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2017年12月27日 (水)

命尽くし神の出現地*冷水峠 ~筑紫神の伝承 7~

続きです。

☆→大根地山の神功皇后 後編 ~筑紫神の伝承 6~

 

☆1 大根地山と冷水峠の場所
☆2 シタクラツクシ坂
☆3 筑前と筑後の境
☆4 大いなる神の地

 

☆1 大根地山と冷水峠の場所

大根地山は特別な場所にあった。

Oonetiyama037

(地図はGoogleMapより)

 

1の東(右端)は、英彦山(英彦神宮
2の西(左端)は、飯盛山飯盛神社中社
3の南は、高良大社
4の北は笠置山(ニギハヤヒ神が降臨した山。お社は「天照神社」へ移る)

 

すべて、饒速日命が祀られてるお山。

その四座の山の中心地。
上の地図の交わっている場所。
それが「大根地山」の麓。

「冷水峠」と呼ばれている場所であった。

下の写真、「現在地」と記されている地点。

Ooneti10

「長崎街道」の案内板に「かつて九州の箱根と言われている程の難所」とある。                   .

その「難所」を思い起こさせる言葉が伝承にあった。
鞍韉盡之坂(したくらつくしのさか)だ。

 

それは、あの筑紫の神の伝承に繋がる。
その伝承の部分を紐解いてみる。

 

☆2 シタクラツクシ坂

鞍韉盡之坂(したくらつくしのさか)

☆筑紫神社

wikiには、筑紫神の祭神についての由緒に、二つの由緒が挙げられている。


一つは、「鞍尽くし」。
筑前国と筑後国の二国の間が「坂が険しく鞍が擦り切れたため」
これは険しくて通行するのが困難なことを表す。

もう一つが、「命尽くしの神」。

二国の境に荒ぶる神がいて往来の人が命を落とす「命尽くし」神の話。

筑紫神社(Wikipedia)神社

☆筑後国風土記(Wikipedia)には、その伝承が記されてある。

昔 此堺上 有鹿猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神 
干時 筑紫君肥君等占之 令筑紫君等之祖甕依姫 為祝祭之
自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神

       昔、こ(筑前・筑後)の国境に荒ぶる神がいて通行人の半分は生き半分は
       死んでいた。その数は極めて多かった。そこで「人の命尽の神」と言った。
       筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫を祭司として
       まつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。
       これを持って「筑紫の神」と言う。(Wikipediaより)
                           .

上記二つの伝承を繋ぐものとして、古事類苑(筑紫国 釋日本紀)
筑後国風土記の(筑前・筑後)の国境に荒ぶる「命尽くし」神は、「土人曰 鞍韉盡之坂にいた神。

 

つまり、☆1の筑紫神社の御祭神の「鞍尽くし」と「命尽くし」は、同じ伝承が元。
鞍韉盡之坂に命尽くし神がいたのだ。

 

では、「命尽くし」神が出たという鞍韉盡之坂。
筑前国と筑後国の境の山にあったというその坂とは、冷水峠なのか。

 

 

☆3 <筑前と筑後の境>

それは福岡を北と南で分ける地域になる。
今の「筑前・筑後」の境で考えると決してたどりつかない。

この場所は
☆荒穂神社にあった「基山の東」
☆筑紫神社の伝承の「筑前と筑後の境の山の峠」


それが上記「筑後風土記」の国境にあったという
鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂」。
荒ぶる神である「尽くし」神が出た言う、その険しい峠です。


そのような場所は、筑紫神社辺りには無い。
もちろん、基山辺り(下の図の1)にも。
ずっと疑問に思ってたのだが。

それは、「冷水峠」なのでは?

Oonetiyama026

                                                           (地図はGoogleMapより)
1の一番下の星印が基山。
2の少し右(東)斜め上が筑紫神社。
そして、写真の右上にあるハートマークの場所が「大根地山」頂上。

九州の箱根と言われる程の難所であった「冷水峠」。
上の写真では「大根地山」の麓、青い印の辺り一帯。

この場所こそ、「鞍韉盡坂」
後にこの一帯、全ての山を歩いていますが、険しい場所はここ以外ない。

まして、そこは「人の往来が必要な場所」でもある。

基山の東にあり、筑前筑後の境にあり、人の往来がある険しい峠は、「冷水峠」の一択だ。

                         .

☆4 <大いなる神の地>

四つの霊山の中心地が冷水峠だった。
そこが、したくらつくしの坂。

中心地であったから、「地球樹」があったのかもしれない。
                    .
エネルギーが放出されている場所、そこは雑多なものが集まる場にもなる。
もとより清浄な場なら良いのですが、そうでなければ誰かがそうしなければならない。

その為に神功皇后が、大根地山に神を招いたのだ。
「大いなる神の地」であるその場所に。
地球のエネルギーを抑えるのではなく、良い流れにする為に。

そうして、「羽白熊鷲」というものが排除され、筑紫の守りの要の地となった。

もしかすると、四つの山の守りは、永遠に「羽白熊鷲」を抑え込むために、後に出来たのかもしれない。
この地図を見るとそんな気もした。

 

                                               *
「冷水峠」は、全てが当てはまる。

*四座の霊山の中心地。
*「(難所と言われていた)筑前、筑後の境」の峠。
*峠の側に「大根地山」がある。
      (神功皇后が羽白熊鷲を鎮める為に神々を祀った山)

鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)と言われる程の、唯一の場所。

                   .

                      *

冷水峠が「鞍韉盡坂」ならば、「羽白熊鷲」は「命尽くす荒ぶる神」。

それは「筑後風土記」にある、「命尽くし」の神。
荒穂神社と筑紫神社の「尽くし神」と同じもの。

ならば、やはりそれらの伝承は同じもの
         .

(つづく)

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