岩戸開き その4 ~岩戸~
<高良の神と神功皇后>
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彼らは、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫。
そうすれば、幾つもの疑問が解けます。
解けたピースが幾つも埋まるのです。
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「天照の岩戸開き」
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それは天照であるニギハヤヒ命が岩戸に籠り(亡くなり)、
再びこの世に現れたことでは。
それこそが<生まれ変わり>を表す物語。
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高良の伝承では、ニギハヤヒ命は住吉神。
筑紫の那珂川町にはその神を祀る住吉の元宮「現人神社」があります。
イザナギ命の禊の際に現れた神の一人が、住吉(底筒男)神。
禊の地の地形に一致することから、那珂川町がその地だとも言われています。
*(「安徳台と高天原」)
裏を返せば、「この地に現人神社があるから、その神話が出来た」とも
言えるのではないでしょうか。
*(「結びの山 ~その11 天孫降臨 ~ )」
「神話」では同じ地で天照も誕生しました。
住吉神の後、天照が生まれたのです。
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この地には、日吉大社へ勧請した神の一柱を祀る「日吉神社」もあります。
日吉神社のご祭神は猿田彦神。
(勧請した先の日吉大社の神の一柱は大己貴神(ニギハヤヒ命))
*(「 結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~ 」)
猿田彦神は、登場した時の姿から「天照が来る前の国津神の天照」ともされます。
*追記
この日吉神社のご祭神は、大己貴神(ニギハヤヒ命)、天御中主神などと分かりました。
地元では猿田彦神です。
「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)
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「岩戸の地」
那珂川町には那珂川が流れています。
「禊」の地とされる(おぎわら橋がある)周辺は今は山田地区。
昔は「岩戸郷」と称されていました。
山神社には岩戸の伝承があり、片方の戸が奈良へと飛んで行ったとされてます。
*(「 結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)
(今でも岩戸郷というとこの周辺のことをさします)
・・・もしかすると神功皇后たちがこれ程までにこの地に拘ったのは、彼らも居を構えていた時期があった故かもしれません。
「その地」の側にある安徳台は、今も「上の原(はる)」「御所の原」と言われ、何度か天皇の訪問もあったそうです。
私はそこで「光の柱の中の幻のお社」を見ました。
(安徳台が「高天原」ではないかと思っています)
*(「安徳台と高天原」)
(高良の伝承の「四王寺山」に関する部分、
今の安徳台でのことではないかとも思います。
安徳台には古代の祭祀跡があり、
宇宙(神?)と交信していたのではという説があります)
*(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県」)
*(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2 」)
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この町にある「現人(あらひと)神社」の神(住吉神)は、
「この国が大事になる時、再び姿を現す神」とされています。
また、ニギハヤヒ命だとされるスサノオ命の皇子の大歳神は、稲穂の神。
年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
また次の年の初めに赤子の姿で現れる・・・神だそうです。
*(「結びの山 ~その15 大歳の神~)」
それは「生まれ変わりをする神」を表しているのでは。
・・・「岩戸開き」は「この地」であった出来ごとなのかもしれません。
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「神話」
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「記紀」が編纂されたのは奈良時代。
少なくとも倭姫の元伊勢巡りの時代まで、
「伊勢の神、天照は磯の神(イソノカミ)であるニギハヤヒ命」でした。
・・・それらは、(伝承では)「神功皇后と高良の神」の前の時代です。
(伝承では、神功皇后の夫の仲哀天皇は、ヤマトタケルの皇子。
倭姫はヤマトタケルの叔母)
その頃はまだ、今の形のような神話が「出来あがっていなかった」
ということも考えられます。
「岩戸開き」の物語のみ、その後だったとしても、
あり得ない話ではないのです。 .
それが、生まれ変わった天照(ニギハヤヒ命である高良神(住吉))と、
ミカシヤ姫かもしれない神功皇后の話ならば・・・。
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また、高良の伝承では、元々いた「高木の神」を追い出して
高良の神が居座ったとされています。
同じく、英彦神社(英彦山)にもそのような伝承があります。
(あちらは日子火火出見神)
天岩戸に隠れ、再び外の世に出た天照は、その前に比較して
ほとんど出番がないとされます。
それは、岩戸から再び世に出た彼の活躍した舞台が、
大和より遠い地(筑紫)でのこと故なのかもしれません。
( つづく )
*後に神功皇后が御炊屋姫だと確信します。
すべての神は彼らの集約したものでした。
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