日本の真相 2 ~同化*ツヌガアラシトと神功皇后~(改訂)
(「日本の真相 1」 の続き)
そこには、物部氏、秦氏などが、失われた十支族の末裔であり、日本へ辿り着いたとありました。
一見とんでも話ですが、「儺の国の星」には、「物部の先祖は近東にあった」とあります。
著者の真鍋大覚氏は、物部の子孫。
すべてが偽であるとするよりも、真があるかもししれません。
以下、「日本の真相」より要約
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8.pdf
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(2)秦氏の起原
古代物部氏は、海のシルクロードを渡ってきた、失われた十支族の一部の者達。
陸のシルクロードを渡って来たのが、秦氏。
秦氏は朝鮮半島からの渡来人であり(*朝鮮半島を経由しての意味)
土木工事や鉄器製造、機織りなどに優れた殖産豪族。
月読命を祀る月読神社は秦氏の創建である。
☆秦氏は何者か。
北朝イスラエルが滅亡後、十支族は歴史から姿を消す。
彼らは「マナの壺」と「アロンの杖」を携えていた。
彼らは遊牧民と同化し、次第に極東方面へと達する。
BC2世紀ごろには東北アジアへ。
後に百済、新羅、伽耶になる。
これらのことは「三国史記」の「百済本記」にある。
それらの記録にある自死したという、大王の孫がフルであり、
「それが他の国へ行ったこと」と考えられる。
百済王家の姓は、解氏(オンソ)と真氏(フル)。
流れてきた(失われた十支族)遊牧民族の末裔。
当時、騎馬民族は”秦人=流浪の民”と中国から呼ばれていた。
☆もう一方の南朝イスラエルの行方。
天山山麓の麓に弓月王(ゆんず)国=三日月王国があり、
製鉄が盛んだった弓月城(くるじゃ)とも言われる国があった。
鉄は製鉄はシュメールからヒッタイトへと受け継がれ、この国へ。
当時夜に光が無かったことから神の国とみなされ、”天山”と言われた。
ヘブライ語で”ヤマトゥ”と呼ばれ、”神の民”の意味。
イスラエルの十二支族を象徴する。
ヤマトの語源。
☆南朝ユダ王国も滅亡寸前に脱出していた。
一族は失われた十支族を追ってシルクロードへ。
「契約の箱アーク」を携えていた。
シルクロードを東征、ヤマトゥの地へ。
そこで元々いたシュメール~ヒッタイトの末裔と同化。
製鉄製造、土木工事、芸術などの高度な文化を受け継ぐ。
やがて中国へ。
中国は彼らの姓を”秦氏”とした。
先程の様に”流浪の民”の意味がある。
彼らは十支族の後を追う。
やがて朝鮮半島に達し、流れを汲む扶余族と合流。
南下して伽耶へ。
新羅の様式を継承した。
(要約おわり)
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秦氏。
それが遊牧民族を表し、近東から流れてきた”彼ら”を表すのならば、物部氏の先祖は”秦氏”でもあったのでしょう。
ARIONも、
アジア中央高原(パミール高原)に降りたった。
そこから陸路と回路に渡っていった。
と話していました。
(「儺の国の星」~物部一族とARION~」)
「物部の先祖は近東にあった」
個人的には、そのことはほぼ間違いないと思います。
ただ百済自体、その建国年、成り立ちがはっきりしていないようです。
☆百済の建国は、韓国では紀元18年説もありますが、3世紀後半が有力。
☆初めの方の王の真偽は分からないらしく、創作である可能性もある。
とのことです。
一つ言えるのは、
彼らは、大陸から流れてきた可能性がある。
ここで、繋がるのが「ツヌガアラシト神」の存在です。
< ツヌガアラシト神 >
福岡の田川郡香春町の「現人神社」に祀られている神です。
神話では新羅からアカル姫を追って、日本に来たとされる王子とされています。(*1)
彼は別名、天日矛、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)。
「角がある人」の意味であり、福井の敦賀(つるが)の語源となっています。
牛頭天王でもあり、祇園の神(スサノオ命)です。
彼は、饒速日命でした。
(☆→神*総まとめ)アメブロの記事
< 気比神社のツヌガアラシト >
敦賀には、気比神社がありました。
ツヌガアラシト、神功皇后、応神天皇などが御祭神。
その地で、ツヌガアラシト(伊奢沙別命)は、応神天皇と名を替えています。
名を替えた、何の名前と?
そう思われませんか?
「名を替えた」は、文字通り名を替えただけであり、同神を意味します。
応神天皇=ツヌガアラシト神=牛頭天皇=スサノオ神=饒速日命なのです。
もう一つの那珂川市の現人神社は、住吉神の元宮。
饒速日命は住吉神でもありました。
(☆→神*総まとめ)アメブロの記事
同神であるからこそ、同じ名の社です。
< 香春岳の息長姫 >
新羅からアカル姫を追って日本にやってきたという「ツヌガアラシト神」。
その相手、アカル姫もここに祀られています。
それが、辛国息長大姫大目姫(からくに おきながおおひめ おおめひめ)。
彼女は神功皇后(息長垂姫)です。
先述の福岡の香春町の現人神社の近くには、香春岳(かわらたけ)がありました。
三山にはそれぞれ
一ノ岳、辛国息長大姫大目姫。
二ノ岳、天忍骨命(天忍穂耳命と同神)
三ノ岳、豊比咩命が祀られています。
一ノ岳の、辛国息長大姫大目姫は、新羅の神が渡って住み着いたと言われています。
では彼女が、ツヌガアラシト神が新羅から追って来たアカル姫。
(左が香春岳の二ノ岳 右が一ノ岳
一ノ岳は、私有山で石灰が採れるために削られ続けてます)
一ノ岳の香春神社には三山の神が合祀されていました。
宇佐神宮の前身となった宮であります。
では、これらの神が宇佐神宮に祀られている神であります。
宇佐神宮の
神功皇后、比咩大神(宗像三神)、応神天皇は、
香春神社の
辛国息長大姫大目姫、豊比咩命、天忍骨命(天忍穂耳命と同神)です。
(二ノ岳 奥に見えるのが一ノ岳)
*二ノ岳の天忍穂耳命は、大己貴神であり、饒速日命でした。
(英彦山の神。天火明命が天忍穂耳命に譲った→名を替えられただけ)
(三ノ岳)
*三ノ岳の麓には、古宮八幡宮があり、豊比咩命、神功皇后、応神天皇が祀られます。
宇佐神宮に名がない「豊比咩命」、これも神功皇后です。
☆なぜなら、
大己貴神は大神神社の饒速日命。
彼は高良神(住吉神)でもあります。(福岡、久留米の高良大社)
高良大社の本殿には、豊玉比咩が合祀されています。
夫婦であるから共に祀られているのであり、高良の伝承では彼の后は神功皇后です。
つまり、豊玉比咩、神功皇后は同神。
さらに(宇佐神宮にも祀られている)宗像三神は、御炊屋姫でした。
(☆→神*総まとめ)アメブロの記事
高良神が饒速日命であるので、その后が彼女に行きつくのは必然です。
☆応神天皇=ツヌガアラシト神(香春の現人神社の神)=牛頭天皇=スサノオ神=饒速日命=高良神=住吉神=那珂川の現人神社の神
(*これらにより、牛頭天王(祇園の神・スサノオ命)は、饒速日命であることも証明されます)
☆神功皇后=辛国息長大姫大目姫=比咩大神=宗像三神=御炊屋姫=豊玉比咩=アカル姫
彼がフル(布留)神である饒速日命。
ツヌガアラシトが彼でもあるので、「大陸(新羅?)」から渡ってきたのは間違いないようです。
しかし、彼が「追って」きたのは、神功皇后。
彼女は、奈良生まれの御炊屋姫です。
別者だとは考えられないので、彼との関わり(縁がある事)を示すために「辛国(新羅?)から追ってきた」とされた可能性もあります。
少なくとも、皇紀の初めだという、紀元前660年が彼らの時代でないことは確かなようです。
( つづく )
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*1 ツヌガアラシト(天日矛)
神話では神功皇后の母方の先祖とされます。
しかしこれも、繋がり(縁がある事)を示したもの。
.
*上の「日本の真相」は要約で、かなり端折ってます。
全文ご覧になりたい方は、上の方のリンク先へお願いします。
(そこに記載されている事自体、幾人か(飛鳥氏)の考察が混ざってるものだそうです)
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