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2018年4月26日 (木)

花 ~4度目の宝満山~ 

4月のある日。

今日行かなきゃ、いつ行くのという程の快晴!
宝満山へ。

どうしても見たかった頂上の桜を見に行きました。

Houmansan401
地上の竈門神社は、吉野桜から桜餅のような八重桜へと。
                               .Houmansan402

新緑がまぶしい。
                                  .

Houmansan419                                 .
まずはご挨拶。
                                        .
今回は花。
Houmansan414                              .
一の鳥居。
石楠花が満開でした。
Houmansan416

                          .
登り始めて1時間20分。
頂上です!  

Houmansan404                            .
南西方向。
真ん中の雲の上に薄っすらと雲仙普賢岳!
写真ではよく分かりません。
Houmansan408_3
                      .                           .
4月にここまで見えるのは稀だそうです。Houmansan407                                                                    .
                               .Houmansan406
ふと見ると、桜!
この桜が呼んだのね!と思うくらい愛おしくなりました。
 Houmansan421
上宮の裏から。
左下にある建物がキャンプセンター。
桜が咲いてるようです! 
  
遠くの山(少し右寄りの奥)で三つ頂きがあるのが霊山、英彦山。 
最高の眺め。

後で人に聞いたら、阿蘇の根子岳も見えたそうです。                       

                                                     .
上宮の横から、階段を下りて行きます。
これが鎖場。
見上げたところです。
                         .Houmansan409                                                               .
しばらく歩いて、キャンプセンターへ。
桜!
咲いてました。

Houmansan410
下の写真もキャンプセンター。
手前の白い桜は、大島桜だそうです。                                        .Houmansan413                                                      .
再会の木。Houmansan412                                                                      .
一番下の鳥居まで戻ってきました。                   

Houmansan418
もう一度、竈門神社へ。

 

Houmansan420
ありがとう。
最高の誕生日プレゼントでした。

                                          .

 

2018年4月22日 (日)

岩戸開き 追記 ~夢と現実~

「神功皇后」について。

伝承などには様々な矛盾があります。

高良の伝承では大和に戻っていません。

ですが、記紀などでは「三韓征伐」の後、大和に戻り、応神天皇の
義理の兄達と応戦しています。

大阪の住吉は神功皇后が創建したとされています。

記紀や伝承の何が真実かは分かりません。
辻褄合わせの為に何かを創作されていたとしても分からないのです。

ただ、奈良市の山陵町には神功皇后のご陵があります。
側に住んで毎日身近に感じていたので「空っぽ」だとも
「彼女」ではないとも思えません。

その「彼女」がミカシヤ姫であったとしたら、同じ「気配」はするかもしれません。
ニギハヤヒ命のご陵も、間違いなく「三輪山」です。

                        *

彼らについて、一番気になることは、 (「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」)の
品陀和氣命
(ほんだわけ・応神天皇)の言葉です。

大阪府の楯之御前社の伝承に
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
 持って帰った」

これは、その国に「国平の神」がいないことを表します。

その言葉を見た時に、「倭」が大和(奈良)を表す言葉ではないと思いました。
(”そこ”が自分では取りに来れない程の遠い場所とも感じた)
もしも「倭」が当時の筑紫を指すのならば、国平の神がそこにいるということです。

国平の神とは、ニギハヤヒ命。

そうならば、高良の伝承のように、神功皇后も「そこ」にいたのかもしれません。
(応神天皇がそれを言ったと伝えられていることにも意味があるように感じる)


                        *

「ミカシヤ姫」の背景 

当時の奈良盆地には広大な湖がありました。
その頃は完全な淡水湖で、その周辺で稲作もしていました。

(後々調べましたら、「奈良湖」という湖が実在していました。
 その湖が無くなるのは、奈良時代に入ってからのこと)
       *(「 奈良 古代の湖 」)

最初の方(ニギハヤヒ達が来る前)に住んでいたのは盆地の西側。
高床式の大きめの神社のような建物です。
稲作もしていました。

今思うと、その周辺に敵対するような村もなく、
ただ平穏な日々を過ごしていたようです。
                             .

その日々が暗転したのは、「人でないもの」が現れてから。
     *(「古代奈良の夢 」)

それが村を襲いました。
(おそらく)退治する術もなかったのだと思います。

その後、空を飛ぶ船<アマノトリフネ>で「彼」が来ました。

「彼」のことをただ<リュウ>だと認識していました。
その(古代の奈良)の前の世でも会っていた人だと。

当時すでに「前世の仲間」にも現実で会っていましたので、
彼が仲間の一人であること、自分が「ヒミカ」であることを知っていました。

アマノトリフネの件から、「彼」がニギハヤヒ命と今は呼ばれる人であること、
そこから当時の自分が「ミカシヤ姫」とされる人だと分かったのは、
数年前のことです。
さらに「仲間の一人」の「沙霧」の名は、
その船に乗っていた「狭霧神」として伝承の中にありました。
                       .

「アマノトリフネに乗って、当時あちらこちらに出ていた
その「人でないもの」を封印(退治?)した」

というのは、事後の記憶(前世の夢を見た後で記憶として思い出したもの)です。
なので、その真偽はずっと分からなかったのです。

                      *

最近になって、その「人でないもの」の記述に出会います。
筑紫に残る「高良玉垂神秘書」や筑紫神社などの伝承です。

白羽熊鷲(熊襲)というそれは、明らかに「三韓征伐」の際の大陸の人をさした
言葉ではなく。
出現した場所も、「基山の東」です。

そして、          .

高良の神や神功皇后がそれら「ヰルイ(異類)」を退治したこと。
その二人が「ニギハヤヒ命」であり「ミカシヤ姫」の可能性があるらしいこと。
が分かりました。

ミカシヤ姫の時に「筑紫」に来て、それらと退治した事が
伝承として残っているのか、とも考えました。
それならば、転生ではなく同一人物です。

そのどちらかは分かりません。
神霊がいう<生まれ変わり>とは、文字通りのことか、
広い意味のことを指すのかもしれませんから。
(本人だけど、意図されて別人にされている等)

「人でないもの」は、その時代の他にもいたと思うので、
その事だけで判断はできません。
                    .

夢と現実。
関わる伝承。

多くの偶然。


どれが真実なのかは、まだ分からないのです。

 

2018年4月18日 (水)

岩戸開き その5 ~日甕~ 

日本書記では、神功皇后は「卑弥呼」と重ねています。
                  .

ミカシヤ姫は<ヒミカ>と呼ばれていました。

それは私が見た「前世の夢」の話です。
   *(「古代奈良の夢  ~前世 4~ 」)

 

人が見ていた夢を見た可能性もあるかもしれないので、
それが必ず「自分自身」だとは言えません。
                         .

ですが、ミカシヤ姫が「ヒミカ」でもあるならば分かることがあります。

当時、漢字はなかった時代ですが、その名の意味を表すものがあるなら、
                     .

<<日甕>>
                                .

神功皇后の「甕依姫」
ミカシヤ姫の「櫛甕玉姫」

「ヒミカ(日甕)」

生まれ変わりならば、二人とも「ヒミカ」です。

「日」は日の神、ニギハヤヒ命を表すもの。
「甕」は神に捧げる酒や水を入れる神事用の器。

日の神の玉依姫としてあった、あの人達の名として
これほど相応しいものはないのです。

                    *

もしも神功皇后も「ヒミカ」と呼ばれていたのなら、
彼女がミカシヤ姫であったという可能性は大きいように思います。

住吉の神である高良の神が、ニギハヤヒ命の生まれ変わりであったとしたら、 
尚更です。

                                            *

 

私が見た「夢の彼ら」にとって名はとても重要なものであり、
その名は、何度生まれ変わっても受け継ぐようでした。

何度転生しても様々な形で自分の名の中にあります。
見つかっている仲間の一人以外、今の名の中にも「それ」がありました。

                           *

「古代奈良の夢」で見た天鳥船。
宇宙神霊ARIONと彼らの宇宙船マイ・ミュートアーテ。
(北極だか南極の上空にあるらしい母船)
自分達の前世の一つが「別の星」の者だったこと。

それらの「繋がり」は、「あり得ないことではない」と自分を納得させるには
十分なことです。

もしも、この先、ARION達の母船が現れることがあったのなら・・・。
「天鳥船」も絵空事ではないと言えるかもしれません。

                            *


神霊であるミカシヤ姫はこうも告げました。

<<あなたは神功皇后であり、ミカシヤ姫です>>

その真偽は分かりません。
ミカシヤ姫は前世の夢で見ましたが、神功皇后とは
奇跡的な縁で結ばれているだけなのですから。

「岩戸」とかつて・・・今も呼ばれているこの地に自分がいること。
ここに来なければ分からなかったこと、出会わなかったこと。
それさえも、多分必然。

「儺の国の星」という本に出会ったのもその一つ。
それは物部の子孫達が連綿と伝えてきた、
宇宙の星々とこの那珂川町の伝承や歴史が記された本でした。

もしも、私が「ヒミカ」であったのなら・・・。
この手の中にそれがあることは何よりの奇跡だと思うのです。

                      .

*ここからは追記です。

 

.一つだけ、神霊について気になることがあります。
時々、彼らはこちらの理解を越えたようなことを告げることがあります。

「生まれ変わり」
という言葉を、そのまま受け取っていいのかどうかと、ふと思ったのもそこです。

例えば、この場合、
「ミヤシヤ姫と神功皇后は同一人物であるが、名前や立場を変えられているだけ」

という意味にも捉えられます。

どちらが「本当」かは分かりません。

 

ただ、どちらにしても魂は同じなのかな、と思うのが私の感想です。

                                     .

 

2018年4月16日 (月)

岩戸開き その4 ~岩戸~

<高良の神と神功皇后>
                       .      

彼らは、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫の転生。

そうすれば、幾つもの疑問が解けます。
解けたピースが幾つも埋まるのです。

                     *          .

「天照の岩戸開き」
              .
                     .
それは天照であるニギハヤヒ命が岩戸に籠り(亡くなり)、
再びこの世に現れたことでは。

それこそが<生まれ変わり>を表す物語。

                       .

高良の伝承では、ニギハヤヒ命は住吉神。

筑紫の那珂川町にはその神を祀る住吉の元宮「現人神社」があります。

 

イザナギ命の禊の際に現れた神の一人が、住吉(底筒男)神。

禊の地の地形に一致することから、那珂川町がその地だとも言われています。
     *(「安徳台と高天原」)

裏を返せば、「この地に現人神社があるから、その神話が出来た」とも
言えるのではないでしょうか。
     *(「結びの山 ~その11  天孫降臨 ~ )」

「神話」では同じ地で天照も誕生しました。
住吉神の後、天照が生まれたのです。
                     .
                       .
この地には、日吉大社へ勧請した神の一柱を祀る「日吉神社」もあります。
日吉神社のご祭神は猿田彦神。

   (勧請した先の日吉大社の神の一柱は大己貴神(ニギハヤヒ命)) 
                     *(「 結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~   」)

猿田彦神は、登場した時の姿から「天照が来る前の国津神の天照」ともされます。 

*追記
この日吉神社のご祭神は、大己貴神(ニギハヤヒ命)、天御中主神などと分かりました。
地元では猿田彦神です。
「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~

(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)


                           *                  .

「岩戸の地」
                       

那珂川町には那珂川が流れています。
「禊」の地とされる(おぎわら橋がある)周辺は今は山田地区。
昔は「岩戸郷」と称されていました。

山神社には岩戸の伝承があり、片方の戸が奈良へと飛んで行ったとされてます。
   *(「 結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)

(昔の岩戸村、安徳村の境界線が確認できませんが、
 今でも岩戸郷というとこの周辺のことをさします)
 

・・・もしかすると神功皇后たちがこれ程までにこの地に拘ったのは、
彼らも居を構えていた時期があった故かもしれません。

「その地」の側にある安徳台は、今も「上の原(はる)」「御所の原」と
言われ、何度か天皇の訪問もあったそうです。
  

私はそこで「光の柱の中の幻のお社」を見ました。
    (安徳台が「高天原」ではないかと思っています)

           *(「安徳台と高天原」)

  (高良の伝承の「四王寺山」に関する部分、
   今の安徳台でのことではないかとも思います。
   安徳台には古代の祭祀跡があり、
   宇宙(神?)と交信していたのではという説があります)

     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県」)
     *(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2 」)

                              * 

この町にある「現人(あらひと)神社」の神(住吉神)は、
「この国が大事になる時、再び姿を現す神」とされています。

また、ニギハヤヒ命だとされるスサノオ命の皇子の大歳神は、稲穂の神。
年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
また次の年の初めに赤子の姿で現れる・・・神だそうです。
    *(「結びの山 ~その15  大歳の神~)」


それは「生まれ変わりをする神」を表しているのでは。

・・・「岩戸開き」は「この地」であった出来ごとなのかもしれません。

                              *

「神話」                                 
                .         .
「記紀」が編纂されたのは奈良時代。

少なくとも倭姫の元伊勢巡りの時代まで、
「伊勢の神、天照は磯の神(イソノカミ)であるニギハヤヒ命」でした。

・・・それらは、(伝承では)「神功皇后と高良の神」の前の時代です。

  (伝承では、神功皇后の夫の仲哀天皇は、ヤマトタケルの皇子。
    倭姫はヤマトタケルの叔母)

その頃はまだ、今の形のような神話が「出来あがっていなかった」
ということも考えられます。

「岩戸開き」の物語のみ、その後だったとしても、
あり得ない話ではないのです。                      .

それが、生まれ変わった天照(ニギハヤヒ命である高良神(住吉))と、
ミカシヤ姫かもしれない神功皇后の話ならば・・・。


                       *

また、高良の伝承では、元々いた「高木の神」を追い出して
高良の神が居座ったとされています。

同じく、英彦神社(英彦山)にもそのような伝承があります。
(あちらは日子火火出見神)

天岩戸に隠れ、再び外の世に出た天照は、その前に比較して
ほとんど出番がないとされます。
それは、岩戸から再び世に出た彼の活躍した舞台が、
大和より遠い地(筑紫)でのこと故なのかもしれません。


( つづく )

 

 

 

2018年4月14日 (土)

岩戸開き その3 ~神功皇后~

高良の神が住吉神ならば、彼はニギハヤヒ命(天照)です。
ですが、両神が存在していた時代には隔たりがありそうです。

「彼が神だから」

という理由では埋まらない彼の息吹を感じられる足跡が、
ここ筑紫にはいくつもあるのです。
                           .

では、その高良の神と強い繋がりがあったとされる「神功皇后」。

神霊が告げた「神功皇后はミカシヤ姫の生まれ変わり」という言葉。

そこから分かることは。

                               .

神功皇后は甕依姫

神功皇后について。
「高良玉垂神秘書」には、高良の神と夫婦となり、行動を共にしていたとあります。

今までの記事(「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」など)
        (「二つの伝承 2 荒穂神社」など)から、


高良の神秘書などにある「ヰルイ」が羽白熊襲でもあるらしいこと。

  基山の荒穂神社筑紫神社 などの伝承、ご祭神と、

  大根地山の大根地神社にある神功皇后の伝承から、
  これらは同じものだと推測されます。      

 (これらの伝承の中での五十猛神は磯神(高良神である)ニギハヤヒ命)  
         .

筑紫神社のご祭神の、宝満神である竈門神社の玉依姫。
荒穂神社のご祭神の、宝満大神。
大根地神社にある伝承の神功皇后。

それらと同じ伝承であると思われる「筑後国風土記」の甕依姫。
     *(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

これらの神は同じです。
     *(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)

上記のことから、筑紫神社の「筑紫神(白日別)」である「高良神」と
共に祀られているこの神は「神功皇后」であると推測されます。
  (宝満宮竈門神社の玉依姫は、神武天皇の母ではなく神功皇后。
   玉依姫は称号)

ならば、神功皇后は「甕依姫」。

                        *

「甕依姫とミカシヤ姫」
                     .
「甕依姫」の「依」は、「玉依姫」の名と同じく(称号)の意味になるので、
甕(みか)が固有名となります。

ミカシヤ姫の名にも「ミカ」の名がありました。

名の一つが<櫛甕玉姫・櫛玉姫(くしたまひめ)>。
(櫛甕玉姫の名はニギハヤヒ命が「櫛甕玉命」であるからか)

神道では、彼女も玉依姫(神の依り代)であったとされています。
  (櫛は「奇」であり、人間に不思議な奇跡をもたらすもの、
   神の力を感じられるものという意)

甕依姫と、ミカシヤ姫の名との類似・・・。

もしも、高良の神がニギハヤヒ命であり、神功皇后と共に
行動していたのならば、偶然ではないでしょう。

またそうであるからこそ、筑紫神社と竈門神社の「玉依姫」は、
神功皇后でなければならないのです。
               .

神功皇后の「甕依姫」の名からは、ミカシヤ姫である可能性が高いと思わされます。

では、違う人にその名を付けたと言うことは? 

                               *

高良山周辺や、筑紫の広範囲には「物部氏」の勢力が広がっていました。
物部氏は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との子、ウマシマジを祖とする一族です。 

筑紫には、その後も一族の繁栄が続いたという伝承がいくつもあります。
  (那珂川町発行の「儺の国の星」の作者であった真鍋氏の先祖は、
   物部氏であり、太宰府で星見をしていました)

ニギハヤヒ命の血族は時を経て、大和から筑紫へと来たことになります。

ならば、大和から筑紫の国へと入った物部氏が、祖であるこの二人の伝承を広めた・・・。
ということも考えられます。
  

ですが、神功皇后も、高良の神の伝承も具体的です。
具体的だから、真実とは限りません。
それに纏わる神社や祭りの多くが今も存在しているのです。
(大善寺玉垂宮などは、高良の神である「藤大臣」が桜桃沈輪(ゆすらちんりん)
 という悪徒を退治したことに始まる祭りがあります。)

一方で、「筑紫神社」などに纏わる「羽白熊襲」の伝承などは、
二人の存在をぼかしています。

もしも、物部氏に広める意図があるならば、ご祭神の名称など
明確にするはず。
時代を経ているにせよ、物部氏達の一存で、伝承を作り上げたのだと
するには無理があるように思います。

                      *

高良(住吉)神が天照であり、ニギハヤヒ命。
神功皇后と住吉神(ニギハヤヒ命)との邂逅。

ですが、ニギハヤヒ命は神功皇后よりも前の時代。

神功皇后とミカシヤ姫(ニギハヤヒ命の妃)との名の類似。

また高良の神は人の姿になった時「物部保連」を名乗ったとされます。
ニギハヤヒ命とミカシヤ姫との関わりを感じさせられる名です。

これらがの偶然が指し示すものは一つの必然。
                          .

( つづく )

 

2018年4月12日 (木)

岩戸開き 2.5 ~番外編 天照とニギハヤヒ命~

***********************************************************

(少し脱線するので、番外にしました)

「天照とニギハヤヒ命」について。
                      .

神功皇后の夫、仲哀天皇はヤマトタケル命の皇子とされています。
ヤマトタケル命の叔母は倭姫。

皇祖神天照の鎮まる地を求め、近畿を巡り、最終的に伊勢の地の至ります。

この間に巡った土地が「元伊勢」と称されます。
その一つが京都の「籠神社」。

その時代には既に、「籠神社」にはご祭神、天火明命が祭られていたのだとしたら、
倭姫はその地こそが「天照」の鎮まる地では、と思ったのかもしれません。

ということは。

少なくともその時代には「天火明命(ニギハヤヒ命)が天照である」と
認識されていたのです。
                     .
                                                   *

かの神が「磯神、月神」だという名称はいつからでしょう。

彼がニギハヤヒ命であった時、「十種神宝」の中には
二つの玉(生玉、死返玉)がありました。
     *(「神の鉾 5 ~月神と二つの珠と十種神宝~」)
   

籠神社の天火明命がニギハヤヒ命であるならば、これが「満珠」「干珠」です。

月と同じ作用をする神宝(海の潮の満ち引き、人の命の生死を左右する)
それを有するもの。
ニギハヤヒ命が「月神、海神」とも言われる所以です。

これらのことから、籠神社が創建された頃には既に、
「ニギハヤヒ命は、天照、月神であり海神(玉を有する故)」と
されていたのかもしれません。

さらにニギハヤヒ神だと思われる、
福岡、久留米の高良大社のご神祭、高良玉垂神は別名、磯良神。
(高良は物部氏の本拠地であり、これもニギハヤヒに繋がる)
磯神は五十(イソ)神。
奈良の石上(いそのかみ)神宮に繋がります。
(石上神宮は、物部氏の祖神を祀る神社)

      *(「儺の国の星  ~宇摩志麻治の名の意味~」)より
     
    「儺の国の星」には、記紀に布留御魂(ふるのみたま)は隕鉄、
    布津御魂(ふつのみたま)は砂鉄を精練した剣のことであった。

    と言う記述もあり、隕鉄(隕石の内、鉄とニッケルを主成分とするもの*大辞泉より)
    は星そのもの、 "フル"とは、やはり星に関連する言葉なのだと思います。

    
"フツ"はスサノオ命。
    "フル"はニギハヤヒ命の別名です。        

 

   *(「細石(さざれいし)神社」)より

    簓星(ささらのほし)がその本(もと)の名であった。杷石(さされいし)とは
    砂鉄、即ち磁鉄鉱 Fe3O4 の結晶である。これを還元する名匠が
    伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)であった。
     (「儺の国の星」より引用)


布留御魂(ふるみたま)とは、石上神宮の御祭神、布留の神(ニギハヤヒ命のこと)。
隕鉄、磁鉄鉱など還元(精製)する名匠が五十氏、石上とされていたのは
偶然ではないでしょう。
彼(彼ら)がその技術を広めた故なのかもしれません。

「石上(神宮)」の名がいつからなのかは分かりませんが、
布留の神(ニギハヤヒ命)が「イソノカミ」をさすとは間違いありません。

さらに、伊勢は昔「磯宮」と呼ばれていました。
    *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~
     月の神であるニギハヤヒ命が日の神でもある理由)

伊勢の神がニギハヤヒ命であるのなら、「磯神」とされるのは偶然ではないでしょう。
それは「イソノカミ」と称するはずなのですから。

ならば「その時代」までは、そこにおわす神はニギハヤヒ命だと認識されていたはず。

その後の時代に「改変」されていったのではないでしょうか。
「天照」という存在だけが独り歩きをして。

  (ニギハヤヒ命達がいたと思われる頃の古代の筑紫には、
   風早神社(那珂川町の安徳台の側の神社)を始め、
   鉄の精製跡と思われる場所がいくつもあります。
   その辺りの那珂川にある「一の堰」は出雲のたたらの地下構造と同じだそうです
        *(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県」)

 *なお、この後に出ますが「五十氏」の名から、筑紫一帯に残る神社の
  ご祭神五十猛神とニギハヤヒ命との混同が起きたと思われます。

 

次は本編に戻ります。
                   .

( つづく )

 

2018年4月11日 (水)

岩戸開き その2  ~天照~

「高良の神は住吉の神」
                   .
                         .
記紀にある神功皇后の三韓征伐の折、
彼女が乗る船の上に現れたのは住吉の神です。

彼は、高良の神でした。
    *(「神の鉾 番外編 ~もう一柱の住吉神~」神社の方から聞いたこと)
                       .
こちらにある高良大社に伝わる「高良玉垂神秘書」の記述では、
「三韓征伐」の前に既に出会っています。


  *「(神の鉾 2 ~高良玉垂神秘書~他

神功皇后の時に「ヰルイ(熊襲)」が日本を責めた。
筑前の四王寺の山に登り祈るとそれに応え、四神が現れた。
四神の一柱が、底
筒男神(月神)の高良大菩薩。
月神達は将軍などになり、力になることを約束した。
ほどなく三韓を降伏させたのち、住吉の神(月神の父の方)は空へと戻る。

月神・底筒男命は神功皇后と夫婦になり、
地上での名は物部の保連。藤大臣、高良大菩薩。

神功皇后が亡くなった後、月神達は高良を出た。
日神、豊姫は共に佐賀へ。
月神は筑紫の地を後にした。
そして・・・空へと帰った。

   
船の上で海の神から玉を授かる場面。高良の神は安曇磯良(アントンイソラ)神。
    *(「 神の鉾 3 ~安曇磯良神~ 」)


記紀などの伝承よりも、高良の神(住吉)と神功皇后との繋がりがより強いように
思われます。

また、四王寺山で神功皇后が祈って神が出現したことなど、
とても「非現実的」ですが、一方でとても「具体的」。
                                .

「高良の神は月神であり、住吉の底筒男命。人の姿となり物部保連を名乗った」
「神功皇后と夫婦になった」
「二つの玉」

核心はそこにあるように思います。

                            *

「高良の神は天照神」
                      .

高良大神は住吉神であり、月神安曇磯良神でした。
京都の籠神社の御祭神の天火明命は、月神であり、磯神

共に、二つの玉(満玉、干珠)を使いこなしていました。
月神、磯神、二つの玉というキーワードの一致。
   (イソラのラは、神、光の意味)
   
さらに伊勢の外宮の神(月神磯神)は籠神社から迎えた神と言われています。
伊勢が昔「磯宮」と呼ばれていたこと。
これは祀られている神が「磯神」であるということです。
    *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

また、「思えば伊勢と三輪の神。一体分身。今更何を・・・」という唄も伝えられています。
これは三輪の神であるニギハヤヒ命と伊勢の神とは同じということ。

そして、                          .
伊勢天照御祖神社」など「天照」名の神社の多くに彼が祭られていること。
   (高良大社の摂社にもあった)
彼の名、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

すべてが彼に繋がります。                          .    

では、高良の神が天照ならぱ、住吉の神も天照。

 

新嘗祭では住吉神を表すオリオンの座標を基準にした神事が行われています。
行われるのはニギハヤヒ命が亡くなった日とされる翌日の11月23日です。

     *(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ」) 

 

「神の力を受け継ぐ」としても、これ程の偶然が指し示すものはたった一つの必然。

                                  .
上記の事柄、すべては
「住吉の神が天照であり、住吉の神はニギハヤヒ命」
だということを表しています。

でも、いくつかの疑問が残ります。
「なぜ、これ程の”ヒント”を残しながら、皇祖神を<饒速日尊>としないのか」

「なぜ、<饒速日尊>の足跡を「皇祖神」から消してしまわなかったのか」

その答えは、私には知る由もないでしょう。

                       .

 

*次回は番外編「天照とニギハヤヒ命」について。

 

( つづく )

 

2018年4月 9日 (月)

岩戸開き その1 ~神霊の声~

<< 神功皇后はミカシヤ姫の生まれ変わりです >>

友人kono87さんを通して、ミカシヤ姫の神霊がそう告げたのは先日のこと。
                       
そうだと仮定した場合、多くの疑問が解けます。

                          *

「ミカシヤ姫とニギハヤヒ命」
                                                        .

ミカシヤ姫はニギハヤヒ命の后です。

ニギハヤヒ命は彼女と出会う前は筑紫にいて、その一帯を治めていたとされます。
記紀などの伝承ではその後、

「東に良い国がある」という神の声により、筑豊の男達と共に
天磐船で飛び立ち、大和の地でミカシヤ姫と出会い、彼女を娶りました。

 (筑紫には大和に向かう前と思われるニギハヤヒの伝承を持つ神社などが
  幾つもあります)

三輪山は彼のご陵であり、彼が祭られている・・・ともされています。

                       *

一方、神功皇后は、

夫である仲哀天皇と共に、熊襲を鎮めるために大和から筑紫へ。
   (仲哀天皇はヤマトタケル命の皇子)
神の言葉に疑いを持った仲哀天皇は崩御し、
彼女は三韓へと向かいます。

その船上に現れ、彼女を守ったのが住吉三神。

帰還した後、占により(今の那珂川町)のお社(現人神社)の神と知り、
その神田に水を引く為に裂田の溝(うなで)を指揮して造る。

筑豊の嘉穂の地で、戦いを共にした人達と分かれ、大和に戻った・・・と。

                        *

記紀の二人の伝承には接点がありません。

時代の流れとしては、
「ニギハヤヒ」が筑紫から大和へ向かう。
その後の時代に神功皇后が大和から筑紫に来たのです。

  朝倉市の三輪町にある「大己貴神社」のご祭神は大己貴神(ニギハヤヒ)。
  その隣には三輪山があり、神功皇后に纏わる伝承があります。
  その山は御陵ではなく、奈良の三輪山を模したもの。
  そのことからも神功皇后は「古代の大和」の時代より後のことです。

つまりニギハヤヒの時代の「筑紫や高良」には、
ミカシヤ姫や神功皇后は存在しません。

                                                    .

しかし、ニギハヤヒが高良の神ならば。

高良の神は住吉神です。
住吉の神は神功皇后が乗る船に現れていました。

                                                       .

 

( つづく )

 

2018年4月 2日 (月)

再会の木 ~3度目の宝満山~

前回の話からちょっと逸れまして。
先日、3度目の宝満山で出会えた再会(サイカチ)の木です。
                     .Houmansan64_2                                                                 .

Houmansan62_2
再会の木

宝満山の伝説の中に神功皇后が、朝鮮出兵のおり、宝満山に登り、
サイカチの木を植えて「凱旋ののち再会をしよう」と言われました。
この木に向かって好きな人と再会できるよう祈れば願いがかなう」と
伝えられている”えんむすび”の木です。

千数百歳の木ではなさそうなので、神功皇后が植えた
その木ではないでしょう。

でも何故かとても嬉しくて、木にそっと触ってみました。
                 .
<<ようやく逢えましたね>>
                                          .

何処からか声がしたのです。

今のは神功皇后?

(植えた木じゃないだろうけど)
そう思っていたのですが、その声を聞いた途端すとんと腑に落ちました。

真かどうかなんて些細なこと。
ただ繋げてきたのは人の祈り。
祈りが神をつくりあげるのと同じ。

         .
そうか、そうなんだな。
何もかも。

                      *
3度目の宝満山。                                                            .
桜が満開になったので、居ても立ってもいられずの登山でした。
                   .Sakura50                                       .
快晴の先週末。
                 .Houmansan71
桜祭りが行われている最中なので、混雑が予想されます。
8時半には竈門神社に着いていました。

今回は子供も一緒に。
ゆっくり登った為か、いつもと違ったものとたくさん出会えました。
                    .
Houmansan54
どなたかが登山道に落ちている椿の花を集めて乗せてました。

分けあう。
山では想いも人と分けあえます。
                         .Houmansan55
「益影の井」

応神天皇が粕谷郡宇美町で御誕生の折に、この水を産湯にされた
という神功皇后に関連のある井戸

登山道から20mほど下った場所にありました。

Houmansan56                        .
Houmansan58                                                 .
登頂まで倍の時間がかかったのは、真ん中の長女がゆっくりだったため。
急かしても危ないので、先を急ぐ末っ子(小4)を待たせてののんびり登山。

お昼を食べた後、下山です。

帰りは違う方からがいいと言うので、キャンプセンター経由のルートへ。

                          .
上宮の左側の急な階段から下りていきます。
Houmansan59_2                       .
階段はすぐに鎖が頼りの岩場になります。
下から支えて降ろしました。

Houmansan61
しばらく道なりに進むとキャンプセンターです。
小さな山小屋と広場。

頂上もここも桜はまだでした。
ここでお昼や休憩する人も多いとのことで、5,6人の方がおられました。

Houmansan63
再会(サイカチ)の木は、キャンプセンターから少し過ぎた辺りにありました。

こんなとこにあったのかぁ!
とその感動は言葉では言い表せないくらい。

途中、三郡山や若杉山への縦走コースへの分岐があり、
行ってみたいっ!という思いと葛藤しながらそこを後にしました。

すっかりはまってますね。

(一般的な縦走路は、上宮のある頂上から西側を降りて行くルートだそうです)
                  .Houmansan65                     .
「愛敬の岩」です。
下宮の竈門神社にもありましたが、こちらの方が元になっているのでしょう。
                                                        .Houmansan66                           .
こんな箇所もあります。
慎重に。
                        .Houmansan67
朝来た時に使った登山道との分岐地点です。
左の階段が「男道」
右が下山の時に歩いた「女道」
キャンプセンター経由の道です。
                      .
Houmansan18
分岐は(登りからですと)中宮を少し過ぎた地点にあります。

Houmansan68
下山したのは14時30分。
往復6時間!
ほんとに一人の時の倍・・・。
                      .
「しんどかったろ?」と子供に聞いたら、
「それでも楽しかった」とのこと。
特に娘は、お社で音が聞こえたりする人なので、山の上にある上宮には惹かれる
ものがあるようです。

Houmansan69_2
                     .                                                        .
たくさんの人で賑わっていました。

祈りの声は過去から今、未来と。
いつもそこにあり、故にそこに神が存在できるのでしょう。

 

                     .

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