたという
期間に登ったのかもしれません。
上の写真は、南西。
油山、脊振山系の方向。
西の方角。
写真の右端にある一番高く見える山が、立花山。
北西。
博多湾の方角です。
東屋の中から撮りました。
遠見岳 標高323M
.
頂上の印、三角点です。
頂上から降りてすぐの場所。
左側に階段があり、そちらの方向へ進んでいってしまいました。
少し行ってから、「来る時は左側に眺望が見えたから、こっちじゃない」
と気がつきました。
登る時はひたすら上への道を進むだけでしたので、迷わなかった道も、
帰りは下る道がいくつかあり、迷う事があります。
そんな場所には、道を塞ぐように大きな木の枝が置かれてありました。
.
山登りは楽しい。
人生観が変わるという人がいたけど、こんな低山でもそれが分かる気がします。
気付かなければ過ぎてしまう。
気付こうとして、心を向ければ、色んなことを教えてくれる。
子供もいつか連れて来て、あの眺望を見せたい。
そう思いました。
登れば、そこに世界が広がっていることが見えてきます。
きっと受け取れるものが、そこにはある。
神路山とはよく言ったものです。 .
できるだけ安全に、多くの人に登って欲しい。
・・・それには整備されたあんな道も必要なのかな。
(つづく)
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