岩戸開き その2 ~天照~
「高良の神は住吉の神」
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記紀にある神功皇后の三韓征伐の折、
彼女が乗る船の上に現れたのは住吉の神です。
彼は、高良の神でした。
*(「神の鉾 番外編 ~もう一柱の住吉神~」神社の方から聞いたこと)
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こちらにある高良大社に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述では、
「三韓征伐」の前に既に出会っています。
*「(神の鉾 2 ~高良玉垂神秘書~他」
神功皇后の時に「ヰルイ(熊襲)」が日本を責めた。
筑前の四王寺の山に登り祈るとそれに応え、四神が現れた。
四神の一柱が、底筒男神(月神)の高良大菩薩。
月神達は将軍などになり、力になることを約束した。
ほどなく三韓を降伏させたのち、住吉の神(月神の父の方)は空へと戻る。
月神・底筒男命は神功皇后と夫婦になり、
地上での名は物部の保連。藤大臣、高良大菩薩。
神功皇后が亡くなった後、月神達は高良を出た。
日神、豊姫は共に佐賀へ。
月神は筑紫の地を後にした。
そして・・・空へと帰った。
船の上で海の神から玉を授かる場面。高良の神は安曇磯良(アントンイソラ)神。
*(「 神の鉾 3 ~安曇磯良神~ 」)
記紀などの伝承よりも、高良の神(住吉)と神功皇后との繋がりがより強いように
思われます。
また、四王寺山で神功皇后が祈って神が出現したことなど、
とても「非現実的」ですが、一方でとても「具体的」。
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「高良の神は月神であり、住吉の底筒男命。人の姿となり物部保連を名乗った」
「神功皇后と夫婦になった」
「二つの玉」
核心はそこにあるように思います。
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「高良の神は天照神」
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高良大神は住吉神であり、月神、安曇磯良神でした。
京都の籠神社の御祭神の天火明命は、月神であり、磯神。
共に、二つの玉(満玉、干珠)を使いこなしていました。
月神、磯神、二つの玉というキーワードの一致。
(イソラのラは、神、光の意味)
さらに伊勢の外宮の神(月神、磯神)は籠神社から迎えた神と言われています。
伊勢が昔「磯宮」と呼ばれていたこと。
これは祀られている神が「磯神」であるということです。
*(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)
また、「思えば伊勢と三輪の神。一体分身。今更何を・・・」という唄も伝えられています。
これは三輪の神であるニギハヤヒ命と伊勢の神とは同じということ。
そして、 .
「伊勢天照御祖神社」など「天照」名の神社の多くに彼が祭られていること。
(高良大社の摂社にもあった)
彼の名、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」
すべてが彼に繋がります。 .
では、高良の神が天照ならぱ、住吉の神も天照。
新嘗祭では住吉神を表すオリオンの座標を基準にした神事が行われています。
行われるのはニギハヤヒ命が亡くなった日とされる翌日の11月23日です。
*(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ」)
「神の力を受け継ぐ」としても、これ程の偶然が指し示すものはたった一つの必然。
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上記の事柄、すべては
「住吉の神が天照であり、住吉の神はニギハヤヒ命」
だということを表しています。
でも、いくつかの疑問が残ります。
「なぜ、これ程の”ヒント”を残しながら、皇祖神を<饒速日尊>としないのか」
「なぜ、<饒速日尊>の足跡を「皇祖神」から消してしまわなかったのか」
その答えは、私には知る由もないでしょう。
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*次回は番外編「天照とニギハヤヒ命」について。
( つづく )
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