山な人々
宝満山は福岡で一番の人気の山です。
一度登ると、何度も登りたくなるか、二度と登らなくなるかのどちらかだとか。
後者の理由は、829mの標高のほとんどが石段だから。
「宝満山に登れるなら富士山も登れるよ」
と言われた方もいました。
さすがに比べられないですが、結構ハードです。
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後者の理由の一つは、交通の便の良さ。
最寄りの太宰府駅からバスがあるので、車が無くても気軽に来れます。
私が気に入ってるのは、人との触れ合いが多々あること。
老若男女たくさんの人が登るので、何度も人とすれ違います。
その度に挨拶をしたり、道を譲り合ったり、声を掛け合ったり。
あちこちで初めて会う方と話が始まります。
ここに登るようになって、自分は人が好きなんだと実感しました。
四季折々の自然や鳥の声。
まだ見てないですが、頂上で見る朝日や夕陽や
空に近い場所から見る星空の美しさを語ってくれた方もいました。
自分がいる世界の素晴らしさを再認識できます。
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宝満山は霊山でもあり、昔から行者さんも登られています。
今でも時折、どこからかホラ貝を吹く音が聞こえることもあります。
山が修行の場とは、分かるような気がします。
次第に息が上がってくる。
耳の奥で潮騒のような血流が聞こえてくる。
そうすると何も考えられなくなって、頭の中が空っぽになる。
無になる瞬間が来るのです。
山と、存在と一体になるような感覚。
以前、ARIONから言われてた
「弥沙は瞑想の中で覚醒する」というのは、
静の方ではなく、こっちの動の方なのかと思うほど。
山を登っている人の中には、動の瞑想に惹かれる人がいるのかもしれません。
近々、太祖宮のある若杉山から宝満山まで縦走することになりました。
天気や体調が良ければですが。
総距離20キロ。
ほとんど修行ですね。
HNの弥沙をひっくり返した「沙弥(しゃみ)」は、
少年の出家修行者のことだそうです。
宝満山の山中にあったという「六所宝塔」の一つを建てたのも
沙弥証覚と言う方だそうで、とても親しみを感じます。
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人生が修行の場ならば、あえて挑むのもまた、人。
ARIONが言っていた「自分を観る」。
「実践を、内観を。その先に観えるものが自分と言う存在」
それを体現する場所の一つが山なのかもしれません。
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