岩戸開き 追記 ~夢と現実~
「神功皇后」について。
伝承などには様々な矛盾があります。
高良の伝承では大和に戻っていません。
ですが、記紀などでは「三韓征伐」の後、大和に戻り、応神天皇の
義理の兄達と応戦しています。
大阪の住吉は神功皇后が創建したとされています。
記紀や伝承の何が真実かは分かりません。
辻褄合わせの為に何かを創作されていたとしても分からないのです。
ただ、奈良市の山陵町には神功皇后のご陵があります。
側に住んで毎日身近に感じていたので「空っぽ」だとも
「彼女」ではないとも思えません。
その「彼女」がミカシヤ姫であったとしたら、同じ「気配」はするかもしれません。
ニギハヤヒ命のご陵も、間違いなく「三輪山」です。
*
彼らについて、一番気になることは、 (「神の鉾 1 ~伊野の鉾~」)の
品陀和氣命
(ほんだわけ・応神天皇)の言葉です。
大阪府の楯之御前社の伝承に
「神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰った」
これは、その国に「国平の神」がいないことを表します。
その言葉を見た時に、「倭」が大和(奈良)を表す言葉ではないと思いました。
(”そこ”が自分では取りに来れない程の遠い場所とも感じた)
もしも「倭」が当時の筑紫を指すのならば、国平の神がそこにいるということです。
国平の神とは、ニギハヤヒ命。
そうならば、高良の伝承のように、神功皇后も「そこ」にいたのかもしれません。
(応神天皇がそれを言ったと伝えられていることにも意味があるように感じる)
*
「ミカシヤ姫」の背景
当時の奈良盆地には広大な湖がありました。
その頃は完全な淡水湖で、その周辺で稲作もしていました。
(後々調べましたら、「奈良湖」という湖が実在していました。
その湖が無くなるのは、奈良時代に入ってからのこと)
*(「 奈良 古代の湖 」)
最初の方(ニギハヤヒ達が来る前)に住んでいたのは盆地の西側。
高床式の大きめの神社のような建物です。
稲作もしていました。
今思うと、その周辺に敵対するような村もなく、
ただ平穏な日々を過ごしていたようです。
.
その日々が暗転したのは、「人でないもの」が現れてから。
*(「古代奈良の夢 」)
それが村を襲いました。
(おそらく)退治する術もなかったのだと思います。
その後、空を飛ぶ船<アマノトリフネ>で「彼」が来ました。
「彼」のことをただ<リュウ>だと認識していました。
その(古代の奈良)の前の世でも会っていた人だと。
当時すでに「前世の仲間」にも現実で会っていましたので、
彼が仲間の一人であること、自分が「ヒミカ」であることを知っていました。
アマノトリフネの件から、「彼」がニギハヤヒ命と今は呼ばれる人であること、
そこから当時の自分が「ミカシヤ姫」とされる人だと分かったのは、
数年前のことです。
さらに「仲間の一人」の「沙霧」の名は、
その船に乗っていた「狭霧神」として伝承の中にありました。
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「アマノトリフネに乗って、当時あちらこちらに出ていた
その「人でないもの」を封印(退治?)した」
というのは、事後の記憶(前世の夢を見た後で記憶として思い出したもの)です。
なので、その真偽はずっと分からなかったのです。
*
最近になって、その「人でないもの」の記述に出会います。
筑紫に残る「高良玉垂神秘書」や筑紫神社などの伝承です。
白羽熊鷲(熊襲)というそれは、明らかに「三韓征伐」の際の大陸の人をさした
言葉ではなく。
出現した場所も、「基山の東」です。
そして、 .
高良の神や神功皇后がそれら「ヰルイ(異類)」を退治したこと。
その二人が「ニギハヤヒ命」であり「ミカシヤ姫」の可能性があるらしいこと。
が分かりました。
ミカシヤ姫の時に「筑紫」に来て、それらと退治した事が伝承として残っているのか、とも考えました。
それならば、転生ではなく同一人物です。
そのどちらかは分かりません。
神霊がいう<生まれ変わり>とは、文字通りのことか、広い意味のことを指すのかもしれませんから。
(本人だけど、意図されて別人にされている等)
「人でないもの」は、その時代の他にもいたと思うので、
その事だけで判断はできません。
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夢と現実。
関わる伝承。
多くの偶然。
どれが真実なのかは、まだ分からないのです。
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