五十猛命と饒速日命 ~筑紫神の伝承 3~
五十猛命(いそたけるのみこと)。
基山の荒穂神社の御祭神であり、
福岡市西区の飯盛山にある飯盛神社のご祭神。
大陸から「木の種」を持ち帰り、基山(木の山)に植えたのを始めとして、
「木の国」である紀伊半島に渡って、そちらの多くの神社に祀られてる。
これは「国土を豊かにした」ということを表す。
国土を平らかにした神。
国平の神。
「神の鉾 1」の最初に掲げた「国平の神」である、「大国主」。
つまり、ニギハヤヒでもあるのではないのか。
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荒穂神社には、祭神の五十猛命が高良神に繋がる伝承の石があった。
「荒穂の神が投げた石が、高良大社の社殿の下にある」
それは荒穂の神である、五十猛命が高良神と同神だと示唆しているのだ。
高良神は大社の伝承「高良玉垂宮神秘書」より、物部の神、饒速日命だと繋がった。
(☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事
< いそのかみ >
物部の子孫である真鍋大覚氏の「儺の国の星」に、「いそのかみ」についての記述があった。
「儺の国の星」から再び、抜粋。
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谷神(こくしん)を倭人は石上と書き"いそのかみ"と訓じてきた。
磯神が砂鉄を掬って炭とまぜて鉄を求めた仕事は黒に生まれ、
黒を育てて黒を成す過程にほかならなかったのである。
鉄を"ふるみたま"と言う。
暗黒の宇宙の色をそのまま復元した姿であった。
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鐸石別星(つくしわけのほし)の項
杷石(さされいし)とは
砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。
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ここにそのまま載っていた。
谷神(こくしん)を石上(いそのかみ)=石上神宮の神。
宇宙の色をそのまま復元した姿=星神。
*布留御魂とは、隕鉄(隕石・星からできた)の剣=星神。
磁鉄鉱を還元する名匠が五十氏(いそし)、後に石上(いそのかみ)。
磯神(いそのかみ)は職業の神でもあったのだ。
五十、石上、もとはすべて同じ神を祀る氏族。
鉄は「ふるみたま」=布留御魂=饒速日命(石上神宮の御祭神)。
かの神は、石上神宮の饒速日命。
☆高良大社の神である、安曇磯良(アントンイソラ)神。
イソラ神であり、五十の神、それは石上神(いそのかみ)に繋がる。
(ラは、神、光という意味)
☆奈良の石上神宮に祀られているのは、布留御大神。
☆また、伊勢神宮の元の名は「磯宮」。
そこに祀られているのが、「磯神(いそのかみ)」とも呼ばれた故だ。
石上神、磯神、五十神、すべて同じ「イソ」神。
石上神社のご祭神は、物部氏の祖神、饒速日命。
かの神とその后の御炊屋姫の子、宇摩志麻治の子孫が物部氏。
物部は、もののふ、もののけ。
物には、「畏怖すべきもの」という意味がある。
大神神社の、大物主の「物」と同じ。
石上神(いそのかみ)が磯神であるならば、
高良(磯良)神である住吉三神の底筒男神は、三輪の神、大物主神でもあるのだ。
石上=高良神=住吉大神=三輪の大物主神=大国主神(大物主神の荒御魂)
その数多の呼び名は、その隠されてきた存在を何とか後の世に伝えようと残す為。
五十猛命もその一つ。
後に、意図的に別の神とされたのだ。
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< 物部氏 >
石上神宮を総氏神とする物部氏は、ニギハヤヒを祖神とし、その妃ミカシヤ姫とウマシマヂの子孫になる。
その末裔達は、こちら筑紫の脊振山の北と南側の広範囲に住み続けた。
脊振山が、彼らの「聖なる山」だからだ。
神話では、五十猛命は、素戔嗚命の子とされている。
饒速日命は兄弟。
しかし、神話は全て彼らの物語であり、すべての神は二柱。
そこに記載された親等は、神話での位置づけ、神の名の由緒に過ぎない。
実際は、五十猛命=饒速日命。
また、高良神=饒速日命。
では、高良の神は、神代とされる時代の者でもあるということだ。
基山周辺にはもう一つの伝承があった。
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(☆→神*総まとめ)
(つづく)
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