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2018年8月29日 (水)

超能力捜査官と卑弥呼

前々から気になっていたのですが、今回、目にする機会がありまして。

 

アメリカの超能力捜査官と言われている「ジョー・マクモ二ーグル」氏。
彼が、卑弥呼の墓があるのは安徳天皇の墓があると言われている場所
と透視していたそうです。
それが、山口県下関にある「安徳天皇陵」だと。

それにずっと強い引っかかりを感じていました。
今回調べてみて、その理由が分かりました。

壇ノ浦に沈んだ安徳天皇のご遺体は、浮かんでこなかったという説があるのです。
そうだとすれば、そのご陵には埋葬されていません。


                  *

安徳天皇陵とされる場所は幾つかあります。
その一つが、こちらにも。

ここに来て初めて知りましたが、福岡県の筑紫郡那珂川町には
「安徳」という地名があります。

名の由来は安徳天皇。
安徳台という台地があり、壇ノ浦に向かう前に2カ月ほどそこに滞在したそうなのです。
(元々の名は、神功皇后由来の迹驚岡(とどろきのおか))

御迎(おむかえ)天皇をお迎えした。
嘘谷(うそたに)敵にいないと嘘をつき追い返した。
老松(おいまつ)敵が天皇を探しきれずに松を植えた。

土地の人が安徳天皇を匿い守ったことが、今も残る土地名から垣間見えます。

台地の上には「安徳宮」があります。

 

Antokugu1
写真は、安徳台の上にある「安徳宮」。

まだ、幼かった安徳天皇が壇ノ浦で亡くなったことを知った土地の人達が
その魂を慰める為に、頓宮があった安徳台に作ったのです。

言うなれば、ここもお墓。

ご遺体が無くとも、お墓です。
人の想いが集まり、魂を慰める場所。


今でも安徳天皇が亡くなったとされる4月の初めに
「安徳ごもり」という祭事があります。
「安徳」の名は村の名として、今は地区名として、ずっと受け継がれてきました。
私が今住んでいるのも、安徳村だった土地です。
                    .
土地の人達が長い間、大切に、大切にしてきた「安徳宮」。
安徳という名。

幼い天皇の魂は、この土地で安らかに眠りについていると思います。


それは、神社の”形”と似ています。
同じ神が全国の様々な場所にあるのと同じ。
そのどれもが「本物のその神」がおられるお社なのです。


                     *


マクモ二ーグル氏が透視したのは、どういう形であるか分かりません。
もしも、<<卑弥呼の墓>>と、卑弥呼に意識の焦点をあて、
「安徳天皇のご陵」と出たのなら、山口の下関のご陵と固定されることは
ないのです。

ここにも「安徳天皇の墓」は確かに存在するのですから。

「安徳天皇のご陵と言えば、山口の下関だ」と他の誰かが告げたのならば、
透視の結果は歪められてしまうこともあります。

日本における「神(神社)」の形をご存知なかったかもしれません。
それは外れではないのです。

                      *

もしも氏が透視された「安徳天皇のご陵とされているのが、卑弥呼の墓」と
言うならば、安徳台もその候補の一つになります。


また、氏の透視結果。
それはもう一つの可能性も示しています。

「墓」ではなく、安徳天皇のご陵と卑弥呼自身が深く繋がっているという、
その可能性です。

もしも、そうならば。

それは日甕(ひみか)であったかもしれない、神功皇后という
可能性も示唆しています。

卑弥呼・・・「ひみか」は、日の巫女を表す称号だと思います。
彼女も確かに日の巫女、ひみかでした。

安徳台を始めとして、那珂川町は神功皇后と深いご縁があります。
氏の透視結果とこの繋がりは、偶然とは思えません。

もしも機会があるならば、氏に「安徳台の可能性」をお伺いしたいです。

それは、奈良の山陵のご陵さんが「からっぽではない」と感じていたその理由。
それを裏付けるものかもしれません。

 

                      .
☆安徳台についての記事。

*安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県

*安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) その2

*安徳台と高天原

        

 

2018年8月25日 (土)

パワースポット 2

奈良編です。

☆三島神社
                                           .Mishima02                      .       
*三島神社 ~奈良県~ 2014年11月29日

 

奈良で圧倒的なパワーを感じたのは三島神社。
                            .

 

Mi03                          .
自分が参拝してる時の写真ですが、白い靄が映ってます。
ご祭神なのでは、とのことです。
もう一柱(左)はミカシヤ姫だそう。

ご祭神、御祭神は、布留御魂神、大山祇神、天児屋根命。

 

布留神は饒速日命。

(上記の2枚の写真からもすごい気を感じます)
                    .

                .
☆櫛玉比女命神社
                     .

 

Mikashiya02

 

*櫛玉比女命神社  ~奈良県~ 2014年11月29日

御祭神は、櫛玉比女命。

 

櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、
御炊屋姫(みかしやひめ)。

ここはとても心地よい気が流れていました。

                  .

☆石上神宮 

 

Dsc_isonokami
*石上神宮 魂振り神事 ~奈良県~ 2014年11月26日  

 

ご祭神 石上大神(布留大神)

毎年、11月22日に魂振り神事が行われます。
神事の最中の祝詞は「ひふみ唄」
祝詞が最高!とても心地よかったです。

友人は、神事の間中、神霊が拝殿の前に立たれているのを見たそうです。

                    . 

* 玉置神社(奈良) 2012年8月16日

 

頂上の駐車場で、地球と宇宙を見せられました。
その後、「全は一つ」と。
なかなか壮観でした。
                 .


* 天岩戸神社(奈良) 2012年5月28日

こちらも鳥居をくぐった後、宇宙を見ました。
参拝したのは玉置より、ずっと前です。
この時は、宇宙空間の中に放り込まれる感じ。

その後、他の岩戸と繋がっていると感じました。


                           .
☆天理

神社ではないですが、
天理教教会本部
Tenri01
*天理教教会本部   2014年11月27日

この場所には、元々三島神社がありました。
教祖 中山みき氏がそこで出会った神は、ウシトラコンジン(艮の金神)。
一説では饒速日命だと言われています。
(三島神社があった地に現れたのだからそうだと思う)

今そこには「甘露台」というものが立っています。
空から降り注ぐ光と、地上(地球から?)からの光の流れが見えました。
なかなか壮観です。

この”感じ”は、福岡の桜井神社の岩戸開き神事の(最初に行った)時の
”感じ”に似てます。

天理教の方々にとって唯一無二の大切な場所なので、
お邪魔にならないようにしてください。

          .

和歌山です。

* 熊野本宮大社 大斎原(おおゆのはら)和歌山県 2013年1月 9日

鳥居をくぐった後、川の中を歩く人達の幻影を見ました。
<熊野は異界の地・・・>と聞こえました。



                  .

個人的に。

☆矢田坐久志比古神社

 

*前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2 2012年7月 2日

 

          .
☆石切劔箭神社

 

*前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その3  2012年7月 2日

ここは多くの方がお百度参りをされていているのですが、
それを上回る強い気を感じました。
できものを治してくれる神社と有名だそうです。


                           .

☆ブログにUPする機会がなかったのですが、
大神神社も毎回、パワーを感じます。
いつか三輪山に登りたい。

           
                     .

 

 

2018年8月23日 (木)

パワースポット 1

パワースポットを紹介してとメールで頂いたので、
地域ごとにUPします。

☆伊勢神宮(内宮)       

 

Dsc_0818_2

* 伊勢神宮 式年遷宮と写真の光 2013年10月 7日

伊勢は何回も参拝してますが、いつも龍のようなものが寄ってくる感じがあります。
上記の記事のコメントで教えて頂きましたが、白龍だそうです。
写真はフイルムカメラで撮ったのを、スマホで接写したもの。

一番好きなものなので、ブログ村の紹介の写真にしました。
見てるだけでも幸運になるそうです。

今でも、色々なきっかけをくれる写真です。


☆月讀宮       Tsuki03_2             .


*月讀宮 ~三重県伊勢市~ 2014年12月28日  

内宮に近い方の月讀宮。

Tsuki05
紫の光は神様だとコメントで教えて頂きました。
そういえば、この時、白蛇がお迎えに来てくれた。

☆恵利原の水穴

Erihara03

 

*伊勢(恵利原の水穴) 2012年5月25日

ここは別の世界のような気配がします。

「オモイカネノカミ」と聞こえました。
写真はフイルムカメラで撮ったのを、スマホで接写したもの。
聞こえたのは「風穴」の前。

*伊勢(摂社) 2012年5月25日

外宮の側にある摂社の一つ。
「コトシラネ」と聞こえて、事白根と変換。
事代主のことだと思います。

この時は大きな白鷺が場所を教えてくれました。

・・・いや、白鷺にしては大きかった気がする。
カンタくん(ペリカンの)くらいはあった。
そんな白鷺いるはずがない^^;

外宮内で一番強い気を感じるのは、多賀宮向かいの山です。

*多度大社(三重県) 2012年6月 2日

三重県繋がりで多度大社。
竜神様?か水神様が来られたような感じがしました。
気配が心地よかったです。
              .

*熱田神宮(愛知県) 2012年5月30日

<神は、祈りにより存在するもの・・・。>
と初めて長文で聞こえた。
愛知に働いていた時はよく行きました。


*砥鹿(とが)神社 愛知県  2012年5月28日

結界を初めて感じた神社。
山の上の上宮の方。
とても心地よいです。                .

 

*阿智神社(昼神神社) ~長野県阿智村~ 2006年9月18日

長野県阿智村。
参拝した当時は、よい温泉が出るとこで知られていました。
今では星の聖地となっているそうです。
星見たかった。

ご祭神は、思兼神。

姿を見せてくれたのは、アメノウズメだと思います。
笑顔が印象的でした。
また会いたい。

               *

記事が多すぎて、埋もれてて探せないとあったのでご紹介しました。

神社はすべてパワースポットだと思っています。
受け取り方、感じ方は、人それぞれ。
この場所でこんなことがあった人もいた、と気に留めているだけで、
受け取り方もまた変わってくるかと思います。

このページの月讀宮以外は、かなり前の参拝の時です。
写真が古い。

              .

次は奈良編。




(つづく)
          

 

 

2018年8月20日 (月)

ARION ~生きる力~

Jyusou15
ARIONが「旅」についての言葉を残していました。
旅をすることは、生きる力を得るということ。
その感覚は、山に登る時も同じでした。
一人旅をしていた頃よりも強くそれを感じます。

 

以下、ARION著 
**********************************************************

ARION語録

光よりの光、最上の帯としての光より来たりて伝える
我が名はアーリオーン、愛と光の天使

------------------------

本当の旅を求めて
今再び、甦る為に…

(中略)

無機物、無生命体の都会生活の中で

それでも暖かいものを、触れ合いを求めて

人は何か気付きを捜す…

そして、そんな時に人は《旅に出たい…》と思う

削り取られた神経叢から滲む血を押さえながら

人は『自分自身』を取り戻す為に

 

自分の心の在りかを見出す為に

旅に出たいと願う…

人は『旅』に出ると自分自身を取り戻せるのだろうか?

本当に心の在りかを見出せるのだろうか?

 

一体、都会には何が起きているのだろうか?

 

都会に生活していると自分自身を見失うのだろうか?

生命体とは血の通うものということ

 

そして生命体は《生命の流れる境》に活きるもの

 

全ての生きとし生けるものは《生命の流れ》を司る

地球上だけでなく全宇宙の生命体は

《命を生きること、生きる力の流れを流れること》を目指している


 

 

アスファルトで固めコンクリートで囲われた場に

 

草木は生きることが出来ない、虫も鳴くことが出来ない

土も呼吸出来ない、そして人間も…

自分自身を見失う、心の在りかを見出せないのは

 

生きる力の流れに沿わない、囲われた場に生活しているから


だから、人は旅に出ようとする

 

生きる力の流れの残る場を求めて

 

遮断された生命の流れを甦らせる為に

人は土の生きている、鳥の鳴く、血の通う触れ合いを求めて

…旅に出る


遮断され密閉された生命閉塞状況に居れば居るほどに

 

人は生きながら内部から鈍感になってゆく

まずカンナで削り取られ続けている神経系続から

そして神経叢の中枢であるところの『心』へ

 

段々と鈍感になってゆく

最終的には…

自分達の生命にとって何が大切であるか、

それさえも分からなくなる

人間の身体の中には、宇宙生命潮流の流れから

絶えず信号が送られている

生命維持に危険なものは排除する様に、信号が送られている

鈍感になってしまって、信号も感じなくなってしまう様な

そんな生活空間から自分自身を取り戻す為に

旅に出たいと願う人の身体の中で、何が起きているのか?


宇宙生命潮流から《生命を維持する様に…》との信号が送られ

キャッチされ、生きる力の流れを求める心が揺さぶられた

旅に出た人は閉塞状況から解放され、ホッとするだろう

身体の底から血液が巡るのを感じる

 

呼吸を始めた『心』が躍るのを感じるだろう

幼い頃の自分、生命力の流れに充分浸っていた自分

 

そう、子供は全て宇宙の生命の流れに素直に生きていた

 

何でもない普通の人々の生活の営みにも

 

自然に頼が弛むだろう

小川にメダカが泳いでいるのを見て、嬉しいと感じる

夕餉の味噌汁の香りにフッと郷愁を感じる

五感が開くのを感じるだろう?


生きる力の流れない場に生活していると

第六感はおろか、人間の五感も鈍くなる

見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触ることの

 

鈍くなった人々…

 

鈍くなったが為に何も信じることの出来ない人々

生きる力の流れる場に居ると

 

それら五感の中で損傷の少ないものから

 

甦り始めるのを感じるだろう


まず五感の統括である“気持ち”が弾んでくる

血が通い始め、生命潮流からの信号もハッキリとしてくる

 

そして、都会を生活の場にしている人は

 

甦った自分自身を感じながら、再び都会へと帰ってゆく

旅に出る前の自分ではない『新しい自分』を連れて

そう、呼吸している血の通った身体を持った自分

それだからこそ、信号をしっかりと受け取れる自分になって…

生命の力の流れる場としての生活空間を…

生命維持の為に何がいけないか、何が必要か分る自分

五感が開いている状態で、何が都会に欠けているかを

ハッキリと見つめ、ハッキリと表現出来る自分になって

そう、旅から帰る人々が再び生命閉塞状態の中で

少しずつ鈍感になる前に、是非、考えて欲しい

自分達が何を旅に求め、旅先で何を得たか、どう感じたのかを

 

この死にゆく大地の都会の中で、

 

自分達の生命を維持させ、危険を排除してゆくには

それら旅先での五感の開いた状態での経験を

どういう風に活かしてゆくべきなのかを


本当のことしか無い、本当のものしか存在しないのが自然の定理

人間は《人》である為についてきた嘘を脱ぎ捨て、本当の自然と融合して

 

生命を活かすことを、旅に出ることで学び、

それぞれ自分達の生活空間に反映して貰いたい、

 

それが宇宙の全ての生命の願いだから…

11.Dec 1989


 

(転載元はkono87さん 「ラトナ通信2018」)

*******************************************************************

山は生命力に溢れている。
そこにいるだけで、力がみなぎる。

自分も宇宙の一部だと感じとる。
自分の中にも宇宙の力が流れているのだと感じられる。

自分の生命を生きる為に山に登る。


だから、あの人はあんなにも山を愛したのか。
遥かな時を越えて一つになれるような感覚は、そこからきているのかもしれない。

 

Jyusou09 

山の頂上から見る博多の町はとても輝いていて。
自分もあの中の一部なんだと思うと嬉しくなる。
自分の帰る場所はあの町なのだと毎回、思い知る。

山の上から見る空も、庭から見る空も同じ。 
結局、自分が住んでいる場所が宇宙そのものなんだと、
振り返る為に山に登ってる気がする。

    .
                .

2018年8月16日 (木)

「儺の国の星」~物部一族とARION~

真鍋大覚氏著書「儺の国の星」には、物部氏についての記述が数多あります。
氏の先祖が物部氏であり、太宰府にて「星見」をしていた故です。
かの本は儺の国である筑紫郡那珂川町に古来から伝わる星の名を
掬い取ったものでした。

「儺の国の星 拾遺」 (積水星・つくみのほし)項より 抜粋
************************************************************

物部なる氏族の家系は、元来は星辰を祭る家系であって、
その先祖は近東にあった。
いつの頃か姜人中臣の氏族と和解して、脊振の北と南を領有して
いたのである。


***********************************************************

脊振の北。
その一つが那珂川町に当ります。
古来から物部氏が根を下ろしていて、現人神を祭る現人神社があります。

ご祭神は住吉三神。
全国の住吉の元宮。

住吉の神は、饒速日神です。
(*新嘗祭と住吉神とニギハヤヒ ~その1~

物部氏の祖神は、宇摩志麻治。
彼は、饒速日命とミカシヤ姫の子とされています。


また南、佐賀県側には物部神社を始め、物部氏の痕跡が残されているそうです。


脊振山の標高は、1054m。
そんなに高くはないのですが、この辺りではとても大きな役目をしています。

(「脊振」というと脊振山系のことを表します。
元々は脊振山は上宮嶽と呼ばれていたそうなので、この「脊振」は、
単体の脊振山のことではなく、脊振山系のことなのでしょう。)

福岡には台風がほとんど来ません。
山口や奈良がひどかったので不思議に思っていましたら、
「脊振が楯になってくれているから」と皆、口々に言います。

北と南に同じ一族が住む物部氏。
北のそんな状況から、神の山と祭られるようになったのでしょう。

脊振には、二龍が降る。

それがスサノオの神であり、ニギハヤヒ神だとも言われています。
それは、かの一族が崇める神、故なのかもしれません。

                       *

かの本には物部氏の先祖は「近東」にあったと記されていますが、
ARION の言葉にもこのようなものがありました。

 

  (ARION語録 ~ アメクモ族~)

**********************************************************

 

光よりの光、オリオンの神の座よりの一条の光として来りて伝える、
我が名はアーリオーン、愛と光の天使
---------------------
 私達の秘密としている情報を少し話そう。それは、この日本の神話だよ。
日本書紀や古事記、いわゆる記紀は後の世の為に編纂されたもので
正しい歴史書とは呼べないんだ。


 まず宇宙には『アメクモ族』と呼ばれた種族が居たことから話そう。
彼らは、あなたがたの居るこの銀河系に遥かな昔にやって来て
色々な惑星に植民していた。
彼らの目的は『人型種族の繁栄と進化』だった。


(中略)

アメクモ族は今で言うアジア中央高原に降り立った。
そこから多くの国に向けて陸路と海路で渡って行ったんだよ。
この種族は後の世にアメクモ族の名前を残す為に自分達の名前に
『アメ』『アマ』、つまりAとMで始まる音を配したんだよ。
エジプトに伝わった名前にもあるね?
キリスト教では最後にアメンと唱えるね?
日本では『アメノ…』という名前が多いね?
ラテン語に至っては『アモール』は『愛』の言葉だ。
みんな『アメクモ族』の印だよ。


 さて彼らは日本に向けても陸路と海路で渡って行った。
(紀元前の話)スサノオとその父フツの曽祖父に当たる男は
海路で行くグループの首領だった。
陸路で渡った仲間は先に日本に到着した。
海路で渡った仲間は東南アジアの島々で数々の仕事をこなしてから
朝鮮に渡り休んでから日本の壱岐対馬に渡り、その後出雲に住んだ。

 スサノオの父フツは出雲でスサノオを生んだんだよ。

陸路で先に入っていた仲間はイザナミ・イザナギと呼ばれる人々が有名だね?
彼らはヤマト原人を制定し、九州に強い国を築き始めていた。
そして海路のグループが携えて来た、いわゆる『十種の神宝』を要求していた。
何故ならば、この神宝を持つ者が日本のスメラとなる事が決まっていたからだよ。


そこで首領の血を引くフツはスサノオを諸国制定の雄として
送り出すことにしたんだ。
その頃、九州にはイザナミ・イザナギの国があった。
彼らの長女はアマテラスという名前の、たいそう賢く強い女性だった。

 フツの死後、スサノオは彼の器量を全て受け継いで生まれた第5子のトシを
伴い九州を制覇にかかっていた。
イザナギ・イザナミはスサノオの強大な力と知恵に恐れを成して、
娘であるアマテラスをスサノオに差し出すことによって同盟を申し出てきた。
アマテラスは既に結婚してはいたが当時には一夫一婦制の掟はなかったので
スサノオとの婚儀には問題はなかったんだよ。

 スサノオ、トシの親子は九州を制覇し瀬戸内海沿岸を制覇した。
成人し経験を積んだトシはオオトシと呼ばれる様になっていた。
既に年を取っていたスサノオはオオトシに『十種の神宝』を手渡し、
ヤマトの国に入る様に伝えた。

 ヤマトの豪族ナガスネヒコはスサノオ親子との親睦を深める為に、
彼の妹をオオトシに差し出した。
オオトシはヤマトに入り実質上の日本の王となる為に、名前を変えた。
『オオトシ(大歳)』から『アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤ
ヒノミコト(天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)』と変えたんだ。
ニギハヤヒは奈良に入りヤマトの王としての地位を確立したんだよ。
彼の御陵は三輪山なんだよ。
三輪山はピラミッド建築になっているよ。

(以下略)

 

        ---ARION,O∴O---

'89/11/15 01:39

 

********************************************************************

 

”物部氏の先祖が近東から来ている。”

かの一族は饒速日神、ミカシヤ姫から連なります。

もしもARIONの言葉の通りなら、一族は大和で生まれ、こちらへ来たことになります。

 

物部氏であるからこそ、祖神を産土神としてこの地に祭ったのでしょう。

彼はイザナギ神の禊から生まれた神、住吉三神でもあります。
                     .

 

(安徳台と高天原 )に記していました。

 

神功皇后が朝鮮出兵の際、船の舳先に現れ、皇后を助けた神として、
「住吉三神」の名が出てきます。
この時、

「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若々しく生命に満ちている神、
名は表筒男(うわつつのお)、中筒男(なかつつのお)、底筒男(そこつつのおとこ)
(住吉三神)の神」
                   .

 

住吉三神である現人の神のおられる地が、
みそぎの地、筑紫日向橘小門なのです。


                 *

 

高良の伝承にある高良の神、磯良神も饒速日神です。
その神は神功皇后と夫婦だとされています。

それはこの地が「岩戸」とも呼ばれていることと関係しているのかもしれません。

現人の神は、この国が大事の際、人の前に姿を現し、神通力を振るうと言われる神。
幾度もこの地に降りてきているということか。

 

ARIONは、ひたすら饒速日神の再来を待ち望んでいました。

 

それは、饒速日神が転生するということなのでしょうか。

                 .

 

2018年8月12日 (日)

奈良の神功皇后と山登り

奈良には神功皇后が登った山が無いのです。
福岡にいる私が把握できていないだけなのかもしれませんが。

                  *

彼女は熊襲(羽白熊鷲)退治と三韓征伐を成し遂げた後、北部九州から
奈良(大和)へと戻ります。

その後、忍熊皇子達との戦いが日本書記に記されてあります。
忍熊皇子の名が由来の押熊町は、私が通っていた小学校の校区にありました。
神功皇后の山陵町のご陵さんからは2キロほど。
押熊のすぐ隣は、「神功」町です。
道を隔てると京都。
(神功は新興住宅地なので、後から名付けられたのかもしれません。)

それ以外の「彼女」の形跡。
それが奈良には全くないのです。

 

                 *

福岡・・・筑紫には彼女の足跡が多く残されています。
祭った神々や、神社、神事の名残。
那珂川町の裂田溝(さくたのうなで)の伝承も未だに健在です。

神社の社伝として、伝承として、後世の人達が連綿と伝えています。


中でも彼女は、行く先々で山に登っていたことでもよく知られています。
神功皇后が登ったのは三韓征伐の戦勝を願う神事をする為であったり、
国見をする為。
山頂でその山の神と心を通わせ、あるいは神を招き、土地の安寧を祈る為です。

そこには神がおられます。
山の中には、私が以前、飯盛山で見た「人の願いが集まり、神が創られる」
神奈備のような特別な山があるのです。

そんな重要な場所なのに。

                *


何より、山に登り、その魅力にはまった人は、登らずにいられなくなります。
福岡周辺の低山であっても、それが充分に分かります。

最近、毎日暑くて、マダニも怖いので自重して登ってないのですが、
ただただ登りたいっ!
公園で踏みしめる地面や落ち葉でさえ、そこから山を想ってしまう。

登ってる間のあの瞑想にも似た時。
この世界に自分は生かされているんだという実感。
そこでしか感じられない、時間、感覚。

山の風、気配、そこにあるすべて、それこそが神。
私は山で神と会っている。
そうまで思ってしまう。

上宮にお社があるのは、そこに神がおられるから。
そう感じた人がいた証。

そんな場所なのに。

                

本当に彼女は、その後、大和に居たのでしょうか。



宝満山から見た空を。
黄金色の空を、大地を。

一度でも見たら、人はそこに神を感じる。
またそこに行きたくなる。

こちらで山に登ったのは、勝利を願っただけではない。
ならば、大和でも彼女の足跡があるはずなのに。

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                    宝満山 竈門神社 上宮 


それともう一つ、疑問に思う事。
宝満山ほどの山ならば、身重では登れないはず。
 
当たり前のことですが登山はきついです。
宝満山は今でこそほぼ石段ですが、それでも1時間半の石段はきつい。
彼女が登ったという時代ならば、登山道も整備されてもなく、
安定期に入っていたとしても、とても登れるものではありません。
まだ登ってませんが雷山も、その昔は大変な山だったと聞いてます。

でも伝承の中では、三韓征伐の前に数多くの山に登って
神事をしています。

それは、多分あり得ない。
足取りだって危うい。
御子を宿し、そこまでの危険なことはしない。
今ほどの医療が発達していない時代、出産の事故は
今よりもずっと自身の命取りにもなります。

私自身この半年で、彼女の伝承が残る山を含め、三十座ほど
登りましたが、それはこの身一つであったから。

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                     宝満山 再会の木


                   *

では、何が本当なのだろう。
彼女が現実に存在していたことは確かだと思います。
数々の山に登って神事をしていたことも。

どこまでが本当なのだろう。
                    .

 

「高良玉垂の神秘書」では、神功皇后は高良の神と夫婦になったとありました。

神は人でない。
「神との婚姻は人のそれにあたらない」
と前にどこかで聞いたことがあります。

彼が人の姿としてこの世に現れていたとしても、それは神。
神の巫女としての婚姻は、人のそれと違うと認識されるのです。

ならば、「卑弥呼が独身だった」という魏志倭人伝の伝承にも繋がります。

 

卑弥呼と神功皇后。
その1世紀半と言われる時代の差。
(こちらの香椎宮や高良大社では、神功皇后は200年台の人として
伝わっています)

それは何故?
やはり幾人かの伝承が混ざっているのか。

それは分かりません。

                   *

ただ一つはっきりしていることは。

 

山に在る神と離れることはできません。
その存在を知ったのなら。

 

 

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