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2018年9月27日 (木)

日本の真相 2 ~同化~

(「日本の真相 1」 の続き)

物部氏、秦氏などが、失われた十支族の末裔であり、
日本へ辿り着いたとありました。

以下、「日本の真相」より要約
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

*************************************************************

(2)秦氏の起原

古代物部氏は、海のシルクロードを渡ってきた、失われた十支族の一部の者達。

陸のシルクロードを渡って来たのが、秦氏。
秦氏は朝鮮半島からの渡来人であり(*朝鮮半島を経由しての意味)
土木工事や鉄器製造、機織りなどに優れた殖産豪族。
月読命を祀る月読神社は秦氏の創建である。

☆秦氏は何者か。 

北朝イスラエルが滅亡後、十支族は歴史から姿を消す。
彼らは「マナの壺」と「アロンの杖」を携えていた。
彼らは遊牧民と同化し、次第に極東方面へと達する。

BC2世紀ごろには東北アジアへ。
後に百済、新羅、伽耶になる。
これらのことは「三国史記」の「百済本記」にある。

それらの記録にある自死したという、大王の孫がフルであり、
「それが他の国へ行ったこと」と考えられる。

百済王家の姓は、解氏(オンソ)と真氏(フル)。
流れてきた(失われた十支族)遊牧民族の末裔。

当時、騎馬民族は”秦人=流浪の民”と中国から呼ばれていた。


☆もう一方の南朝イスラエルの行方。
天山山麓の麓に弓月王(ゆんず)国=三日月王国があり、
製鉄が盛んだった弓月城(くるじゃ)とも言われる国があった。

鉄は製鉄はシュメールからヒッタイトへと受け継がれ、この国へ。
当時夜に光が無かったことから神の国とみなされ、”天山”と言われた。
ヘブライ語で”ヤマトゥ”と呼ばれ、”神の民”の意味。
イスラエルの十二支族を象徴する。
ヤマトの語源。

☆南朝ユダ王国も滅亡寸前に脱出していた。
一族は失われた十支族を追ってシルクロードへ。
「契約の箱アーク」を携えていた。
シルクロードを東征、ヤマトゥの地へ。
そこで元々いたシュメール~ヒッタイトの末裔と同化。
製鉄製造、土木工事、芸術などの高度な文化を受け継ぐ。

やがて中国へ。
中国は彼らの姓を”秦氏”とした。
先程の様に”流浪の民”の意味がある。

彼らは十支族の後を追う。
やがて朝鮮半島に達し、流れを汲む扶余族と合流。
南下して伽耶へ。
新羅の様式を継承した。

(要約おわり)
***********************************************************

秦氏。
それが遊牧民族を表し、近東から流れてきた”彼ら”を表すのならば、
物部氏の先祖は”秦氏”でもあったのでしょう。

(「儺の国の星」~物部一族とARION~」)

このリンク先の記事にありますが、「儺の国の星」の著者、
真鍋大覚氏も「物部の先祖は近東にあった」と記しています。
そのことはほぼ間違いないと思います。
                     .

また、ARIONは
「日本の神話」の時代に描かれている「アメクモ族」は、
銀河系の遥か彼方からやって来た種族だとしています。

彼らはアジア中央高原(パミール高原)に降り立った。
そこから海路と陸路で渡って行った。

紀元前の話、スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男は
海路で日本へ向けて行くグループの首領。

陸路で渡ったグループは先に日本に到着。
海路で渡ったグループは東南アジアから朝鮮に渡り、壱岐、出雲へ。

陸路で先に入ったグループは北部九州へ(イザナミ、イザナギ)。
後にやってきた海路のグループが携えてきた「十種神宝」を要求した。

                    *

*ARIONが言う「スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男」が上記の
九州物部王朝を築いたという「フル、真沸流」か。
(ニギハヤヒもフルとされていますが、先祖の名を付けるのはよくあります)

上記の話(日本の真相)では百済の建国の成り立ちにいるフル。
百済の建国神話は紀元前18年とされています。
やはり紀元前のことであり、上記の「九州物部王朝」の大王とは、
このフルのことでしょうか。

スサノオを始めとする出雲族は、製鉄や様々な高い技術を持っていたそうです。
後にニギヤハヒ(?)が北部九州へ渡り、この一帯を治めますが、その痕跡が
あるとみています。
*饒速日命がどちらの生まれか分かりません。
              *

福岡にあるもう一つの「現人神社」に祀られている神、
「ツヌガアラヒト」は新羅からアカル姫を追って日本に来たとされる王子とされています。
神功皇后の母方の祖先ともされるその王子。
この辺りの伝説も上記の「フル」なのかもしれません。
神功皇后の名は「オキナガタラシヒメ」ともされています。




((「日本の真相 3 ~マナの壺~」)   へ つづく)  

            .

*上の「日本の真相」は要約で、かなり端折ってます。
全文ご覧になりたい方は、上の方のリンク先へお願いします。
(そこに記載されている事自体、幾人か(飛鳥氏)の考察が混ざってるものだそうです)

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2018年9月25日 (火)

7度目の宝満山*朝駆け!

前回の話からちょっと脱線。
先週、7度目の宝満山に登りました。

気になって調べてみたら、山に、はまるきっかけになった遠見岳(山行は17/11/10)から

 

10か月で41座目!(^^;

真夜中。
若杉山にいこ~と新しい登山口をヤマップで調べると、
同じページにある宝満山の報告がたくさん。
「ご来光見た!ありがとう~宝満山!」
というのを見て、
よし!今日は宝満山にご来光を見に行こう!
と決める。

ご来光は6時6分頃。
見るなら4時半くらいから登り始めないといけない。
家を出たのは4時過ぎ。                        .

 

7houman01                                                 .
宝満山下の竈門神社。
真っ暗です。
星が綺麗!
                     .
いざ、登り始めようと少し登った所でヘッドライトが消えかかる。

家を出る前、消えそうなライトの電池を変えようと蓋と格闘して1時間。
時計を見たら3時半。
ご来光を見るならもう用意を始めないとと、開けるのを諦めて
どうにかなるさと持ってきた。
やっぱりどうにもならない(^^;

スマホのライトで何とか、登山口まで戻る。

こう、上手く繋がらない時は、断念した方が良いことが多い。

どうしようか。
この時点で4時50分。
駐車場まで戻って(明るくなる)5時半まで待つか。

そう思ってたら、大学生くらいのカップルが来た!

初めて宝満山に登るのに朝駆けするという。
登山も2回目。
真っ暗な山の中、ナビも無しで??
いやいや、ライト無しでも何とかなると思った自分の方がアウト。

一緒に登りましょう!と道連れにした。
一応、7度目。

しばらく登ると息が上がる。
足も上がらない。
2カ月ぶりの宝満山は、きつい!
あ、寝てないし?^^;

何とか細々付いてる自分のライトの明かりだけが、足元を照らしてる。
周りが暗くて、自分がどこにいるのか分からない。
そのせいで余計しんどい。
足元だけを見てたら、途中、何度も脇道に入りそうになった。
一緒に行ってくれる人がいなかったら、もっと大変だったと思う。
                  .

何とか5合目くらいは登った。
きつい~。
こんなきついのは初めに登って以来。

 

5時30分。
ご来光に間に合わないんで先に行ってくださいと、
行ってもらった。

木々の隙間から次第に青みを増していく空が見える。
もうライトはいらない。
前の朝駆けの時はこの時間から登ったっけ。
                   .

 

7houman02                                                .
5時47分。
途中の展望所。
左下に見える山が四王寺山。
まだまだ中宮は先!
がんばるで!と登り始める。                                 . 
                                       .

 

7houman04                    .
中宮に6時。
後少し~。

この手前で会ったおじさんが、中宮辺りでご来光見られるよと
言ってくれてた。

中宮を過ぎて少し登った所に東に開けた展望所がある。
でももう少し~と通過。

次第に靄がかかってきた。
                  .7houman05                                      .
6時15分。
愛しの馬蹄石~。
ここまで来るともうちょっと。

7houman06                  .
6時18分、頂上~~!
「やったぁああ!」
と嬉しくて思わず声が出る。
1時間22分。
苦しかった割にはそんなに遅くない。

ご来光はガスの向こう。
ほんのりと、月の光のように見える。

 

7houman12
         .                                           .
西側、博多の街が陽に照らされて綺麗!
写真ではよく見えない^^;
7houman11                     .
朝靄の上宮、美しい!
やっぱり来て良かった!

 

7houman13
岩に真新しいしめ縄が張ってあった。
7月の山開きの時のかな。
                    .

向こうから何度か声が聞こえる。
「やったぁあ~頂上だ~!」
声出るよね。
福岡では中級登山への登竜門と言われる宝満山。
結構きつい。

三郡縦走(若杉山~宝満山縦走7時間半)した時よりも、
宝満山を単独で登る方が断然辛い。

何でこんな辛いのに登るんだろう?
それは、きっと登ってみないと分からない。
何事もはまったら見えるものがたくさんある。

おじさん達が挨拶してる。
「宝満山に7千回登ってる方でしょ。私は○○です」

あ、相手の人、頂上で毎回見る7千回登ってるおじさんだ。
朝、昼、晩と毎日、3回登ってるらしい。
いつもこうして誰かと大声で話してる。
毎回、会うわけだ。

あの人もここへ人に会いに来ているのかもしれない。

石段だらけの狭くてそこそこ辛くて、でも福岡で一番人気の山。
すれ違う時は必ず挨拶して、譲り合って、声を掛け合う。
知らない人同士でも、同じ山に登っているという妙な連帯感が生まれる。
「もう少し!がんばって!」
何度も声を掛け合う。
お互い同じ辛さ、楽しさを知ってるから。
ここに来ると人が好きになる山だと思う。
だからここには何度も来たくなる。

持ってきたポットのホットコーヒーとパンで暖をとった。
上着を着ないと寒い。
これから秋が過ぎて冬になる。
次の夏まで何度登るんだろうな。
40分程、ぼ~っとする。

と、靄がす~っと吸い込まれるように晴れた。
こんなの初めてみた。
7houman14                   .
少しお日様が見えた!
美しい~!
今日、来れて良かった!
よし!OK!下山!
待ってた訳じゃないけど。

いつもは西側の鎖場から降りますが、今回は西側から。
と石段で足が滑って背中を強打(多分、岩で)。
リュックの丈夫な背当てのおかげで無傷。
中身があまり無い時でも24Lの(自分には)大きめ登山リュックを背負ってるので、
事無きを得ました。
20Lだったら頭を打ってたかも。
朝露で石がよく滑ります。
                    .
7houman16                                                     .
幻想的。
こっちに周ってきたから見られた。
7houman17                         .
キャンプ場方向へ。
7houman18                  .
この上が上宮。
積み上げたような岩が重なってます。
                        .
キャンプ場にはテントが二張り。
管理棟に泊ってた人達がちらほら。
7houman19                  .
再会(さいかち)の木。
また会ったね。
                   .
女道方向へ。
                     .
7houman20                                             .
7houman21                                                .
美しい。
                    .
7houman22                                    .
いつもの水飲み場では無いのも見つけました。
ここのはちょっとと言いつつ、もう結構沢の水を飲んでる。
あまりにものどが渇いてたら飲むな。
微生物は気にしない。
                    .
7houman25                                     .
もう一度、四王寺山。
周回した山は愛しさ倍増。
滝、咲いてた花や木々、鳥の声まで思い出されます。
                      .
7houman24               .
途中の鳥居。
春には石楠花が咲き誇ります。
                  .
7houman26                                               .
登山口の鳥居。
やった~着いた~!
「ありがとう~!宝満山~!」

8時53分。
頂上でゆっくりしてたので、3時間25分。
7houman28                    .
再び、竈門神社。
ありがとうございました!
楽しかった~!

家に帰ってみたら、登山靴の底がすり減っていました。
滑りやすかったのは、これも原因かな。
一年で買い替え~。                 .

その日の夜、パートに行ったら友達に言われた。
「そのカップル二人だけで登りたかったんちゃうん」
いや~。うちもそう思ったけどね^^;

 

お二人さん、ありがとね!
                    .

 

2018年9月21日 (金)

日本の真相 1 ~物部王朝~

(「黒い影とペトログラフ 3 ~ナーガ・道しるべ~」のつづき)


最近、ネットでこんなPDFを見つけました。
何を検索しててヒットしたのか覚えていないのですが。

著者の方のお名前が分かりません。
リンクをしますので、御存じの方がいらしたら教えてください。
また、「投稿への」障りがありましたら削除いたしますのでご連絡ください。

「日本の真相」
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf

この中で今までの自分の考察と符合すると思われるものの一部を、
引用または要約していきます。
(書かれてあることの全てが真実であるということもないと思います)

                     .
                                                      (以下、要約)
                           .
****************************************************

「日本には物部王朝があった」

古代日本には物部王国があり、イスラエルの失われた十支族の一部。

京都の籠神社の主祭神は、天孫・天火明命。
元伊勢の社であり、丹後国一之宮。
秘伝では山城の賀茂別雷神と鴨大神も異名同神。

 天火明命は天孫として、息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及び
丹後・丹波地方に降臨し、これらの地方を開発せられ、丹波国造りの祖神。

別の古伝に依れば、十種神宝(物部の長が持つ印)を將来された
天照国照天火明櫛玉饒速日命であると伝える。
              .

(籠神社に)最初に祀られていたのは豊受大神。
豊受大神=宇迦御魂(お稲荷さん)。

裏の極秘伝には、本来の主神は「天之御中主神」。
豊受大神=天之御中主神とある。

伊勢の神社とイスラエルの神殿の構造は全く同じ。

「天之御中主神=豊受大神=宇迦御魂=賀茂別雷神=
天照国照天火明櫛玉饒速日命=饒速日命=猿田彦=素戔鳴尊=神武天皇」
(途中省略)

「八百万(やおろず)の神々」と言われている日本神話の神々は
(天孫の系統は)すべて、天之御中主神=豊受大神=天照大神(饒速日神)に
集劍する、唯一絶対神崇拝である。
このように、一人の神を、名前を変えて分けることを「分魂(わけみたま)」と言う。

失われた十支族の信仰は唯一絶対神。
そのため、各物部の部族が(物部一族は全国に広がっていた)、
それぞれに都合の良い名前で、自分達の先祖に絡めて唯一神ヤハウェを
祀り上げ、更に自然信仰まで加えたのが、古代物部王国の実態である。
つまり、ヤハウェ(イスラエルの神)の大元の日本名が、天御中主神である。
*******************************************************************
                                                                (以上、要約終わり)

八幡神は、やはた、ヤハウェだという説を聞いたことがあります。
八幡さまは、饒速日神ではないかと思っていましたが、ここでも繋がります。
                                         
「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏の先祖は物部氏であり、
太宰府政庁で星見をしていたそうですが、
それらよりも近年には、鹿島神社の神官をしていた家系でした。

鹿島神社の神のことは、
神の鉾 3 ~安曇磯良神~」の記事に。
 
                                    *

磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で
40万年過ごされた神。

奈良の春日大社の武甕槌(タケミカヅチ)神です。

武甕槌神は、常陸の鹿島神宮のご祭神でもあります。
奈良の春日大社へは、鹿島神宮から勧請されています。


                   *

鹿島の神は、武甕槌神。
饒速日命であるなら、物部氏である氏の先祖が祀っていたのは必然。

これらのことは、真鍋大覚氏の御先祖の物部氏も鹿島において、
物部氏の神を祀っていたことの裏付けの一つになります。

同じ神をそれぞれの土地の神に名を変えて祀っていったのでしょう。

「神名を変える」
それはその土地に力を与えること。
その「土地にあった」神名に変え、その地に盤石な神の守護を築き上げる。
その土地にあった名で祈ることで神の力は増していく。

神の名が地域により、祈る人地達により違うのは、そういうこと。
(また、同じ部族が名を変えることの理由であるかもしれません)

それは数多の神社で、異名同神の名が並列されていることの理由でもあります。

神功皇后も、砥上山の頂上で武甕槌神を祀っていました。
これは同じ神の「戦いの神」である一面が、その神名だと思われます。

「武」は猛々しいの意。
猛々しいみかづちの神。
甕は櫛甕玉命の甕でもあります。

同じ神。
饒速日神。
                    .

(「日本の真相 2 ~同化~」) へつづく)

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2018年9月19日 (水)

黒い影とペトログラフ 3 ~ナーガ・道しるべ~

              
もう一つ、この巨石パークに行く前に調べた時に見つけた
ペトログラフがありました。

熊本のパワースポットとして有名な、巨石がある
「押戸石(おしといし)の丘」に。

その巨石にはペトログラフが刻まれていて、
その一つが「ナーガ」と読めるそうです。
それは、蛇神を表すとのこと。

*「押戸石の丘」ホームページ
http://oshitoishi.com

ペトログラフはシュメール文明との関係も示唆しています。
「ナーガ」の言葉が蛇神であるのなら、古代日本においても
すでに知られていたことなのかもしれません。


上記のことを、「ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に追記しました。

                 *

奈良、三輪の神は大物主、蛇神とされています。
蛇神が崇められていたのは、蛇は田を守るモノでもあるから。
また得体の知れないモノとしての、畏怖の対象でもあります。
                (「大神神社(おおみわじんじゃ)と大物主神」)

三輪の神は饒速日神。
またの名を「大歳(オオトシ)の神」
稲穂の神である歳神さまです。

「田を守る神」そこから蛇神とされたのかもしれません。


「ナーガ」の名が彼に繋がる(少なくとも)二つの名にあります。
オキナガ族と、ナガスネヒコ。

 

                        *

 

「オキナガ」と言えば、神功皇后の名。

息長帯比売命・気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

物部族の流れを汲んでいるとされます。
物部氏は、饒速日神とミカシヤ姫の子、ウマシマジを祖神としています。

ここでも彼女と、蛇神とされる三輪の神、饒速日神との結びつきが見えてきます。
オキナガ族は、「ナーガを身に置く、受け継ぐ」


                     .*

ナガスネヒコは、「ナーガのスクネ」

ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に書きましたが、

ナガスネヒコは、「ナガ(龍王族・蛇と龍は同義)」の
「須(須賀・スサノオを表す)の根(貴人につける尊称)」であり、
やがて、スネから「宿禰、少根(スネ)」と表記されるようになったと
思われます。

「宿禰」はwikiでは、
「宿禰、少根(スネ)は、神別氏族の軍事的長の称号であり、
物部氏や蘇我氏の先祖に与えられた」とあります。

つまり、物部氏の始め。
それが「ナガスネヒコ」なのではないかと思うのです。
それは、饒速日神、自身。

彼に殺されたという「ナガスネヒコ」は、いなかったのではないかと思うのです。

                   *

 

押戸石に「ナーガ」のペトログラフがあり、
蛇神を意味し、蛇神である三輪の神が「饒速日神」ならば、
その頃、すでに「ナーガ」の意味が浸透していたのかもしれません。


                    *

山陵(みささぎ)の玉依媛」をUPした後に気付いたのですが。

この神功皇后と饒速日神の妃、ミカシヤ姫は、
非常に共通点があると前に書きました。
             .

*饒速日命とミカシヤ姫が住んでいたのは”登美”。
 今は奈良市に”登美ヶ丘”という地名が残されています。

*神功皇后の御陵があるのは、奈良市の山陵(みささぎ)町。
 登美ヶ丘から約2キロ。
 昔はその辺りも”トミ”と呼ばれていたそうです。

*二人とも「玉依媛」(神の依り代)とされていること。
 (ミカシヤ姫は、神道で玉依姫とされています。
  おそらく、神の依り代としての称号なのでしょう。)

*高良大社の「高良玉垂神秘書」によれば、
 神功皇后は住吉神(高良の神)と夫婦であったこと。

*住吉の神は饒速日命である可能性があるということ。

*二人は「日甕」でもあったかもしれないこと。
      (「 高良の神と日甕 )
                .

さらに奇妙な繋がりがありました。

ミカシヤ姫は「トミ一族」であり、その一族が元々いたのが、「トミの里」です
今の奈良県の北部、平城とも呼ばれ、あの「秋篠」の地名もある地域です。
そこは私の故郷。

饒速日命は、ミカシヤ姫の兄のトミ族の長ナガスネヒコを誅殺したとあります。

神功皇后は、応仁天皇の義理の兄、つまり義理の息子達を誅殺。
その一人、押熊王の名がついた土地が「押熊」です。

その「押熊は、登美ヶ丘の隣り」です。


二人の同じような伝承に由来する名が、この狭い範囲内で伝わっているのです。

こんなに共通点のある二人の伝承が、こんな狭い範囲で。

神功皇后の山陵の御陵さんの側で。
何故?

これは同じ人の伝承を、別の形にして伝えているということなのでは?                              .
二人はやはり同一人物なのか?

時代が違うのに、何故?
こんなにも彼らの糸は絡み合うのか。
        .

 

そんな時に、京都の籠神社に関わる記述を見ました。


(つづく)

 

 

2018年9月16日 (日)

黒い影とペトログラフ 2 ~恵那山の天照~

( つづき )

その昼神神社の側には「恵那山」があります。

昼神神社を訪れた時、まるで山を守っているかのようだと思いました。
そこは天照の「えな」が埋められているという山。                      .

同じ恵那市にある笠置山にはペトログリフが書かれている石があります。
三角錐の形をした石には、<ヒミカ>と読める古代文字があるそうです。
それは太陽神を表すと。

            .

御座石での黒い影と昼神神社の神。
「ヒミカ」のペトログラフ。
その一瞬で、繋がったような気がしました。

 

                                                  *

 

                   .

天照と共にいたという昼神神社の神、思兼神。

恵那山の山中に天照に繋がるものがあり、その側に思兼神のお社があるのならば、
「守護」するお役目を担っていることは間違いありません。

笠置山の「ヒミカ」の古代文字。
それが太陽神を表すのならば、太陽神が「ヒミカ」か、
または「太陽神」に深く関係する者ということ。


ヒミカが日甕ならば、日の巫女。
太陽神を祀る巫女(の方)なのだと思います。

                 *


「日甕(ヒミカ)」
以前、ここで、二人の「日甕」について書きました。
  
饒速日命と夫婦であったミカシヤ姫と、
神功皇后です。

饒速日命の別名は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」。
彼が伊勢の神でもある天照です。

伊勢神宮の元の名は、磯宮。
彼は「布留の神」とも言われ、石上神宮のご祭神。
  (「(神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
  (「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)
 

 

また、饒速日神は住吉神でもあります。
  (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~ 」)

 

住吉の神は、福岡にある高良大社のご祭神、高良の神。

高良に伝わる伝承「高良玉垂の神秘書」では、
住吉の神は、神功皇后と夫婦になっています。

また、こちら(福岡)の伝承から神功皇后は「日甕」だと辿りついたのです。
  (「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)
  (「高良の神と日甕」)

                             .
もう一人の「日甕」(上記のリンク先)。
饒速日神と夫婦であった「ミカシヤ姫」
饒速日神の別名が「櫛甕玉比古」。
彼女もそれに纏わる名を持っていたことは間違いないでしょう。

(漢字というものが当時ないのだとしても、おそらくそれに替わる物はあったはず)
                                             .

 

Dsc_1788                       .
   (吉野ヶ里公園出土の銅鏡のレプリカ。紀元前1世紀(弥生時代中期)の
   甕棺墓に付けられていたもの。前漢(紀元前206年~紀元8年)に
   鋳造され渡ってきた。   「吉野ケ里公園のHP」より)。
   これは、その頃にはすでに書かれてある意味を知っていたということ。
   「久 不 相 見、長 毋 相 忘」とあります。意味は(「銅鏡」の記事へ)
                                   .

二人の「ヒミカ」
そして「住吉の神と饒速日神」が天照。


笠置山のペトログラフは、またしても彼らに結びつきます。


                            *

恵那山を守るかのように佇む「昼神神社」。
ご祭神は、「思兼神」。
私が御座石で、その社と同時に感じた黒い影は「武内宿禰」です。

この二柱の神が同じだと感じたこと。


それは、天照神の側にいた思兼神と、神功皇后の側にいた武内宿禰が
同一であること。

それは、饒速日神と住吉神と、
ミカシヤ姫と神功皇后が同じ存在であることを示しているかのようです。

時代が違いすぎるだろう。
そうとも思うのですが・・・。


*注  もしも「その人」が過去において実在していたのだとしても、
    人が祀り上げ神にした時から、もうその人自身ではありません。

    人の祈りにより、神は創られるもの。
    長き間に、余所の神と混同されたり、別物とされたりします。

    今、祭られている神はそうして出来あがったもの。
    全くの同一なのではないと思っています。

   だから、この場合は、その一部というべきでしょう。


                     *

是か否かも分からない御座石での”幻想”に、後押ししてくれた方がおられました。

神の石 2 」でコメントしてくださいました。
以前、その同じ場所でその方の同行者の方が、アメノウズメの舞を舞ったと。

私が見たアメノウズメは、昼神神社で舞っていた・・・。

それらは偶然ではあり得ません。
そこへ、導いてくれてると感じました。


この巨石パークのことを、その方に教えて頂いたこと。
行かなければと直感したこと。

御座石で感じた黒い影が武内宿禰であるならば。
昼神神社の神、思兼神が彼と同じ者ならば。
その二つの場所でのアメノウズメの舞。
「ヒミカ」のペトログラフ。

 

 

それらが指し示すものは、一つの必然。


(追記)
ペトログラフのある山は、恵那山ではなく笠置山でした。
コメントで教えて頂きました。ありがとうございます。

そうするともう一つの「偶然」が見つかります。

福岡の若宮市にも笠置山があるのですが、
こちらは饒速日神が降臨した山とされています。
岐阜の笠置山に太陽神を表す「ヒミカ」の古代文字があり、
彼が太陽神、天照でもあるのなら、その山の名の一致は偶然じゃないかも
しれません。

                  *


巨石パークを調べている時に、もう一つのペトログラフを見つけました。


(  つづく )
 

 

 

2018年9月14日 (金)

黒い影とペトログラフ 1 ~昼神とアメノウズメ~

神の石 2 ~黒い影~

この記事にあった、御座石に現れた「黒い服を着た人影」に纏わる話です。

その影を感じた時、


黒い服。
懐かしい気配。

<武内宿禰>


そう言葉ではなく、イメージが流れ込んできました。


福岡県 糟屋の黒男(くろどん)神社。
その名の由来は、彼が黒い着物をいつも着ていたことからというもの。

”その気配”は、その神社で感じていたものでした。

間違いなく。


神などの存在は、その人(視た人)のイメージした姿で見せるとも聞きます。
大抵は一般的に広まっている姿。

また、既存の絵や像の姿で見せることもあります。
それは神がその姿を、形作る人にイメージさせている(こともある)ということ。


  以前、家に霊障が出た時に、目の端に頻繁に現れていたものがありました。
  それは私を守っていてくれるように感じていて、ある日、
  <・・・童子>と名が浮かびます。
  ・・・ごぼう童子?ごほう童子?とその時はよく分かりませんでした。。

  後に調べたら、その姿と良く似た像が奈良の山奥にあり、
  「不動明王」の像とのこと。
  その後、「童子は不動明王の使いである」と知ります。
  現れたものは、そのどちらでもあったのかもしれません。
  <・・・童子>は、護法童子?

私はその像の姿から、その存在の主を知ったことになります。


「黒い人影」が武内宿禰だと感じたのは、
黒男神社や高良大社などで描かれている姿、その気配を
知っていたからなのかもしれません。

                         .

また、それと同時に浮かんだものがありました。
昼神神社です。

それは、長野県阿智村昼神郷にある阿智神社の奥宮。
昼神神社は通称です。

ご祭神は思兼神。

天照を天岩戸から導き出し、この世に再び昼の世界を戻したことから
そう言われています。

上記の昼神神社の記事に書きましたが、
そのお社に初めて行った時に、そこの石舞台でアメノウズメの舞を見ました。

幻影だったのでしょうが、今でも神鈴の音と、微笑んでいたその表情を
忘れません。
(顔は覚えていないのですが)



<武内宿禰と昼神神社>
同時に浮かんだ、その映像。

<同じ神>
そう言葉ではなく、イメージが浮かびました。

自分では、その是も否も分かりません。


(つづく)

 

 

2018年9月12日 (水)

神の石 3 ~金敷城山 山頂~

続きです。
目指すのは頂上、金敷城山(かなしきじょうやま)。

 

Kyoseki33                                                . 
12番、天神石。
「天神とは本来、菅原道真公を祀った天満宮をいうが、ここでは菅原道真公に
 あやかって学問の神様といわれている」
                          .Kyoseki34                                                   .
このような案内板が所々にあります。
天の岩門方面へ。
                        .Kyoseki37                                                           .
13番、雄神石。
「男子としての面目を立たせるように強気をくじき弱気を助け、仁義を
 重んじるように指導した神様といわれている。」

下の空洞は2m以上あります。
                     .Kyoseki47                                                 .
14番、天の岩門。
「本来、『天の』は、朝廷に関係のある事柄で、ここでは高千穂の天の岩門に
 似て、神いることから名付けられたといわれている。」

岩の間に立っても天井まで届かないくらい大きいです。

ここにいる時、風が違うと感じました。
門の内にいるのか、外にいるのかどっちだろう、ふとそう思いました。
                    .Kyoseki39                                  .
15番、神籠石(こうごういし)。

 

「本来、神籠石は、山頂の広い区域を囲んだ石垣の意味であるが、
 ここでは神を守る石のことといわれている。」

久留米市の高良大社ある高良山にも神籠石がありました。
結界を張れるものがいるのなら、充分にその役目を果たしているだろうと
思います。                   
                        .

 

Kyoseki43                                                    .
16番、蛙石。
「形が蛙に似ているところから名付けられ、佐賀弁でコウジンドックと愛唱
 されている。頭上には弘法大師を勧請したが、今から80年前までは
 誰しも大師を祀ったことを知る人もいなかったところ、村内でも有名な
 大師信者の坂口又八という人が、三夜続けて大師の夢のお告げにより
 発見したそうで、それから参詣者が常に絶えないといわれている。」

反対側から見ると蛙に見えないこともないですが、クジラにも見えます。
とにかくでかい。
「蛙」は「帰る」に掛けているのかもしれません。


弘法大師空海は、北部九州の山々を訪れたと言われてます。
若杉山も彼が霊山と感じ、寺院を建てられました。

一方、このお山がある脊振山系の高峰、脊振山には「役の行者」が
訪れたとされ、山頂付近の自衛隊基地内に祀られています。
脊振山には、昔は最澄の寺院も点在していました。

北部九州の山々は、彼らにとっても特別なお山であったことは
間違いありません。
            .Kyoseki45                                          .
蛙石を過ぎると、三差路に出ます。
金敷城山の頂上に行きたいので、ここはたもと石方面へ。

結構、藪漕ぎがありました。
まだ夏ですからね。
クモの巣がたくさん張ってあったので、落ちていた枝をお借りして、
顔の前に掲げてました。
帽子、軍手は必須。
クモはあまり怖くないので大丈夫。
小さい頃からの刷り込みですね。
クモには神様がいるから大事になさいと小さい頃から言われ続けていました。
                   .Kyoseki46                                         .
金敷城山頂上!
425.5m。
展望なし。

座れる場所も無さそうだったので、お昼を食べずに下山。
帰りは行きと違うコースです。

15番の神籠石まで下って、枝分かれを別の道へ。
巨石コースとは外れます。

もうすぐ登山口という所。
水の流れる音がしてきました。                                         .
                       .Kyoseki50                                             .
石神の滝。
絵に描きたくなるくらい美しいです。
気配が気持ち良かった。

行き、山頂まで2時間15分。
ゆっくり登りましたからね~。
下りは、山頂から43分。
下りに沢の間を歩く箇所があるので、防水の登山靴か
トレッキングシューズの方がいいです。

途中にある案内板だけでは、少々分かり辛いかもしれません。
私にはYAMAPのGPSナビが必須 ^^;
これがあったから、自由に山登りできます。
感謝です。
(使われるなら、他にも山のナビは幾つかあるので、合いそうなものを選ぶと
 いいと思います。)

               *               .
                                  .、

 

「神の石」
人が登り巡るからこそ、そこに在るもの。
特に御座石で感じたことから分かったことがありました。



( つづく )

 

 

2018年9月10日 (月)

神の石 2 ~黒い影~ 

前回の続きです。
ちょっと不思議なこともありました。

まだまだ登っていきます。
道は整備されていて、とても分かりやすいです。

 

Kyoseki18                                         .

 

Kyoseki20_2                                    .
7番目、イナリ石。
「五穀を司る倉稲魂(ワカノミダマ)を祀った石で、各種産業の守護神といわれ、
オニギリの形をなしていることから、イナリ石といわれている」(説明書より)

ウカノミタマさんです。

名前が付けられている石の前には、上の写真の様な案内板があります。
                    .Kyoseki24                                                   .
8番目、誕生石。
「この石から全ての動物が生まれ、子孫繁栄・夫婦和合・腹ごみの神様
 といわれている。」(説明書より)
                        .Kyoseki25                                                     .
誕生石の上から。
展望スポットです。

 

Kyoseki22                                                 .
9番、屏風石。
「小さな石の後ろにそびえ立ち、まるで屏風のような形をしていることから
名付けられる」

 

あまりにも大きいので収まりきれなかった。
                               .

 

Kyoseki27                                           .
10番、烏帽子石。
「平安時代の貴族がかぶった帽子に似ていることから名付けられた石で、
烏帽子の形をしており、高さ二十五尺(約7.5m)。下部は洞窟をなしている。」

これもなかなか大きかったです。
                       .Kyoseki28                                           .
11番、御座石。
「神様がこの山頂から眺められた時、お座りになったことから名付けられた石で、
ゴザに似ていることからよばれている。長さ三十三尺(約10m)、
幅十一尺(約3,3m)の長方形をなしている。上部は、平面で板敷のように
なっていて何十人も座ることができ、悟りを開く場所でもあると言われている。」
                       .
ここには竹ぼうきがあります。
綺麗に掃き清めます。
              Kyoseki31                              .
ここで瞑想しました。

 

造化大明神のとこで感じたもの。
それが、ここまで登ってくる間中してるのです。

 

座って、取り巻くその”感じ”

 

それに集中します。
まるで”鳥居の内”にいるみたいな感じ。
一種の結界の内のような。

こういう時は、何かある時。

 

次第に遠くから聞こえてくる車の音も聞こえなくなってきました。
何故か、側でさえずる鳥の声だけ聞こえてきます。

 

石と、山と、空と、地球との一体感。

と、その時ふっとすぐ側で何かの気配が現れました。



黒い気配・・・。
とても懐かしい気配がする。

黒い服を着た人影が浮かぶ。

守護する人?
神様かな。



それは一瞬でした。

目を開けてたら見えてたのかな。
昼神神社みたいに。

 

ふと昼神神社でのことを思い出しました。


気持ちを切り替えて、また出発です。
次の目的は頂上!

                .

( つづく )

                        .

 

 

2018年9月 8日 (土)

神の石 巨石パーク ~佐賀県大和町~

佐賀県の巨石パークへ。
パークとは名ばかりで、しっかり登山です。
山の中腹に数多くの巨石が点在します。

 

Kyoseki01

 

                     .
前々から気になってはいたのですが、コメントでお聞きして、
行ってきました。

 

Kyoseki03                 
パークの全体図です。
Kyoseki02                        .
                           .(クリックすると拡大されます)
         
案内板には、

肥前大和巨石パーク山中に、肥前風土記にも記載されている巨石群
(10m以上の石が16個以上)があり、この巨石群は与止日女神社の
ご神体と考えられている。

(中略)
「肥前風土記」の佐嘉郡の地名起源の話について
「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。」とあり、この世田姫が
「延喜式神名帳」という書物にある与止日女神社の祭神と考えられ、
古代では巨石を神様として信仰し、肥前風土記にあるように
神体は大きな岩であったと考えられる。

とあります。

管理棟があり、そこで案内図をもらいました。
コースの説明もして頂きました。
                      .Kyoseki04                                          .
まずは、まっすぐ登る方へ。
急とはありますが、それほどではなかったです。
1番の神頭石へ向かいます。
10分ほどで着きました。
                       .Kyoseki05_2                                           .
一番目、神頭石。
写真では大きさがよく分からないですが、横6m以上あります。

「永く眺めていると御先祖様の顔が見えてくる」
と言われています。
                  .Kyoseki07                                                .
2番目の道祖神石(サヤノカミイシ)。
「本来、道往く人達を守る神様と言われ、ここに来た人達の交通安全の守護神。
高さ二十三尺(約6.97m)、幅二十五尺(約7.57m)。
上部は平面で長さ8.48m。」説明の紙より。
                        .Kyoseki11                 .
3番目、御舟石。
「神代の昔、大海原を石神様が当地への航海にしようなされた舟と言われている」

長さは5~6mほどあります。

2000年程昔、福岡の北にある玄界灘と、佐賀の有明海は繋がっていたそうです。
その頃の海は今よりも広がっていました。
この石からは、そんな光景が見えてきそうです。
                                              .Kyoseki09                    .
4番目、兜石。
「武将が戦いの時にかぶったものに似ていることから名付けられ、
 武将の肉体は滅びても兜と大和魂を今も残している」
                                       .Kyoseki13                      .
5番目、龍の石。
3番目の御舟石の後ろにあります。

「龍が天に昇る姿に似ていることから名付けられた。大願成就の神様とも
言われている。」

15mほどあって、かなり大きいです。
クジラみたいだ。
               .Kyoseki15                    .
6番目、造化大明神。
「天地万物をお作りになった神様といわれ、世田姫を祀られおり、
与止日女神社の上官として明治の中頃まで毎年11月20日祭典を
執行されてきた。男神石女神石からなり一見屋根の形をなし、
その下には洞窟にして人の通行が自由である。」
                           .Kyoseki16                    .
とても大きいのです。
向こう側まで通り抜けできます。
                                       .Kyoseki53                                                .
中に入った所。
空洞の高さは2m程ありそうです。
祭事をされていた場所だからか、空気が違います。
この感じ、どこかであったなぁ。

「その感じ」この後に分かってきます。

 

(つづく)

2018年9月 5日 (水)

與止日女神社 ~佐賀県佐賀市~

前々から行きたかった「與止日女神社」へ。
佐賀県佐賀市大和町。

                                    .
Yodo07                                           .
佐賀県は、とても遠くて未知の世界だと思っていたのですが、
山を越えればすぐだと気付いたのはごく最近。
早良区から三瀬峠を通って、脊振山系を越えました。

ここは、朝、武雄の宇宙科学館に行く途中で、とても気になった場所にありました。
こういう時は、呼ばれている時が多いのです。

 

Yodo08_3                                (クリックすると拡大されます)

御祭神

與止日女命(神功皇后の御妹)
また豊玉姫(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。

 

Yodo02                                          .

 

Yodo04                                                   .

 

Yodo05                                                .
とても穏やかで気持ちがいいです。
福岡県那珂川町にある「伏見神社」は、ここから勧請されました。
那珂川町は神功皇后の縁の土地。
                .Yodo06                   .
ここは脊振山系から流れてくる嘉瀬川のほとり。
前回のコメントで教えていただいたのですが、この大和町にある
巨石パークに豊姫が乗って来たという磐船があるそうです。


調べてみましたら、この與止日女神社の側から、巨石パークへ行ける
金敷城山の登山口がありました。

その辺りの巨石は磐座でもあったのだと思います。
近々、登ってみたいです。

・・・多分、流れのような気がします。

               .

 

 

2018年9月 3日 (月)

祐徳稲荷神社 ~佐賀県鹿島市~

佐賀県鹿島市にある「祐徳稲荷神社」

せっかく武雄まで来たからと、行きたかったこのお社へ。
そこから20キロもありました。

 

Yutoku01_2                       .
Yutoku02                    .
お稲荷さんなのでお狐様。
抱えてる子狐がかわいい。Yutoku11_3                         .
楼門が立派。
                              .Yutoku04_2                   .
遥か上に見えるのが拝殿。
階段は左側から。
右側には有料のエレベーターがあります。
最近、増えました。

 

                 .

ご神祭

倉稲魂大神
大宮売大神
猿田彦大神
神令使命婦大神
萬媛命

 

倉稲魂大神は宇迦御魂(ウカノミタマ)神ですね。
別名が歳神さま。

その歳神さまは大歳神である饒速日神だとも言われています。
共に猿田彦さまも祭られていました。

 

Yutoku10                                                  .
奥に見えるのが「神楽殿」

 

Yutoku05                    .
「神楽殿」

ちょうど祝詞が始まりまうした。
偶然、居合わせると歓迎してもらってるようで嬉しいです。                  .

 

Yutoku06                                                .
先程の階段を上がって、こちらが「拝殿」。

この後、「奥宮300m」の標識を見つけてしまう。
軽く登山でした。
山の300mは侮れない。
Yutoku09                                .
「奥宮」

 

Yutoku07                  .
色んなお狐さんが奉納されてました。
                    .

 

Yutoku08                                                         .
奥宮の横から。
見えるのは有明海。
縦断してしまった気分。
ついでの距離ではなかったですねぇ^^;。

                      .
そもそも前回の武雄神社に行ったのは、佐賀宇宙科学館に行ったついででした。
同じ武雄なら近いはず!
と調べたらそこから2キロ程。

そこから祐徳稲荷までさらに西へ20キロ。
大きな国道があったのですが、行きはナビの通りに細い道を行ってしまって、
えらく遠く感じました。
でも行けて良かったです。
               .

佐賀県ならば!
あの神社はどこだろう?
と、前々から行きたかった神社を検索したら、なんと行きに真横を
通り過ぎいて、妙に気になった場所にありました。

「與止日女神社」
那珂川町の「伏見神社」はそこから勧請されたのでした。

科学館へ行ったのに、神社巡りになってしまった。


( つづく )

                .

 

 

2018年9月 1日 (土)

武雄神社 ~佐賀県武雄市~

佐賀県武雄市武雄にある、
「武雄神社」                        .

 

Takeo02                                    .
ご祭神は、武内宿禰
       武雄心命
       仲哀天皇
       神功皇后
       応神天皇

ここは武内宿禰だったのか。
でも何で、ここ、佐賀県?

 

Takeo03                         .
神社の側の三船山にある「武雄の大楠」
なかなかよい雰囲気でした。
ここもパワースポットですね。

 

Wikipedia「武雄神社」によると

初代神主伴行杜頼に神託があり、太宰府を通じ朝廷に奏上して
武内宿禰を主神に以下4神を合祀して、
現在の佐賀県立武雄青陵中校・武雄高等学校の場所に遷座。
その後、元永年間に
(中略)
社殿を現在地に遷座。

とあります。

 

Takeo05                       .
木の向こう側に見えるのが流鏑馬の道。

ついこの間、TVで一所懸命練習する子供達の姿を見ました。

                    .

 

 

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