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2018年7月25日 (水)

磯城

奈多の志式神社。Shishiki23_2
神紋は三つ巴。
ご神祭は、天火明神。

そして神楽の磯良舞。

このお社に参拝した数日後に、那珂川町の伏見神社の祇園祭
神楽の「磯羅」を見ました。

   *志式神社の祇園祭でも神楽の「磯良舞」が奉納されます。
   伏見神社の祇園祭は、櫛田神社の神宝を疎開したからと
   という縁だけではないと思います。
                 .


二つの神楽の磯良(羅)神は、干珠・満珠をもたらし使いこなしたと言う
「高良玉垂(玉を授ける)神」、高良神です。

彼の神は住吉神、それは元宮である那珂川町の現人神社の神。
(ご祭神は住吉三神ですが、地元では現人(あらひと)さんと呼ばれています)

今までの考察から、彼は饒速日神だと思いました。
かの神は天火明命ともされています。
                     .

磯良舞が奉納されている、この志式神社のご祭神も天火明命でした。


                      *

志式神社。

 

ししき。
し・の・しき。

しき。
確か重要な名の一つ・・・うんと考えてようやく思い当たりました。

<磯城(しき)>

奈良の天理から桜井市を含む広範囲が、昔は「しき」と呼ばれていました。

 

(ウィキによると、雄略天皇が居たという「斯鬼宮(しきのみや)」の表記が初め)

その辺りは三輪山の麓。
三輪山の南麓には古代の重要な交通の要所があり、
最初の市、海柘榴市(つばいち)がありました。

饒速日命が作ったのではないか、と昔何処かで見たのですが、真偽は分かりません。
ただ、その海柘榴市を守護する神が祭られているという、大神神社の末社
「大行事社」のご祭神は事代主命。
大己貴命の子とされていますが、時に同一神ともされる神です。

 

その近くには「大和朝倉」という駅もあります。

福岡の朝倉郡の旧三輪町には「大神神社」があり大己貴神が祀られています。

偶然ではあり得ません。
奈良の大神神社(三輪山)の大物主神は、大己貴神でもあるのです。

三輪山の大物主神が饒速日神でもあるなら、大己貴神もまた彼。

 (*実際の神社などの神は、記紀などにある神の系譜の通りではなく、
 民間信仰の中で長い月日を経て、一緒くたになっている)
                  .

また近年、三つの郡が合併して磯城になった時の一つが「十市(とおいち)郡」。
(元々、「しき」の範囲内の地)
この土地の名の元になった十市氏がいました。
kono87さんが、これは「とし」のことではないかと。

そこには一族の祖神の天火明神を祭る竹田神社がありました。
(耳成山の北東)
饒速日神には「歳(トシ)」神の名があります。
十市氏の祖神が天火明であり、彼であるならば偶然ではありません。


                      
              *

真鍋大覚氏の「儺の国の星 拾遺」に十市星について書かれてありました。

十市星について。

”とほち”とは、淡水が地面または海面に溢れる現象を云い、
逆に塩水が地面又は河面に溢れる現象も表現する。
所謂ところの洪水高潮の類が”とをち”であり、
後の”とほし”になったのである。
(中略)
十市星(としのほし)が並ぶ頃、渡水の儀式が潴水番(*ちょすいばん)
の閘門の上で厳粛に執り行はれる。
これを歳祭(としまつり)と言う。
百姓が年、即ち米稲の収穫の平安を星影に祈るからである。

見事に稲の神である歳神さまに繋がっていました。
さすが「儺の国の星」!kono87さん!

この十市とされる竹田神社のある場所の辺り、
私が見た「古代奈良の夢」では、ほぼ湖の最高地点になります。

年々増える水かさを心配して立っていたのが、耳成山を南西に見る地点でした。

”とおち”とはその状態を表した土地の名なのでしょう。
                       .
                  *

饒速日神を祀る三輪山の麓、その場所が磯城(しき)。
「しき」の地が彼と無関係ではないことを、示しているようです。

その「しき」が遥かな時代を経て、磯城と表記されるのは、
強い縁を感じます。
三輪山の神(饒速日神)が磯良神ならば。

 (その三輪の麓、夢の中では居を構えていたこともありました。
  神功皇后の宮もあったというその場所。
  私が見たのはいつの時か分かりません)
 

また彼は天照。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。

伊勢神宮はその昔「磯宮」と呼ばれていました。

   *(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

 

                  *


友人kono87さんによると、「しき」は「皇居の敷地」の意味が近いのではないかと。
(昔は皇居の呼び名では無かったので、上の位の人が住む場所という意)

「しき」は国が栄えた始めの土地だと。

そういえば、記紀には奈良盆地の東南部に天皇の住まいがあったとあります。
それはちょうどこの辺りのこと。
敷島と言えば大和の枕詞でもありました。
大和国の始めであり、大和そのものを表すのでしょう。

 

                             *

その、「しき」の「し」。
「しきの始め」であった場所。

それが「志式(し・しき)」。
この場所に、三つ星の神を祭る一族がいました。

志賀海神社の神、綿津見(少童)三神を祭ったとされる
「阿曇連(あずみのむらじ)」です。
志賀島を拠点とした海族とされる一族です。

その神社の神紋は共に「三つ巴」。
住吉神社・八幡神社・志賀海神社・大神神社・鹿島神宮・宇佐神宮など、
様々な神社の神紋です。
これらの神社は、「饒速日神」が名を変えて祭られているのではと感じてます。

志賀海神社は志式神社の西。
海の中道の先にある志賀島にあります。
ご神祭、綿津見(少童)三神は、イザナギの禊の時に、
住吉三神と共に現れたとされる神です。

高良の伝承で、住吉の底筒男神が「安曇磯良神」とされていたのは、
元々同じ神であり、かの一族の神でもあったのかもしれません。
共にオリオンの三つ星を神格化した神なのです。
(少童三神の方は三つ星の下にある小さい三つ星の方かと)

かの神を祭った一族の故郷。
「し・しき」は、大和の「しき」の始めという意味なのではないでしょうか。

                     *   

 

「磯城」についても「儺の国の星 拾遺」に書かれてありました。

  縄文の頃は津浪が多く海浜の波に洗われて磨かれた転石を積み上げて、
  波止めを築いた。これが筑紫の由来と説かれている。
  隋人は竹斯と書いた。記紀には磯城の名で記されている。

 

福岡の志式の名の由来はおそらく「し・磯城」
筑紫の名の由来と同じである磯城。
*(筑紫は、「命尽くしの神」が由来という説もあり)

阿曇氏が祭った神・磯良神が、大和へ。
そうして栄えた土地の名が「しき」
後に「磯城」。
 
こちらがその始めなので「ししき」。

 

kono87さんが言われた「しき」の意味も頷けます。
「しき」とは、特別な場所。

何故、海もない奈良のあのような場所が「磯城」なのか、ようやく腑に落ちました。


                       *

 

「干珠・満珠」
二つの珠と天火明命。
磯良舞にもある豊玉姫。

いくつもの偶然が繋がります。

私が伏見神社の神楽を見たのは14日。

こころぐのポチ友さんの章さんも、ちょうど奈良の玉置神社に行かれて、
17日にUPされていました。
(「しょうごのブログ「神社参拝(八十一)玉置神社(たまきじんじゃ)
http://tokidoki-syougo.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-78ef.html

こちらに玉石社の写真があり、ご祭神が「大己貴命」とありました。

宝珠(一説では十種神宝)を埋めたとされる玉置神社。
そちらの御祭神は国之常立神ですが。

饒速日神がもたらしたとされる十種神宝の中の「生玉、死返玉」。
それは磯羅良神の「満玉・干珠」と同じもの。

  (*「神の鉾 5 ~月の神と二つの珠と十種神宝~」)

 

やはり、大己貴神が饒速日であり、住吉神(現人神)でもあるのでしょう。

 

                     *

 

今なら、現人神社の現人さんが瞑想の中に現れて告げた訳が分かります。 

瞑想の中で「彼」に出会ってから、
パズルのピースを集めるように、次々と繋がっていくような気がします。

かの神は、二つの珠をもたらした高良の神。

現人さんが饒速日だとは。

 

Arahito1                          .

 

現人神社(住吉)の神紋、三つ巴。
それは勾玉なのではとも言われています。
                  .

前世の世界と言う「別の星
その星の神の紋章が、勾玉とよく似ています。
(「前世の仲間」にて。筆で描いたような紋ですが)


今となっては、これも偶然だと思えなくなりました。

 

 

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コメント

こんばんは~(^0^)
玉置神社の事を載せていただきありがとうございました。
十種神宝のことも書いてあったように思います。
饒速日神の事が少しずつ分かってきました。
ありがとうございます。

奈良の大神神社のすぐ近く(南に2~300m)に、
志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)があります。
そこが崇神天皇の皇居跡だと聞いてます。(以前参拝しました)
そこに石碑(崇神天皇磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと))もありました。
(良かったら私の投稿写真も探してください(笑))
崇神天皇6年まで、天照大神・倭大國魂神が皇居の中で祀られていました(天皇と同床相殿)
その後天照大神は笠縫邑に・・・(元伊勢の始まり?)、倭大國魂神は・・・
実際の場所は少しずれて、今は天理教地のようですが。

章さん、コメントありがとうございます(*^-^*)

玉置神社のURL記載させて頂きました^^
行ったのが十何年も前なので、すっかり忘れてました。

日本大國魂大神が祭られてる「大和神社」でしょうか?
天理市新泉町にありますね。
「日本大国魂大神、八千𠀋大神、御年大神」が祭られているという。
御年は饒速日でしょうね。

例えここじゃなくて、天理教の敷地内にある神社でも、
懐が深いので言えば参拝させてもらえますよ^^
私は信者じゃないですが。

こんばんは~(^0^)
書き方が悪かったみたいです。すみません
磯城の事で、。「志貴御縣坐神社」のことを書いたつもりでした。
住所は桜井市金屋896です。
ここに崇神天皇の住まい(皇居?)があったようです。
ここ(宮中)で崇神天皇6年まで、天照大神と倭大國魂神を祀っていました。
やはり、特別な場所だったんですね。

ご神祭、天津饒速日神なんですね。
そのままでしたね(*^-^*)
行ってみたいです。

この神社が元伊勢と言われていたり、
天火明命がご祭神の籠神社が元伊勢だったりと。
天照が彼ということを隠そうとする意図は見えないですね。

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