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2017年12月31日 (日)

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~(改訂版)

「冷水峠」は、筑後国風土記の「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」でした。
では、そこを舞台にして、二つの伝承が存在します。

 

< 大根地山 >


一つ目、「冷水峠の側にある「大根地山」。
(「二つの伝承 5 ~大根地山~」)

大根地神社の由緒書では、「神功皇后」がその山頂で舞を舞い、天神地神を召喚しています。
「羽白熊鷲」を退治する為でした。

その「羽白熊襲」は、高良の伝承にあります。

それは、「ヰルイ(異類)」と呼ばれる者。
その一つが、「羽白熊鷲」です。

それを退治したのが「高良神と神功皇后」。 
彼らは常に行動を共にし、それらを退治していたのです。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)

☆1 では、「大根地山」の伝承は、高良の伝承と重ねると、
「高良の神」と「神功皇后」が「羽白熊鷲」を退治したことになります。

 

もう一つは、筑後風土記の「荒穂神社と筑紫神社」の伝承です。
二つの伝承を繋ぐものが、その二つの神社にありました。



<荒穂神社と筑後風土記(筑紫神社)>

同じ話が元になった、その二つの神社の伝承。
しかし、退治した者の名に違いがあるのです。


☆2 「荒穂神社(基山周辺の伝承)」では、「五十猛命」。
☆3 「筑紫神社」の筑後国風土記では、甕依姫(みかよりひめ。
(神社の御由緒にはないが、筑後国風土記に名がある)。

(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

この二つの神社の伝承は、
同じ場所(鞍韉盡坂・したくらつくしのさか)」で、
同じもの「命尽くし神」を退治した話であり、
同じ話が元になっています。

☆4 ならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人が、「命尽くし神」を退治したことになります。

では、彼らは、二つの神社のご祭神の中に、名が残されているはず。


<御祭神の正体>

 「荒穂神社」のご祭神は、
   瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、後に後付けされたものなので除外。
「五十猛命」は、基山の神であり、高良神でありました。
(「二つの伝承  2 ~荒穂神社~」)

また、一柱以外は「饒速日命」と同一の神です。
(「神の鉾 4 ~天照の分御魂(わけみたま)~」)

つまり高良神は、饒速日命であり、これらすべての神と同神です。

残るは、「宝満大神」。
               

「筑紫神社」の御祭神は、 

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと
(「二つの伝承 4 ~筑紫神社~」)

「筑紫国の国魂神」は、筑後国一之宮の高良大社の御祭神、高良神。
彼は、五十猛命と同神の「饒速日命」です。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残ります。

この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとあります。                                           .
「竈門神社」とは、太宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。
荒穂神社の「宝満大神」も、同じ「玉依姫」です。


では、両神社とも同じ名が表れました。

☆5 「高良神(饒速日命)」と「宝満大神(玉依姫)」です。


筑紫の神は「高良神」であり、「命尽くし神」は退治された方の悪神。

では、☆2と☆3の伝承と、両神社の御祭神は同じです。

両神社に祀られる神の名(☆5)から、
☆2の基山周辺の伝承の「五十猛命」と
☆3の「筑紫神社(筑後国風土記)」の甕依姫と、
それぞれの伝承にあった神は、実は一緒に行動していたことが分かります。

☆6 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)です。



<宝満大神(玉依姫)とは>

その神が祀られる、太宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫、神功皇后、八幡大神。 

20220118132327_img_8548

(宝満山 上宮)

      
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、称号のことです。
神武天皇の母とされますが、この辺りには彼の伝承はありません。

同じ社に祀られる神は同じ。
彼女は、神功皇后であり、「玉依姫」と言われている一人です。

では、荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、共に神功皇后。

そこに祀られる八幡大神は、饒速日命。

(「気比神宮 ~神功皇后と応神天皇の伝承地~」)      

彼らは、ほとんどの社で一緒に祀られます。
(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)



ここから、神功皇后の名が導き出されました。
宝満大神の玉依姫は、神功皇后です。

☆7 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)=神功皇后です。


                     *

< 二つの伝承の神 >

すると、二つの伝承とも同じなんですよ。
「大根地山」と「荒穂神社と筑紫神社(筑後国風土記)」の伝承。
そこから導かれる神の名が。


☆1「大根地山(大根地神社)」と高良玉垂宮神秘書から。
「高良の神」と「神功皇后」が「羽白熊鷲」を退治した

「荒穂神社」と「筑紫神社」の御祭神から

☆7 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)=神功皇后です。

 

「命尽くし神」の伝承の正体が見えました。

「鞍韉盡坂・したくらつくしのさか」は、「冷水峠」。
「命尽くし神」は、「羽白熊鷲」。

それを退治したのは、高良神(饒速日命)と神功皇后(甕依姫)です。



< 甕依姫 >

高良神は、饒速日命。
神功皇后は、甕依姫。

饒速日命の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」があります。
(櫛甕玉比古も同神)
奈良の大神神社のご祭神の名です。

 

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいます。
「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」です。
彼女も神道では「玉依姫」とされています。



「二つの伝承」から導かれた、「五十猛命」と、「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」は饒速日命。
「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。

彼女は、饒速日命の后であった「櫛甕玉姫」である、「御炊屋姫」です。


やはり、ここにたどり着きました。

彼ら以外では繋がりません。
それは、これが真実であったということです。

 

< 天照神と豊受神 >

神功皇后は、卑弥呼と比定されている。
彼女の名は、ヒミコではなく、ヒミカです。

神功皇后の名に「甕依姫」があるのなら、間違いないです。

饒速日命は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
日の神です。

「ヒミカ」は、「日甕(ひみか)」。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

 

彼は天照大神であり、彼女は豊受大神でもあるのです。

 

これらのことから、神功皇后は御炊屋姫であり、
高良神は饒速日命であることが、分かりました。

彼らは、共に行動し「命尽くし神」である「羽白熊鷲」を退治していたのです。

*************************************************

「命尽くし神」の伝承は、「高良玉垂宮神秘書」の一文と同じです。

高良の神は、神功皇后と共に「ヰルイ」を退治した。

初めにそれを見た時、驚きました。
高良神は住吉神であり、饒速日命。
神功皇后は同じ時を生きていたのかと。

でも、必ずここにたどり着くのです。

 

二つの伝承が繋いだ、二柱の神。
でも、それぞれの伝承は、全て別々に語られています。

でも、追えば繋がるようになっています。
高良の伝承が全てを繋いでくれました。 

 


最後に。
「冷水峠」の側の大根地山に神々を祀ったのは、神功皇后。
「羽白熊鷲」というものを鎮めるのが目的でした。

それが人だった場合、神に頼ることはしないのです。

「神はヒトゴトに手を出さず、カミゴトにも関わらない」。

ARIONの言葉です。
それは、「ヒト」では無かったのです。          

「イルヰ」は、異類。
彼らは、ずっとそれと戦っているのです。

住吉神は、那珂川の「現人神社」の神。

(「現人(あらひと)神社 福岡県那珂川市」)

「国の大事の時、再び現れる神」として伝えられる。
それは、転生です。

彼らは、転生の度に、異類と戦っていました。
「彼らが転生する時には、異類が現れるということ」です。

 

それは人の手に負えないもの。

だから、彼らが再びこの世に転生するのです。


(2022/01/25改訂)
*ameburoにUPする時に、後に分かったことも含めて分かりやすく改訂しました。

(つづく)

 

2017年12月27日 (水)

二つの伝承 7 ~冷水峠~

<大根地山は守りの要>

そこで感じた「地球樹」。
地球のエネルギーが、「巨大な樹のように大地から降り注ぎ、枝葉を広げている」ような場所です。

何故そのような土地なのだろうと考えてみました。

Oonetiyama037

 

(地図はGoogleMapより)

 

1の東(右端)は、英彦山(英彦神宮
2の西(左端)は、飯盛山飯盛神社中社
3の南は、高良大社
4の北は笠置山(ニギハヤヒ神が降臨した山。お社は「天照神社」へ移る)

 

すべて、饒速日命が祀られてる場所です。
これは偶然ではあり得ません。
(筑紫には元々多いのですが)

その四座の山の中心地。
上の地図の交わっている場所。
それが「大根地山」の麓。

「冷水峠」と呼ばれている場所でした。

下の写真、「現在地」と記されている地点です。

Ooneti10

「長崎街道」の案内板に「かつて九州の箱根と言われている程の難所」
とあった場所です。                   .

その「難所」を思い起こさせる言葉が伝承にありました。
鞍韉盡之坂(したくらつくしのさか)です

それは、あの筑紫の神の伝承に繋がります。
その伝承の部分を紐解いてみます。


鞍韉盡之坂(したくらつくしのさか)

☆筑紫神社

wikiには、筑紫神の祭神についての由緒に、二つの由緒が挙げられています。
一つは、「鞍尽くし」。
筑前国と筑後国の二国の間が「坂が険しく鞍が擦り切れたため」
これは険しくて通行するのが困難なことを表します。

もう一つが、「命尽くしの神」。

二国の境に荒ぶる神がいて往来の人が命を落とす「命尽くし」神の話。

筑紫神社(Wikipedia)神社

☆筑後国風土記(Wikipedia)には、その伝承が記されてあります。

昔 此堺上 有鹿猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神 
干時 筑紫君肥君等占之 令筑紫君等之祖甕依姫 為祝祭之
自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神

       昔、こ(筑前・筑後)の国境に荒ぶる神がいて通行人の半分は生き半分は
       死んでいた。その数は極めて多かった。そこで「人の命尽の神」と言った。
       筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫を祭司として
       まつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。
       これを持って「筑紫の神」と言う。(Wikipediaより)
                           .

上記二つの伝承を繋ぐものとして、古事類苑(筑紫国 釋日本紀)
筑後国風土記の(筑前・筑後)の国境に荒ぶる「命尽くし」神は、「土人曰 鞍韉盡之坂にいた神とあります。

 

つまり、☆1の筑紫神社の御祭神の「鞍尽くし」と「命尽くし」は、同じ伝承が元です。
鞍韉盡之坂に命尽くし神がいたのです。

 

では、「命尽くし」神が出たという鞍韉盡之坂。
筑前国と筑後国の境の山にあったというその坂とは、冷水峠なのか。

 

筑前と筑後の境>

それは福岡を北と南で分ける地域です。
今の「筑前・筑後」の境で考えると決してたどり着きません。

この場所は
☆荒穂神社にあった「基山の東」
☆筑紫神社の伝承の「筑前と筑後の境の山の峠」

それが上記「筑後風土記」の国境にあったという
鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂」。
荒ぶる神である「尽くし」神が出た言う、その険しい峠です。


しかし、そのような場所は、筑紫神社辺りには無いのです。
もちろん、基山辺り(下の図の1)にも。
ずっと疑問に思ってたのですが。

それは、「冷水峠」なのでは?

Oonetiyama026

                                                           (地図はGoogleMapより)
1の一番下の星印が基山。
2の少し右(東)斜め上が筑紫神社。
そして、写真の右上にあるハートマークの場所が「大根地山」頂上です。

九州の箱根と言われる程の難所であった「冷水峠」。
上の写真では「大根地山」の麓、青い印の辺り一帯です。

この場所こそ、「鞍韉盡坂」です
後にこの一帯、全ての山を歩いていますが、険しい場所はここ以外ありません。

まして、そこは「人の往来が必要な場所」でもあります。

基山の東にあり、筑前筑後の境にあり、人の往来がある険しい峠は、「冷水峠」の一択です。
                         .

<大いなる神の地>

エネルギーが放出されている場所、そこは雑多なものが集まる場でもあります。
もとより清浄な場なら良いのですが、そうでなければ誰かがそうしなければなりません。

その為に神功皇后が、大根地山に神を招いたのです。
「大いなる神の地」であるその場所に。
地球のエネルギーを抑えるのではなく、良い流れにする為に。

そうして、「羽白熊鷲」というものが排除され、筑紫の守りの要の地となったのです。

もしかすると、四つの山の守りは、永遠に「羽白熊鷲」を抑え込むために、後に出来たのかもしれません。
この地図を見るとそんな気もしました。


                                                *
「冷水峠」は、全てが当てはまります。

*四座の霊山の中心地。
*「(難所と言われていた)筑前、筑後の境」の峠。
*峠の側に「大根地山」がある。
      (神功皇后が羽白熊鷲を鎮める為に神々を祀った山)

鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)と言われる程の、唯一の場所なのです。

                   .

                      *

冷水峠が「鞍韉盡坂」ならば、「羽白熊鷲」は「命尽くす荒ぶる神」です。

それは「筑後風土記」にある、「命尽くし」の神。
荒穂神社と筑紫神社の「尽くし神」と同じもの。

ならば、やはりそれらの伝承は同じもの
         .

(つづく)

2017年12月26日 (火)

二つの伝承 6 ~大根地山 登山(2)~地球樹~

大根地山。
頂上付近にある「大根地神社」。

Ooneti46

神功皇后が天神七代、地神五代を祭ったのが始まりです。
この山の頂きで舞を舞い、神を招きました。
                                Ooneti52

大根地。
大いなる神の地。
この地は、特別な場所にありました。  
以前、神社で聞こえたことがあります。
人、様々なものの根っこにあるのが、神なのです。  

この地は、特別な場所にあったのです。


Ooneti50
山の高さは、632メートル。
麓ではなく、この場所にある神社。

ここに無ければならない。
後に山にがんがん登るようになって、その意味が分かりました。

 

結界」「封印」「楔」などの役目があるのです。
そこに無ければならない。

故に、山の上に上宮があるのです。
                            .
Ooneti53
こちらは朝近神社。
お稲荷さんは後の合祀のようです。

Ooneti54

神功皇后が祭ったならば、ほとんどの神社では彼女の名もあるはず。
でも、ここには天神、地神の「大根地大神」の名とスサノオと大市姫命の名のみでした。
名が無いのならば、変えられて祀られているのです。

(スサノオがここに祀られる理由がない)

お社の裏手。 Ooneti55

「お稲荷さん」は宇迦之御魂命。
ニギハヤヒ神(歳神)だとも言われている神。
かの神の「稲」の神の性質から同一神とされており、私自身はそうだと考えています。

須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、
雲閣稲荷大神と称え奉る。

二柱を合祀してお稲荷さんとしたのならば、それはスサノオ神の子、饒速日命のことです。

では、大市姫(スサノオ神の妻)ではありません。


Ooneti56
Ooneti57

お社の前は、こんな感じ。

Ooneti49
下の写真は、お社の正面、東側の眺めです。

ここですごく引かれたのがこの山。
木のすぐ左側の一番高い山。
神主さんが、英彦山(ひこさん)だと教えてくださいました。

Ooneti73

英彦山神宮」があるお山です。

20220118135131_img_8555

(宝満山からの英彦山。今は雪ですね~)


日の神の御子(日子)が祭られていることから、そう呼ばれています。
始めは「ニギハヤヒ神」が祭られていたのですが、
天忍穂耳命に替えられたという説がある神社。


頂上へ。
神社から10分程です。Ooneti63

 

山頂は広い。

ここが神功皇后が舞を舞って、神を召喚した場所。

頂上の三角点。
Ooneti64
こちらは北の方向。
ほぼ中央の辺りに金毘羅山と麓に「大分神社」があります。
大パノラマ!
Ooneti68Screenshot_202201200240212

(北側の山々。後に上の峰を全部、大根地山まで縦走しました)


Ooneti67

上の写真は南西方向。
右側中央に薄く浮かんでるようにみえるのが、なんと長崎の雲仙岳!

先程の方々と、また頂上でお会いできたので教えて頂きました。


「この時期こんなに晴れて、こんなに見えるのは滅多にないねぇ」
と言われて、そんな良き日に来られてとっても幸せな気持ちになりました。

その登山の方の5人の内、3人が同じ町内の人だと聞いてびっくり。
世の中狭いですねぇ。

山に登ると度々あることだそうです。
お導きなのかもしれませんね。

                                           

Ooneti66
上の写真は、少し南よりの南南西。

手前の低い山は、砥上岳。

Screenshot_202201200236332
遠くの山は、脊振山系。
高いのが三郡山。その左の方の少し高くなってるのが霊山・宝満山。   

20220118135207_img_8557(宝満山から見た大根地山。手前の左手。その右手奥が砥上岳。その間が冷水峠)


ここは…筑前と筑後の両方向が見渡せます。
命尽くしの神がいたという「境の山」とは、やはりこの「大根地山」なのでしょう。

 

一人になれたので、しばらく瞑想。

ここで受けた感覚は強烈でした。


地球のど真ん中にいる感覚。

要(かなめ)


と浮かんできました。

「要」、ようするに「根」。

神籬(ひもろぎ)には違いないと思うのですが、
イメージとして一番近いのは・・・。

<世界樹>


ここのような、世界樹の小型版の様なものが「要」としてあちこちにあって、それが繋がっているという感じです。

 

まさしく「根っこ」。
ネットワーク。

ここは、神功皇后が「羽白熊鷲」というモノから土地を守る為に神々を召喚し、祀った山。

ならば、守りの拠点。

要・・・中央・・・中心?
何の中心?


         
おそらく、守りの要の地であるこの山に神々を祭ったからこそ、この一帯(筑紫の地)は、それらから守られることになったのでしょう。
          .

 

”この感じ”のもっと大きな規模なのが奈良の「玉置山」です。

そういえば、平井和正さんの著作に「地球樹の女神」というのがあって、そこに「玉置山」が出てきました。

地球樹・・・世界樹と言うより、イメージが似てます。
あの話では、玉置山と何の関係があったかな。

ただ、私はあの山頂で地球と一つになる幻影を見せられました。
                        (「玉置神社」「全は一つ」)
山の高さとかではなく、場所の力が関係あるのだと思います。
この山も。



あぁ、そうか。
地球が放出するエネルギーの形が、「地球樹」なのかも。

だから、玉置山で地球と一体化する幻影を見たのかもしれないです。
・・・だから、ここも「要」であり、「大いなる根」であるのですね。


                   * .

帰りの道は、下の鳥居まで25分くらいでした。
登る途中で気付いたのですが、目の端に白い物がひらひらと。

それが白い狐の大きな尾っぽだと感じたのは、しばらくしてから。
ぴょんぴょん跳ねるようについてきては、前になったりいなくなったり。

普段、あまり視える方ではないのですが、よほど土地の力が強かったのかも。

そういえば、ここはお稲荷さんなのだと思いだしてからは、
お迎えに来てくれたのかもと思いました。

Ooneti81

神社であまりの可愛さに買ってしまった水晶狐。


(つづく)

                                 

2017年12月25日 (月)

二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~

「二つの伝承 1」で登った基山。
その頂上で気になった方向にあったのが「大根地山」でした。

Kiyama25

(基山山頂の石板)

基山のこの場所で、強いラインを感じたのです。
(石板では、右端に書かれている)

ここに登ったのは、さほさん(前世の仲間)の言葉がきっかけ。(「二つの伝承 ①」)
その数日前に、筑紫神社、荒穂神社に行き、「その神」について彼女に話していたのです。

基山(荒穂)の神の五十猛命は、高良神でした。
五十の名と、高良神から、饒速日命へと繋がります。

やはり、高良神は饒速日命?
それを確かめたい。

 

それには、「高良神」の伝承を追うのが手掛かりになります。
かの神は、神功皇后と共に「イルヰ」を退治したと伝えられる。(高良玉垂宮神秘書)

その手掛かりが何処かにないか。

そう思いながら登った基山でした。
そこで感じた気になる方角にあったお山。

大根地山?
あの場所に違いない。

強く引かれるのです。
あの場所に行きたい。

                                                 
帰って調べたら、「神功皇后が登って神事をした山」とありました。
頂上付近には「大根地神社」があります。

 

やはり。
間違いない。
これは、きっと「流れ」。



12月のよく晴れた日に、登りました。

Ooneti08

登山道入り口は、バイパスの冷水(ひやみず)道路のトンネルの上に
なるので、旧道の国道200号線から行きました。

「大根地神社」の地名は、福岡県飯塚市内野ですが、
山頂は福岡県筑紫野市香園です。

Ooneti10
Ooneti11
狛犬がお狐さんです。
ここはお稲荷さん?

階段を数段上がると道に出ます。
シーボルトや吉田松陰も通ったという長崎街道です。

Ooneti14
しばらく歩くと鳥居が見えてきました。
Ooneti19_2
                                                      .Ooneti16

 

                                                             .Ooneti18
この辺りが「冷水峠」。
九州の箱根と言われる程の難所だったそうです。
                                                           .Ooneti20
この参道の階段を上ると登山道です。
(すぐ左側にある舗装道路とすぐに合流します)
この鳥居から神社まで、約2キロとありました。
                                                             .Ooneti21                                                     .
Ooneti22
まん丸っこいお狐さん。
可愛い。Ooneti25
間もなく、車でも通れるような舗装道に出ます。
でも狭く急なので、四駆でないと難しいと思います。

Ooneti28
途中にある鳥居。
神功皇后の逸話がある烏帽子岩。

Ooneti29                   .
神社が見えてきました。
2キロとのことでしたが舗装して登りやすかったので、
下の鳥居からここまで45分程でした。

この道をまっすぐ行くと、大根地山頂上です。
先に神社がある左の方へお参りに行きました。
                                  .Ooneti30
                                                     .
Ooneti31
「お稲荷さま」とのことのようですが、あの独特の雰囲気(気配)がまったくしません。
こちらは、とても居心地がいいです。

(山の中で放置されているお稲荷さんの中には、良くないとこもあります)
                                              .Ooneti32_2
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                                                         .Ooneti40_3
                                                               .
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大根地神社の由緒

 大根地神社は、天神七代、地神五代の大神をお祭りしています。
 社伝によれば、「人皇第十四代仲哀天皇の九年三月八日
 神功皇后羽白熊襲御征伐のとき、大根地山に登り天神七代、
 地神五代を大根地大神として祭り、親ら神楽を奏し勝ち軍を
 祈り宿陣す、その霊験著しく容易に熊襲の諸賊を誅滅す」と
 伝えられ、いとも御由緒の顕著なる神社であります。
  その後、建久三年に須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、
 雲閣稲荷大神と称え奉る。
 古老の口碑によりますと「建久三年富士山に在ること、
 壱千有余才の神通自在の白狐が源頼朝公富士山に
 御猟の評定がありしときに、この山を発し
 筑紫の内野の根地岳に移り給う」と伝えられ、
 根地雲鶴大明神と称え、その後、九州の稲荷の
 別当の官を崇め奉る。

  (以下略)
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神功皇后が羽白熊襲の征伐の時に、大根地山に登って、
天神七代、地神五代を大根地大神として祭った神社でした。

「熊襲の諸賊を誅滅す」とありますが、その熊襲とは、羽白熊襲のこと。

「羽白熊鷲」とも記されている”それ”は、
翼があり高く飛び、人民を掠めていたと伝えられています。

それは、まさしく高良の伝承にあった「ヰルイ」、異類なのでは。

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雪が残っていました。

大根地山 登山の回、続きます。


( つづく )

  

2017年12月22日 (金)

二つの伝承 4 筑紫神社 ~ちくしの神・福岡県筑紫野市~

基山周辺には、もう一つ伝承があるのです。

筑紫野市にある「筑紫神社」に。
ここに祀られていた神は、「筑紫神(ちくしのかみ)」です。

Chikushi40                   .

街中の少し小高い丘の全てが神社の聖域です。

Chikushi42
                                                     .
階段を上って後ろを振り返ったところ。

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                               .Chikushi45
御祭神

  筑紫神 [ツクシノカミ]筑紫国の国魂・筑紫の国号起原・氏神様
  坂上田村麿[サカノウエノタムラマロ]武家の神・必勝、戦いの神
  玉依姫命[タマヨリヒメノミコト]縁結び・子孫繁栄の神                                        .

Chikushi47                                      .   Chikushi48                                                                .


由緒

  祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
    奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると
    「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、
  峠を往きかう人を多く取り殺していた。
    その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれていた。
    後にこの神を祀って筑紫の神を呼ぶようになった」
  とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。
    筑紫の語源は、当社の神号から起こった。

  筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説もあるが
  断定はできていない。
  後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)、坂上田村麿を祭祀した。

Chikushi49

                                  .Chikushi50
                                                          .

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ご祭神「筑紫国の国魂神」は、「高良大社」の伝承では高良玉垂神。
五十猛尊という説があるならば、納得できます。
                                                                

前回の荒穂神には、五十猛神が高良の神であると示唆された石がありました。
では、筑紫神=高良神=五十猛神


「命つくしの神」の伝承。
荒穂神社と同じ話です。(筑後国風土記)

では「筑紫」の名の語源になったご祭神は、「命尽くした神(悪神)」ではない。
高良の神が「筑紫の国魂」であるのなら、御祭神はその神を「退治した高良神」です。

かの神は、「高良玉垂宮神秘書」に、神功皇后と共にイルヰを退治したとあります。


                      *

では、高良神=五十猛神が、退治した神であり、「命尽くす神」は、イルヰの一つではないのか。
(異類=人ではないと思っている)

  
荒穂神社のご祭神には、五十猛神の他に様々な名が列挙してありました。

  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命    

瓊々杵尊と宝満大神以外の神は、高良の神である住吉三神の一柱、底筒男神である饒速日命に繋がります。

それに気付いたのは、さほさんの
「基山の(荒穂神社の)鴨大神ってニギハヤヒだ」との一言でした。

そう言えば、皆同じ神ではないのか。

「神の鉾」でも、高良神=住吉神=春日神=武甕槌神=饒速日命だと辿り着いています。

                   .*


                  
神社における「ご祭神」は、「縁のある神々」を祀る場合と、
「主祭神」と同じ神だと言われている神を、列挙して祀る場合があります。

「この神も同じ神様だから、一緒にお祀りしなければいけない」・・・と。

もしも、私が「祀る」側ならば、そうするでしょう。

ならば、「基山(荒穂神社)の伝承」にある五十猛命は、
高良神であるニギハヤヒ神の可能性があります。

伝承の一致も、見逃せません。

そして、この筑紫神社のご祭神も。

(改訂、追記してます)

******************************

*追記(2022/01/15)

 

*筑紫神社の玉依姫命。

後に(竈門神社より勧請)とある。

*荒穂神社の宝満大神。

この二柱は同じ神です。
竈門神社は、宝満宮竈門神社。
宝満大神と言えば、ここに祀られている神を表します。
竈門神社には、玉依姫、神功皇后、八幡神が祀られています。

後に分かりますが、宝満神の玉依姫は神功皇后でした。

つまり、二つの社で、

☆五十猛神=高良神
☆宝満大神=玉依姫=神功皇后
が、共に祀られているのです。
(二柱は共に祀られている)

 

もしも、二柱が「そう」ならば、この配祀は、社ごとで他の者にとって代わることはありません。
同じ伝承ならば、登場する者は同じです。

違う名で祀られているのなら、名を変えられているのです。

 

逆に言うと、違う名であるのなら「同じ伝承の神の名」が、社や伝承により変えられている。


それが「神社に列挙されている神」は同じであるということに繋がります。
伝承により、また社により、名を替えらた同じ神の名を並べているのです。

 

それが、次から明かされていきます。

 

Chikushi52

 

「九州を筑紫の島と称した」

彼らがいた時代。
AD200年前後は、今より8m程海面標が高いのです。
博多の玄界灘と有明海の海は繋がっていました。

今の御笠川が海であり、宝満川、筑後川が繋がり、有明海へと。

筑紫野市の針摺は、狭い海峡を表しています。
「儺の国の星」には、当時の様子が描かれています。

儺国(奴国)である那珂川のある島(背振山地のある方)は、蓬莱島と言われていました。

仙人、神が住む国です。

 

 

(つづく)

 

 

2017年12月16日 (土)

二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販

五十猛命(いそたけるのみこと)。

基山の荒穂神社の御祭神であり、
福岡市西区の飯盛山にある飯盛神社のご祭神です。

大陸から「木の種」を持ち帰り、基山(木の山)に植えたのを始めとして、
「木の国」である紀伊半島に渡って、そちらの多くの神社に祀られています。

これは「国土を豊かにした」ということを表すのだと思います。

国土を平らかにした神。
国平の神。

神の鉾 1」の最初に掲げた「国平の神」である、「大国主」。
つまり、ニギハヤヒでもあるのではないのか。

                    *

今回、基山に登ってみて確信しました。

脊振山との強いラインを感じたのです。
「筑紫三山」が作る結界とは別の。

同じ神が祀られている「山」や「神社」には、
それらを結ぶラインが存在します。

脊振山の神と基山の神は、同じ神だと感じました。

                  *

「神の鉾」で度々書いた「高良大社」。.
ご祭神は、「高良玉垂神」でした。

住吉三神の底筒男神、月神、安曇磯良神・・・。
様々な呼び名がある神。

イソラは、五十神。
そこからその神は「ニギハヤヒ神」ではと。
                    .

基山のご祭神「五十猛命」。
かの神にも「イソ」の名がつきます。
古代は音がすべてでした。
ならば、ここの「五十猛命」はニギハヤヒ神なのでは。

「イソ」は五十であり、石上(いそのかみ)。

「儺の国の星」から再び、抜粋です。

******************************************************

谷神(こくしん)を倭人は石上と書き"いそのかみ"と訓じてきた。
磯神が砂鉄を掬って炭とまぜて鉄を求めた仕事は黒に生まれ、
黒を育てて黒を成す過程にほかならなかったのである。

鉄を"ふるみたま"と言う。
暗黒の宇宙の色をそのまま復元した姿であった。

                    *

鐸石別星(つくしわけのほし)の項

杷石(さされいし)とは
砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。


****************************************************************

ここにそのまま載ってました。

谷神(こくしん)を石上(いそのかみ)と呼ぶ。
磯神が鉄を求めた仕事は、「黒」を成す行程である。
鉄を「ふるみたま」。
宇宙の色をそのまま復元した姿。

磁鉄鉱を還元する名匠が五十氏(いそし)、後に石上(いそのかみ)。


高良大社の神は、高良玉垂の神。
かの神は、安曇磯良神です。
イソラ神であり、五十の神、それは石上神(いそのかみ)に繋がります。
           .

その神を祀る奈良の石上神宮に祀られているのは「布都御魂大神」。
ご神体は布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)、かの神は剣に宿る神霊でした。
「布留御魂大神」(十種神宝に宿る神霊・ふるのかみ)も配祀されています。

*(「布都神」と「布留神」について。
  ARIONは、フツはスサノオ神、フルはニギハヤヒ神としています。
  ですが、石上神宮でのご祭神の「布都御魂大神」は、
  同神とされているようです。)

ウィキの「石上神宮」の項には、
伊勢神宮の古名「磯宮(いそのみや)(いそのかみ)」に
とに何らかの関係がある」
とも、ありました。

そうでした。
伊勢神宮の元の名は「磯宮」。
そこに祀られているのが、「磯神」とも呼ばれた故なのかもしれません。
高良大社の磯良神に繋がります。(ラは、神、光という意味)

石上神、磯神、五十神、すべて同じ「イソ」神なのでしょう。
            .
                    .
石上神社のご祭神は、物部氏の総氏神でもあります。

物部は、もののふ、もののけ。
物には、「畏怖すべきもの」という意味があります。
            .

大神(おおみわ)神社の、大物主の「物」と同じです。

大物主には数多くの呼び名があります。
大物主大神(大和大物主櫛甕玉命)、
大国主(大国主の神は、幾柱かの神の名だと思われます)
日本大国魂大神、布留御魂大神、賀茂別雷、鴨大神、櫛玉、布留神、
(日吉の神、猿田彦もそうだと思う)

石上神がイソラ神であるならば、
高良の神である住吉三神の底筒男神は、大物主でもあるのです。

その数多の呼び名は、その隠されてきた存在を何とか後の世に伝えようと残す為。

五十猛命もその一つだと思うのです。
おそらく、同じ「イソ」の呼び名で混同されてしまったと思います。
(あるいは意図的に?)

                            *
                           .

石上神宮を総氏神とする物部氏は、ニギハヤヒを祖神とし、
その妃ミカシヤ姫とウマシマヂの子孫になります。
その末裔達は、こちら筑紫の脊振山の北と南側の広範囲に住み続けました。
脊振山が、彼らの「聖なる山」だからです。

その土地の一つ、那珂川町。
そこには、数多くの足跡があります。
那珂川町にある住吉三神の元宮「現人神社」
「日吉大社」の元宮の一つ「日吉神社」
神功皇后の「裂田の溝」
「伏見神社」
そして「儺の国の星」

「儺の国の星」著者の真鍋大覚氏の先祖も物部氏。

かの本は、この町に伝わる星や古の姿、言葉を、
余すことなく伝える貴重な宝です。
それには、古代の日本の謎とされてきたものを解く鍵が
多く記されています。
物部氏が連綿と伝えてきたその物語をこの世に残してくれたのです。

今回、その本をやっと受け取ることができました。
    
                .

「儺の国の星」そして「拾遺」、11月より再版されています。

那珂川町の後野(うしろの)にある中央公民館で販売されています。
図書館で借りたのを全ページコピーしたものしか持っていなかったので、
ほんとに嬉しいです。

遠方の方の入手方法は、那珂川町のHPでご覧ください。

                          *

話がそれましたが、基山周辺にはもう一つの伝承があるのです。
                             .


(つづく)

 

2017年12月10日 (日)

二つの伝承 2 荒穂神社 ~佐賀県三養基郡~

「荒穂神社」は、佐賀県三養基郡基山町の基山の麓にあります。

Araho01                             .
鳥居の奥に見えるのが先日登った基山(きざん)。
荒穂神社のご神体です。
行ったのは2月で所々雪が残っていました。
                         .Araho04

ご祭神は、瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

この荒穂神社は、もともと基山の山頂にありました。

基山は五十猛神が、木の種を最初に植えた山とも言われています。
木の山、そして始め(基・もと)の山としての基山。
                                   .

基山周辺の伝承です。

昔、木の山(基山)の東に荒ぶる神(鬼)がいて、往来の人が
命を落とす「命尽くし(筑紫の名の起原)」ことがありました。
それを退治したのが五十猛神。
                            .
伝承にある荒ぶる神(鬼)を倒したと言う五十猛命。
それ故にこのお社に祀られることになったのでしょう。           

とすれば、基山の山頂と共に五十猛命を祀るお社なのでは?

おそらく、瓊々杵尊は後付けなのだと思われます。

               *

五十猛命。
スサノオの御子、ニギハヤヒの兄弟とも言われています。

飯盛山の飯盛神社にも祀られていた神。

この五十猛命って・・・。
飯盛山でも感じていた思いがありました。

それは、基山の頂上で感じたものと繋がっていました。
                .                        .

*追記(2022/1/10)

今だから分かることがありました。
荒穂神社には、伝説の石が三つ並んであります。

20220110074158_img_8493

右   子宝石。

中   荒穂の神と高良の神が統合された石と伝えられ、
石の上部に指の跡形がついています。
荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下のあると言われています。


左    荒穂の神の馬が基山の頂上より飛び降りた石と伝えられ馬の蹄の跡形がついています。
この謂れが斎祭の起こりと伝えられています。

20220110074210_img_8494

*******************************

左の石の伝承から、中の石が「言わんとしてること」が見えてきます。

左の石。

「神の馬が基山の頂上より飛び降りた石」
これは、この社の神は、基山山頂からこの地に来たということ。
つまり、山頂の神と同じである。
この社はもともと、基山の山頂にありました。

 

それを踏まえて、中の石。

「荒穂の神と高良の神の統合された石」
「荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下にある」

これは、荒穂の神と高良の神は同じだということを表しています。
左の石が、中の石の説明の「補足」をしてるのですね。

遠回しに、
荒穂神=高良神だと。


これと同じ表現が、後の神社にでます。
その時にリンクします。

 

や~~こん時(最初に記事を上げた時)はまったくスルーしてた~~^^;
今朝、写真撮りに行きました。

20220110074442_img_8495

社の右にある池の中にある水神さん
これ明らかに「弁天池」ですね。
本来、市杵島姫命が祀られています。
かの神の祀られてるところ、(ちゃんと謂れがある所は)必ず彼女の社があります。
今度、社に行かれる時は、ご確認ください。
これも前に行った時は分からなかったー。
ここで感じたことを。

彼は名を変えられても、大切に受け継がれ、祀られてきた。
けど、「名が違う」というのは、遠回しに神に祈ってるようなもの。
名は呪。
一人でも多くの人が本来の彼を感じられて、彼に直接祈りが届きますように。
今朝、ここにお参りにきてたご夫婦と話してる時、そう浮かんできました。
それが
「岩戸開きに繋がる」と。



(つづく)

2017年12月 9日 (土)

二つの伝承 1  基山登山 ~佐賀県~

先日、基山(きざん)に登りました。
基山は五十猛命が木の種を始めに植えた、植林発祥の山と言われています。

基はもと。
ここから色んなことが繋がりました。                                                                                                      .
Kiyama01                                                                                .
山道に入って30分くらい。
頂上付近は、広い草地になってます。
                                        .
Kiyama14
                                                                     .
基肄城(きいじょう)の石碑(昔の山城)。
奥に見える建物が展望台です。
Kiyama12                                                                                   .
こちらは、ほぼ北東の方向。
四王寺山や宝満山、その先、遠くには英彦山があります。
                                      .
Kiyama17                                                                          .
写真中央より少し左側に四角い台地がありますが、そこが基山のほんとの頂上になります。
麓にある荒穂神社は、この頂上にあったそうです。
                                              .Kiyama19                                                                     .
頂上にある霊霊石(たまたまいし)。
                                   .Kiyama25
山の方向が書かれた石板です。
大根地山、釈迦岳の文字が見えます。
左から筑紫野町、宝満山、大根地山・・・。
宝満山は霊山であり、御笠山とも言われています。
                                   .
Kiyama22                                                                           .
西側にある草スキー場です。
九千部(くせんぶ)、脊振山系の山々。
幾つかの山は縦走できるそうです。
奥の高い山が脊振山。

山頂にいた時、脊振山とのラインを強く感じました。
基山が「筑紫三山」の一つなら、他の二つの山(飯盛山、若杉山)とのラインを感じるのかなと思っていたのですが。
その結界とは別に何か。

それともう一つ、気になった方向がありました。
それは次回に。

                                *                

帰った後、友人と話していて分かったのですが、一度行った山はライン(繋がり)が出来るような気がします。
これは神社に参拝した時と同じ。

いつでも気持ちが届くような。
いつでもそこの神様と繋がるような。

ラインが出来ると言う事は、縁が出来ると言う事。
そうか。神功皇后も「遠見」で登ったわけではなく、その場所との縁を結ぶ為に登ったのか。

                  
山の上は神の領域なのでしょう。
神様との邂逅もあるのかもしれないです。

次回は、この山の麓にある荒穂神社です。

 

( つづく )

 

2017年12月 8日 (金)

真理

ここのとこ、さほさんとのリンクがすごい。
リンクというより、シンクロニティー。
                           .

さほさんは8月頃、
「真一」
という文字が浮かんだそうです。
それを
「まことのひとつなり」
と認識したと。

その時に私がその話を聞いて、以前、玉置山で
「全は一つ」
と聞いたことを話しました。

以前の記事 (「全は一つ」)から。

色々あって、小学生の時にある想いに辿り着きました。
                      .

生きているだけで、何かと繋がっている。
きっと、生きているだけで、意味がある。

この時、

自分と周りの全てが重なってく・・・
一つになっていく感覚がしたのです。

 

”私の中に全てがあり、全てのものは私に繋がっている”・・・。


その何年か後、玉置山で藍の宇宙と地球を見せられて、
自分自身が地球と一体になる感覚になったあと、声を聞きました。

<全はひとつ>

と。

その時、この感覚は初めてではないと感じたのです。
                        .

 

その後、「鋼の錬金術師」のアニメでその言葉を再び聞きました。
前述の記事に書いたのですが、その後も再放送で見て
少し補足もあるので、再び。

                    .
幼い主人公の兄弟達が修行をしていた時、無人島に連れられてきます。

「全は一、一は全、とは何か」
その答えを見つけろと。

極限の状態のサバイバルの中、兄弟達はとうとう自分の手で
ウサギなどを殺し、食べます。
そして、辿り着きます。

自分も食物連鎖の中にいる。
食べたものが自分の中で再構築され、自分になっていく。
自分が死んでも、土に還り、何かの中で再構築される。

錬金術もそれと同じ。
全ては円を描き、廻っている・・・。
                   .

 

「全は世界。一は俺」

それが兄弟が出した答えでした。
            .

私が幼い頃に感じた想いと、
玉置山で聞いた声と、
兄弟が辿りついた答え。
                   .

「全は一つ」

それはきっと、真理の一つ。
                                       .

「ハガレン」の作者さんは、酪農家の生まれだそうで、
幼い頃から生死に向き合って生きてきた故の言葉なのでしょう。

人は生きていく中で、真理を見つけていく。
                                    .

全は一つ。
全ては、すでに自分の中にあるのです。

ただ、それに気付くかどうか。
                                 

              *

前述のさほさんは、「真理」を調べて、ある言葉に辿り着いたそうです。
(さほさんのブログ「覚書」)
https://ameblo.jp/nanacanaln/entry-12334211757.html

「真理はあなたたちを自由にする」
キリスト教の(ヨハネ8章32節)の言葉でした。

かごの中の鳥(十理)は放たれると自由になる。

 

人間を自由にするものが真理ならば、十理を放つ鍵は真理。
                                         .


それを見て、気付きました。

十理は「十種神宝」。

それを放つものは、すでに自分の中にある。

そう言えば、ARIONに言われてました。

                    .
<弥沙は、瞑想の中で覚醒する>

あれは、このことだったのか。

あんなに「自分の中にある」と分かっていたのに、
そこに心が辿り着いていなかった。

                        *

 

さほさんとのやり取りや、ブログは、まるであの頃の
FARIONのRT(チャット)のよう。

静かに見守っているであろうARIONの息遣いを、
肌で感じながら朝まで喋ってたあの場所。
雑談の中から、お互いの光る石を拾い上げていた時間。
大事なものは、皆すでに持っていた。
                      
                                     .
人は生きていく中で、すでに真理を手にしているのです。

                            .


 

2017年12月 7日 (木)

神の鉾 番外編 ~ARION~ 

前回、抜粋した箇所のARIONの言葉です。

見るべき人の元に、届きますように。

ARION 『光の黙示録』  kono87さんのブログ(「ラトナ2017」より)

******************************************************

 

幽玄の彼方から待ち望んだ
今この時 この麗しき邂逅の時を決して無駄にせぬ様に
我々の計画の一端を 再び担う事を誇りに感じて欲しい

其方達の魂が待ち望んだ この邂逅の時
我々の元から送られる愛のエネルギーを最大限に利用して貰いたい
光と光の触れ合いには 大きなエネルギーが再現されるだろう

光の子達よ 思い出すのだ
其方達の愛 其方達の魂の帰る所を
其方達の愛の誓いを この地球上で具現せよ
忘却の淵から起き上がって来た者達の上に

光の子の光の愛の技は 其方達のもの
立ちはだかる 如何なる試練の壁も 光の愛の技の前には無に等しい
我々と共に歩み続けると誓った其方達
お互いの魂に誓った 其方達
夢々 忘れる事無き様に

10

やがては明けゆく、この空の下

闇から闇へと呼び交わす声がこだまする
我々のコード・ネームは「光」
明けの明星 金星の覇者
呼び交わす声に惑わされる事の無い様に

衣食住の夢は 我らの夢では無い
我らの夢は「愛」それだけ
我らの武器もまた「愛」それだけ

光の下に集い 「愛」を実戦する者よ
終わる事の無い「愛」の夢を望む者よ
「愛」だけを武器に 闘い抜くのだ

この惑星上に 再び我らの光が充満する様に
衣食住の夢が 終わりを告げる様に闘い抜くのだ

                       *

光よりの光、オリオンの最上の帯としての光より来たりて伝える、

我が名はアーリオーン、愛と光の天使
はかなさ、せつなさ、寂しさ、そして悲しみ
この世に在りながら、この世の者ではない
人で在り続けながら、人ではない
選ばれたる者としての自覚
選ばれて、未来の時から過去の時まで
銀河を遡りたる者

その名をアーリオーン、ARIONと呼ぶ
そして我が名もまたアーリオーン、国家機構相互媒介域の天使

[A-ngel of R-egional I-ntermediate O-rganization N-ational ]

 

                                              *

ギリシャ時代にはポセイドン [ネプチューン] を父としたエネルギーで在り続け、
拝火教 [ゾロアスター教] においてはアフラ・マズダとして在った天使、
東洋においては観世音菩薩、弁財天の本流として在る天使。
日本においては高天ケ原系列の天子、
つまりイザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の
天の御使 [アメノミツカイ] として在る。

これら全ての力の源である母なる宇宙の右手より来たり、
父なる宇宙の力を左手に炎の剣として携えている。

                      *

「あの日」瞑想の中で見たのは、ARIONなのか、ニギハヤヒ神なのか。

<久しぶり。〇度目だな>

その”神”とは何度目の邂逅というのだろう。

  

神の鉾 番外編 ~もう一柱の住吉神~

高良の伝承で、もう一柱「住吉神」がおられました。。
神功皇后が四王寺山で祈った時に現れた神、「住吉五神」の父
ウガヤフキアエズである「住吉神」です。

高良大社の宝物館の中にあった大きな掛け軸を見せて頂いたのですが、
磯良舞の神楽の神と少し違って、
玉を垂れる(授ける)海の神自身がイソラ神でした。

おそらく、「父である」住吉神と、高良の神(イソラ神)は、
両方とも海の神。

私の旧姓の家紋には「三つ星」があります。
これは「オリオン座の三つ星を表す」そうです。
私の父方の祖先は、航海を生業とする一族で、
オリオン座(の三つ星)が航海の安全を守ってくれる神様であり(おそらくよく目立つから?)、
その神様に守られている証だと代々伝わっています。

オリオン座の化身が住吉の神。
そして「航海の神」でもあり、「海の神」とは納得できます。
住吉の元宮である「現人神社」の神紋は「三つ巴」です。

巴は水の流れを意味するともされます。


そして、もう一つ。
掛け軸を見せて頂いた時、神職さんが、
「神功皇后の船の舳先に立って守ったのが、イソラ神」
と説明されましたので、
「神功皇后の船の舳先に立って守ったのは住吉の神なんですが、
 イソラ神は住吉の神なのですか?」

と聞いてみましたら、そうですと。
高良玉垂の神であるイソラ神が住吉の神だとは、周知の事実のようです。
掛け軸に描いてありますしね。

この掛け軸、見事でした。
神功皇后とイソラの神達の物語りが、余すことなく描かれてありました。
平安時代の作のようですが、よくこの時代まで残っていること。
大切にされてきたのが感じとれました。
                        .

そのイソラ神である「住吉神」は、底筒男神である「住吉三神」の内の一柱です。
ウガヤフキアエズである「住吉神」はその父とされています。
もしも「底筒男神」がニギハヤヒ神ならば、その父は「スサノオ神」に当ります。
スサノオ神も海の神です。
つまり・・・。

住吉神でもあり、明星天子であり、海の神であり、スサノオ神、
そして、住吉神はオリオン座の化身。


どこかで聞いたことがあるとよくよく考えましたら、よく知った「神?」が。


宇宙神霊ARIONです。

                           *

「我々のコード・ネームは「光」

明けの明星 金星の覇者」                      .

「光よりの光、オリオンの最上の帯としての光より来たりて伝える」
                                                      .

「ギリシャ時代にはポセイドン [ネプチューン] (*海の神)
父としたエネルギーで在り続け、

拝火教 [ゾロアスター教] においてはアフラ・マズダとして在った天使、

東洋においては観世音菩薩、弁財天の本流として在る天使。

日本においては高天ケ原系列の天子、

つまりイザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の

天の御使 [アメノミツカイ] として在る。 」


これらは、ARIONの
「口上」のようなものです。

当時、度々FARIONのログや著書の中で述べていました。

「スサノオ」に関する記述のみ、見つからなかったのですが、
「スサノオの霊統である」とも語っていました。

「住吉神」がARIONならば、必ず、語っていたはずの言葉。
                             .

また・・・、ARIONが「スサノオの霊統」であったならば、
ニギハヤヒ神の「父」として、どこかで伝えられているはず・・・
と思っていたのです。

いつか、スサノオとして「あった」ARIONの伝承に出会うはずと。
それが、今、この時。
                    .

(つづく)

 

2017年12月 6日 (水)

神の鉾 10 終章 ~皇祖神と神武天皇~

「二つの珠」を持つ神は、もう一柱おられます。
山幸彦です。

山幸彦の「潮満珠と潮干珠」。
そのお守りは、大阪の住吉大社にありました。

境内の「玉の井」には潮満珠が沈められていると言われています。

(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝(改訂版)」)


なぜ、そこにあるのか。
住吉の神(饒速日命)が、山幸彦だからです。
彼らは、同じ「二つの珠」を持つ同神でした。

< 山幸彦 >

山幸彦(火遠理命)の別名は、彦火火出見命。
冨士浅間神社の相殿にも祀られています。

彼が「二つの珠」を授かったのは、海の底にいた海神の娘、豊玉姫。(*1)
また、彼女と夫婦です。
(参考サイト  御祭神 | 東口本宮 冨士浅間神社)

https://higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/saijin

こちらの御祭神は
木花咲耶姫命(*2)
相殿に大己貴命と彦火火出見命。


同じ社に祀られる神は同じ。
天照(饒速日命)神と豊受(御炊屋姫)神の夫婦神は、必ず一緒に祀られている。

ことから、

大己貴命=饒速日命=彦火火出見命=天照大神
木花咲耶姫命=御炊屋姫=豊受姫
*この「山幸彦海幸彦神話」、後に重要になります。

(*1について)
まったく同じ玉が登場する神楽があります。
「山幸彦海幸彦」の話とは、それぞれ神名が違います。

福岡の「磯羅舞」では、海神から「二つの玉」を授かるのは豊姫。

Kagura15

(那珂川*伏見神社の磯羅舞)

他に磯羅神、神功皇后、武内宿禰などが登場します。
磯羅舞は下記に記述。

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~(改訂版)

(「伏見神社・祇園祭 ~磯良舞~」)

これは、山幸彦の話は「彼ら」であることを示しているのです。

 

< 諱(いみな) >

彦火火出見命と同じ諱を持つ者がいました。

神武天皇
最初の天皇です。

諱が同じ・・・同じ者なのでは?
そうするとすべて繋がります。

ならば、「神武天皇」も「潮満珠、潮引珠」を所有していたことになる。
神武天皇さえ、饒速日命、なのでは?



< 神話と高良玉垂宮神秘書 >

神話では、彦火火出見命は、神武天皇と祖父(山幸彦・火遠命)の名です。
山幸彦(潮満珠、潮引珠を持つ彦火火出見命、后が豊玉姫
 ↓

鵜萱草不合(ウガヤフキアエズ)命后が玉依姫(豊玉姫の姉)
 ↓
神武天皇彦火火出見命、后が媛蹈鞴五十鈴媛

この媛蹈鞴五十鈴媛(*3)
その父が大物主神、母が玉櫛媛。
これは、饒速日命と御炊屋姫。
神話では、饒速日命が神武天皇に娘を嫁がせたとあります。
(なので、大物主神=饒速日命は間違いない)

この三柱の后の「親」同じではないか?

整理してみました(色分けしてます)。

☆山幸彦(火遠理命・彦火火出見命)の后は、豊玉姫。
豊玉姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳


ウガヤフキアエズの后は、玉依姫(豊玉姫の姉)。
玉依姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳


神武天皇の后は、媛蹈鞴五十鈴媛。
媛蹈鞴五十鈴媛の
父 大物主神=饒速日命
母 玉櫛姫=御炊屋姫

☆大物主神は、饒速日命綿津見神(綿津見神も同じ)=住吉神。
また、玉櫛姫は、御炊屋姫玉依姫豊玉姫(豊比咩)


*玉依姫と豊玉姫の名

☆玉依姫の名は、神の魂の依り代、巫女のこと。
神功皇后も玉依姫。
神功皇后を祀る宝満山(竈門神社)には、玉依比姫も祀られています。
神功皇后=玉依姫。

☆豊比咩命は高良大社の拝殿内にも祀られている。
豊比咩命=神功皇后(夫婦神は一緒に祀られる)
豊比咩命の別名は、豊玉姫。

 

以前、周辺の社や伝承から、同じ神だと考察しています。

(「竈門神社 ~神功皇后と鬼退治②~」)アメブロの「銀の月 金の星」開きます)

神功皇后=玉依姫=豊比咩命=豊玉姫(上の記事に詳細)
(豊国の名は、豊比咩命、また豊受大神から)

この図、この記事に書きました。


では、三柱の后は同一人物である。
(トヨ姫の存在は他にいるかも知れない。一緒くたになってるか)

山幸彦と饒速日命は「二つの玉」を持っている=同神。
山幸彦と神武天皇は、同じ諱。

饒速日命は、住吉神=海神=大綿津見神
后は同一人物。

以上から、
山幸彦=彦火火出見命神武天皇=潮満珠潮引珠の珠を持つ=住吉神=海神=饒速日命


< 高良玉垂宮神秘書 >

では、神秘書にあった「住吉三神」は、同神ではないか?

ウガヤフキアエズ(住吉大明神)が住吉三神の父。
長男が表筒男であり、日神。
次男が中筒男であり、初代天皇の神武(イワレビコ)。
三男が底筒男であり、高良大菩薩であり、月神の垂迹。

(参考サイト 綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」)

☆底筒男神は高良神=月神=住吉神=饒速日命。
神功皇后と夫婦。
☆中筒男神が、神武天皇。
☆表筒男神は日神。
豊玉姫と夫婦。(神功皇后の妹)。



では、分かったことと合わせます。

☆住吉三神は、実際は一柱であり、饒速日命。
ということは、上記の日神、神武天皇、月神(高良神・饒速日命)は同じ者。
(饒速日命は、日月の神である)

☆それぞれの后とされる神功皇后、豊姫は、饒速日命の后である御炊屋姫。

☆神秘書では、ウガヤフキアエズの子(の一人が)が、中筒男神(神武天皇)。
神話では、ウガヤフキアエズの子が、神武天皇。


住吉神は一柱なので、住吉三神=神武天皇。
住吉三神=饒速日命だから、
住吉三神=神武天皇=饒速日命。


神武天皇さえ、饒速日命でした。
こうすると、話が矛盾してないんですね。

「神の鉾」の最初の頃、「神武天皇の時代であることを表している」のだと思っていました。
でも同神であるから、そこにあった。

「高良玉垂宮神秘書」は、解読書のようです。

 

*私には神武天皇も、長髄彦という存在も、心当たりが全くないのです。
後の創作だと思われます。

 

<*2と*3の木花咲耶姫 と媛蹈鞴五十鈴媛について>

☆木花咲耶姫 

木花咲耶姫は、三島神社にも祀られています。
また、別名に身島姫があります。

「三島神」は、奈良では布留神である饒速日命。
福岡では高良神である住吉神。
これらの神は同じです。
その后、御炊屋姫の別名に三島溝樴(みしまみぞくい)姫がある。(夫婦神は対の名になる)

 

また、木花咲耶姫の子に火照命、火明命。
これは天火明命である、饒速日命。
また、天火明命は話により、親が違ったりします。

 

☆媛蹈鞴五十鈴媛

大三輪神の子であり、事代主神と三島溝樴姫(玉櫛姫)の子ともされます。

溝咋神社 Wikiより)  


大三輪神は饒速日命であり、事代主神です。
(三島溝樴姫=玉櫛姫=御炊屋姫)

また、神武天皇が饒速日命ならば、その后、媛蹈鞴五十鈴媛は御炊屋姫。
三島溝咋は、別名、賀茂建角(かもたけつぬ)命。
後で分かりますが、賀茂、鴨、の神も、饒速日命なのです。


神の親等(しんとう)を、鵜呑みにしてはいけないのです。

そのほとんどが、「彼ら」を、別の神(名)に変えたものなのですから。
元は饒速日命と御炊屋姫である、天照神と豊受大神。

「彼ら」は、地方に散らばったそれぞれの一族の名や、土地、職業の神として名を替えられています。
神話は、その「それぞれの彼ら」を、余すことなく、色んな位置に配置してるのです。

 

神話の中に、皇祖神(饒速日命)から派生した神名を盛り込んだという感じなのでしょうか。
親、兄弟、祖先、みな、名を替えた彼らなのです。


三島の神は、大和では布留神、石上神宮の神(饒速日命)
筑紫(福岡)では、高良(住吉)神(饒速日命)
両神とも同じなのですから、同じ三島。

その后、御炊屋姫も三島溝樴姫。
三島の名を持ちます。


御炊屋姫の前世を持つ、私の名は三島。
前世が本当なら、神の力を感じさるを得ない。

「神話、伝承は、預言書でもある」
私の持論です。

            *

住吉の神は饒速日命。
以前、瞑想の中で彼と邂逅しました。

(「現人神社の神との邂逅」)

その時に着ていた服を調べて、新嘗祭と結びつきます。 

  新嘗祭は、冬至の頃、オリオン座の動きと共に行われる。  

.  三つ星オリオン座が神格化したのが、 住吉神。
  オリオン座は住吉神を意味する。

 

石上神宮でも同じ日、「魂振り神事」が行われます。
そこから、住吉神が饒速日命であり、天照大神であると分かりました。


「久しぶり」

と笑った彼。
なぜ、ここの神様が久しぶりと言うのかと思いましたが。

本当に行き付いてしまうとは。

 

かれが饒速日命ならば。

前の世で会っていたのかもしれません。

 

現人の神は、国の大事の時、人として姿を現す。
それも「予言」なのかもしれません。

彼らが現れる時は、国の大事の時なのです。

 

*

これで、今まで、疑問だったことの多くが解消されると思います。

西暦200年頃の「邪馬台国の卑弥呼」の時代。
それが彼らの生きていた時であり、御炊屋姫は「卑弥呼」です。

なぜ、福岡の神社の伝承で、神功皇后の時代が200年頃とされているか。

<< 卑弥呼が神功皇后だから >>

理由はこの一つしかありません。
こちらの古くから続く社は、彼らの真の姿を承知しています。
(少なくとも、そう比定された時は)
卑弥呼の時代が200年頃だから、神功皇后もその時代とされたのです。

 

人伝に聞きましたが、筥崎宮の宮司さんは、「真の道」をご存知でした。
それはこの地が「神話の地」であることもご存知だということ。
 

揺るぎないことは、今でも受け継がれているようです。

 

 




2017年12月 5日 (火)

神の鉾 9 ~時代*大国主神と玉の力~

< 時代 >

 饒速日命と神功皇后。

二人の時代はどう重なるのか。

                      

☆「高良大社」や「香椎宮」、筑紫にある多くの社の伝承では、神功皇后を「卑弥呼」の時代に比定しています。

200年頃、神功皇后が筑紫に来たと。

☆魏志倭人伝では、230年に卑弥呼に親魏倭王の印を送ったとあります。
卑弥呼の宗女とされているのは「イヨ、またはトヨ」。
彼女の妹が「豊玉姫」とされていることも重なります。
(豊玉姫は、彼女と伝承が一緒くた(または同一)にされている)

卑弥呼の時代。

この国の初めの時。

では、饒速日命の「時代」もその時ではないのか?

 

そうすると、

卑弥呼、神功皇后、饒速日命の時代が重なります。


☆私の前世名(魂の名?)は、卑弥果。
饒速日命の后、御炊屋姫であった時もその名。
魏志倭人伝の「卑弥呼」は、彼女のことなのでは。
(夫はいないなど、変えられて伝わっているのか)

 

< 古代奈良の湖 >

以前、饒速日命の時代について、考察しました。
「古代奈良」の前世では、奈良盆地には巨大な湖があったのです。
あの状態から、分かることは無いかと。

(「饒速日命を求めて ⑧ ~天ノ鳥船の時代 前編~」)

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天ノ鳥船の時代 後編~」)

 

それを視た時、耳成山の近くまで水がありました。
下の地図の薄い青が、その時見た状態に似てます。

しかし、彼女は大雨か何かで増えた水かさを心配していたのです。

年々水かさが増えると。

また、「彼」が来た後、開墾した記憶があります。
饒速日たちが湖を湿地帯に変えた・・・水を引かせたと。

これに似た話を見つけたのです。

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それが、上記地図の左側の真ん中にある「大和川河床開削」。

上記サイトにこうあります。

*********

ここを開削すれば、水が大阪側へ流れる。
弥生時代に九州から奈良に到達した農耕民である弥生人がこれに気づかぬはずがない。
(中略)

(今から2000年前頃にはあったという)唐古遺跡。
唐古・鍵遺跡の環濠は弥生中期後半に洪水で埋まり、その後復旧した様子がある。
全国規模の異常気象であれば、各地で農耕不振となって倭国争乱のきっかけとなった可能性もある。

「古代で遊ぼ」より要約
(このサイトは素晴らしいです!当時の状況を見事に再現!)

 *******

以下、「饒速日命を求めて  ⑨」より

「倭国争乱」は邪馬台国の卑弥呼擁立の少し前の話。
この倭国争乱を鎮めたのが、九州から来た農耕民である彼らの「大和川開削」に当たるのだと思います。

ならば、私が見た「巨大な奈良湖」は饒速日が来る前の状態。

巨大な古代奈良湖
   ↓
饒速日たちが九州から移動して、「大和川開削」。
奈良湖の水を引かせる。
   ↓
*1の状態になった。(濃い青の範囲)
(  湖の周辺は湿地帯になっており、稲を育てていた)


  というのが時系列なのかもしれません。

 ******

「彼ら」にはその技術がありました。

福岡の那珂川には古代出雲族が携わった形跡がある「一の堰」があります。
裂田溝(日本最古の水路)も水利施設です。

伝承では、神功皇后と武内宿禰(住吉神か)が土地の人が造ったとされてます。

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(裂田溝・さくたのうなで)
彼らにはその技術があったのです。
「彼ら」が饒速日命だからこそ、那珂川と大和にその形跡があるのだと思われます。

 

「倭国争乱の後」、卑弥呼は擁立されます。

この湖の状態の時、「アマノトリフネが現れて饒速日命」と会ったのなら・・・。

饒速日命は「西暦200年前後の人」ということになります。

*倭国騒乱
          ↓

*大和川の開削(饒速日命たち)
          ↓

*倭国騒乱を鎮めたきっかけになった。
          ↓

*邪馬台国、卑弥呼擁立

であるなら、


*「倭国騒乱を鎮めた」のが饒速日命→後の天照大神
その后が御炊屋姫→後の豊受大神(女神の天照)


卑弥呼は、御炊屋姫ということになる。
時代が重なり、場所も同じ。
夫、饒速日命が倭国の騒乱を鎮めた。
ならば、彼女が「卑弥呼」で間違いないのでは?

卑弥呼」が天照大神の夫婦神、豊受大神。
市杵島姫命であり、瀬織津姫。
女神、天照。

「豊姫」も彼女のことなのかもしれません。


饒速日命が住吉神であり、御炊屋姫が神功皇后ならば、この時代ということになります。
少なくとも、筑紫の神社の伝承は、神功皇后を「200年頃」としている。

「彼女」が御炊屋姫であり、神功皇后だと確信できるのは、ずっと後のことでした。

 

 < 二つの玉の力  >

大和盆地にあった巨大な湖(奈良湖)。
大和川の「蓋が開き」、水がざあーっと一気に引いていく。

陸地が現れる。

その映像と共に浮かんだのは、これでした。

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出雲大社にある「大国主神」の像です。

 

あ!これが玉の力か!

これは「干珠満珠」「潮満玉 潮干玉」の”玉の力”、そのものでは?

その二つの玉は、彼の偉業を象徴していたのです。


水の満ち引きを操るという月神。

高良神であり、住吉神。
住吉の神は、海神。
そして、饒速日命。

彼らはみな、水を操る「二つの玉」を持つという伝承があります。
同神であるが故です。
(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝~」)


巨大湖の水を引くという大事業。
大地を広げ、争いの種を消したのです。

本当にあったとしたら、伝承に残りませんか?
人々が、後世に伝えていくはずです。

水を操った人たちがいた、と。

ならば、神として祀られるのでは?
大和の大いなる三輪山の神として。

大和を開拓したからこそ、三輪山に祀られたのです。

饒速日命は、十種神宝を所有しています。
住吉神、高良神、月神。
みな「干珠、満珠」という水を操る玉を持つ者。

彼らは同じ者であり、三輪山の神、大物主神。

三輪山の神が彼であるからこそ、奈良湖の水を引いたのは彼であるのです。

だからこそ、そんな神話ができたのです。
事実、大和にはその痕跡があります。


また、饒速日命は三輪山の大物主神であり、その荒魂は大国主神でした。
その大国主神にも「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)」の珠があります。
海から現れたというその珠は、彼を導きます。


大和の巨大湖の水が引く映像と共に浮かんだ、出雲大社の多大国主神の像。
それは、二つの事柄の神が、同じであることを示していました。

「彼ら」が同じ神だからこそ、「伝承の元」は同じなのです。
伝承や神話に散らばる同じ「アイテム」
そうそう、こんな物があるわけないんですよ。
みんな同じ物です。
ということは、扱う人も同じ者。

(「大国主神の幸魂奇魂」)


大国主神の名は、「大いなる国を造った」ことを示しています。

国土を開拓し、国を平かにした。


神の鉾   1」にありました。

大国主神は、国平神ともされています。

            *

 

応神天皇が言った
「国平(大国主)の鉾は倭に遷す」


国平(大国主)神、高良玉垂の神は、饒速日命。

彼が鉾を遷す「倭」とは、筑紫のことかもしれません。

彼、饒速日命は、大和の後に、再び筑紫に戻ったのです。
御炊屋姫と共に。

その先の神話が、神功皇后と住吉神。
その後、那珂川の一の堰、裂田溝を共に造ったのです。


なぜ、大和の後に再び筑紫に行ったのか。

それはまた別のお話で。


        *

本来、ここで終わりにするはずでしたが、繋がったことがありました。

「二つの珠」

もう一柱の神が所有していました。
彼も同神です。


( つづく )

 

2017年12月 4日 (月)

神の鉾 8 ~饒速日命と神功皇后 二柱の場所~

< 重なる場所 >

饒速日命と神功皇后。

彼が高良(住吉)神ならば、二人の「場所と時代」は重なります。


まずは場所。
その一つが、福岡県那珂川市。

現人神社の存在(住吉神の元宮)*1
住吉神=高良神=饒速日命。

裂田溝と裂田神社(神功皇后と武内宿禰の伝承地)。*2

(「裂田溝と裂田神社」の記事)
神秘書では、高良(住吉)神は物部保連と名乗り、人の姿で神功皇后と共にある。

(武内宿禰と同一か、一緒くたになってるかは不明。)
裂田溝は、神功皇后が住吉の神の為に造った水路(ここに二人で住んでいたから造ったのでは?)

猫嶺城」の存在。*3
後に、高良の神が若い頃に住んでいたという「猫城(猫嶺城)」を那珂川で発見。
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」の記事)

高良の神は、国の根っ子を造った神として、根子神、猫神としても祀られる。
(記述を見たのは「筑前国風土記」だったかも)


伏見神社。御祭神は、神功皇后の妹とされる豊姫。(「伏見神社の磯羅舞」の記事)*4
この町には、高良の伝承の4柱が祀られている。
(表筒男と底筒男、神功皇后と、豊姫)豊姫は神功皇后と同一か、一緒くたになってる。

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(日吉神社。この時のパワーが凄かった!
いつもは普通^^)


☆日吉神社の存在(日吉大社の元宮の一つ)*5
猿田彦(=饒速日命)の発祥の地ともされる日吉神社の記事)
発祥ということは、「生まれた地」か?

結びの山 その14 日吉の神とニギハヤヒ命

☆イザナギ神の禊の地<筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原>の地形と地名がある。*6

(「安徳台と高天原」)

岩戸郷という旧地名(今は地区名が岩戸)。*7

*1 現人神社は、住吉神の元宮。
*2 裂田溝などの、神功皇后、武内宿禰。

*3 猫嶺城の高良大神
*4 伏見神社の豊姫(同一か一緒くたになってるか)。

*5 日吉神社は、日吉大社の元宮の一つ。
天孫降臨の時の猿田彦神、天鈿女(アメノウズメ)。

最澄さんがここから日吉大社へ勧請したのは、猿田彦神でもある、大己貴神。
詳しくは、「結びの山 その14 日吉の神とニギハヤヒ命」へ

*6 神話の「伊邪那岐の禊」で現れた神は、
天照、住吉神、月神、宗像三神(市杵島姫命)など。

*7 岩戸の神話で、上の神の他に瀬織津姫など。
上記の神、すべて、饒速日命、御炊屋姫(神功皇后)が名を替えた神。(分霊)

 

この地で神話が生まれたのです。
神話やこれらの伝承は、彼らがこの地で共に過ごしたから創作されたもの。

何より、ここには「現人神社」がある。
住吉神が饒速日命であり、天照神ならば、「神話」は必然なのです。

Screenshot_202201302133022


( 現人神社 )

ここには「納得できる」神話の名残があります。
決して、景観が良いとか、神々しい風景とは言えませんが。
これらの社に訪れた時、必ず分かるはずです。

 

彼らが生きた証が、感じられるのです。


           *


< 奈良の神功皇后の伝承地 >

もう一つが、奈良の登美の地です。

「彼ら」と重なります。


下の地図の緑の線の内側が、古代登美族の地だと思われます。
下の画像は、次回にもリンクを載せる「饒速日命を求めて ⑧ ~天ノ鳥船の時代 前編~

饒速日命を求めて⑨~天ノ鳥船の時代  後編」より。
饒速日命の別名は、登美饒速日命。
御炊屋姫の別名は、登美夜毘売。

饒速日は、彼女(登美族)の入り婿になったという伝承があります。

 

紫色の丸で囲った周辺が「矢田丘陵」の地。
ここに饒速日命と御炊屋姫を祀る「矢田坐久志玉彦神社」があります。


行って初めて分かったのですが、古代の登美の地は広い。

Screenshot_202201302133162

右上の「3」の紫印が平城で「神功皇后の御陵(五社神古墳)」のある地。
そのすぐ側に今の私は住んでいました。
その辺りも「登美」と言われていたそうです。
今でも「登美ヶ丘」という地名があります。

 

ですから、三炊屋姫の「登美一族」の地は奈良盆地の北西の大部分を占めていたのかもしれません。
推測ですが、緑の線で囲った線の内側です。
(南の方はどこまでか分かりません)

地図の南東の水色の部分は、当時の湖の範囲。

標高45m付近。

この辺りの湖は夢で見ていないので、推測です。

(見たのは耳成山あたりで)

 

☆登美の地の神功皇后と饒速日命 

☆上記にもありますが、3は神功皇后の御陵さん。
ここから西に、「饒速日命と御炊屋姫」が暮らしていたという伝承がある登美ヶ丘があります。


忍熊皇子社と、忍熊皇子、籠坂皇子の墓。
神功皇后が誅殺した義理の皇子です。

登美ヶ丘のすぐ手前にそれがある押熊町、北、京都との境に神功町があります。
小学校の校区だったので、押熊町の名を何度も聞いてました。

奈良ではもう一カ所。

☆磐余若桜宮。
桜井市にある神功皇后が住んでいたという地。
(候補地は二カ所あるが分からない)ここで崩御したそうです。
桜井の名の由来でもある地、先日行った、等彌神社の側です。

(御祭神は、天照皇大宮・実際は饒速日命。彼は登美饒速日命。

奈良での神功皇后の伝承は、この二カ所しかありません。
(しかもその二カ所とも、饒速日命と関わりがある地)

平和だったから?
筑紫(福岡)では、歩き回る度に、神社や伝承ができた彼女の「足跡」がない?

彼らは以後、奈良で暮らした形跡はみえないのです。
何より、神功皇后は、奈良の山に登っていない。


「山に登る」

それは、神に逢う行為と等しいこと。
山に神がおられるからです。
また、それは土地の守りを強める神事。

しないことは、あり得ないのです。

筑紫ではあんなに登っていたのに。



「彼女たち」は、筑紫から大和へ戻った後、再び筑紫へ行ったのではないかと考えてます。
ここには、そう長くはいなかったのでは、と。

(他の地にも、住吉神と神功皇后を祀る神社はあります)

次回は、終章、「重なる時代」

( つづく )

 

神の鉾 7 ~高良神は物部姓。違えるならば当山滅す~

神の鉾 番外編」は、二柱の天照大神について。
男神・天照大神が饒速日命。
女神・天照大神がその后、御炊屋姫(豊受大神、市杵島姫命など)。
(天照の撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)の厳御魂 は厳島(いつくしま)神社の神、市杵島姫命)


 「神の鉾 6 神功皇后幻想」では、御炊屋姫(ヒミカ)が、神功皇后と同一だと、私自身が思い至った過程。
不確かな前世、また土地の縁などからではありますが、そこから繋がっていきます。


少し戻って、「神の鉾 5」
高良(住吉)神と饒速日命は同神であるので、「干珠満珠」「十種神宝の生玉死返玉」は同じ物。


ここまでのまとめ。

☆籠神社の御祭神は「二柱の天照大神」にもあった、天火明命、豊受大神。
天火明命=饒速日命=住吉神=(海幸彦山幸彦も)
彼らが同神であるので、「干珠満珠」、「十種神宝の生玉、死返玉」は同じ物。

☆伊勢神宮の神は月神=天照大神。

天火明命=饒速日命=住吉大神=高良神=月神=天照大神。
(饒速日命は、日神、月神、星神(布留神)、海神(住吉、は星も)でもある)

では、「高良玉垂宮神秘書」と、「住吉大社の伝承」は、(御祭神が同神ゆえ)同じことを告げています。
高良神=住吉神は、神功皇后と夫婦
すべての伝承が繋がります。

 

彼が饒速日命ならば、その后は御炊屋姫。
では、神功皇后は彼女なのか?


< 高良神と物部 >


「高良玉垂宮神秘書」の記述をもう一度。

長男である表筒男神は、神功皇后の妹の豊姫と夫婦。
三男である底筒男神は、神功皇后と夫婦。
底筒男神の地上での名は、物部保連、高良大菩薩。

高良大社(7)
九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』
(綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」より要約)

高良大社の御祭神、住吉(底筒男)神の地上での名は物部保連。
「地上での名」、人としての名です。
物部は、饒速日命と御炊屋姫の子、宇摩志麻遲(ウマシマジ)命を祖先とする一族の名。

これまで出てきたいくつもの「鍵」。
どれも、饒速日命に繋がります。
高良大社が祀るのは、物部の祖神(饒速日命)。

後に「高良玉垂宮神秘書」を手に入れました。
そこには何度も出て来た言葉があります。

「高良神は物部姓。たがえるならば、当山滅す」

高良の神は物部の神である。
変えるならば、この社(高良大社)は滅んでしまう。

とても強い口調で何度も。
彼は、祖神、饒速日命で間違いないのです。

その高良神と夫婦だという神功皇后。
決して、高良神(饒速日命)の「子孫と夫婦」ではありません。
彼、自身となのです。


< 彼らの御子 >

高良神と神功皇后の御子の名に、饒速日命と御炊屋姫に繋がる物がありました。

 
「神秘書」には、高良神(住吉、底筒男神)と神功皇后の間には、5人の子が生まれ、仲哀天皇との子が4人で、9人の子がいたとあります。
これが「九躰王子」として、坂本神社など高良周辺に祀られています。

その御子の中に、「応神天皇(品陀別命・ほんだわけ)」の名がありません。
全てが実在していたとも思えませんが。
(または、全てが血が繋がった子では無いのかもしれません)

でも気になる名があります。
一番目の皇子
斯礼賀志命(しれかし)。
彼が長子なら、応神天皇(神功皇后と仲哀天皇の子)です。  

かし」は、星に関連する名でした。
また、饒速日命の后は、御炊屋姫(ミカシキヤ)姫。

(大神神社の摂社は、御炊(みかしぎ)社=豊受大神)


饒速日命(又の名を「布留」)と、御炊屋姫の子は、宇摩志麻治。
ウマシマジは、銀河、天の川に由来する名。
三柱とも「星」に由来する名です。

長子ウマシマジ、長子シレカシ、共に星を意味する。
高良神が饒速日命であり、神功皇后が御炊屋姫ならば、それは必然なのでは?

名は、呪なのです。
(「儺の国の星」 ~宇摩志麻治の名の意味~」)

 

住吉神である底筒男神の筒も、星を表すと、「儺の国の星」にあります。
そもそも住吉三神は、オリオン座の三つ星を表す。

また彦星と織姫は、彼ら二人です。
御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味」の記事に記載。

長子、斯礼賀志命(しれかし)も星に関する名ならば、
記紀の「仲哀天皇」と夫婦という話さえ、創作では無いのか。


ここでまた、思い至ります。
神功皇后と御炊屋姫は、同一人物なのでは?

「御炊屋姫と奈良の地で出会った饒速日命」と
「神功皇后と出会った、住吉の神の底筒男神」は同じ?

神功皇后が御炊屋姫で、
高良神(住吉神)が饒速日命ならば、
二人が「夫婦になった」という記述は頷けます。

そういえば、以前、住吉神社の元宮である現人神社の神を、瞑想の中で見ていました。



(つづく)

*今、気づきました。
日本書紀には、神功皇后に関する章がとても長いのです。
もしも彼女が、天照大神(女神)とされたのならば、その記述の多さも納得できます。
(後に分かりますが、彼らは記紀の中で、名前や時代を替え、何度も出てきます)

しかし、彼女が活躍した舞台は、ほとんどが筑紫にあります。

2017年12月 3日 (日)

神の鉾 6 ~神功皇后幻想~

何故、私が「神功皇后」にこだわるのか。
それが、様々な絡まった糸を解く鍵になります。
多分、これがないと解けません。
「常識」が邪魔をするからです。

また、当時は「呪術(スピリチュアルなこと)」ありきでした。
今では思いつかないようなことが存在し、それがなければ真実にたどり着けません。

 

< 神功皇后と住吉神 >

高良神は、住吉大神。

住吉の神は、神功皇后の「三韓征伐」伝承に現れます。
神話には、彼女が乗った船の舳先に現れ、彼女を守ったとあります。

 

なぜ?住吉神?

ずっとそれが気にかかってました。
神という抽象的な存在ではなく、ありありとその姿が浮かんだのです。

もしかしたら、神として在ったのでは無いのでは?

その違和感をずっと持ち続けました。

後に福岡、那珂川の「現人(あらひと)神社」の側へと移り住みます。(偶然!)

Screenshot_202201270906192

 

ここは、住吉の元宮。

住吉大神は、神社皇后の前に(初めて人の前に)人の姿となり現れた神。
故に「現人神」。

また、何度も国の大事の時に、人の姿となり現れる神とされます。

この地には、神功皇后の伝承が多くありました。

(☆→裂田溝(さくたのうなで)と裂田神社の記事)
(☆→迹驚岡の記事)

 

ちょっと脱線しますが、関わりがあることです。
自分には、卑弥果という名の前世があります。

古代奈良の夢で、アマノトリフネに乗ってやってきた饒速日命(竜厘)と出会いました。
(☆→古代奈良の夢の記事)

「卑弥果」は、何度転生しても変わらない魂の名。
(その名は他の前世の仲間から教えて貰う)

「古代の奈良」の自分は、今、御炊屋姫と呼ばれてると知りました。
(当時は、ヒミカと呼ばれていたはず。その時の別の名はあったかも)

今の私は、奈良の神功皇后の御陵さんの側で育ち、神功皇后と関わりが深い那珂川へ来たことになります。
奈良ではこんな体験をします。
(☆→神功皇后と卑弥呼の記事)

 

那珂川のある場所に初めて来た時、強い既視感がありました。
安徳台の側、裂田神社の間から見た、田んぼが広がる光景です。
Screenshot_202201061107302

ここに来たことがある。

また、ここに来ることを知っていた。
(安徳台。上の写真は視えた角度が違う)

 

この瞬間を、時を超えて視ている。
金色に耀く風景を、遠い昔に視ていた。

この時の強烈な体験が、ますますあの疑問を呼び覚まします。

神功皇后って、卑弥果(古代奈良の時)の生まれ変わり?
住吉神って誰?

武内宿禰は彼(饒速日命*竜厘)?

(竜厘と卑弥果ら、7人はいつも集団転生してます)

 

< 神秘書の記述 >

のちに、「高良玉垂宮神秘書」の記述に出会います。

高良玉垂宮神秘書には、はっきりと、「高良神と神功皇后が夫婦」だとありました。
(住吉大社の伝承には、住吉大神と神功皇后が夫婦とあります)

高良(住吉)神は、神話の時代の饒速日命。

神功皇后とは、時代が違いすぎる。
でも、もしも。

住吉神が饒速日命ならば、

神功皇后は御炊屋姫になるのか?

饒速日命は神ではなく、人であった。

(「神の鉾」を書いてた頃は疑問符だらけ!)



< 天啓 >

その後、高良大社で神職さんからお聞きしました。

「神功皇后の船の舳先に立って守ったのが、御祭神の磯良神」

宝物殿の中、タペストリーを見せて頂いた時のことです。
そこには、神功皇后の「三韓征伐」の伝承の様子が描かれていました。

 

「神功皇后の船の舳先に立って守ったのは住吉の神なんですが、磯良神は住吉の神なのですか?」
問うと、

「そうですよ」と。

高良玉垂の神である磯良神が住吉の神だとは、周知の事実のようでした。
この時です。


< 二人は同じ時を生きていた >


天啓のようなものがあったのです。
まるで、タペストリーから伝えられたように。
全て、繋がった瞬間。

もしかしたら、本当にそうなのか?

 

ならば、現人神社の

「住吉神は国の大事の時、人の姿となり現れる」

という記述は、人として転生する、という意味ではないのか?

彼が饒速日命ならば、それは集団転生する私たちの「予言」ではないのか?
「そう」ならば、未来が視えていた「彼ら」がしたのだろう。

 

彼らは転生する度、人の手には負えない、「人ではないもの」と戦っていました。

国の大事の時。

彼らが転生する時は、そういう時なのです。

前世の饒速日命も御炊屋姫も、伝承の神功皇后も高良神(住吉神)も、それと戦っていたのです。
(後に記述)

 

では、あれは本当なのかもしれない。

夢と現実が繋がったのです。

 

 本編へ戻ります。

 

(つづく)


*自分は、参考にした文献、またネットの情報(考察など)でもできる限りその「ソース」を記載しています。

これは最低限、当たり前な事だと思うからです。

 (後でごたごたを起こしたくないというのもある。他人の考察をさも自分が考えたかのように書いてたらいい気分はしない)            .

神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~(改訂版)  

ここで、二柱の天照大神について、後に分かったことを記します。

伊勢の下宮の神は、籠神社から呼び寄せた(勧請した)月神。
(下宮の神は豊受大神)


しかし、籠神社の月神は、御祭神の天火明命。

籠神社の伝承にも、月神、天火明命として登場します。

彼は、饒速日命。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。


彼こそ、内宮の天照大神。
(日月の神・日月神事の神でもある)。
後の世に、天照神が女神とされた時、内宮と外宮の神が入れ替わったのです。

☆籠神社には天火明命と豊受大神が祀られている。

伊勢の内宮の神が「独り身だと寂しい」からと呼び寄せたのが、籠神社の豊受大神。
もとは、籠神社で二柱で祀られていたのだから、「引き離されて寂しい」と、片割れを呼び寄せたのです。

ならば、内宮に元々いたのは豊受神ではない、ということになる。(下記より)


女神・天照大神の名の二つが意味するもの。

天疎向津姫命(あまさかるむかつひめみこと)は、
「天(日の神)では無く、神に向かい合っている者」。

撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)は、
「神との境をつき(斎き)、響かせる御魂」。

二つの名に共通するのは、
天(日の)神ではなく、神を斎き祀る者」だということ。

厳御魂(いつのみたま)から、
女神・天照は、厳島神社の御神霊である、市杵島姫命(宗像神)です。
(彼女にも多くの名があります)

いちきしま、いつくしま、「斎き島」は、星の神を祀る者。(詳細は下記リンク)

彼女こそ、天照大神の后、御炊屋姫であり、瀬織津姫です。

(「御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味~「儺の国の星」の炊屋星~)

この神が祀られる所、必ずもう一柱が祀られていました。
彼らは夫婦神であり、すべて、天照大神と豊受大神である、饒速日命と御炊屋姫だからです。
 この二柱が揃ってこその、天照大神なのです。

社に一緒に祀られている神々の名をよく見てください。
必ずそうなっています。
ただ、意味もなく配列されてる訳ではないのです。


伊勢
内宮・天照大神
下宮・豊受大神


大神神社
本殿・大物主神
御炊社・御膳津神(豊受大神)


籠神社
本殿・天火明命
相殿・豊受大神

廣瀬大社
本殿・豊受大神(宇迦之御魂神)
相殿・櫛玉彦・穂雷神(武御雷=饒速日)


高良大社
本殿・高良玉垂神、住吉大神、八幡大神
本殿内摂社・豊比咩社
摂社・厳島神社(市杵島姫命)(御手洗池の側)


宇佐神宮
一之御殿・八幡大神
二之御殿・比売大神(宗像三神)
三之御殿・神功皇后


住吉大社
第一本宮・底筒男神
第二本宮・中筒男神
第三本宮・表筒男神
第四本宮・息長足姫命(神功皇后)
(これはほんの一部)


*八幡大神は、神功皇后の御子、応神天皇。
神(伝承)としては、父親と子が一緒くたになっている。
*住吉三神、宗像三神は、元はそれぞれ一柱の神。

天照大神=饒速日命=大物主神=天火明命=櫛玉彦=穂雷神=高良玉垂神=住吉大神=八幡大神など

豊受大神=宇迦之御魂神=市杵島姫命=豊比咩大神など

宇佐神宮などに、比売大神として祀られる宗像三女神は市杵島姫命であり、神功皇后。

宗像三女神=市杵島姫命=神功皇后=御炊屋姫。

由来が分からず、姫大神、玉依姫と名がついているのは、全て彼女です。
玉依姫は、「神の魂の依り代(声を聞く)」、巫女の意味。

(「「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~)

 そうか、書いてて気づいた、当たり前だけど。

このどちらかの名が社に記されている時は、他の祭神は、必ずもう一方の
「天照神、豊受神(饒速日命と御炊屋姫)」なんだ。

 

誤解のないのように申しますと、
「天照大神は女神」
それは「偽り」ではありません。

<神は人の祈りにより存在するもの>

今までそう祈られて来た天照大神は、彼女でもあるのです。

ただ、宇宙神霊ARIONが言っていた「岩戸を開ける」の意味は、
隠されて来た本来の天照神、饒速日命を
1人でも多くの人が認識することだと感じてます。


「岩戸を開ける」
それが地球の希望になるそうです。

(   つづく   )

*******************************************

秘され、絡まった糸を解き、真実に近づくこと。


どなたかの心の琴線に触れ、直感を得られる種になれること。

それをただ希望しています。





神の鉾 5 ~月神と二つの珠と十種神宝~(改訂版)

高良神は、住吉神であり、饒速日命。
それを示唆するものが、「神秘書」の中にありました。

さらに夫婦とされる「神功皇后」も登場します。

 

高良大社(7)
九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』
(綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」より引用)

***********************************************

嫡男の日神・表筒男の尊は神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連。
天照大神のひまごという事から付いた名である。
二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。

三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。
地上での名は物部の保連。藤大臣。高良大菩薩。
藤大臣と呼ぶのは、干珠満珠を借りた時の仮の名前。

皇后には九人の御子がいた。
四人は仲哀天皇との間の御子で、五人は高良大菩薩との間の御子である。
合わせて九人の御子を九躰の皇子と言う。

(中略)

1 斯礼賀志命(しれかし)     
2 朝日豊盛命(あさひとよもり) 
3 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
4 渕志命(ふちし)
5 谿上命(たにがみ)
6 那男美命(なをみ)
7 坂本命(さかもと)
8 安志奇命(あしき)
9 安楽應寳秘命(あらをほひめ)


*************************************************

筑後国一之宮「高良大社」の御祭神は、

高良玉垂命
八幡大神(応神天皇)
住吉大神

後に分かりますが、皆、同神、饒速日命です。(後に詳しく)
故に、高良神である住吉大神と、神功皇后が共に行動をしているのです。


< 二つの珠  >

海神がもたらしたという「干珠と満珠」

綾杉るなさんは、この二つの珠について、こう書かれています。

これは「神の鉾 3 」の磯良舞にも出てきます。


  玉依姫は白玉で潮干珠(しおひるたま)、豊玉姫は赤玉で潮満珠(しおみつたま)、
  その玉を使いこなすのが高良玉垂の神。

          (中略)
  高良玉垂命とは、潮の満ち引きを司る神と言う事になります。  
  人は潮が引くときに、息を引き取ります。潮が満ちる時に生まれます。
  潮の満ち引きは月のなせる技です。
  ですから、月の神様と言われる訳です。
  これが御神徳の「延命長寿」にもつながっていきます。



海神がもたらした「干珠と満珠」という二つの玉は、「人の生死」に関わる。
それを使いこなす高良神は月神。

同じような物が出てくる話があります。

饒速日命がもたらした「十種神宝」。
その中の、生玉、死返玉。
亡くなった人をも蘇らせるという神の宝。


kono87(前世の仲間の一人)さんが、以前ブログでそれを書かれていました。

  生玉は陽の言霊で潮満玉
  死返玉は陰の言霊で潮干玉


饒速日命は、これらの神宝を使いこなしていました。
石上神宮には彼が伝えたという、十種神宝の名を唱える祝詞があります。

 

亡くなった人をも蘇らせると言われる神宝を操る神。
人の生死にかかわる事のできる神。
饒速日命である天火明命も、籠神社の伝承で月神とされています。

饒速日命の「十種神宝の生玉、死返玉」と

高良の神の「干珠満珠」。                         .
それは同じ物です。

高良神と、饒速日命。
同じ月神なのです。


神話の月神・月読神はすぐに隠れてしまいます。
その後、登場しません。
それは、饒速日命の(神話上での)行方を示唆しているようです。

*後に分かります。

大阪の住吉大社には、「潮満珠と潮干珠」のお守りがあります。
また、境内の「玉ノ井」には潮満珠が沈められているとされます。

Screenshot_202201201739502

「海幸彦山幸彦」の神話の中で、
山幸彦が海神から授かったとされる二つの珠。
とお守りの説明文には書かれています。


住吉神=饒速日命=海幸彦山幸彦の伝承
干珠満珠=十種神宝の玉=潮満珠と潮干珠

 

同神であるから、それは同じ物。

だから、その社にあるのです。


(2022/1/20改訂)

( つづく )

 

 

 

2017年12月 2日 (土)

神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~(改訂版)

伊野天照皇大神宮にあった鉾。

御祭神は天照大神。

本来、天照は女神では無かったのです。

 

そこにあった鉾は、「神の鉾 1」で感じた「国平・大国主神」の鉾(を象徴している)。
では、天照大神が、大国主神なのか?

大国主は、大物主であり、三輪の神、饒速日命に繋がる。


********************

神の鉾 2」では、「神の鉾」繋がりから、「高良玉垂宮神秘書」へ。
神秘書(伝承の中で)の鉾は、住吉大明神と住吉三神の物でした。
四柱の内、高良大社の御祭神は、<住吉の底筒男神>。
又の名を、安曇磯良神。

神の鉾 3」では、安曇磯良神の名から、
安曇氏との関わる出雲の神、海の神、
イソノカミの名から「石上」へ。
石上神宮の御祭神、布留神へと繋がりました。
それは、星神を意味する名。
饒速日命です。


ここでも、彼に繋がりました。
では、伊野の天照大神と、大国主神と、饒速日命は同神なのか。
ならば、あの鉾は「饒速日命」のものです。

*******************************


< 高良大社の神 >

高良大社の御祭神、安曇磯良(アントンイソラ)神とは何者なのか。
その姿を、深く探ります。

 

磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。
綾杉るなさんのブログ<高良大社 (高良玉垂宮) (Ⅱ)> (「ひもろぎ逍遥」より引用)

磯良神は、大和と、ひたちと、勝馬(福岡の志賀島)におられた神。

*志賀島には志賀海神社があり、海津見三神が祀られている。


その記述に思い当たる一柱の神がいます。

奈良の春日大社の武甕槌(タケミカヅチ)神。
武甕槌神は、常陸(ひたち)の鹿島神宮から勧請されている。


その武甕槌神は、建御雷神と同じ神様。
「国譲り」で活躍する神です。

(追記 「儺の国の星」の著者、真鍋氏の先祖は物部氏であり、鹿島神宮の神官を代々していた。
 鹿島神宮と物部氏の繋がりが見えます。*物部の祖神は饒速日命。)


神の鉾 1」の最初に、彼の神は出てきました。

 

 崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
 同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。


建御雷神は、大国主が「国譲り」をした相手。
だから同じ神殿ではいけないだろうと、「後の世」の人が分けたのです。

ですが、元々は同じ神社に祀られてあった。

これは、同じ神だからです。
(社に配列されてあるのは、ほとんどが同神)

さらに、
 神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、
国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰った

という記述。

*品陀和氣(ほんだわけ)命は、神功皇后の御子、応神天皇のこと。

「鉾」は、国平大神、すなわち大国主の物です。

大国主神の和魂は、大物主神。
同じ神です。

大物主神は、奈良の三輪山の神である饒速日命。

饒速日命は、神武天皇に大和の国(奈良)を国譲りしたと、神話にはあります。
(実際には神武天皇への国譲りはなかった)

大国主神の伝承と重なります。

☆磯良神は、ひたちの神・武甕槌(建御雷)神であり、春日神。
☆「国譲り」をした、国平大神(大国主)と建御雷男命は同神(同じ社に祀られていた)。
☆大国主神は、大物主神。

☆大物主神は別名、倭大物主櫛甕玉彦(やまとのおおものぬしくしみかたまのひこ)。
☆櫛甕玉彦は、饒速日命。

☆饒速日命は、神武天皇に「国譲りをした」。(神話)
☆高良大社は物部氏の祖神(饒速日命)を祀る。


高良(安曇磯良)神=住吉神=武甕槌神=春日神=大国主神=大物主神=饒速日命。  
饒速日命は、物部の祖神。

そうか!
「荒魂」である大国主神は、武甕槌神と国譲りをしています。
「和魂」である、大物主神の饒速日命は、神武天皇と国譲りを。

同じ者(饒速日命)の伝承を、別の表現にしているのです。
(しかも、武甕槌(常陸の)神は、饒速日命自身)


< 饒速日命は天照大神 >

彼の別名に、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命があります。

真の天照大神。

女神・天照の二つの名に共通するのは、「天(日の)神ではなく、神を斎き祀る者」だということ。
このような名は、彼にはありません。
☆撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)
☆天疎向津姫命(あまさかるむかつひめみこと)

(詳細は下のリンク)


饒速日命が大物主神であり、天照大神ならば、
彼と、大物主神の荒魂である、大国主神は同神なのです。

すなわち、「神(伊野)の鉾」とは、天照大神である饒速日命のもの。

饒速日命は、彼を祀っていた一族が地方へ散らばり、
その一族の名や、土地の名や、職業の神として、
様々な名に変えられていきました。
元は一柱の神だったのです。

これが<分御魂(わけみたま)>
ほとんどの神は、天照大神の分霊です。

                                   .
磯良神は、饒速日命に繋がりました。

ならば、住吉(底筒男)神であり月神である、
高良大社の御祭神の高良玉垂神は、饒速日命・・・。


それは、腑に落ちるのです。
痛いほどよく分かる。
でも、一つ疑問がありました。

高良神(磯良神・住吉神)は、神秘書や伝承の中で、
常に「神功皇后」と行動を共にしているのです。
(*住吉大社に伝わる伝承でも、「住吉神と神功皇后は夫婦」とされています。)

「彼」が饒速日命、本人ならば、時代が違うだろう?

 

それを次の回から探ります。


(2022/1/16改訂)

 

( つづく )

 

 

 

2017年12月 1日 (金)

神の鉾 3 ~安曇磯良神~(改訂版)

神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」の続きになります。

 

その「神の鉾」は誰のものか?

それには、神秘書に書かれている「安曇磯良神」のことを記さねばなりません。
彼は、高良大社の御祭神です。
以前、神職さんから直接お聞きしました(詳細は「神の鉾 6」にて)

つまり、高良玉垂神は、安曇磯良神であり、(住吉三神の)底筒男神でもあるのです。

                          *
その「安曇磯良神」が登場する神楽があります。

式志神社の磯良舞のあらすじに気になるものがありました。
綾杉るなさんが、書かれています。

<高良大社 (高良玉垂宮) (Ⅱ)> (「ひもろぎ逍遥」より引用)
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磯良舞 (いそらまい)   ( 武内神 豊姫神 磯良神 海神 )  

神功皇后らが新羅へ進軍する時のお話です。
48艘の船団でいよいよ新羅へ。
その時、武内神が干珠満珠を貰い受けようとしました。

磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。

いそら神が干珠満珠を海神のところに行って、貰おうとするが、
なかなかもらえず、豊姫が代わりに海神の所に行く。

すると海神は「神楽を舞うならば、授けよう」と言う。豊姫は神楽を舞い、海神から干珠満珠を授かる。

豊姫はそれを武内神に渡す。


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場面は、前回の「神の鉾 2」の神功皇后が四王寺山で祈って、
住吉神と、月神(底筒男神)と、日神(表筒男神)が現れ、
大将軍や副将軍となり、力になる約束をした後の話です。

三韓へ出兵する時がきました。

当時の博多湾には、常時、新羅が攻めてきていたという話もあり、
「海の向こうの豊かな国を手に入れよ」という記紀の記述とは、
少し違うような気もします。(←後に新羅とは別の話だと分かる)


ここには様々なヒントがありました。
☆干珠満珠(海神のもの)
☆磯良神の遍歴。
☆四柱が関わること。
(神功皇后、磯良神、豊姫、武内神(武内宿禰)


< 高良神の安曇磯良神とは >

高良大社の御祭神=高良玉垂神=住吉(底筒男)神=安曇磯良神。

安曇磯良(アントンイソラ)神の名から分かることがあります。


安曇族との関わり。
彼らと出雲族はもともと同じ海を渡る一族でした。


「儺の国の星」には
<安曇氏・阿曇氏のあづみは、ワタツミノカミの「ワタツミ」がつまったもの>とあります。
綿津見神・少童神・海津見神などは、同じワタツミノカミ。
それぞれの一族が、神の名を替え祀ったのです。

ならば、磯良神は出雲族の神。
   
                           
< 磯良の名 >

磯良神、イソラカミ。

「ラ」は、古語で光、神を意味します。

であれば、イソノカミ。
石上?

「儺の国の星」にありました。

谷神(こくしん)を倭人は石上と書き"いそのかみ"と訓じてきた。
磯神(いそのかみ)が砂鉄を掬って炭とまぜて鉄を求めた仕事は黒に生まれ、
黒を育てて黒を成す過程にほかならなかったのである。

鉄を"ふるみたま"と言う。
暗黒の宇宙の色をそのまま復元した姿であった。
(「儺の国の星」より)

  

ここに「磯神(いそのかみ)」の名があります。

磯は石(でできている)。
石は星(古語で石と星は同義語)。


ふるみたまとは、布留御霊。
布留(ふる)とは、隕鉄(隕石からとれた鉄)、また、それからできた剣。

故に布留神は星神(でもある)。


彼は、奈良の石上神宮の御祭神。
布留神とは、饒速日命です。


高良玉垂宮神秘書にある、磯良神は饒速日命ではないのか?
饒速日命の伝承は、この一帯、筑紫(福岡)辺りに広く残されているのです。


*後に知ります。
高良大社は、物部氏の祖神を祀る社でした。
物部氏の祖神は饒速日命。

 

「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏は、物部の末裔です。
それは那珂川に古来より伝わる、星の名の本。

この本が繋いでくれる、遥かな過去と今。

それは、物部が大切に紡いできた贈り物でした。


物部に導かれるように、過去が解き明かされます。

 

かの本に書かれていることと、私のわずかな記憶。
それが重なる時、パズルのピースがはまるのです。

 

(2022/1/15改訂)


( つづく )    

 

*「神の鉾 3」は、2017年11月30日の

神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~

の続きになります。

amebloでココログとほぼ同じ内容で書いてます。
後に分かったことなどを書き足す内に、改訂しないと後に続かなくなりました^^;

以降、amebloの記事からの転載です。

                    

 

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