四王寺山 ~福岡県~
四王寺山に登りました。
今回は「毘沙門堂」から「水城口城門跡」。
四王寺山は、大宰府市、大野城市、糟屋郡宇美町にまたがる、
大城山、岩屋山、水瓶山、大原山の4つの山の総称です。
福岡市から見ると東南の方にある一番近く見える山。
その姿は、まるでカルデラのようです。
最高峰は標高410mの大城山。
上の表示板の写真では、左上の辺りにあります。
これは、四王寺山に山城があった時代。
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今は中央に道路が通っています。
この山全体が、「四王寺山県民の森」となります。
二番目の写真の「現在地」と記されている場所に「県民の森センター」の
広い駐車場があり、その側には「子供の国」という遊び場(写真の奥)もあります。
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センターの建物の側の池の周りには、雪がうっすらと積もっていました。
山の方はすっかり溶けています。
下から登るルートもいくつかありますが、
北の宇美町から入って、その駐車場に車をとめました。
宇美町には「宇美八幡宮」があります。
神功皇后が応仁天皇を産んだというその場所のほど近くでした。
彼女の祈りに答え、住吉三神達が現れたと、高良の伝承にあった四王寺山。
その伝承の他に残されている話がないので、見ておきたかったのです。
そうは言ってもとっても広い四王寺山。
どこに行こうか迷いましたが、今回は大城山の頂上を目指します。
その側には、「毘沙門堂」があります。
しばらく車道を歩き、下の写真の場所から右へ。
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この辺りで、高床式の建物が発掘されているそうです。
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あちこちに札所があります。
この行き先が書かれた表示板が至るところにあって、本来の道を
見失うことがあるそうです。
ガイドブックを見ても迷うという人もいたので、今回は行き当たりばったり。
とにかく、行ってみるしかないです。
しばらく行くと先程の車道に出て、(くねくねと曲がっている車道を)ショートカットする
形で、また山道に入ります。
20分程登ると鳥居が見えました。
もう「峰」です。
表示板がありました。
上の表示板の左(西)側が大野城市。
下(南)側が大宰府市。
大宰府市からは、太宰府政庁跡から登る道もあります。
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この山には、大野城と呼ばれる山城がありました。
唐と新羅の攻撃に備えて、664年に水城、
665年に(この)大野城と基肄城(基山)を作ったとあります。
その後、新羅調伏のため四天王(持国天、増長天、広目天、毘沙門天)が
安置された四王院が建てられる
それが「四王寺山」の由来になった。
四王院は、今の毘沙門堂の辺りではないか、と。
この表示板の右(北)の方にある、鳥居がその毘沙門堂です。
毘沙門天繋がりで、七福神。
毘沙門堂のすぐ側の、数メートル盛り上がった場所が大城山の頂上です。
標高410m。
センターの駐車場から登ったので、それ程距離はなかったです。
下の写真が三角点。
その向こうに見えるのが毘沙門堂。
頂上からの眺めはほとんどありませんが、木々の隙間から見えました。
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「特別史跡 大野城跡」の表示板の場所まで戻って、左(南)へ。
このような道が続きます。
これも土塁だそうです。
少し歩くと西が見晴らせる場所に出ました。
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上の写真の左下から斜めに伸びる緑が「水城(みずき)」です。
博多湾から襲来する敵軍を、水攻めにする為に築かれた(と歴史で習った)土塁。
その片側が四王寺山の裾野から伸びています。
その後の調査で土塁の外側に濠があることが分かり、土塁と濠で
水城の内側(南側、写真では左の方)を守ろうとしたのではないかとされています。
内側には当時の重要拠点である太宰府もあります。
博多湾の方向です。
ここで、あれはどこの山だろうとしばらく、スマホを見てましたら、
「この山は初めてですか」
と声をかけられました。
この山が好きで何度も通われている方で、ご自分で作られたマップを頂きました。
センターに置いてあった案内の紙(私ももらった)ではちょっと分かりづらく、
札所の標識が多くて、迷う人が多いとこの方も言われていました。
とっても分かりやすいです!
御縁に感謝!
って、また登れってことだな^^;
途中、20人以上の方とすれ違いました。
比較的登りやすいので、人気の山のようです。
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27番札所。
広目天跡になります。
広目天跡の先、水城口城門跡。
毘沙門堂からここまでは、四王寺山の峰、全体の8分の1ほどの行程です。
この辺りから、車を止めたセンターに戻りました。
今回は、ここまで。
次回はもう少し先まで行きたいです。
かなり前に撮った写真。
手前が太宰府政庁跡で、奥の山が四王寺山になります。
太宰府天満宮は写真の右側。
その奥、四王寺山の東南に宝満神社がありました。
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